今日は暦の上では立秋ですので、手紙等の挨拶は「残暑お見舞い」ということになるわけですが、これだけ暑いと白々しさばかりが目立ってどうもいけません。もちろん新暦に旧暦の暦を当てがっているのだから合わないのは至極当たり前で、なのにどうしていつまでたっても今日は立秋、と呼びつづけるのか、考えてみると実に不思議なことです。もう暦の立て方もわからなくなって、旧暦の日取りが分からない、というのならまだしも、ちゃんと今でも旧暦は計算して出せるわけで、日めくりカレンダーなどで誰でも今日が旧暦の何月何日かを簡単に知る事ができるのです。ならば二四節気に関しては、旧暦に合わせて唱えたらどうなのでしょう。例えば立秋は9月5日でいいじゃないですか。この暑さで秋を云々されても全く実感のわきようがないのです。
さて、フジテレビに対する抗議デモ、やるのやらないのとゴタゴタしていたのは何となく知っておりましたが、ちゃんと決行されて、しかもあんなに人数が集まっていたというのには、正直驚きました。その日は警察の許可も取れなかったということでデモ行進の日ではなかったそうで、この次の21日が本番なのだそうですが、予行であれなら本番はどれほど集まるのか。デモというと組合が主催するヤル気のない空疎なシュプレヒコールを上げるだけのものにしか参加(動員された)したことのない私には、内容の是非云々よりも、まずはそのことに対してある種のワクワク感が募ります。
で、事の是非を問うと、個人的には、フジテレビの方に分が悪いと感じさせられます。売国の洗脳陰謀がその問題の背後にあるのかどうかはなんとも言えませんし、経済的に韓国の番組、タレントを使うほうがリーズナブル、という話にはある程度真実性を覚えもするのですが、かつてと比べ、そこまでしないと事業形態として台所が苦しくなるような状況なのだとしたら、もうそのビジネスから撤退することも視野に入れてもいいんじゃないか、とも思えます。とにかく中身はいいから経費を安くして粗利を稼ぐ、というのは、経済学ではどう説明しているのかは知りませんが、素人感覚ではもう終りが近いんじゃないか、と言う風に感じられるのです。かつてジリ貧になった我が国が粗製濫造で兵器や兵隊をこさえて無理やり戦っていたかのような。それでもまだまだ事業として『おいしい』というのなら、かつて関西の番組プロデューサーがのたまったが如く、文句を垂れる輩に「チャンネルはなんのためにあるんや!」とでも言いながら、開き直ってとことんまで安作りを徹底したら良いのではないでしょうか? その先に何が待ち構えていようとも、中途半端にやってデモ隊に囲まれたりするよりもよほど清々しい結末が得られるような気がします。
でも、何と言っても所詮関東のテレビ局の話ですから、関西在住の私にはあまり関係のない話ではあります。それにそもそもテレビ自体をほとんど観なくなってしまった私には、基本的にこの件を云々する資格がありませんね。2重に当事者資格のない私は、無責任なやじうまに徹するしかやりようが無いようです。
さて、フジテレビに対する抗議デモ、やるのやらないのとゴタゴタしていたのは何となく知っておりましたが、ちゃんと決行されて、しかもあんなに人数が集まっていたというのには、正直驚きました。その日は警察の許可も取れなかったということでデモ行進の日ではなかったそうで、この次の21日が本番なのだそうですが、予行であれなら本番はどれほど集まるのか。デモというと組合が主催するヤル気のない空疎なシュプレヒコールを上げるだけのものにしか参加(動員された)したことのない私には、内容の是非云々よりも、まずはそのことに対してある種のワクワク感が募ります。
で、事の是非を問うと、個人的には、フジテレビの方に分が悪いと感じさせられます。売国の洗脳陰謀がその問題の背後にあるのかどうかはなんとも言えませんし、経済的に韓国の番組、タレントを使うほうがリーズナブル、という話にはある程度真実性を覚えもするのですが、かつてと比べ、そこまでしないと事業形態として台所が苦しくなるような状況なのだとしたら、もうそのビジネスから撤退することも視野に入れてもいいんじゃないか、とも思えます。とにかく中身はいいから経費を安くして粗利を稼ぐ、というのは、経済学ではどう説明しているのかは知りませんが、素人感覚ではもう終りが近いんじゃないか、と言う風に感じられるのです。かつてジリ貧になった我が国が粗製濫造で兵器や兵隊をこさえて無理やり戦っていたかのような。それでもまだまだ事業として『おいしい』というのなら、かつて関西の番組プロデューサーがのたまったが如く、文句を垂れる輩に「チャンネルはなんのためにあるんや!」とでも言いながら、開き直ってとことんまで安作りを徹底したら良いのではないでしょうか? その先に何が待ち構えていようとも、中途半端にやってデモ隊に囲まれたりするよりもよほど清々しい結末が得られるような気がします。
でも、何と言っても所詮関東のテレビ局の話ですから、関西在住の私にはあまり関係のない話ではあります。それにそもそもテレビ自体をほとんど観なくなってしまった私には、基本的にこの件を云々する資格がありませんね。2重に当事者資格のない私は、無責任なやじうまに徹するしかやりようが無いようです。