かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

平賀源内記念研究所って、結局1年経ってどうなったんでしょうね?

2011-08-20 23:10:05 | Weblog
 今日は月例のカラオケの会の日。雨模様で涼しげな天気の中、久しぶりに9名と大勢のメンバーが集まって8時間歌いまくりました。9名も一堂に会すると順番が回ってくるのが大分かかりますが、その分喉の負担がないので、割と思い切りよく歌を選択できるのがありがたいです。これが3人とか4人だとすぐに順番が回ってきて喉を酷使することになりますので、終わった後は喉は涸れる、腹筋は痛くなる、と回復まで割と大変なのですが、今回はそれほど問題なく元に戻りそうです。昔、後白河法皇は今様(極簡単に言うと平安時代の歌謡曲、ですね)に入れ込んで喉を3回も潰した、という話が伝わっていますが、いくらカラオケが好きでも喉を潰すまでやりたいとは思いません。そういう意味では、今日くらいがちょうどよい負担だったと思います。

 さて、去年の今日、この日記で書いた「平賀源内記念研究所」って、その後どうなったのでしょうね。新たに「科学宝くじ」を創設して年間10億円程度を調達し、タイムマシンなど実現不可能とされる研究や常識にとらわれない研究をテーマに、国内外から50人程度の「異才、奇人」を集め、自由に研究してもらい、次世代の発展につなげようという目標をかがげていたはずなのですが、去年の日記を読み返すまで、私も全く忘れておりました。そこで、その後どうなったのかとちょっとググッてみたのですが、どうも続報がネットでは引っかかってきません。まさに思いつきというか、打ち上げ花火同然でとにかく上げては見たけれど、ぱっとマスコミに取り上げてもらったあとはそのまますうっと闇に消えてしまい、今や誰も覚えていない、ということなのでしょうか。ひょっとしたら東北大震災まではまだ政府でも覚えている人もいたけれど、その後の対応や原発事故などですっかりとんでしまったのかも知れません。しかしながら、それをうかがい知ることは自分には全くできないわけで、取材力のあるマスコミが追跡取材してもらいたいところです。別にその基金や研究所に何の期待もしてないのですが、馬鹿馬鹿しいと政府が気づいたなら気づいたで、そのこと事態をちゃんと知っておきたいのです。恐らくそのような話はこの研究所以外でもたくさんあったような気がするのですが、どれもこれも打ち上げ花火でその後の顛末が明らかなものはあまりないような気がします。
 もっとも報道自体が政府発表をそのまま紙面に書き取るだけのものになってしまって久しいようなので、そのような希望自体過ぎた話なのかもしれませんが。


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