最近よく夢を見て、それがよく記憶に残ります。寝覚めの前の夢のせいなのかもしれませんが、やたらリアルで物語性に富むボリュームのある夢です。
例えば今日の夢は。
どこか高原地帯か山の中。『触手』をテーマにしたイベントが開かれています。正面に、高さ100m位の急峻な崖のようにも見える山があり、その上から4分の1くらいのところから、遠目に見ても根元の太さが1mくらいはありそうな太い触手が何本も複雑に絡み合いながら山の中腹を超えて垂れ下がり、うごめいています。色は白、たこの足のようですが、吸盤状のモノは確認できません。遠目には、昔話のおじいさんの白いあごひげのようでもあります。会場はその山の頂上とのことで、私は山を左側から巻いて登り始めました。立って歩くのが困難な位の大変な急斜面で、岩がゴツゴツしており、ほとんどロッククライミングと変わらない様子で、手をつきながら岩場を登って行きます。右手に高さ3,40mはありそうな大きなダムのセメントの壁が立ちはだかっており、覆い被さってきそうな巨大な壁に強い威圧感を覚えながら、私はそれを『天理のダムだ』と認識していました。そう思いながら黙々と山を登り続けます。
途端に場面が替わって、草深い山の中、もしくは平地にいます。頂上についた、と私は認識していますが、触手のことはすっかり頭から忘れています。そこに、同僚でカラオケ仲間であるH氏が、軽トラックを駆って現れました。しかしその軽トラ、なぜか後輪が片方しかありません。左側の車輪が無かったり、なぜか3輪車を逆さにしたみたいに後輪が車体中央に移動したりしています。時には後輪そのものが消えて、前輪だけで走っていたりもします。これでは停まったらひっくり返るだろう、と思っておりましたら、停まった途端、案の定左側にがっくりと傾いてしまいました。ひっくり返るところまでは行きませんが、これでは乗り降りは大変難しそうです。
天理のダム、というのは、目覚めてからも一体何のことなのだろう? としばらく不思議でした。そもそもそんなダムは知りませんし。触手のイベント、というのもよく判りません。夢の中の意識では、どうもアブノーマルでイカガワシイものとはかけ離れた、妙に健全で前向きな清々しい気持ちが溢れているようでした。今思い出しても、あの山の上の方で蠢く触手の群に健全さなどかけらも見いだせない気がするのですが、夢の中のことですからそんなものなのかもしれません。
夢占い、あるいは夢分析的には、山に登ったり、右側にそびえ立つ威圧感あふれるダムの堰堤、あるいはその次の夢の後輪がない車、というものに何か意味がありそうな気がするのですが、今のところこれと言って理解が及びそうな解釈はありません。もっとも、苦労する山登りには、現在手がけている問題の手応えや自覚している困難の度合いを示す、という夢判断の話もありましたので、昨日から取り組んでいる実験の手応えが、無意識的にそんな形で表出したのかも知れません。試しに吉夢か凶夢か、はたまたそんなのとは何の関係もないただの夢なのか、を易で占ってみたところ、火天大有六五と出ました。困難に打ち勝ち最後には笑う、という卦ですので、吉凶で言えばやはり吉と判断できそうです。やはり今取り組んでいる実験の成果が期待できるのかもしれませんね。それなら楽しみではありますが、基本的に実験の成否は占わないことにしているので、その追求はこれで打ち止めにしておきましょう。
例えば今日の夢は。
どこか高原地帯か山の中。『触手』をテーマにしたイベントが開かれています。正面に、高さ100m位の急峻な崖のようにも見える山があり、その上から4分の1くらいのところから、遠目に見ても根元の太さが1mくらいはありそうな太い触手が何本も複雑に絡み合いながら山の中腹を超えて垂れ下がり、うごめいています。色は白、たこの足のようですが、吸盤状のモノは確認できません。遠目には、昔話のおじいさんの白いあごひげのようでもあります。会場はその山の頂上とのことで、私は山を左側から巻いて登り始めました。立って歩くのが困難な位の大変な急斜面で、岩がゴツゴツしており、ほとんどロッククライミングと変わらない様子で、手をつきながら岩場を登って行きます。右手に高さ3,40mはありそうな大きなダムのセメントの壁が立ちはだかっており、覆い被さってきそうな巨大な壁に強い威圧感を覚えながら、私はそれを『天理のダムだ』と認識していました。そう思いながら黙々と山を登り続けます。
途端に場面が替わって、草深い山の中、もしくは平地にいます。頂上についた、と私は認識していますが、触手のことはすっかり頭から忘れています。そこに、同僚でカラオケ仲間であるH氏が、軽トラックを駆って現れました。しかしその軽トラ、なぜか後輪が片方しかありません。左側の車輪が無かったり、なぜか3輪車を逆さにしたみたいに後輪が車体中央に移動したりしています。時には後輪そのものが消えて、前輪だけで走っていたりもします。これでは停まったらひっくり返るだろう、と思っておりましたら、停まった途端、案の定左側にがっくりと傾いてしまいました。ひっくり返るところまでは行きませんが、これでは乗り降りは大変難しそうです。
天理のダム、というのは、目覚めてからも一体何のことなのだろう? としばらく不思議でした。そもそもそんなダムは知りませんし。触手のイベント、というのもよく判りません。夢の中の意識では、どうもアブノーマルでイカガワシイものとはかけ離れた、妙に健全で前向きな清々しい気持ちが溢れているようでした。今思い出しても、あの山の上の方で蠢く触手の群に健全さなどかけらも見いだせない気がするのですが、夢の中のことですからそんなものなのかもしれません。
夢占い、あるいは夢分析的には、山に登ったり、右側にそびえ立つ威圧感あふれるダムの堰堤、あるいはその次の夢の後輪がない車、というものに何か意味がありそうな気がするのですが、今のところこれと言って理解が及びそうな解釈はありません。もっとも、苦労する山登りには、現在手がけている問題の手応えや自覚している困難の度合いを示す、という夢判断の話もありましたので、昨日から取り組んでいる実験の手応えが、無意識的にそんな形で表出したのかも知れません。試しに吉夢か凶夢か、はたまたそんなのとは何の関係もないただの夢なのか、を易で占ってみたところ、火天大有六五と出ました。困難に打ち勝ち最後には笑う、という卦ですので、吉凶で言えばやはり吉と判断できそうです。やはり今取り組んでいる実験の成果が期待できるのかもしれませんね。それなら楽しみではありますが、基本的に実験の成否は占わないことにしているので、その追求はこれで打ち止めにしておきましょう。