今朝の奈良市の最低気温は22.8℃、昼の最高気温は28.5℃、今朝の五條市の最低気温は21.9℃、昼の最高気温は28.5℃でした。今日は少し気温が上がって来るかと思いましたが、結局3日続けて昼の最高気温が30℃を割り込む異常事態?となりました。なかなか天候が回復せず一日雨が降ったり止んだりで日差しがなかったためで、原因は接近してきた台風13号の移動速度が衰えて未だに近くでうろちょろしていたためであろうと思われます。もっとも当然湿度は相当高くて、それなりに蒸し暑さは覚えました。明日は天候が回復するようですが、明後日日曜日はまた雨になる予報が出ていますので、休日の生活雑事は明日中に片付けるのが吉のようです。
さて、奈良県桜井市にある墳丘長204mの大型前方後円墳「桜井茶臼山古墳」から300を超える銅鏡の破片が出土、それを橿原考古学研究所の研究員らが調査分類し、中国渡来のものを含む103面以上の銅鏡が石室内に収められていたことが判明した、と発表がありました。銅鏡と言えば奈良県天理市にある全長134mの黒塚古墳ですが、こちらは三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面で桜井茶臼山古墳の1/3に過ぎません。まさに前代未聞の大規模出土になります。このことから、研究者らはこの古墳の埋葬者を倭国王相当の人物と見ていますが、宮内庁は天皇家由来の陵墓とは認めていません。これはこの桜井茶臼山古墳が古事記や日本書紀に記載がなく、発見されたのが戦後しばらく経ってからのことだったためだそうですが、我が国の独自形式である前方後円墳の古墳時代初期の代表的な巨大古墳が、天皇家の祖に当たるやもしれない大王級の人物であった可能性は高く、宮内庁のいい加減な陵墓認定と扱いの適当さには憤りを覚えずにはいられません。それはともかくとして、ウィキペディアなどを読んでましたら北九州系の関連もあるやもしれないとの話もあり、ひょっとしたら神武東征には何らかの史実が反映されていたことを示しうる古墳なのかもしれず、被葬者は初代天皇神日本磐余彦尊こと神武天皇であったかもしれません。他の古墳も被葬者を間違っている例が多々ありますし、そのままにしておくほうがよほど失礼に当たるというもので、私個人としてはお遷りいただく社でも建立してから御霊の遷御等の神事を経たうえで、天皇家由来とされる全ての古墳を全面的に発掘調査し、被葬者を確定して祭り直すべきであろうと思いますが、面倒くさいのか何か他に理由があるのか、宮内庁は認めようとしませんし明らかに間違っている陵墓指定も変えようとしません。本当になんとかならないものかと思いますが、よほど政治的な決断でも迫られない限りは多分無理なのでしょうね。