何年も前に、ある市民活動団体の交流会のようなものに参加した時、当時県職員で鈴鹿市にいた人と話すことがありました。
そのときにその方から聞いたことは、「鈴鹿は若いまちのイメージがあったが、実際はそうではなく、旧来の人たちの価値観が大きく存在している感じだ。」ということです。その当時も、その通りだと思う部分が多々あったのですが、現在もそういう空気を感じるときがあります。
ただ、旧来の人たちの価値観のすべてが抑圧的に働くのではないと実感しているところもあります。まちのことを動かしていくとき、まちづくりや地域活動などの時に、非常に大きな力になる部分があるところは、多くの人が認めるところでもあると思います。
すこし前に「風土」という言葉が鈴鹿のキーワードのようになっていましたが、まさに旧来の価値観による抑圧的な空気は、ある意味で鈴鹿の「風土」の中に見えにくく埋め込まれているのかもしれないと思います。
市議会の中にこのような「風土」はないのかと言えば、ないと言えないのが現状です。抑圧的・保守的な空気は、いわゆる保守とか革新とかの表現とは関係なく、どこかしら漂っていると感じています。
鈴鹿が変わっていくには、議会がまず変わっていく必要があると思います。このような「風土」に風を吹き込むことが必要です。できるかぎり頑張りたいと思っています。
応援よろしくお願いします。
そのときにその方から聞いたことは、「鈴鹿は若いまちのイメージがあったが、実際はそうではなく、旧来の人たちの価値観が大きく存在している感じだ。」ということです。その当時も、その通りだと思う部分が多々あったのですが、現在もそういう空気を感じるときがあります。
ただ、旧来の人たちの価値観のすべてが抑圧的に働くのではないと実感しているところもあります。まちのことを動かしていくとき、まちづくりや地域活動などの時に、非常に大きな力になる部分があるところは、多くの人が認めるところでもあると思います。
すこし前に「風土」という言葉が鈴鹿のキーワードのようになっていましたが、まさに旧来の価値観による抑圧的な空気は、ある意味で鈴鹿の「風土」の中に見えにくく埋め込まれているのかもしれないと思います。
市議会の中にこのような「風土」はないのかと言えば、ないと言えないのが現状です。抑圧的・保守的な空気は、いわゆる保守とか革新とかの表現とは関係なく、どこかしら漂っていると感じています。
鈴鹿が変わっていくには、議会がまず変わっていく必要があると思います。このような「風土」に風を吹き込むことが必要です。できるかぎり頑張りたいと思っています。
応援よろしくお願いします。