昨夜は屋台でラーメンと餃子を一人で食べていました。そうしていると、隣の席にいた尼崎の方から声をかけられ、ひとしきり会話が盛り上がりました。
そこで昨日の都市問題会議の講演の中にあった、私的領域と公的領域の中間ということについて考えていました。屋台もそうですが、飲み屋さんのカウンター席やバルスタイルのお店は、座席ごとに明確に区切られるのではなく、隣り合う人どうしの私的領域が重なり、共有されるあいまいな領域が存在することが魅力になっていて、過去からそれを求める人が一定数以上いるのでしょう。
そう考えながら鈴鹿のこと身近な白子駅前を考えると、自動車の存在が前提になったつくりになっていて、誰もが共有できるあいまいな空間が少ない、ほとんどないのではないかと思います。このような空間を意識することが、鈴鹿市の都市計画に重要と考えるところです。
そこで昨日の都市問題会議の講演の中にあった、私的領域と公的領域の中間ということについて考えていました。屋台もそうですが、飲み屋さんのカウンター席やバルスタイルのお店は、座席ごとに明確に区切られるのではなく、隣り合う人どうしの私的領域が重なり、共有されるあいまいな領域が存在することが魅力になっていて、過去からそれを求める人が一定数以上いるのでしょう。
そう考えながら鈴鹿のこと身近な白子駅前を考えると、自動車の存在が前提になったつくりになっていて、誰もが共有できるあいまいな空間が少ない、ほとんどないのではないかと思います。このような空間を意識することが、鈴鹿市の都市計画に重要と考えるところです。