鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

いまきめること

2014年03月15日 15時12分50秒 | Weblog
いま決断しようとする内容が、
10年先にも正しいこととは限らないのに、
いまの価値観や視野だけで決められることが多く、
それが決める人の評価につながっていく。
仮にその選択が厳しい状況を10年後に導いたとしても、
その頃には決めた人たち自身が、
世の中から退場してしまっていたりして、
誰も責任意識を感じなくなっていたりしていて、
ツケだけが次の世代に送られていく。
そんなことが多くないでしょうか。
本当は決定までの過程で充分に議論するべきで、
それができているかと言えば
心許ないのが現実。
変えたいです。
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備える気持ち

2014年03月14日 15時06分31秒 | Weblog
今朝、四国と九州そして中国地方にかこまれた海域を震源に地震が発生しました。マグニチュードは6クラスですが、発生した場所から考えることは非常に多いと思います。

まず、東日本大震災に至るまでの地震活動を思い返すと、中越沖地震からはじまって岩手内陸そして宮城沖と大きな地震の震源が、北米プレートを太平洋側に移動したことがありますし、小さな地震が頻発していたりしました。
今回も南海トラフが関係するユーラシアプレートで発生していることに加えて、東日本大震災以後の研究でひずみが大きくなっているといわれている南海地震の震源域にも近いことから、関連や東日本大震災のときと似ているのではと思います。
ですから今回を契機に、それぞれの人が自宅の緊急物資の確認や避難について想定するなど、危機に備える意識、できることから自分のリスクマネジメントに取り組んでもらうよう、これまで以上に呼びかけていいのではないかと思います。
実現までに数ヶ月、数年かかる災害対策に目を奪われる前に、今できることに目を向けてもらうことが大切だと思います。

また、今回の震源は中国電力の伊方原子力発電所に近いところでした。今回の地震では被害が出ていないということですが、やはり地震大国である日本で、原子力発電所が事故になった際のリスクを考えずにはいられませんでした。
もし放射性物質が拡散する事態が起きたとしたら、私たちはどのような選択をすることになるのでしょう。「ない」ことだけを前提にするのではなく、やはり「あった場合」を想定してそのときどうなるかの情報も並べる必要があるのではと思います。

備える気持ちがリスクを小さくしてくれるでしょうし、復興の際にも重要な要素になると思います。

自宅の物資の状況に気を配ることと、もしもの際の避難についての意識を持つようにしましょう。
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ぎいんのしごと

2014年03月13日 16時10分27秒 | Weblog
常任委員会で議案審議がありました。予算案についての審議は予算決算分科会として行われます。
この3月定例会から予算案についての詳細説明が記載されている“事項別明細”が、行政側から議員にデータ等で提供されています。当然ながら、きちんと読み込めばそれなりに気になる部分が目につくとが出てきます。
その気になる部分にいろいろな背景を持つ各議員が、それぞれの知識や経験から公開の場でチェックを入れていくことで、行政側の考えにくさびを入れることが議員の仕事だと思います。ということはそもそも、きちんと予算などの議案がチェックされない状況で、行政側と議会の間に緊張関係は生まれないでしょう。とすれば、市の動きに緩みが見えたりするのは、議会と行政の緊張関係の緩みがあるからかもしれないわけで、それは議会にも責任があると思います。しかし、残念ながら審議の中で質問を遮ろうという動きがあったりします。そういう場合、マイクを使って発言されるわけではないので議事録に残りませんし、委員会の放送もありませんから、市民の方の目につかないところの話になります。
委員会などの会議の場は、あくまで会議であり議論の場ということが優先されるべきです。

ブログを読んでいただいている皆さんにとって、
審議を行う場での“ ギイン ”の仕事とはどのようなものでしょう。
市民に代わって会議をきちんと行うから、
議論をきちんと行うから、審議をきちんと行うからこそ、
はじめて“ 代議士 ”であったり“
議員 ”と呼ばれるべきではないかと、私は思います。
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将来への責任

2014年03月13日 12時29分37秒 | Weblog
東日本大震災での津波被害以降、津波からいかに逃げるかという視点での防災・減災の話が多いように感じます。それはそれで大切なことだと思います。人工的な高台をつくり避難を考えることもありだと思います。地域によってはその選択で早急に動くことに意義があるところもあるでしょう。
しかし、それが鈴鹿市にとって東日本大震災の津波被害から学ぶ唯一の方向性なのでしょうか。個人的にはそう思いません。

ひとつに、津波からの避難に関して、まず海から離れることが第一だと思います。津波到達まで時間がなければ、ビルなどの人工的な高台に避難することがベターな選択になると思いますが、津波到達まである程度の時間が考えられるのであれば、自然地形で標高の高いところに避難する方がよりよい選択だと思います。このことは津波の映像が撮影されている状況を見ていると強く感じる部分です。

もうひとつ、津波がすべてを流してしまったまちの被害や復興の状況や、すべてを流されてしまい仮設住宅に未だに居住せざるをえない方々のことを考えるとき、まだ被害を受けていない私たちがその被害を最小限にする努力をしない状況は、はたして将来世代に対して責任を持っていると言えるでしょうか。被害を受ける前提でものを考えるのではなく、被害を受けないようにするにはどうするかという考えであるべきだと思います。
人が残ればいつかは再建できるでしょう。しかし、人もまちも残る方が再建はずっと容易なはずです。過去に比べて、海に流出したときに処分が困るものを私たちは今の陸地の上に作ってきています。それらが少しでも海に流出しないように考えることも、私たちにとって大切なことではないでしょうか。自分たちを守るだけでなく、将来を見て考えることが大切だと思います。

鈴鹿に限らず、南海トラフ巨大地震の被害が想定される地域については、東日本大震災の被害がすでに前例としてあるのですから、被害の想定外は通用しないはずです。国にしても自治体にしても、津波被害の実態を見れば、これまでの枠組みの考えでは対応できないことは明らかでしょう。
大きな変革について、災害に備える意味でも、復興のためにもまず国が法律や制度改正を真剣に考えるべきだと思います。自治体でも被害を受けたと想定したところから、今がどうあるべきかを考え、必要と考えられることを国に対して意見していくことが大切だと思います。
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思うこと

2014年03月12日 18時57分12秒 | Weblog
ブログやフェイスブックで時々、
市議会のことを吐き出したりしています。
あまり良い感じを受けない方もいるかもしれません。
そのことは申し訳ないと思います。
ですが、鈴鹿にとってプラスにと思うからこそ、
いきどおる気持ちが湧いてきます。
そのことで市議会内部で自分が浮いたりするなど、
影響を受ける部分があって仕方ないと思います。
ですが
みなさん議会に関心を持ってください。
議会が変わればまちは変わるはずです。
議会が変わるにはみなさんが関心を持って、
中の動きにも目を向けてもらうことが入り口です。
それがどんなきっかけであれ。
みなさんの視線が議会を変えるはずです。
だからブログに書きます。
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人にやさしいまち

2014年03月12日 01時00分19秒 | Weblog
BS世界のドキュメンタリー「ヒューマンスケール~人にやさしい都市計画~」を視聴していました。コペンハーゲンを例にしながらいろいろな都市の取り組みを紹介しているのですが、個人的に非常に参考になります。
もちろん、番組で紹介している例をそのまま鈴鹿に取り入れることは、文化の違いもあり即正解となるとは思いませんが、車に依存・偏重した状況を、もっと人間そのものの活動に目を向けた形にすることを検討すべきだと思います。三重県内で考えればおはらい町やおかげ横丁はやはり大きなヒントですし、東京や名古屋にもヒントはあると思います。
もちろん今の鈴鹿で車の移動を全否定する必要はないと思いますが、車での移動と人がゆったり歩ける空間をバランスよく考え配置することで、鈴鹿の市街地・商店街の再生のひとつの処方箋になるのではないかと思います。

地震で大きな被害を受けたニュージーランドのクライストチャーチでも、そのまま復興するのではなく、住民が自分たちにあった復興を決め、建設費と収益のバランスから考えると6階程度のビルが一番よいとし、政府にそれを提案して取り組んでいることも取り上げられていました。経済優先の短期的な視点でまちを考えるのではなく、もっと長いスパンでまちを考えることがやはり大切だと思いました。

このような情報番組を見ながら、鈴鹿市の都市計画を市民も話し合うことが、総合計画策定と都市マスタープランの見直しに取り組んでいる今の鈴鹿市にとって重要と思います。
これからのまちを背負うことになる世代の声がきちんと届いていない、拾い上げられていない計画にするのではなく、そこにしっかり力を入れて取り組む計画にするよう行政に働きかけていきたいと思います。
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Jリーグの試合から

2014年03月11日 11時59分44秒 | Weblog
先日のJリーグの試合会場で「Japanese Only」と書かれた横断幕が掲げられていたことが、差別的な表現だとしてかなり取りあげられています。英語の表現で「~ Only」は「~以外お断り」ということになり、それが他国で大きな問題になる表現であることからです。そのことについて、擁護する考えはありません。今回の事案は反省すべきことだと思います。掲げた人たちが差別的な意識で行っていたのだとすれば、それは間違いだと思いますし、そのことについて相応の責任があると思います。
問題を考えると、書かれた表現が英語圏の人にとって大きな問題であることに対して、書いた人がどこまで意識していたかということがあります。当日、そのチームのピッチ上のメンバー構成は、いわゆる助っ人的な存在の外国籍の選手がいない状況でした。その状況からすると、先の表現は「日本人選手だけの構成」という意図で書かれていた可能性もあるということです。
しかし、わかっていて書いていたとすれば非常に悲しいことですし、その行為を責められるのは仕方がないと思います。

すこし違う視点から、この事案について私たちが考えることは、私たちが受けた英語教育の中で、はたしてどのような部分までを私たちは伝えられているかということです。過去に「フリーズ」という言葉の意味がわからず、不幸にも射殺されてしまったという痛ましい事件がありましたが、そのことと通じるものがあるかもしれません。
人と人とのコミュニケーションの中で“言ってはいけないこと”や“気をつけないといけないこと”があることは、どの文化にもあることでそれぞれの文化によって違います。自分たちは意識しないことも、別の人たちからすれば非常に刺さることもあります。そのことを教育を通じて伝えることの重要性を、私たちは今回の事案から学んで教育にすぐにフィードバックすべきだと思います。

ともかく、今回の件から私たちが学ぶことは多いと思います。それは私たちにとってきっとプラスになるはずです。
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津波のこと

2014年03月10日 23時54分58秒 | Weblog
明日は東日本大震災から3年目になりますね。
亡くなられたり未だに行方不明の方のご冥福をお祈りすると同時に、未だに生活再建が道半ばの方々が一日も早く生活を取り戻すことができるようにと思います。

北海道南西沖地震、日本海中部地震、スマトラ沖地震、東日本大震災、自分の記憶にあるだけでも津波の被害が大きかった地震があります。東日本大震災以前の地震でも津波を意識しているのは、子供の頃に父親からチリ津波の経験を聞いていたからだと思います。
もちろん、細かいところまで覚えているわけではありませんが、引き波の怖さや水かさが増したときの話など、津波を意識するきっかけになっていることはたしかだと思います。ですからそういう情報番組などを意識して見ています。

だから思います。
起こった事実をそのまま受け止めて、映像など厳しくても目をそらさず見るべきだと。

大災害には人の死がつきまといます。私たちは死の現実を映像から切り取り、それを数字に置き換えてショックを薄めようとしてしまうことで、かえってすぐに忘れてしまう状況をつくっていたのではないでしょうか。
子供にまで見せることはないと思いますが、スマトラ沖地震でも津波で亡くなった遺体が写っている映像などがありました。もし当時、日本の大人たちがそれを直視して津波被害の悲惨さを目にしていたら、東日本大震災での人的被害は違っていたかもしれないと思います。

そんな私たちは、東日本大震災からなにを学ぶのか。また、なにを学んでいるのでしょうか。
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扇風機設置に関連して

2014年03月09日 17時32分23秒 | Weblog
鈴鹿市では平成26年度予算案に学校教室への扇風機設置が計上されています。 扇風機設置は風をまわすことで、子どもたちの体感温度を下げるための取り組みで、室温そのものを下げるわけではないのですが、発汗という身体の自然な仕組みとあわせることで効果があるといえます。 扇風機設置について異論はないところですが、PTAが独自で設置した学校と市予算で設置の学校とが併存することになることについては、今後なんらかの配慮があってよいのではないかと思うところです。
今回のブログでは扇風機のことではなく、この話がでると話題に上がるエアコン設置についてを考えたいと思います。

エアコンがあれば快適でしょう。そのことは否定しません。
また学校の周囲の環境などによっては、窓ガラスを閉める必要もあるでしょうから、そのような場合は設置するべきだと思います。
しかしすべての学校に設置すべきとするのなら、いろいろな要素について考えた上で設置に取り組むことが大切だと思います。

例えば室温を下げることについて、エアコンを使えば適温に調整できるでしょうが、下げるためにはなにが必要になるでしょうか。
機械を置いているだけで下がるわけはなく、エアコンを作動させないと下がらないわけで電気が必要になる。つまりエネルギーが必要ですし、その分のコストもかかると言うことです。ということは、室温と適温との差が大きいほど電気使用も多くなり、コストもかかると言うことになるでしょう。

ここからまず考えつく論点は「エネルギーコストと自分たちの負担の関係」について、コストの増大をどのように私たちは受けとめるかということです。
身近なことでは、使った分だけかかる電気料金について税金から賄うのか、それともPTAなどを通じて保護者が賄うのかという選択があるでしょう。後者であれば料金と負担の関係がわかりやすいものになりますが、前者を選択するのであればその財源がどのような経緯で支出されどのような影響があるのか、そのことを私たちも知るべきではと思います。どちらを選択するにしても、共通するのは合意形成が大切ということです。
また、すこし大きな話になりますが、エアコンを使うことがすべての自治体で採用されるとすれば、単純に考えて電気使用量全体が増大するため、その増大分は現在(原子力発電がほぼ行われていない)の発電量で大丈夫なのかということが考えられるでしょう。厳しいとすればどのような選択をするのでしょうか。原発の稼働容認とするのか、それとも自然エネルギーで賄うと考えるのかなど、どちらにせよきちんとした検証が必要です。
「そんなことは私たちが考えることではない」という人もいるでしょうが、それであれば、伴う結果や影響についても同じようなスタンスという前提であるべきではないでしょうか。

違う論点として「室内温度とエネルギーの関係」について、室温をどのように下げるかということがあるでしょう。この場合、室内温度と適温のギャップが大きいほど、その差を埋めるために必要なエネルギーも大きくなるという認識の共有が前提です。
エアコンを使うと考えて、室内温度が1度でも低いほうがエネルギー使用が抑制されるでしょうから、使用にあたっては、外からの熱が室内に伝わりにくいようにかつ室内の空気が外部に逃げないようにすること、つまり高断熱と高気密が効率的になるでしょう。
この室温に関し、窓や校舎を介した影響があります。夏に室温が上がるのは、窓からの直射日射であったり、日中に太陽光で校舎が温められることが大きく関係しているはずです。ということはエアコンを導入する前に、夏の強い日差しをどう遮るのか、校舎から伝わる熱をどう遮るのか、ということを検討し取り組むほうがよいのではないかと思います。もしこれらの効果が上がるのであれば、扇風機設置という形でも不都合はないのではないかと思いますし、自然環境や素材を活かす取り組みという選択もあってよいのではないでしょうか。また校舎の断熱については、冬季の冷気にも効果があるかもしれません。
今後、公共施設の維持・更新という課題が自治体に重くのしかかってきます。そのときエアコン設置を前提にすることで、他の選択肢が見えなくなるような思考停止に陥いらないことが大切だと思います。

子どもの健康ということから考えると、たしかに過度に高い気温は人間の行動にマイナスの影響を与え、学習には適さないと思います。しかしそれを即エアコンの導入につなげるのではなく、先に書いているような検討と取り組みで改善することを考えてからだと思います。
加えて、ジュニアバレーのコーチをしていてときどき見かけるのですが、日常的に自宅でエアコンを使っている子は体温調節がうまくいかないのか、 水分補給や休息をとっていても、 夏期に身体を動かすと体調を崩しやすくなっているようです。現在は学校の普通教室にはエアコンがついていないので、その分、暑さに発汗などでそれなりに対応できているのかもしれないと思いますが、エアコンが設置されるようになったとき、どのような影響があるかと考えます。身体の自然な機能を活かすことは大切ではないでしょうか。
また、少し引いた視点から子どもの健康を考えると、夏期の高温化が定着するようであれば、現在の学期のあり方を見直すことや、サマータイムの導入などを検討することもありでしょう。

扇風機の設置はありだと思います
ただ、エアコンについては多様な視点を取り入れた議論をすべきだと思います。ですのでここで是非をいうつもりはありません。
エアコンを使うことが前提の生活をしていればエアコンありきの話になることは普通でしょうし、エアコンに頼らない生活をしていればそこからの発想がでるのも普通だと思います。
だからこそ多様な視点を考慮した議論をふまえて、方向性を考えることが大切ではないでしょうか。
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言葉に考える

2014年03月09日 10時45分51秒 | Weblog
体調もすぐれないこともあって「震災から3年 特集 明日へ」を視聴しているのですが、やはり被災から立ち上がろうとする人の言葉には考えることがたくさんあります。

3年前に体育教師になる夢と自宅再建をスケッチブックに書いた女性が、今25歳になりそのことについて取材を受けたとき、体育教師になる夢はあきらめ、家族を支えるために就職し、ローンを組んで自宅を再建することになったという話がありました。2つの夢のうちひとつがかなったという方向で、取材の話は進んでいたのですが、復興という言葉の中で、大切なことはなんだろうかとふと考えました。

“わたしはこうなりたい”という夢が支えられ、その実現に向かうことができるとき、本当の意味でその人もまちも復興できるのではないでしょうか。
これから20年先を考えれば、そのころに中心になる世代の夢を支えることが大切と思います。

先の取材に見えたことから、そのような部分での復興が課題ということを考えました。そのことは私たちにとっても大切なことだということも。
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