Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

Nikon Freak165. 船長の会話

2018年07月22日 | diving

 アジュメール号の船長の会話

「ダイビングって嫌いなのよ!、だって沖縄の人は海が怖いと思っているから、海には近づかないのよね」。

「海に近づかないから沖縄の人は泳がないよ、泳げないし。大体小学校の高学年になったときにはじめて学校にプールができたんだけど、沖縄は水不足でしょう。プールに水がはいらないのよ。だからプールはあっても泳いだことはないよ。それに先生が泳げないのよ、だから誰も泳がないよ」。

「ダイビング・・・そんなのは内地の人がやってきてからはじめたでしょう。シュノーケル!、そんなのただでかしてあげればいいじゃない、金を取るなんてみんな内地の人の考えだよ、沖縄の人は、そんなこと思いつかないもん」。

 その沖縄に移り住む家族がいる。実際私の回りにもいた。確かに、つまんない東京あたりの環境とか価値観で暮らしたってなぁーと私も移住には同感する。もちろん本土から戻ってきた沖縄人もいて県の人口は増加している。

 最近「ひ」と「し」を区別しない江戸っ子に出会う機会が皆無だ。つまり東京には地元っ子がいなくなったわけだ。そして東京は、全国の田舎者の寄り集まりタウンになりはてた。様々な地方から持ってきた価値観を統一するために、標準語といったように東京はなんでも平均化して最大公約数にしてしまうつまらなさと我慢に満ちあふれている。

 例えば代官山とか二子玉川あたりにあるお洒落なバールやカフェやイタリアンレストランのデザインと味覚が東京中に広がっていって、結局はどこもみんな一緒になってくるといった具合に。そんなのがFBには、たくさんアップされている。それで町はおしゃれにはなりますが、結果としてみな同じような顔。つまり平均化。そのあたりの、常に回りが気になり真似するという意識や東京の町の展開は、やはり田舎者の仕業だろう。

 そんな暮らし方では人生は後悔するだけよ。そう考えて行くと本土とは異なる沖縄暮らしが魅力的に見えてくるわけだ。

 画家ゴーギャンが陰鬱なパリから明るいタヒチに移っていった気分が少し理解できそうだ。そこでゴーギャンは、数多くの大作をつくり画家としての人生が花開いたのだった。南の島に憧れるというのも、そんな気分があるのかもしれない。

 さて前回のダイビングでは撮影機材を持参しなかった。これは潜るときに身軽になって素晴らしいと感じていた。そういっていてはブログ画像がない。そこで過去画像を引き出した。できるだけ未掲載の画像を選んだ。見栄えを問わなければ沢山あるんだ。

 

2015年9月1日 沖縄県恩納村前田岬

NikonAW130,ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正0,f/2.8,1/1250 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする