Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak13. 時間つぶし

2016年03月31日 | Kyoto city
 昨日は、難儀な東京のビジターがやってきた。なにしろ午前10時半に京都駅待ち合わせ。というのもこちらは朝7時に家をでるので、それから3時間半、街を徘徊して時間をつぶさなければならない。大学では仕事が山積みなのにさ。
 そればかりではない。上七軒歌舞場の春の踊りのチケットを忘れたからメール画像を出力しておいてかよ。そんなのスマホをみせれば済むだろうよ。あげくのはてに穴子寿司を買いそびれたので宅急便で送れだって。おいおいおい、柿の葉寿司なら1日位なら可能かもしれないが、普通は無理筋だよな。もう無理筋のビジターも東京へ帰ってくれだので一安堵。
 でっ、朝の人のいない京都の街歩きで時間つぶしを余儀なくされ、こんなボンヤリとした天気で撮影してもなぁー。普段なら清水帰りの車が渋滞している松原通りを歩いているうちはよかったが、8時をすぎると観光客が次第にわいてきた。清水寺は未だあいていないでしょうがにー。高台寺なんか玄関の掃除中でしょうがぁー。どこゆくの?、もう。
 つまり京都人は、観光地には興味がないのです。当然近寄らない。私が市内の観光地へ出かけたのは、以前お茶券をいただいて花見小路の万亭(ガイドブックには一力と書かれてある)へでかけたぐらいだ。それが唯一私の観光地徘徊かな。
 最近観光客がやたらと多い京都です。それにしてもこのレンズはハレーションがおきないので、多分逆光に強そうだ。

京都市松原通り
NikonDf,CarlZeiss MacroPlaner 100mm/F2.0
ISO200,露出補正0,f5.6.1/500
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Nikon Freak12. 泰山鳴動・・・

2016年03月30日 | Kyoto city
 Mac3台のデータ整理や新学期の授業の準備に追われる頃である。データ整理も一段落した頃、気分転換にEOS1Ds MarkⅢのホームウェアでも更新しようと思った。
 相変わらずWEBではらちがあかないので電話でサービスセンターだ。でっ、「リモートアクセスしますのでお客さんの画面を操作いたします」、ときた。接続ソフトをインストールし、やがて勝手に画面のアイコンがうごくではないか。なんだ、こんなに簡単に他人のPCをかき回せるのか。結局ホームウェアは、最新バージョンでしたで終わった。
 だが 第三者が私のMacをかき回すのって気味が悪い。悪意を持てば、そういう口実で一端接続ソフトをダウンロードさえしてしまえば、いつでも私のMacを第三者の意のままに容易にあやつることも可能なのか。となると世の中の情報は、もう筒抜け状態ではないか。そうPCは、玄関のない家なのだ。どこからでも入り込めるわけだ。
 そう思っていたらMacのリモートアクセスがONになっていただけの話であった。泰山鳴動ネズミ一匹出ず、であった。
 さてMacもない時代に開発されたオールドニッコールの35mmレンズは、シャープでよく写る。デジタルと相性が良いのである。この民家は、右側が大格子(おおごうし)であり、左の格子よりは古い時代の建築ディテールである。

京都市
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO900,露出補正0,f8.1/40
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番外編263. 予算主義

2016年03月29日 | field work
 昨日は、あっというまに1日が過ぎた。なにしろ年度末だから事務から、「研究寄付金が4848円余っているんですよ。余らすと寄付者に返すんですよ」。まさに、はぁ!、である。ならばびったしに使えばよいのだろう。
 こういうときに助けになるのはアスクルでもWEB通販でもない。大学の並びにある企業相手の文房具屋の年配のオバハンである。そうねえ何買ってゆく・・・、ほな、これ。「はい4200円」、あとは4Bの鉛筆だな。「鉛筆は売れないからまけときますから、消しゴムも足しておこうか」。それで本数適宜もらって、ぴったし税込4848円の見積書、納品書、請求書を発行してもらって一件落着。
 大学というのは役所と同じで予算主義だから、予算通り使い切らなければならない。余らすと返却という面倒な手続きが必要だ。僕の所なんか金額が小さいから、文房具屋のオバハンですんだけど、もし金額が大きい組織だったらどうすんだろう。コピー用紙を大量に買っても使い切れないことはあるだろう。そんな金額が100万以上だったり、いや、なにかの事情があって1億円余ったなんてあるかもな。さああと数日のうちに使い切って、見積書、納品書、請求書がそろわなければならない。
 合法的に使い切れないと、たまには非合法的に消化することもあるだろう。それをマスコミがかぎつけて不正使用とか、公金横領とか、空出張といってはしゃぎ立てるというおきまりの勘違いしたメディアの誤報道がなされるという構図が待ち構えている。
 やはり予算主義というのは、未来の事柄を読んで組み立てるわけだから、状況が変わったりして綺麗に予算ぴったしに納まるものではない。
 なかなか難儀な年度末である。国なんかどうしてんだろう。1億余ったなんてざらにあるだろうな。

横須賀市
CotaxT3、エクタクローム
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Nikon Freak11. 整理の基本

2016年03月28日 | Kyoto city
 最低気温0°、相変わらず寒の戻りの京都である。例年だと、この時期は秋に開催される建築学会大会への投稿論文のお手伝いをしている頃である。それはおもに学内規定で義務化されているので、いわば院生達の実績づくりを大いにサポートし、時には執筆までしてしまうというサービス振りである。今年は、その煩雑な作業がない分心静かだ。
 ここまで書いていたらソフトの立ち上げすぎで自宅のiMacがフリーズしてしまった。今のMacにしては珍しいが、最近しばしば起きる現象である。ディスクの空きがあと80GB、メモリーも4GBと今ではいささか低いあたりが原因だろうか。なんといっても画像ソフトが最も多くの容量を占めている。以前だったら1年毎に画像データを外部HDに移していたのだが、いまはずぼらを決め込んでそのままだ。今年は移さざるを得ないし、少しiMacの整理が必要だ。
 整理が必要なのは自宅のiMacだけではなく、大学のMacProに2台のノートに、それに幾つかのHDもいるだろうし、なんとロッカーにMOディスクが大量にある。いまでは読めないものもあるが、古いMacを持参してPDF位に落としておこうと考えた。
 論文なんかいつでもすぐに読むことが出来る紙ベースで保存しておいて良かった。かさばるが紙ベース保存というのもあるのかなと思った。そういいつ、先日5cmのA3ファィル50冊の資料をすべてデジタルデータ化してしまった。
 つまり紙ベースで保存する場合とデジタルデータ化する場合のより分けの論拠が重要なのだ。紙&データベースで保存する場合は自分で執筆した論文や制作である。
 他方ですべてデジタル化するのは、古くなりすぎた仕事や研究用にストックしておいたプロジェクトの報告書、それに撮影したスライド画像は創作とは言えないからこれもデジタル・デュープ化といった具合に。つまり自分で執筆&デザインしていないものはすててしまってもよいが、一応ポータブルHDやDVDに保存してある。
 つまり自分の創作には厚く、他人の創作や画像には冷たいというのが整理の基本である。
 さて京都六角堂の桜も咲き出した。ようやく長く寒い冬が終わったようだ。

京都市六角堂
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO400,露出補正-1/3,f8,1/125
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Nikon Freak10. 手遅れ

2016年03月27日 | Kyoto city
 別に建築史が専門ではないが、仕事だから古い民家は勉強や記録のために撮影しておく。しかし古民家は嫌気がさすほど地味。
 ディテールの多い建築の撮影だから撮影レンズは良いにこしたことはない。その良いレンズとは、初見でこの程度の建築の写りかとがっかりし、後日じっくり見回すとやはり撮れていたとわかり安心する。ライツのレンズがそうだった。この画像も似たような案配だな。
 その古民家が京都の街から年を追うに従いなくなってゆく。とても私の記録は追いつかない。多分誰かが記録していると思うので安心はしている。それでも私が記憶する限り相当数の古民家がなくなり、そしてどこにでもある街並みに変わりつつある。従って京都らしい景観は点でしかない。いや京都だけではなく、日本中の伝統様式がなくなりつつある。
 伝統様式が大切だと言いつつ、建築はドラスティックだから、用が無くなれば次の新しい用途に向けた建築が登場してくる。そうして都市が更新してゆくという矛盾する世界だ。
 私などは、自分の設計のためにボチボチと記録しておこうという程度の低レベル意識というほかない。まあ家が町屋だし、改装すれば十分住めるということは理解している。だが民家ではアカン、マンションにして土地の高度利用を計らないと収益があがらんでしょうというディベロッパーの説も、私自身都市開発事業を多々行ってきたのでよくわかる話である。
 じゃどうするかって、ゾーニングで街を区分するんでしょうね。開発できるところと一切開発できないところとを。そこがかっての京都市は結構甘いゾーニングだったのですね。そんな甘いゾーニングで壊してきたからもとには戻らない。その後開発規制を厳しくした。やらないよりはよいとは思いますが手遅れに近いですね。

京都市
NikonDf,CarlZeiss MacroPlaner 100mm/F2.0
ISO720,露出補正-1/3,f2.8,1/400
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Nikon Freak9. 気だるい朝

2016年03月25日 | Kyoto city
 さて修了式・卒業式が終わった翌日というのは、1年間のたまりにたまった表記しがたい疲れが一気に出てくるようで気だるい朝だ。
 少し時間があるとブログも書き直すことが多い。時間をおいて読むとつまらないと思うからだ。学術論文でも書き終わったら一週間放置して忘れてしまうのがよいと教わった。それから見直してみるとアラが目立ったり、ときにはくだらないと思ったり。ブログだから、そこまでする必要はないが、それでも意識が変わることはある。
 さて画像は、ニコンDfに Carl Zeiss Macro Planarレンズで撮影した画像。現代のレンズであるから、オールド・ニッコールのようにシャープさ一辺倒だけではなく、逆光にも強く発色やヌケのよさなどが加味されて総合的に綺麗な画像になる。現代のレンズ設計の所以だろう。
 しかしニコンシステムは、どこか機材に撮らされるているような気分、言い換えれば機械に使われているようでもあり、こちらはおそれいりましたと引き下がってしまう。だから個人的には、フランクなEOS1Dsを持ち歩く方が好きなのだが今週末は持ってきていない。撮影機材にも付き合いやすい奴と、付き合いにくい奴とがあるようだ。
 寒の戻りで週末の京都は肌寒い。また冬の格好にもどってしまった。

京都市
NikonDf,CarlZeiss MacroPlaner 100mm/F2.0
ISO720,露出補正-1/3,f2.8,1/400
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番外編262. 時間軸

2016年03月25日 | field work
 スライドデュープ画像を眺めながら、これだろうな。もう十数年前に母のお見舞いで横須賀の療養所に出かけた頃の東京湾の空を一寸CONTAXで撮影したcloudだ。画像は、秋頃撮影したと記憶している。
 フランス映画「男と女」でドービルの海岸を思い出すまでもなく、海岸の風景というのは意味的である。日常生活の中でふと海をみた時の不思議な意識の変化を思い出す。
 過去のある時の特定の光景は、誰しも経験することだが、印象深く記憶に残っている。画像を通じて回りの空気まで蘇ってくる。それは今の私に影響を与えることはないので、懐かしく思い出したい時間だけが何層にも蓄積されて残っている。それに写真は、未来は撮れないので過去を思い出す手がかりとして、私の記憶に符合している。
 さて今日は大学院の修了式と学部の卒業式である。こちらは未来の事柄が関心事だ。
 今日は、過去と未来という時間軸上の絶対値の大きな振れ幅を感じさせてくれる1日である。そんな振れ幅の大きい時間がながれてゆく感じが心地よい。さて大学へ行くか。
 寒の戻りで少し寒い1日でもある。

神奈川県横須賀市
CONTAX T3,Carl Zeiss Sonner2.8/35mm、エクタクローム

2016年3月25日金曜日
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Nikon Freak8. センチメンタルな季節

2016年03月24日 | Kyoto city
 オールドニッコール・レンズのテスト画像というわけでもないが、なるほど着物は綺麗に撮れてはる。といって後ろ姿のお姉ちゃんだから綺麗だとは限らないが。
 古いレンズの性能と言うよりはニコンDfのプログラムのお陰だろう。フルサイズならではの機材なので、背後はこんな感じでものすごくボケてくる。
 撮影してみてわかったことだけど、青空を入れて順光では画像の発色が悪い。つまりオールドニッコール・レンズは光に弱いのだろう。だから自然光の入らない環境や曇り空で彩りの鮮やかなものを撮るのには向いているのかもしれない。
 今日は、プリウスの半年車検だった。名古屋から院生に京都まで運転してきてもらった。車検後に車で名古屋に一緒に行って出勤簿に印鑑を押してお終い。途中で見た琵琶湖の山にかかる黒い雲は、やはり雪が降っているんだなと思わされた。その院生も今年修了して社会へ旅立ってゆく。
 明日の修了式・卒業式が終わると今年度の仕事は全部終わったことになる。なんか身体の力が抜けてゆくような、センチメンタルな季節だ。

京都市京阪伏見稲荷駅
NikonDf,Nikkor-P・C Auto105mm/F2.5
ISO500,露出補正0,f5.6.1/125
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Nikon Freak82. 卒業の年

2016年03月24日 | diving
 慶良間の海は、舞台にたったように青い緞帳が遠くにおりているように見える。その中を静かに魚が通りすぎる。そんな気分で画像を見ていたら、ここは本部だった。慶良間とよく似ている。
 例年になく忙しい大学生活の1年の終わりが近づくにつれて、私の研究室の院生も博士の学位記を持って去ってゆき、学部生も卒業証書を手に新しい世界へ旅立っていった。そして私も今月末には、名誉教授の授与を受けてこの世界から旅立ってゆく。まさに夢のような19年間であった。みんな一緒に夢舞台から去ってゆく。
 このブログは、そんな夢舞台19年間の半分ぐらいは記録しただろう。読み返してみて一番感激するのは、やはりブログを書いてきた本人なのだろう。
 WebをLogするWeblogが語義であり、つまりウェブの記録なのであるが、それは私の意識の揺らぎやライフスタイルの記録でもあったようだ。世の中には、私以上にブログを書き続けている人は多い。だが私はこの世界もそろそろ卒業しようと思う。今がちょうど良い節目なのだと考えている。
 今年本を出版したこともあり、それまでの知識はもう卒業という意識があり、研究室にあった本の9割は図書館へ寄贈した。これまでの知識の知見は、私の本に集約されているという気分の方が強い。だから私の専門分野も卒業なのである。
 今年は、色々な意味がつまった卒業の年なのである。

沖縄県本部ゴジラチョップ
Nikon Coolpix AW130 
ISO125,焦点距離10.1mm(57mm相当),露出補正0,f4.4,1/320
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Nikon Freak7. たまには古都

2016年03月23日 | Kyoto city
 一寸空いた時間にオールドニッコール、ただしくはNikkor-P・C Auto105mm/F2.5をニコンDfに付けて持ち出してたまには古都を撮る。それはどこかカメラ雑誌的発想でつまらない気分濃厚だ。機材はどてらを着たニコンというイメージが相応しく、今時この大きなボリューム感かよ。だが試写した結果は、ごらんの通りなかなかよいではないか。この神社は外国人の人気NO1だってさ。おらへんけど外国人は。
 さて連休があるとブログの筆も進む。実は三日分書いてしまい1日間をおいて読み返すと、くだらねぇー、と削除。といってそれ以外の話が面白いと言うわけではない。
 お彼岸の前頃から京都は少しずつ冬の寒さが無くなってきた。仕事に没頭していて気がついたら、ようやく春めく気候になってきた。ああっ、あの寒い冬が終わったかという感慨もなく春への階段をかけあがってゆくようだ。
 桜の季節になったら八坂神社境内の屋台で夜桜でもみながらおでんとお酒をしたいと今年は思う。それって過去にもしたけど、震える寒さだった。それでも、たまには古都を感じてみた。
 寒さも遠ざかり、しのぎやすくなった。今日は研究室のブラインドを上に引き上げた。そうすることが冬の終わりだと認識する個人的な儀式かな。目の前にナゴヤドームが凛として見えている。コントラストの弱い春の風景が広がっている。

京都市伏見稲荷
NikonDf,Nikkor-P・C Auto105mm/F2.5
ISO400,露出補正0,f4.1/500
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Nikon Freak6. 赤鉢巻きかいな・・・

2016年03月22日 | Nagoya city
 スライド画像の再生はPhotoshopの修復力によるのだが、デュープを作る撮影機材はニコンDfだったな。ひょっとしてこれって私的に使えるのかなぁー。そこで連休中にひっぱりだし、オールドニッコールレンズをつけて持ち歩いていた。
 さしあたり35mm/F2.8と、Aiに改造してある105mm/F2.5とを家の押し入れから取り出してきた。どちらも50年前のニコンF時代のオールドニッコール・レンズである。
 35mmのレンズは、大変ヌケがよく古いレンズであることを感じさせないぐらいに良い画像を生成してくれる。Photoshopの補正が不用だろう。それは画像のプログラムが進化しているからだろう。レンズの新旧は関係ないのかしら。
 さてニコンF時代並みのボリューム感ある大きな機材を抱えて撮影する20世紀的撮影スタイルは、オリンパス使いとしてはえらく古くさく格好が悪い。人生双六の振り出しに戻るような気分だ。
 さて今日は、後頭部の脂肪腫を取るため京大病院で日帰り手術だった。局部麻酔なので緊張感タップリで疲れたの一日であった。帰りにからふね屋で一服、それから部位のガーゼを固定するためにスポーツショップへ立ち寄りヘアバンドの調達。これしかないというので赤のヘアバンド。なんか漁師の鉢巻きみたいだぜ。一週間はこれで部位を圧迫しておけば、血流が溜まらないそうだ。
 赤鉢巻きかいな・・・。明日はこれで大学へゆくのだろうな。

名古屋市名駅
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO1250,露出補正0,f5.6.1/1250
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Nikon Freak5. カウンターカルチャー

2016年03月21日 | Nagoya city
 EOSとニコンの使い回しの連休が続く。
 この画像はDfにオールドニッコールレンズで撮影したものだ。オールドニッコールはパキンと大変シャープで小気味よく写る。それがこの時代のニッコールレンズの特徴である。当時私の回りのグラフィックの編集者達は、そんな理由からニコンを使っていた者が多い。版下原稿づくりでは、少しでもシャープな方が印刷結果がよい。まさに実験装置的ニコンであり、技があった時代のレンズである。今は技がなくても通用する時代だ。
 それはスケッチをみればわかる。デッサンをしてきた人達と、そうでない人達との差は歴然としている。そうでない人達は、IllustratorやPhotoshopを多用する。つまり線書きか筆書きタッチの世界である。当然漫画的表現が跋扈する。そうした安易で簡単な表現は1年も続けるとネタ切れになる。つまり何を書いても漫画的表現では同じ表現方法となり、描くこと自体に飽きてくるわけだ。世の中には、そうした漫画的表現が大量に出回り、例えば自治体のパンフレットは漫画ばかりでうざったい編集だし、病院の壁には下手くそな動物が描かれ、それでよしとされている。つまり小技の能力しかない人達が大量に登場してきた大道芸人的大衆文化的世界、あるいはカウンターカルチャーの社会とまとめておこう。カウンターカルチャーの方がエンターテイメントしやすいわけだ。
 時折iPhoneで撮影機材名をいれて海外のフォクグラファー達の風景写真を眺めていることがある。すると写真が日本人のそれとは決定的に違う。海外のフォトグラファー達の画像は、まず被写体の発色が俄然綺麗だし、撮影コンセプトや技術をきちんと勉強していると感じさせる内容のある画像が圧倒的に多い。
 それに引き替え日本では、WEBで紹介されている特ダネ的撮影名所の絵はがき的風景に飛行機に鉄道に車にハダカ画像ばかりだろ。よく撮れるのは機材によるけど、画像にはそれ以上のものではなく退屈だ。つまり機材に振り回されているかのようでもある。しかも不勉強を機材仕様の不足にするというのには笑ってしまう。だから機材仕様が変な方向に進化してゆき、結果としてつまらない画像を量産することになる。それは物事を考え表現する勉強を全くしてこなかったことの現れである。こうした傾向は大衆文化的カウンターカルチャーの表現と言わざるをえない。機材はよいけど、機材仕様論やテクニック論ばかりで頭つまりコンセプトや表現という方法論を勉強しないのが日本人が撮影した退屈な画像の要因ではなかろうか。
 漫画といい撮影といい、安易な方法で基礎の不勉強な人達がかき回してくれる大衆文化的カウンターカルチャーの世界がいまの日本の生活世界を支配している。日本人はそれで何が悪いというかもしれないが、本来の洗練されたコア・カルチャーがあって、その相対概念としてカウンターカルチャーが成立してくるのである。現代の日本の社会は本来の芸がなく大道芸しかないのであれば、この先世界からは誰も相手にしてくれないよ。世界の中の独りよがりの日本人と言い換えたらよいか。

名古屋市覚王山
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO100,露出補正0,f8.1/60
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EOSな日12. 学位記

2016年03月20日 | field work
 操作することに慣れているし、それ自体が好きなオタッキー志向理工学系のニコン、一切オートで撮影できて面倒がないですよという文系のキャノン、当然内視鏡を始め医療機器に使われている医学系オリンパスといった具合に、撮影機材とアカデミックな属性とが少しは関係するだろう。
 でっ、私のようなアート&デザイン系はなんだろうか。対象が建築だから、ここは理工系ニコンか。それは実験装置的でつまらんと思いだしたら最後で、もうあれやこれやと徘徊することになる。つまりその時の意識で歌舞伎のようにコロコロ変わる身代わりの早さがアート&デザイン系なのだ。フィルム時代ならばCONTAXという最良の選択肢もあったのだが、いまはそんなブランド自体がない。
 結局画家の岡村太郎が使っていたという論拠にならない理由で私はオリンパスに落ち着く。げっ、それは医学系かよ。大学院の時に建築計画の先生が思わずこぼした一言「大体工学系の博士号と医学系の博士号とを一緒にしないでくれよな!」という台詞を思い出す。つまり何本かの審査付学術論文を学会誌に投稿することが前提の工学系よりは、何でも書いて出せば学位をくれる医学系の方が博士になることが容易だったとする当時の状況があった。
 そんなことにこだわりだしたら、今の私が勤務している大学は医学系が牛耳っているので私の商売が成り立たない。最も今はどんな専門分野の博士論文の審査過程もほぼ工学系のシステムに準じているはずだが。
 さて学位記の堅い話で画像が通俗的世界の典型例心斎橋筋ですか。そのミスマッチ感覚がアート&デザイン系さ(笑)。

大阪市心斎橋
EOS1DsMarkⅢ.EF50mm/F1.8
ISO1600,露出補正0,f4,1/1000
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Nikon Freak4. オールド・ニッコール

2016年03月19日 | Nagoya city
 往年の、つまり60年前の地味なオールド・ニッコールレンズ+Dfで撮影してみた。
 色が少し地味で渋いのかと思ったりするが、現代のニッコールレンズと大きな違いはない。実際Photoshopで修正を試みたが、発色が僅かに良くなる以外にさしたる修正点はなかったのでオリジナル画像をアップさせた。
 すべてプログラミングされているデジタル機材は、新旧のニッコールレンズの違いなどさしたる問題ではないのだろう。このあたりの無個性的なところがニコンの個性か。
 ニッコールレンズは、昔から大変完成度が高く、既に完成形だったことは経験上理解している。だから今でも普通に使えるレンズだ。普通というのは、ピントを合わせシャッターを切る以外に、なんのストレスもかからないということだ。
 オールドニッコールレンズを付けたニコンDFのスタイルを遠巻きに眺めていると、往年のニコンFあたりのフィーリングを感じさせてくれる。こうしたデザイン的成功が中年以上の世代に随喜の涙を流さしめているわけだろう。
 さて私にとってDfは、フィルムスキャナーが無くなった現在、スライドデュープ画像を作成する唯一の機材だ。というのも、最近リバーサルフィルムの色の良さを再認識している。であれば、手元のContaXT3あたりにベルビアで撮影し、もし営業していれば堀内カラーに現像をだして、それからDfとマイクロニッコールでデジタル・デュープ化を行い、Photoshopで再生させるという大変手間のかかるシステムを思いついた。こちらの色の発色やボケ方もなかなか捨てがたいところがあるからだ。
 やはりニコンは装置的機械に徹している。理工学系研究室の実験装置のような実用的フィーリングに近い。だが大学研究室の延長というのは個人的にはやだな。
 撮影する面白みというか、そんな意味的視点では、キャノンEOS1Dsの方が1枚上というのが私の経験的感想なのだが。

名古屋市覚王山
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO220,露出補正0,f8.1/40
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Nikon Freak3. ニコンFフォトミックFTn

2016年03月18日 | Photographic Equipment
 まとまった仕事をする時間もないので、デジタル・デュープしたフィルム画像の整理をしていた。そしたら、こんな画像を発見した。この撮影機材はニコンF4だな。ならばNikon Freak再開である。
 画像は、かって本格的に使用したニコンFフォトミックFTnだ。いまでもTTLファインダーにボタン電池を入れ、電池用アダプターを介せば露出計も動くだろうと想像している。金属の物としての存在感を十二分に感じさせてくれる。実際撮影のための道具に徹しており、なんの色気もないというあたりが当時のニコンの姿勢である。だがそれはプロダクトデザインとしてみると大変シビレルぐらいに格好がよいではないか。
 しかもレンズにNippon Kogakuと刻印で記載されている。これは35mm/F2.8のレンズだ。簡潔すぎて実にベーシックで精悍な風簿を感じさせるシステムである。今のデジタル撮影機材は、今でもこれぐらいのサイズで十分だと思っている。新商品がでないかな、こんなデザインで、ニコンのデジタル一眼レフが・・・。
 いや研究室にニコンDfのボディがあったな。あれに付けてこのレンズを使って見よう。でっ、夕べは家の押し入れからNikkorSAuto35mm/F2.8レンズをひっぱりだし磨いていたわけだ。早速山の畑キャンパスの会議の帰りに覚王山あたりで少し撮影してみたわけさ。ニコンFフォトミックFTnほどには格好はよくないが。でっ、ブログに載せる程の画像はないけど、写りはいいんじゃないですか。デジタルってレンズなんか関係ないのだと言わんばかりです。

NikonF4,MicroNikkor60mm/F2.8,ベルビア
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