Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

PEN LIFE1058. 原色の街のジレンマ

2014年10月31日 | field work
 久しぶりにPEN LIFEである。京都の夜は雨が降り出した。
 この3連休は、冬到来直前の涸沢へ行こうと計画していたが、前線が日本列島を通過し山は荒れるかも知れないし、何も見えないだろうと判断し出かけるのを断念した。山小屋も11月3日で営業が終わる。来週以降は上高地も閉山され冬到来である。
 本来は、9月の3連休に行きたかったのだが、今年は大学の仕事が間に入り出かけられなかった。涸沢も雪がないのは7月から10月までと、軽装で出かけられる季節は短い。来年は平湯の駐車場に車を置いて涸沢かなぁ。名古屋の大学から平湯まで3時間半の距離だ。未練タラタラである。
 気分を変えて今日は出張、阪南大学の先生と大阪の街の視察であった。空堀商店街から、大阪の七坂を回り、新世界を回って天王寺で慰労会。
 新世界のコテコテの原色の街を見ていると、私は心の中に穴が開いた寂しさを感じる。それは原色でしか語れないいらだたしさ、回りはもう原色の街に興味がないのであるが、20世紀の世界をまだ引きずらなければ大阪にならないといった暗黙のイメージに対する当事者達のジレンマといったらよいだろうか。そんなものが、街の空気の中に感じられるのである。つまり原色の街のジレンマか。そしてあと10年もすると、大阪新世界は姿を変えてゆくのではないだろうか。
 あと10年で姿を変えてゆく可能性を示唆するものがもう一つあった。WindowsPCである。最近Windows8の評判がすこぶる大変悪い。悪くて当たり前だ。それはIBM/互換機という20世紀のしがらみを宿命的に引きずっている限り、そろそろWin系PCの構造的限界ではなかろうか。従って世界の9割の利用者はUnix系PCに移行せざるを得ないのではと、私は想像している。だからWindowsPCがUnix系に移行するのだろうか。或いはUnix系PCであるMacなどを使うのだろうか。
 まだ10年で姿を消すかも知れないと思うプロダクトがあった。今のカメラ然としたデジタルカメラである。もうスマホカメラで十分に間に合う。七坂では同行した先生が全部スマホで撮影していた。画像をPCに取り込めば、そのまますぐに講義の資料になる。そうなると私のPEN LIFEのブログもタイトルを変えなければ。その他プリンターとか、テレビ、新聞、雑誌とか・・・。
 今、21世紀なのに、20世紀のしがらみを引きずらなければならないもどかしさがあるのではなかろうか。
 まあ、私はMacなのでPCに関してだけはストレスが全くないのだが。たしかにデジタルカメラもプリンターもオーディオもテレビなどがなくても不便のない時代になってきた。
 まあそんな悲観的なことばかり言ってては、PENも泣くぜ。というわけで大阪の視察では、E-M5にM.ZUIKO DG17mm/F1.8だけ持って行った。だけど、最近撮影意欲が全くないですね。

大阪市
OLYMPUS OM-D E-M5 M.ZUIKO DG17mm/F1.8
ISO200,露出補正-1/3,f2.8,1/160
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番外編91. 平和公園

2014年10月30日 | Nagoya city
 今週は、毎日時間を見つけては、いろんな要素がつまった教習コースで車の練習をしている。教習コースと行っても時折逸脱してゆくので、これまで見なかった風景があって面白い。
 まあ平和公園なんか都心にいることを忘れさせてくれる。東京で言えば谷中墓地といったらよいだろうか。名古屋市は戦災復興整備事業で、市内のほとんどのお寺の墓地を平和公園に集約し巨大な墓園となっている。それが今では樹木も茂り結構良い環境が形成されている。その一角に公園がある。森と園路があるぐらいで、実に閑散とし人為的な操作の手がはいっていないところが、不思議に今の私には気分転換になる。
 そこで昨日は、ようやくiPhoneで撮影できた。森の中の園路にはいってゆきたいのだが、ほどほどにして大学にもどらなければならないので、いつもここまでである。
 この平和公園以上の大きな公園・緑地が名古屋市にはいくつかある。今度また車の練習を兼ねて訪れてみよう。ただし大規模緑地と行ってもカフェ一つすらないだろう。そういう素っ気なさがいかにも名古屋的なのだが。

名古屋市平和公園
iPhone5,ISO50,4.12mm,0EV,f/2.4,1/1205
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最近のドローイングから108.

2014年10月29日 | drawing
 このドローイングも先の京阪中之島線のコンペの提案のためのエスキースである。地下と地上とを関連させようとしてあがいていた。従来の地下に続く階段なんて言うつまんない発想からもう少し街のストラクチャーとしてしつらえられないかと思案していたのだろう。多分眼前の堂島側を眺めるシティスケープがほしかったと思われる。それで駅の真上の交差点にこうしたドーム上の空間でしつらえられないかという発想である。
 しかし、このコンペの後、東京渋谷駅で安藤忠雄さんが卵で包んだ地下空間を実現してしまった。もともと安藤さんの大阪市公会堂の提案である卵が私の頭にあったのだから、それは当然の帰結というべきだろう。やはりオリジナルのアイデアは、本人しか実現できないということを勉強した。
 他人のアイデアをまねる人は多いと思う。原作の精神を勉強する上では、おおいにスタディしてよい。建築は真似から始まったといってもよい部分がある。つまり学生時代は、著名な建築家の図面をトレースしながら、その建築家の建築に対する考え方を学ぼうという教育方法は、今でも私の大学を始め全国の大学で行われている。私の大学では、吉村順三の軽井沢の別荘と安藤忠雄さんの住吉の長屋のトレースが、毎年出題される建築実習の課題でもある。
 ちなみに私の学生時代は、白井晟一の呉羽の舎のトレースであった。一寸他の大学と差別化されていて、自慢ではありますが・・・。もう一言白井晟一は京都人である。それも下京区、私の家の近くで生まれたわけだ。どこか哲学的な職人気質の建築家である。

イエローブック2004.
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最近のドローイングから107.

2014年10月28日 | drawing
 このエスキースは、京阪電鉄中之島線のコンペティションに応募したときのものである。大江橋駅あたりの断面だろう。道路の中央部に開口部を設け、ホームまで自然光を取り入れようという提案であった。
 ここまでは、おとなしかったのだが、この前後のスケッチを見返してみると、次第に地上へと提案は広がり、道路の上に設けた人口地盤を介して交差点を大きなドームで覆うとか、なんか収集がつかなくなってしまった。一緒に手伝った院生も、このオッサン何考えてんだろうと思ったに違いない。
 当然コンペ提案の範囲を大いに超えているので、採用されるはずがない。だがロケーションは、結構面白いところだったので、やはり地下から地上へと提案が拡大していったのだろう。
 コンペの要項に街づくりとかかれてあったから、大いに街づくりしちゃったわけだ。鉄道屋が考える狭小な街づくりと都市開発屋が考えるダイナミックな街づくりとは、全然スタンスが違うわけだ。そういう違いを無視して提案プランを練っていた。
 今は京阪中之島線も開通しており、普通に地下の駅舎が作られ、さしたるインパクトもなく普通の大阪の風景にまぎれている。

イエローブック2004.
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最近のドローイングから106.

2014年10月27日 | drawing
 このエスキースは、名古屋市徳重地区の3街区を貫く巨大な駐車場ビルの構想案である。
 地下鉄と駐車場に結ぶ道を小さなMallとしている。パーク&ライドを意図したものである。エスキースは、そのバリエーションを考えていた。後日市の役人から3街区は、分割して使うことにしたと聞いた。当然廃案である。
 こちらとしては3DCGの制作練習になったけど。結果的に駐車場ビルのデザインというのは、実につまらないなと思った。つまらなさが、配色の悪さに表れている。
 しかし自動車都市名古屋だもん、それぐらいの大きな駐車場は当然必要だろう。土地の狭い京都市の都心には、10階立ての路上型駐車場ビルがあるのには驚かされる。10階まで斜路でゆくような土地ではないので、はてまたエレベータで行くのたろうか!。
 さて今日は、午前中の講義、午後は卒論返して昼寝、そのあと車の練習だ。数えるほどしか広い道がない京都と異なり、どこへ行っても交互通行の名古屋の道の良さ痛感しながら車の練習をしていた。帰り道を間違えて平和公園へいってしまった。都会の中とは思えない密な樹木の茂り方は結構感激ものである。ならばPENで・・・忘れてきた。オッとiPhoneがある・・・車の中でカーステレオになっている。ならば目に焼き付けるしかない。記憶カメラだ。
 オッと夕方からCGの授業があった。行かなきゃ。素朴な公園のエントランスをみて帰路についた。燃費25km/lか、街走りにしてはよさげだ。

イエローブック2006.
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最近のドローイングから105.

2014年10月26日 | drawing
 こんな意識的に猫背のポーズは描けないよなぁーと思いながらの5分間クロッキーであった。
 さてこの時期は、朝晩は寒いが天気も安定し、大きな事件でも起きなければ、平和で退屈な一週間だろう。京都駅地下街のコンコースで人の流動調査をしていた。やはり調査の上でノイズが少ない平凡な週末だからだろう。
 さてそんな平凡な週末は、どうしたもんか・・・。論文を進める。紀要の原稿に取りかかる、東京へ雑用を片付けに行く、どれもあまりやりたくないことばかりだ。
 それにアップしていてこういうのもなんだが最近ブログも飽きた。FBなんかとうの昔に飽きてしまったからあまりみないのだけど。そう思っていたら、同じ思いの人達が多いということが、日経流通新聞に書かれてあった。
 朝からWEBサイトを見ない日というのは、仕事の能率が大変よく健康的な気分になれる。本来の生活に戻ったような気分というのは、PC世代後半だからだろう。
 それが若い人達になると、生まれたときからPCがあるので、なんの不都合も感じなくWEBをみるのが当たり前だ。そのあたりが世代の違いか。

クロッキー帳NO16.
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PEN LIFE1057. 休日仕事

2014年10月25日 | Nagoya city
 こんな雲をみていると冬の予感たっぷり。実際に朝晩は冷え込む京都の街である。しかしデジタル機材の発色が良すぎる色にも飽きる。
 さて学生達の卒業論文の査読をどこでしようか。自宅ではだらけそうだし、京都の喫茶店を思い浮かべる。イノダ本店は大げさだし、三条店では喫煙席はカウンターしかない、四条通りの地下では一寸暗い、ならば寺町のスマート珈琲か、多分観光客で混んでいるだろう。スマートの斜め向かいのUCCでもよいが、テーブルが狭い。結局錦市場沿いのカフェの2階の奥に調度デスクのように使えるテーブルがある。窓から通りが見え、ビジターも少なく、錦市場の中にあって、市場の喧噪が全く届かない静かな空間というのは異色だ。そこに決めた。ここは私のお気に入りの隠れ家になりそうだ。
 そんなことをして、午後には仕事が片づいたので辰五郎でランチ。その後は木屋町筋を南下して帰る。僅かに晴れ間が除く曇り空では、あまり撮影気分になれない。やはり京都の街は夜の方が絵になる。
 今日も日記になってしまった。画像だとテンションがあがらない。
 自然界の撮影には、気候が変わるタイミングをじっくり見計らったシャッターチャンスがあるが、忙しい身分では、そうも言ってられない。なかなか忍耐のいる世界である。私は忍耐のいることはしたくない。忍耐するぐらいなら、デッサンにしてしまおうと考えますね。
 やはりチベットの奥地位まで行かないと、撮影意欲はわかないね。
 
名古屋市立大学北千種キャンパス
OLYMPUS PEN E-P5  LEICA DG MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO,800,露出補正-1/3,f8,1/100
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最近のドローイングから104.

2014年10月24日 | drawing
 やはり代休は、とれなかったか。午前中は車の練習、午後一に学生達の卒業論文の指導、それから少し午睡して論文の解析。それにしてもコンピュータ解析は楽になった。昔ならば、アルバイトの頭数を揃えて計算尺頼りに、一週間がかりだったことを思えば、30分程度で一連の作業がすんでしまったのは、法外の幸せ。
 明日は、出勤するかわりに仕事を抱えてきたので久しぶりに家で仕事をしようと目論む。まあイノダでコーヒーでも飲みながら、学生達の論文の査読だな。そのあとは京都の街を徘徊しよう。さて機材はと・・・。やはりE-M5にエルマリートでモノクロの京都の街だろうか。夜は居酒屋で熱燗でも飲むと、冷えてきた京都には調度良いだろうか。 ようやくいつものペースに戻ってきたか。
 大学へ毎日通勤するようになってから、家の資料を全部大学に持って行ったのでなかなか家で仕事というわけにはゆかない昨今である。
 そう目論むと充実の京都暮らしなのだけど、ホントに実行するかは、明日にならないとわからない。終日寝ていたりすることもあるし。それはそれで良いではないかと思っている。つまり明日のことは明日に聞け!、である。

クロッキー帳NO16.
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最近のドローイングから103.

2014年10月23日 | drawing
 平凡な1日。黙々と仕事をしていたので、特に書くこともない。明日は代休日なのだが、原稿の執筆もあり休めなさそうだ。今月も代休を消化できないか。書き出すと駄文のブログになりそうなので、この辺でパスしよう。

クロッキー帳no16.
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最近のドローイングから102.

2014年10月22日 | drawing
 クロッキーのモデルさんは、ダンスをしていたり俳優さんであったりと身体を鍛えているので、一般人の体型とは少しばかちがう。
 このモデルさんを、もう少し肉厚にして、お尻はたらし、股を太めにし、足は小さく、頭は大きめという具合にデフォルメすれば、街を歩いている普通のお姉ちゃん達の体型だろうし、デフォルメの度合いが進めば、戦前あたりの女性の生活感あるふくよかな体型になる。絵にするときはそんな操作をするのだろう。
 昔からデッサンやクロッキーを描いてきたから、衣服の上からでも体の体型は類推できるので、まれに街を歩くとお姉さん達が全員裸で歩いているように見えることがある。そうなるとファッションというのは、なんなのだろうかという疑問にぶつかる。
 つまり防寒着か・・・。いや人間は、体毛が退化したのでその代わりか、ならばどうして頭だけ毛が残っているのか、といったプリミティブな疑問が浮かんでくる。
 疑問に対して、わからないことは分解してみよ!、といったのは、近代合理主義の元祖デカルトだが、私の大学時代には、そのデカルト流近代合理主義の終焉を学び、デカルト的要素論ではなく関係性が主要なテーマであった。
 先日哲学者梅原猛氏の雑誌の随筆を読んでいたら、近代合理主義からの離脱を旨とする記述があったが、なんとも古くさいオッサンだよな。それは随筆上のジョークなんだろうけど、そんなの私の若い頃の話だよ。もう文化系終焉の時代かもな。

クロッキー帳NO24.
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最近のドローイングから101.

2014年10月21日 | drawing
 クロッキー教室も10分から5分のポーズで14ポーズは描くが、いつも最初の2ポーズ位はまず描けない。一つはモデルさんの観察が進んでいないこと、二つは鉛筆の芯がとがりすぎていて描きやすい減り方になっていないことである。綺麗な体型のモデルさんが来るともうプロポーションに悩んでしまう。最初の一枚は、いつも試行錯誤していて描けない。
 ただ最初の一枚でバシッと決めなければならないこともある。例えば中近東の民族をスケッチに出かけるなんて場合を想定すると、相手は待ってくれないので、最初の経験を大切にせざるを得ない。
 だから、相手の意志などおかまいなしにデッサンしてゆかないと描けない世界。写真だって相手に遠慮していては、撮影できないのと一緒だろう。つまりずうずうしいというわけだ。だから一般人的な常識にとらわれていては、デッサンも写真も成立しない。所詮相手の意志を無視したところで、通例たいした影響もないのがデッサンの世界だけど。
 それよりは、イマージュとしての意味を考える方が有益だ。古代から人間はイマージュを用いて、曼陀羅や神話の象徴として概念的世界を描きつくりもしてきたが、現代社会も様々なアイコンが情報空間を飛び交っている。それは何かを代弁することのイマージュである。
 そう書けば人文社会学の人間達からは、クロッキーを通じて何をイマージュし、どんな概念的世界を描こうとしているのかと質問がでてくるだろう。私の結論はわかんない。
 つまりクロッキーって何かの制作ための練習なのだな。あえていえば、その何かの制作のための代弁というわけさ。さて何をつくろうか。やはり建築や都市かな・・・。それでイエローブックとクロッキー帳の間を徘徊しているのかと自分に納得。
 さて横やり仕事も片づいたし、歯の治療も終わった。今日からは論文と車の練習という単調で静かな毎日だろう。

クロッキー帳no16.
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From recent drawing, it is the 100th

2014年10月20日 | drawing
 Credit becomes Yokohama - Tokyo. I drew today's image in the inside of  Keihintouhoku Line. Probably it is about time when I was affected by the New urbanism. This sketching is an apartment complex of the small block. As for the function of this suggestion, the first floor is a store, and the top is a house. It is complex function architecture group.

 英文で書き始めたのは、このシリーズが100回記念だからではなく、編集デザイン的に英文にしたらどんな画面構成になるだろうかという興味をスケッチを見ていたら一寸そう思った。もともとカリフォルニア郊外の住宅地あたりを想定して描いたからね。
 今のアメリカは、住宅や環境のデザインを実にきっちりつくる。ユーザーもそれが当たり前といわんばかりである。つまりデザインがわっていて、これにうるさいユーザーが多いのだ。というのも高校時代に建築様式やドローイングスケッチを教えられているので、自分たちでも外観のデザインはできるし、やはり日本に比べれば、格段に見識が高い。
 それは自分の家のデザインだけではなく、自分の家を取り囲む環境へと視線が向けられている。だから何かと公共空間のデザインには、うるさい。自治体が場違いな街路樹でも植えようものなら、批判ごうごうである。
 それに引き替え日本の居住環境、そりゃもう幼稚園の世界でしよう。先ず自分の家のことしか考えていないし、建築のデザインなんか建売業者の口車に乗せられて納得しちゃうし、デザインのバリエーションも少なく偏っているよね。多様性の調和なんていったら混沌とするだろう。
 私のリサーチ経験だと、 日本で家を買う世代って30代前半が多いが、この世代というのは夫婦共々外に対して見えない塀を設けて警戒心が強く、いばりくさっているのが多いのですよ。つまり内弁慶。新婚気分も抜けて、さて子育てと家を守らなきゃという気概に燃えているのでしょうね。まあそういうのには、近寄らない方がいいのですが。
 つまり核家族と仕事と家庭というフェーズしかないコミュニケーションの不足が、その要因かなと思います。二人だけでなんでもしなければならないという意識が前面に出るのでしよう。これが多世代暮らしだとコミュニケーションも活発で結構のんびりしていたりするわけです。
 だから最良の方法は、親世帯、子世帯で近所に住むというのが、一番よい選択肢かな。遠くても通勤電車で通える距離でしょうね。年末年始に飛行機で帰郷するなんていうのは、論外ですね。そんな論外組ならば、もう自分は故郷を捨てた天涯孤独のさすらいの旅人だと思ったほうがいいかもしれませんね。
 はてなんの話だったか・・・、わからないままに筆を置く。

イエローブック2005年
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最近のドローイングから99.

2014年10月19日 | drawing
 このスケッチは、熊本の社員寮のプロジェクトのために描いたもので、もちろんプランニングされた上で描いている。何が必要だったかというと、実際に建てた場合の居住面積と居住定員だけ。手がすべって設計までしちゃったが。もちろんこのプロジェクトは、提案だけで終わる。私の関心もそこであっさり切れてしまった。
 私は経歴をつなぎ合わせると、一応建築設計を教え、一級建築士であり、建築設計事務所にいたという普通の建築教員のキャリアもあるるので、住宅位の設計は簡単にできちゃう。住宅設計の自由度というのは、土地の広さや形状に左右される。それにしても住宅設計・・ああっ、なんとも古くさい19世紀的言葉だこと。
 大学を出て建築設計事務所に勤めてわかったことは、建築は敷地境界線の奴隷なのだということ。敷地境界線が科学的検討の結果ひかれたというならばまだしも、実際は人間の気まぐれ的営為の産物だから、そんなものに影響されるようなデザインは、ごめんこうむりたいと思い、建築を捨てて大学院で環境デザインの世界へ進むことにしたわけさ。
 要は建築素材と周囲の文脈とに日々精進している建築家と、私のように建築に興味がない人が設計したのでは、やはり納まり方が違うと思うな。つまり建築家的見方をした場合の迫力の違いとでもいおうか。それでも、そのへんの建売住宅よりはましだと思うけど。
 あなたは、そんな私に住宅設計を依頼しますか?。私は、現代作家風でもポストモダニズム風でも、ニューアーバニズム風でも 、或いは京町屋風でも、なんでもつくっちゃいますけど。そういうフレキシブルなところが建築デザイン。私の設計手法を一言で言うと超割り切り型、学生時代からその根性は変わらないですね。

イエローブック2005年
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最近のドローイングから98.

2014年10月18日 | drawing
 今日は晴天、午前中2時間車の練習をして、お昼は学園祭学生達がやつている屋台をひやかし、午後はオープンスクールのレクチャーをして盛りだくさんでした。こう書けば、小学生の日記みたいだ。大人的に書けば休日出勤だったのですが。
 さて今日のドローイングは、アマルフィーのスタディをしていた時のものだ。海側へせり出した崖の上に教会があり、道は180°おりまがって山へ続いている。急傾斜地に家が折り重なるように複雑に建っている姿は空間的に大変面白い。多分ある古い街並みのスケマティックデザインのためにスタディしていたのだろう。Googlの俯瞰して撮影した写真を見ながらスケッチを起こしていたと思われる。
 今は世界のどんな場所でもGoogleで探せば画像がある。こうした古い街の勉強を概括的にするのにはうってつけの教材である。こうした勉強方法を学生達にも進めている。だが彼らは、手を動かさないのよね。つまり関心がないというわけさ。
 今日はオープンスクールの時に、受験生の母親から「設計をやる見込みが判断できないかしら、体験設計教室でもあればいいのですが」、という話をきいてぎゃふん。焼き物教室ではないのですから、下から積み上げてきた知識と経験が継続的に反映されているので、そりゃ無理でしょうという話になった。だって医学の世界で、一般人向けに「体験手術教室」なんて日曜講座でやったら、そりゃ恐ろしくて、患者さんは逃げ出すよな。
 そういえば、京大病院に入院していたときに看護師さんから、「大学の先生で建築の設計を教えているの、格好いい!!」といわれ、あれっ、俺って格好いい商売しているんだと苦笑いだった。
 まったくギャフンとされたり、持ち上げられたり、まっ、世の中様々。

イエローブック2005年
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PEN LIFE1056. 秋の終わり

2014年10月17日 | Shinkansen commuting
 このアングルも以前にモノクロでアップさせた場所だ。背後の双方の山は、多賀大社のご神体だったと記憶している。私の新幹線からの撮影スポットの一つなのだが、電柱がなんとも邪魔だよね。それでも落ち着いた集落のたたずまいは感じられるだろう。周囲は工場ばかりなんだけど、この一体だけ異なる空気を感じさせてくれる。ここの樹木も紅葉するんだろうな。
 今日は、朝晩が寒く秋の終わりのような1日だった。今年は冬が早いのだろうか。帰りの新幹線は、シニアの山旅姿が目についた。はてどこへ出かけたんだろう。多分しなのからの乗り継ぎ客だろうね。少しばかりうらやましい風景でもあった。
 さて今日は、所用であけくれる一日だった。特に書くこともない。さて明日も出勤か・・・。風呂に入って早く寝よう。

新幹線 京都-米原
OLYMPUS PEN E-P5  M.ZUIKO DG75-300mm/F4.8-6.7Ⅱ
ISO,2500,焦点距離75mm,露出補正-0.3,f4.8,1/8000
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