Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ727. Peachの話し

2024年05月31日 | field work

 今日も3月初め頃の話である。YoyTubeでPeachのマネージメント映像を見ていた。これによるとコロナ過以後Peachは大幅な赤字続きだそうだ。そこでマネージャーが実際のエアラインのフィールドサーベイをしている映像内容だった。最大の課題は定刻通りに出発出来ないことと語っていた。
 私は、これまでに沖縄のダイビングにゆくときにPeachを利用した。おそらく数十回以上の利用になるだろう。それでいてなんの恩典がないのも寂しい航空会社だ。
 たしかに私も那覇からの最終便に乗ると、京都に帰るリムジンバスの最終に間に合うかと気をもんだことがたびたびあった。間に合わないとなると途中で飛行機はフルパワーで飛んでくる。そしてこちらは関空で荷物をピックアップするなりリムジンバスの停留所までダッシュ!の経験が複数あった。
 何故定時出発ができないかとする要因の一つは、預け入れ荷物の処理である。おおかたは格安航空券サイトでチケットをオーダーするから預け入れ荷物のオーダーはできない。空港のチケットカウンターで追加料金を支払って預け入れるわけだから長い行列ができる。結果として時間遅延につながる。
 しかし今時の旅行で預け入れ荷物のない旅行者がいるのだろうか。鞄一つのビジネスマンは、定刻出発できない航空会社を利用しない。従ってチケットサイトとピーチのマネージメントとの間に乖離がある。PeachのマネージャーはPeach目線でしか現場を見てないようだ。そのあたりがよくあるサラリーマン発想ですね。
 Peachを継続的に使う利用者は結構多く、映像で紹介された内容は理解している。マネージャーが欠落している視点に、Peachの利用者は、いつから空港に来ているかを調べていない事である。時にはPeach指定の90分前どころか半日前から空港に来ている場合もある。預け入れ荷物は邪魔だからできるだけ早く預けたいがPeachは90分前からでないとチェックインも預け入れもできない。
 そこでPeachのカウンターが当日であればいつでも預け入れられチェックイン手続きが完了できれば、カウンターの前に長い行列をつくることは少ない。集中するからあらゆるストレスが発生するのであって、分散させればストレスは少ないとする数学的論理が必要だ。ここは企業のサラリーマンマネージメントじゃ気づかないだろうな!?。したがって新たに預け入れ荷物の自動チェックイン機設置ぐらいでは、今度はこの機器の前に行列ができるだけであって、ようはカウンターの人材を減らせるという管理メリットしかない。
 もちろんこの自動預入機で当日であればいつでもチェックイン完了で荷物を預けられるというのであれば大いに助かるのだが、どうせ文科系リーマンはそこまでは考えていないだろう。つまり職員を減らす合理化であって、今後も遅延は続くということになる。
 だから私は、最近何かと世話がない同じ路線を飛ぶJetstarにするかなと考えている。

iPhon7pro
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エッセイ726. 朝の時間

2024年05月30日 | field work

 3月初旬の話である。
 論文原稿の校正が上がってきた。修正まで余り時間がない。もう今日の校正で10回目となる。10回目のうち9回目までは自分で校正するから、編集元からは校正が一回だけとなる。コスト削減も甚だしいが、大学の論文集というのはそういうところだ。
 例えば本の出版だと最低数回以上は出版社校正が行われるから、そのたび毎に分厚い紙原稿が出版社との間を往復する。WEB上ではおこなわないのが原則だ。
 さて朝の一番頭がクリアな時に校正しよう。朝食後に校正にとりかかり昼頃終わる。つまり校了である。あとは原稿を出版元に送るだけである。
 最後の原稿をチェックしながらメールを開くと、app storeからおかしなメールがとどく。変な図柄に文字化けしたアイコンと請求金額がやたらに高い。こりゃ詐欺メールだと直感した。早速Appleとチャットで相談したら、IDが乗っ取られたと判断された。そこでAplpleとIDの変更処理をおこないカード会社にカードの停止をおこなった。頭がクリアなときに、こんな邪魔がくるのかよ!。
 そうこうしていたらもう午後3時近い。遅いお昼にするか。
 さて私のブログに朝早く訪れてくれるブロガーさん達がいる。通例なら○に四つチェックいれて、みたよと返事をする。アクセスの履歴にブロガーさん達の訪問記録が残されるのは数時間以内と記憶している。ときおりそれがおこなわないことがあるのは、そんな事情からである。そんなときは朝から仕事や詐欺師処理におわれているわけです(*^▽^*)。
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エッセイ725. FX30を使用して3ヶ月

2024年05月29日 | field work

 SONYのカムコーダFX30(デジカメではない)を使用して3ヶ月が経過した。その間ハンドルシステムを変え撮影に持ち出してみた。トップ画像の広角ズームレンズ付きが小さなジンバルDJI RS3miniに乗せられ大変使いやすい。他方でこれまで使用していたジンバルCreanM3はメカニズム上信用できないのでゴミ箱に捨てた。気分としては分別するのも面倒くさい程嫌いだ。はやく縁切り!。
 FX30には、ハンドルユニットだのジンバルだのと装備はいろいろできるが、最終的にはデジカメのようにシンプルに持ち歩きたい。もちろんあっ!、このシーンで望遠レンズが欲しい!、ジンバルを持ってくればよかった!!、と思うことも多いが、そこは映像だから撮り方次第だろう。
 もちろんこの機材で静止画の撮影もできる。できるが私は撮影方法をすぐには思い出せない。だから面倒なので動画で切り出す。所詮ブログは低解像度の画像で間に合うから面倒なことはやめよう。
 それに一眼レフのファィンダーを覗くという作業が面倒だ。えっ!、あの井戸の底をのぞくような小さな画面で構図を合わせるのかい!?。狙撃手じゃあるまいし。静止画だってiPhoneの大型画面で見ているわけだから、今時小さな穴をのぞくという動作自体が針穴写真機みたいで面倒だ。
 ただ映像は、必ず編集が必要になる。それは1本のストーリーに組み上げるクリエイション作業だ。そして公開し評価されるプロセスもある。YouTubeがいつまで無料公開を続けるかはわからないが、可能な限りこれを使ってクリエイションの勉強をしよう。
 ちなみにこの機材はLutと呼ぶソフト を積んでいる。Lutとは 最大の色域を持っているのでRAW映像を最大限の情報で取り込めるソフトであり、編集段階でカラーグレーディングに資する。
 ただしLuかはSONYαシリーズでは積まれていない(だからSONYα使いはDa  Vinci Dissolveという編集ソフトを使いたがる)。つまり映像をRAWで撮影し映画のような画面に仕立て上げようというわけだ。私の今後の制作課題である。
 デジカメ登場初期の頃、海外で撮影して送ったもらった静止画画像データ量はキロバイト単位で大変軽かった。それでも著書で使用したら問題なくつかうことができた。印刷物の解像度はブログ以下だ。
 私の撮影する映像でも、だかが2分半の映像作品にすると4K画質動画の場合のデータ量は1GBを越えるから1枚の解像度は低いほうがよい。ブログサイズで見ているならば4Kなんて過剰でありHDで十分。
 それに経験上冷却ファンが付いていない機材は熱停止するから映像では使いたくない。最近の熱帯日本では公称値までは届かず、これまでのα6600で10分で熱停止した事がある。
 そうなると一眼レフスタイルのミラーレス機は全部失格になる。映像で撮影しておけば静止画はいくらでも切り出せる。ので、世の中にあるデジタル一眼レフはすべてなくても私は困らない。iPhonの画像をみれば、NとかCといった従来のカメラメーカーに関心はない。
 さらに解像度は、最後にどの大きさで見るかによって決まる。豪華本とか高画質プリント出力用なのか、モニターで映像をみるのか、ブログ用なのか?・・・。そうなると高画質プリントで出力して個展を開いたり、超豪華写真集でもだすのだろうか。そもそもそんな豪華本は最近見たことがないし、今は機材メーカーの展示サロンもみかけない。
 そんなわけで私は今のデジタル機材は値段を上げすぎでよくわからない。ライカQ3が6,000万画素で価格90万だって!!!。映像でよく使うフレームレートが1種類しかない!!。そんな非現実的な仕様の静止画機材がiPhonの4倍以上の価格だなんてさらなる驚き!!!。であればiPhonを買い換えて最速のMacに交換する方を私は選びますよ😆。

 広角ズーム付きFX30をジンバルに載せ、もう一台ボディα6600にあろうことかニコン用のコシナ・ツァイスプラナー50mm標準レンズをつけた2台持ちが軽くて使いやすいことを発見。標準レンズはAPSサイズでは75mmとなる。実はこのレンズは、このホディと相性がよく綺麗な発色をする。私も初めて見た色合いだもん。
 実は予備ボディに助けられた。予備バッテリーを忘れたときは、移し替えて撮影できたし、アップで撮りたい場合には、予備ボディが役目を果たす。
 しかもF1.4の明るさは背景のボケ方が美しい。さらに低画素超解像ズームとやらで112.5mmまで望遠にでき、75〜112..5mmの間はボディ側でズームレンズにできる。悩ましいのはマニュアルフォーカスだ。なにしろニコンF3用に調達したのだから。そうなるとAF仕様のフルサイズレンズSONY Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZAに目がゆく。どうしようかなぁー・・・。

iPhon13pro
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エッセイ724. みみっちい現代中国人

2024年05月28日 | field work

 ちぇっ!、医者にゆく日に限って体重が58kg代に増えてるではないか。まあいいか、そしたらいびき改善のためにあとダイエットしなさい。52kgが理想ですだって。
 何がそんなに体脂肪を増やしたかというと要因は、昨日のマクドナルドのバーガーと原稿執筆に忙殺されビデオ撮影に出歩かなかった事ぐらいか。さしあたり57kg代から56kg代をめざしてウェイトトレーニングの重量でも増やすか・・・。だからまた原稿執筆で中断していた散歩を丹念にするほかない。
 近所の散歩と言えば京都は、どこでも中国人、韓国人、欧米人、そしてアラブ諸国の人達を頻繁に見かける。おもしろいのは、彼らのマナーに温度差があることだ。
 というのもビデオ撮影をしていると、脇で動かずに待っていてくれる気配を感じる。これは欧米人である。概して彼らは、周りの動きによく目が届く。そうした生活経験をしてきたからであろう。そしてマナーが良い。
 それに引き換え周りに神経が全くゆき届かないのが中国人だ。平然とビデオカメラの前を横切り、そんなものが視界に入ってることすら気づかない。私の映像が着物姿の中国人ばかりとなるのは、そうした理由からである。そんな作法は、育ち方なんだろうと私は考えている。ちなみにアラブ人は撮影されることを嫌うだろう。
 ある日地下鉄で突然中国人から、中国製翻訳機を私の口元に近づけ意味不明の地名を尋ねてきた。いきなりこんなことをするのも中国人だ。それもリパブリック・チャイナだ。それは相手に対して失礼もいいところだ。それで私の答えは一言「メイヨ!」(しるわけねぇーだろ!!!)だ。それでチャイナは私の視界から消えた。なんか珍奇な玩具を振り回すみみっちい中国人だ。
 こういう失礼なことをすれば、例え知っていても茶道・礼儀作法の家元達が暮らしている街の京都人達は、「うち、ようしりまへん、ごめんやす!!」と教えない。
 私が旅先で経験した事だが、中国内陸部の地方都市の小さな村に住む中国人は、文物の研究者であり私達と通訳を通じて親しく会話してくれた旅の経験がある。彼の眼は遙か遠くを見据え文化人としての気品と泰然とした中国を感じさせてくれた。それが私の尊敬する中国人のイメージであった。いったいいつらか無作法でみみっちい現代中国人が増えたのだろうか?。

雲南省大理近郊の集落で出会った文物の研究者。決して生活は豊かではないが、私達の質問に毅然と答えてくれた姿は気品が漂い、泰然とした中国の空気を漂わせながら私達を優しい眼で見送ってくれた。私が尊敬する中国人の一人である。(1999年、雲南省大理近郊の集落にて)
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エッセイ723.外国人の味覚

2024年05月27日 | field work

 概して外国人は塩辛い料理が嫌いである。だから日本料理なら味噌汁は飲まないし、さらには多くの塩を使う日本料理自体が食べられない。だから日本料理が外国人に受けるなどと勘違いしないで欲しい。
 ローソンでNIKKAが中国製の梅干しのおつまみをチョイスした。私は、えっ!、食べられないでしょうと思ったが、食べてみたら美味しい。
 このツマミは、たっぷりの塩分と人工甘味料アスパルテームがたっぷりはいっている。最初の一撃は、塩味に超甘い対象的な味覚を同時に体験できて、最後に少しだけ酸っぱい余韻がくる。この面白い味覚の販売者は沖縄県の製菓会社だ。
 食材は食べてみないとわからない。それを思えば、日本人のような余計な知識でお世話を焼かないことだ。まずは食べてみなはれだ。
 一般に知識があると、人間は余計なおせっかいを焼きたがる。わたしに言わせれば、その知識が邪魔なんだよね。うまいかまずいかは、外国人達の舌でトライアンドエラーの後で理解されるだろう。そんなトライアンドエラーの機会を、日本人の余計な知識で奪うわけにはゆかない。
 そんなふうに捉えると、納豆だってまずいと感じる外国人もいるし、逆に美味いと感じる外国人もいる。まあ健康食品なんだけどね・・・。
 ガタガタいうならば、何故味覚はこれほど個人差が大きいかということについて研究したらどうですか?。育った風土や環境によって違ってくるわけだから、因果関係を探れば良い。それは食物学ではなく文化人人類学の分野からのアプローチの方が面白い。きっと多変量解析にのせることができて論述できそうなテーマだと思われるが・・・。まてよ!、既に誰かが研究していたかもしれない。

iPhon13pro
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エッセイ722. 挨拶とか、コメントとか、生成AIとか・・・

2024年05月26日 | field work

 大学の教員をしていたから、100人以上の講義を受け持ったりすると私の顔と名前を覚えている学生と、学生の顔と名前が一致できない私とが存在する。したがって私が知らない学生達から挨拶をされる。だから私も挨拶を返す。あとであれ誰かしらんとなる。挨拶をすることが習慣になっているから知らない人にまで挨拶をしている。
 しかし最近私が感じるのは、日本人のオッサンの無愛想で極悪人の様に周囲をにらみつけている人相の悪い事。もちろん私が挨拶をしても、頭を少し動かしたようなそぶりは見せるが、そんなものは挨拶ではない。
 でっまあ、こちらはポーカーフェイスが基本だから好印象を相手に与える努力はする。それで「この好印象、話が通じる」と相手に思わせたら、オッサンの表情が急変し緊張感の心もほぐれる。ようやくオッサンは心を開いて話を繋ごうとする。その時私は「おっと時間がない」といってあばよ!!!、とずらかるうグッドな方法があると思った。思っただけですが・・・。
 さらに、私は挨拶の代わりにハンドサインやお辞儀ですます事もある。この方が丁寧だから相手からは好印象だろう。だか、こちらは会話をしなくて済む。ハンドサインが便利なのはここである。いつからこんな態度が身についたかというと、コロナ禍の頃からである。なにしろ感染予防で会話をするなというわけだから、ならばボディランゲージで済ますのが合理的だ。それが身について今も多様している。煩わしさを排除する方法とでもいいますか・・・。
 このブログにもあるコメントの返信が難しい。そこでChatGPTに返信を書かせればよいことに気がついた。今度はChatGPTに複数のコメントを書かせて最適なのを選べば良いか・・・。
例えば・・・
そこで眠そうな朝という内容の挨拶のコメントをいただいたとする。
すると私の回答ではなくChatGPTの返事は以下だ。
・・・・・・・
 私はいつも元気な挨拶で朝を迎えます。「おはようございます!まだ眠そうですね。」その一言が、私の一日を温かく包んでくれるのです。眠そうな朝も、挨拶のひとことで心がほっこりとする、そんな素敵な時間なのです。
 朝の挨拶は、私にとって特別な瞬間です。眠気と闘いながらも、仲間たちや通行人とのふれあいを楽しむことができるからです。何気ない挨拶が、人と人との距離を縮め、心を温かくしてくれるのです。
 私たちは忙しい日々の中で、些細なことに気づくことが少なくなってしまいがちです。しかし、朝の挨拶を通じて、周囲の人々とのつながりを大切にすることができます。眠そうな朝でも、笑顔と優しい言葉で心を通わせることができるのです。
・・・
こんなコメントを返すかもしれない。どうかなぁー((*^▽^*))。
因みにTOP画像は、「眠そうな朝」という言葉でAIによる画像生成。ブログ画像もAIでつくる時代か・・・。
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エッセイ721. プリンター考

2024年05月25日 | field work

 キャノンのプリンターXK70がサポート番号B203を発している。
 つまり重大な故障だから修理に出せというメッセージだ。どこが壊れたかも知らせずに費用を支払って修理に出せというのは、お節介なシステムだ。もちろんWEBで手続きをすれば、指定日にヤマト運輸が梱包材を持参してもっていってくれる便利さはある。ならばそうしよう。
 その後で考えた。プリンターの移動などしたことがないし、さっきまでは動いていたのだ。それに紙詰まりは過去に一度あったが大きな故障とは思われない。プログラムはWEBサイトから更新されているので問題は無い。やはりメカニズムだ。
 動作不具合箇所を思い出すと排紙トレイだ。本来自動で手前に出てくるトレイだが、それが出来ないので手動で引き出している。それで感知センサーがサポート番号B203を発したのだろう。つまり接点接続か。ならばトレイを引き出したり戻したりすれば回復するかもしれない。でっ、やったみた。そしたらトップ画像で示した如く動いた。
 結局修理依頼はキャンセルした。
 キャノンはコンピュータを製造販売した経験がない。だからWEBマニュアルも147頁(総ページ数392頁)まで読み飛ばさないと各部名称が出てこない要領の悪さだ。いったいプリンター如きで何でこんなに分厚いマニュアルがいるのか?。そうなるとなんか文科系的企業だな。
 Macと相性が良いプリンターはHPである。S・ジョブスがコンピュータを勉強した企業だから、それは当然だろう。先ずマニュアルがなく、そして壊れることがない。それでも壊れたら買い換えろと!、と割り切りがよい。
 いまだに相性が悪いと認識しているのはEPSONだ。正常に動いていれば問題はないが、相性の悪さが露呈するのは不具合が発生したとき。だから使わないに限る。これはWin系専用プリンターなのだろう。昔EPSONはMacPCを製造販売をしていたけどな。
 これまでに3社のプリンターを10台以上潰した。だからできるだけプリンターを使わないように、仕事をしようと心かげているけど・・・。情報を得たり創ったりする価値とそのために支払ったコストとの関係で判断をするが、たかがコンピュータでクリエイションした情報をアウトプットするだけにしては、インク代が高すぎるでしょうよ!。
修理依頼ではなく捨てろといわないあたりが、日本企業かなあ!。

iPhon13pro

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エッセイ720. 京都人お勧めのカフェ

2024年05月24日 | field work

 京都人お勧めのカフェといえば、イノダ珈琲をあげるのが昔の通例だった。確かにここの珈琲は美味しいけれど、今は随分と高くなった。どうせここは観光客御用達の店なのだ。そうなると足は遠のく。
 私が最近お勧めするのは、四条通りのHolly's Cafeだ。先ず眺めが良いから街の光景を見ながら時間が潰せるのがなによりもよい。最近何かと窓にスクリーンなどをはったりして街の視線を遮ろうとするカフェが多いが、ここは通りをドンと眺められるというのが素晴らしい。だから道行く人達をみながら時間をつぶせる。それはパリのカフェと同じ考え方だ。それにモーニング珈琲も長い時間販売している。それに室内も広々としている。こうしたプラスの要素があればここが京都人のお勧めになる。
 もちろん京都市内にはクラシックなカフェも多い。例えば四条烏丸交差点裏の築地や、四条下る高瀬川沿いのフランソア喫茶室、古くは京大前の進々堂などだ。そのほかにも最近京町家を改装した小さなカフェは、雨後の竹の子のように街の中に数多くある。カフェ文化の京都といってもよい。
 カフェについては私の過去ログの講義録・界隈論のなかで、そのしつらえ方について論じた。何故人はカフェにゆくか。それは街の空気を感じたいからである。街ゆく人々は、あらゆる意味で記号体なのだ。例えばファッションといいメイクといい、それをみるとはなしに見ながらトレンドが把握できるのがカフェテラスなのである。
 そんな条件を満たす店が実は大変少ない日本である。そんななかで、Holly's Cafeはテラスこそないが、窓際に座れば道ゆくトレンドが観察できる格好の設えである。
 イノダ珈琲などは、もろ密室ですからね。それじゃ観光客の姿が観察できても、時代のトレンドがわからない。
  もう一つ追加しておく。トップ画像の右端の民家は月鉾の蔵である。祇園祭の時は鉾が立つ。窓際の席は、それが間近に見られる特等席と聞いた。


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エッセイ719. トランスポーテーションデザインの話し

2024年05月23日 | field work

  学生時代にデザインしたトランスポーテーションデザインのレンダリングを探したが、こんなのしかなかった。まあそのうちでてくるさ・・。トップは線図ではないので車のスキームをデザインしたものだろうし、2番目は多分筑駒の高校生達を前にしてサンプルのためにパステルとマーカーで即興で描いたのだろうと記憶している。
 一応都市・建築デザイン分野のデザイナーだから、世の中のデザインという行為には関心をもつ。大学時代にカースタイリングの基礎ぐらいは勉強したから車をはじめ、鉄道車両や船舶や航空機などのトランスポーテーションデザインには関心どころか評価もしたくなる。
 そのなかでいつも疑問に思われるのが、JR東日本が運用する中央東線の「特急あずさ」に使用しているE353系電車である。疑問は正面の縦長の黒い鉄仮面のようなデザインである。どうみても重たく鈍重な感じが否めないし、鉄仮面をぶら下げてダラダラと走る姿は特急とは思われない。さらに実際に乗車すると椅子に沈み込み中央線の風景がよくみえない。おかげて小淵沢-塩尻間の絶景に気づいたのは帰路の各駅停車に乗ってからであった。外観も内装もデザイン上疑問だらけの車両である。
 概してJR東日本の中央東線は、いつも愚作デザインが多い路線として私は記憶に留めている。
 JRも最初は、プロダクトデザイナーに発注してプロクトデザインを見よう見まねで勉強し、やがて自分達でデザインをしだす。そうなると愚作デザインの車両が多く登場する共通現象がある。愚作というのは、みんな同じデザインになるという意味だ。だからE353系もJR北海道が「特急北斗」等に使用している261系気動車も、運転台をトップにあげるスタイルであり同じタイプである。やっぱ凡人エンジニア感性では新しいデザインをクリエイションする能力がないのだろう。
 デザイナーであれば他と違うデザインを心かげるのだが、凡人エンジニア達ではそうはゆかないらしい。凡人エンジニア「261系はラッシセル車並のパワーもあるんですよ。だからデザインは二の次!!。」という弁明が聞こえそうだ。
 そんなことを考えてゆくと、およそ鉄ちゃんは鉄道を間近に見て、乗って経験しながら、なんでも格好いいの一言であり、感性欠如人種なんだろう。デザインやエンジニアリングを評価する姿勢は皆無。もう少し科学的な物の見方を勉強しろよな!、とこちらはいいたくなる。

出典:Wikipedia 何処がバッドデザイン化というと、運転席を屋根の上に突き出すとする車両の形状タイプが同じである上に、カラーリングが高彩度すぎて幼稚。何故もう少し大人のデザインができないのであろうか?。
 
出典:Wikipedia プロのデザイナー集団がおこなうとこうなるという実例の一つ。もちろん車両の使途は異なるが、異なる素材をほどよく組み合わせ、車体のボリューム感も旨いし、カラーリングも大人の色であり、それらが全体に旨く調和されている。デザインは浦一也デザイン研究室、インテリアデザイン:浦一也デザイン研究室、日建スペースデザイン(戸井賢一郎、今井充彦)、エクステリアデザイン:エイアンドエフ、サインデザイン:KATO Design。因みに浦一也さんは、元日建設計のエンジニアだった!。
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エッセイ718. 京都市の広告で思いだしたちびくろサンボ事件

2024年05月22日 | field work

 私のブログも毎月、映像、ドローイングと手間のかかる執筆をしているが、このエッセイだけは日頃の気づきをかくだけだから簡単に作成できる。
 さて今日は2月13日だから、1週間後に迫った京都マラソンの3DCG広告が町内の掲示板に貼ってあった。この広告は複数のバージョンがあり、その一つだ。しかし複数のバージョンに共通している間違い探しが面白い。まず競技を観戦しているビジターの背後にエベレストが描かれている。はあっ!?、なんでこれが京都ですかぁー。もっというとランナーもいないのにゴールテープが膨らんでいるという物理的にあり得ない表現。
 GPSを使えば京都の愛宕山ぐらいのデータはひろえるが、なんでエベレストなんだろう。
 私のデザイン経験からして、こういう間違いは制作段階でチェックされるので社会に登場して恥をかくことはなかったが、今は恥がジョークとする言い訳を伴って堂々と登場するんだ。時代がかわったね!。
 大方のグラフィックデザイナーは知っている話しだが、昔「ちびくろサンボ」という童話の翻訳版が岩波書店から刊行されていた。
 Wkiの説明によれば「軍医であった夫とインドに滞在していたスコットランド人、ヘレン・バンナーマン(ヘレン・バナマン)が、自分の子供たちのために書いた手作りの絵本であった。のちに公刊され、多くの海賊版(後述)によって広く流布した。」原題は"The Story of Little Black Sambo"である。
 このBlackが黒人と解釈されアメリカで海賊版として刊行され、それが当時のアメリカでの黒人の公民権運動の高まりと連動して黒人差別であるとの批判を受けるようになり、1988年(昭和63年)には出版社が一斉に絶版させるに至った。
 原題になぞらえれば、Blackというのは、肌の色が黒いインドの少年という意味であり黒人をさしているわけではない。概してアジア人は、インド、タイ、ベトナム、フィリピンと熱帯地方の人間達の肌は黒いのである。
 そんなことを考えると、日本も含めて国際社会も随分といい加減なんだ。そもそも著作権を確立しないまま海賊版などを勝手に刊行するから、こうした問題が発生したのだろう。
 つまり私達の社会は、いい加減な社会。「あんた何やってんの!、バス停の近くで煙草吸わないでくださいよ!!」という、いい加減な国民から怒られた経験をもつ、いい加減な日本人ですが・・・。

iPhon13pro
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エッセイ717. カムコーダの設定

2024年05月21日 | field work


  デジカメではなくカムコーダと言われている。カムコーダを調達して最初におこなったのはメニュー設定だ。SONYの機材は最初に、自分の使用方法に合わせてメニューを設定したほうが使いやすくなるのが特徴だ。これで使いやすくなると思ったら設定メニュー自体を忘れている。結局自分で設定したメニューに慣れるほかない。
 私はAPSサイズに徹している。というのもフルサイズだとレンズが大きく重くなり、海外に出かける時は飛行機の重量制限にひっかかることが必須だからだ。APSサイズといっても抽出できる画像情報量はフルサイズと大きくは変わらない。
 というのもFX30は裏面照射型イメージセンサーだから、同仕様の機材と比較して、1画素のサイズが少し大きく採取出来る画像情報量は比較的多い。従ってダイナミックレンジはフルサイズに近い。それに解像度をうるさくいわなければこのレンズで600mmまで撮影できる。実際使ってみると解像度は落ちるが、元々1カットあたりの総画素数が約2100万画素の映像から解像度がおちるわけだから使えないことはない。あまり使わない超焦点距離だが、まれにどうしても撮らざるを得ないときがあることを海外で経験している。
 さらにファインダーとメカシャッターがないとする仕様も、私の気分をくすぐっている。いつまでもファインダーだのメカシャッターだのを引きずってないで、そろそろ静止画仕様から抜け出したい。ただしバッテリーの持ちはα6600と比較すると短い。だからフィールドでは1日4本ぐらいのバッテリーが必要だろう。しまい込んでいた急速充電器が必需品になる。予備機材はiPhon13pro。早速iPhonを4Kモードに設定した。
 それにしても足下にある静止画機材はどうすんだ!?。たまにはEOS1Ds mark3に標準レンズをつけて街歩き!、などという殊勝な根性は、今の私には皆無である。というのも街歩きは体力がいるから静止画機材ごときで歩きたくない。体力は映像撮影に温存したいからね。

iPhon13pro
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Fieldwork905,Kyoto,Clear sky in March 4K

2024年05月20日 | field work

 3月27日は、夜半から激しい雨が降り続いていた。多分夕方には晴れて澄んだ空気のなかで撮影出来るだろうとする予測通りだった。だかまだ雨の残渣が降り続く中での撮影だった。夕方から気温も格段に低くなり冬の気配が濃厚。早く帰って温かいスープを飲もう
 夜の気温だけが冬である。街では桜のライトアップが始められた。といっても桜は、まだ開花していない。多分明後日ぐらいには咲き出すだろう。
 今日の撮影で、ようやく5月のブログの執筆が完了した。二ヶ月先とはいえホッとしている。やはり映像が最後まで時間が必要になる。だから毎日のブログに合わせて映像のアップなんて大変だろうと推測している。
 ようやく懸念の仕事が一段落した。少しアトリエの整理をしようと考えている。なにしろ昨年からの論文の執筆と懸案事項だった住宅の設計と、そして5月のブログが終わったし、明後日ぐらいから桜も咲くだろう。

Fieldwork805,Kyoto,Clear sky in March 4K
SONY FX30,E18-105mm/F4.0 OSS
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Fieldwork904. Winter has passed in Kyoto. Spring is almost here. 4K

2024年05月19日 | field work

  3月22日、街には冬のトンネルを通過したような明るさがあった。桜の芽が目立ってきた。どこかに明るさを感じるような夕暮れだった。私の気分の中には、もう冬物語は沢山だ。やはり春を告げる桜の開花が待ち遠しくなる。来週には咲き始めるだろう。また賑やかな季節がやってきた。
 着物姿は、みんな外国人ばかりである。男性の着物姿をよくみると葵の紋がある。しかもやたらに派手だ。それって映画の衣装ではないか。映画の衣装のそんな使い方があったのか。そんな画像を最初に撮影すると、以後着物姿にレンズが向かう。
 いつも今日は何がテーマだろうかと考えながら撮影している。ふと眼をあげると沈みゆく夕陽が軽かった。それは冬の重たい陽とは少し違っているように思われた。本日は、夕陽がテーマだったか。
 もちろん今日も仕事をほかしておいて、ダイエットのための街歩きだった。

Fieldwork904. Winter has passed in Kyoto. Spring is almost here. 4K
SONY FX30,E10-18mm/F4.0 OSS
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Fieldwork903.Kyoto,Aoi Festival,May.2024.フィルード撮影記

2024年05月18日 | field work

 京都、葵祭の始まりは次の通りである。WEBサイトから引用する。
「一行が下鴨神社に到着すると社頭の儀が行われますが、その一環として馬が疾走するのが「走馬(そうま・そうめ)の儀」です。葵祭の始まりは平安京に都が移る前、6世紀中ごろの欽明天皇のころとされます。当時、国内が風水害で凶作に見舞われたため、占い師の伊吉若日子(いき(の)わかひこ)に占わせると賀茂の神の祟りであることがわかり、4月の吉日に、葵を飾り馬に鈴をつけて走らせ、人は猪頭(いのがしら)を被り、五穀豊穣を祈ったことが始まりとされます。」
 葵祭も京都御所から出発する風景は、4年ぶりの開催だしインバウンドが多いから撮影は無理だろう。だから私はでかけるのはやめようと考えた。
 だが祭の由来を調べると馬と下鴨神社がキーワードか。ならばここから上賀茂神社へ向かう行列を追いかけるほうが祭のいわれに沿っている。それに昼頃下鴨神社にゆけば、平安時代の装束をまとった人達が境内をうろうろしているかもしれない。
 おっとりがたなで下鴨神社に出かけたら平安装束をまとった人達なんかおらんへんの。きっと幕の囲いの中で昼休みなんだろう。そのあたりは時代祭と違うな。
 だが境内は、走馬の行事で賑わい狂言がおこなわれている。ここからとろうか!。行列が出発する15分前に、私は加茂街道を目指すことにした。タクシーで行けばすぐだが、交通規制が敷かれているからそんなのはおらへんのよ。つまり早足歩きで鴨川左岸を北上した。加茂街道は人出が多いからきっと警察官に誘導されて歩けないだろう。だから私は対岸の鴨川左岸を北上した。行列に追いつかれたら対岸から撮るほかない。
 出雲路橋、北大路橋まで上がってきても道路は観覧者の列で反対側にゆきたきゃ100m迂回しろだってさ。こんなことをしていては行列に追い越される。幸い橋の下に鴨川遊歩道が通っている。これをひたすら北上して撮影ポイントを探そう。
 府立植物園を越して北大路橋までたどりついた。少し人出は少なくなったが対岸の植え込みがあってようみえへん。上賀茂橋を渡れば加茂街道から間近に撮れる。だがここで1カット撮ったら終わりだな。そこで御園橋まで北上し、この近くで構えた。ここならば対岸からと、行列はここで右折して御園橋を渡るので2アングル撮れそうだ。その足で上賀茂神社にはいってゆくところを撮ればよかろう。なにしろ一人で撮影するのだから撮影ポイントが決め手だよ。
 結果、ここに構えたのは正解で、なにしろ地元の人達しかいないから、行列が上賀茂神社へ入ってゆくところまで追えた。ただし鴨川から御園橋をわたる行列は南側からだと道路に蹴られて撮れない。だが上賀茂神社の前で境内に入る行列がつかえるのでときおりストップする。おおっ、牛車の音が間近で拾える。撮影スポットとしてはよいところだ。なにしろねばりにねばって上賀茂神社の走馬の行事まで撮影できたのだから。
 結局お昼も食べずに陽が暮れるまで葵祭を追いかけていた。疲れた!。

Fieldwork903.Kyoto,May.2024.
SONY FX30,E18-105mm/F4.0 G OSS
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エッセイ751. リゾートとは?

2024年05月17日 | field work



 NIKKAがネグロス島の実家のお墓参りに出かけた。そしてリゾートの画像を送ってきた。これをみながら考えさせられる事がある。
  それはわが国のリゾートのあり方に関する疑問である。沖縄のリゾートを見ていると特に感じるのだが、リゾート=高級というイメージは勘違いも甚だしい。
 リゾートは、庶民の娯楽の場であり親戚達が集まって親睦を深めたり、暑い夏の気分転換に必要な設えのことである。特に高級である必要はなく、日本人達もそんなものは望んでいないだろう。
 フィリピン人達がリゾートへでかけるとき、先ずトライシクルという三輪車で向かう。つまり家から近いのである。途中の小さな市場で食材を調達し、リゾートにつけば美しいランドスケープが広がり、ここでコテージを借りる。焼き物用の道具や炭は用意してある。調理用具は貸し出してくれる。だからあとは調理するだけだ。といっても生牡蠣じゃあまり調理する必要はないが。
 そうやって日がな一日を遊びまくるのである。それがフィリピン庶民のリゾート暮らしである。
 それを思うと日本のリゾート開発の無知さに呆れる。何々また高級ホテルをつくるんだって!。バブル経済ではじけた失策をまた繰り返そうとする。それはあきらかにおかしい。
 大阪などはIRと称する湾岸高級カジノ・リゾート開発を万博の後におこなおうとしている。それをみると違うんじゃないの?。そもそも大阪湾には、モナコのような風光明媚なランドスケープは存在しないし、遠くに眼をやれば工場地帯だよ。そんなバッド・ランドスケープなところへ海外からゲストを呼ぶんだってさ。風光明媚な欧米や中東のリゾート地をみれば一目瞭然なのに、なんでそんなアホなことをするのだろうか。それに誰も高級リゾートなどは望んでいないし、今のフィリピンで賭け事は禁止されている。
 そんなアホの二の舞をまたやろうとしている日本のリゾート感覚のなさにあきれかえる。まあリゾート以前に日本は、親戚という概念が崩れているから、さらに難しいよね。

フィリピン共和国・ネグロス島


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