「でっ奥さんを口説いた決め台詞はなんだろう」
ベーヤン「僕も技術屋だから正直にいっちゃった。思わず『うーーん、今日は一発やりたい!』ってつぶやいたら、Vigyがいきなり僕の股間を握って『出したい!』っていって、それでOKサインだよ。それが初デートの台詞」
「日本人の女の子に、最初からそれをいったら変態呼ばわりされるよなぁー・・・」
ベーヤン「きれい事を並べられるより、握ってくれたことですごく愛情感じたよ。好きな人には言葉よりスキンシップなんだよ。そのあたりが国民性ズラ。日本人は本音を最初からださないから面倒ズラ」
「最初に本音をいうと、嘘のように聞こえるんだろう。日本の女ってすきでもない男と一生暮らすケースが多いんだよ。結婚は忍耐だと思っている」
ベーヤン「それって、なんか違うんじゃないかなぁー。僕なんか技術屋だから自分の感性とか理性に正直じゃないとさぁーー」
「それで、日本人の女の子に変態呼ばわりされたんだ。人間の意識に正直というのは正解だよ。というか日本語には、これが核心という言葉がないかな・・・。古典の和歌みたいな曖昧さと含蓄あるニュアンスはたくさんあるけどね」
ベーヤン「僕って嘘は言わないけれど、自分の気持ちに正直ズラ。それを受け入れてくれたのがVigi。だから嫁にした」
「Kikiの誘惑にも負けずにね」
(*^▽^*)
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ベーヤンと話しを聞いていたら、今朝画材屋からもらった葉書を思いだした。それは1世紀以上前にタヒチの島に渡ったゴーギャンの「純血の喪失」と呼ばれる作品だ。
当時ゴーギャンの恋人であった20歳のジュリエット・ユエの裸婦であり、手に持っているシクラメンは処女の喪失を意味し、1匹の狐はゴーギャン自身、そして山に向かって歩く人々の列は結婚式の参列者。そしてジュリエットは、ゴーギャンの子供を身ごもった。
異環境に身を置き暮らすには、寛大な精神が必要になりそうであり、神経質な日本人ではまずできない体験だろう。それまでのパリでの生活をすべてリセットできるフランス人の合理性がなしえた事だと理解できる。そしてタヒチでゼロからの生活を始めた。その時人間は、どんな立場にあってもピュアな理性と感性に立ち返るのだろう。
そういえばベーヤンも、工学系の合理的でドラステックな意識の持ち主だ。そんな彼の合理性が異文化を容易に受けいけることにを可能にしたのだろう。
「こんど持てない君の話も聞きたいね」
ベーヤン「私の代わりにフィリピン駐在だけど、本社報告で日本に帰るときもあるから、今度ね・・・、実は、このようにいってしまえば簡単なんだけど、そこには、ムラの掟と女達のバトルがあったズラ」
「うん、ムラの掟に女の嫉妬!?」
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