自粛警察あるいはマスク警察という言葉が社会にある。2年前ならマスクをつけていない人を罵倒したり、今ではワクチン接種をしていない人を叱責するといった行為をする人達の事だ。
つまり社会現象にあわせて、自分で勝手に社会的ルールをつくるという法外な判断をする人達が存在し、私にはそれが日本人の体質かと思うことさえある。さらに車社会に関わると、そうした人達が多数存在することを経験する。
もちろん背景には、感染症に対する恐怖感がこうした行動に走らせる。そうであれば自分で勉強すればよいのだが、情報化で容易に勉強できるにも関わらず、彼らは勉強せず、通俗的な自己判断で他人を罵倒する。
マスクをしない、ワクチンを接種しない等の感染症対策が出来ない、あるいはするべきではないと考える人達も社会には一定数存在する。だから一律に自らの主張を全ての人に当てはめることは出来ません。それはむしろ他人を傷つけていることであり社会的に許されない行為、そして誤った正義感だと指摘されています。
このように誤った正義感のために他人を傷つけることの上位概念に、ヘイトスピーチがある。特定の民族や国家の人々を排除・排斥する行為である。これから東南アジアなどから避難民が日本を目指してやってくる機会も増えるだろう。そうしたなかで差別や嫌悪感ある発言が発生するとしたら人間の尊厳に関わる問題を引き起こしている事になる。
法務省の見解「自粛警察と誤った正義感」(注)を引用しよう。
「社会生活の中で,自分とは違う行動をする人,自分とは異なる考え方の人に出会うことも,少なくありません。そのような場面に遭遇すると,違和感を覚えたり,釈然としない気持ちになってしまうこともあります。ただ,そこで少しだけ立ち止まって,そのような人たちに対する自分のそうした感情が,誤解や思い込み,無自覚な差別意識・偏見などによる過剰な反応から生まれたものではないかを考えてみることが,お互いを尊重し合う社会であるために必要なことなのではないでしょうか。」
何故そんなことに思い至ったかというと、京都旧市街の道路は縦横の一通路で構成されている。だから同時方向から車が来たときは、法律では左側の車が優先だったと記憶している。ヨットの操船では同様の場合は右に舵を切るのが原則だった。
しかし街中の道路では、そうではないケース、つまり右側優先を頻繁に見た。それは、どうも相手の顔色をみつつ決めているようだ。少しずつ車を前に出して、おれが優先といった具合に。そんな風に人間は法律を無視し、自分達で勝手にルールをつくることに気づいたからだが・・・。
名古屋で車の運転をしてきた人間にとって、京都人は普段の物静かな精神とはうらはらに、車を運転しだすといけずなところがあり、車列に入れてくれないとか、市バスに威張り散らされる、といったことがある。だから自動車都市名古屋よりは、大変運転しずらい京都の街なのである。
注)https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken05_00055.html
京都清水寺
SONYα6000、Leitz Hectore135mm/F4.5