Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日164. 湘南海岸へ・・・

2019年03月18日 | Shonan coast

図1. 鎌倉高校前 昔のレコードやCD等のジャケットのカバーみたいな、なにもない画像を撮る人は多い、まあ撮ってみたけど・・・。

 

図2. 七里ヶ浜駅なんだけど、天候次第で面白い画像が撮れるポイント。今日はアカンでしょう。

 

図3. 被写体が乏しい。この店位しか気づかなかった。つまり大概のお店はしまっていた。こうなると寂しいねぇー。

 

図4. 稲村ヶ崎のあの店は何回も経営者が変わってきたけど、まだやっている。

 

図5. 富士山、江ノ島、手を上げている人を頂点とする鋭角三角形。といってそれがどうしたんだい。

 

 ミニ旅初日の午後はキッテ(元東京中央郵便局)で打ち合わせだった。夜の会食会まで少し時間があるから、夕方東京駅から東海道線の電車に乗って湘南海岸へでかけた。しかし実際に出かけてみると、事前にあれをとりたい、これはこう撮りたいといった、あれこれとイメージを膨らませていたのとは裏腹に、レンズを向けたい被写体がないシーズンオフの様相が色濃かった。まあ撮影なんてそんなもんなのだけどさ。

 湘南海岸は、かって随分とサーファーと波を撮影しに出かけた。このブログでは、2008年8月18日とか2008年5月18日をはじめとして多数撮影している。それにこのブログでも湘南海岸というカテゴリーを設けている。さらにお姉ちゃん達のボディも撮っているけど。

 だがまだ水温が低いのか、サーファーがいない。やはり9月の台風通過後に一番よい波が来るので撮影に来たいけど、ここには友人がいないから撮影以外に目的がない。つまりこの土地に縁がない片思いの場所だ。

 帰路江ノ電稲村ヶ崎駅で、カメラを趣味にしている叔母半と立ち話をしつつ画像のみせっこをしていた。叔母半は由比ヶ浜で下りていったけど、あら鎌倉行きの江ノ電に乗っちまった。横須賀線は東京まで時間がかかるんだ。

 夜は、東京・神楽坂5丁目のCASA UOKINでイタリアン風魚料理だった。昔の魚屋「魚金」。まあリーズナブルで美味しかったけどさ。さて文京区の宿で今日は時間を無視して心ゆくまで休もう。

 さて昨日の京都は、最高:最低気温が8°:1°と冬に近かった。もちろん肌寒い日なのだが、あの冬のようなゾクゾクとする寒さに厚着で対抗するのとは少し違うようだ。つまり底冷えがしないのだ。それに今日からまた気温が上がる予報だ。そうなると冬の寒さが懐かしい。まあ人間なんて勝手なモノなのだが。

 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6L IS USM

ISO1600,焦点距離105mm,露出補正0,f/5,1/13

ISO1600,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f/14,1/13

ISO1600,焦点距離60mm,露出補正0,f/4.5,1/40

ISO1600,焦点距離300mm,露出補正0,f/5.6,1/30

ISO1600,焦点距離70mm,露出補正0,f/5,1/40 

 

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番外編357. 湘南4. 固有の空気

2018年05月15日 | Shonan coast

 さて湘南海岸の河岸段丘上の住宅街の徘徊も、午後の気だるい光が漂う。池田満寿夫のエーゲ海に捧ぐという小説を思い出す。その中で記憶にあるのが・・・、アニタの足が見えている・・・、多分白く古いホテルのベランダから遠くにエーゲ海の集落が見え、情事にふけっていた情景なのだろう。

 ここは湘南だからエーゲ海よりはるかに湿度は高くジワッとしている。だから・・、情事の後の汗がまだひかない、海から塩気のある空気が肌にまとわりついてくる、強い日差しで二人の体液の残渣が肌の上で固まっている・・・、そんな記述になるのか。

 こういう湘南の空気をにじませているのが、石原慎太郎の「太陽の季節」、映画でいえば藤田敏八「八月のぬれた砂」か。どちらも乱暴なセックスなのだ。それが私が理解している湘南の空気だろう。

 そして少しインテリジェンスなストーリーで語られたのが、後のユーミンだったのではないか。彼女の実家の八王子から茅ヶ崎へは、米軍の基地を抜けて相模線が走っているし、この路線名は彼女の歌詞にも登場する。

 そういえば、相鉄線の沿線に棲むAKIという湘南の女がいたことを思い出した。海老名で小田急線に乗り換えて湘南海岸へ出かけていた。十代最後のスレンダーで綺麗なボディをみせてくれたし、それが二十歳をすぎてつまんない女の体になると私の前から消えていった。そんなことがあったから湘南という固有の空気に好感をもっていたんだろう。

 

2003年、神奈川県藤沢市、LEICA M4-P、TELE ELMARIT90mm/F2.8、ブラスX

 
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番外編356. 湘南3. 散歩がてら・・・

2018年05月14日 | Shonan coast

 大学時代の体育の授業で、ヨットをとるかウィンドサーフィンをとるかの選択肢があった。波のない霞ヶ浦でサーフィンはないだろうと思いヨットを選択したのだが、今にして思えばサーフィンをとったおけばよかったと少し後悔している。そんな後悔もあって湘南海岸には、散歩がてらEOSを担いでサーフィンの画像を随分撮りに出かけた。ブログの湘南海岸のカテゴリーには、そんな画像をアップさせている。

 夏の湘南海岸の散策も午後6時を回れば暗くなりはじめる。サーファー達もいなくなり、波も低くなってくる。さていつものコースで帰るか。いつものコースというのは、鎌倉高校前から海岸を歩いて途中のファーストフードでお茶をして2駅先の稲村ヶ崎へ行くのだが、それで少し夕陽の残りを味わい、お決まりの路地から稲村ヶ崎の駅に向かう頃には、すっかり暗くなっている。サーファーを撮影したEOSが肩に食い込む。

 そのファーストフードも、今はドライブインになってしまった。Googleでみると、ガッツリ食事もできるようだ。少し格が上がったのだろうか。これだけサーファー達がやってくるのに、お茶するところがここだけというのが寂しい限りだ。だだそんな不満は聞かれず、多分仕事に戻ったり、行きつけの店に出かけたりして湘南の夜の時間が始まるのだろう。

 そんな湘南のライフスタイルは、私にとってうらやましいモノがある。だから棲むなら生活が便利な藤沢市だろうと思っていた。

 稲村ヶ崎から東は鎌倉市だが、私にいわせれば鎌倉は大変住みにくいし魅力がない。それは商業もすくなく利便性が悪いし、それに狭隘な土地に住宅が密集し地価が高く固定資産税も高いだけ。環境はよくても街が地味でつまらないので鎌倉で降りたことはないし、大体は通過して行く。

 湘南へ移り住む人達は、釣りをしたいとかサーフィンをしたいとか、余暇目的があって移り住んでくる。それが藤沢市や茅ヶ崎市などであろう。

 茅ヶ崎も結構良い街であり、東京まで1時間と立派に通勤圏内。その先は小田原か。ここまでくると新幹線通勤で東京までの通勤時間は35分。そうであれば湯河原とか伊東なども候補に上がってくる。東海道新幹線の各駅停車は三島駅が始発だ。だから、このあたりから、東京へ通う人たちが多いのだろう。

 そんな湘南のライフスタイルが少しうらやましいなと思いながら京都市内に住んでいる。

 

1997年神奈川県鎌倉市稲村ガ崎、ニコンF4、35-70mm/F2.8,トライX

 

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番外編355. 湘南2. あぶなかったぜ・・・

2018年05月13日 | Shonan coast

 足指骨折もテービングが外れたので、ようやく来週からスポーツができるだろうか。まあ医者の判断次第。

 そんなわけで時間もあるのでブログを書きためてしまった。2週間分書きためても、後で予約投稿を読み返して全文書き直すこともある。そもそもあまり外出せず、道楽もどきで時間をつぶしているのだから、思考の範囲が大いに縮まってくる。そんな状況下でブログを書いているのだから、時には時代からズレていることを平然と書いていたりする。

 多分そのことに気がつかないと、ズレたままボケてゆくのだろうか。多くの老人達は次第に周囲とズレながら我が道を行くという頑固な確信をもちながら回りの世界が見えなくなり、おおいに軌道から外れて行き、そのまま老人達のブラックホールに吸い込まれてゆくのか。あやうくこちらもそんな状況になるところだった。

 昨日の喫茶店の会話を書いていて思い出したのだが、今時そんなクラシックな解析方法で科学技術立国はできないよ(笑:修正したけど)。精々少しはましな茶飲み話ぐらいだ。なにしろその解析方法は、私が大学院の時に勉強した方法なのだから何を勘違いしたのか。

 足指の骨折は軽傷だったのだが、あまり歩かないし、スポーツは御法度だったことは事実だった。だが歳をとって、歩かない、運動しないは、思考力が低下し老人達のように軌道を外れて行く事を予感した。そして回りの世界を全然見ていないじゃないかということに気がついた。危なかったぜ。そのことの方が骨折以上にダメージが大きかった。

 そんにわけで、今日は全文書き直し。

 

2003年、神奈川県藤沢市、LEICA M4-P、TELE ELMARIT90mm/F2.8、ブラスX

 

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番外編354. 湘南 喫茶店の会話で・・・

2018年05月12日 | Shonan coast

 江ノ電鎌倉高校前駅から海とは逆に坂道を上がったところに住宅街があり、少しだけ徘徊した。しかしここは、やはりサーファー達と夕方の海を撮影する方が面白い。ほどなく望遠レンズを担いで海岸へ向かっていた。そんな湘南番外編画像を4回続けよう。

 話題は変わるが、ランダムに、例えば喫茶店でリタイアメント達の会話から・・・

「N先生のレフリー論文を読んだけど、あの数量化三類の累積寄与率が低いのに論文にしているよ!、よく査読に通ったねぇー!!」

「三類はもともと寄与率が低くでるときがあるんだよ、まあ筆の力で逃げ切ったんでは、N先生はマーケティングが専門だから大づかみでわかればいいという人でしょう・・・」

 そんな会話が聞こえてきたら日本もまあそこそこなのだけど、実際は大学を卒業しても査読論文って何!?、関わらないので知らない人達が多い。そういう人達が、小保方騒動が起きると口を揃えて炎上の狼煙をあげるという、さらにわからないことがおきる。

 そんなことを思い出すと、スタバから珈琲が大量に消防士や警察官に届くアメリカと、昼夜勤務続きの消防士が缶コーヒーをのんだだけで119番へクレームをつける日本との違いは何か?、というところに関心がゆく。

 でっ、そんな国家で何が悪い!、そんな開き直りが遠くから聞こえそうだ。そうなると日本の国際評価が下がるのだよ。いまAAAクラスに戻ったのかなぁー!?。

 財務省の国際収支速報(毎日新聞2018年5月10日夕刊8面)によれば、海外子会社から得る配当金などが増加したことなどを含め総額21兆7362億円の黒字とあった。国家予算の1/5は海外からの収益になっている。つまり海外経済が好調だったということで、そうであれば国内投資家は、国内で投資されるはずの資金が、海外へと流出していくわけだ。ふぅーーんと記事を読んでいた。

・・・

 さて、今日はそのXA4で撮影した湘南海岸の画像だ。当然写りは大変よかったのだった。

 

1997年鎌倉高校前,オリンパスXA4,トライX

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番外編293. 薄暮

2017年07月04日 | Shonan coast

 朝は、蒸し暑く曇天であり午後から雨模様。周りが台風が来ているというので気象庁の天気図をみたら、小型の熱帯低気圧クラスではないですか。そんなもので飛行機や新幹線は止まらないし、私の生活が変わるわけではない。関東へ進む頃には熱帯低気圧に変わるだろう。その余波か京都は一時激しく雨がふり蒸し暑いことしきり。夕方には西の空が明るくなっているから、既に台風はいってしまった。

 だが台風は、本土の南側を通過してゆくので午後から湘南海岸には波が来るからサーファー達も飛び出してくるだろうと予測し、以前の私ならば横浜から15時台の湘南電車で藤沢に行き、16時過ぎには鎌倉高校前の海岸に三脚をたてキャノンEF100-400mmのレンズをのぞいていただろう。それから1時間半ほど撮影し、西の空をみながら七里ヶ浜のファーストフードで珈琲を飲む時間はワンパターンのマンネリもよいところであったのだが今も思い出す。ライブ画像で湘南海岸をみたら、波の間隔の狭い早い波だ。こりゃあかんか。京都市は海に無縁だから海が懐かしい。

 gooの復旧工事の投稿制限がなくなるのが今は夜中のなので体のリズムが狂っている。さて仕事をしていたら突然血糖値ダウン状態。甘い物、近所の和菓子屋でどら焼きか・・・ああっ!、もう閉まっている、セブンイレブンに駆け込みシュークリームを店頭でかじる。これ甘すぎず旨いではないか。ようやくダウン状態から脱した。今日は実につまらないことしか話題がない。

 湘南海岸の夕方の画像でも。眼をこらすとカップルが抱き合っている。幸せな薄暮の時間なのだろう。

 

鎌倉市七里ヶ浜

EOS40D,EF100-400mm

 

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EOSな日109. 座り心地

2017年06月04日 | Shonan coast
 iWebから移動してくると、どこか座り心地が悪いgooの画面である。原稿用紙に向かって書くという感覚ではない。それにすべてに公開という気分もうっととおしい。iWebだったらMacユーザーぐらいしかみなかったのだから好き勝手に書けるようなところがあった。それはまさに論文を書いたりするときの感覚に似ていた。目下座り心地の悪い紙面で原稿を書いている。座り心地は悪いが、それ以外はまあ快適だ。しかしFBにどうやってつながってんだろう。FBを開いても私のブログのリンクはないですが。なにか設定があったのだろうか。そのうちにわかるだろうと思っている。
 予約投稿は、まとめ書きには調度よい。私など3日ぐらい書きためていることがあるし、予約投稿をつかってアップできるのも便利だ。旅に出ているときには、日本にいるかのように投稿できるし、旅先からスマホでアップさせることもできるだろう。だが旅先でブログは書きたくないですけどね。だって旅先は忙しいのだよ。
 目下の悩みはURLでブログが表示できない。ほんとにWEB上にあるのだろうか。これもそのうち解決するのだろう。
 もうひとつ私にとって無意味なのがジャンルだ。雑誌ではないのだから読者におもねってジャンルを書く気分ではない。そんなのどうだっていいだろう。あえて言えば、アート&デザイン分野の人間の意識で書いているから、ジャンルは一つでよいか。それに私のブログは、画像とテキストとが一致していないことのほうが多い。というのもテキストを書くための気分向上に画像を使用しているわけだから、画像とテキストの一致なんて私には関心がない。たくさん書かされた論文や雑誌の原稿じゃないのだから、そこは適当に書いている。だからブログなのである。
 
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EOSな日108. テストラン

2017年06月03日 | Shonan coast
 1週間ほど休んでいたブログを再開した。それに8日分のブログがなくなっていた。タイムマシンの記録の狭間にあったようだ。まあそれは書いたものとして、引き続きブログを書いてゆこうか。
 この前まで作成した10年分のブログはすべてiWebで作成したものだったが、Win系PCでは編集が崩れたりデータが重くなるなどの課題もあった。プロバイダーの契約が終了するのを契機として、gooでブログを書き続けようかなと考えている。まだテストランだが。いまではもっと先駆的なブログもあるが、gooは基本的な長く続いているし、私のように10年間書き続ける人間にとっては、まあ調度よいのではないかと考えている。
 Win系特有の操作環境は編集画面ではないため実にそっけなく、今ひとつ執筆意欲の向上に貢献はしないが、私のブログの編集やFBにアップさせるなど類似しているので試みに使ってみようかと考えた。
 iWebではアップ画面そのものを編集しているので、それはIndesignを使っているのと同様の感覚であり大変使いやすかった。私はパソコンマニアのようにオペーレーション志向ではなく、コンテンツ志向なので執筆以外の手間はとりたくない。もちろんHTML言語をつかってというのであれば、手元のMacにはいっているDreamweaverを使えばよいのだが、まあオペレーションが面倒くさい。
 すこしテストランのつもりでgooでブログを書こうかと思う。

鎌倉市稲村ガ崎
2008年8月1日
EOS Kiss Digital,EF macro60mm,f2.8
ISO400,露出補正60mm,f/5.0,1/200

 
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EOSな日107. iWeb時代の最後のブログ

2017年05月28日 | Shonan coast

 多分この画像が10年続いたiWeb時代の最後のブログのラストだったと思われる。調度サーバーの契約更新時期だったこともあり、その後iWebソフト自体をバージョンアップさせサーバーにアップすることはできたがWEBとして使えない。だからこれまでだましだまし使ってきたiWebもお終いにしようと考えた。そこでgooに乗り換えたわけだ。

 つまり私の場合、乗り換える時期があまりに遅かったというべきだろう。やはり使い慣れると変えたくないという気分の方が強いのである。だが実際にブログを見ている側は、時に編集が崩れといった具合に、みにくかったのだろう。どこか一人勝手にだらだらと続けてしまったようにも思われ反省はしている。それにgooのほうが圧倒的に契約料が安い。もっと早く乗り換えればよかった。

 そして、乗り換えるときに最後の一週間のブログだけ保存し忘れた。だからここだけ永久に何を書いたかわからないから、復元もできない。ただし画像だけはナンバリングして残っていた。だから画像をたよりに一週間分を再度執筆しなおした。多分このブログでお終いにしますというアナウンスだけはしたのだろう。FBとリンクしていたので、それは大きなことできなかったかもしれないが、私のブログだけを読んでくれた人は、文字通りそれで最後になっただろう。

(テキストデータ紛失のため再執筆)

 

EOS40D,EF100-400mm 

 

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EOSな日106. メカマニア

2017年05月27日 | Shonan coast

 女の子の台詞で「私にもカメラの使い方を教えて!」

 そこで男の子は「こうしてレンズを回して距離をあわてせ・・・・」といった具合に手取り足取りで丁寧に解説する。

女の子の頭の中では「なんか前にとがったものを握ってぐるぐる回すのなんてグロテスクよねー」、とか「複雑で面倒くさいわ」とか「重たいのね」とか、つまり否定的な気分しか発生しない。つまり教え甲斐がないわけだ。だから女にカメラの使い方を教えてもしょうがないのだ。自分で勉強してよというのが正解。

 そのうちスマホが登場して、露出もピントを合わせることも、そして使い方もいらないカメラが大ヒットする。それに結構よく写る。当然女の子は、こういうのが欲しかったといわんばかりに魚が水を得たように飛びつく。結局世界で一番売れるカメラがiPhoneだったりすることになる。

 実際自分で勉強する女の子も当然いるけど、それはプロの写真家を目指そうといった具合に目的をもった場合の女の子であり、大半はスマホカメラで十分なのだ。実際ヨーロッパに遊びに出かけ、スマホしかもってゆかなかったという女子学生もいた。なんとも合理的な発想だなと私は思った。

 まあ男と女では、メカに対する考え方が全然違うのだよ。それは多分小さいときからの生活環境だろうと思われる。女の子でも小さいときから機械を分解させたり組み立てたり、暴発させていれば、男の子なみのメカマニアになるだろう。

(テキストデータ紛失のため再執筆)

 

鎌倉市七里ヶ浜

EOS40D,EF100-400mm

 

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EOSな日105. 親ばか

2017年05月26日 | Shonan coast

 ワーゲンか・・・海岸通りはオープンで走れば気持ちがよいだろうと思う。ただしこの道はいつも渋滞気味なのだ。

 ワーゲンも昔のスタイルを復活させた車種は、どこかヒットラーのデザインを想起させてチンキで嫌いなのだが、ゴルフのオープンカーはヨーロッパ車の空気を感じさせてくれる。当初のゴルフはジョルジェット・ジュージアーロのデザインだから、直線的でもボディをなでると随分丸いのだなと思った。そのあたりがジュージアーロ的ではある。もちろんこのゴルフは今とは随分スタイリングが違うのだが、ジュージアーロの感性が冴えている。

 大学時代私は建築を勉強したが、隣の部屋はプロダクトデザインの部屋だった。スチール系はむかしからなじみがないので、やはり建築でよかったか。車はスチール系というよりはいまではアルミ系の世界だし、わてのプリウスなんかフラモデルじゃないかと思うこともある。つまりプラ系・・・。

 人間の才能というのは、小さいときの刷り込みが貢献しているのではなかろうかと思われることもある。やはり小さいときから分解したり組み立てたりするのが好きで、ときには暴発させて周りを脅かせるぐらいのことをするぐらいの危ない子供でないと、車のデザイナーやエンジニアはつとまらんだろうなと思う。そうしたテイストというのは、父親や母親的世界観からいかに脱出するかという独立的精神によって成長する。 

 よく親子科学教室なんていうイベントで親子で工作してる光景をテレビで放映しているが、あれほどばからしいものはない。私も美術館の企画で針穴写真の講座を受講し、最初の講座だけ親子がやってくるのだが、親の子供をみる目つきが異常だったな。親子で社会に出てくるとうちの子はすごいでしょうといわんばかりの目つきだった。やはり親ばかという言葉があるんだと思った。実をいうと、そういう親とさっさと決別して自分の世界を作れる才能こそが、後のデザイナーやエンジニアを育てるんだけど。

 もちろんこれは小学生ぐらいの話である。それが高校をすぎてやると単なる暴走族だけど。

(テキストデータ紛失のため再執筆)

 

鎌倉市鎌倉高校前

EOS40D,EF100-400mm

 

 

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EOSな日104. 体型

2017年05月25日 | Shonan coast

 海岸に望遠レンズを持って行けば、こんな光景は簡単に撮れる。といってそのなにがおもしろいのかといわれれば、特にない。さらには痴漢呼ばわりされるのが最近の傾向である。触っていないのだから痴漢ではなく視漢というべきか。レンズに撮らされているといってもよいだろう。もう男だまして早く嫁に行け!、と心で念じている。

 というのも20代のギャル、でも体型はずんどうであり、しっかり叔母はんを目指している。だって腰がくびれていないですもんとこちらは余計な観察をしてしまう。まあ体型が良いのは二十歳までね。それ以降は鍛えないと格好良くはならない。

 もし鍛えているとそりゃもう体型は格好よいですよ。人間のボディも鍛えないとみられないということかもしれない。ギリシャ彫刻はそうした理想型を表現している。クロッキーでは体系的に特徴があるモデルさんがくるけど、そうでないと人間の体型ってけっこう醜いのだよ。駅のキオスクの週刊誌のタイトルを流し読みにしていると、衝撃のヌード!!!、といったたぐいの言葉が多いが、その醜いのを脱がして何が面白いかな。

(テキスト未保存のため再執筆)

 

藤沢市江ノ島海岸

EOS40D,EF100-400mm

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EOSな日103. アウトドアの志向性

2017年05月24日 | Shonan coast

 夏になったらそのまま海に飛び込みたいと思う気持ちは誰にでもある。ならばそのまま入ってしまった。「うわーっ!気持ちいい」そうでしょう。それは正解だと思う。お姉ちゃんの後ろから大きな波がきているんだけどね。ずぶ濡れになっても洋服なんてすぐ乾くし、ええんちゃうの。それが海岸のスタイルだろう。

 アウトドアの志向性は、海派、山派と二つに分かれる。どちらもそれなりの面白さがあるけど、いまの私ならやはり海派だろう。

 というのも山はすべて自己責任ですというところが恐ろしい。登山路で急峻な崖が現れても上るしかない。こわい絶壁路も渡るしかない。そうしないと山小屋にはたどり着けないこともある。たどり着けなければ帰るほかない。なにしろ危険が誰にでも平等に訪れるというわけだ。怖い思いをして経験することを繰り返しながらアルピニストになるのだろう。すべて個人の責任で上達してゆくというところが、怖いですね。なんか山男って根性が根暗なんだよ。

 そんな思いをするぐらいなら飛行機を使えば、エベレストの頂上にも立てるということを考えた輩がいた。実際にたったかどうかはわからないが、苦労して頂上にたどり着いたら、コマーシャルのロゴが入ったヘリが頂上にいたでは少ししらけるのではなかろうか。

 それに引き替え海はチームワークの装備が必要である。ヘリだってこれない。チームワークでなければ酸素タンク一つ届かないからね。エアがなきゃ潜れないでしょう。

(テキスト未保存のため再執筆)

 

EOS40D,EF100-400mm

 

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EOSな日100. 文科系事務屋

2017年05月11日 | Shonan coast
  さてEOSな日シリーズの100回目の画像はどれにしようかと考えたが、やはりこれだろう。
 台風が来ているときの湘南海岸は、どんなだろうと思っていたら簡単にその機会が巡ってきた。台風は沖合を通過していったので幸いにも湘南へのロードは機能していた。海岸に着くと5mを超えドドッと崩れる音がする波は迫力がある。とはいいつつも海岸を犬をつれた主婦が散歩していたけど。
 話題は変わるがYouTubeでNHK特集の福島第一原発(F1)のいくつかのドキュメンタリーをみていた。いかにも技術者集団の現場と管理者組織の相克が露呈したなと思った。
 その管理者的組織というのが、まさに文科系事務屋がつくったピラミッド型組織である。だから専門技術者同士が横に直接情報の連携ができない組織となり、下からあげた意見が上で咀嚼されて他の下部へ情報が加工されて伝わるとする現象を構造的に持っている。つまり情報の共有が行われてない。
 そうしたピラミッド型組織は、実はわが京都市の町内会の組織と同じである。一つの町内会が複数あつまってグルーブをつくり、いくつかのグループが集まって一つの学区コミュニティをつくり、それが複数学区集まって一つの区を形成し、そして区の数だけそうした組織が存在して京都の街をつくるといった案配である。当然上から下へと情報が伝達されるというなんとも事務屋的組織である。まあ京都の街は昔からこれで回っているのでそうで、これでええのだろうが、科学技術の最先端がそれでいいかというのとは話が違うだろう。科学技術の最先端であれば、ネットワーク型の組織で情報共有が同時に進められる方がベターである。
 さらにいえば管理者あるいは事務屋はマニュアルがお好きである。マニュアルはこれが想定外の事には対応できないという宿命を当然持っている。
 それよりは情報開示だろう。理工学系の知識があれば、情報の中から最適解を得るヒント、あるいは新しい数式を発見するだろう。実は未知の出来事には、こちらも未知の数式を組み立てるほかないと思われる。そんな新しい最適解を発想するという環境は文科系的頭ではできないことである。
 現在科学技術の場面で現場の専門家がかろうじてコントロールできているのは、医学の世界だけだろうと思われる。科学技術が高度に専門化してゆく社会は、科学技術の専門家でありつつ事務的知識があるというのが今の社会で求められる姿であろう。その理工学系技術者が一端管理職につくと人種でもかわるように意識が変わり文科系的事務屋的発想をするのが恐ろしいし、科学技術の知識があるだけに余計な評論家を多数発生させることになる。
 私も経験したが、事務屋というのは現場が全くわかっていない。いちいち反論するのも時間がかかるので、適当に相づちをうってやり過ごす。それで彼らの世界が静かに動くというのは不思議な事だと思っている。なんだろう文科系事務屋というのは!?。

鎌倉市コジキ浜
2005年9月5日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,露出補正-1/3,f/9,1/800
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EOSな日99. ラブリー

2017年05月10日 | Shonan coast
 「君!、なんか元気ないよ!・・・」、男の気分としては「夕べはやりすぎて体力ないですぅー!・・・」という平和な会話がもろに聞こえそうだ。
 このお姉ちゃんは骨盤がでかいためか色っぽさを感じさせてくれるボディだ。だが色白でふくらはぎがモチモチしているあたりから察すると全然スポーツをしないタイプだな。やはり筋力は少し鍛えた方が格好よいのだが。もう10年前の画像だから今ではどうなっているかということのほうが興味深いけど。
 さて人間のコミュニケーションの属性を示す上位概念は、フレンドリーとラブリーしかなかったのだろうか。それ以外だと敵対する言葉しかみあたらない。
 そんなカップルにみとれて道草をしている場合ではなかった。この日はよい波がきているので、いつもの撮影スポットに急いだことが続きのストック画像でわかる。
 今日は、こんなブログを書きながらYou Tubeでサーフィンの画像を見つつ、私が若い頃にやっとけばよかったと後悔するが既に遅い。
 さて京都の家の窓を全開にしたので町屋の中をとおり抜ける風は、眼をつぶって想像すれば海の風のようにも感じられる。京都で海を感じている。鼻風邪がなおりきらないで沖縄のダイビングも少し躊躇している。躊躇している間に沖縄は梅雨になる。

藤沢市江ノ島海岸
2008年8月13日
EOS40D、EF100-400mm
ISO160,焦点距離400mm,露出補正0,f/7.1,1/40
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