中国では街の地名の後に城市、鎮をつける。日本の市、町という意味である。今回は、大理古城から 洱海(じかい)に沿って北上した喜洲鎮をとりあげる。ここは田舎町と呼ぶのに相応しいぐらいの規模である。
大理の民居は、壁に白漆喰を用いておりが、実際に大理古城を歩くと、瓦屋根に白い街並みが続く。個々の民居の、空間構成をみると、周囲を壁とし内部に中庭を設けている。この中庭に面して母屋を配置しており、母屋の数で三合院、四合院といった呼び方をしている。母屋の壁はそのまま外壁となっており合理的である。現代住宅いうところのいわゆるコートハウスであり、おおよそ中国全土に定着している建築様式である。従って民居への入り口は、小さく主に外敵に対する防御といった設え方が伺える。他方中庭では、収穫作物の乾燥や加工、或いは家畜を飼育すると言った生業の場として利用されていると同時に、日々の暮らしの場でもある。
こうした中国民居のデザインを調査していると、生け垣などの軟弱な壁で囲われた日本の民居が、実に開放的であることに気づかされる。それは高温多湿といった風土の影響なのだろう。日本建築概念の1つに「結界」という言葉がある。結界とは、町屋の帳場のように、踏み込もうと思えば誰でも踏み込める程度のきわめて弱い物理的な境界を設け、利用に於いて特定の人しか踏み込めないなどの意味的境界でありデザインとしている。こうした曖昧さに比べれば、中国民居のデザインは、明確に内と外とが仕切られている。しかし内にはいると、中庭と母屋とがシームレスにつながった空間として利用されている。今日我が国に於いて、中国民居に関する調査研究成果も随分蓄積されており、論文も数多い。
ところで、安藤忠雄氏の初期作品「住吉の長屋」は、中庭を介して2つの母屋を配置しているのだから、中国民居様式になぞらえれば、二合院である。以後彼の作品には、外界と壁で遮断し、内部に建築オリエンテッドな空間を実現した作品が多い。外の世界をどのように認識するかによって、建築デザインが変わってくる。中国民居も一連の安藤作品も、外界に対する凛とした認識が漂っている。そうした認識の強さが建築デザインに反映されている。
こうした建築を見ていると、昨今のまちづくりの現場で言われている、建築を街に対して開こうとか、開放的な建築緑化をつうじて街に貢献しようといった、甘っちょろい認識とは、一線を画している。街に対して開けば、望まれないお客さんもやって来ますよ!、どうするんですか?
望まない要素に対しては、門戸を閉ざす!中国民居には、そういう明快な認識が、建築デザインに反映されている。私達の外の世界に対する認識を問いただしてくる厳しさに、建築デザインの面白さがある。
1999年8月撮影.
EOS3,F3.5-5.6/EF28-135mm,コダクロームⅡ.
大理の民居は、壁に白漆喰を用いておりが、実際に大理古城を歩くと、瓦屋根に白い街並みが続く。個々の民居の、空間構成をみると、周囲を壁とし内部に中庭を設けている。この中庭に面して母屋を配置しており、母屋の数で三合院、四合院といった呼び方をしている。母屋の壁はそのまま外壁となっており合理的である。現代住宅いうところのいわゆるコートハウスであり、おおよそ中国全土に定着している建築様式である。従って民居への入り口は、小さく主に外敵に対する防御といった設え方が伺える。他方中庭では、収穫作物の乾燥や加工、或いは家畜を飼育すると言った生業の場として利用されていると同時に、日々の暮らしの場でもある。
こうした中国民居のデザインを調査していると、生け垣などの軟弱な壁で囲われた日本の民居が、実に開放的であることに気づかされる。それは高温多湿といった風土の影響なのだろう。日本建築概念の1つに「結界」という言葉がある。結界とは、町屋の帳場のように、踏み込もうと思えば誰でも踏み込める程度のきわめて弱い物理的な境界を設け、利用に於いて特定の人しか踏み込めないなどの意味的境界でありデザインとしている。こうした曖昧さに比べれば、中国民居のデザインは、明確に内と外とが仕切られている。しかし内にはいると、中庭と母屋とがシームレスにつながった空間として利用されている。今日我が国に於いて、中国民居に関する調査研究成果も随分蓄積されており、論文も数多い。
ところで、安藤忠雄氏の初期作品「住吉の長屋」は、中庭を介して2つの母屋を配置しているのだから、中国民居様式になぞらえれば、二合院である。以後彼の作品には、外界と壁で遮断し、内部に建築オリエンテッドな空間を実現した作品が多い。外の世界をどのように認識するかによって、建築デザインが変わってくる。中国民居も一連の安藤作品も、外界に対する凛とした認識が漂っている。そうした認識の強さが建築デザインに反映されている。
こうした建築を見ていると、昨今のまちづくりの現場で言われている、建築を街に対して開こうとか、開放的な建築緑化をつうじて街に貢献しようといった、甘っちょろい認識とは、一線を画している。街に対して開けば、望まれないお客さんもやって来ますよ!、どうするんですか?
望まない要素に対しては、門戸を閉ざす!中国民居には、そういう明快な認識が、建築デザインに反映されている。私達の外の世界に対する認識を問いただしてくる厳しさに、建築デザインの面白さがある。
1999年8月撮影.
EOS3,F3.5-5.6/EF28-135mm,コダクロームⅡ.