Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都暮らし296. 奈良市写真美術館

2010年04月28日 | Kyoto city
 新薬師寺の裏にある、入江泰𠮷記念奈良市写真美術館にでかけた。奈良の風景や仏像を撮影した入江泰𠮷の全作品8万点の寄贈を受けて1992年に開館されたものである。
 建築設計は黒川紀章である。周囲の風景に合わせて、建物の高さを低く抑えてある。
 私が出向いた頃は、調度学芸員の解説付きで写真をみることがではたのは幸運だった。こうした美術館の展示品は、解説やガイド付きの携帯案内がないと、ただ、「古いですのぅー!」で終わってしまうからだ。展示品というのは、まさに意味の世界だからだろう。
 入江泰𠮷の今回の展示は、平城京遷都1300年を意識したものだろう。戦後から現代に至るあおによし奈良の都が綺麗なプリントで展示されていた。
 最後に入江泰𠮷が使用した機材が展示されていた。リンホフ4×5というのは私も知っていたが、レンズはニッコールとフジノンであった。その他にハッセルブラッド2000FC/MとライカM3が展示されていた。さすが巨匠の撮影機材は、迷うことなく優れものを選んでいるなと思った。

奈良市,奈良写真美術館,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/160,絞りf11,露出補正1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし295. 天平の空気

2010年04月27日 | Kyoto city
 世界遺産春日大社の二之鳥居から、高畑あたりに棲む神官達が社殿に通った中の祢宜道を歩いていった。馬酔木やイチガイシなどの巨木が茂る静かな道である。
 ここを抜けて、土塀が崩れた住宅地の細い道をゆくと新薬師寺がある。簡素な寺であるが、キクモモ越しに本堂をみると、いにしえの都の気配を感じる。それはこの時代に共通する白壁と、軒の高いなだらかな勾配を持つ入母屋の建築様式ゆえかも知れない。
 新薬師寺で著名なのは、天平時代の代表的な仏像である十二神将立像だ。私もデッサンを勉強していたときに、レリーフの題材にしたことがあるのでよく覚えている。この仏像は、レリーフにするのには、少し難しかったという記憶がある。それ以上に入江泰𠮷が撮影したこの伐折羅大将の写真があまりにも有名だ。拝観チケットにもこの写真が使われている。
 創建当時、七堂伽藍という大寺院も、西暦780年の落雷で大方を消失し、本堂だけを残しながら現在に至っている。それでも、十分に天平時代の空気を今に感じさせてくれる。

奈良市,新薬師寺,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/200,絞りf8,露出補正1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし294. 神様のルーツ

2010年04月26日 | Kyoto city
 長い参道を歩いてようやく春日大社にたどりつくと、やはりここは日本だと思わせる静謐な環境である。もちろん訪問者は多いし、それに結婚式までやっているではないか。静謐とはいいながら、どこか華やかさがあり、私は、やはり日本の神様は賑やかなことが好きなんだと思っている。
 農本社会では、子供の多さが農作業の労働力に比例したし、そして稲や穀物の出来高にも影響を与えた。だから、日本の神様は五穀豊穣子孫繁栄が基本精神なのである。当然結婚式なんか神様の喜ぶところである。まあ、誰の子でもいいから、さっさと子宝に恵まれ子孫を増やし、農作業に励み、たくさんのお米とお酒を供えておくれというのが、神様の本心なのだろう。つまり日本の神様は、ネアカなのであろう。
 先日、そんな春日大社の催事の番組をNHKの衛星放送で2時間半も放映していた。私は、当然途中から寝てしまったが。丹念にみると催事の好きな神様が多いのだろう。そういえば、春日大社の神様は、常陸の国、鹿島神宮からやってこられたと、神社の縁起に書いてあった。つまり陽いずる東の海の方から神様がやってきたわけだ。
 自然神をいだく日本の神様のルーツとしては、それは当然のことなのかも知れない。いずれ日本書紀でも読んでみようと思っている。

奈良市,春日大社,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,露出補正1/3,ISO320,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし293. 長い春日大社の参道

2010年04月25日 | Kyoto city
 奈良の散歩の時は、自動車運転用にしつらえた度の強い眼鏡をかけていたので、気合いを入れてじっくりピントを合わせると、難儀なS5のファインダーでも、ようやくプラナーのシャープさが出たようだ。それにしても軟弱なS5のファィンダーとシビアなピントを要求されるプラナーという相反する組み合わせを使いこなすには、オートフォーカスに慣れた眼にとっては、今少し練習を必要とするようだ。
 同じ種類の二台のボディに広角と望遠レンズをつけた組み合わせは、重ささえ克服できれば使い勝手が良い。同じ種類のボディ二台がだから操作も同一で煩わしいことはない。各ボディの諸設定は、絞りを除けば全く同じである。
 こんな面倒なことをするならば、ズームレンズにすればという案もあるが、シャープさや背景のボケ方を比べれば、単焦点レンズの方がはるかに優れている。
 つまり画像の絵づくりに関わる部分で差があるので、簡単便利という機能には、おいそれとはのれない点でもある。そう考えると、撮影機材もデジタル化を除けば、あまり進化したようには思われない。
 そんなことを考えながら春日大社に通じる長い参道を、すこし気鬱な気分で歩いていた。歩き始めは、いつものことながら足が慣れていないので、気鬱になるなのだ。それは山に登るときでも同じである。

奈良市・三条通,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし292. S5の二刀流で奈良へ

2010年04月24日 | Kyoto city
 今日は、久しぶりの天気だったので、奈良まで散歩した。奈良はどこか田舎イメージが強く感じられ、また歩き疲れるので、でかける前は気鬱になるのだが、近鉄特急に乗ったら35分で到着した。
 奈良は少し肌寒く、時折雨も降ったが、それ以外は晴天だった。25mmのディスタゴンと100mmのマクロプラナーを、ようやく整った二丁のFuji FinepixS5に付けたので、大概のものはこれで撮影できる上に、なんとか持ち歩ける重さに納まっているようであり、この二刀流は正解だった。
 そういえば、今日から遷都1300年の催事が、竣工したばかりの大極殿で行われている。近鉄の車窓から、そんな風景が見られた。私は大極殿はパスして、今日は、春日大社から新薬師寺と写真美術館をまわり、白毫寺を目指そうというわけだ。
 初夏を思わせる青い空のもと、透き通った光の中を歩いていると、見慣れた観光地の風景も少し輝いて見えてくるところが不思議だ。

奈良市・三条通,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/570,絞りf4.露出補正1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし291. 編集という力

2010年04月23日 | Kyoto city
Consectetuer arcu ipsum ornare pellentesque vehicula, in vehicula diam, ornare magna erat felis wisi a risus. Justo fermentum id. Malesuada eleifend, tortor molestie, a fusce
a vel et. Mauris at suspendisse, neque aliquam faucibus adipiscing, vivamus in. Wisi mattis leo suscipit nec amet,
nisl fermentum tempor ac a, augue in eleifend in venenatis, cras sit id in vestibulum felis in, sed ligula. In sodales suspendisse mauris quam etiam erat, quia tellus convallis eros rhoncus diam orci, porta lectus esse adipiscing posuere et, nisl arcu vitae laoreet.
・・・・・
 この英文は、いつもブログのエントリー画面に登場する。 画像と合わせその部分のみを見ていると京都案内の洋書の編集デザインのように見えるところが面白い。だがこの英文はダミーである以上翻訳できない。
 最近某大学のインテリアのデザイン実習で、学生の感性に適うと思われるテキストと画像をWEBから各自がコピーして、コンセプトチャートをつくらせる練習を行わせている。それまで空間を図面で表現することを教わってきた学生が、この方法に戸惑いを見せているところが面白い。
 引用してきたテキストを前にして彼らは、「これは商品説明の文章だけど、こんなのどうすんの!?」と言って真面目にドツボに落ち込んでいる。若いくせに頭の固い連中だ。そこで私が、引用テキストからキーポイントになりそうな言葉だけを拾い集め、加筆と編集を繰り返し、それに画像を適宜添付すれば、最後には自分のオリジナルな提案ができるわけである。
 WEBから引用した元の文脈=テクストを破壊し、そのなかから気になる言葉だけを抽出してチャート上に編集すると、全く違うオリジナルに化けてしまうところに言葉の面白さがある。そう考えれば、言葉という情報の編集という仕事の重要さに気がつくだろう。
 私達の社会は、編集によって成立していると言って過言ではない。その典型がテレビ番組である。社会の中から視聴率が上がりそうなテーマに絞って編集して番組をつくるのであるから、当然断片的、主観的、偏向的、そして視聴者がわかりづらいことは必要があっても削除、といった番組となり、あわよくば、それによって世論を動かしたり、共感を得ようとしているわけだ。
 つまり嘘ではないが事実でもない、ひたすら視聴率向上を目的として編集された番組が、毎日湯水のように放映されている。従ってテレビ情報というのは、真面目に受け取らない方が身のためである。もちろんテレビに登場する人間達の言論は全て無視するに値する。どんな真面目なテレビ番組も、ゲームか娯楽と理解しておいた方が賢明である。
 さて、本日の画像であるが、これは八坂神社のうっそうとした森である、というのは全くの嘘で、この森の左右は、ビルが林立する賑やかな京都の繁華街である。編集操作を多様すると白を黒と言い換えられる恐ろしさがあるのだ。

京都市・八坂神社,2010年4月18日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/640,絞りf4.露出補正-1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし290. あうんの呼吸

2010年04月22日 | Kyoto city
 私は、風のように静かにお店に入ることが多いので、店員さんも気づかないことが多い。それは店の構造や店員さんの頭のトロさに由来するのだが、こちらから呼ばないと注文を取りに来ないこともあるし、あきれて店から出てしまうことだってある。特に東京や名古屋のこじゃれたレストランやチェーン店居酒屋には、そういうトロイ店が大変多い。
 例えばお店が空いていても重箱に押し詰むように1人掛けの席に座らされ、荷物は足下の籠にいれろという始末だ。食べ物を入れた荷物を床に置くというのは抵抗があるよね。またサンドイッチ一人分を頼んでも二人用のナプキンを持ってくることはないし、何回通ってもお客の顔を覚えない。もちろん店でパソコンなんか使うなといいだけである。だから、小さなWin系PCが開発されたのだろう。
 あるいはチェーン店居酒屋で、お酒を飲んでいる途中におにぎりを注文すると、味噌汁とお茶まで持ってきて、早く帰れと言わんばかりだ。そうした店員さんのとんでもない接遇態度を見ていると、お酒を飲んだことがないのだろうかと、私はなはだ疑問に思う。
 風のように静かにお店に入る私にとって、常に目が届いている優れたお店が京都にある。それがイノダ珈琲店である。
 イノダ珈琲店では、まずお客を見逃すということはない。そしてテーブルにつくと、すかさずお水を持って注文を取りに来る。何回か通えば、お客の顔をちゃんと覚えている。それにテーブルのコップの水が無くなりかけると、言わなくても新しい水を持ってきてくれる。二人で一つのサンドイッチを注文すれば、言わなくても二人分のフォークと手ふきとナプキンがテーブルに置かれている。そしてお店が空いているときは4人掛けのテーブルを進めてくれ、詰め込むことはしない。どんなに混んでいても必ず一つの椅子は、荷物置き用に使ってくださいと言ってくれる。パソコンを使っていれば、狭いでしょうといってテーブルをつけてくれる。
 イノダ珈琲店の接遇には、いつもあうんの呼吸が感じられていて好ましく思う。何時出かけても珈琲の味の良さと、毎週変わる綺麗な生花の鉢植えと共に、居心地の良さと満足度が高いお店だ。だから頻繁に行くことになる。従って何時もお客が多い。外で待っていても回転率が高いから、ほどなくお店に入れる。それが本来の繁盛するお店の姿だと思うけどな。

京都市・八坂神社,2010年4月17日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/450,絞りf4.ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし289. 歴史的実力

2010年04月21日 | Kyoto city
 昨日、今日と名古屋の仕事で忙殺されていた。ドッと疲れてようやく自宅に戻りブログにありついた。いつも出かけるときは前日の午前0時過ぎにブログをアップさせ、そして名古屋で一泊してから京都に戻り、午前0時前にアップさせると、日付が毎日続くのである。
 そんなに律儀にしなくても、日付は操作できるので、気にする必要はないのだが、やはり日記だから、なるだけその日のうちに書いておこうという気分だ。それに仕事を溜めると後々面倒だという気分もある。
 今日は、あと40分で日付が変わるという状況で書いているから、ネタなどあるわけじゃない。それでも書くという自己訓練みたいな意識があり、キーを叩いているわけである。それも湯上がりにビールを飲んで。それが私流のブログの書き方である。毎日続けようという意識は当然無いに等しい。
 ところで今日の画像にあげた八坂庚申堂は、見猿、聞か猿、言わ猿の三猿が祀られている。三猿は、日光東照宮のが一般には有名なのだが、実は京都の庚申堂のほうが歴史も古く、東照宮三猿の元になったものである。そのあたりの歴史的実力のあるところが、建都1200年の街・京都である。
 当然のことながら、茶湯、華道、枯山水庭園、和食、和菓子など、京都発の日本文化は圧倒的に多く数え切れない。これまでの日本文化の骨格を形成してきたといってよいだろう。最後に明治の帝まで京都発であられたが、帝にとって京都はご実家にあたるのでしょう。

京都市,八坂庚申堂金剛寺,2010年4月17日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO320,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都暮らし288. 旅は帰るためにある

2010年04月19日 | Kyoto city
 もみじの新緑が色鮮やかである。この爽やかな緑を見ると、次第に初夏が近づいてきたと感じる。だが今年は暖冬が続いたと思えば、4月に雪が降ったりするなど、いつもと違う季節感であり、針の合っていない時計を見ているもどかしさを感じさせてくれる。
 京都の新緑を徘徊していると、信州あたりのネイチャー環境へ旅に出かけたくなる。狭隘な街にいるから、よけいに広々とした風景が見たくなるのかも知れない。といって北アルプスは、まだ雪の中である。軟弱なトレッカーとしては、新穂高温泉からケーブルカーで上がり、そこから西穂山荘まで、尾根の雪道を歩けないかと模索したりしている。だが山荘周囲はいまだに2.9mの雪があり、今年は天候不順だし、当然アイゼン必須なので、一寸気分は乗らない。
 また上高地の公式WEBサイトを開くと、開山迄あと4日とある。その頃に雪が残る上高地へ、撮影機材を持って出かけるか。だがライブカメラも作動していないから、現地の様子がわからない。
 そんな風に、個人的には流民根性なので、旅へ出かけたいと思うのは、京都という狭隘な街に棲む必然的な感性の働き方なのかもしれない。そして旅は帰ってくるときに、ああわが街京都だなと思う瞬間がとても面白い。旅は帰るためにあるといって良いのだろう。

京都市・八坂神社,2010年4月17日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/1250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし287. 宴の季節

2010年04月19日 | Kyoto city
 久しぶりに晴れ上がった先日の土曜日に少し近所の散歩に出かけた。円山公園までくると、まだ八重桜が少しだけ残っていた。
 それを囲んで大学の新入生歓迎コンパならぬ花見の宴といったところだろうか。この時期になると円山公園も一般の花見客がいないので、比較的空いており調度良い頃合いだ。桜の回りには、学生達が醸し出すさわやかな空気或いは若いオーラが漂っていると言うべきか。
 実際に京都の大学内をあるくと、花見の名所にでかけて開催される宴を知らせるポスターをよく見かける。いかにも京都らしさを感じさせてくれる。なかでも円山公園は、一番人気なのかもしれない。
 この頃街を歩くと、瀟洒な飲み屋やおばんざい屋の二階の座敷では、大人数で開催される大学生や先生達の賑やかな宴会にしばしば遭遇する。コミュニケーションでありノミュニケーション(今日の画像ではミネラルウェーターが垣間見える)である。新しく出会ったばかりの人達が、多いに語りあうという人間の基本的な姿がそこにはある。
 新年度、見知らぬ人達が集まったら、先ずはコミュニケーションである。それなくしては、その先の勉強や仕事も進まない。だから宴会が多くなる。この時期は、桜を愛でながら宴の季節でもある。

京都市・円山公園,,2010年4月17日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/320,絞りf5.6,ISO100,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし286. ブログのフォント

2010年04月17日 | Kyoto city
 今も京都は雨である。週末から平年並みの気温に戻るが、また寒くなるという予報であり、不安定な春だ。
 特に話題がない時は過去ログを捜すのだが、当時のフォントサイズが、今より1ポイント小さいことに気づいた。当時はこれでも余裕があると思って書いていたようだが、今見ると小さすぎる印象の方が強い。
 それどころか、今のブログの活字も少し窮屈さを感じる。そこで今回から行間を1ポイント増やした。フォントサイズやその組み方は、眼の慣れで随分印象が違ってくる。
 ところで、このブログのようにマックで書けば、執筆時の編集デザインで読者は読むことが出来る。ところが、ウィンドウズでこのサイトを開くと、ヒラギノ角ゴという書体をつんでいない故か全く形態が反映されず、細く味気ない活字で読まされるはめになる。
 世の中の多くの人間達は、ウィンドウズの味気ないフォントのサイトを当たり前のように見ているのかと思うと、こちらは大変不思議な気分になる。
 実は今年度から、グラフィック系の学生を相手に編集デザイン実習を教えることになった。実習では当然マックを使用するわけだが、実は編集という概念が広くて・・・、この話は長くなるのでまた次の機会にしよう。

京都市,平安神宮,2010年4月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/15,絞りf5.6,-1/3補正,ISO1600,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし285. 刺激あるアウトプット

2010年04月16日 | Kyoto city
 最近デスクトップのマックが時々状況に合わないメッセージを出したり、シャットダウンしなかったり、時にワン動作が著しく遅かったりと不調だ。OSが10.5になり、昔のように突然ダウンすることはないが、システムがブラックボックス化していて、私の修理を受け付けないようだ。
 旧いOS9迄ならば、自分で全てが直せた。不調の時は、先ずノートンでHDをしらべ不調箇所を捜し該当するフォルダーを入れ替えて回復させた。それで直らないときはインストールディスクを用いてデスクトップの再構築であり、半日がかりでOSやソフトを全て入れ直し、諸設定を再構築していた。それだけマックの扱いも勉強になった。
 今は、データの保存にはtime machinを使え言わんばかりで、さしあたりの対応策はこれしかなさそうだ。目下このブログをアップしたiwebデータも保存していないから、もしマックが動作しなくなったら、それまでである。
 そんなことを考えていると、すべて捨てて新しく一新するという生き方もある。PCが壊れたら捨てて新しいPCにすればよい。いまあるCGや論文や著書の原稿などの情報を保存していても、将来使うぐらいの意味があるのかと思う。既に執筆した原稿はペーパーになっているわけだから、こちらで保存してるし。
 そうなると捨てて困る書類もあるが、他方それがなくてもさしたる支障のないのが現実である。一体人間というのは、何だろうかと思う。これまで私達のデザインや論文の制作過程が、多いにデジタルデバイド化されてきた。
 だが重要なのは、そのアウトプットでしょう。クリエイティブで刺激的なデザイン、新しい視座を掲示してくれる知見に満ちた論文、そういうものを私は欲するのだが、最近それがデジタル化された割には随分希薄だと思う。

京都市,平安神宮,2010年4月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/50,絞りf4,ISO1600,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし284. あたりそうな予言!

2010年04月15日 | Kyoto city
 数年前に、講義の中で予言したことだが・・・。
第一に、数年以内に経済力で中国は、日本を追い抜く。
第二に、経済力を得た中国は、我が国の企業買収を始める。
第三に、中国が買収した企業では、日本人の能力や仕事が遅くトロイと言う理由で、日本人の解雇が始まる。
第四に、解雇された日本人は雇用先がなく、万年失業者が増大し、社会問題となる。
 学生達は、はっはぁーん!?と聞いていたが、既に第一の予言では、世界銀行の発表による国民総生産(GNP)で中国は4兆ドル、日本は2兆9千億ドルとなり、もはや日本に世界第二位の経済力はない。つまり予言が当たってしまったわけだ。今年は国内総生産(GDP)で中国に抜かれることが確実視されている。
 当然経済力を持てば、中国銀行等が日本企業へ敵対的M&Aをしかけてくるだろう。企業を育てる努力に比べれば、買ったほうがはるかに安上がりだ。すでに米国のシンボル企業であったIBMのコンピュータ部門は、中国資本になっている。第二の予言が当たるのも時間の問題であろう。
 そして今の大変地味な安泰志向の二十代若者が、世帯を持ち働き盛りの30~40代歳になると、いきなり資本家である中国トップから、日本人は仕事が遅いし、不勉強だし、新しい発想や冒険心がなく、会社に全く貢献しないという理由で、突然解雇の通知がくるわけだ。
 気がつけば周りは全部中国人社員だったということになる。働き盛りだが、日本人の仕事がないとなると、万年大量失業者が街に溢れ、社会問題となるわけだ。そうなると税収の入らない政府にも力がなく、解決はできないという私の予言が当たりそうに思われる。
 さて、日本のオリジナルはどこにあるかを探ってみよう。現在環境と情報産業を支える無名の企業による世界的シェアを持っている高度技術。これも加工技術が追いつけば、コピーの上手い中国人は、早速M&Aを駆使して買収し中国化。
 次にアニメーションは、もともとデッサンの素養を必要としないだれにでも描ける表現形式なので、当然真似するのも簡単だ。というわけでこれもM&Aで中国化。
 それから、任天堂に代表されるエンターテイメントも、ギャンブル好きの中国人ならば、簡単にコピーというわけで、敗退。
 そう考えると日本の技術というのは、高度であっても真似しやすい技術ばかりとなる。なにしろ、いまの学生達は全く勉強をしないのだから、学力において中国人からはるかに遅れているのも関知せずであるから将来を生き残るのは無理でしょう。数年前何回か中国を訪れ、猛勉強と素早い仕事と力強い活気を知っている私としては、そのように結論づけられる。
 すでに日本は、経済や文化・文明などで(中国は世界四大文明の発祥地の一つで日本より古い歴史を持つ)中国にはもともと勝ち目がないというのが、本当のところではないだろうか。

京都市,平安神宮,2010年4月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/20,絞りf4,ISO1600,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし283. 春日そして冬日

2010年04月14日 | Kyoto city
 枝垂れ桜のライトアップを見ていると、桜自体が桃色に染まった発光体のように光り輝き、そして燃えるように見える。つまり花びらにおける光の反射率が高いと言うことだろう。平安神宮の枝垂れ桜は、手入れがよいためか、毎年大変見栄えがする。月曜日から雨が激しく降っていたので、ここの桜も散り始めていることだろう。
 昨日は、雨天続きで体調が悪かった。そう思っていたら、それは昔からのことで、桜の葉が散る頃に流行病が街にはびこるので、病を神社に呼び寄せ祈願して追い払おうというのが、京都・今宮神社で先日行われた「やすらい祭」の始まりであると聞いた。体調が悪いのは、私だけではなく、昔からのことであり、気温の変化が要因なのだろう。
 暖かくなったという油断と、桜が散る頃の冷え込みで、体もぎくしゃくしているのかもしれない。昨日は春日だったが、今日の北日本では、雪が降る冬日という予報であった。やはり気温の温度差に我が国は時々見舞われるようだ。
 そうした温度差を何回か経験しながら、次第に春から初夏になってゆく。来月は、もう初夏である。1年の中で一番季候の良い季節である。
 
京都市,平安神宮,2010年4月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/20,絞りf4,ISO1600,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都暮らし282. 自然界からの知見

2010年04月13日 | Kyoto city
 夜空に浮かぶ枝垂れ桜を見ていると、和服の文様のように思われる。実際こうしたところにイメージを得て、友禅染という方法で商品化された和服も大変数が多い。京都という風土が育んできたデザイン力の成果といってよいだろう。
 人間がどれだけ、外部からデザインイメージを得るかといった研究はされていなので、ここでは類推でしかないのだが、やはりうつろいゆく変化の多い自然界から、デザインイメージを得ることはかなり多いのではと思われる。それが、和服の文様となり、ビジュアルとなり、プロダクトとなり、建築となってゆくのだろう。
 完成された製品等には、自然界の気配は微塵もないかもしれないが、デザインをして行く過程に於ける人間の感性に、こうした自然界からの知見が大きく作用していることには間違いがないようである。それは、本人が気づこうと、そうでなかろうとである。それを自然界からの知見とでも読んでおこうか。
 そんなわけで、散歩に出歩ける範囲内にある古来からの京都の街のなかの自然(といってもそれは庭園のように人為的な自然なのだが)があるというのは感性を心地よく刺激してくれるのは事実でろあう。まあそれを目指して年間5,000万人のビジターが京都を訪れるわけであるが。
 そんな騒々しさも昨日の豪雨で桜が散ると共に、少し静かになってくるだろう。古都の落ち着きとでもいいますか・・・。

京都市,平安神宮,2010年4月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/57,絞りf4,ISO1600,カラーモードF2.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする