Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ777.デジタルPENはプロダクトデザインとしては優れていた。

2024年09月30日 | field work

 最近オールドデジカメが人気がある。これでシステムをつくろうとする人もいる。スマホよりは、安く固有の写り方をするのが魅力らしい。
 OLYMPUS機材もプロダクトデザインとしてみると大変優れていた。その頂点はPEN-Fであろう。いまでも中古はプレミア価格で販売されている。販売当時にこりゃ高くなるぞと思ったが、予想通りだった。もちろん当時はSONYに乗り換えたので私は食指がはたらかなかった。
 例えばここにあげたPEN mini E-PM1のシルバーボディに12mmシルバーレンズをつけた姿はプロダクトデザインとしては美しい。ただしPENシリーズ初期の製品だから仕様は少し劣ったと記憶している。
 そしてこれを使った記憶が希薄だ。この撮影画像が見当たらないのである。グッドデザインだといっておきながら使わないのは無責任だが、つかった記憶がないから撮影用に組み立てただけかもしれない。
  このようにデジタルペンは、優れたデザインが多く写真がよくわかっている人が開発しと思われた。だからかってのフィルム時代のPEN FやOM-1を開発した、あの米谷デザインを越えたデジタルカメラのデザインを実現していた。
 今でもデジタルカメラとしては大変美しいデザインであるが、この機材は二束三文で売り払ったと記憶している。でもこのシステムぐらいは残しておいてもよかったと少し後悔している。
 さらにPEN E-PL1も素晴らしい。なんといっても往年のライツレンズを付けた場合のデザインが様になっている。だからこのボディはそこそこに活躍した。この画像のレンズは、ライツM3時代の明鏡玉と社会的には言われたが写りは悪く、まれにシャープだが、それにため息をついて眺める気分は希薄だった。そんなわけで私は写りのよいOLYMPUSレンズを多用した。まれに買い戻そうかなと考え時もあるが、ここは考えるだけに留めておこう。
 こんな優れたデザインを開発してきた企業が分社化し製品開発力がそがれたことは少し悲しいと思われる。


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エッセイ776.ストリートフォト

2024年09月29日 | field work






 静止画の一つにストリートフォトがある。当時のOLYMPUS機材にパンケーキレンズがあった。それはレンズキャップに小さなガラス玉をつけただけのものだった。だがこの絞りF8固定の解像度の低いキャップレンズとブログラムとで荒い画像をつくりだしてくれた。それはハイコントラストでありデジタル固有の荒さが消えて自然な荒れた描写だった。写真の可能性を広げてくれたレンズであった。
 路線バスの一番後ろの窓側に陣取る。撮影しようとすればアングルだの構図だのと撮影者の知見が働き画像がつまらなくなる。だからそうした考え方を捨て、心の基線が動いた瞬間にシャッターを押す。だから感性を研ぎ澄ましつつ、何も考えないで被写体が登場するのを待つ。構図は無視してシャッターボタンを押すだけの撮影方法だ。
 ときに面白い画像が撮れるから、あとは大量に撮影してから画像の取捨選択だ。そんな風に撮り続けていると次第に意識的に心が動き出す。構図など考え出したら撮影はお終いである。
 そんな撮影方法も2回ぐらいで辞めてしまった。きっと飽きたのだろうし、あえて意識的に撮影行動をするのではなく、日常生活の中で一寸見つけた時に撮るべき画像だと気がついた時に撮れば良いと思った。だからしばらく機材を持ち歩いていたが、そのこと自体が面倒になり、こうした撮影方法はやめてしまった。今のSONYで撮れるかと言われれば、ノーである。
 さて、上記5枚の写真でどれが一番良いと思いますかと問われたら、私は4番目の満足稲荷の画像をあげる。どこか不穏な視線で意味的でしょ。実はこれ以前にも使用した画像である。

京都市内
OLYMPUS EPL-1、キャップレンズ

 かってのコンテンポラリーフォトをデジタル化のなかで復活した。絞りはF8だけであり手動の距離計がつくだけの簡単なレンズで解像力が低いというのが素晴らしい。だから解像度の低いレンズとボディのプログラムと合わせると粒子が荒れたコンテンポラリーな画像が撮影できる。
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エッセイ775.映像に気づいたとき・・・

2024年09月28日 | field work

 ひぇーーっ!、もうブログは10月が始まる!。今はまだ6月だよ。それで秋らしい画像を探してみた。
 映像制作は時間が必要なので、エッセイシリーズを緩衝材にしたのは正解だった。そんなことをしていると記事一覧の構成もシリーズ毎に増減があり10日分ぐらい前後にずらしたりする。これが自動的にできればよいがgooは全て1日毎の手動で移動だ。そうやって一ヶ月分の編集枠が埋まり予約投稿原稿が完成する。それは結構面倒な作業だ。
 雑誌の編集も似たようなことをする。多分半月先ぐらい先までの編集枠ができていたりする。だから夏に冬のファッション撮影だ。その間にパリコレ情報が射し込まれ記事を前後させたりするなど編集予定表も混沌としてくるはずだ。
 ところで静止画の画像を探していた。この撮影データをみるとPanasonicから発売されたライカのOEM製品ズミルックスだ。私のライツ経験からみても本家ライツ・ズミクロンに肉薄する写り方をしてフルサイズ規格のデジタル一眼レフと遜色がない。だがOLYMPUSシステムを差し上げたときに売却。その後OLYMPUSカメラ事業部は分社した。
 マイクロフォーサーズというシステムが最初にPanasonicから発売された時、この小ささで一眼レフというのには驚いた。その後OLYMPUSからゾクゾクとマイクロフォーサーズ規格の機材が登場した。その頃はレンズ性能が低く悲しかったが、次第に両者ともに高画質レンズを発売しだした。その頃のズミルックスである。
 私は、この頃から静止画機材は小さい方がよいという考え方をしていた。それはニコンFから使い続けてきた知見である。
 そのころCやN社は大きなレンズとホディを矢継ぎ早に市場に登場させ、私の研究室のアホタラ研究員からも『先生のより僕のカメラの方が高いんだ』と影口をいわれる始末だった。そのとき日本中がアホの塊だと思われた。その後日本の機材メーカーが間違いだと気がついた頃には、市場はアメリカや中国にさらわれていった。
 そんななかで私の講義を受けた修士課程の院生が、当時のフルサイズデジタルニコン一眼レフで撮影した映像をみたとき、手堅く撮影されている事に気がついた。これだな、映像には使えそうだ・・・。その頃から映像化への意識が生まれ始めた。



初めて登場したミラーレス一眼レフ。PanasonicGF-1
指の先で振り回せるほどの大きさであり、性能は当時の一眼レフとまったく同じである。どんなレンズもマウントを介して付けられる。その後優れたミラーレスレンズがいくつも登場しフルサイズと遜色ない画像が撮影できた。この機材が登場したとき、フルサイズデジタル一眼レフの終わりが予感される布石となった。

京都市
画像:OLYMPUS EM-1mark2,LIECA DG Summilux25mmF1.4Asph.
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エッセイ774.リノベーション

2024年09月27日 | field work

 ダイビングの過去の静止画を見ながらどうすれば撮影したらよいかの勉強をしていた。1年以上ブランクが空いているから間を置くと撮れない。だからイメージハンティングだ。
 既に廃盤のニコンW300はストロボ撮影をすると大変綺麗だが、映像ではストロボではなく連続発光する水中ライトが必要になる。それはとりつけるのが難儀だ。INONと相談か!。だがハウジング無しで30mまで潜れマクロ撮影に強い。Goproの不足を補ってくれるから今も重宝している。防水機能が満たせなくなるまで使いたい。
 さて1年以上ブランクが空いているから出不精の人間が腰をあげるのは難儀だ。そして1度ダイビングをしてしまえば帰りたくない気分になる。全く人間の気分は、いい加減だ。
 もう一つ優れものをあげればOLUMPUS EM-1と魚眼レンズだ。やはりレンズの解像力が優れているし専用のハウジングも用意されていた本格的な機材だった。私はGoproに乗り換えてからオリンパス機材はすべて差し上げてしまった。
 今はOLYMPUSも分社し身売り状態だから水中まで手が回らない。目下Gopro12があり、かっては世界一の技術力を誇っていた日本の精密機械工学も既にアメリカや中国からは相当におくれている。ヘビーユーザーやプロカメラマンの間違った意見を反映しつつ高性能な技術開発を目指し、結果として重厚長大化してきた日本の撮影機材メーカーの戦略違いの姿勢の結果である。高性能化というのはハードだけではなく、ソフトウェアや、使い方やライフスタイルも含めての高性能化である。
 私もこのブログで再三再四、重すぎる機材、持ち歩けない機材だということを指摘してきた。デジタル一眼レフでいえばOLYMPUS EM-1が持ち歩けるサイズのMaxだったのである。カメラマニアや機材マニア、あるいは売れないプロカメラマンに付き合っていてはメーカーの存在理由が無くなる。にもかかわらずNとかCというメーカーは売れない機材を開発し、その結果世界を牽引してきた名門ニコンは国内のカメラ生産を辞める。
 いまSNSは大量の画像で溢れているにもかかわらず、日本のメーカーの撮影機材による画像は大変少ない。日本の精密機械づくりのノウハウは宇宙産業や医療産業にシフトしている。技術開発は、そうしたリノベーションをいつも繰り返してゆく。






沖縄県慶良間諸島
OLUMPUS E-M1、M.ZUIKO EDFisheye8mm/F3.5,NIKON CoolpixW300.
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エッセイ773.ダイビング撮影器材の手入れ

2024年09月26日 | field work

 昨年は沖縄県も新型肺炎5類に移行後、なんと感染者急増で私の沖縄の知人の周りからも感染者発生し、多分県民全部が感染するのかと思われた。沖縄県知事は、来るな!、といわんばかりの発言だった。だから私は1年間沖縄ダイビングにゆかなかった。だが今年は行けそうだ。
 だから水泳教室に通い水に慣れる練習をしていた。そんな6月梅雨空の頃、ダイビングの撮影機材の手入れ。もちろん私のYouTubeでも初期の水中映像をアップさせているが今見ると下手くそだ。今度は、もう少し進化した映像にしたいと目論んでいる。
 最頻度使用のGopro7もいまは12となり画像も良さそうだが4Kは変わらない。買い換えるとハウジングやレンズマウントも変える必要がある・・。どうしようかな!?。それよりも酷使した魚眼レンズの前面が傷だらけで次回潜ると割れるかもしれない。先ずはこれからやろう。魚眼レンズは鎌倉のメーカーに送った。
 次は既に廃盤になり2倍以上のプレミア価格がついているニコンCOOLPIX W300だ。仕様をみると4K画質で撮れる。そうであればメモリーカードを大きな容量にすれば使えそうだ。動画ではLEDライトがつくのだが、こんな小さな光量で大丈夫だろうか。あるいは映像用水中ライトを外付けできればベターだが、取り付ける余地がないのが融通の利かない設計発想のニコンだ。外付けアームで組み立てるか。
 ということは今の機材で4K動画撮影がきることはわかったがGopro12!?。どうしようかな。少し迷う。
 それに那覇の街の市場界隈も撮影したいが、既に牧志市場や農連市場は建て変わり、昔の沖縄のイメージが消えた。それが私を沖縄行きを消極的にさせるもう一つの理由だ。今那覇の街はつまらないのである。


沖縄県那覇市
NIKON F3,CarlZeiss Distagon25mm/F2.8,Velvia.
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エッセイ772.残念というほかないかな!?

2024年09月25日 | field work

 ようやくMacの1万枚以上ストックしてある写真ファイルが開いた。これまでOSの更新で開かなかったようだが、何が原因で開かなかったかはわからない。開いたのはよいが、それ以前に私は静止画への関心が無い。どうせ動かないしさ、眼が退屈よ・・・。
 気を取り直して、この静止画画像はニコンDfと85mmのレンズで撮影した。へーっ、85mmって立体的に描写して背景が綺麗にぼける。それを実感した頃には既にこのニコンレンズは処分していた。
 今のニコンってプロダクトデザインがダサくて使う気分になれない。それに映像に関心が希薄なニコンじゃなあ・・・、だ。そもそもこれまでよりも太いレンズが登場し重厚化してきた。あれってジンバルでバランスがとれるのだろうか?。そんな使い心地が悪いレンズが今はすこぶる高い。そんなニコンポリシーに疑問を持ち私はSONYに乗り換えた。
 ニコンと同じ描写は、ZEISS Sonnar FE1.8/55ZAでまかなえる。そしてシステム全体が軽くなり映像の場合2本のレンズで大概の撮影ができる。荷物は軽くしたいのが私の経験則だ。
 それにiPhoneが現実以上に綺麗な画像をたたき出すので、静止画もiPhoneオンリーになってしまった。
 惜しかったな。性能が良いレンズなだけに。ニコンはデジタル一眼レフを最初に登場させたほどの技術力があったのに、今では残念でしたというほかないかな!?。
 最近の映像撮影では、小さく軽い2台眼のα6600のボディにはいつも標準レンズがついている。それに最も小さなマイクを載せている。このレンズはAPSサイズだから82.5mmの焦点距離、デジタルズームで123mm、画質を無視するならば330mmになる。ボディ側で焦点距離を決める事が多いから、レンズの焦点距離は無関心になりがちだ。もちろん背景はちゃんとボケる。悲しいのはオートフォーカス解除のボタンがついてないことだろう。

画像:NIKON Df,AF-SNIKKOR85mm/F1.8G
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エッセイ771.旅の出不精

2024年09月24日 | field work

 このブログを執筆しているのは6月の梅雨入りした頃だ。そろそろ夏だからダイビングを再開するかと考え、水に慣れておかなきゃと思いつつ、京都アクアリーナの水泳教室へ通う。案の定水にはすぐになれたが、旅にでる意欲が薄い。
 というのもこれまでダイビングの後に県立図書館にでかけ沖縄県巨大グスクの文献あさりをして論文化していた。今はそうしたシリーズ論文5本は冊子に掲載済みなので沖縄には目的がなくなった。それにコロナ過を経過し馴染みの顔なりコミュニティがあるかも疑わしい。私的にいえば寂しくなった。それが旅の出不精の原因かもしれない。
 なにか新しいミッションでもないと旅にでかける気分になれない。そんな風にこれまでにミッションが終了した都市がある。筑波、東京、名古屋である。名古屋などは退職後かれこれ一度も出かけた事がない。既に忘れようとしている。
 考えれば私の場合、旅に論文執筆というミッションがついてないと退屈だ。何しろダイビングの後は時間がある。今は市場のビデオでもYouTubeでアップ済み。那覇の古い市街地も随分歩いた。もう新しい発見は少ないだろう。
 そんなことが旅の出不精気分を加速させている。もちろん出かけてしまえば、出不精なんて事は忘れて新しい発見に心躍るのかもしれないが。まあ出かけてみなきゃわからないのが旅なのだろう。

筆者のいつものダイビングスタイル

画像:久米島、慶良間諸島
Gopro7.
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エッセイ770.福井県は終わった!?

2024年09月23日 | field work

 一度につくらなければ効果が期待できないプロジェクトを、細切れでおこなったために目下身動きできない状態に追い込まれた。それが北陸新幹線である。
 国土の背骨である骨格を結ぶ1本の構造であることに、これまでの新幹線の存在理由があった。それとは違うのが北陸新幹線である。1本の骨格ではなくサブルートを経由し、東京と大阪のネットワーク構造をつくろうというものだ。
 国土の構造を変えるのであれば長野県から延伸させるとき一気に大阪まで建設すべきだった。これは国土の構造を1本の背骨から起点と終点が接続しているネットワーク構造へと変えることになるからだ。つまり長野と大阪とを一気に建設し拠点となる大都市圏を結ばなければネットワーク構造にはならない。従って本来北陸新幹線プロジェクトは、暫時延伸という方法ができないのである。
 にも関わらず金沢、敦賀と延伸され、その先はルート設定でもめ環境アセスメントすらおこなわれていない。暫時延伸という間違った方法を選択した結果、ネットワーク構造になるのは2045年頃。つまりあと20年以上先であり北陸地域経済は、これまでの関西や中京圏からの集客を半ば諦め、東京依存のパイプしかないことになる。私にいわせればプロジェクトの方法を間違えた結果である。やっちまったか・・・、私は思う。
 さらに敦賀の街をみると駅から続く長い商店街はシャッター街である。現在新幹線開通ぐらいでは、とても再生できる状態ではない。
 そしてニューヨークの自然史博物館にゆけば恐竜に関する豊富な知識と経験が得られるにもかかわらず、福井県がわずかに出土した恐竜素材をシンボルにして集客に励む姿は涙ぐましいが、1年もたてば陳腐化され東京人から飽きられる可能性があるだろう。
 これまで多数の街づくりに関わってきた私の立場からみると、中途半端なプロジェクト方法を採用したために東京への流出人口が加速するだけであり、福井県は終わったといいたい。
 終わったら金沢-福井間の新幹線はどうするか。金沢-敦賀間は新幹線初の福井県あたり経営者とする第三セクターとし、大阪から金沢まではJR西日本が在来線にサンダーバードを走らせればよかろう。誰も提案しなかった逆の発想。人口減少社会だから逆の発想もありえるだろう。
 そんななかで再生方法を探るとすれば、地域産業の国際的なブランド化と歴史的街区の整備だろう。越前武生はナイフビレッジであり古い街並みもある。また鯖江は眼鏡の産地だ。これらを活かせば生き述びる方策も考えられるかもしれない。生き延びるというよりは北陸新幹線全通までの生き残り策といってよい。つまりプロダクトデザインとシティデザインがキーワードになるだろう。

トップ画像:敦賀駅前通り(依拠:Google map)
敦賀のシャッター街もかって私自信が撮影したが、画像が見当たらない。そこでGoogle mapの画像を借りた。Googleは朝早く撮影したと推測している。従ってこの場所は、シャッター街ではあるが実際に営業している店も写っていることは申し添えておく。ここではシャッター街のイメージとして理解されたい。
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エッセイ769. 海老嫌い

2024年09月22日 | field work

  Philippineのテレビをみていたら、タイに住むフィリピン人料理人の放映をしていた。ぶっとい海老を調理して豪快に食べている映像を見ながら、ウゲッ!、気持ち悪いと思った。
 それは最近の私の味覚の変化だけど海老嫌いになった。海老は味が単調だし、半年前に海老を食べて蕁麻疹になったこともあった。以来海老嫌いになってしまった。唯一天丼ぐらいは醤油だれに騙されて食べるが・・・。これで牡蠣に続いて食べられない食材が増えた。
 海老は中華料理で多用されるし、フリッターとしてハンバーガー屋にもメニューはあり、日清のトラディショナルなカップヌードルにも入っている。それぐらい庶民の人気アイテムだけど、こちらは嫌いになったからどちらでもよくなった。
 人間の味覚もセンシティブだが、最近冷凍海老の輸入が市場の過半であり、味などスルッと抜けてしまい、抜け殻といってよい。私的には食材としては失格だから特段不漁でとれなくてもよいけど。
 つまりダイエットをしていると食材に関心を持ち、経験的にはステーキがダイエットに良いことを発見した。例えば昼ステーキにしておくとお腹はすかずスタミナがつき、夜はシリアルにしておくと体重は確実に減る。
 ダイエットの目標値まであと2kg。数年前と比較すると既に12kg減量しており、ウェイトトレーニングをしながらだから減量速度は緩いが、今は体型が変わり身体は軽く動きやすい。もちろんお腹が出ている体型とはおさらばした。
 そう思うと、概して現代人は過食だということは指摘できそうだ。

iPhon13pro
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Fieldwork943.下鴨神社みたらし祭

2024年09月21日 | field work

 祇園祭の狭間に下鴨神社のみたらし祭がある。おっとり刀ででかけると人出も少なく静かだ。みたらし団子の店も閉じられており、昔懐かしい露店もない境内。来るのが少し早すぎたか!?。さて足付け神事に向かおう。ここだけは参拝客がいる。
 飛び上がりそうな冷たい水に足を入れると、痛すぎて足を岸辺の石にあげたりして慣れるまでには時間がかかる。こんな冷たい水を一体どこから引き込んでくるのかというのは、いつもの疑問だ。
 その冷たい足の痛さに撮影などわすれて、さっさと蝋燭に火をともして燭台に供えて上がろう。燭台に灯し安堵するとニコンAW300の水中機材をもってきていたことを思いだした。ダイビングのテストを兼ねて4K映像で撮影してみよう。少しは夏らしい絵になるといいかな・・・。
 糺の森の境内に新しい拝殿ができた。少し冷やかして帰ろう。
 さて水中機材ニコンAW300で撮影したの4K画像が開かない。何々!、SDカードをMac用にフォーマットする!?。そんなの初めて聞いたさ 、どうやってやるのさ。結局転送できたけどリンクが外れるなどプレミアム・プロと相性が悪そうだ。いまのMac使いにとってはニコンは相性の悪さ抜群で私の映像ではバスしたいメーカーですね。
 もっかMacは映像編集途中のJOBで埋まっている。ならばMac Book proで編集しよう。15インチの画面でみるとプレミアムプロは小さすぎる。やはりここは27インチ画面で見たい。Mac Book proはM1チップ搭載だから映像はサクサク動くけど、オペレーションの容易なiMove用だろうな。
 さてこのブログも映像をアップさせて、ようやく9月の記事がすべて終了した。すでに記事だけなら11月まで筆を進めているのだが、最近は映像の制作に時間をかけるようになった。

Fieldwork943,下鴨神社みたらし祭
SONY FX30,FX30, E4/PZ10-20G
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Fieldwork942_祇園祭後祭,2024年

2024年09月20日 | field work

 山鉾巡行の経緯と後祭の催事を八坂神社のサイトから引用する。
 山鉾巡行は本来、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「 前祭さきまつり」と還幸祭の「後祭あとまつり」がある。 高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の合同巡行が続いていたが、 祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定し、2014年、約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活した。
 ここで撮影したのは後祭催事の一部である。撮影した催事について八坂神社の解説をもとに記しておく。
宵山
各山鉾町にて山鉾を飾り、祇園囃子を奏でる。家宝什器、屏風等を美しく飾る家もあり、町内雑踏し祇園祭情緒が祇園囃子の音と共にもり上がります。
琵琶奉納
琵琶協会の人々により、琵琶の奉納が行われます。
山鉾巡行
十基の山鉾が各町を出て烏丸御池に集結した後、所定のコースを巡行します。橋弁慶山を先頭に後祭の鉾一基、山九基が各町を出て烏丸御池に集結、祇園囃子も賑やかに所定のコースを巡行します。
花笠巡行
傘鉾十余基・馬長稚児・児武者等列を整えて、所定のコースを巡行。
本社到着後(正午頃)舞踊などの奉納を行います。花傘は、山鉾巡行と異なって芸能的色彩が非常に濃く、巡行するものと観るものとの、祈りを共にする一体感の感じられる祭りであります。
還幸祭
午後5時頃四条御旅所を三基の神輿が出発。夫々所定のコースを経て八坂神社又旅社にて祭典後、神輿に灯を入れ午後9時~11時の間に本社に還幸。御神霊を本社に還し祭典執行。
神輿洗式
神輿洗に使用する神事用の水を鴨川から汲み上げお祓いします。
四条大橋から汲み上げられた鴨川の水は祓いを受け、夕刻の
神輿洗に用いる神用水となります。
疫神社夏越祭
素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
茶会
八坂神社や市内各所で茶会が催される。映像は万亭(一力)の茶会。

 後祭は、前祭と比較し露店等はないが人出が格段に少なく撮影がしやすい。さて山鉾巡行と重なる時刻に花笠巡行が四条通りを練り歩き八坂神社で舞踊の奉納が行われる。ならば2つとも撮影したい。
 すべての山鉾は所定の町内から鬮改で御池通の京都市役所へ向かう。ならば巡行開始1時間前から撮影を始め、人出と規制が多い巡行はパス。このチョイスは正解であり、一番大きな大船鉾が狭い通りを進んでくる様子は巡行前でしか撮影できない。
 巡行開始頃、新町筋を四条通りまでさがると調度よく花笠巡行の列をつかまえた。こうした一連の撮影を終え阪急で、西京極京都アクアリーナの水泳教室へ出かけて身体の火照りを解消した。我ながらうまいスケジュールだった。私がプールで泳いでいる頃雷鳴がなり、山鉾巡行は四条通で激しい豪雨にさらされた。
 同日夜には、祭神が四条御旅所から八坂神社に戻る。そのための乗り物である神輿が各町内をまわり深夜に八坂神社にたどり着く。WEBサイトで調べた時刻に出かけたが四宮が通過してから神輿が来ないどころか警察官も引き上げてゆく。八坂神社にでかけたら、なんとすでにすべての神輿がいた。今年は予想より早く神輿が到着したようだ。
 1週間後に祭神が本殿にお戻りになる頃、境内の全ての灯りが消され「うっうーー」という声とともに神様がお戻りになる深夜の儀式は荘厳な空気だ。もちろん撮影できないが・・・。
 一連の催事が終わると神事としての祇園祭も終わるが、まだ庶民側の催事が続く。狂言奉納、神用水清祓式、神輿洗式、神事済報告祭、そして7月31日の疫神社夏越祭。ここでは参拝者が大茅輪をくぐり邪気を祓い「蘇民将来之子孫也」の護符を授かり、そして1ヶ月に及んだ祇園祭が終わる。

Filedwork942 Gion After Festival,2024
Equipment: SONY FX30, E4/PZ18-105G OSS

追記
 今年の祇園祭の9割以上は、このシステムで撮影した。イベント用の機材としては使いやすかった。レンズの焦点距離がAPSサイズだから157mm、デジタルズーム4倍で630mmとなる。もちろん解像度は落ちるが600mmの焦点距離は前祭山鉾巡行において鉾の正面、しめ縄を切って巡行開始をする場面を撮影するために必須の焦点距離だ。
 こうした撮影には従来だと脚立持参だったがかさばり持ち込めない規制もあり移動は足手まといだ。
 それを可能にしたのがマンフロットのカーボン一脚MVGBF-CF。多数いる観客の頭の上の高さに機材をもってゆける。それにワンタッチで足が伸縮できる仕様は頻繁に使った。さっと撮ってさっさと移動する、それが映像の撮影技法だろう。それにしても一脚の機材固定ネジが国際標準規格、わが国の撮影機材の規格は3/8インチ。それはライツの規格だ。いまだにライツの亡霊に悩まされる日本の撮影機材だ。
 映像ではもっと楽な撮影方法がある。例えばGoproやInsta360、あるいはスマホを自撮り棒につけて撮影する方法である。軽くて実用的な撮影方法である。ドローンが飛ばせない日本の都市では、来年はこの方法で撮影するかもしれない。

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Fieldwork941.祇園祭前祭,2024年.撮影記

2024年09月19日 | field work

 祇園祭のメインの催事は前祭と後祭である。どちらも山鉾の巡行が行われる。山鉾の巡行とは、庶民が世の平安を願う誓願行事にすぎない。こうした庶民の願いに答えて八坂神社の3人の神様祭神【素戔嗚尊 (すさのをのみこと) ・櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと) ・八柱御子神 (やはしらのみこがみ)】が神輿に乗って街にやってきて四条通りの御旅所に鎮座するのが前祭最大の神事である。従って祇園祭の主役はこの神輿渡御で街にやってきた祭神である。
 昔から言い伝えに山鉾巡行の時は梅雨があがる。言い伝え通り山鉾巡行の日は天気が回復し、昼間の気温が32°の晴天だった。
 山鉾巡行の撮影場所が悩ましい。出発時を正面から、あるいは新町筋の狭隘な家並みの間をすり抜けるように通るところ等、近年は規制も厳しく限られた撮影ポイントしかなさそうだ。
 じゃあ高瀬川の橋の上、つまり四条小橋のところ、鉾に向かって右側の電柱の歩道側から長刀鉾の真正面でも撮ろう。
 ここからだと600mmの焦点距離になる。私の機材でも解像度が荒いデジタルズームを目一杯引き延ばせば撮れるが、一脚必須。これぐらいの焦点距離になると、一脚の微動でも画面は大いに動く。腕力が勝負だな。
 この場所が鉾を真っ正面から撮れる唯一のポイントだ。だからしめ縄を切るところまで撮れた。そして私が撮影していた脇には昨年は見かけなかった報道陣達の脚立が立ちならびはじめていた。来年は、もうこの場所からは撮れないから今年限りのポイントだ。
 最近は、あらかじめ救急車を配置するなど催事も計画的な警備になってきた。だから救急車が出入りするために道路側からはほとんど撮れない。それでも熱中症で倒れ救急搬送された観客が数人いたと報道されていた。山鉾巡行の撮影も、来年は新町通で撮ろう。
 山鉾巡行の出発を撮り、ついでに一寸だけ辻回しを撮ってから、私は京都アクアリーナの水泳教室へ向かった。強い日差しで火照った頭を冷やすのには我ながら旨いスケジュールだ。夕方には、祇園祭の主役である御輿渡御がある。これを納めなければ祇園祭を撮ったとは言いがたい。

Fieldwork941. Gion Matsuri Pre-Festival, 2024.
Equipment: SONY FX30, E4/PZ18-105G OSS
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Fieldwork940_祇園祭宵山,2024年 宵山の撮影記、追記

2024年09月18日 | field work


 毎年祇園祭は梅雨の頃に始まる。
 例年ならば、宵山の頃の新町や室町筋などは祭の空気がタップリ漂い街歩きを楽しむ余裕があった。しかし今年は四条烏丸駅の地下コンコースで既にセキュリティが立ち並び「待ち合わせならこちらの隅で」と案内されて撮影できへん。
 今年はインバウンド達も多い事から人出が多いそうだとする大方の予想は的中。だから私は、4日前の13日から鉾町の撮影を始めた。鉾が立ち上がって直ぐであり、既に鉾町の見学が始まっていた。この頃映像撮影したものが過半である。そして宵山の前日では9/10の映像編集を終えていた。
 宵々山の15日は八坂神社で伝統芸能奉納の奉納がある。出かけたら三脚はも一脚もダメで「カメラだけで撮影してください」とカードマンから注意された。あーっ、次第に規制が厳しくなる。それはビジターの数が圧倒的に多いからだろう。かってなら人もいないのに大真面目に演芸をしているほどに不人気だった。
 それはスマホとSNSの普及だろう。それによって静止画や動画でアップさせたいとするユーザが増えてきたからだろう。編集不用のそうした画像がSNSでは大量にアップされている。
 八坂神社の帰りに新町や室町筋に出かけたが大量の人で祇園祭の空気を感じるどころではなく、早々に退散し四条通り南側の太子山の縁台で涼んでいた。目の前に浴衣掛けのビジターが座り込んできた。これは動かずして撮影できる。トップ画像はそうして撮影した。
 午後6時から雨予報。ホコテンは午後6時からだから、ギリギリのタイミングで西洞院から大通りを撮影して引き上げよう。撮影がおわるやいなや傘をさしてもずぶ濡れになる雷雨。宵山は明日もあるさ。早々に引き上げた。
 映像の話になるが、宵山の頃は被写体も多く素材が沢山ある。最初に考えたことは、各クリップを繋ぎながら映像全体に動きを表現したいと考えていた。結果は難しかった。動画だけ動かしてもねぇー・・・、なのである。それに京都の1年という別テーマならもっと多様な素材が集まるかもしれない。そんなことを考えながら宵山の町を撮影していた。

Gion Festival Yoiyama:祇園祭宵山、2024年

SONY FX30,E4/PZ18-105 G OSS

追記
 NHKが毎月行っている最新の政党支持率()2024年9月)のなかで特に支持政党無しとするものが45.3%ある。そしてNHKニュースをみると毎日各政党県連の選挙活動が報道されている。国民の過半数は政党支持者だから、まあ報道番組は成立するのだが、無党派層が多い事も事実。それって特集を立てて報道されても政党の選挙権がない立場としては、あれなんかなぁーと疑問。特集するほどのものでもない。
 そんな党ごとの選挙活動の中でグローバルな政策でも提案され、そのテクニカルタームが社会で話題になれば次期総理になるだろうけれど、全体像の政策提言が各候補のなかでは見られない。かっての田中角栄のような日本列島改造論の現代版といえる政策が見当たらないわけだ。ともすれば現代という時代が全体像を語れる状況にないのだろう。それを思うと特集報道するほどの要素ではない。どちらかといえば私はアメリカ大統領選挙に目が行く。
 アメリカ大統領選挙と今晩行われるFRBの利下げの方が、日本に与える影響が大きい。利下げ次第で私達の生活は影響を受けるからだ。そっかぁー、国際経済が私達の生活に影響を与える時代だ。日本にこだわっていては、視界が狭くなる。私の関心は海外へ向かう。
 そうなると日本は、世界とともにあるとする視点からの政策提言がありそうだ。つまり国際戦略だ。
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Fieldwork939_祇園祭序章,2024年

2024年09月17日 | field work

 京都・祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。西暦869年に京の都を。はじめ日本各地に疫病が流行したとき勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまる。祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられる。
 そのなかで映像では、7月5日の長刀鉾稚児舞披露、7月7日の綾傘鉾稚児社参、7月10日のお迎え提灯と神輿洗を撮影した。祇園祭序章といえる催事である。
 さて、撮影なんかできるだろうか?。というのもコロナ過後のフル開催だからビジターが例年以上に多い事が予想され、宵山や山鉾巡行も撮影できるのかなあ?。だから映像も序章でお終いという場合もありそうだ。雨だというのに神輿洗いも境内は結構な人出だった。
 実際長刀鉾稚児舞披露は四条通の長刀鉾保存会でおこなわれるが、案の定対面の一角に脚立を建てた集団が固まっている。なかには地方新聞社の腕章をつけたカメラマンまでいて、こんな小さな行事からからこれですか!。最近脚立集団が一つの所に集まる傾向がありそうだ。そんな暗黙のルールがあるのだろう。私は脚立は使わず一脚でドローンショットを撮りたいと考えているが・・・。
Fieldwork939_祇園祭序章,2024年

祇園祭は3トンはある3台の大神輿が祭の主役。輿洗いとは蔵から神輿をだしてきて神様が乗る前に鴨川の水で清め、通り道をお祓いするのが儀式。従ってここではまだ神様は乗らない。山鉾巡行の夜に神輿にのって神様が街にやってきて四条の御旅所で鎮座する。

SONY FX30,E4/PZ18-105 G OSS
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Fieldwork938. 炎暑はじまる。The heatwaves begin in Kyoto.

2024年09月16日 | field work

 2024年7月5日の日本列島は雨の季節である。しかし今年は梅雨ではなく、いきなり炎暑が始まった。日差しは強く熱中症の警戒情報が出ている。しかし光は綺麗だ。だから私はいつもの散歩コースにでかけた。
 もうじき七夕祭りが日本全国でおこなわれる。京都も例外ではない。高台寺に僅かばかりの七夕の飾りを見つけた。お寺さんがおこなっている幼稚園児の制作だろうか。京都で七夕の飾りをみたのは、ここだけである。
 というのも京都は7月1日から祇園祭が始まり、一ヶ月間続く。静かに祇園祭のプロローグが始まっているわけだ。京都人の関心は七夕を通り越して祇園祭に向かう。そんな街の空気を感じつつ清水道へむかった。市バスは超満員のインバウンド達を乗せていた。

炎暑はじまる。
The heatwaves begin in Kyoto. Fieldwork938. July 5, 2024
 
SONY FX30,E4PZ 18-105G OSS
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