Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak242. 記憶に残る街

2019年01月09日 | Aomori city

 このブログのカテゴリー欄に青森というフォルダーがあり、これまでのブログ数が0のままだった。実は青森の画像はアップ済みであり、青森のカテゴリーに移し替えた。その際に手元のストックしていた青森の過去画像を集めてみた。そしたらリバーサルフィルムとモノクロフィルムの画像が出てきた。

 かっては青森市モヤヒルズの施設再生事業で関わった経緯があり、ここは個人的に記憶に残る町。

 旅は、その土地の人に会いにゆくことと以前このブログで書いた。青森市ではその土地の人が、いまは消息がわからない。だから雪の下にそっと埋めておこうという気分だ。

 それに旅は、全く個人的思い入れがあって成立する。だから他人には、あまり同じ価値や意味が共有できるとは限らないし、同じことを他人に勧めるわけにはゆかない。そうした旅を市場価値に基づいて商品化すれば旅行になる。そこが旅と旅行の違いだ。そんな雪の青森市というのは、まさに個人的思い入れの旅の所産だった。

 この頃、大学で地域空間構成論を教え始めた。全国及び海外の優れた、面白い、変わったと思われる(当時)街を訪れフィルム撮影の乱写時代であった。それでも足りないときは文献を複写し、他人から借りて、最終的に相当に吟味され、テーマに則して再構成した上で講義用スライドとして編纂された。それはある種の完成度を維持しながら今も手元に残っている。何しろ5万カット以上のスライドの中から200カット程度を選んだのだから、写真が選択の芸術だといわれることはまとを得ている。いずれこのスライド資料を複写しておく必要があることに気づかされた。

 青森の画像を探すのを発端にして、結局難儀な雑用を発見してしまった。気がついたうちにかたづけないと散逸するというのが研究資料だ。ブログの冬の素材に使えるかもしれないし、という思惑もあるが・・・。

 天気予報では、京都市の今朝は雪マークが出ている。降りそうで降らない京都の天気である。実際は花のように少し舞うだけだろうと予想している。ただし寒いことに変わりはない。

 

青森市古川市場・酸ヶ湯、1997〜2000年

NikonF4,AF Nikkor35-70mm/F2.8,ベルビア

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番外編306. 真冬の十和田湖

2018年01月15日 | Aomori city

 夜半に京都市内にもお裾分けのように少し雪が降った。もちろん屋根に名残がみられる程度。雪がないと冷たいだけの空気がPM2.5とかインフルエンザのウィルスでも運んできているようで勘弁して欲しいのだが、雪が降るとそんなものは水分となって流れて行くようでもあり、開き直ったように街が静かにシンシンと冷えているのが心地よい。こちらは、せっせと暖房に努める。大学センター試験の受験生と監督教員は、ご苦労様なのですが。

 素晴らしいことに雪のため新幹線は5〜10分と遅れている。その程度ではまだ雪が足りない。美景にいたるには30分以上遅れるほどの雪が積もり翌日の朝晴れると霧が地面をはって綺麗だ。もちろん大半の乗客はブラインドを降ろして寝ている間に通り過ぎる美景だが、各駅停車こだま号に乗る乗客は、そのことをよく知っている。

 そして雪で米原で長らく停車すれば外のフレッシュエアをすいながら冬体験となる。隣のホームに後続のぞみ号が停まっているけどドアは開かないから、インフルエンザウィルスの詰まった箱の中で悶々としているわけだ。あれは健康的にやだな。だから私は東京へ行くときは、名古屋まで各駅停車をしてゆくひかり号でゆく。

 なんでも早くゆくなどという勤勉なサラリーマン根性はサッサと捨てるべきだろう。出張の時こそ退屈な日常業務から抜け出せるので大いに旅を楽しべきというのが昔からの私のポリシー。

 私は地域開発の仕事で豪雪地の青森市へでかけたときには、いろんな理屈をならべて雪国を楽しんだ。ときには、プレゼンの時間に間に合わないじゃないかという理由(実際は15分程度だったのだが)で、飛行機からいまはない583系寝台特急電車に乗って修学旅行帰りの高校生達と鉢合わせする幸運に恵まれたり、青森市内の雪道をあるきながらいつものママがいるスナックにでかけ朝まではしゃいでいたり、そうしていると馴染みになってママ達が車で浅虫温泉につれていってくれ、旅館から眺めた冬の青森湾をみながらの昼飯はとてもよい時間だった。そんな風にその土地の時間を楽しみながら日が暮れてから飛行機で東京へ戻ったこともしばしばある。

 ときには、ママ達が真冬の十和田湖につれていってもらい寒さの局地を体験した。青森県人の車の運転は手慣れていて上手だ。その十和田湖のデュープ画像があった。撮影したのは多分2000年頃だろう。当然この寒さ体感の後WEBにはでてこない青森県人しか行かない温泉にいったけど。ここは施設も完備されていて安くてよいところだったが名前は忘れた(笑)。そりゃ最高の保養であり出張よ。

 もちろん様々な青森県人が市内で地元料理をご馳走してくれたし、あるとき私も雪の中をホテル前にある古川市場の路地へでかけ、総菜屋から味噌汁やおにぎりやおかずを調達し、大粒の雪が降るその店の前の小さなテーブルで朝飯をたべたときなんざぁ、わが人生で一番旨い朝飯だった。

 もちろん雪の青森の街を撮影する(当然業務外)ために撮影機材は必須であり、出張の折にフッとみた青森市内の景色はとても魅力的だった。出張の時間こそ最大の息抜きであり撮影日よりなのである。だからって休みだから写真を撮るという意気込みで街を歩いたって撮れるわけではなく、日常の行動のついでにいいなと思った都市の風景を撮影するということこそが撮影の原則だということを忘れてはいけない。

 リニア新幹線ができると、そんな移動も大半がトンネルである。実にくだらない出張になりそうだ。我々はロボットではないのだから、せめて車窓の風景を楽しむぐらいの精神的余裕がビジネスには必要なのである。出張こそは精神的な息抜きなのである。そういう余裕がビジネスを成功させてきた。だからなんでも早ければよいというモノではない。価値観は一つではないのである。

 さて京都も、もっと飽きるぐらいに雪が降らないかなと思っている。雪道を晦庵河道屋の芳香炉を食べに行くなんざあとても心地よい演出なのだが、天気予報をみれば今週は春陽気の日もあり、冬の心地よい時間は望み薄だ。なにしろ京都の雪は降ってもすぐ溶けたいしたことないですから。

 さてブログを書いている場合ではなかった。今日は京都の成人式の行事、三十三間堂の弓引き始めにでかけよう。

 

青森県十和田湖

NikonF4,NikkorAF35-70mm/F2.8,Velvia

 

 

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京都暮らし264. 冬の小さな旅36.

2010年03月22日 | Aomori city

 昨日のブログの俯瞰したモヤヒルズの風景のホンの一角を、アイレベルで眺めると、今日の画像になる。
 この位迄にスケールダウンすると、建築のデザインがとか、連続する家並みはとか、外壁の色はとか、周囲の風景との馴染み方はどうだとか、様々な人間が関わる或いは人間が視覚的に把握できる要素が多数出現し、理解も議論も評価もしやすくなるだろう。
 このスケールレベルになると、私は建築家と一緒に仕事をする機会が俄然増えてくる。ここでは、建築家の北山孝二郎さんと一緒に仕事をした。中央の大きな建物は、孝二郎さんのデザインであり、周囲の民間ヒュッテは、彼と一緒にデザインガイドラインを運用しながら、民間事業者の建築デザインをコントロールしつつ、全体として何とかまとまりある景観ができた。
 ここからさらにスケールダウンしてゆけば、完全に建築の世界であり、私が手をだす必要もなくなるだろう。このように、環境デザインが扱うスケールの幅は、大変大きい事が理解できるだろう。それだけに通例の一般人の生活感覚では体験できない視座や意識を、つねに持っているというのは、特異な経験というよう。そこに環境デザインの面白さもあるわけだが。
 さて、夕べの京都は、夜来風雨の声とでもいいたくなるような、激しく雨が音をたてて降っていた。風もどこか生暖かく、もう冬の気候ではない。冬の小さな旅シリーズも、今の気候とは合わない。来年の冬は、雪の湯治場へ行こうなどと思い、気が早いのだが冬を物色している。
 そんな冬の雪への未練を残しながら、京都の街の明るい光をみると、すこし心が浮き浮きしてくるあたりは、春だとおもう。桜が咲き、そして散り、すぐに新緑がやってくれば、もう初夏である。
 このブログも少しばかり静養したいと思う。

モヤヒルズ:2000年日本デザイン学会年間作品賞受賞

青森市,雲谷峠,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/640,絞りf16,焦点距離58mm,ISO400.

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京都暮らし263. 冬の小さな旅35.

2010年03月21日 | Aomori city

 青森市内から常に眺めることが出来る雲谷峠という小さな山がある。 私が青森市に関わったのは、この山麓に展開するスキー場の全面再生事業であった。画像は事業完成後に撮影したものだが、これだけ大きな空間規模になると、どこを整備したのかわからないぐらいである。それだけ環境の空間スケールは大きく、人間がこだわる喜怒哀楽のスケールが微少であることがわかろう。
 画面をよく見ると、スキーコースは新たに増設されており、夏期のオートキャンプ場や画面中央やや左下側のゲレンデフロントに微かに列状に見える陰のような建築群は、今回の事業で新築されたものである。環境を壊すなという発想で整備したこともあり、自然の中に静かに埋まっている。これが私の仕事としている環境デザインのスケールである。こうした環境のなかで自然保護と人間の活動との兼ね合いを土地利用に反映させ、施設の骨格やデザインガイドラインなどをつくり、これにそって事業を統括的な立場から進めてゆくプロデュースが私の仕事である。
 もちろん私の仕事としては、この事業は小さい方なのだが、それでもこれ位の規模でデザインを考えてゆくと、もう建築の個別的なデザインなどは過小な話になってくる。日常私達がいかに小さな狭い限られた視界でものごとにこだわり、認識し、考え、議論しているかがよくわかるだろう。
 私が扱う環境デザインのスケールというのは、これ以上の事が多い。建築や人間の存在は画面の些細な点にすらならないときが多い。

モヤヒルズ:2000年日本デザイン学会年間作品賞受賞

青森市,雲谷峠,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/1000,絞りf116,焦点距離109mm,ISO400.

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京都暮らし262. 冬の小さな旅34.

2010年03月20日 | Aomori city

 昨日は、大学から京都に戻るとき、何処か街が不機嫌のようだった。実際機嫌の人達が多く、3月から4月というのは、勤め人にとっては移動が多く、それがめでいた人もいるが、むしろ逆の方の人も多いのだろう。そういえば、私の所も一律に給料が下がった。私も不機嫌な仲間なのかも知れない。
 私は、急ぐ用事もなかったので名古屋から高速バスで帰ろうと思い、切符売り場に出向いたら最終便まで満席。金曜日は人の移動が多いようだ。やむなく、こちらも満席に近い「のぞみ」7号車のスモーキングルームで時間を過ごした後、イノダ珈琲で夕飯だった。空いているイノダでホット一息つく。そんな安らぐことができる喫茶店が最近少なくなってきた。
 今日の画像は、青森駅から5分ぐらい歩いたとろこにある古川市場である。ここも私にとってホット安らぐ場所である。地場の魚介類や農産物が一堂にならび、普段着のシズル感が漂ってくる。ときには、大きな鱈の解体!をしているところにも出会う。
 この市場の奥の細い通りに、屋台が少し建ち並んでいる。市場で働く人達のための飯処といったところだろう。店をのぞくと、おばちゃん達がつくったおでんや、七輪の上にのせられた焼き魚や、野菜の煮物やお新香、それにお握りや味噌汁といった具合に、地元で毎日食べる普通の食材が並んでいる。そこで私は、好きなものを買い集めて、店の前の傾いたテーブルで朝飯を食べることが多かった。屋外だから雪が降っている。足下も雪が固まっている。そんななかで、雪と一緒に食べる朝飯は大変旨かった。
 青森市の建築家が半分位あきれて私を見ていた。「こんなところで立ち食いみたいなのが旨いのですか?、私もここで今日生まれて初めて食べましたよ!!」。さもホテルにゆけば、ちゃんとした朝飯があるのに、と思っていたかもしれない。だか、こうした食べ方は雪国に来なければできないのよね。そこに旅の面白さがあると思うけどな。だから私は、無責任ながら雪の積もった青森の街が好きなんですよね。

青森市,古川市場,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/50,絞りf15.6,焦点距離34mm,ISO400.

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京都暮らし261. 冬の小さな旅33.

2010年03月19日 | Aomori city

 酸ヶ湯から背後の丘にあがると八甲田山が燦然と姿を現す。言い換えれば酸ヶ湯温泉は、丘の窪みに八甲田山から隠れるように構えている。多分火山だから、万が一の時を警戒しての建築的身の構え方である。それは、日本の集落が風土的了解の姿をとってきた姿と類似している。
 そんな話は置いといて、私は八甲田山の美景を楽しんでいた。ここから数キロ程のところでは、明治期に青森第5連隊の雪中行軍で200人以上の屈強な兵士が吹雪の中で遭難した事件が起きている。八甲田の気候は大変厳しい。
 私が車に乗っているときに「来た!」ということばに眼を前にこらすと、フロントガラスを目がけて大きな白い塊が静かにやってくる。地吹雪である。乳白色の地吹雪に囲まれると、周囲はおろか自分の足下すら見えなくなる。こうなると暫く車を停めておく他ない。天気がよければ地吹雪は10分もすれば通り過ぎてゆく。そんな気候の変化をドラスティックに感じさせてくれるところが、八甲田の面白いところである。
 そして5月下旬の新緑の頃になれば、まだらに雪が残る紫かがった八甲田山と青森の緑は大変美しい。あたかも信州の高原にいるような風景である。緯度が高い分、気候条件が近いのだろうか、それ故に植生も類似してくるのであろう。
 これが北海道に渡ると植生がガラッと変わり、大陸ですなぁーという風景になる。だから青森県は、典型的な日本の植生の北限だと個人的感覚では理解したいと思われる。雪かきをしないよそ者の無責任な立場から言えば、特に冬の雪が降った青森の風景は大変美しいと思う。

青森市,酸ヶ湯温泉,撮影日2006年3月4日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/1250,絞りf18,焦点距離125mm,ISO400.

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京都暮らし260. 冬の小さな旅32.

2010年03月18日 | Aomori city

 余暇について私の研究室でも、ここ何年か研究を進めている。バブル経済の頃だったら引く手あまたのこの分野も、日本企業の多くが余暇事業から敗退を余儀なくされる現実をみると、今では不人気研究分野であろう。
 だからといって、日本人の生活行動から余暇活動がなくなったわけではない。むしろあらゆる生活行動が余暇的になってきたといえよう。例えばこのブログというのも、余暇ライフの重要なアイテムであることを思えば、余暇の構造自体が変わってきたと理解する方が自然であろう。
 日本の余暇開発の失敗点をあげると、ビジネス本意であることだ。けたたましい設備投資を行いその結果宿泊料金は大変高くなる。だから景気が悪くなるとビジターの足が遠のき、事業は四苦八苦となる。これは余暇を装置産業だと捉えたビジネスモデルの悪しき傾向だ原因だ。装置があれば、大いに余暇活動が発生するという考え方の方が明らかにおかしい。
 今、新しい余暇ライフの姿というものが、おぼろげながら私には見えている。そうした先には、何をどうればよいかという方法論がある。そして、厳しいことを言えば全てのリゾート地が可能性を持っているわけではない。だから私は、絞り込みをしなければと思う。絞り込んだリゾート地を丹念に育ててゆく努力を伴うからだ。
 さて難しい話になったが、従来のビジネスモデルだけでは成立できないところに、これからのリゾートの姿があるとだけここでは言っておこう。ただ一つあげておけば、余暇の動機はコミュニティというソフトな概念によって支えられているということだ。

青森市,酸ヶ湯温泉,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/800,絞りf13,焦点距離109mm,ISO400.

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京都暮らし259. 冬の小さな旅31.

2010年03月17日 | Aomori city

 酸ヶ湯温泉の湯治部に泊まったとき、四畳半の茶の間のような適度に狭い空間に親しみを感じた。脇には流しとキッチンがある。窓からは湯溜まりが見え、氷柱が下がっていた。素泊まりは料金もすこぶる安い。
 随分前に伺った話であるが、農家のオバハン達は、稲刈りが終わる農閑期になると旅支度で忙しい。それも、自家製の漬け物や乾燥物などをつくったり、愛用の鍋釜を持参したり、それにお米や味噌や醤油も必要だといった具合に大荷物になる。そして亭主や息子の車に積んで、普段着で出かける先は温泉地・自炊が出来る湯治場である。
 湯治場では、秋の紅葉を愛でながら温泉にたっぷりつかり一年間働いた体の静養である。そして湯治場に売りに来る地場の野菜などを仕入れて自慢の調理をつくり始めたり、持参した料理を持ち寄り、毎年同じみの顔があつまり宴会となる。最近の話、近所の話、ときには旦那や息子の自慢や陰口など様々であろう。話に飽きたら、また温泉。そしてあとは寝て暮らす。そんな自分流の気ままな毎日を少なくとも2週間は続けるという。
 この話を聞いたとき私は、これこそ立派なリゾートライフであり保養地の姿だと思った。色鮮やかな紅葉と白く濁った温泉は、欧米には少ない。我が国のリゾートライフは、欧米よりもはるかに充実した暮らし方をしてきた。それも農家のオバハン達によってである。だから温泉には、3,000円程度のリーズナブルな料金で長期滞在できる普段着使いの湯治場と優れた温泉が必須なのである。
 それを思うと最近の都会暮らしの人達の余暇の過ごし方には、首をかしげる部分がある。沖縄などの高価なリゾートホテルに2泊ぐらいしても、風景を楽しむぐらいで、建築の人間から見ればマンションと大して変わらない仕様のホテルでは、金ばかりがやたらとかかり、後は退屈なことは目に見えている。高い宿代では当然長期滞在は無理だろう。それにリゾート地に行くとコミュニケーションがとても下手な都会人であれば、顔馴染みをつくるのもかなわない。それではリゾートライフとは呼べない。現代の保養地開発事業は、実に馬鹿馬鹿しい仕組みを構築している。
 リゾートライフの魅力の鍵は、まさにコミュニケーションにある。顔なじみができれば、毎年同じところに人はやってくるのである。リゾートとは、「Re=繰り返し、sort=人がそこにいる或いは訪れたくなる」という魅力ある非日常的環境なのである。だから日常とは違う顔なじみがいたりできたり。そうしたコミュニケーションを基本に考えれば、欧米よりもはるかに魅力的な我が国の保養地・湯治場の将来像が描けるのである。

青森市,酸ヶ湯温泉,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/400,絞りf10,焦点距離109mm,ISO400.

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京都暮らし258. 冬の小さな旅30.

2010年03月16日 | Aomori city

 松山市で桜が開花したというニュースもあり、この冬の小さな旅という看板を外す時期になってきた。そうはいっても雪への未練が大いに残る今年の暖冬である。過去の画像から、青森市の酸ヶ湯温泉をとりあげよう。
 プロデュース企業に勤めていた頃青森市には、プロジェクトで何度も足を運んだ。そして地元人が奨める酸ヶ湯温泉は期待を裏切らない。今でも大変素晴らしい国民保養温泉地第1号である。青森県特産の檜葉づくりの千人風呂と呼ばれている大浴場は、温泉の成分がしみ込み、大変風情がある上に、当然混浴である。実際は、湯気で回りはあまりよく見えないといったほうがよい。
 それでも私が訪れたときは、混浴はやだという女性のためにバスロープを貸し出して入浴できるようになっている。私から言わせれば、あれは卑怯だ!。自分だけ都合良くかくしておいて、男をジロジロと観察するのかい!?。あまりジロジロと見るなと看板がでているではないか。良い趣味とは言えませんな。
 私は若いときからクロッキーや人体デッサンを勉強してきたから、女性の裸は見慣れているし、それも描くわけだから、フツーの人以上に子細に観察してきた経験がある。さらに言えば、衣服を着ていても、その下の体型がわかるぐらいに訓練されたから、街を歩いていても大体の女性の裸の体型は、普通にわかってしまうのですね。普通にわからなければ、美術系の大学や学部にはいれない。
 そう思いながら酸ヶ湯温泉でバスローブを着けた女性が私の視界に入ってくると、直感的に体型がわかる。例えば足は細いの腿には脂肪が付いているな、あれでは切れ上がった大股にはならないよねぇー、といった具合にである。だから、そんな小細工してもわかる人にはバッチリわかちゃうし(笑)。

青森市,酸ヶ湯温泉,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,EF16-35mm/f2.8
シャッター:1/800,絞りf16,焦点距離18mm,ISO400.

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