Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Landscape23. 京都・吉田神社節分祭

2008年01月29日 | Kyoto city
 節分の時は壬生寺と吉田神社間に、臨時バスが往復している。だが、火炉祭迄は時間があるので、宿泊先で一休みしよう。例年この時期のホテル旅館は、比較的空いているので選択肢は多い。立地がよいシティホテルなら、市役所隣の京都ホテルオークラや京都駅上のグランビア京都あたりだろうか、リーズナブルならば、受験生常宿且つ大学生協お勧めで錦市場に近いコープ・イン京都[注1]、リーズナブル+景色(ただしツイン)であれば、蛤御門前の京都ガーデンパレス[注2]3階以上だろうか。
 吉田神社の火炉祭は、直径5m八角形の火炉に、参拝者が持参した古い神札等が積み上げられ、火を点じて焼き上げる。いわゆるお炊き上げは、この時期になると何処の神社でも行われるが、吉田神社は巨大なお炊き上げである。極寒の中で火炉の暖かさに冬を感じさせてくれる。
 火炉祭の23時が近づくと、吉田神社参道は通行止めになるので、早めかに出かけ、吉田山の山頂社殿を目指すとよい。数多くの露天が参道沿いに立ち並び、山頂まで続く様子は大変面白い。山頂の神社にお参りをして、露天が並ぶ参道を降りてゆけば火炉祭を上の方から眺めることができる。火炉祭点火のときは身動きできない程の人溜まりなので、露天で暇をつぶしていると、次第に人混みも疎らになり歩きやすくなる。火炉は冷えた体を温めるのには調度いいだろう。御利益があるとも聞いた。吉田神社のグッズで面白いのは、達磨の中に入ったおみくじである。このように吉田神社節分祭は、節分行事のハイライトである。冬の寒さとともに、人混みと火炉の熱気が漂い多種雑多の露天を歩いていると、どこか懐かしく、とても楽しい気分になれる。火炉祭は夜を徹して続く。
 これまで述べてきたように、2月3日の1日で5箇所の節分行事を回ることができる。充実した時間の連鎖がとても心地よい。冬の京都ならではのすごし方だろう。一連の節分行事が終わると、冬も終わる。明けて4日は立春だ。もうじき春がやってくるのである。
 節分は旧暦の正月にあたり、このブログもしばしの正月休みとします。


注1.http://hawk2.kyoto-bauc.or.jp/coop-inn/kyoto/reservations.html
注2.http://www.hotelgp-kyoto.com/

撮影データ
Canon EOS Kiss Digital
Canon EF f2.8/16-35mm
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Landscape23. 京都・吉田神社節分祭

2008年01月29日 | Kyoto city
 節分の時は壬生寺と吉田神社間に、臨時バスが往復している。だが、火炉祭迄は時間があるので、宿泊先で一休みしよう。例年この時期のホテル旅館は、比較的空いているので選択肢は多い。立地がよいシティホテルなら、市役所隣の京都ホテルオークラや京都駅上のグランビア京都あたりだろうか、リーズナブルならば、受験生常宿且つ大学生協お勧めで錦市場に近いコープ・イン京都[注1]、リーズナブル+景色(ただしツイン)であれば、蛤御門前の京都ガーデンパレス[注2]3階以上だろうか。
 吉田神社の火炉祭は、直径5m八角形の火炉に、参拝者が持参した古い神札等が積み上げられ、火を点じて焼き上げる。いわゆるお炊き上げは、この時期になると何処の神社でも行われるが、吉田神社は巨大なお炊き上げである。極寒の中で火炉の暖かさに冬を感じさせてくれる。
 火炉祭の23時が近づくと、吉田神社参道は通行止めになるので、早めかに出かけ、吉田山の山頂社殿を目指すとよい。数多くの露天が参道沿いに立ち並び、山頂まで続く様子は大変面白い。山頂の神社にお参りをして、露天が並ぶ参道を降りてゆけば火炉祭を上の方から眺めることができる。火炉祭点火のときは身動きできない程の人溜まりなので、露天で暇をつぶしていると、次第に人混みも疎らになり歩きやすくなる。火炉は冷えた体を温めるのには調度いいだろう。御利益があるとも聞いた。吉田神社のグッズで面白いのは、達磨の中に入ったおみくじである。このように吉田神社節分祭は、節分行事のハイライトである。冬の寒さとともに、人混みと火炉の熱気が漂い多種雑多の露天を歩いていると、どこか懐かしく、とても楽しい気分になれる。火炉祭は夜を徹して続く。
 これまで述べてきたように、2月3日の1日で5箇所の節分行事を回ることができる。充実した時間の連鎖がとても心地よい。冬の京都ならではのすごし方だろう。一連の節分行事が終わると、冬も終わる。明けて4日は立春だ。もうじき春がやってくるのである。
 節分は旧暦の正月にあたり、このブログもしばしの正月休みとします。


注1.http://hawk2.kyoto-bauc.or.jp/coop-inn/kyoto/reservations.html
注2.http://www.hotelgp-kyoto.com/

撮影データ
Canon EOS Kiss Digital
Canon EF f2.8/16-35mm
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Landscape22. 京都・壬生寺節分会

2008年01月28日 | Kyoto city
17:00〜18:00 壬生大念仏狂言
 廬山寺・鬼法楽のあとは、3番の市バスで壬生寺にゆくとよい。国の重要無形民俗文化財である、「壬生大念仏狂言」を見に行こう。
 2・3日と1日8回、節分にちなんだ題目の狂言が、おおよそ1時間毎に無料で行われている。狂言とは、身振り手振りで仏教の教えを民衆向けにわかりやすく表現した無言劇である。節分の演目の粗筋は、気前のいい男がいて、頼めばどんどん着物をくれる。そこでもっともらおうという下心で、お酒を飲ましたら、突然鬼に変身したという筋書きであり、人間はまめに精進することで、鬼のような不幸を追い払い、福を得ることができる、という教えである。この演目で使用される着物は、往事の文化財を復元したものだと聞いた。現在も着物の復元が少しづつ進められており、そのため上演前に寄付が回ってくる。
 この時期壬生寺境内では、厄よけとして炮烙(ほうらく)という素焼きの皿に氏名等を墨書きし、これを納める行事が行われている。墨書きは、地元高校書道部の女子高校生らである。私の推測では、彼女たちはアルバイトかも知れないが、この土地に染みこんだ文化を感じさせてくれる一面である。書き込んだ炮烙は、5月初旬の行事で、狂言の演目の中で、舞台框から地面に落とす炮烙割に供される。祈願成就ということだろう。
 壬生寺に続く細い道や境内には、数多くの露店が建ち並び、大変賑わっている。調度この時間帯は、街の家並みの端に薄く明るさが残る薄暮をすぎた頃であり、露天の風景と対照的であり、冬の寒さが伝わる美しい風景である。
 上にあげた、壬生大念仏狂言の写真は10年前、雪が降りしきる寒い最中で行われた時に撮影した。 現在は、撮影禁止となっている。また壬生寺を含め、このブログで紹介している一連の節分行事を、自家用車で回ることはできない。京都は道が狭く、また境内にはトイレはあるが駐車場がない。壬生寺のように道に露店が出ており通れないところもある。市バス、地下鉄、タクシーを勧める。 タクシーを利用しても京都の街は狭いから金額は知れている。京都市内は、歩いて訪れると、道すがらに多彩な発見がある。そこがこの街の面白さだろう。
 狂言を見終わると調度6時頃になる。夕食時であり体も冷え込む。四条通に出て阪急電車にのれば、二つ目が河原町である。先斗町でも三条木屋町筋でも、お店はお好みで。私ならば、壬生寺から、細い街筋を下がってJR丹波橋駅を目指す。高架線沿いに下がり青果市場を通り越したところにある、「両国」というちゃんこ鍋で暖まりたい。この店のしつらえは普通だが、味は大変良く価格はリーズナブルだ。お酒とちゃんこ鍋が冷え込んだ体に染み渡るような暖かさに、冬の古都を体感する。
 
京都観光情報WEB
http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php
 
撮影データ
Nikon F4, AF Nikkor F2.8/20-35mm
プロビア400
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Landscape21. 京都・廬山寺,追儺式鬼法楽

2008年01月27日 | Kyoto city
Landscape21. 京都・廬山寺,追儺式鬼法楽
2008年1月27日日曜日
 
15:00-16:00 鬼法楽
 八坂神社節分祭の後は、3番目の行事なのだが、実は節分行事の多くが3日の午後に行われる。主なものをあげると・・・
平安神宮節分祭12:00〜終日
六波羅蜜寺節分会 14:00〜
松尾大社節分祭 13:30〜
千本釈迦堂 おかめ節分祭 15:00〜他等々である。
とても全部は回れないので、一つに絞るとしたら、廬山寺追儺(ついな)式鬼法楽が勧められる。
 廬山寺へは、四条河原町を少し北に上がったところにあるバス停から、3.4.17.205番で10分弱の府立医大病院前下車。調度下車した側の住宅街の真後ろに廬山寺がある。要は河原町通りの一筋西側の寺町通り沿いにあるので、バス停から下がり府立医療短大を巻くように、京都御所沿いに上がればよいだろう。
 廬山寺の狭い境内に入れば、この行事のいわれはたっぷりアナウンスされるので略す。太鼓が鳴ると三匹の鬼が登場し、しこを踏んだような鬼踊りをしつつ本堂に侵入する。本堂では護摩供が行われ、追儺師が「邪気払いの法弓」を放って鬼は退散し、「福は内!鬼は外!」福豆と福餅が撒かれる。また鬼のお加持という行事もあり、刀で頭を撫でてもらい厄払いをしてくれる。鬼という悪役の存在があってこそ、節分の面白さも増す。悪役は世の中の必需品だと思ったりもする。
 それにしても、乳首がついたメタボリック症候群のような鬼の姿が面白い。こういうコスチュームをつくる時って、遊び感覚だろうかね。大変寒く冬を実感するが面白い行事である。
 鬼法楽には、30分以上前に行くか、若しくは脚立必携である。特に撮影するのであれば、脚立がないと人垣で撮影できない。場所によっては豆撒きの時に、福餅などが飛んでくるので、御利益なんて思っていないで、素早く脚立を飛び降り後ろへ逃げること。前の観客がドッと後ろに押し寄せてくるので脚立毎倒されます。
 鬼法楽の次は壬生寺、次回のブログで紹介。
 
京都観光情報WEB
http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php
 
撮影データ
Canon EOS Kiss Digital
SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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Landscape20. 京都・八坂神社節分祭

2008年01月26日 | Kyoto city
13:00〜八坂神社節分祭
 午前の催事を見たら、次は都心に移動しよう。程よい頃に八坂神社節分祭の豆まきが見られる。今年だと13:00時からの祇園甲部の舞妓らによる舞踊奉納と豆まきが行われる。祇園甲部というのは京都の花街(かがい)のことであり、現在5花街ある。
 花街! 素敵な響きである。私は、東京の花柳界の一つ神楽坂界隈で育ったからこの言葉に親近感を感じる。昔であれば、花街で遊び、やがては芸子の身請けぐらいでき、そして家作を与え芸子を養えるぐらいに、一生懸命仕事をして稼げ、というのは男の命題だった。現在では交際費には課税され、多くがサラリーマン化して、そこそこの仕事しかしない上、みんな均等にしょぼい収入を享受し、男女共同参画社会だから身請けなんか許されるはずもない。現在の花街では、割り勘会費制で、しかも夫婦同伴で、古典舞踊などを鑑賞するといった具合に、実につまらない社会になってしまった。最も私のようにしょぼい収入では、身請けどころではないのだが・・・。そこで、祇園の舞妓はんでも、遠巻きに眺めて一時のうさを忘れようという向きには、ここの節分祭がお勧めである。
 豆まきの後で、複数の鬼が登場し舞や芝居を演ずるのだが、この演目は毎年同じであり、また次の行事が迫っているので、最初[注]を見たら昼飯を食べに行こう。四条だからお店は多く、詳しくはWEBやガイドブック等参照。体か冷え込むから、私なら、「しっぽく」かな。権兵衛、尾張屋、河道屋・・・と四条通沿いにある。
 節分行事は地元ではよく知られているため、人だかりが多く演目が見にくい場合が多い。特に八坂神社は平坦だから、私のように身長が低いと不利である。舞台近くに陣取ろうと思えば、早めに行くか、罵声を覚悟で割り込んでゆくオバハン精神を発揮するかである。ただし、豆まきの餅などは、頭の上を通り越してゆくが。
 しかし、絶対に好位置から見たい! 撮影したい! であれば、脚立必携である。カメラは忘れても脚立は忘れるな。これは行事撮影の鉄則である。写真は撮れないが、見ることはできる。上の写真は、脚立を用いて撮影している。
 
[注]私の記憶では、確か最後に鬼が豆をまくのであるが・・・何これ!?
 
京都観光情報WEB
http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php
 
撮影データ
Canon EOS Kiss Digital
SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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Landscape19. 京都・下鴨神社節分祭

2008年01月25日 | Kyoto city
 海外の話も随分続けてきたので、いささか飽きた。そこで国内の話を数回書こうと思う。1月21日は大寒だった。1年で最も寒い時期である。そして暦通りに昨日は横浜にも雪が降った。風も強く冷たく冬到来の感がある。しかし以前と比べれば遅い冬であり、毎日の気温が零度以下で街の水溜まりに氷が張るという風景は、都会では見られない。これも暖冬の故だろう。
 さてこの大寒の季節は、2月の節分迄続く。寒いと言ってもたかだか2週間にすぎない。そして2月4日は、立春である。節分は冬の終わりであると同時に春の始まる節目にあたる。旧暦であればこの時期が正月となり、新しい年が春とともにやってくるという点では、旧暦の方が季節の推移に呼応している。
 節分は旧正月だから日本全国で行事が多いことだろう。そんな行事の一端を京都の節分に訪ねてみた。あまり知られていないが、実は京都の節分は、7月に一ヶ月続く祇園祭と同様に、見応えがある行事である。もしあなたが2月3日の朝、京都駅に降り立ったら、先ず京都駅2階にある観光案内所に行き「京都観光情報」を手に入れよう(言わないと出してくれません)。そこには京都の節分行事が記載されている。時間帯順に、1日で回れる京都の節分行事を紹介しよう。
 
2月3日
 9:00〜 伏見稲荷祭典と豆まき
10:00〜 北野天満宮節分祭,松尾大社岩見神楽
11:30〜 天龍寺節分会,【狸谷山不動院】 狸谷節分祈願祭他
 
 早くも幾つかの行事が市内各所で開催される。距離が離れているので同時に回ることはできない。迷うね。京都駅から最も近いのは伏見稲荷だろう。人手が多く賑わっているが豆まきは11時30分だ。伏見は京阪電車で容易に四条に戻れるので次の行程が楽だ。
 或いは地味だが上の写真にあげた10:00〜の、世界文化遺産糺すの杜がある下鴨神社の節分祭に行く案もある。案内には、追儺弓神事は直垂(ひたたれ)姿の射手が舞殿から矢を放つゆかしき神事とある。その後の古神札焼納式 11時とある。或いは10:00〜の北野天神だろう。地下鉄烏丸線で北大路、さらにバスですね。さしずめこの辺りのどれか一つをチョイスして行くと、これで午前中の日程は一杯でしょう。お勧めは・・・難しいですねぇー。
 
京都観光情報WEB
http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php
 
撮影データ
Canon EOS Kiss Digital
SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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Landscape18. ボストン,ファイエル・マーケット・プレイス

2008年01月24日 | field work




 1976年〜80年代にわたり段階的に開発されたファヌイエル・マーケット・プレイスは、都市再生を成功に導いたプロジェクトであった。このプロジェクトの背後には、インナーシティ問題があった。それは都市が郊外発展してゆくなかで、同時に都心部の機能が低下し治安の悪化などの社会的都市課題を抱えていた。
 このプロジェクトの特徴は、アメリカ開拓のシンボルの一つであったファヌイエル・ホールをはじめとする複数の歴史建築物を再生しながら、どこかなつなしいノスタルジックで庶民的な都市の賑わい性を復活させ、その後の都心再開発の契機とするなど波及効果は大きく、都心再生の先駆けモデルを、総合的な立場からプロデュースしてきた点である。プロデュース専業企業であるラウス社によって、構想計画、建設、テナントリーシング、そして施設運営と一貫性あるプロジェクトが進められた。それこそが、このプロジェクト成功の最大要因である。プロデュース・システムの構造や方法については、これまで拙者の多くの論文や著述で述べてきたので[注]、そちらを参照されたい。
 かって私は、日本のプロデュース企業に長らく在職し、数多くの都市開発プロジェクトにおいて、プロデュースという仕事を行ってきたが、そうした際にいつも参照してきたのが、このラウスがプロデュースした、ファヌイエルである。
 参照してきた視点は、都心価値を高められるソフト・ハード両面からの施策展開による都市課題解決とともに、周辺への波及効果を意図するプロジェクトであったこと。こうした視点からプロジェクトを行う際、日本において、空間的解決主導型の箱物行政や箱物学会主導の論理やコンテクストは、全く役に立たない。制度や手法或いは時代や人々の志向性といった要素を加味した総合的な都市事業経営モデルとして構築してゆくことが、重要となってくる。
 経営の背後には、この施設を訪れる利用者や時代の志向性、そして環境形成によってもたらされる、アメリカの歴史文化と時代性の表現を、ソフトウェアとして構築し流通、運営或いは施設経営においてにおいて実践してゆくことがあげられる。
 こうしたことは単なる建築空間の事柄ではなく、むしろ都市、経営、流通などの多領域にわたる総合的視点から新しい事業モデルを構築してゆくことを、私はデザインと定義している。このデザインを実現してゆく方法こそがプロデュースなのである。
 

著書:
■三上訓顯: プロデュース活動のコンセプトワークについて-環境デザインにおけるプロジェクト・プロポーザルの考え方-, 芸術工学への誘い7, P33-73, 岐阜新聞社,2003.
 
■三上訓顯: ウォーターフロントプロジェクトのプロデュース活動を通じて学んだことについて, 芸術工学への誘い6, p168-196,2002.
 
■三上訓顯: デザインの教育と現場をつなぐ活動について, 芸術工学への誘い5, p137-150, 岐阜新聞社,2001.
 
■三上訓顯: 都市づくりにおける界隈性について, 芸術工学への誘い4, p62-79, 岐阜新聞社,2000.
 
■三上訓顯: モヤヒルズプロジェクトのコンセプトから実現に至るプロデュース活動について, 芸術工学への誘い3, p99-130, 岐阜新聞社,1999.
 
■三上訓顯:ラブジョイ, p68-70,ファヌイエル・マーケット・プレイス,p265-267,日本建築学会編,空間体験,世界の建築・都市デザイン,井上書院,1997.
 
■三上訓顯: 都市づくりにおけるプロデュース, 土肥博至編著,環境デザインの世界,
 
審査付き学術論文:
■三上訓顯:プロデュース方式による通年型余暇施設の再生整備指標について-青森市モヤヒルズを事例とする一連の研究のまとめ-,日本建築学会建築計画委員会地域施設計画小委員会,地域施設計画研究No23.2006.
 
■三上訓顯:20世紀後半デザイン分野におけるプロデュース企業の特徴について-浜野商品研究所のデザイン活動とプロモーション活動を事例とする, 名古屋造形芸術大学紀要第12号-2006,BULLETIN-VOL.12,p89-102,2006.
 
■三上訓顯:経営における初期プロジェクト・コンセプトの検証,モヤヒルズ整備後の追跡研究について,デザイン学研究特集号,Vol.12,No5.2005.
 
■三上訓顯:環境デザインの総合プロデュースに関する覚書-コンセプトワークとスケマティック・デザインの実践 ,名古屋造形芸術大学紀要第11号−2005,BULLETIN-VOL.11,P71-85.2005.
 
■三上訓顯:プロデュース方式による通年型余暇施設の利用面からみた再生可能性について,日本建築学会建築計画委員会地域施設計画小委員会,地域施設計画研究22,p227-232,2004.
 
■三上訓顯:これからのデザイン戦略におけるプロデュース・システムについて,日本デザイン学会50周年記念論文集, 第12巻2号,通巻46号,p53-63,2004.
 
■三上訓顯:プロデュース方式による余暇施設開発運営とその将来課題に関する研究,日本建築学会建築計画委員会地域施設計画小委員会,地域施設計画研究20,p307-312,2003.
 
■三上訓顯・坂本淳二:プロデュース方式による都市拠点形成のための背後要因の考察,日本建築学会計画系論文集,第559号,p211-218,2002.
 
■三上訓顯:プロデュース方式による余暇施設開発とその成果に関する研究,日本建築学会建築計画委員会地域施設計画小委員会,地域施設計画研究No19,p13ー20,2001.
 
■三上訓顯・:プロデュースをしてゆく立場からの提案「囲郭型街づくり」,日本デザイン学会,デザイン学研究特集号,P42-47,2001.
 
■三上訓顯・北山孝雄・北山孝二郎・Debora Sussman・三浦雄一郎:「モヤヒルズ・プロジェクト」の総合プロデュースと環境デザイン,日本デザイン学会,デザイン学研究作品集vol.5, No.5,共同研究者:三上訓顯,p52-57,2000.
 
■三上訓顯・坂本淳二:総合計画における副都心施策と実態に関する考察,日本都市計画学会都市計画論文集第34号共同研究者:三上訓顯, ,p115-120,1999.
 
1990年代半ば撮影
MINOLTA CLE ,ロッコールF2/40mm.
MINOLTAα3,F3.5-5.6/100-300m,F2.8/20mm
エクタクローム,Canoscan
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Landscape17. ボストン,ニューベリーSt

2008年01月23日 | field work
 今日は朝から時々発生する偏頭痛が起こり、元気がない。加えて胃がもたれ食欲もない。加えて、暫くは多忙な日々が続くスケジュールなので、気分も低調だ。これまでどんなに忙しくてもブログ位は、書こうと努力したが、今日はそんな余裕は、あまりない。
 そんなわけで、手元にあった素材を貼り付けた。ボストンの「ニューべリーストリート」は、古い建築が立ち並ぶ落ち着いたとても心地よい通りである。建築様式はコロニアル様式だったかビクトリア様式たったかは忘れた。 こうした様式で統一されているところは美しい。建築は、道路から大きくセットバックし、アルコープ状のバーチザンを持ちショーウィンドーとして利用されている。店舗は、グランドレベルに対してスキップフロアの関係で接しており、東急ハンズの構造を思い出させる。1Fと2Fは空間的にも、事業的にも同一条件に設定できる点で、興味深い構成となっている。
 ところでボストンは、アメリカの国会議事堂の設計者であるチャールズ・ブルフィンチはボストン・ハーバード大卒だ。日本で言えば辰野金吾なのか・・・・しかし辰野は国会議事堂は設計していない。
 話題は変わるが、今日は初雪だった。そのせいか大変冷え込みようやく冬の気候だと思った。だが暖冬に慣らされた体は、なかなかいうことをきかない。雪は午後にはみぞれとなり、積もることはなかった。雪景色を期待したが、かなわなかった。
 そんなわけでもないが、トップのCGを差し替えた。CGは、Vue6というソフトで環境の設定を変えただけなので、1分もあれば完成できたが、レンダリングには低画素にもかかわらず2時間を要した。Power Mac G5 Dualももう限界か。
 
1990年代半ば撮影
MINOLTA CLE ,ロッコールF2/40mm.
MINOLTAα3,F3.5-5.6/100-300m,F2.8/20mm
エクタクローム
Canoscan
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Landscape16. ボストンの路面電車

2008年01月17日 | field work
 道路に線路と架線があったので、街の中を大陸横断鉄道のアムトラックでも来るのかと思っていた。日本では道路の上を新幹線がノロノロと走り抜けるような案配で、海外では街の中を長距離列車が通り抜けたりする光景は、しばしばある。線路の幅や車体断面の規格が同一であれば、線路がある限り列車はどこでも走ってゆくことができる。古い記憶だが日本でも山形新幹線には踏切があり、民家をすり抜けといった光景を見た記憶がある。
 それにしても鉄道後進国アメリカで路面電車に遭遇するとは思わなかった。アメリカ最古の都市ボストンは、当時の開拓者・移民者達の母国であるヨーロッパへの、ねちねちとした憧憬性が感じられる街である。路面電車とクラシックな建築をみているとヨーロッパの風情が漂うのだが、あの大雑把な架線をみるとやはりアメリカかとも思う。
 この写真を撮影していた右側あたりには、たしか 小澤征爾が指揮していたボストンフィルの常設劇場があったとおもわれる。この地区の対岸に渡るとMITがあり、少し西へ行くとハーバード大学がある。古風な佇まいと文化と大学街という点では、京都と似ている。
 さて今日からしばらく雑用が続くので、ブログは来週の火曜日以降に登場しよう。日本はいずこの社会も年度末は、イレギュラーな雑用に忙殺される。これが三月まで続き、少し休めるかと思ったらすぐに4月になり、授業の準備に追われる。夏休み、冬休み、春休みは、学生の休みであって、教員の休みではない。だが授業がないので、この時期でなければできない集中的な仕事をするのにはいいのだが、共同作業は難しい。というのも周りの同業者もイレギュラーな雑用に追われ、お互い日程の都合がつかないことがままある。3月になり、学業を忘れバイトに奔走しつつ、うららかな春を謳歌できるのは学生だけかもしれない。
 
撮影時期:90年代半ば
OLYMPUS XA-4,F3.5/ZUIKO28mm
エクタクローム.
CanoScan.
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Landscape15. 京都「通し矢」

2008年01月16日 | Kyoto city


 先週末に湖北地方を経由して京都に出た。冷え込むという天気予報があったものの、期待していた雪景色にはならなかった。その足で京都にでたら、三十三間堂で成人式の儀式である通し矢が行われていた。遅がけに出向いたので、既に男子の部は終わり、女子の部の最後にありついた。雪のネイチャーフォトに出たつもりだったが、姉ちゃんフォトになってしまった。境内は多くの人で賑わい、男子、女子、を合わせると2000人程の参加者があった。参加者は初段以上の有段者ばかりである。
 この日を目当てに弓道部に入り稽古に励みながら、初段を獲得できた二十歳の成人だけが、通し矢に出場できる。一生に一回しか出場できないから晴れ着を着て登場する、すがすがしい晴れ舞台である。 それにしても晴れ着と晴れ舞台が現代生活の中では随分少なくなってしまったのは残念だ。
 余談だが女子の和服の華やかさはいうに及ばないが、実は男子の和服の下重ねの下に着る長襦袢は、虎や龍や杯などの絵が施されており、着るのが恥ずかしくなるぐらいにすごく派手な柄なのである。
 矢をいる場面では、頼りなさそうなガリ勉風の男子学生が、着物の片肌脱いで矢をいるなんて風景は、腐っても枯れても男の意地だと思われて微笑ましかったし、そうかと思うと豪快に矢を射る女子学生もいたりして。頼りなくても男は男だし、豪快でも女は女だねと思いつつ、 男子も女子もすごく個性豊かで面白い。
 この催事に私は、毎年出向く。境内にいるとオーラが一杯漂っていて元気にさせてくれる催事だ。ちなみに今年は、私どもの大学からも男女4人ほどが、これに参加していた。
 
Canon EOS Kiss Digital
EF F2.8/20-35mm,EF F3.5-5.6/100-400mm
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Landscape14. NYの本屋

2008年01月12日 | field work
海外に出かける楽しみの一つが本を買うことである。もちろんデザイン関係の洋書は、代官山のハックネット等に行けばそれなりに入手できるし、これっ!と決まっていればwebでアマゾン.comや、海外の通販、或いは専門書店に注文すれば済む。
 実際に本屋に足を運ぶ利点は、いろんな本が見られ、「アレッ!こんな本があるんだ」といった具合に思いがけない発見があることだ。それも専門分野以外での発見が多い。外国の書店では、それがなおさらのこととなる。
 デザインの研究者といったところで、専門分野の本ばかり読んでいるわけではない。むしろ私のようにプロデュース・・などというところへ足を掛けていると、分野毎という分類があまり役に立たない。これはコンセプトの原稿を書いているときにいつも体験することである。これから書こうとするコンセプトに資する資料と、図書館や本屋の分類体系とが、いつも喧嘩する。つまり整合しない。整合しなければ、お店で訪ねてもわからない。
 例えば、確かな書店(例えば昔の神田東京堂や南洋堂)に行き、古参の店員さんや主に尋ねると、「実は中央公論だったか・・サマーソンの建築論を探しているのですが・・・」、「・・・・あっそれは中央公論ではなく、別出版社でして正しくは中央公論美術出版社といいます・・たしか出版は、1970年頃でしたね・・それなら在庫あります・・・」とたちどころに本がでてくる。こういうことは、今の本すら読まないアルバイト店員ばかりの大型書店(日本の多くの書店)では無理だ。他方、こういった訪ね方ができる分野は、体系化され、学問としても成立しているので、比較的本を探しやすい。ところが、デザインはもとより、芸術工学だ、プロデュースだ、といった具合に学際領域や未体系領域になると、どっちの分類だ!・・ということになる。
 結局 最後は、自分の目と感性で探り出したり発見する場合のほうが、面白い本に出会う。 自分の感性を頼りに、海外で本屋を訪ね歩けば、意外な発見で手に入れた本で鞄が一杯になる。海外の本屋に行くもう一つ大切な理由があった。海外では、本が安い。大体日本の半額である。
 
撮影時期:90年代半ば
OLYMPUS XA-4,F3.5/ZUIKO28mm
エクタクローム.
CanoScan. 
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Landscape13. NYのマガジンハウス

2008年01月11日 | field work
 今日は朝から4っの事務仕事を同時に処理していた。インターネット故、動かなくてよいのは幸いだが、書類も同時に送られてくるので、いろいろと考えたあげく書類を書かされることになんら変わりはない。1つしかない頭は、会議スケジュールや決済の段取りを頭に描きながら、4つの仕事のために同時に動かさなくてはならない。パソコンの前の受取手は、私が並行作業をしているとは思わないだろう。もっとも相手も並行処理をしていたりするので、状況は似たり寄ったりだろうか。これがデザインならば、一つの事に専念できるが、 大学というのは、なんとも面倒くさい組織なのだろう。これも社会機構の複雑さ故多くの書類を必要とし、情報過多故考えることも多くなる。
 情報過多といえば雑誌の種類の多さこそ、複雑と過多の典型だ。書店でみかける雑誌などはその一部であり、私達が投稿する学術論文だって雑誌だ。こうした書店に並ばない雑誌もいれたら、一体毎年どれぐらい発刊されているのだろう。
 大学や専門図書館にゆくとわかるが、書架配列は雑誌が入り口周辺などのアクセスしやすい場所に配架され、そして単行本が奥、ないしは閉架書庫に置かれる。このことは単行本よりも雑誌の利用度が圧倒的に高いことを表しており、20世紀後半以降の図書館建築の大きな変貌点である。それだけ雑誌が果たす社会役割が大きいのである。
 街の書店だって当然変わってしかるべきである。雑誌だけの書店は成立するだろう。そうなると書店と言うよりは、キオスクである。よろず屋がコンビニエンスストアとなり、書店がキオスクとなる。このように業態(商品の構成と売り方)は変化するのである。このような業態開発がマーチャンダイジングである。
 写真はブロードウェーを歩いていたら見かけた新業態の雑誌ストアである。3面の壁全面にあらゆる雑誌を並べ、まさにマガジンハウスだ!!。新聞やチョコレートやキャンデーや煙草も売ってたりと、つまり街のキオスクである。こんな種類豊富な業態は、日本でも欲しい。駅のキオスクでは何もないに等しい。
 ブロードウェーを歩いていたら、瀟洒なカフェがあった。日本のドトールみたいだ。安くてコーヒーが旨くてたばこが吸える新業態か!・・・・この新業態は3年後日本にやってきた。禁煙という看板をぶらさげ、スターバックスという名前で。
 
撮影時期:90年代半ば
OLYMPUS XA-4,F3.5/ZUIKO28mm
エクタクローム.
CanoScan.
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Landscape12. NY,見られない風景

2008年01月10日 | field work
 これらの写真はマンハッタンの夜景が美しく・・・・などという話をするつもりはない。都市の風景が変貌してゆくことは、都市であることの証左である。都市であっても変貌しないところを大いなる田舎という。それはいつも変わらずに私達を待っている、或いは出て行った人間には冷たく排他的な、そんな複雑な故郷かもしれない。
 ところで変貌することには二つの意味がある。一つは都市の構成要素が視覚的に消えてゆくこと、二つはその場所に立てない・・・つまり写真が撮れないことである。
 というわけで、90年半ばに 撮影したこれらの写真は、現在撮影した場所に、立つことができない。つまり写真も撮れないのである。それは撮影場所がワールドトレードセンターのSouth Towerだからである。上の写真の左隅にNorth Towerが微かに見えている。私の撮影後約10年後には、テロの攻撃によって崩壊してしまう。人類の何千年の歴史から見ると、10年という時差なんて、ニアミスなんだろうと思った。
 グランドゼロの敷地は。その後国際建築設計コンペティションが行われた。手元の本[注]をひらくとUnited Architects案、Richard Meier案、Norman Faster案・・・などがあった。Fosterの案は床効率がわるそうだな・・・などと考えつつ、さてこのコンペの結末は、どうなったんだか、私は記憶にない。
 正月三が日があけてから、4日ほど原稿に追われた。途中で講義等の雑用が入ったのでテンションが下がり、少しあせったが、昨日無事プレゼンテーションが終わった。いささか疲れた。さて次は、このペーパーを元に論文の素材を・・・などという使い回しを考えている。使い回しは、時間節約なのだが、節約してもまだ時間が足りない。今年はテンションの低い世界は、出向いたところでいい刺激があるわけではないから、ほかしておこう。
 
注:The Museum of Modern Art,New York:TALL Buildings.
MINOLTA CLE. ROKKOR F2/40mm .
エクタクローム.
CanoScan. 
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Landscape11. NYのパフォーマンス

2008年01月09日 | field work
ラジオホールの近くを歩いていたら、こんな風景に遭遇した。何やら戦闘的だと思っていたら、よくみると車のボディに張り付いているのは、全部カメラである。ポラロイドカメラとかコンパクトカメラとか・・・90年代だから、まだデジタルカメラが登場する以前のフィルム時代の安いカメラである。大量生産・大量消費社会に対する皮肉とか、いろいろ理由付けのしやすいパフォーマンスだった。NYのテレビ局が脇で取材をしていた。
 この満身カメラのワゴンもいずれ、丸ごと捨てられるのだろうと思われた。ところで、これらのカメラで撮影された大量の記録フィルムやプリントは、どうなったと思う。その多くは捨てられていますね。よく写真好きの亡き親父が撮影した大量のネガとプリントが、出てきたんだけど・・・・という話を聞いたことがある。結果は、第三者が中をみても面白くないし、よくわからないから、丸ごと捨ててしまった。という話であった。
 世の中の多くの写真は、そこに撮された人間と撮した人間にしか意味はない場合が多数だ。だから、それを第三者が見たところで、確かにつまらない。では残る写真とはどんなものか・・・・記録性がある、時代が撮されている、二度と見ることができなくなった風景等が撮されている、スキャンダラスだ・・・・そんな理由とか本にするといった必要性がないと、写真は、後に残らないのだろう。いまはデジタルだから、消すのも簡単だ。
 もっと言えば、人の世も生まれては消えの繰り返しだ。凡人の一生など、どこにも記録されないから、写真と大差がない。などと、いろんなことを考えさせてくれる風景だ。
 
MINOLTA CLE. ROKKOR F2/40mm .
エクタクローム.
CanoScan.
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Landscape10.(TownScape改め)

2008年01月08日 | field work
 新年に伴いというわけではないが、小見出しを変えた。Townでは都市や街しか扱えない。ここはもっと広い範囲であるローカルや自然の風景を含めたいという意図がある。それに見ている風景に伴う個人の心象風景、時空を超えて見えた風景、ある出来事に関わったが故に見えた風景、それらもLandscapeである。そんな広義の概念と私が見たという視点でのLandscapeである。
 写真は、ラスベガスの”The Fremont Street”である。デザインは、あのJohn Jerdeである。1日の特定の時間だけ、約500mモールの天上をスクリーンとする動画のショーが行われる。天上に埋め込まれた無数の照明の類がコンピュータ制御で動画を放映する。するとこの空間自体が、あたかも ダイナミックに動くスクリーンに映し出された空間の中に、私達がいるような雰囲気に包まれる体感型シアターであろう。日本には、まだない。いかにもアメリカ的な大仕掛けである。こういう大仕掛けを他にあげるとすれば、スペースシャトルを打ち上げるケープケネディだろう。ショーというよりは、リアルな宇宙探検である。
 アメリカというのは、面白い国でインターネットという巨大な仮想空間をつくる一方で。リアル体験という大仕掛けもある。実際スペースシャトルの打ち上げなんか、バーチャル体験をしのぐ。時には打ち上げている矢先に、シャトルが墜落するといった予想できないリアル体験もあるのだから。こう考えると、インターネットという仮想空間も、他方でこれをしのぐリアル体験があって成立する。つまりバーチャルとリアルはセットである。それらの間をスウィングしてゆく、そこが彼らの生活だと思った。
 我が国ではどうだろう。残念ながらバーチャルを超えるリアル体験は、最近見かけられないほど日本は平和だ。なにしろ無病息災を祈るぐらいだから。我が国は、宇宙探検をするほどの技術も資金も知恵も、国民的コンセンサスもない。最近ようやく商業衛星を打ち上げるのが精一杯でしょう。我が国にあるのは、インターネットにどっぶりつかった人間の姿だけである。インターネットで交友関係をつくったり、それに満足していたり、或いはセカンドライフに興じているといった姿は、体が動かなくなったリタイアメント・ライフスタイルでしかない。国民全体がリタイアメント化していることを指摘しておく。
 こうしたアメリカの体感型シアターやなどをみていると、リアルライフとバーチャルライフとは、一対のものだ、というのがインターネット開発国アメリカのメッセージだと私は思う。
 今年は、メールですむことは電話で、情報は自分の足であるいて集める、といった具合にインターネットからは、遠ざかりたいとおもう。ちなみにこのブログに掲載しているすべての写真は、私自身が自分で歩いて撮影してきたものである。
 
HEXAR-RF. SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 SL Aspherical
エクタクローム.
CanoScan.
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