Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Ftrak144. もう大晦日ですか・・・

2017年12月31日 | diving

 さて午前中のすいている時間に山市へ食材の買い出しに行こう。帰りしなに堺町通りのイノダ珈琲でランチ。近年ここもついに茶店になりはて、喫煙できるのは屋外のテラス席しかない。帰りしなに錦市場を横切ったが、もう人の塊であれじゃどうやって買い物をするんだろうか。

 さて昨日の話の続きになるが、私は何故撮影することに熱心か。その答えは、私のブログのカテゴリー欄にあるドローイングのブログを開いてみればわかる。つまり私はもろデッサンを勉強してきた人間だから絵は描ける。だが面白い都市の光景を眼前にしてスケッチし、そのあとアトリエで油絵具などをもちいて創作しようとは思わない。むしろ画像にとどめておく方が都市の光景は面白いと思っている。だから私にとって撮影機材は、鉛筆や絵筆の代わりである。絵を描くのと同じ感覚で撮影しているわけだ。それに大学で建築を教えてきたから、フィールド資料を集めるという目的もある。そして作家が絵筆や絵具に関心を持つのと同様に、私の絵筆である撮影機材に対しても関心を持っている。

 それに撮影機材は絵筆や画材に比べれば安い。絵画に金などを使ったら撮影機材どころの話ではない。分野は違うが書の世界だと1本100万円の筆があったりするのが芸術の世界だ。そんな副次的なメリットもあり、私は絵を描く代わりに撮影しておく。まあ画像の方が安上がりということになる。

 だから私はフォトグラファーでもないしアマチュアカメラマンでもない。他人からプロですかアマチュアですかと問われると、どちらでもなく建築の研究者ですとさしあたり応えておくことにしている。

 本を書いたときには、著作権の関係もあり自分の画像を使わざるを得ない。だから日沖宗弘さんのように、プロ並みに撮る写真術、ひとりで仕事をする研究者・ライターのために、というスタンスが一番近いのだろう。

 さて画像は、アップしそびれた画像でも貼っておこうか。どこか水槽をみているような慶良間の海だった。10月末の6日間集中ダイビングの時の画像だ。やはり6日間続けてやるのが、いろんなことを覚えるのに調度よいことを実感した。その頃の沖縄はまだ夏だった。火ぶくれして病院に行ったダイバーもいたぐらいだ。また来年も、そんな集中日程を随所に盛りこめればなと考えている。

 ああっ、もう大晦日ですか・・・。

 

沖縄県慶良間諸島アイダー

NikonAW130,ISO125,焦点距離11,f/4.4,1/100

 

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Nikon Freak143. 曇天

2017年12月30日 | diving

 12月29日午前11時現在の京都市の気温3℃曇天。そりゃ寒い、もう定食屋の粕汁定食で暖まる。雨まじりの曇天では出かける気分ではない。今日はとても寒いことぐらいしか書く話題はない。

 そんなときは自分の過去ログをみている。10年分あるからある種の記録集だ。実は結構これから話題を起こすことがあるなど、様々なことに気がつく。

 今日は撮影画像をみていて、最近私が撮影した京都の画像は、空が多く映っていることに気がついた。そういう時は良いカットが撮れないときである。別の見方をすると焦点が絞り切れていないのだろう。どこか意識の中でステレオタイプ化したところがある。そうか古民家ばかり追いかけ、それで意識がマンネリ化していたことに気がついた。

 だから私の場合、画面に占める空の割合が多くなると意識が働いていないのに撮影しているし、そんなのは撮ってもつまらない画像ばかりになる。だから画面に占める空の割合が自分の撮影意識を測定するバロメータである。最近京都の街を撮影した画像は空の割合が多いんだ。 

 意外に思われるかもしれないが、京都の街は撮影する面白い素材が少ないと私は感じている。数多くある観光地や名所は、誰がどう撮ってもみんな同じような画像になるし、それはステレオタイプ化の典型だ。一歩踏み込んで京都の内懐を撮影すれば、それは京都固有の光景かもしれないが、既にフォトグラファー達が写真集にしたり、あるいは雑誌などに取り上げられており、それらの背後に鎮座するジャパネスクという紋切り型の表現に収斂されてしまう。だから京都は、ジャパネスクという強烈な個性があるために、そこから抜け出すのはなかなか容易ではない。

 さて話題は変わるが、社会的には29日の仕事納めが多いことだろう。すると短い休暇をどうすごすか、そんなプランを立てていて風邪をひいて寝込んでしまったとか、いろんな思い入れと現実がある。それでも時間は、ひたひたと過ぎてゆく。今日ようやく年賀状を出すのではなく買い出しに行った。だからまだ年賀状を書いていない、というか今年は書く気分になれない。寒さのためだろうか。

 こういうときはいっそ大阪の繁華街へ繰り出した方が心地よいのかもしれなかったと、後悔しても遅いか・・・。あるいはこういう陰鬱なときこそ忘年会を開いて過ぎ去る時間と天候を忘れたほうがよかった。そのための忘年会なのだろう。大体世の中の忘年会シーズンというのは、ゴミの回収と一緒で早すぎるのだよ。

 もう晦日、大晦日に、大いにはしゃいで、飲み過ぎて、疲れ果てて眠っているうちにお正月が来れば最高なんだけどさ。

 

沖縄県渡嘉敷島野崎

NikonAW130,ISO125,焦点距離9.2mm,露出補正0,f/4.3,1/100

 

 

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PEN LIFE1515.  インシデント拡大の過程

2017年12月29日 | diving

 インシデントについては先週のブログで書いた。インシデントは、その多くが人的ファクターで拡大してゆく。新幹線台車欠損事故の毎日新聞(2017年12月28日朝刊25面)記事ではJR西日本の発表内容が記載され、インシデント拡大の過程が記述されており興味深い。そこで新聞記事を掲載しておく。なお記事には断り書きの記述がないので全文ではないと推測。

 保守担当(保)と運転指令(指)のやりとり、車は車掌なのか?記事に記載が無い。※-※は新聞記者の取材結果だと思われる。

以下新聞記事

(岡山)

車両保守担当者3人が乗車

(岡山→新神戸)15時31分〜

保「床下を点検したい」

指「走行に支障があるか」

保「そこまではゆかない」、「安全をとって新大阪でやろう」

指※上司からの問い合わせと重なり、この提案を聞いていない※

(新神戸→新大阪)15時55分〜

指「走行に支障があるという感じではないか」

保「判断できかねる」、「通常と違う状態なのは間違いない」

※指令員が点検実施の調整をしてくれていると認識※

※保守担当者は専門家なので本当に危険なら伝えてくると認識※

指「台車関係かどうか疑わしいがわからないということ」

保「そうですね、はい!」

新大阪16時01分〜

車「運転継続の旨をJR東海に引き継ぐ」

 

 新聞記事では「現場と指令も人任せ」と見出しがあり、喧嘩両成敗の考え方はいかにも新聞記事的曖昧さがあり私が新聞嫌いになる要因の一つなのだが・・・。

 人的ファクターの原因は明快だ。技術の専門家である保安員が停車と検査を提案したにもかかわらず、指令員が聞いていなかったこと。つまり提案という重要項目を聞きそびれた指令員にインシデント拡大の最初の原因がある。従って新聞記事の書き方は不適切。

 保安員は、検査していないのだから「疑わしいところはわからない」というのは正確な回答である。だからわからなければ検査するのが工学の世界では当然のことなのだが、疑わしいことがわからなければ問題がない、という指令員の判断自体がいかにも文化系的解釈だ。従って検査や停車駅や後続列車への連絡などを指示しない運転指令員に明らかな2番目の人的ファクターの原因があった。

 指令員のキャリアをWEBで調べてみた。車掌や運転手を経験し、その後輸送指令関係の技術経験を積み重ね管理者試験を受け、資質と機会があれば指令員になれるということであり、特に工学系の高校を出ている必要はない。つまり文化系でも指令員になれるようだ。

 こうしたインシデントを見過ごすと、前の福知山の大事故でもそうだったが、今度はやたらに過敏になり停まる必要も無いのに停めてみたりとその対応に工学的論理の一貫性がなく、やることなすことがすべてが形式的になる可能性があろう。そうした形式的という視点でみればJR西日本は文化系的体質ではなかろうか。

 関西は、もともと文化系の牙城だから形式さえ満たせば、それでよしとする風土がある。だがハイテクノロジーは形式ではなく高次技術集積だから、科学的コンセプトや工学の論理的一貫性がないとオペレーションはできない。

 このように書くと私の文化系嫌いのように理解されがちだが、つまり私は社会的なカテゴリーに従ったにすぎない。それをブログ用に文化系、工学系と読み替えている。

総合職:文化系または過去に工学系であった人間が改宗した非専門家

技術職:工学系または専門家

と定義すればよいか。

 ハイテクノロジーは、オペレーションも含めモノをつくる経験や技術を通じつつ工学的論理も形成されよう。いいかええればモノをつくった経験がない文化系知識でハイテクノロジーをオペレーションされても危なっかしくてさ・・・。

 それにしてもなぜ台車の金属が破断していったかとする問題の解決には至っていない。台車枠はコの字型の部材を組み合わせて機械溶接で行うので均質な性能のはずである。そこに欠陥があれば、この時期に納品された4編成の全ての台車が危ないということになる。ちなみに台車枠の内部には縦に複数のリブ部材が入っているはずであり変形を防ぐようになっている。だがそのリブ間は空洞だから亀裂は防ぎようがない。

 さてインシデントの原因はなにか?。金属疲労か?、溶接不良か?。原因に対する答えが出ないと、よくわからないから問題がない文化系新幹線のままですけど・・・。

 

沖縄県儀志布島カメパラダイス

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8  mm/F1.8
 ISO200,露出補正-1,f/6.3,1/80

 

 

 

 

 

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Nikon Freak142. 師走の憂鬱

2017年12月28日 | diving

 さてMacの中には、次なる3DCGの素材が置いてあるのだが、どうも師走にやる元気もない。それよりか年賀状をまだ書いていない。

 気だるくすこぶる寒い曇天の京都の師走。午前中は雪が舞っていたがつもらない。北海道では豪雪のようだが、京都は典型的な冬の空で寒いだけ。こういう気だるい空をみると何の生きがいもなくなってくる。それに新年早々は、京都の町固有のといってもよい町内の拝賀式があり、重い腰をあげざるを得ない。それに家の中の整理もしなければならないなど、いろんな事が集まり師走の憂鬱という奴だろう。

 それに明日は今年最後の燃えるゴミ回収。といってまだ家の中は整理していないのだから、そんなに早く来てもらってもさ。今は大方の企業が休みに入る30日から家の掃除をする人の方が多いのではないか。にもかかわらず勤め人同様に早々と店じまいしてくれる役所仕事。だからゴミと一緒に新年を迎えるわけだが、それってちと違うんじゃないの。せめて31日まで回収にきてほしいよな。それも憂鬱要素だな。

 もう一つあった。木曜日の夕方からスイミングの教室がある。これ以降はテンションが高いのだが、そうした躁状態も日曜日ぐらいまでであり、その後は鬱状態だ。だから水曜日なんて一番最悪のコンディションなのだ。つまりは運動不足がたたっているのだけど。それが一番大きな憂鬱要因かもしれない。

 そんなわけで京都花街のストリート画像を貼り付けてみたが、通りすがりではつまらない。やはりダイビング時の画像に差し替えよう。時期は過ぎたがクリスマスワーム。ニコン画像だからPhotoshopで大いに修正した。

 iPhoneの天気予報では気温3℃、いや実際はそれ以下だろう。12月27日水曜日はそういう寒さだ。明日はどうなるやら・・・。

 

沖縄県宜野湾市大山

NikonAW130,ISO125,焦点距離11mm,露出補正0,f/4.4,1/200

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Nikon Freak141.  年末の雑用一つ終わり

2017年12月27日 | diving

 さて昨日の書類不備のリベンジか・・・。

 町を歩いていると眼前に、わっ!、小股が切れ上がっていて色っぽいではないか。年の頃は40代後半から50代のおばはん、宮川町あたりの花街で上品にお仕事か。そうなると私の頭はクロッキーモードに変わり身体のラインを探っている。オオッ!脱がせたら綺麗ではないか。

 さて口説いたら「うちは、身体が商売やさかい安売りはせえへんのよ!」と冷たくあしらわれるか、「あのねぇーだんなはん、うちもう終わっているのでゴムいらへんのよ、人生を楽しみましょ!」といわれるか。なにしろ平成の初めまで遊郭を商っていた町ですから、そんな答えのいくつかを想像しつつ・・・。

 先ずは法務局へ、次いで京都府建築士会へ。書類は書き直したし印鑑も持ったし、それに玩具が必需品。というのも役所というのは何かと時間がかかるので、そういうときは街の撮影用にEOSをかついでゆくことも忘れなかった。

 結局、10頁の申請書、建築士免許の写し、管理講習受講書の写し、定款証明に定款の写し、履歴事項全部証明書を付けて一式を提出し無事書類は受理された。これで年末の雑用一つ終わり。

 さて画像はミーバエ、いつも岩陰に隠れていることが多い。実際に食べたけど沖縄の魚のなかでは旨い部類。那覇の市場あたりのレストランでも食べられる。別に特段の高級魚というわけではないと思われる。

 

沖縄県慶良間諸島渡嘉敷島アリガーケーブル

 ISO200,焦点距離8.5mm,f/4.3,1/30

 

 

 

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Nikon Freak140. 危険生物ゴマモンガラ

2017年12月26日 | diving

 海の中には、出会いたくない魚がいる。体調50cmのこの魚は見るからにグロテスクな模様とあごのまわりが筋肉質が特徴だ。危険生物といわれるフグ目モンガラカワハギ科のゴマモンガラだ。模様は根性を表すといってもよく沖縄の美しい魚に混じって、こいつは実にグロテスクな文様だしもちろん凶暴。

 大概の魚はこちらが何もしなければ襲われることはないが、ゴマモンガラは彼らのテリトリーに入ったり夏の産卵期には向こうから襲ってくる。鋭い歯と顎の力で、指をかみちぎられた、ウェットスーツを引きちぎられた、腕をかまれたら出血が止まらない、などの被害がWEBに記載されている。こうした魚に出会ったら反対方向へ逃げるほかない。

 この日は海底に集合して、さあ行こうと泳ぎだしたら我々の右手はるか先を反対方向へ泳いでいった。望遠レンズで撮影しトリミングしているので距離はあった。沖縄ではよくいるし、YouTubeでは観光客が遊んでいるリーフの浅瀬にやってきた画像がアップされていた。

 こんな暗くてグロテスクな画像をいつアップさせようかと躊躇していたが、まあ今年中にかたづけて忘れちゃおう・・・、ではなくてダイビング中の警戒要素の一つとして記憶しておこう。

 おや!、iPhoneの気象予報が水、木と雪マークが拡大している。たしかに空気は水分を多く含んでおり固有の冷たさがあり、晴れているのに何かぱらついている。これはどこかで雪が降っている証拠だ。今度は、ささやかな雪が期待できるかもしれない。そうなると手元の仕事を早くかたづけなければ。雪道を撮影なら楽しいが雑用で歩くのはやだからね。

 そんな期待感をもちつつ、一級建築士事務所新設申請書類を書き上げ雪が降る前に提出しようというので、丸太町の京都府建築士事務所へ。 でっ、これって書類の様式が違うんですよ・・・、法人だから定款と法人登記証明書もいるんですよ・・・あちゃっー、書類書き直し。

 全く事務屋は書類が作品みたいなものだから熱心きわまりないが、建築のクリエイターとしては、そんなのトイレットペーパーの紙ぐらいにしか思ってないのだよ。捨てたらじゃなくて提出したらもう知らんという世界。まったくテンションがあがらんなぁー。でっ、結局トホホの無益な1日でおわった。法人登記は東京でしたんだよなぁー。雑用が増えたな、東京へ行かなきゃあかんのか、どうしようか、まっ、書類から直しからはじめて・・・!。

 そんなのは危険生物ゴマモンガラと一緒に流してしまいたいよなぁー。実に悪夢だ!!!。

 

沖縄県渡嘉敷島アリガーケーブル

NikonAW130,ISO125,焦点距離21.5mm,f/4.6,1/200

 

 

 

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PEN LIFE1514. お湿り

2017年12月25日 | diving

 最近はブログを前日か予約投稿ではるか前に書いていることが多い。だからクリスマスのように催事があるとややこしい。なにしろそんな実感もなく催事を予測して書くわけだからリアリティがない。

 さて今日はホワイトクリスマスにはならなかったが、曇天で夜から雨。空気が乾燥していたので調度よいお湿りだ。

 今週水曜日の京都市内は雨か雪の予報が出ている。珍しくiPhoneと気象庁の予報が一致している。雪ならどこに出かけようかと目論んでいるが、この時期大概は雨で期待外れとなることが多い。あてにしないで期待するというやつかな。

 さて今日は、少し飲み過ぎているので書く元気がない。

さて今日というのは、12月24日、日曜日なのだけど。

この辺で・・・。

  

沖縄県渡嘉敷島アリガー南

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8  mm/F1.8
 ISO200,露出補正-0.7,f/6.6,1/100

 

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PEN LIFE1513. クリスマスイブ

2017年12月24日 | diving

 ブログは日記だから1日の終わりに書くというのが自然なのかもしれないが、私は前日に書いている。さらには予約投稿をして、それよりはるか前に書いていたりする。こうなると雑誌記事の執筆みたいだ。

 月刊雑誌の執筆を半年間依頼されたことがある。書き上げて少しばかり仕事に没頭しているとすぐに編集者から次の連載記事の依頼がくる。執筆内容の概略を説明しているうちに締め切り日が近づいてくると図を作成したりどの写真を使おうかとか悩みながら原稿く始末だ。その繰り返しが半年続く。毎月同じノルマを課せられるというのは実にしんどい話だ。だから連載が終わったときは、超の時をつけたいぐらいに嬉しかった。世の中の執筆業の人間はよくやるよね。毎年どころか毎週だったりするわけだから。逆に毎日になると、ブログの予約投稿みたいにまとめ書きになるんだろうな。

 編集者は、そうやって記事原稿を集めて編集するわけだろ。雑誌だと全体の構成は、骨格が決まっているから埋め込むわけだ。編集デザインもいるし図版の清書もいるし、なにより文字校正がある。大体は誤字脱字、それに文字組の違いがあると考えた方がよい。文字組というのは、注だとかキャプションなど本文とは異なりイレギュラーな箇所の隙間を半角あけるとかなどなど細かいこと。私のブログもよく誤字脱字ぐらいは気がつけば後でなおしていたりする。

 以前京都市観光検定の第1回初版本は傑作だった。何しろ誤字脱字だけで100箇所以上あり、それだけでなく歴史認識が違っていたりする。織田信長と記述したが事実は徳川家康だったり、それが天皇の名前に及ぶともう事実認識の違い目白押し、記述した出来事の場所が違っていたりと、そりゃ見事な誤字脱字且つ歴史認識違いの集大成で笑える面白しさがあった。もちろんすぐに改訂版が出されたが。だからわざわざ初版本を探して買ったぐらいだ。よくぞつくった!。誤植でノイローゼになる編集者もいると聞くが、こういうのをみると安心しきって誤字脱字なんか怖くないと思うわけさ。

 話題は変わるが、Amazonでプリンターを買った。当然予備のインクも添えて。だが、すんでのところでインクだけ取りやめた。よく見るとインクだけ配達日が1週間後で、それもあのソフマップと書いてあった。2週間程前にソフマップからレンズフードの配達の受けとりでまる1日家にいざるをえず時間を無駄にした経験は記憶に新しい。だからソフマップというのが危険信号なのだ。そんな無駄なことをやっているから宅配便の配送量が限界に達するんだよ。なんでプリンターとインクとを一つのパッケージにして配達しないかな。こちらはインクなんか近くの文房具屋とかヨドバシでいくらでも調達できるんだから、まさに宅配便クライシスを加速させるところだった、やれやれだよ。

 さて今日は、クリスマスイブか・・・。タイトルと話題が全く関係性がない。画像は水面に我が母船、フラップ号の船影が見える。

 

沖縄県慶良間諸島渡嘉敷島アリガー南

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHIEYE8mm/F1.8

ISO200,露出補正0,f/6.3,1/80

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Nikon Freak139. 杞憂の1日

2017年12月23日 | diving

 今日は、珍しくブログ・アップの前日に書いている。

 画像はミノカサゴ。穴の中を逆さまになって泳いでいた。目一杯のアップ、というのも飛び出している針には毒があるからだ。トゲでだまされているんだけど相変わらず胴体の形態がよくわからない魚だ。昨年の年賀状にしたけど、全然形が違うじゃないかということを後で気がついた。

 さて来年の干支はなんだったか興味がない。それよりも年賀状の魚はとれにしようかが悩ましい。マンタは色がないので単調だし、ベラにミーバエでもかませて、それにチョウハンでも加えるかとか・・・、これはちと豪華かな。なんか刺身の盛り合わせみたいな年賀状になりそうだ。

 さて先のブログでEOSで旅に出ようと書いたはよいが、旅先でiPadで画像がみたい。EOSのモニター画像は解像度が低いからね。ならば画像を無線でおくるのには外付ワイヤレストランスミッターが必要なのか?。EOS1DsMark3の時代だと10万円もした(今中古で2万円程度だけど)。iPhoneより高価格でインターネットと実に相性が悪いシステムだ。しかも機種毎にトランスミッターを開発したので、古は新に統合されるというパソコンの原理を無視してくれた・・・。

 そう考えていたらデジカメとiPadがアダプターを介して有線で簡単に接続できるではないか。取り込んだらインターネットに載せられるから、なんでこんな高価な付属品があるのか不思議だ。ドローン用とか野生動物撮影用とか・・・。

 いろいろ考えて結局杞憂の1日だった。

 

沖縄県慶良間諸島渡嘉敷島アリガーケーブル

NikonAW130,ISO200,焦点距離11mm,f/4.4,1/30

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番外編305. EOSと旅に出たい

2017年12月22日 | Photographic Equipment

 昨年ロシア・ウクライナに出張した際に、やおらロッカーの奥から取り出した建築や集落のフィールド調査用のEOSシステムが、なぜか最近のお気に入りなのである。とくに初期型のEF16-35mmを付けたEOS1DsMark3の後ろ姿のデザインが理由なく格好がよい。初期型のレンズの欠点である歪曲収差や周辺光量の不足は、ソフトDPP4で解決できるので最近利用頻度が高い。

 これが最近よく写るといわれているEOS5Dシリーズならどうか。アカンアカン、そんな機能複雑で背丈の短いのは。ではでは最新型のDXMark2では申し分ないでしょう。余計アカンわ、ボディの頭に穴を開けちゃったでしょう。あそこが綺麗だったので穴開けて欲しくなかったとこなんですわ。

 もちろん最新型のEOS1DXMark2の方が性能はよいが、色が格段に良くなったという話は聞かないし、どうせphotoshopで最後は調整するのだから、それは私にはどうでもよいことだ。むしろこれには難点があり、いまだに裏面照射型のCOMOSイメージセンサーを積んでおらず(おそらく米国OmniVisionとSONYの開発特許が関係しているのかな?)、ローバスフィルターを搭載しているといういうシステムの古くささがあることで最新型には関心がわかない。最新型でもSONYに置いてきぼりだし、フォトグラファーご愛用であっても研究のプロ御用達にはならない。因みに裏面照射型COMOSイメージセンサーは、AppleのiPhone4以降に搭載されている。なんかスマホ以下じゃないのかい!?。

 となりやはりEOS1DsMark3で十分となる。当時電気のない海外の集落へ一週間ぐらい調査に出かけられるという意図でリチウムイオンバッテリーに変更されて持ちがよくなったのでこの機種にした経緯があった。それ以外に選択肢はなかったのである。EOS1Dシリーズの中でもこのMark3のプロポーションが一番綺麗だし、10年前に発売された機種だから今では性能が劣るところはあるが、それでも最高感度ISO3200でも画像が綺麗だし、それ以上の感度はいらないし、大体夜中までフィールド調査はしないし、だから今も使い続けている。たしか美術館・博物館では、EOS1DsMark3で文化財の複製をつくっていたと記憶している。アカデミズムには結構信頼がある機種だと思われる。

 最近EOS1DsMark3は、持っているだけで不思議な充実感があり、散歩にしちゃあごっつい大きさですねといわれれば、うちデジカメはこれしか1台しか持ってないんですよぉー、と応える快感がある。これを使い出すと最新のオリンパス・システムを使おうという気分にはならないのでトランクの中で眠っている。オリンパスは水中機材だしな。

 そんなわけでGoogle Mapをみながら、EOSの綺麗なファィンダーをのぞきつつ今度は地球上のどこの市場へ行こうかと模索いや検索する楽しみがある。EOSと旅に出たいというわけだ。

 余談だがこういう物撮りのためにいちいちマクロレンズを引っ張り出すのも面倒だ。というのでデスクに置いてあったiPhoneでささっと撮ると、即AirLANでパソコンに取り込まれているから全く手間がかからない。ええんちゃう毎日の普段撮りはこれでも・・・。

 今日も寒い京都である。今週も2日ぐらい書きだめして予約投稿が続いた。今日というのは12月21日である。明日、つまりこのブログが公開される日は冬至である。これからまた夜が短くなってゆくのはうれしいのだが、それが実感となるのは1ヶ月ぐらい先であろう。まだまだ寒い日が続く。

 追記:ブログにアップしてから思ったのだけど、EOS1シリーズは、新しくなるに従って性能は上がっているけどボディのデザインとサイズは基本的に大きく変わらない。名前は変えているけど、モデルチェンジではないと思う。実際最新型のこボディシェルと一体になったバッテリーは私の古いEOSでも使えるので部品の共用があり、しかも操作方法を大きく変えない。つまりMacOSと同様にバージョンアップで最新型に至っている。そこがこのEOS1シリーズの特徴なんだろう。他の撮影機材プロダクトとは違う開発方法であり、そのMac同様のバージョンアップという考え方が個人的には気に入っているんだろうな。車などのプロダクトと違って優れたデザインを長きにわたって維持してゆく、そこが先進的なんだろうな。

 

iPhon7S,ISO64,f/1.8,1/15

 

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Nikon Freak138. 続・新幹線

2017年12月21日 | diving

 今朝の新聞記事(12月20日毎日新聞朝刊)をみたら、新幹線異臭問題は、専門家の指摘では、やはり最初に亀裂が入り・・・と私がブログで書いた通りになっちゃた。工学系ならだれでも類推できる話ですね。N700A型というのは、このタイプの初期に納品された車両だから走行距離がN700系のなかでは一番長いはずです。当然応力のかかりそうなところにせん断力が働いたとすれば多分溶接不良か金属疲労でしょう。129台の台車を点検するということですから4編成分、おそらく初期の頃に納品された4編成のことですかね。これを優先的に超音波探傷で調べるのは妥当ですね。

 繰り返し応力が働くところから金属疲労や亀裂がはじまるので、おそらく底面の溶接部から破断していった可能性は高いですが、ストライエーションは少し興味深いですね。まあ新聞記事は、文化系が書いていますから私には意味不明ですけど。

 飛行機事故もそうですが、事故には予兆現象が必ずあります。そうした現象の意味を読み取れる人間の能力次第で、事故にもなれば未然に防ぐこともできます。今回はすんでの所で発見されたということでしょう。岡山から技術系の検査員が乗務し停車して点検を勧めたにもかかわらず止めなかったというのはなぜでしょう。車掌が勝手に判断して情報が運転者に伝わらなかった、あるいは伝わったが運転台の計器が異常を示していないので走行可能と判断した。どちらにしても3時間も走行させた文化系的ヒューマンファクターの課題は残りますね。本来ならばJR西日本の管内で止めるべきだった。

 そのJR西日本には、技術系の意見を尊重しようとする社風がないんだろうな。だから福知山線事故以来安全点検を強化してますとプロモーションしてきたけど、それは全く形式的なことですね。安全はそうした形式ではなくヒューマンファクターも含めてテクノロジーの産物ですから、何でも形式でしか考えられないということは、この企業は文化系の牙城なんでしょう。やはり科学の先端を扱うのであれば、技術系が企業の幹部に数多く存在すべきでしょうね。

 すると今度は文化系の市民が全部の列車を止めて定検すべきだと意味の無いことを言い出す始末。なんでも点検すれば安心というものではないですね。やはり事故や故障のメカニズムがかわらないと安全性は維持できない。過去にドイツの新幹線が全部の列車をとめました。あれはあきらかに車輪の構造に問題があったということが即わかったので、全部の列車を止めて車輪の交換をしたわけです。

 航空機とか新幹線などの科学の先端技術を扱うのであれば、やはり経営のトップは技術系ですね。経営知識はあとからいくらでも勉強すれば間に合いますが、技術は考え抜く洞察力が必要ですから容易に人材は育たないですね。やはり設計とか現場の経験から立ち上げてゆかないと身につかない能力です。そのあたりがお金の計算ばかりしている文化系ではディレクションできないと思うけどな。

 さて話題は、ダイビングに戻ろう。この小さなコンパクトデジタル機材にしては、ピントも露出も適切。いつもこれだけ撮れればよいのですが、なかなかそういうわけにはゆかないのですね。特に遠景はだめ。まあハウジングなしで30m潜れるので持参する機材が軽くなってよいのですが。

 

沖縄県慶良間諸島渡嘉敷島アリガーケーブル

NikonAW130,ISO125, 焦点距離11mm,f/4.4,1/100

 

 

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EOSな日127. 審査付学術論文

2017年12月20日 | field work

 北浜の近代建築群の一つに芝川ビルがある。竣工は1927年(昭和2年)、近年アート・芸術事業から撤退する企業が多い中で大阪の街を豊かにしてくれる、というのがWEBの伝えるところ。丁寧に改修され、いまでもなかなかよい店舗・業務空間になっている。いつまでも長く使い続けたいと思わせる清潔な空間だ。地下にはベトナム料理のレストランがあり、ドライエリアを設けて地上からの光を導いているあたりは当時の丁寧な設計がうかがえる。

 このブログも大学の話が続いた。大学教員採用時の業績評価の柱である審査付学術論文について書いておこう。

 審査付学術論文とは、アカデミズムの学会によって多少のルールの違いはあるが、総じて投稿されて論文が専門家審査員の審査を受けて、これならば学会誌に掲載してよいとか、あるいは論文の内容でいくつかの問題点を指摘され、その修正に応じ、かつ修正箇所を学会の書式で記述した上で再投稿した後再審査をしたりして、合否が決定される学会の審査制度に基づいたものである。大体は専門会員から後者の修正箇所を盛大に指摘される場合が多い。そうして審査にとおれば学会誌に掲載され実績が1となる。そうなる採択率は日本建築学会の俗にいうイエローペーパーだと50%以下と記憶している。つまり半分は否とされるわけだから頑張ってかかなければならない。研究期間も含めると通例は1年以上の時間をようする。

 私在籍していた研究科では、大学院生で博士論文を提出し学位申請ができるまでには、こうした審査付学術論文2編を学会に投稿し合格しておくことが学位申請の前提条件になっている。だから博士後期課程は、研究のなかで審査付学術論文が学会の審査にパスするよう日夜研究努力をしているわけである。となれば教員は、審査付学術論文の指導ができなければならない。当然教員も審査付学術論文を多数投稿し、頭のパワーを磨いているわけだ。教員が院生を指導して審査付学術論文を投稿したが学会の審査が通過できないでは格好が悪いからね。

 大学教員になるのには、この審査付学術論文の本数がものをいう。当然本数が多く、大学の考え方や必要とする人材分野とが合致していなければならないなど採用には付帯条件がいろいろついてくる。今はオーバードクターという言葉があるように、博士号は取得した、だが勤務先がないとする人間が多いから、教員採用の場面でおおかたは博士の学位は取得している応募者が圧倒的に多い。

 従って教員のキャリアというのも審査付学術論文数ということになる。これが文科省がいうところのキャリアとなる。だから私学のように人寄せパンダ的役割をもった著名人が大学へ特任教授できても審査付学術論文がなければ、自分のキャリアや賞を自慢したところで資格0の人ですねと大学人の意識はそっけないわけである。それを知らぬは著名人達であり、どんなにはしゃごうがキャリア教員からは冷たく見放されている。そうした冷たさが大学なのである。

 そんなわけで私自身も審査付学術論文が28編あった。まあ天皇陛下と同じ数だけ書いたと自慢してもしょうがないのだが(笑)。

 こうした論文の他に審査のない学会の大会用発表論文がある。審査がないのだから、まあ気楽に投稿できるのだが、これは研究のビギナーが論文訓練のために行うことが圧倒的に多い。まあ大学院を指導していれば、私の場合、62編ほどの大会論文があった。業績所には書いてもよいがたいした評価はされない。

 補足だが、イギリスの科学雑誌Natureの投稿案内をみてみよう。投稿された論文は査読に送られるかどうかの判断が編集側でなされ、査読に送られると雑誌の担当編集者が査読者を選びます。その選定基準は、論文投稿者やその所属機関と無関係であり、論文の技術的側面を評価でき、他の論文で査読を行っており、要請された期日までに投稿論文の評価ができるとする4項目である。

 そして投稿論文の合否は誰が決めるかといえばNatureの編集部であり、学識経験者ではない。そこに学会などからの影響を排除するための独立性を確保しているわけである。そうした論文の採択率は4%とすこぶる難関である。従って専門家が査読はするが、学会に所属する学識経験者が査読する日本の学術論文の審査とは異なっている。

 それを思うと小保方問題を思い出す。学術論文ではなく科学雑誌Natureの編集部が科学的価値を認めたのだから、特段メディアや社会からたたかれる理由はない。それにしても、大いにメディアから論文以外の周辺を探られてたたかれ職も失ったのだから、これは日本社会あるいはメディア固有のいじめ現象とする解釈もうかがえる。日本のメディアは、弱いものいじめが好きなんだというのが私の理解。

 もし共著で執筆された小保方論文を、今後発展させてスタッフ細胞ができちゃったら、メディアはどのようにいいわけをするのだろう。科学は、時間軸のなかでみれば様々な理論がひっくり返ったりもする。それを踏まえてのNatureというフォーラムが提供されている。

 そんな社会的物議を表出させた古い例では、ニュートンの万有引力の法則があげられる。いま私たちは、この法則に従って建築を成立させている。だからなんでも今という限定的な視点で成否を判断するのではなく、スパンをもった時間軸で判断することが大切なのである。

 

大阪市中央区

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS1600,焦点距離35mm,露出補正0,f/4.5,1/80

 

 

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EOSな日126. 金属疲労説

2017年12月19日 | field work

 京都から大阪へ行くときは、所要時間13分の新幹線が楽ちんだ。

 その新幹線も先日の事件で、先ず油の臭いがする、次いで煙が発生した、そして台車のひび割れを確認した(微視亀裂なのかあきらかに目視できる亀裂なのかは新聞には記載されていない)と次第にインシデントから事件化していった。

 私が思うに現象の発生は事の起こりと逆ではないか。つまり最初に台車の一部に亀裂が発生した。多分それは1/10位の変形だったかもしれない。そのため車軸に関わる部品が変形し油漏れが起きた。高速走行で油が過熱し煙が発生した。そうであればの話だが、先ずN700系の最も古い初期の頃に納品されたN700系Aタイプの全ての台車の超音波探傷が必要になる。台車内部で亀裂状態、つまり金属疲労をおこしているのかもしれないし、それは人間の眼では確認できない。

 そんなことは事件後にやっているだろうけど、どうも材料力学の分野の話になるのだろう。つまり繰り返し応力が作用していたとすれば(亀裂箇所が正確に報道されていないので類推だが)、せん断力のかかる部分に微視亀裂が発生したのだろう。亀裂過程を示唆するストライエーションという現象もあるが・・・。亀裂の画像が公開されていないので(その程度の情報公開はしてほしいですね!)推測の域をでないが。くりかえし応力が作用していたとすればの仮説の話である。つまり金属疲労説。

 あとは人為説。つまり誰か(テロリストとか)が液体窒素などを台車に吹きかけた。その痕跡は残らないが走行すると容易に金属疲労に至る。あえて13号車という縁起の悪いNOがそう思わせる理由なのだが・・・。

 金属疲労説だとすれば、台車の破壊メカニズムをコンピュータシミュレーションで解析するんだろうな。工学系の人間は、そんな風に野次馬発想をするけど。半年後ぐらいに出される報告書を読むのが楽しみである。

 フゥーン、科学的にはまだ解明されていない状態で年末の民族大移動があるわけだ。文化系は十分検査したので安心ですと豪語するが、そういう形式的なことをいってもらってもね。じゃ安心できないのか、そうではなく解明には時間がかかりそうだということだ。安心できようができなかろうが、我々は利用するし、利用しているけどさ。それが人間の世界だよね。

 というわけで新幹線を避けたのではなく、寒いし乗り換えが面倒なのでダイレクトに大阪の都心へアクセスできる京阪のプレミアムカーで中之島へでかけた。

 プロジェクションマッピングも最近は光源の出力が高くなったためだろうか、ハッキリと映像がみられ綺麗になった。いや建物の個性がすこぶる強調されたというべきか。しかし冬に屋外のイベントも寒くてかなわない。なんで寒いときに屋外でやるのよ。このイベントもそこそこに近代建築のカフェに逃げ込んだ。北浜の高層ビル群のなかに近代建築が点在している。

 

大阪市中之島公会堂

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離16mm,露出補正0,f/2.8,1/6

 

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PEN LIFE1512. 大学教員のなり方

2017年12月18日 | diving

 私が40代の半ばで民間企業のディレクターから大学教員として赴任したときは、学部、博士前期課程、博士後期課程と、3回の文科省教員組織審査を受けさせられ、時間差があったのでその間に審査付学術論文を書きまくって研究実績をつくり(このときは大いに忙しかった)、その全てに合格した。だから俗にいうマル合教授になる。そんな立場から大学の先生になるのにはどうればよいかについて私なりにメモしておこう。

 将来大学の先生を目指したい。それは賢い選択だと思う。というのもサラリーマンと大学の先生とが決定的に違うのは勤務形態だ。大学の先生は自由裁量労働制だから、働く時間と場所は自分で決めなさいということ。つまり出社時間も退社時間も総労働時間も、そして毎日大学へ通う必要もない。大学の運営がスムーズ行われていれば自由であり、だれからも文句は言われない。

 それに日本学術振興会(つまりは文科省)をはじめとして多くの団体が行っている研究費の申請ができる。つわものは億の単位の研究費を申請している場合もある。もちろん申請した以上は、申請書に沿って使用しなければならないのが大原則だが。自分でやりたいテーマがあれば、大いに申請書を書くがよい。あたればまとまった研究費がおりてくる。そのための研究者番号を大学から与えられるのである。それがあるかぎりいつでも申請できる。

 では大学の先生になるためにはどうすればよいか。学部生の頃からよく勉強し先生の覚えがよいこと。それは大学院に進学しても、覚えられていれば指導教員になってもらえる可能性が高くなる。指導教員とは博士前期課程(つまり修士課程)、そして博士後期課程(博士課程)と連続して5年間は続く。そのとき大学の先生は選ばなければならない。同じ教授であっても博士後期課程の指導が組織的にできない先生は私立大学などでは多いからだ。そんな先生についたら悲惨である。将来はないと思ってさっさと企業に就職すべきだろう。だから博士後期課程を担当しているマル合教授につかなければならない。それは大学院のHPをみればわかる。ここが一番大切なポイントである。教授という同じ看板はぶら下げていても、研究面での実力は月とスッポンの差があるからだ。

 通例博士後期課程を担当できる先生は、文科省の教員組織審査あるいはこれに準じる学内規則に基づいて教授になっているので、自分の進みたい分野のマル合教授の指導をうけるべきだろう。ただし大学院の指導教員の研究室の定員が少なく、入れない場合もある。そのときは同分野の2番手か1年留年するほかない。

 またまれにだが研究能力の無い教員が力ずくで博士後期課程の論文審査などをしている場合もある。私も偶然そうした場面に居合わせたが、まず院生に指摘する事項が全く研究の視座をはずれていて、わたしは二の句がつげなかった。これでは博士の学位申請をしている院生が可哀想である。やはり査読付学術論文を数多く執筆している経験が無ければ、博士後期課程の指導は難しいといわざるを得ない。

 そうして博士の学位を取得したら、今度は大学の教員ポストの空きをさがさなければならない。さいわいJ-RECというサイトで全国の大学で毎年教員募集をしている案内が随時掲載されている。そこで応募し、当然応募者数は多いので勝ち残らなければならない。そのとき研究業績所の書き方があり、それは勉強しておく必要があるだろう。そうしないとオーバードクターで低賃金労働で研究所などで働きつつ教員ポストの空きを待つことになる。

 まとめると・・・

1)自分の興味ある分野のマル合教授をみつけ、その研究室に配属されること。

2)博士論文を書きあげ、論文審査に合格し、博士号を取得すること。

3)教員ポストをみつけ大学に採用されること。

 この3つの大きな関門をすべて通過すると、自由裁量労働制の教員になることができる。あとは研究申請を数多くだし、自分の興味ある分野の研究を進め論文実績を積み上げてゆけばよい。こう書くと処方箋みたいだが、やはりオリジナリティある新しい考え方なり、こうしたら新しい有意義な世界が開けるのではないかとするコンセプトが必要である。新しい分野というのは、それだけ教員採用の場面で魅力的だからだ。これからの大学の状況(学生数の減少)を思うと、これ意外の道はないと思っていただきたい。

 私の研究室で博士論文の指導を受け論文審査に合格した院生は、今はみな大学の先生である。そして社会的でも大いに活躍している。大学はそうやって時間と労力を使って次の時代の研究者を丹念に養成しているのである。

 

沖縄県慶良間諸島座間味島ドラゴンレディ

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8mm/F1.8

ISO200,露出補正-0.7,f/7.1,1/100

 

 

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PEN LIFE1511. 特任教授

2017年12月17日 | diving

 最近、ニュース解説者、弁理士、あるいは建築家、なかにはお笑い芸人など著名人の肩書きで目につく言葉に「特任教授」がある。ああ社会で仕事をして大学の先生もやってはるのか、と一般の人達は理解するだろう。とすればその理解は、はずれているといわざるを得ない。

 例えばあなたのお子達が、著名な作家やニュース解説者が特任教授として大学の学生募集パンフレットに載っている。ならば、そんな人達に指導してもらうのは息子・娘にとって有意義だと考えて大学を選んでいたとしたら、それ間違いですということ。

 特任教授は学校教育法ではなく、各大学の内規によって特定の目的のために期限付きで設けたポストのこと。例えば科学研究費が当たったので特定分野の専門家を雇用するといった研究意図の場合もあれば、学生数を増やすために著名人の名前を連ね人寄せパンダ的な扱いをする私立大学もあり、実態は大学によって異なっている。それら大学で共通するのは、招聘する人間は本業と兼業であること、常勤教員ではないこと、従って大学のゼミで学生を一人一人を直接指導することは皆無であり、さらに講座の主任や各種委員会の委員、教授会への参加は認められていないなど教育の運営には教員としての資格不足で関われない。つまり非常勤教員と同等の扱いなのである。さらにいえば客員教授も同様の扱いである。

 ある私立大学などは、著名な特任教授を何人もかかえパンフレットやHPに記載している。それをみた親は是非私の息子・娘を貴校へとなるが、実際はせいぜい年1回程度の全学的な場で数多くの学生達に講演をしてお終いである。だから特任教授を目当てに大学を選ぶことはおやめなさいということを申し上げている。

 また著名人は大学教授という肩書きが欲しいのである。そうした著名人の心理を大学人はよく心得ている。そこで私立大学では学生集めのために特任教授を依頼する場合も多くある。まさに人寄せパンダなのであるが、当然ギャラは微々たるものだが特任教授の肩書きで著名人の絵の値段が高くなるとか、仕事の範囲が広がるとか、お互いにとってビジネスメリットがあるので、こうした制度が継続されている。

 だからメディアで特任教授という肩書きをみたら、非常勤教員並のポストと理解するのが適切。というのも大学人がいうところのキャリア(つまりは文科省が定めるキャリア)と著名人の意図するキャリアとは全く異なっている。だから大学人は、著名人であっても大学人としてのキャリアがなければ意識の中では無視しているといってよい。

 しかし特任教授であっても、また年1回のレクチャーであっても、念入りに準備し熱心に思うところを一生懸命学生達に伝えようと努力している情熱的な著名人がいることは書いておこう。もちろん高等専門教育は情熱だけでは成立しないし、学生一人一人をカリキュラムに沿って研究教育を直接指導できる機会はない。だから特任教授は大学でまれにおこわれる文化講座とかイベントなどで招聘される講演者と理解する方が適切な解釈なのである。

 

沖縄県慶良間諸島座間味島ドラゴンレディ

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FISHEYE8mm/F1.8

ISO200,露出補正-0.3,f/11,1/250

 

 

 

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