真ん中の穴をのぞくと正面に自分の目が写り周囲のテキストを読む構造になっているアートである。
どこかブログ的なアートのように私には思われる。そのブログ執筆だが、目下どのソフトにしようか思案中である。Bindのようにデザインがよくても、それがすぐにあきられてしまうのは目に見えている。といってiWebのような古くささも卒業したい。まだしばらくブログのソフトの試行錯誤が続きそうだ。
ブログは言語空間のなかで、例えれば酸素と水素を結合させて水をつくるようなものだと思われる。だから毎日何かを素材にし、私の知見を加えて反応させればよいことになる。そうした作業は毎日でもできる。
ときには、マニアックな話に落ち込み、といって私が実際に使用した機材についてのみであるが、またときには愚痴っぽい書き方をしたこともある。それでも、第三者の画像やテキスト情報を引用することなくあくまで私が撮影し、そして制作したオリジナル画像とテキストで綴り、ただし引用したものには出典を記載したが、そして論拠や信憑性のない話は書かないように努力したつもりである。それを読者がどのように理解してくれたかは、私の関心外である。
ブログってなんだろうと考えれば、週刊誌のエッセイでしょう。それをWEB上で誰の制約を受けることなく発信している。登場するアクセス数の多いブログをみると画像が多くテキストが少ない。私は制作系の立場だから画像は手元に豊富にあるのだが、だからこそブログでは逆に画像は少なく文脈で語りたいと考えている。仕事とは違う書き方をしたいと思うのが私流のブログのスタイルである。
さて今日はすべての変わり目である。いやそれ以上に今年は様々なことの変わり目の年だと思われる。3月から4月というのは、そんな大きな節目の一つだろう。私も名誉教授の授与を受けて大学人を卒業し、明日からはデザイン企業の立ち上げに奔走しているかもしれない。
このブログ我慢して書き続けているか、あるいは卒もしばらくはこのまま業のときかもしれない。明日書きたくなったらまたフォームの悪さを気にしつつ書くかもしれない。
川西進氏の作品
OLYMPUS OM-DE-M1, M.ZUIKODG17mm/F1.8
ISO5000,露出補正-0.3,f8,1/60
どこかブログ的なアートのように私には思われる。そのブログ執筆だが、目下どのソフトにしようか思案中である。Bindのようにデザインがよくても、それがすぐにあきられてしまうのは目に見えている。といってiWebのような古くささも卒業したい。まだしばらくブログのソフトの試行錯誤が続きそうだ。
ブログは言語空間のなかで、例えれば酸素と水素を結合させて水をつくるようなものだと思われる。だから毎日何かを素材にし、私の知見を加えて反応させればよいことになる。そうした作業は毎日でもできる。
ときには、マニアックな話に落ち込み、といって私が実際に使用した機材についてのみであるが、またときには愚痴っぽい書き方をしたこともある。それでも、第三者の画像やテキスト情報を引用することなくあくまで私が撮影し、そして制作したオリジナル画像とテキストで綴り、ただし引用したものには出典を記載したが、そして論拠や信憑性のない話は書かないように努力したつもりである。それを読者がどのように理解してくれたかは、私の関心外である。
ブログってなんだろうと考えれば、週刊誌のエッセイでしょう。それをWEB上で誰の制約を受けることなく発信している。登場するアクセス数の多いブログをみると画像が多くテキストが少ない。私は制作系の立場だから画像は手元に豊富にあるのだが、だからこそブログでは逆に画像は少なく文脈で語りたいと考えている。仕事とは違う書き方をしたいと思うのが私流のブログのスタイルである。
さて今日はすべての変わり目である。いやそれ以上に今年は様々なことの変わり目の年だと思われる。3月から4月というのは、そんな大きな節目の一つだろう。私も名誉教授の授与を受けて大学人を卒業し、明日からはデザイン企業の立ち上げに奔走しているかもしれない。
このブログ我慢して書き続けているか、あるいは卒もしばらくはこのまま業のときかもしれない。明日書きたくなったらまたフォームの悪さを気にしつつ書くかもしれない。
川西進氏の作品
OLYMPUS OM-DE-M1, M.ZUIKODG17mm/F1.8
ISO5000,露出補正-0.3,f8,1/60