このシリーズも今回が最終回。少し話題が広がるが、これまで様々なプロジェクトに関わり、先頭を走って旗をふるといった仕事も、もう私がやるような仕事ではないと感じる昨今である。新しいことは、次の時代の意欲ある人間達にまかせようという気分だね。
私達の社会の原型は、デカルトの原理に従っている。分からなければ、バラバラにしてみようという哲学だ。一科一学というのが科学の語源だから、科学的手法の発端も、また今の大学の学部といった考え方も、デカルト的だね。そしてデカルト哲学は、70年前にカール・ポパーによって論破されてしまい、そこで科学の所産も遅まきながら軌道修正をしつつ、今日に至っていると私は考えている。最近のエコロジーといったキーワードで考えると、ピーター・シンガーのダーウィニズムでもあげておこうか。
このように、人間の思考の変化というのは、実は大変緩慢だが、最近の科学哲学などをひもとけば、 現在や近未来を予想することは比較的容易だろう。といって誰も、それを社会的に応用したらどうなるかについての、方法論がないのでボワーンとているのにすぎないというのが現実だろう。現在の劇場型社会というのも、もう30年前に明治大学で哲学を教えていた中村雄二郎が予見している。
話はおおきくそれたが、コンピュータ或いは3DCGというのも、実は他者に披露することを前提としている劇場型社会の所産である。だからこそ社会的に普及し、支持されている。私がヴァーチャルアイランドVER2を制作していたときに背後に感じていた、なんとなく空しいという気分も、それが他者に披露するプレゼンテーション・ビジネスとして成立していないからだろう。
そう3DCGは、ビジネスとして行うべきものなのである。まあここでは、教育というビジネス名目は一応あるのだが、私としては、あまり意識していない。そう考えれば、あまりビジネス向きでないこのシリーズも、この辺が退散する潮時であろう。
私達の社会の原型は、デカルトの原理に従っている。分からなければ、バラバラにしてみようという哲学だ。一科一学というのが科学の語源だから、科学的手法の発端も、また今の大学の学部といった考え方も、デカルト的だね。そしてデカルト哲学は、70年前にカール・ポパーによって論破されてしまい、そこで科学の所産も遅まきながら軌道修正をしつつ、今日に至っていると私は考えている。最近のエコロジーといったキーワードで考えると、ピーター・シンガーのダーウィニズムでもあげておこうか。
このように、人間の思考の変化というのは、実は大変緩慢だが、最近の科学哲学などをひもとけば、 現在や近未来を予想することは比較的容易だろう。といって誰も、それを社会的に応用したらどうなるかについての、方法論がないのでボワーンとているのにすぎないというのが現実だろう。現在の劇場型社会というのも、もう30年前に明治大学で哲学を教えていた中村雄二郎が予見している。
話はおおきくそれたが、コンピュータ或いは3DCGというのも、実は他者に披露することを前提としている劇場型社会の所産である。だからこそ社会的に普及し、支持されている。私がヴァーチャルアイランドVER2を制作していたときに背後に感じていた、なんとなく空しいという気分も、それが他者に披露するプレゼンテーション・ビジネスとして成立していないからだろう。
そう3DCGは、ビジネスとして行うべきものなのである。まあここでは、教育というビジネス名目は一応あるのだが、私としては、あまり意識していない。そう考えれば、あまりビジネス向きでないこのシリーズも、この辺が退散する潮時であろう。