Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日94. 風邪

2017年04月30日 | Shonan coast
 マイルス・パダカは2010年頃のハワイの世界的トップサーファーだ。WEBによれば、いまはインストラクターをしてトップサーファーを養成しているようだ。環境の力は大きい。サーフィンは世界有数の波が来るハワイの環境だからこそのスポーツだろう。
 最近、猛烈な運動不足で毎日寝付きも寝覚めも悪く肩が悪質に凝り、なにかをする意欲も減退している。近所のマッサージ屋探しも時間がかかる。 とても部屋にこもって3DCGなどで作品をつくることに没頭するなんていう当初の目論みは早々に捨てざるをえない。そんなもんはどうでもよい。すでに建築や都市のデザインなんか卒業したのだし。そんなことをしていれば、病気になってしまうだろう。
 それよりも京都アクアマリーナで水泳をするほかない。連休中は教室も休みなので自分で努力。運動不足の解消、それが目下の最大の課題であることに気がついた。
 アクアリーナにゆくと、パワートレーニングもできる。実際シニア達が励んでいるが私はあの美ボディづくりはやめとこう。筋力や体型は泳いでいれば自然についてくるだろうから。
 でっ、昨日は200mほど泳いだが疲れ果てた。持久力がなくなっている。この疲れを越すと丁度よいペースなんだろうけど、体力は全くの初心者クラス。やれやれ振り出しに戻ったか。
 ここまでは昨日書いておいた・・・・
 今朝は体が怠く熱がある。喉は痛いし典型的な風邪の症状である。終日寝ていたが一向になおらない。夕方休日診療クリニックにかかる。昨日のブールがこたえたか。

鎌倉市七里ガ浜
2008年8月13日
EOS40D,EF100-400mm
ISO800,焦点距離170mm,露出補正0,f/5.0,1/40
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EOSな日93. 悩ましい

2017年04月29日 | Shonan coast
 お姉ちゃんは美貌と美形で誘い、 お兄ちゃんの目の 誘われたい欲望が見え隠れしながら交錯しているかのような光景が面白いとでも書いておこうか。
 本当はこっちも売りつけちゃおうと商魂を働かせているだけかもしれないが。それに後ろの口元をキリッと結んでむっつりしていると想像できる脇役が二人を引き立てている。という具合に勝手にストーリーを組み立てられるところが面白と思った理由かもしれない。お姉ちゃんの湿ったボトムが艶かしくてよいではないですか。
 しかし、最近肩が凝る日が毎日続く。やはり猛烈な運動不足なのだろう。毎日名古屋まで通勤し、あれやこれやと動き回っていたというのは結構な運動量になっていたのだろう。さて頑張って水泳を続けるほかなさそうだ。こちらは体力の方が悩ましい。

藤沢市江ノ島海岸
2008年8月16日
EOS40D,EF100-400mm
ISO200,焦点距離170mm,露出補正0,f/5.6,1/200
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EOSな日92. オッサン!

2017年04月28日 | Shonan coast
 意味深な仲のよさそげなホットなカップルと、周囲に関心がないくそまじめなオッサン!。何を熱心に撮っていんだろうか?。このアングルだと孫か、お姉ちゃんの太腿か。それじゃニコンが鳴くぜ。私ならあなたの横のカップルを狙うけどな・・・。
 だがおっさんの一般的根性をかいま見るようで面白い。おっさんの傾向を観察すると一点集中型。孫がいれば孫一点張りで周りも目に入らない。孫を守るためにはルール破りで周りとの戦いも辞さないという防衛本能型かな。
 そのほかには、道楽誇示型。連休には山に行きますわと吹聴して回る。別にリタイアメントなんだから、わざわざ山小屋が混む連休に行かなくてもよいと思うのだが・・・。
 といった具合にどこかずれていて非論理的な意識がオッサンの特性。私は他人のブログをしばしば読むのだが、それは文章にも現れていて、オッサン風文体というものがあるのかなと思う位に文章の行間とか、筆者の意識にオッサンくささを感じてしまう。文章は、経験を積むとその人の年齢的な属性とは無関係な表現に近づいてゆくのだが、そうした典型例は作家の文章だけど。
 それにしても日本人のオッサンは概して人相が悪すぎるよ。多分そういうにらみをきかせる仕事ばかりしていたのだろう。いまの世の中では通じない仕事の方法だけど。
 Photoshopが窓のテカリを取り除いてくれた。最近のこのソフトは、シャープネスのかけかたといい進化しているようでもある。
 さて、朝起きたらまだパソコン仕事による肩の凝りが残っている。これは枕を変えるかマッサージに行くかの世界だ。
 当然のことながら昨日の1時間位の運動量ではまだ凝りが取れない。この1年間本をはじめ複数の原稿を執筆していたこともあり完璧な運動不足だ。若い頃は体力で乗り切れたが、最近そういう便法が通じなくなった。だから1年位は休め!、という天の声とおもいつつ基礎体力回復に努めようと思っている。

藤沢市江ノ島駅
2008年9月14日
EOS40D,EF100-400mm
ISO400,焦点距離100mm,露出補正0,f/5.6,1/100
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EOSな日91. 格好が悪い

2017年04月27日 | Shonan coast
 サーフィンは、体力と技と波の力がバランスを崩すと滑稽と思われる位に波にのまれて、結構豪快にドボンしてくれる。格好が悪い見本、いやそれでもこの画像はポードからはじき飛ばされたのだから格好がよいほうか。なかにはまっさかさまに足だけ見えるなんていうのもあったし・・・といった具合にもろ格好が悪いのも多々ある。
 今朝は寝不足のためか、肩は多いに凝っているし、頭がもうろうとして鈍痛だ。こういうときは珈琲・・・ダメ・・・散歩する気力がない・・ブログ・・・尚ダメとなかなか復調しない。名古屋のマッサージ屋にゆけば、少し回復するが、これは時間が非効率的だ。どうしよう・・・。つまりパソコンワークばかりしていたから、体が病的なぐらい重たいし、歩くとフラフラして足取りも定かでない。当然気力も多いに減退している。このままではほんとに病気になりそうだ。
 科研の報告書を這々の体で書き上げ、一計を案じて西京極のアクアアリーナの教室へゆくことにした。幸い教室は定員に余裕があるので、すんなり夕方からの教室に入り込めた。当然初級者のクロール・平泳ぎコースさ。それで1時間ほど参加したら、俄然体が軽くなり足取りもしっかりしてきた。なんだ猛烈な運動不足だったのだ。よし!、しばらくここに通おうと決めた。
 さっきまでの生活スタイルは、猛烈に格好が悪かったし、考えることもテイタラクであった。 運動をしなければ、万事格好が悪いことばかりだ。

鎌倉市コジキ浜
2008年8月16日
EOS40D,EF100-400mm
ISO400,焦点距離400mm,露出補正0,f/7.1,1/2000
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EOSな日90. 格好よさについて

2017年04月26日 | Shonan coast
 大阪人は、格好よさをこけにして、人生みんなそんなに格好よく生きられまへんでとなる。関東人は、格好よさを目指す。目指すというところがみそなのだ。
 誰しも最初から格好がよくないことは自明の話である。例えばサーフィンは体力と技量と波の力とがバランスされたときだけ格好がよくなる。そうでないとぶざまに波の中へ没してしまう。だから普段からいつも格好がよいわけではない。これを目指すという努力が大切なのだというのが関東人の考え方だ。
 だから大阪人は、最初から格好よさを目指す努力をするということをあきらめているわけであり、それじゃいつまでたってもカンカン帽にストライブのジャケットを着た大阪のおっさんのままである。そのあたりが大阪の保守的な側面なのだろう。何それって!、ますます格好わるくなるやんといわれても、居直りの気分なのだろう。
 そんなことをこの画像をみて考えていた。 このサァーファーは骨盤の大きさからして女子高生、それも1年生位だろう。そして大変格好がよい。それで格好よいとはどういうことか。体力と技と波の力のバランスが三つどもえになって格好よくなることを教えてくれたのである。
 スポーツをしない人種は、得てして格好が悪いというのが私の持論である。Instagramをみていると、どう綺麗でしょうといわんばかりの女の子が跋扈している。最もここはCMガール達のプロモーションの場なのでいたしかたないですが。だが綺麗なだけじゃねぇー、私には間抜けな表情の肖像画が大量に並んでいるようにしか見えませんから、フォローなんかあほらしくてしませんけど。
 あなたは海岸に行ったらスポーツをする側、それともビーチでゴロゴロとして海を眺めている側?。私なら後者だったら私の回りに近寄ってほしくないですね。
 そんなふうに画像をみながら文章を考えることって結構多いのですね。
 
鎌倉市コジキ浜
2008年9月24日
EOS40D,EF100-400mm
ISO400,焦点距離400mm,露出補正0,f/5.6,1/640
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番外編280. 江の電

2017年04月25日 | Shonan coast
 湘南海岸へ散歩に出かけるときは、いつも江の電の鎌倉高校前で降りる。降りると眼前は太平洋である。
 江の電のある風景もユニークであることは既に知られているが、狭隘な住宅地の間を抜け腰越駅を過ぎると突然太平洋が正面に見える瞬間が面白い。そして鎌倉高校前駅が近づくにつれて、今日はどの程度の波があるかを観測する。どんな天気でもここで降りて海岸へ出かけてみる。もちろん事前に波の高さを調べてくるが、実際は風の向きや時間によっても違うので現場をみないとわからない。
 江の電があれば京都には嵐電がある。特にこの支線である帷子ノ辻と北野白梅町を結ぶ北野線は単線で京都の山辺の住宅街を走っていて風情もあるが、 こちらは海がない。
 ところで今日の画像は、デジタル創世記ものであり300万画素の機材だったことが画像データでわかる。それでもブログでは十分な解像度だ。今見ても結構良いレンズを付けていたんだと思う。この機材は大学の実習室のサイドキャビネットのなかにおいてきた。iPhoneの方がよく写る時代に、単4電池4本を使う発色が薄味のこの機材を誰がつかうんだろうか。2度修理したから今でも使えるのだけど。
 さて次の雑用をしなければならないのだが、とりかかるきっかけがつかめない。そのままほっておけば、忘却の世界に押し出される。それでは周りがこまるだろう。あと3~4ほど雑用がある。
 なかなか自分の世界にこもるということは難しいことなのだ。

ニコンクールピクス990
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番外編279. 沖縄の空気

2017年04月24日 | Shonan coast
 江の電の踏切越しに高台の住宅地を眺めている。個人的には好きな画像。最初はこの画像をアップさせるためにデジタルデュープのストックを探るなどをして湘南海岸シリーズを書き出したのだった。随分回り道をしたが、忙しいさなかには合理的な執筆方法だったか。
 連休には、湘南海岸を散策したい気分だが、その頃は、波がないし風景は退屈だしよいことがない。
 横浜に住んでいた頃は毎日のように午後遅くからJR-江の電のフリーバスを買って、湘南電車を使い藤沢から江の電に乗り換え鎌倉高校前で下車する。ここの海岸でひとしきりサーファー達を撮影すると、歩いて七里ケ浜のファーストフードで珈琲を飲み、稲村ケ崎から夕日を眺め、それから江の電で鎌倉に出て横須賀線で帰る。時には歩くのをパスして鎌倉高校前から一駅だけ江の電を利用する時もある。このときは踏切が見えるから後者だった。そんな散歩のなかで様々な風景に出会った。
 やはり日常生活の延長上に出かけられる風景がないと、気に入った風景に出会える確率は少ない。そう、何度もでかけられることが重要なのだ。
 今は京都暮らしだから、まあどこへ散歩しても気に入った風景に出会える可能性もあるが、みんな人工物ばかりで自然が少ないから私は飽きるんだよね。そこが湘南と京都の違いだと思われる。
 京都に住んでいてこういうのもなんだが、私って辛気くさい寺なんか行くよりは、サーフィンとかダイビングの方が気分爽快になるのよね。さて京都の家に吹き込む風の中に沖縄の空気を感じ取ろうとしている自分がいる。

稲村ケ崎
ニコンF4、AFニッコール35-70mm、プロビア400
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番外編278. 表記辞典

2017年04月24日 | Shonan coast
 さて二週間続いた私の50ページほどの短文の集合体である業績リスト作成の事務仕事もようやく終わる。
 それは昔文科省に提出した原稿を下敷きにしてのコピペと加筆なのだが、私の本に掲載したリストを使ってくれればプロ編集者の校正済みなのだから話は簡単だったのだが、様式が違うということでまた最初の一からやりなおしなのである。それでやりなおすと全部のページに編集校正結果が指摘され、まあ400カ所はあったか。
 普段から編集も含めて文章を書くことは多いが、はっきりいってそれは編集様式があまり統一されていない文章が多いことにがく然とする。学術論文は、表記をあまり問題にしないですから。表記で一番多いのは文字や文章の違いである。そのために表記辞典がある。そうした表記の正しい文章の最たるものが公文書である。
 以前裁判書の判決文を読む機会があった。それは私にとっては大変な名文に思われた。事実を正確に記述し、その上で何が、何処に違反が指摘できるかを筋道をたてて説明し結論に至る、そのプロセスは見事というほかない。
 これから先公文書を書くことはないが、後学の知恵で少し辞書ぐらいはみてみようと思い、これに関する本を二冊アマゾンに注文した。

稲村ケ崎
ニコンF4、AFニッコール35-70mm、プロビア400
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EOSな日89. 何を、何処を、何のために

2017年04月23日 | Shonan coast
  スマートテクノロジーの現在では、もはやデジタル機材という存在がなくなってしまう可能性が高いことは昨日書いた。要は我々は、スマートテクノロジーを駆使して、何を実現し、そして何処を目指すのだろうか、今そこが問われているのではなかろうか。
 古い機材をネチネチといじり回す楽しみをなくして、何か新しい楽しみをスマートテクノロジーは提供してくれるのだろうか。
 一つその利点をあげれば、家の中が次第に整理されてくる。つまり物の少ない暮らし方、さらには家のいらないライフスタイルにつながる。そうなると旅人の暮らし方に近くなる。物がひいては家がなく流民のように流れてゆく、そういう生活スタイルが将来像かとおもったもりする。
 それは地球の上で縁があったり、気に入った土地に住み、あきたらまた他の土地へ転出してゆく、そういうライフスタイルかもしれない。流れること自体がエネルギーを消費するわけだから、その方が経済にとっては好都合なのだろう。それが地球の上でぐるぐると回っていれば経済が動いてゆく、そういう仕組みをイメージするけど。
  話題は変わるが最近のPCの電子辞書があまり使いものにならない。というのも言葉を入力してからでないと辞書機能が働かないのだ。私のように言葉を決めないで、言葉探しをする人間には用をなさない。例えばATOKなんか小学館の日本国語大辞典をつんでいるのだけど、随分と説明を省略して記述している。本来はその省略されたところに語義とか最初に登場したころの文献名や使われだした和歌などが記載されているが、WEB辞書は全文掲載ではない。
 用語をいれないと検索できないというのは、結構使いがってが悪く、年会費を払えば全部見れるというのはなんか違うようにも思われるが。だって会費払って全部みたい必要にかられる人は少ないだろう。それよりは類語検索ができるのか? それがあるとものすごく便利なのだ。いっそUSBメモリーで辞書を発売すればよいのにと私は思うけど。
 結局手元にある全13巻の日本国語大辞典を調べるほかない。これってテキストに打ち直さないとPCのメモ書きができないのだよ。そういえば小学館のランダムハウス英和辞典電子版CD版は和英も類語検索もでき、大変便利だったのだが、すでにジャパンナレッジに取り込まれてしまった。 そのジャパンナレッジは小学館が出資した企業だ。
 結局電子辞書は、帯に短したすきに長し・・・ではなく、たすきにも短しで、なんにも使えない。言葉から意味を探すなんていうのは、高校生までの言葉の調べ方であって、通例人並みのボキャブラリーがある私は、知らない言葉は最初から使わない。それより同じ意味で別の表現はないかというときに辞書を使うのである。だから類語検索機能が必須なのだ。
 ATOKには、ジーニアス和英辞典がついているのだが、簡単な例をあげると「西洋」とひくと「western」と検索される。うん!?・・・ウェスタン・・・どうもヨーロッパをいいあらわすフィーリングではなく、あまりにも直訳的。本来なら「european」とするべきだろう。日本語の語感と違うから類語辞典で他の言葉を探す作業が頻繁に発生するわけだ。
 一体何のために、ATOKはこの電子辞書をつけたのだろうか。ジャパンナレッジがビジネスコストダウンに徹するあまり高校生並の頭で考えちゃったということはわかるが・・・。

鎌倉市コジキ浜
2005年5月7日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離330mm,露出補正-1/3,f/8,1/500
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番外編276. インプット

2017年04月21日 | Shonan coast
 FBには、これまで私のブログのリンクだけにしておいたので、裏でため口などを恥じらいもなく書けたのだが、ブログ画像がホーム画面にアップされてしまうと目立ちすぎるよな。
 そうなるといつもの執筆モードにならざるを得ないが、それはちと面倒だ。さてどうしたもんか。
 さて最近の番外編は、リバーサルフィルムのデジタルデュープでもアップさせようというのが最初の動機だった。これを進めてゆくうちにEOSの画像もまざり、当初の目的から湘南海岸へシフトしてしまった。今日はデジタルデューブに戻って・・・。
 多分連休あたりには、湘南海岸へ海をみに出かけたいという願望があるのだろうけど、その時期は波がないのよね。それに海岸沿いにテラスのあるファーストフード店もなくなったようだし。海を眼前にできる気軽に立ちるところ欲しいですね。
 そのファーストフード店で知り合いになったのがカメラマン。「いつもこの時間にこの店へ来ます、また合いましょう」といってたが。彼は仕事柄もあり、その後同じ時間に出かけてもなかなか出会うことはなかったし、私も決められたように出かけたわけではないし。
 その後彼からはメールで便りもあったが、そのうちカメラマンでは食べられないので九州の実家のお寺の住職になったという便りを最後に音信不普通になってしまった。こういう人こそFBがつないでくれると面白いのだろうけど。
 今年の3月まで大学で、知らない学生達を教えるという仕事をしていた。ゼミにやってきてようやく知り合いになれる。そこには一人一人の価値観やライフスタイルがあって結構私を楽しませてくれた。
 そんななかで均整のとれた骨太の体型の(クロッキーをやっていると自然とこうした観察眼になってしまう)ゼミの女子学生から「私たちの音楽演奏会に来ませんか」と誘ってくれたときは、なんとも優雅なお誘いでうれしかったが既に先約がはいっていた。今にして思うと残念。でもそれだけのことで学生の顔はしっかりインプットされている。

鎌倉市コジキ浜
ニコンF4、MC1000mm、プロビア
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EOSな日87. Facebookがなくなる日!?

2017年04月20日 | Shonan coast
 テレビに変わってFacebookが登場したといってもよい。マスではなくパーソナルな話題の発信に意味があるのだ。このブログもアップは少ないが、リンクをFacebookに張っている。
 最近、私はそのFacebookに関心がない。正確にいえば、私の少し乱脈にコンタクトしたFacebook上の友達関係というべきだろう。友達関係の情報を長い間見続けていると同じような情報が連綿として続いているようみえてしまう。
 映画に例えると7人の侍まではよかったが、それが700人の侍になったようなものである。その700人が全員主役を演じたらどういうことになるだろうか。それと同じ理屈だと思う。どんな情報もFacebookのなかに埋没してゆくようだ。
 別の例えでいえば、絵の具をたくさん混ぜてゆくと最後は灰色になってゆく。丁度それと同じことがあるのではなかろうか。つまりすべての十人十色の情報が結果として灰色になってしまいすべて同じ色としてしか認識されないようになってくる。これを情報のグレー化現象と呼ぶことにする。
 そういうことに気がついたら、情報の流れが速い時代である。Facebookがなくなる日!?は、多分あるのだろう。わからないのは、それがいつかということである。少し刺激的な小見出しだったかな(笑)。ホントは休刊日とかけばよいのだけど、メディアの手法に甘んじた。
 そう考えたくなるのも最近まわりと関わらないライフスタイルがノイズがはいらなくて結構心地よかったりしている。「いいね」クリックすることも、お義理の挨拶も、虚勢も見栄も、気遣いも、へりくだることもいらないのは楽だ。
 静かな古都で夜更かしで仕事をし、路地に陽がさす朝を迎えるときは幸せ気分を感じる。それでパソコンを触らなければとてもよいのだが、WEBを立ち上げて、そこからまた混沌とした1日が始まってしまう。だから今の事務処理仕事が終わったらWEBをさわらない休刊日をとろうか。
 さて今日は、昼前に起き、ガレージがある西院久田町まで歩いた。健康のために少しは歩かないと。少し疲れたな。

鎌倉市稲村ガ崎
2005年5月7日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO400,焦点距離170mm,露出補正-2,f/13,1/1000
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EOSな日86. 眠れない夜中の旅

2017年04月19日 | Kyoto city
 さて2週間分のブログをプレビューで掲載しているが、時々気にかけるのは二週間分の画像の色である。地味であれば暖色系の画像を配しといった具合に画像の並び方は少し意識する。ならば超望遠レンズで撮ったと思われる夕焼けの富士山でもアップさせたが、撮影消失している。前後の画像の並びからEOSだな撮影場所は、このアングルでは稲村ケ崎しかない。この位置からだと富士山の高さが表現できるかなと思ったりしている。
 ところで私は富士山には全く関心がない。だから登りたいとも思わないし実際でかけたこともない。以前太古の時代の不気味さを持っている富士山の画像が記憶にあるが、それは外国人が撮影したものだった。だから富士山は太古の山なのだというのが私の認識。当然活火山である。
 ロシア・カムチャッカ半島には、富士山以上の標高をもった同様の形態の活火山がいくつも連なり、噴煙をあげている。こちらのほうが富士山より迫力がありそうだ。もし富士山が大規模噴火を起こして崩壊すると、シベルチ山みたいな形状になるのだろうか・・・ということをGoogle mapの3D画像でみながら類推していた。これをみているとヒマラヤをはじめとして随分氷河が後退していることもわかる。そして最後に富士山をみてGoogleツアーは終わる。
 夕べのGoogle mapによる眠れない夜中の旅である。ついでに当時大学に置いてあった私の赤いプリウスもバッチリ写っていたのには笑えた。さて一週間ぶりのクロッキー教室で僅かにクリエイションらしいことをして、事務雑用仕事の気分的疲れを癒す。

鎌倉市稲村ガ崎
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EOSな日85. 雑用御用達月間

2017年04月18日 | Shonan coast
 キャノンのオートフォーカス技術はフィルム時代に確率されていたので、デジタル化された初代デジタルEOS Kissの2.5コマ/秒の遅い連写であってもサーフィンならば歩留まりよく撮影できた。
 この選手のところにボールがまわりシュートするだろうといった具合に連写は、先読みが必要。そうすれば良い瞬間が撮れる可能性が高くなる。この画像の場合、今では遅い連写仕様だが、相手は波と人間だからそれで十分だった。
 こういう過去画像が1テラバイト近くあり、持ちあぐねているので、せいぜいブログにでも使おうという魂胆だ。タイムカプセルにダウンロードしたら1日たってもまだやってんのにはいささかあきれたが。
 大学の事務から電話があり機材用のアタッシュケーズか届いてますというので、多分二重注文しちゃったのだが、この機会にニコンシステムを作りますか。散歩用にニコンDfとか。これ以上機材が増えても撮影する機会も少ないが、ニコンやツァイスのレンズが余っているしモノクロネガのデジタル化もしておきたいし、それにこの機材はやはり優れものだし廃盤になるまえにゲットしておきたい。もう二度とこんな面倒見の良い機材はでてこないだろうから。
 これでオリンパス、キャノンと続く同サイズのアタッシュケースが3つ並ぶ様は壮観だ。何でもござれという気分だが、全部揃ったらシステム毎全部売っちゃうとか・・・。
 そんなことを考えていたら、また大学の事務から科研費の最終報告をせよという連絡。またまた雑用が増えた。もうしらないでもこちらはなんの影響もないが、義務としてやるんだろうな。また雑用が増えた。
 まるで今月は雑用御用達月間だな。早く手過去とは手を切って、次の仕事にとりかかりたいのだが。

鎌倉市コジキ浜
2005年6月9日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO400,焦点距離400mm,露出補正-1,f/11,1/1000
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EOSな日84. 雑用百貨店

2017年04月17日 | Shonan coast
 これも2007年頃の画像。古いデータを整理すると、こんな画像が出てくる。
 目下雑用書類と家の整理と町会長の役と今は雑用百貨店みたいにやるべきことがダラダラと続き、アトリエでクリエイションでこもるというわけには行かないようだ。なかなかブログの刷新やホームページづくりが先に進まないのが悩ましい限りだ。
 Mac proとMac miniの二刀流にしたのは正解だったが、12のコンセントがあるタップが一杯になってしまい混沌としていている。もちろん便宜的に使用しているMacも含め4台ぶらさがり、HDだのモニターやスピーカーがついているためなのだが、そこへ外付けHDとかUSBが複数Macにぶら下がり混沌を加速させている。
 せめてデータはNASに一括して納めようと考えた。そしたらタイムカプラルが2テラバイトと容量も大きい。これでよいかと画像データを移しだしたのが間違いのもと。半日にかっても1テラ近いデータはまだ移送中。つまり遅いんだ。やはりこれは差分ファィル系だけにしておけばよかった。こういうときはサードパーティー製のマシンの方がよい。だがこれは動き出すと年中ファンが回っているというのが悩ましい。最近Macの仕様向上に積極的でないように思われる。仮に将来はMacはつくらないとしたら、iPhoneやiPadだけで仕事をする・・・あながち不可能ではないけど。
 救いは大学では名古屋市の規則で許されなかった無線LANが使えることなのだが、目下ネットワークやデータの整理中である。そんななかで便宜的Macでこれまた便宜的なソフトを使いブログの更新をしている。システムはできたが、まだなにも刷新されていない。このままじゃほんとに雑用百貨店だ。

鎌倉市コジキ浜
2007年4月11日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,f/5.6,1/800
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番外編275. 季節が夏に舵をきる

2017年04月16日 | Shonan coast
 昨日はミノルタレンズで、今日はロシア製1000mmの同様のレフレックスレンズで撮影した画像をみると、やはり色や背後のボケ方がこちらは今ひとつだ。ロシア製は写ればよいのか。
 さて私がクロッキー教室の帰りに、若い女性がけげんな顔をしてきつい目線を私に寄せていた。私は、その女性の後ろの左折する車の前を横切る自転車を「あれ、夜だから急に飛び出すと危ないよなあ」とみていたのだ。それを女性は私が自分をみていると勘違いしたのだろう。
 さっきまで私は若い裸婦を描いていたので君には興味ありませんとはいわなかったけど。女の勘違いというべきか(笑)。
 私が街でスケッチしていれば、多分ボディはこれぐらいで骨盤はこの大きさで描けば人体になるかなぁー、といった具合に女性を観察するが、人体は複雑な局面の集合体で筋肉と骨の一部が表層に現れるから結構描くのが難しい。そこがデッサンの勉強になるゆえんだろう。
 プロダクトデザインでもデッサンを勉強する。それが車のデザインに行き着く。車は人体よりはわかりやすい3次曲面だけど、それが居住性能や走行性能をパッケージしつつカッコいいかどうかという評価を左右する。形態に対する美意識は、時代や人間の経験で左右するので、まあいつの時代もなぜそうなのかは説明できないことの方が多い。だからデザインなのだろう。
 さてこの画像をみていたゼミ生から「盗撮ですかぁー」といわれたが、おとんは警察官だそうだ。どうりでいうことが犯罪用語系だ。こちらは隠れもせずサーファーを撮るために海岸に堂々と三脚をたて、しかも1000mmのレンズだから、この程度のものは簡単に撮影できる。笑える勘違いもあった。
 実は社会では、「見た!」、「見られた!!」、「撮った!!!」、「撮られた!!!!」で騒いで犯罪にもなりスクープもそこから成り立つ。私にいわせれば、そんなつまらないことはどうでもいいんじゃないか、というのも洋服を着ている人間の体の体型は、意識的に類推しようと思えばデッサンをしている人ならばだれでも類推できてしまう。普通は、それをいうと失礼だからいわないけれど、わたしなんか無作法だからブログに書いちゃう。
 今日の京都は、冬の格好が不要なほどに暖かくなった。季節が夏に舵をきったというべきか。それは風上に向かって走っているヨットののタッキングにも似ている。寒かった春を通り越して我々は一気に夏へ向かう。

鎌倉市コジキ浜
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