図1. Stranger(伊勢崎町) 横浜に住んでいた頃人間の写真を撮り歩いた時期があった。
図2. Invader(中華街)違和感がある人間が時折出没するのも横浜だと思う。それにしてもライツ・エルマリートはとても綺麗な描写をしてくれる。
図3. Summer sky(みなとみらい21地区)若者達の一群を追いかけていったら夏があった。
図4. Etranze(元町)どこか違う方向をみているように感じられた。
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(本文)
さて撮影の対象も、誘われて鉄に始まり、その背後の街へ関心が移り、そして街の主役である人間へと関心が向かっていった。この頃横浜美術館で、フォトグラファーを招き写真講座が開かれていた。そんな教室に参加していた影響もあり、混沌とした街や人間を撮ることに没頭していた。あるときはストーカーのようにあとをつけ、またあるときは盗撮者のように・・・である。そんなことが結構許された時代でもあった。
それは何かの記念写真やイベントのようにとり澄ましたものではなく、偶然遭遇した街や人間性だろう。そんな被写体にひかれていったのかもしれない。
実際、世界のグレート・フォトグラファー達は、そんな人間性を数多く捉え優れた作品を博物館などに残している。アーウィング・ペンの「コレット」、ユージン・スミスの「日本」、アンドレ・ケルテス「公園の二人」、マン・レイ「ヌード」 などの写真をあげるまでもなく、人間は時代の体現者として登場してくる。
あるとき鎌倉駅のホームで、フィーリングのままにデジタル機材のシャッターを押したら、横から被写体ではない小太りの中年の叔父さんが「何を撮りましたか?」と尋ねてくる。関係ないだろうあんたにはと撮影画像をみると、女子高校生達が写っていた。ハッはぁーん。
また京都の街で撮影していたら、突然横から「撮影した画像を見せてください!」と地味なお姉ちゃんが絡んでくる。なにこの人!!、それで古い民家の写っている撮影画像を見せたら、「いいです・・」だって。いいですだなんてお前の許可なんかもらう必要はないだろうよと相手の高飛車な意識にこちらはあきれた。
つまりどちらも盗撮だと思ったのだろう。そして他人に対して高飛車なところが中学高校の学校の先生の臭いがした。ふと彼らは、何故撮影者にあえて横やりをいれてくるのだろうと考えた。
おそらく当時盗撮が社会や学校で話題になっていた。例えば学校の先生がビデオカメラのモードで児童の透けた水着を撮影していたこともあったと記憶している。だから警戒心がはびこっていた。なんで身内の出来事でこっちに矛先を向けてくるんだか・・・。
つまり私が街を撮っていると、盗撮していると思われたのかもしれない。しかしそれって戦前のお互いがお互いを見張って警戒し、違反したら密かに憲兵隊に通知する体質とにているではないか。最近なんか身の回りが窮屈に感じるのは、そうした戦前の意識が今の社会に蔓延しているのではないかと思っていた。
人のことなんかどうでもいいんじゃない。そんなおおらかな世界はどこへいったんだろう。
当時そんな日本に嫌気がさして私は中国雲南省に飛び、古い集落と多くの少数民族を撮影する仕事に没頭していた。このブログでは2007年10月28日〜12月16日のVillage Designのシリーズ、さらにその後に散発的にアップされた雲南省少数民族の画像などである。
神奈川県横浜市
Pentax ME,Tacmar120mm/F2.8、Leitz M4-P,Elmarit28mm/F2.8、T-Max,Tri-X