Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編329. 二眼レフ再考4.

2018年03月30日 | Tsukuba

 田舎を歩くと意味不明の窓のない民家がある。ここでは縄にシテをかませ結界を暗示し、外部からの立ち入りを禁止しているようだ。それに背後の建築が左右対称であり、多分この土地の神様を祀っているのだろうか。神殿にしては少し規模が大きいから集落の会合などもここで行われたのだろう。

 もう一つ考えられるのは逢い引きの場所だった。民俗学を踏まえれば、農本社会は人間の頭数=米などの生産量だから多いほど収穫は上がる。大体神様の考え方が、五穀豊穣、子孫繁栄だから子づくりに励めというわけだ。そもそも農村にゆけば金精様を祀る性器信仰が昔からあり、まあ男と女に関してはおおらかだったのだろう。だから若い男女が姑などのいる母屋からここへやってきてセックスをする場だっただろうし、時には農家の後家さんが、若い衆に相手に筆卸をさせていたのかしれない。それで子供が生まれれば上等というわけだ。ようは誰の子供でもかまわないというおおらかさがあった。だから農家の先祖は、みんなどこかでつながっていた。

「あら、五作どんのどご種なしかど思うだら子供でぎはった」

「なんでも、こごだげの話だげど奥さんが隣の与平どんの種をもらったらしい、以前あの密会所で与平どんと二人でいだのをみぢゃったのよ!」

 そんなことをイメージすると、ここは密会の場所。つまり子供の親など誰でもよく、あとは村で育てて農業生産力の向上に寄与させようというわけだ。それは現代の一々理屈をこねないとセックスをしない社会とは異なり、おおらかなセックスが日常的に存在していたのだろう。古い民家が残されているということは、子孫が絶えることなく家が続いたことを示している。

 映画「Good Job」を見ると、そんな山村の田舎の気分を感じさせてくれる。そういえば、私の実家は父方は10人兄弟、母方は8人兄弟だったから、昔の田舎は、それが普通だったわけです。多産系こそ財産というわけです。それが戦後日本の高度経済成長を支えてきた。

 あら、二眼レフの話でしたね。まあスクウェア・フォーマットというのは、そんな意味深な空間を捉えるのに調度よいのかな、という話です。

 さて京都市内も桜は満開。今年は早いですね。先日飲みに行こうなんてお誘いもあり、骨折した指を引きずりつつでかけるあたりは我ながらの根性がいやらしい。昨日は医院で、安定している、という評価を得て、カルシウムのサプリメントと牛乳が効いたか。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,プラスX

 

 

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番外編328. 二眼レフ再考3.

2018年03月29日 | Tsukuba

 今の時代にフィルムカメラの二眼レフについて書くのですから、それ自体を知らない世代が増えているので、まわりくどい書き方になります。

 被写体のアップはできるのか?。最短撮影距離1mですからマクロレンズではありませんし、レンズ交換も一部の機種を除けばできませんのでマクロ撮影はできません。でも被写体によっては、マクロ的な撮影は考え方によって可能ではないですか。

 ここでは、葱坊主をアップで撮影しました。背景のボケ方は自然ですね。いわゆる背後などのボケは大変綺麗ですし、逆に画面全体にピントを行き渡らせれば、ものすごくシャープな画像になります。このあたりが、二眼レフの魅力かな。

 さらにいえばこの頃の証明書用写真は、二眼レフで撮影していた。ネガをそのまま引き伸ばし機を使わないで密着プリントですから、大変画像がシャープなのです。ネガサイズ6×6cmにたいし、証明書用写真が3×4cm程度ですから密着プリントでゆけるわけです。今にしてみれば、かなり贅沢な証明書用写真になります。

 ちなみに私の実家は、小学校6年頃まで写真屋をやっていた。当時はライツのコピーの国産カメラなども販売していましたが、たいした利益にはならなかった。その後プリント屋に転じてなんとか商いが続いたわけです。ミラノフォトサービスという名前でした。プリントの職人さんを雇い、そしてお袋が証明書用の写真撮影をしていました。写真屋とはいえ、同時高かったRolleyなどを買う余裕はとてもなく、その頃一番安かったRICHOの二眼レフでした。その二眼レフを構えてお袋がエイッ、ヤッという感じで撮影していたわけです。そんな体験があるから、このブログで写真の話題が多く登場するのもDNAのなせる技でしょう。

 でっ、もちろん家は豊かではなかったから、その後私はいつもお下がりの標準レンズばかり。嫌気がさすほど標準レンズだったですもん。だから今では機材マニアにもなっちゃいますよ(笑)。

 それはさておき、二眼レフは一部を除き標準レンズしかありません。それも潔すぎるわけです。だから機材を抱えて後ろに下がったり前に出たりでファィンダーの視界を調節する、つまり人間がズームだったわけ。それでも正方形というプリミティブな視界は、とてもアーティスティックで、今でもひかれるものがあります。正方形という幾何形体は、こだわり続けたら奥が深いです。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,Velvia100F

 

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番外編327. 二眼レフ再考2.

2018年03月28日 | Tsukuba

 これ位の画像になると、もとのネガからプリントすれば大きく引き延ばして額縁に入れて部屋に飾っておくのがよいかも。アチャー!、もとのネガは捨ててしまったけど。きっと空のトーンなんか綺麗に出ていたはず。

 つまりよい光が絶対条件になる。そうでないときは撮らない。それぐらいメリハリのあるとらえ方が必要になり、機材の高性能を振り回して何でもいつでも撮ればよいというものではない。せめて太陽のない夜なんか撮ってももしょうがないでしょう。夜は生活を楽しめ、癒やせの時間だよ。

 面積で比較するとフルサイズに対して二眼レフは約4.3倍の面積があります。だからフルサイズ36×24mmでEOSクラスで2000万画素とするれば、6×6cmはその4.3倍、つまり解像度8,600万画素という値になります。今そんな超高画質デジカメはコンシューマ向けでもプロユースでもありませんが、二眼レフの6×6ネガがいかに高画質かということです。

 撮された画像は見応えのあるアートです。だからそれなりの額装もあったほうがよい。そんなわけで手間はかかりますが撮された画像は圧倒的に美しいと私は思います。

 あとはプロラボ探し。東京銀座なら写真弘社があります。大都市部にある堀内カラーでもよいでしょう。フィルム現像したときに同時に高解像度でデジタルデュープ化(解像度をあげると高いですけど)を依頼する方法もあります。この画像は、私がE-M1mk2で自前でデジタル・デュープをしたものです。

 懸念材料は修理専門の関東カメラサービスが閉店、もう一つネガを保存するデザインのよいネガファィルがなかなかないということ。だけどこれだけ高性能でシンプルな構造でしょう。使いみちはあると思われます。二眼レフは、なんといったって持っていて格好がよいですから。

 さて京都市内の桜は満開です。満開ラインは、このまま北へ駆け上がってゆくのでしょう。まあ都心部の桜の見頃は今週末まででしょう。来週はもう散っていると思われます。今年は桜がピンクのつぼみを付けたと思ったら一気に開花ですから開花が早いようです。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,プラスX

 

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番外編326. 二眼レフ再考1.

2018年03月27日 | Tsukuba

 SONYツァイスを持って春の京都徘徊は、足指骨折で少しの間無理だろう。だから先日デジタル化したネガ画像からピックアップ。

 画像は、私が筑波大学の研究室で博士論文を書いていた頃、滞在していた筑波のアパート。その名もハッカー・アパートメントという。下にワーゲンゴルフなどを販売しているディーラーの居宅付き。ここのアパートは、東京の建築家が設計したとあってとても快適な上に、カラフルでそれが毎日の刺激になって大変心地よいデザインです。

 そんなは話はおいといて、6×6版のネガの画像からアップさせよう。今のデジタル機材のフルサイズ規格の原点といえる135フィルムがありますが、今回はそれよりさらに大きい6×6cmサイズの正方形の画面を有する中判ネガフィルムを用いた機材=二眼レフがあります。だからその二眼レフもフィルムに合わせ大きいわけ。その分大変綺麗に鮮明に撮影できるわけです。

 そうした二眼レフ使いのフォトグラファーは数多く、このブログではビビアン・マイヤーを取り上げた(2016年5月3日)。この画像で彼女が抱えている機材が二眼レフ。彼女は家政婦の傍ら日々の日常生活を二眼レフで撮影し、近年その作品が発見され人々に認識されてきました。

 その幾何形態の原点の一つである正方形というプリミティブな視覚が、構図や納め方などを考えさせられますし、モダンアート的或いはクラシック的視界といった具合に、どんな場面でも絵にしてしまうところが正方形画面の特性なのかな。それとファィンダースクリーンには左右逆の画像が表示されますから、そのあたりは慣れが必要です。従って人間の感性を鍛えてくれます。今でも愛用者は一定数いると思われます。デジタルに飽きたら二眼レフなんか考えてみる・・・、それは新鮮な体験だと思われる。    

 Rolleflexが著名なブランドですが、Rollecordなど機種も多く値段もピンからキリまで。私のは5万円以下だったと記憶しています。

 銀座三原橋の三共カメラ本店に行けば中古品がずらりとあるはずです。WEBでみると中古のローライフレックス3.5E、プラナー75F3.5付き、つまり一番新しいタイプで中古美品が税込み97,200円は安いでしょう。私などは、もう少し昔の露出計のないものの方が好み。ローライはツァイスのレンズが圧倒的に多く、そのほかシュナイダーなどもあります。もちろんフィルムは今でも12枚撮りが手に入りますから、アングルを探し、光を見極め、よく考えて構図を決め、露出とピントを合わせ、ここぞというときにシャッターを押す。 いまの頭を使わないアホタラデジカメとは大違いです。今は注目されていませんけど大変捨てがたい機材です。

 撮影後のフィルムは、モノクロだったら勉強すれば自分でも現像ができますが、プロラボに発注し、お気に入りのカットは大判プリントを依頼すればよいでしょう。額縁に入れると大変迫力があります。

 なぜか二眼レフを使うと、頭をさげて撮影するスタイルが被写体に対して礼儀をつくすようでもあり、撮らせて頂くという気持ちになることが精神的に心地よいのです。昔撮影機材はRolleyだけという若い女の子もいました。これがまたよく似合うんですよ、いまのファッションにも。

 さて私のRolleiflexは動くだろうか。SONYのクレイジーデジ機材を露出計代わりのサブにして、なんていうシステムも面白い。でっ、その二眼レフのフィルム画像をデジタル・デュープすればブログに使えるのですから。

 二眼レフが使えるのか考察したことについて、それについて5回のブログでアップさせてゆく予定。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,Velvia100F

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Nikon Freak162. 旧筑波第一小学校体育館

2018年03月16日 | Tsukuba

 19873月の日曜日に誰が言い出したかは記憶にはないが、私と海外から帰ってきたT君と、今筑波大学の先生であるW君とM君の四人が筑波大学の建築研究室に集合した。日曜日だから誰もいないのは幸いだった。

 これからW君のフィアットで私達の大学時代の指導教官である下山眞司先生が設計し、当時建設中であった筑波第一小学校の木造体育館を見に行こうというわけだ。オール木造の体育館は、全国でも珍しい建築だ。

 筑波神社の麓の門前町の一角、梅の木が残る曇天の春であり、この辺りには雑木と小さな畑と路地のある微地形がとても居心地よい環境だ。田舎の工事現場だから仮囲いもなく、なんなく工事中の建築の中にはいれたりはラッキーだった。足場をいくつも登り体育館の屋根部分まで上がれた。同行のT君が棟木と下の梁との僅かな隙間に彼の名刺をみえないように差し込んでいた。

「こんなことすると建築家はいやがるだろうな」と笑いながら。

 まあ見に来たよという挨拶のつもりで。さてその名刺は発見されたか、あるいはそのまま今も棟木の下にあるのだろうか。

 私達4人はつぶさに見学した後、W君の煙を噴くフィアットで東京へ戻り、たまたま入院中のW君の奥さんであり我々の後輩であるW女史の見舞いに駆けつけたのだった。そこで途中で買い込んだ焼き芋をみんなで病室でほおばっている写真が今も手元にあるが、なんか幸せな空気が漂っていた。

 今筑波第一小学校は児童数低減のため廃校にされている。昔から門前町には旅館が多々あり、そこの師弟達が通っていた小学校であった。それがつくば市の都心の方が便利だというので転居してしまったようだ。その観光地も往事の面影はない。つくば市の統計によれば、筑波山の観光客数は2014年で年間入込者数170万人位であり、2007年以降一貫して低減し続けているし、筑波山の足であった関東鉄道筑波線も廃止されてしまったから、昔のスタイルの観光地が抱える共通の選択に迫られるのだろう。このまま残すのか、規模縮小して普通のリクレーション地にするか。通例は後者になる。

 従って廃校になった筑波第一小学校の校舎や木造体育館は、そのまま通信制の私立学校として今も利用されているようだ。多分下山先生に言わしめれば、「そんなことは最初からわかっていたの!、いまも役だっているじゃん」、といわれそうであるから、我々は寂しい顔はしないことにしている。

 

茨城県つくば市

NikonF,Nikkor H Auto28mm/F3.5,コダカラー

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Nikon Freak161. 科学のメス

2018年03月15日 | Tsukuba

 東北大震災から7年目である。この頃F1では建屋が水素爆発をした画像を入学試験解答の採点中にスマホでみた。そんな土地と建物との関係性に着目しなかった典型例がF1であり、津波で流された町である。

 本来東北地方は、私の記憶でも三陸地震沖津波、チリ地震沖津波と、津波が押し寄せてきている。それに岩手県宮古市重茂姉吉地区には、大津波記念碑が建っており後生に警鐘をならしている。記念碑海抜60mの位置に建てられているから、地形の関係上その高さまでは津波が押し寄せてきたという歴史がある。だから10m程度の地盤のかさ上げではあまり意味が無い地形も東北地方にはある。東北復興は、地盤の固いところを探して高台移転が唯一の正解であり、それ以外の方法はありえない。

 津波は三陸の話であり福島は関係ないでしょう。といったかどうかはわからないが、災害は県別にやってくるわけではないし、東北地方に平行して太平洋プレートが潜り込んでいるのだから、青森県から千葉県までは津波の可能性をもっているとする地学的解釈は、F1がつくられた頃でも理解できたはずである。

 にもかかわらずF1の電気設備を津波で失うような設計にしたいきさつや意思決定のメカニズムはどうなっていたのか、そのとき何故津波の可能性を考えなかったのか、何を安全の評価基準にしたのか、津波の危険性を指摘した技術者はいたはずである、何故無視されたか、あるいは津波に耐えられるとする判断はどこからでてきたのか、もっといえば何故高台に原発をつくる計画にしなかったのか、それらのことについて個人の責任問題にするのではなくて、プロジェクトの構造自体に工学あるいは科学のメスのいれるべきだと考えている。

 もちろん国や企業がいうところの安全は、文化系の話だからいつも神話である。科学的にみれば、どういう前提条件で安全だと評価したのかということである。その評価基準が想定外であれば、安全というものはいつも神話でしかないわけだが、その程度の知見でお終いでは工学やさらには科学の世界にいるとはいいがたい。

 そのあたりの意思決定やヒューマンファクターを科学的に解析し知見を得て後生への警鐘とするのであれば、先の大津波記念日と同様の意味をもつ。しかし、そんなデータがあるかどうかもわからないし検証する活動も聞こえてこない。

 本来ならば、そうした科学的検証をして知見を得てこそ災害を風化させない唯一の方法なのだが、センチメンタルなイベントとマスコミアピールで終わろうとしている。それじゃ本当に風化するだけだよ。東北大震災やF1の問題を風化させたくなかったら、後生に何を伝えるべきかとする知見を科学のメスを用いて明らかにすることでしょう。

 さて堅い話になったから話題を買えて、確定申告の列に乗って還付申告も終わり、一つ仕事がかたずく。新聞をみると森友問題で騒がれているが、そんな他人の財布の中などどうでもいいのよ。100兆円国家のスケール規模からすれば8億円なんて端数処理の部類だろう。それよか経済をもう一寸。日本はGDPの割には、世界ランキングが低くすぎるのよ。つまり世界からあまり信用されていないのが現実。

 日本は国債などの借金が1,000兆円あるけど、国家の場合は借金という概念が本来成立しない。だってお札をドンドン印刷して社会に流通させれば借金棒引きになるからね。

 さてデスクの中から換金していなかった郵便局の小切手がでてきた。おおっ、これでα6000の16mmのレンズを買おうというので中古屋にはしりころのよい商品をゲット。まあSONYのボディに一つぐらいフルオートで使える純正品が欲しいよな、といって本気モードではないので中古でいいさ。PENならレンズは揃っているのになんでSONYか。つまりSONYの純正裏面照射型COMOSセンターを試してみたかったわけです。

 国家に比べると、なんともつつましい還付金だのデスク小切手だのとせこい話で時間をつぶされる。α6000を小脇に抱え古い町へ行きたかったのだが。

 

茨城県新治郡筑波町

NikonF,Auto Nikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

 

 

 

 

 

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Nikon Freak160. 風土的了解の姿

2018年03月14日 | Tsukuba

 筑波の田舎を自転車で走り回っていると、大きく成長した防風林に囲まれた集落が多い。それもそのはずであり、ここは筑波下ろしと呼ばれる風の強いところだ。その筑波下ろしが吹いてくる方向に防風林が設えられている。ときには集落全体が大きく成長した防風林に囲まれており、集落の中に入ると風も無く日差しが心地よい。それが大変美しい風景を形成している。

 それは、この土地に長く棲み続けてきた人たちの経験と知恵の結実したものであり、そうした風土的了解の姿が、私達の眼前に現れる。それは土地と建物の関わり型のデザインといってもよい。つまり集落全体の配置が、強い風に耐え快適環境をつくりだしている。

 そうした風土的了解の姿に反して建てられるのが現代住宅である。ここは風が強いだろうと思っていても、そんなのとは無関係に家々が立ち並んでいる。当然土地と建築との関わり型などは無視されて、機械的に正系の敷地である。筑波下ろしは壁やアルミサッシといった密封された居室を構成する素材群で建築性能が満たされるためである。それが満たされれば風が吹いてこようが豪雨が降ろうが関係ないというわけだ。実際居住者達は風がとても強くて、ときには家が揺れるぐらいという話は聞いた記憶がある。

 だから時折防風林で囲われ屋根しか見えない集落の中に、突然2階のアルミサッシの窓が見えたりする。それは、もちろん現代建築なのである。思うに建築性能に依存していて、私達の暮らしは本当に楽しく快適なのだろうかという疑問も沸いてくる。

 風の強い時は、揺れる家の中にこもるほかない。シャッターを降ろした洞窟のような空間で、コミュニティもなくテレビをみたり、趣味に没頭せざるを得ない生活が本当に面白いのだろうか。もっといえば土地と建物との関わりを無視した住宅の作り方が正解なのだろうかということである。

 古来から建物が建てられる土地は、洪水や土砂崩れの少なく且つ生業とのバランスがとれる土地に建てられている。そうして集落全体で防風林などを用いて自然現象をかわそうとしているのである。そんな古人の歴史的知見や建築集合体としての工夫、そうした風土的了解の知見もなく、さらに土地と建物との関係性を無視した現代住宅は私にいわせれば間違った建て方なのである。だから土地が陥没したり土砂崩れに遭遇したりといった自然災害に出会う機会が新興住宅地は多い。やはり土地と建物との関係性、つまりサイトプランが大変重要になってくる。

 最近古来からの集落も人口減少で空き家が目立ってきた。いまが住み込むよい機会だと思われる。本能的にめざといアーティストなどが、そんな集落に住んでいたりする。屋外のスペースがあり、防風林に囲まれているので、風の強いときでも仕事ができるというわけだ。

 そんなことを実感したければ、台風銀座の沖縄県備瀬をみればよい。何百年にも渡って成長してきた福木の防風林が、海沿いにいることを忘れさせてくれるように、良好な得がたい居住環境を形成している。

 

茨城県新治郡筑波町

NikonF,Auto Nikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

 

 

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Nikon Freak159. 日常の風景

2018年03月13日 | Tsukuba

 このブログの画像は、可能な限り直近画像をアップさせているのだが、先日10ヶ月分の画像を誤って消去してしまった。画像から受けるインパクトをヒントに原稿文を書いているから、なんかしら記憶にある画像でつなげよう。目下仕事の合間にネガフィルムのデジタル・デュープ作業を継続しているので、これを使おうか。

 私が住んだあるいは関わり記憶が濃厚な都市は、東京、筑波、横浜、名古屋、京都、沖縄である。そんなネガフィルムの中で、筑波をとりあげよう。私が初めて訪れた筑波大学は雑木林の中にポツネンと槇文彦さん設計の校舎が建っているだけだった。それから一気に開発が進みいまはつくば市となり鉄道も走り東京の郊外都市である。そんな筑波の記憶を掘り起こしてみようか。

 筑波大学には、間をあけて都合3回通った。学部、大学院修士課程、博士論文執筆のための研究生とである。この画像は、大学院修士課程の時に自転車で大学の郊外へ赴いたころであろう。何かの課題のロケだったか、あるいは気まぐれに走っていたかは覚えていない。だがそうした徘徊の中で結構良い風景に出会っていた。問題は記録していたかだが僅かに記録したネガから掘り起こしてみよう。

 こうした風景は、日本のどこにでもある風景なのだが、そんな田舎の風景を一つぐらい自分の人生の中で記憶に持っているというのも幸せかもしれない。それは旅のように通り過ぎて忘れ去られる一過性の風景ではなく、ふるさとのようなメンタルなモノでも無く、それでいてなんらかの関わりをその土地と持ちながら何回も見た日常の風景だからだ。そんなふうに、ある時期に仕事場が田舎だったという経験をする人は結構多いと思われる。

 そこが少し変わった経験でありなポイントでもある。ネガのデジタルデュープをしていなかったら埋没していた画像である。

 さて、あら!、SONYα6000が買えてしまった。コンデジ並の39,000円ぐらいだった。あわててLeitz用のマウントアダプターを追加する始末。PEN Fも大変欲しいデザインだけど、それよりは半分以下の価格で性能はPEN Fよりは上。つまりコストパフォーマンスが高い機材だ。撮影素子の大きいAPSサイズのマイクロフォーサーズだし、連写11枚/秒、複数の人に同時にピントを合わせるなんざー位相差検出方式のAFでないとスムーズにはゆかないでしょう。まあこれでニコンのフルサイズ・マイクロフォーサーズがでるまで耐えしのげる。いや、そんなのださなくてもよいと思う場合もあるかな・・・。

  そんなことを確定申告の合間にしていたわけだ。そんな道楽がないと、こんな書類作成は意欲がわかない。おや、一寸だけだがα6000を買ってもおつりが少し来る程度の還付申告でニヤリ。うちは、こういうところで幸せ感を感じる庶民ですね。還付申告でSONYα。これは嬉しい日常の風景でした。

 

茨城県新治郡筑波町

NikonF,Auto Nikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

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Nikon Freak150. 思考のトレーニング

2018年02月21日 | Tsukuba

 これは茨城県霞ヶ浦湖岸の玉里村だったとおもいます。このような立派な民家が茨城県南部に大変多い。それらが集まって美しく風土に適った合理的な考え方の集落が形成されてきました。それが日本の典型的な田舎の一つだと私がいう所以です。この家がまだあるかどうかはわかりません。

 世代が変われば生活スタイルも変わりますから、当然住まいの様式も変えざるをえない。現代のプレハブ住宅にするのではなく、こうした民家を改修して内装を現代風にする方法が一番よいのだろうと私は考えています。絶対に壊してはいけません。改装することで建物は、何十年でも生きてゆきます。コンクリート造のマンションが30〜40年の耐力しかないのに比べれば、木造の方がはるかに長い時間を生きてゆくことができます。

 1万分の1位の地図をみながら、地元に人に尋ねこうした集落を探しだし訪ねてゆきます。それは私達が中国でとった方法と同様です。だから観光ガイドやWEBなどを見ていては、なにもわからないということです。

 今私達は、WEB情報に攪乱され、何もわからない状態にいます。そろそろ本質的なところで適切な理解が必要なときではないでしょうか。やはり自分の足で現地を歩き見て感じて考える、という思考のトレーニングが必要なわけです。

 東京から車で1時間半もあればたどりつけるでしよう。ここは、そんな近さなのです。

 

茨城県旧玉里村

1978年,NikonF,Nikkor H Auto28mm/F3.5,コダカラー

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Nikon Freak149. スペインの情熱

2018年02月20日 | Tsukuba

 もし貴方が通俗的な観光地やWEB情報に辟易していたら、図書館に行って(買う必要はありません)日本の観光ガイドを調べてください。観光地の地図をみながら、地図上に記載のない空白部分を探すこと。そここそが人々が注目することが無く、観光ガイドにとりあげられることもなく、国の保存制度もなく、観光客が訪れることのない場所です。そうした空白のエリアにでかけることがお勧めなのです。

 空白のエリアには、それまでのその土地の暮らしが色濃く残っているか、あるいは人が住まなくなったも同然の限界集落かのどちら。どちらにせよ、これまでの生活が蓄積しているので、貴方にとって新鮮な知見を与えてくれるかもしれない。

 例えば茨城県。通俗的な観光地としては、筑波山や水戸の偕楽園、近年では国営公園もあり、WEBにはいくつの観光地があります。そうしたところはすべてパスすること。

 例えば緯度でいえば常磐線土浦以北です。田園の中に広がるこのエリアは明治以来の民家が数多く残り、地域の人間達の風土的知見が積み重なってきたところ。

 いまでは、そうした民家も世代交代が進み現代住宅に建て変わっている事が多いはず。現代住宅ではつまらんですね。やはり古民家群の景観がとても美しいわけ。そんな集落がまだあるかどうかはわかりませんが、ボヤボヤしていると、とどんどんなくなってゆく。そんな美景を探してみる小さな旅はどうですかというのが私の提案。

 今日の画像は、そんな田舎の一つ。立派な長屋門ですね。筑波の民家は背後に屋敷林を配置していることが多い。それは冬の筑波おろしの風を遮るため。だから屋敷林に囲まれた集落の中は、冬でも陽がさせば暖かいわけ。

 さて平昌オリンピック・シングル・フィギャ・・・。私が見る限り、男子シングルで羽生結弦が実は銀だったかもしれなかった。というのもスペインのハビエル・フェルナンデスがダントツにうまかったのである。だが彼は予選で尻もちをつき映画旅情のラストシーンのロッサノ・ブラッティのようにどんくさいのだが、それでも観客を沸かせた演技は素晴らしかった。そんなミスをしたので下位になってしまったが、決勝では4回転ジャンプを4つも決め銅にかけあがってきたのである。これは感動的だった。まさにスペインの情熱を感じさせてくれた。そして羽生とフェルナンデスは同じ師をもつ門下生とWEBには書かれてあった。

 女子は、予選でエフゲーニャ・メドベージェワが登場し、来た!、ロシアの衝撃が!!!、てんで全部話題をかっさらってゆき、その他は霞んでしまった。おかげて決勝戦は録画でみたが予想通りの金だった。どこいったっけ日本は、だよ。

 今はアイスダンスだな。クリスリードと村本哉中は夫婦だったと解説していたけど。あれっ、聞き違えたかな?。どうりでオーラのない慣れ慣れの怠い空気が漂っているよなと、こちらは下世話な見方をしている。

 息が合うというのはダンスのパートナーとしてはよいのかもしれないが、こちらとしては夫婦の息が合ったダンスなどといわれると背中が痒くなる。だから私は、練習が終わったら顔も見たくないぐらいの超仲の悪い仮面カップルなんかが最高の組み合わせだと思うけど。そこには憎悪と嫌悪がぶつかり合い技術が破局するギリギリのところで、見ているのとはうらはらに超美技の演技ができるというのが私の持論。得てしてスポーツだの芸術だのは、見ているのと内実とは大きな違いがあって、その人間の意識が葛藤したギリギリの限界のところで、まあ感動が生まれると思うけどね。

 

1978年,茨城県土浦市郊外

NikonF,Nikkor-H Auto28mm/F3.5,エクタクローム

 

 

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