田舎を歩くと意味不明の窓のない民家がある。ここでは縄にシテをかませ結界を暗示し、外部からの立ち入りを禁止しているようだ。それに背後の建築が左右対称であり、多分この土地の神様を祀っているのだろうか。神殿にしては少し規模が大きいから集落の会合などもここで行われたのだろう。
もう一つ考えられるのは逢い引きの場所だった。民俗学を踏まえれば、農本社会は人間の頭数=米などの生産量だから多いほど収穫は上がる。大体神様の考え方が、五穀豊穣、子孫繁栄だから子づくりに励めというわけだ。そもそも農村にゆけば金精様を祀る性器信仰が昔からあり、まあ男と女に関してはおおらかだったのだろう。だから若い男女が姑などのいる母屋からここへやってきてセックスをする場だっただろうし、時には農家の後家さんが、若い衆に相手に筆卸をさせていたのかしれない。それで子供が生まれれば上等というわけだ。ようは誰の子供でもかまわないというおおらかさがあった。だから農家の先祖は、みんなどこかでつながっていた。
「あら、五作どんのどご種なしかど思うだら子供でぎはった」
「なんでも、こごだげの話だげど奥さんが隣の与平どんの種をもらったらしい、以前あの密会所で与平どんと二人でいだのをみぢゃったのよ!」
そんなことをイメージすると、ここは密会の場所。つまり子供の親など誰でもよく、あとは村で育てて農業生産力の向上に寄与させようというわけだ。それは現代の一々理屈をこねないとセックスをしない社会とは異なり、おおらかなセックスが日常的に存在していたのだろう。古い民家が残されているということは、子孫が絶えることなく家が続いたことを示している。
映画「Good Job」を見ると、そんな山村の田舎の気分を感じさせてくれる。そういえば、私の実家は父方は10人兄弟、母方は8人兄弟だったから、昔の田舎は、それが普通だったわけです。多産系こそ財産というわけです。それが戦後日本の高度経済成長を支えてきた。
あら、二眼レフの話でしたね。まあスクウェア・フォーマットというのは、そんな意味深な空間を捉えるのに調度よいのかな、という話です。
さて京都市内も桜は満開。今年は早いですね。先日飲みに行こうなんてお誘いもあり、骨折した指を引きずりつつでかけるあたりは我ながらの根性がいやらしい。昨日は医院で、安定している、という評価を得て、カルシウムのサプリメントと牛乳が効いたか。
1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,プラスX