先日の随心院の梅園では、今年最後の梅の花が僅かばかり残っていた。この時は、歳をとると共に去って行く人の方が多くなり寂しい季節である。そう思っていたら「都落ち」と言う言葉を思い出した。
京都も、古来から多くのいにしえ人達が都落ちをしていった。その代表は、紀貫之であろう。彼が都落ちして書いた「土佐日記」は、我が国の日記文学のはじまりとされている。今では、当時権勢を誇った藤原氏に対するネチネチとした彼の気分或いは愚痴がこめられているとする理解もある。
だから往事の日記文学は、今で言えばブログだと解釈することもできよう。とすればこのブログも、どこかネチネチしているのも、筋が通るのだろう。もちろんこのブログを文学にしようなどという壮大な志は、私にはないが。
三月も今日で終わりである。ただそれだけのことなのだが、誰しもの心に寂しさが残る季節の変わり目である。
京都市山科区,随心院,撮影日2010年3月28日
FUJI S5pro,AF-S Nikkor16-85mm/F3.5-5.6ED,VR
シャッター:1/570,絞りf5.6,焦点距離85mm,ISO100.