Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak349. ニコンに帰ってきた

2019年01月31日 | Photographic Equipment

 暦の上の立春まで、まだ届かない。昨年沖縄でダイビングをしてきたこともあり、今年は体が夏仕様のままで京都の寒さに全く慣れていない。そうなると寒いのは適わん。立春までまだ少し時間があるので、ブログ見出し下にあるステーション・プラットフォームの、撮って!!、というテーマでつなごう。

 真冬の最中にAF-SNikkor85mm/F1.8Gのレンズが届いた。およよ!、予想外に大きい!!。しかし、プラスチッキーだから重くはない!!!、これなら振り回せそうだ。

 以前処分したオリンパスミラーレス・システムの代替だ。誰かがいった、一眼レフは85mmと35mmのレンズがあれば十分なのだ・・・理屈ではそうだけど、ホントに揃えちまった。

 まあ、ズームレンズは、あれもこれも画面にいれようとすると広角側の画角を多用しがちだ。そもそも、あれもこれも入れようとする考え方自体がおかしい。むしろあれもこれも切捨るべきだ!・・・、とそんなことを思い出していた。

 もっともファィンダーを覗いているときにレンズを回してガチャガチャと焦点を動かされたら頭が追いつかないというのが大きな理由だ。そうなると被写体を見つめて連写!、連写!!、の連続だよな。こちらはプロはプロでも、プロのデザイナー、そしてデザイン研究のプロだから、それはやりたくない。

 まあ標準レンズの延長でいいしさ、だから重たく大きなズームレンズは見向きもせず、ここは単焦点レンズで。そんなわけでニコンに帰ってきた。ダイビング用の機材もニコンだしさ・・・。

 それはともかくとして、先日京都の都心部は、冬の最後の悪あがきのように申し訳程度に屋根に雪が観察できた。多分今出川通り以北では道路に積もる程度には降ったのではなかろうか、と推測している。いっそ降るなら街全体に雪がドンと積もる程度にふってくれたほうが楽しいのだが、実際はしみったれた降り方だ。毎日曇天の日が続いている。そんなのはもうのはいいから早く春にしてよ!。立春まであと4日だ・・・。

 

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar f4/16-70mm ZA OSS T*

ISO2500,焦点距離60mm,露出補正-0.3,f/5.6,1/100 

 

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ZEISSの空気45. 国際ロマンス詐欺師との会話

2019年01月30日 | Kyoto city

 あら、またきた!、というのでFace Book(FB)の友達を承認するとクリックしたら、きましたねぇー、国際ロマンス詐欺師からFBメールが・・・。

 つまり中東に展開しているという触れ込みで米軍女性兵士からのFBメールって結構多いのです。

 以前は、Westpoint卒と名乗る女性将校から。こちらものらりくらりと話題をコロコロ変えていると、「声を聞きたいから携帯電話の番号を知らせろ!」。

 そら来た、教えないよ!!!、と拒絶するとメールは来なくなった。そもそも将校がなんで日本の知らない人間とFBなんかしているんだよと最初から怪しい。大体勤務地を知らせること自体が軍隊がどこに展開しているかがわかってしまうじゃないか。通例は厳秘だよ。特殊勤務ならなおさらでしょう。

 しばらくしてまた別の名前で米軍女性兵士シリーズが続く。詐欺師につきあう時間はないのでしばらくの間無視を続ける。

 でっ、今日は、暇だったので少しやりとりした。そのいきさつ文をFBメールからそのまま転載した。詳細は以下。

Vera Ritterhouseという女性が友達承認を求めてきたのでOKしたら早速FBメールがきたよ。

Vera「こんにちは親愛なる、私を受け入れてくれてありがとう。 私の名前はVera Ritterhouseです 私はアメリカ合衆国シカゴ出身です。 私は兵士です、そして私は米軍のために働きます。 私は現在、平和維持活動のためにカブールアフガニスタンに派遣されています。 お互いをもっとよく知り合えれば私たち二人は大好きです。

(おいおい・・勤務地は対外厳秘でしょぅがぁー・・・、最初からバレバレ)

そこで私は、シカゴはいったことあるよ。F.L.ライトの建築をみるためにと返事した。

Vera「それは、いいです・・・」

あら!、共通の接点をみつけると、そこから話がひろがるのが一般的だけど・・・。アメリカ人でも知っているライトの建築はシカゴに多いけど全然話がかみ合わない。つまりシカゴをしらないことになる。そこで嘘だということがわかる。

Vera「お名前は何ですか?

私は、FBに実名を書いているのに、尋ねてくるのは何故なのだろう。

Vera「私は兵士です、そして、私は米軍のために働きます、あなたの仕事は何ですか?」

そこで私は、Architectと答えた。そして、私は、今あなたの部屋の窓から見える風景を写真に撮って送れと返事した。

Vera「ここでの軍事キャンプでは、ビデオ通話、オーディオ通話、写真の撮影は許可されていません。」

 それにしても、たどたどしい日本語が突然明快な文章になる。これはできすぎていてGoogleの翻訳文ではない。翻訳ソフトで、ここまで明快に訳せただろうか。いよいよ詐欺師と確信。

Vera「どういう意味ですか?

そこで私は、文章が日本人のテクストですね、外国人はこのような書き方はしませんけどと返信して黙殺していた。

Vera「Googleの翻訳者を使用してチャットしています。それで、あなたはどのくらいあなたの仕事をしていますか?、そこにいますか?、なぜあなたは私に沈黙していますか」

連続の質問メールがうるさいなぁー、もう・・・だから次のように返事した。「私はいそがしいの。あなたがあなたであるidentityを示してくれたら沈黙はやめよう」。私はblogのURLを提示し存在を示した。もう最大のサービスだ。

Vera「私はあなたが私は兵士であり、私は米軍のために働いていると言いました。

だからね、それを示せるビジュアルが欲しいですねと返事をしたら、軍服姿の上半身の写真を送ってきた。ウィルスが仕込まれているかもしれないのでブログへのアップはやめておこう。

Vera「それは私がキャンプの中に横たわっているということです、私はこの写真を撮る危険を冒した、他の写真を私に頼まないでください。

危険を冒して、なんでFBでメールしてくるんだろうか。もう論理的に破綻している。そこで私は、では、あなたが送ってくれた写真と、このメールに日本語で書いている人とが同一であるとする証拠はなんですか?、と返信した。

Vera「はい、それは同じです。

(意味がわかっていないなぁー)

Vera「さようなら、私はあなたがいい人だと思った

(おっ、やばいと思ったので、さっさとずらかるのですか)

私は、何故、日本語がうまいのですか?、と入れ違いに質問した。

Vera????「携帯電話でGoogleの翻訳アプリを使用しているとのことです。

おいおい!、それって第三者の書き方じゃないですか!!。FBが第三者の書き方をするなんてありえないだろうよ!!!。つまり組織犯罪なのだ。ここまで書いてくると、もう爆笑もの。それでも私は実に紳士的に会話をしたと思いますけど。

 国際ロマンス詐欺というのがFBで流行っている。最後はお金を振り込まさせる振込詐欺だ。特にシニアが狙われているとWEBでは記述されていた。こうした事件は発信元が国外なので日本の警察も手が出ないそうだ。

 そこで、SCARSというWEBサイトがあり、すべてオンライン詐欺師を報告しよう!、とサイトに書かれてあったので、被害に遭ったら報告しておくんですかね!?。アメリカ軍の名誉を守るのために(笑)。

SCARS PROJECT NYSCAM  https://anyscam.com

 もちろん、こんな冒険をしている間に、私のパソコンの中を覗いているのかもしれないが、私はMacには書類を置いていない。それ以外は盗まれても被害がないものばかり。例えば、gooにアップさせたブログ画像とか(笑)・・・・。

 そんなわけで今度やってきたら、ウィルスつけて返信したろかな!?。FBを通過できるウィルスはなかったかなぁー・・・。

 

東海道新幹線:米原-岐阜羽島、2018年11月28日

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar f4/16-70mm ZA OSS T*

ISO320,焦点距離48mm,露出補正0,f/4,1/4000 

 

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番外編399. 講義補遺・地域空間構成論

2019年01月29日 | Nagoya city

 大学の講義で使用したレジメ(注)について1例を示しておこう。といっても解像度をMaxにしても読めないだろうけど、これが文中で登場したレジメである。

 レジメの原則は、1講義A3サイズ1枚以内とすること。文章の羅列ではなくチャートを用いて講義内容を構造化して示すこと。

 この地域空間構成論で私が撮影した講義用の画像は、すべてフィルム機材を用いてリバーサル・フィルムで撮影した。これをデジタルデュープしたのは、ニコンDf+AiAF Micro Nikkor60mm/f2.8だ。結果は比較的原画に忠実に複写してくれたと思われる。そのおかげでPhotoshopCC2018での修正も容易だった。だからリバーサル・フィルムは、デジタル画像と大差なく同様に扱うことができる、という知見を得た。

 

 最後にジョン・ジャーディ(1940-2015年)というアメリカの建築家の話をしておこう。

 図2. Hotel Bellagio(ラスベガス)   ジョン・ジャーディ晩年の作品である。ホートンプラザをつくったときの感性に変わって、上品で美しい色使いであり、成熟した彼の姿を感じさせてくれる。

 

図3.  Hotel Bellagio(ラスベガス)   Bellagioの低層部を取り巻く地中海スタイルの建築群、彼がイタリアの古い街を参照してきたことがわかる。

 

図4.  Hotel Bellagio(ラスベガス)   彼の建築言語に必ず登場してきたアウトドアモールはではなく、数少ないインナーモールとしている。それでも、天井をガラス張りにしてアウトドアモールへの憧憬をしめしているかのようだ。

 

 図5. ユニバーサルスタジオ   ジョンジャーディーのデザインの中でこれは少し異色である。全ての店舗の建築ファサードやサインのデザインが異なっている。それでもパラパラにはならないで、まとまっている不思議さがある。それは彼のテイストであり、ここがユニバーサルスタジオだからだ。

 

 

 図6. ユニバーサルスタジオ   どこをみても同じデザインがない。そんなことをいったら日本の都市だってバラバラだ。しかしここでは、バラバラという感じはしない。むしろそれぞれが協調したかのようにフェスティバルの気分を盛り上げてくれる。

 

 図7. 小学生達が学外見学にやってきた。これから映画を見に行くのだろう。さすが映画の街だ。

 

図8. The Fremont Street(ラスベガス)   カジノが建ち並ぶストリートの上に、電子制御の巨大なスクリーン天井を配置した。ただそれだけのデザインだ。しかし時間が来るとカジノのサインは消灯し、モールの天井にドラスティックな動画映像がながされる。やはりアメリカだと感じる一瞬である。

 

 図7. The Fremont Street(ラスベガス)   最初はテレビのニュースから始まり、やがてドラスティックな映像になってゆく。まさにみとれるという感じだ。

 

 図8 The Fremont Street(ラスベガス) 

  

図9. ワールドエンターテイメント・モール(東京湾台場)、出典;浜野商品研究所企画書   ジョン・ジャーディが提案した東京湾臨海部副都心のプロポーザルコンペ提案。もちろん入選をはたし事業権を獲得した。その後のバブル崩壊や事業者の判断で中止になった幻の提案。場所は今のフジテレビ本社の前の敷地だ。

 

図10. カナルシティ博多の最初のプロポーザル、出典;浜野商品研究所企画書   東京の企画が廃案になったので、そこで同じコンセプトで再度ジャーディーに絵を描いてもらい福岡市で提案した。

 

 図11. キャナルシティ博多  提案は地元最大手のディベロッパーによって実現された。図10とみくらべてもらえばわかるが、河川を引くというアイデアは、人工的なカスケードになってしまった。河川法という法律があるからだ。それでもコンセプトはカナル(運河)なのだ。コンセプトが生きている。

 

 ジャン・ジャーディは数多くのスケッチを描いている。そこには、アウトドアでの人々の生き生きとした姿とイタリアの古い集落にみられるヒューマンな建築空間が彼の感性で翻訳されて描かれている。そう彼も私達も、そんな街をつくろうとしてきたのである。

 

 さて地域空間構成論も都市に関する部分は、ここまでである。あとはバーチャル環境やエコロジカル・プランニングの話に展開してゆく。都市から、より広域の地域のデザインをも扱うので、地域という言葉を講義の名前にしている。ちなみにこのシリーズでは、全て1990年代の画像でありリバーサル・フィルムで撮影している。それは今みてみ綺麗な画像だし、デジタルオンリーの今の時代においても結構使えるではないかと思われる。

 話題がそれた。さて、そうした知見をどうやって人に伝えるか、そこで体系化という考え方が有効になる。都市を撮影して、そのまま映し出したのでは、場所毎、旅の日付毎の撮影記録の公開でしかないが、テーマを持ち、そのテーマが複数集まって都市などの大きな概念に収束すれば、それは私の立場、つまりアーバンデザインの立場での都市論になる。

 情報が乱雑に発信される現代だからこそ、情報の受け手の私達は、発信する情報の上位概念の言葉を探したり、言葉がなければ新しい言葉をつくって定義したり、それを体系化して編集し、情報発信をしてゆく努力が必要になるのだろう。

  さてさて、京都もグンと気温が下がり、先日は僅かばかりだが雪が屋根にみられた。冬の最後の悪あがきとでもいっておこうか。2月4日が立春だから、暦の上では春の始まりだ。しかしまだまだ寒い日は続くが、僅かばかり光が明るくなったように感じられ、確実に夜が短くなってゆく。意識の上では、やっと厳冬を通り過ぎたと思いたい。それだけで心が軽くなる。そんなわけで地域空間構成論の話で、私が一番嫌いな1月をスルーできそうなので、このシリーズもこれで終わりにしよう。

 

(注)このレジメは、大学講義地域空間構成論シンボルの章で使用したもの。

参考文献:The Jerde Partnership International:YOU ARE HERE,PHAIDON,1999.

 EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,エクタクローム

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番外編398. 講義抄録・地域空間構成論第10講 商論

2019年01月28日 | Nagoya city

図1. 雲南省の古来からの市場(商いの原点)

 

 この講義の最後は、商(あきない)論。大学の講義では、Place Making(場づくり)とMerchandising(業態:売り方の分類)とのマトリックスで各商業施設を位置づけている点が空間系の講義では新しい。前者は常設的展開と仮設的展開に二区分され、例えば露天市などは仮設的扱いになる。また特に後者の目線がが大変重要で、この目線を欠いては施設計画自体ができないほど今日では重要な概念である。

 だから建築がわかるマーチャンダイザーを養成すべきかなと思いつつ、月日がたってとしまった。実をいうと、そのまえにいくつかの研究をしなければわからないことも多いのだ。なんだったかなぁー・・ふとど忘れしてしまった。

 このブログでは、それらに位置づけられた商業施設のなかから、いくつかをトピックス的にみてみよう。

 

図2. 横浜元町商店街   商店街振興創世記の事業で成功した事例。この成功をまねて全国で同様の方法が用いられてきたが、柳の木の下に何匹もドジョウはいない。おそらくマーチャンダイジング戦略が明確だった、それが環境づくり以上に大きな作用を果たしたと推測できる。

 

図3. フルトンマーケット   昔の食肉加工市場を商業施設に再生させたプロジェクトとしてはさきがけ的存在である。古い施設は再生できる、その始まりのプロジェクトであった。

 

図4. ピア17   昔の倉庫を商業施設に再生したもの。それはその後に我が国でも多く実施されるウォーターフロント開発のさきがけ的な存在である。

 

図5. フヌィエル・マーケット・プレイス   都心部再生の重責をにないながら成功をおさめた商業施設。プロデューサー、J.ラウスの力が大きく、商業施設開発には、建築家ではなく建築もわかるプロデューサーが必要だということを世界に証明した。再生の結果都心部に都市機能が戻り周辺へと再開発が広がっていった。都市再生の成功事例である。

 

 図6. フヌィエル・マーケット・プレイス   建物の壁際を利用して、こうした界隈性ある空間をつくりだすことにかけてはアメリカ人やヨーロッパ人は旨いです。それにひきかえ日本では「大道芸人の絵描きをおけばいいのね!」と解釈してイベントステージで行ってくれたりします。まったくもう界隈性というか敷際の作法が全然わかっていないですね。だから民族性の違いと思うほかないです。建物の壁際の空間に意味があるのです。

 

図7. ユニバーサル・スタジオ   J.ジャーディーという優れた商業建築家の仕事の意味は大きく、日本でもカナルシティ博多が彼の作品であるが、どこか懐かしい空気を漂わせながらお祭りのような楽しさを現代の商業環境を実現してきた。

 

図8. ラスベガスのモール これもジョン・ジャーディ成熟期の作品であり、カジノが並ぶモールの天井に、コンピュータ制御で様々な映像が動画で表現できる。日本ではまだ存在しない方法である。

 

図9. 明日なる金山   私が名古屋市に赴任した頃、名古屋市の職員と金山駅前にどんな商業施設をつくろうかとする議論があった。そのなかで仮設で20年程度もてばよいので小さな商業施設をつくろう。駅前の市道も邪魔だから廃止してといった具合に話は膨らみ、そのなかで私が算出した店舗面積1万㎡にしておくとする計画条件をきっちり守って民間プロデュース企業によってつくられた。というのもその規模であれば、周辺に影響を及ぼさないことが計算上わかっていたからである。その後周辺には新たな商業施設が進出し集積して市の計画であった副次拠点形成を大きく前に進めた。つまりこの小さな商業施設は大成功だったわけである。

 

参考:まちづくりの知恵と作法p219-228

OlympusXA4,CanonEOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,NikonF4,AiAFNikkor20-35mm/F2.8,コダクローム2,エクタクローム

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p219-228

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番外編397. 講義抄録・地域空間構成論第9講 祭論

2019年01月27日 | Nagoya city

図1.京都市内の祭について編集した私家版の本(126頁)。京都市内で230以上の祭が確認できますが、実際はさらに多い。そんな多くの祭について記載した類書は数多くありますが、そこをあえて撮影した画像を私なりに本のスタイルで編集して講義のテキストにまとめました。何よりも私の目線というのが講義では重要だからです。

 

 C.H.Hallのイベント分類に寄れば6類型あるが、そのなかで宗教イベントをとりあげた。日本の祭は、旧暦の暦に従って多彩な祭が体系化されていること。そうした祭とは農本社会の農耕のリズムと関係していること。それが後に都市への祭礼に変化する柳田国男説を紹介しつつ、その後の都市祭礼に焦点をあてた。なかでも京都市の1年間の催事を事例にとりあげ都市祭について論じた。京都市観光情報に記載されている主な祭だけで230ほどあった。

 祭の数は多く講義で体系化するために、実は126頁のPDF本に編集していた。その大系とは、節分に始まり、節分で終わる、1年間という旧暦に沿って祭が行われているとする体系だ。まとめておいてよかったと思う。

 ブログでは、そのハイライト部分だけを画像で示した。

・・・・・

 さすがにこのあたりまで来ると、ブログに書くのも忍耐の限度を超えて面倒くさくなるし、なぜか疲れるのだ。なんでこんなのを連続テーマにしているのだろう?。そうか寒い冬を忘れるために連載にしたのだった。こんなことを書きながらもうじき節分だから、一番寒い季節を暦上では通過しつつある。あと1回分だけだ、頑張ろうという気分だね。はやく春が来いだよ。

 

図2. 節分絵・壬生寺   2日間にわたり1日数回、節分にちなんだ狂言が行われる。観覧無料、今は撮影は一切禁止と厳しい。境内には露天が立ち並び、いかにも冬の空気を感じさせてくれる。

 

図3. 紅しだれコンサート・平安神宮   平安神宮の桜は、市内の桜会の開花より1週間以上遅く開花する。だから市内で桜が散った頃見頃を迎える。そんな桜のなかでのコンサート。

 

図4. 葵祭・上賀茂神社・下鴨神社   牛車の音だけが聞こえる静かな祭である。平安時代の装束の人たちが続く。ただそれだけの祭である。着衣のどこかに葵の葉をつけていることだけが、この祭を表している。

 

図5. 三船祭・車折神社   芸能の神様だから、桂川にご神体を浮かべその前で古典芸能などを披露する。それに先だって小学校6年生の女の子が舞う紗那王は大変妖艶だ。そうか女は12歳〜20歳までが一番綺麗なのだ。あとはみんな壁つくっておばはんだよなと思わせてくれる。

 

図6. 京都薪能・平安神宮   たき火は焚かれているが、やはり現代人の視力ではものたりないのだろう。だからライトアップされている。それで観世流や金剛流の能や狂言をみることができる。

 

図7. 祇園祭・八坂神社   特に語る必要も無い八坂神社のお祭り。7月1日から一ヶ月続く。

 

図8. みたらし祭・下鴨神社   このときだけ水路に水がひかれ、それが大変冷たい。そのなかを蝋燭をもって祭壇にあげにゆくわけだが、その冷たさが暑い夏には大変心地よいのである。

 

図9. 五山送り火 お盆にやってきた先祖がお帰りになる、そんな宗教行事を都市全体で行っている。送り火がともされる姿は、まさにご先祖様達が天空へ帰ってゆく姿のようにみえる。

 

図10. 名月管弦祭・下鴨神社   中秋の名月をみながら古典舞踊を楽しむという優雅な祭。以前は近所の人たちぐらいしかこなかったが、最近は観光バスでやってくる。

 

図11. 日野裸祭・法界寺  真冬の夜に行われる京都の奇祭。祭の前に生水で体を清めるときいてブルッとしてしまう。下帯が安産のお守りになるそうだ。

 

図12. 節分・吉田神社   節分の時は市内の多くの社寺で節分行事が行われている。そうした行事の〆は吉田神社が相応しい。3日の夜11時になると境内の大きなお供えものの山に火がつけられ盛大に燃え上がる。そんな大きな火の塊をみながら、明日は立春である。春が近いと気分だけは軽くなる。

 

NikonF4,AiAF Nikkor20-35mm/F2.8,AiAF Nikkor35-70mm/F2.8,AiAF Nikkor70-200mm/F2.8,ベルビア,プロビア

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p199-218.

 

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番外編396. 講義抄録・地域空間構成論第8講 夜の街論

2019年01月26日 | Nagoya city

図1.函館市の薄暮

 

 街のナイトライフを考えると中心に来るのは物理的な意味での光だが、ここから言葉上3要素が引き出される。それが「陽」、「灯」、「火」という概念だ。

 ここでは「灯」、すなわち灯と闇を楽しむという概念をとりあげブログに要約を記している。光があれば闇があり、それらのバランスで街の夜の景観が成り立っている。すくなくとも、夜を昼間のように明るくするだけでは光害になるだけであり、そこに方法論が必要になってくる。

 それが夜の街のライトアップであり、都市ランドスケープでのライトアップであり、夜市や屋台、あるいは京都のお寺さんで行われている夜間拝観などが該当する。そんな方法論のいくつかを画像で紹介する。

 

図2. アテネ市リカベストの丘のライトアップ  地形というランドスケープ全体をライトアップするというのも、大胆な方法だが、もともと街の中に忽然とそびえている小さな山なので、ライトアップする効果もある。

 

 

図3. パルテノン神殿のライトアップ アテネには幾つかの丘が街の中に存在する。それはどこか横浜市のようでもある。そんななかで2つのシンボル的な丘がある。前述したリカベストの丘とアクロポリスの丘である。丘から遠くの丘をみるという夜の景観もどこか幻想的である。

 

図4. 隅田川永代橋のライトアップ 隅田川架かる橋のデザインはそれぞれ個性的である。そうした個性に合わせてライトアップがされている。全てが違う面白さを土木構造物が表現している。

 

図5. 福岡市中州の屋台である。ここには、屋台用の電源、熱源のコンセントと、排水用のパイプが各屋台毎に設えられている。だから屋台がほぼ永続的に続けられる。近年はラーメン屋の屋台ばかりなのだが、かってはもっと料理のメニューが豊富であった。

 

図6. 香港市ナイトマーケット 夜だけ自動車を閉め出し、露店が建ち並ぶ。それも相当数の露店だ。香港の生活市場といってもよく、狭い空間に多くの市民が立ち寄り、大いに賑わっている。

 

図7. 京都市社寺の夜間徘徊 桜の頃と紅葉の頃に期間限定で、市内の幾つかのお寺で夜間拝観が行われて、もう10年以上たつ。やはり夜の景観は、昼間と違った美しさがある。もちろん多くの人々がおしかける。

 

図8.コペンハーゲン市チボリ公園 1843年に開園された公園で、通例夜の24時頃まで開いている。もちろん市民の憩いの場であるとともに、夜の街の楽しさを表現している優れた公園である。

 

協力:面出薫

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p163-198.

 

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番外編395. 講義抄録・地域空間構成論第7講 水辺論

2019年01月25日 | Nagoya city

図1.東京多摩川の航空写真 国土地理院撮影

 

 河川を概念で考えれば、保全-治水を両極とする自然系の軸と、利水:親水を両極とする生活利用系の軸がある。これら2軸が直交すると考えれば、そこに4象限が出現する。それぞれを保全:利水を旨とする気候調節、農業用水といった自然系利用、利水:治水を旨とする電源開発、防火防水、遊水といった側面、また保全:親水を旨とする自然保護やレクリェーションの領域、そして親水:治水を旨とする修景やまちづくりに関わる領域とである。

 大学の講義では、これら4領域について概説したが、ここでは親水:治水の領域だけについてとりあげよう。

 日本の都市のなかには、必ず大小の河川が通っている。そして都市が過密になればなるほど、こうした河川の大きな空間が貴重になってくる。だから私達の暮らしの中で、水辺の設えや利用をもっと考えてゆこうというのが講義の意図。もちろん河川には、河川法という法律があるので、それを踏まえての提案である。

 最初に問題ある事例として隅田川の高速道路をとりあげた。その下が桜の名所である。いつも日本は頭の上を通り抜けるという不作法がまかり通っている。

 じゃあどうすればよかったのかというのが図2である。そこでグランドレベルから下げればよかったんだよとする考え方が登場した。都市景観を考えてインフラを整備しようよ!、というのが趣旨だ。

  水辺の話は河川法の規定もあり、そうそう簡単には手が出せないところでもあるから、私も消極的であったけど、実際滋賀県高島市では「かばた」(ブログ2007年10月10日village Design針江)という方法で河川から水路として各住宅へ水を引き込んだり、中国に行くと自宅の庭に引き込んだりするなど、結構多様に活用されている。そんな水に関わる都市の姿をみてみよう。

 

図2. 東京隅田川 桜の名所である日本堤の上を高速道路が走り抜けるというなんとも日本的合理主義の考え方だ。しかも東北道や常磐道につうじるので交通量は大変多い。いつも高速バスの車窓から隅田川を眺めながら筑波に通った。もちろんバスからの眺めは秀逸だけど・・・。

 

図3. パリ・セーヌ川 撮影 Y.UCHIDAことジョッキー。彼には頭がさがる。 

 

図4. アメリカ・サンアントニオ市 村山友宏氏撮影 水辺の設えの魁であり、そして今でも美しい景観をつくりだしている。これを可能にしたのが河川の流路変更である。これによって河川としての役割がなくなったので、そのあと関を設けて水量を調整し、リバーウォークとして街路と店舗やホテルの街並み整備を行ったもので、もう半世紀以上前のことである。

 

図5. ウィーン・ドナウインゼル 撮影Y.UCHIDAことジョッキーがバリのついでに立ち寄ってくれたドナウインゼルの1つ。ドナウ川流域が中州を挟んで水辺のリクレーションエリアになっている。

 

図6. 朱家角 これから整備されようとする前の姿だろう。往事の街の風景をかろうじて写しとめた。

 

図7. 周荘 随分と景観整備が進み観光客も訪れる場所になっていた。

 

図8. 周荘 水路が交差する十字路を計画では考えたが、実際にみることができた。確かに十字路だし、それぞれに橋が架けられるという大仰なものであった。道が水路に変わっただけだが、船の交差点は確かに必要だ。

 

図9. 周荘 個人の住まいの中に水路から水を引き込むというのは滋賀県で見たが、これはかなり大規模なもので船で水路へ出られる構造になっている。つまり住まいの中に設けられた船着き場だ。

 

図10. 蘇州 いわずと知れた蘇州だが、当時既に街全体で景観整備が行われつつあり、現在ではここも整備されているはずだ。

 

図11. 滋賀県近江八幡市 物流の用途として江戸時代からつくられた八万堀。

 

図12. 京都市嵐山 桂川に車折神社のご神体が登場し、その前で古典芸能が演じられる5月の三船祭。

 

図13. 京都市嵐山三船祭   投扇、扇は岸にたどり着き見学者達が拾ってゆく。扇には和歌がしるされていたかな?、ただし扇は使い古されたか安物です(笑)。

 

Canon6L,Leittz Summaron35mm/F3.5,CanonEOS3,28-135mm/F3.5-5.6,NikonF4,AiAFNikkor70-200mm/F2.8,エクタクローム、ベルビア

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p163-182.

 

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番外編394. 講義抄録・地域空間構成論第6講 シンボル論

2019年01月24日 | Nagoya city

図1.日本のシンボル・富士山と新幹線

 

 家の床の間がその家族の格式の象徴であり、客をもてなす客間がある。都市にもその格式の象徴であるつまりシンボルとしての設えがあり、客間に該当する空間もあるだろう。

 そんな風に考えると講義では、「イメージとして捉える」、「客をもてなす事と捉える」、「空間として捉える」、「格式として捉える」の4つの概念とその広がりについてレクチャーをした。このブログでは、その中の1つである「イメージとして捉える」を紹介しよう。

 例えば一口に都市景観といっても、眼前の風景の場合もあるし、風景をみている人間の意識の場合もある。そう考えれば眼前の景観と、意識間の中で組み立てられた景観とが存在する。後者を認知とよぶ。そうなるとシンボルというのも眼前のオブジェクトとしてのシンボルと、人々の意識の中にあるシンボルとがある。そこで後者の都市のイメージを扱ったケビン・リンチを尋ねた。

 彼はボストンをはじめとするアメリカの都市で、あなたが理解している街の地図を書いてくださいという認知マップという手法で調査を行った。そうした認知マップの解析結果から、都市の構造を5つの要素で明らかにした。パス、エッジ、ノード、ディストリクト、ランドマークだ。このランドマークが都市のシンボルだ。そ

 そんなリンチが捉えた都市の5つのイメージ要素をボストンの街で探してみた。そのなかにシンボルがあるだろう。

 

図1.バス 主に道路のことである

 

図2. 街のつながりを遮るもの。河川や高速道路も街を分断させるだろう

 

図4.ノード 複数の活動が1つに集まるところ。都市でいえば交差点

 

図5. ディストリクト 均質な性格で1つのまとまりをもった空間。ボストンではメインの繁華街やイタリア地区といった具合に、いろんなディストリクトが存在する。

 

図6. ランドマーク おそらくボストンでは誰でもが知っている一番認知度の高いランドマークである。これがボストンのシンボルマークといってよいだろう。教会の横には、ボストンコモンという広場があるのだ。

 

 

図7. ワールドトレードセンターの展望台   もちろんある時期まではニューヨークのシンボルだった。

 

図7. ワールドトレードセンターからの都市景観   二度と見ることができないシンボルもある。左側の建物はノースタワー。シンボルだからこそ、時には世界の誰かから狙われることもある。もちろん私はワールドトレードセンター全体の写真を撮るために、エンパイヤーステートビル最上階の壁面にカメラを押しつけて(下はニーヨークの道路が見えるスリリングな撮影だ)ミノルタCLEで撮った。後でフィルムがはいってなかったことに気がついた。

 

 図8. オーストリア航空の比較広告   面白いプロモーションをみつけた。日本のシンボルは叔父さんのカラオケ!、ウィーンのシンボルはポーイソプラノのウィーン青年合唱団というわけだ。叔父さんと少年合唱団の比較広告は面白いと思ったし、これは日本に対するアイロニーがこめられていて大いに笑えた。

 

Minoltα3,Rokkor20mm、100-300mm/F3.5-5.6、MinoltaCLE,Rokkor40mm/F2.0、エクタクローム

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p61-78.

 

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番外編393. 講義抄録・地域空間構成論第5講 広場論

2019年01月23日 | Nagoya city

図1.東京雑司ヶ谷・鬼子母神境内

 

 西洋には確固たる広場があるが、日本の歴史では広場という概念すらなかったし、今でも人々が集まる広場が僅かにはあるが、人が集まる場という概念もなく閑散としている。つまり日本は、広場の作り方も利用の仕方もが下手である。おそらく、そこにはコミュニティが明確な形で見えていないことだろうと考えた。

 そこで、日本の広場的空間を3つのコミュニティの概念でまとめてみた。

 第1は、地縁的コミュニティであり、それは文字通り地続きの縁となる広場だから、住まいの近所にある公園が該当するだろう。公園は、子育て真っ最中の母親にとっては、まさにコミュニティだと思われる。

 第2は、知縁的コミュニティのばである。知らない人同士がどうやって親しくなるかを考えれば、真っ先に市場で商品の商いを通じたり、飲食したりといった設えが必要である。そんな典型例がフリーマーケットが行われている広場である。商品を品定めしたり、値切ったりと、いろんな知り合うきっかけを孕んでいる。しかもそれは常設ではなく仮設の広場である。

 第3は智縁的コミュニティである。智というぐらいだから頭の話なのだが、その典型例は大学であろう。本来大学キャンパスは、誰でも構内に入ることができるし、頻繁に公開講座も開かれて都市居住者の知恵の部分をサポートしている。

 そんなコミュニティの3類型に該当する都市施設を調査したことがある。コミュニティというのは、「縁」と読み替えてもよい。縁とは本来仏さんと触れあうという意味だが、ここでは様々な人たちと触れあうと解釈している。

 地縁的コミュニティの典型例として函館公園をあげた。現在函館公園は、登録記念物に指定されているが、1879年に開園された我が国公演史のなかでも大変歴史のある国有財産でもある公園だ。突筆すべきことは、この公園が官民の奉仕によって整備された公園であり、いまでいうところの住民参加の始まりだ。

 知縁的コミュニティの典型例として、東京明治公園のフリーマーケットをとりあげた。普段は駐車場のような何もない空間なのだが、休日になると、この空間一杯にフリーマーケットの露天が店をだす。その姿は壮観である。

 智縁的コミュニティの典型例として、神田学生街をとりあげた。この界隈の施設利用をみると大学キャンパスと街の商業施設とが混在して、学生街を形成してきた。大学を一歩でれば、そこは書店であったり、喫茶店で会ったり、雀荘であったりするわけだ。大学と街が一体的にキャンパスライフを支えている。そんな混在した姿こそ大学本来の姿に近いといえる。

 そして最初から大学と街とを計画的に混在させたのがベルギーのルーバン大学である。まさに講義室の扉をあけると、そこは街の商業施設なのだ。そんな混在するコミュニティこそ、まさに智縁的コミュニティなのである。

 

図2.明治期の函館公園絵図

 

図3.今も当時の姿を留め、利用されている函館公園

 

図4.明治公園のフリーマーケット

 

図6. 神田学生街、正面は明治大学お茶の水キャンパス

 

図7.ベルギー・ルーアン大学の駅前広場

 

図8雑司ヶ谷鬼子母神 うわっ、ホントに地元っ子といういでたちだ。この神社には隠れるところがたくさんある。つまり神社の縁の下だったり、古いお堂だったり、そんな隠れられる場所がある空間が子供達の基地づくりの遊びを促すだろうし、なんらかの意味づけをあたえるのだろう。むしろそういう空間があるからこそ、子供達の遊び場になるのである。

 

図9.渋谷ハチ公前広場 東京で広場という言葉が使われている空間だし、その利用もまさに広場なのだ。繁華街への待ち合わせ場所として、夕方には広場を埋め尽くす人、人、人なのだ。そうここは、様々なコミュニティの待ち合わせ場所なのだ。その渋谷も今は変わろうとしている。

 

OlympusXA-4、Mimoltaα3,Rokkr100-300mm/f3.5-5.6、Rokkor20mm/F2.8、Contax167,Planar50mm/F1.4、NikonF601,35-70mm/F3.5-5.6、エクタクローム

協力:函館市

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p143-162.

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番外編392. 講義抄録(補)・地域空間構成論第4講 回遊&路地論

2019年01月22日 | Nagoya city

図1. スタート地点・ルーブル美術館

 

 1990年初頭プロデュース企業でまちづくりの本の企画編集の仕事をしていた。原稿を書きながら筆が飛んでゆくのはよいが、「パリ回遊」と構想したら、ならば、お前がパリへいって撮影してこい!、となった。企画編集のとりまとめだから、そんな時間はない。困ったなというところに、ファッションの仕事を志望している小柄で体格のよい若いジョッキーが現れた。僕がパリへいってきまぁーーす、と軽いのりだったのは幸いだ。

 ならば撮影の指示をだしておこう。パリの概略図をひろげ、幾つかのポイントを通過して都心部の回遊ルートの写真を撮ってこい。パリの街はセンターラインを軸につくられているから、道路のセンターラインに立って前と後ろを撮るんだよ。それにカフェや大道芸人も撮ってくること。

 そうして彼は安易にも初夏のパリへ繰り出し、そして無地帰国した。車が多くて道路のセンターからは撮りにくいすっ!、パリ警察が何かいってたけど言葉がわかんないといって謝って逃げ出したっす、とぼやいていたが、でっ、ちゃんと撮れているではないか。そんなリバーサルフィルムの束をもってやってきた。好きなのつまんでください、というわけだ。みたら交差点がひとつもなく、既に好き勝手につままれた後の残り物だった。

 そんな残り物で、パリの都心部大回遊のスライドを編集し、大学の講義に使用したことがある。そんなジョッキーが撮影したスライドからパリ都心部回遊の画像をプログ用に20カットにまとめた。講義で使用した画像だから、スライド自体が汚れと傷だらけだ。それをphotoshopで修正しデータを軽くしてアップさせてみた。パリの回遊構造とは、このようなものであるという実証だ。

 彼は、その後転職し、多分ファッションの分野で良い仕事をしているんだろうと推測している。ジョッキーに感謝である。

 

図2.カルーゼル凱旋門 改装中だから正面は撮れなかつたのだろう。実はルーブルのピラミッドから新凱旋門まで、都市軸が道路の中央を走っているのだ。

 

図3.チュイルリー庭園 バカンス前の空気だろうか。どこかさわやかな都市の景観だ。

 

図4.コンコルド広場 ナポレオンがエジプトから勝手に持ってきたシンボルで街をつくるという強国の論理だ。

 

 図5.シャンゼリゼ通 このあたりまでは誰でも撮影する。

 

図6.ジャンゼリゼ通り このアングルで撮影してこいと指示した。もちろん横断歩道から撮影したが、当時のフランスの横断歩道はすぐに赤に変わるのである。

 

図7.フーケッツカフェ もちろん昔からあり観光ガイドに登場する有名なカフェテラスだ。赤いテントも昔のままだ。きっと店のシンボルなのだろう。

 

図8.シャンゼリゼ通り 大きなカフェテラスが道に軒を連ねている。

 

図9.クレベール通り あら!、凱旋門がカットされている。つまり交差点の画像がすべてないのだ。確かに撮れとは指示はしなかったけど、交差点も道だよ!!。

 

図10.シャイヨー宮 このアングルは、昔私も撮影した。パリの都市軸を如実に感じさせてくれる都市景観だ。日本では絶対にできない都市景観であり、うらやましいとおもう。

 

図11.トロカデロ庭園 中央は大きな池があったはずだが・・・右にチラリと見えている。つまりサイトプランで見るのと実際の景観で見るのと全く見え方が違うのだ。本当はエッフェル塔の真下の画像が欲しかったのだ。東京タワーだと5階建てのビルだが、エッフェル塔は突き抜けた空間なのだ。

 

図12.パーク・ド・キャンパス・デ・マルス 大きな公園が多いというのもパリらしいのだが、正面はナポレオンのつくった士官学校 エコール・ミリテール。ミリテールの前の道を左に曲がるのだ。

 

図13.モット・ピケット通り 多分地図通りに歩いてくれたのだろう。私もこの景観は記憶にない。この通りを進み、グルネル通り、レーヌ通りからサンジェルマンにいたる少し退屈なストリートなのだ。

 

図14.道は退屈でも大道芸人達がアキさせない。子供は写真よりデッサンだというのが嬉しいね。このあたりは私と共通点を感じるパリである。もちろん、彼らは、エコル・デ・ボザールやその他の専門学校などで、裸婦のクロッキーやデッサンを沢山描いてきているプロの卵なのだ。

 

図15.サンジェルマン・デ・プレのカフェだろう。私も昔撮影したので記憶がある。

 

図16.サンジェルマン・デ・プレ教会の脇に小さな市立公園がある、そのあたりかな。スポーツブランドに着させられている日本のシニアとは大違いで、地味目だけどやはりお洒落だ。

 

図17.撮影するとうるさいフランス人と聞いていたが、よく撮った。ソロソロ夏なので外国人が多かったのだろう。

 

図18.ストリートは単調でも、一寸お洒落で街のアクセントになる大道芸人は結構よくいるのだ。飽きさせない街だ。日本では、飽きさせるという配慮がいまだに皆無なのだ。いや気づこうとしないのだ。その違いがパリさ。

 

図19.ベルシャス通 サンジェルマン・デ・プレからオルセー美術館に向かってゆくストリートだ。通りには、小さいけれどこじゃれたお店が結構あったと記憶している。

 

図20.ルーブル美術館 オルセー美術館の角をまがり、セーヌ川を越えて、フランソワ・ミッテラン通りを少し行くと、ルーブル美術館に戻ってくる都心回遊ルートの終点だ。

 

撮影:ジョッキーことY.UCHIDA

NikonF601,35-70mm/F3.5-5.6,エクタクローム

 記憶が曖昧なのだが、撮影機材は多分ビギナー向け機材だった。こんなカメラで撮るのかい?。いや、これ使いやすいんですよ。ふぅーーんとジョッキーと会話した記憶がある。でも撮られた写真はとても綺麗だ。さっすが手を抜かないニコンだ、いやジョッキーというべきか。

 そのスライドフィルムをニコンDfでデジタルデュープした。あら、ポジネガ通りにデジタル化されている。これなら、デジタルとポジフィルムとのハイブリッドが可能だよねと思わせてくれた。

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p108-109. 

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番外編391. 講義抄録・地域空間構成論第4講 回遊&路地論

2019年01月21日 | Nagoya city

図1. ヴェネチアの路地

 

 街路の講義の続きで、街路には種類がある。わかりやすくいえば、大通り、裏通り、横町、路地、そして行き止まりである。

最初に、街を回遊できる構造が大変重要である。

そこでモデル式で説明しよう。

例えば駅をスタートするとしてこれをSとしておく。

目的地が欲しい。大概それは神社やお寺だったりする。これをA1としておく。

そうすると人流れがS,A1の間に生まれ途中の沿道に商店が建ち並び参道商店街が形成される。

さて次の目標は、奥の院だ。これをA2としておく。

そうするとまたまた人の流れがA1,A2の間に奥へと続く沿道商店が建ち並ぶ。

帰り道は駅への近道にしよう。そうするとA2,Sの間の通りにも、またまた商店ができる。

こうしてS,A1,A2を頂点する三角形のエリアが形成される。

S,A1,A2のエリアの中に、裏道や横町が形成される。つまり路地裏にもお店が進出してくる。

かくしてS,A1,A2をグルッと回れる回遊構造ができあがる。

街にはこうした回遊構造の設えが大切というのが、ここでの理論であり概念だ。

 

 参考文献にあげた本の中では、ヴェネチア、神戸元町などの回遊構造、そして街中の路地などについて取り上げた。

 その中で特に私が興味を持ったのが北品川商店街であった。周囲を高層ビルで囲まれた中央に位置するこの商店街の存在が気になった。偶然私の専門学校時代の教え子だった牛田君が北品川商店街に店を構える2代目だった。そこで、この街を案内してもらった経緯があった。

 数多くのお寺と路地とコミュニティが織りなす街だ。この街について書くだけで1册の本ができあがってしまう。参考文献であげた本での割り当てた頁は2頁だけ。ブログでもう少し加筆しておこう。

 

図2. 下に見えるのが瓦屋根建築が北品川商店街  

 

 

図3. 品川神社 コミュニティの要は神社だ、というので大きな神輿もでるこの街の要だ。

 

図4. このような路地が数多くのお寺を介して街中を走っている。そこには随所に井戸がある。

  

図5. 井戸端会議もこうした設えからでてきた言葉だ。

 

図6. 今でも洗濯に使われている路地の井戸だ。

 

図7. 古い長屋建築の典型のような設えもある。ここにも小さな路地が通っている。それは生活のために必要な設えでもある。もちろん今は半分ぐらいないは取り壊されていると思う。

 

図7. 旧宿場町だから古い長屋も残っていた。おおっ!、見事な長屋だ。

 

 図8. 路地裏にはセオリー通り職人さん達が住んでいた。

 

図9. ここの職人さんは、なんとお菓子の経木づくりという大変マイナーな仕事をしている。ある京都のお店も、この職人さんに経木をつくってもらった経緯があった。

 

図10. お寺が多いこともこの街の特徴だ。あるお寺では、捨て犬、捨て猫をすべてお寺でかっている。その数は100匹ぐらいかなと聞いた記憶がある。

 

図11. 商店街は定期的に縁日が開かれる。もちろんお店の人もお客も、この街の住民だ。この画像をみていると、オートフォーカスが場違いなところにピントを合わせている。だから撮影機材のピントはマニュアルで合わせるべきだと、今でも思っている。

 

図12. 古い街だからといって、若い人達もいるのだ。案内してくれた牛田君が撮れというので納めたけど、このファミリーの笑顔は何物にも代えがたい魅力がある。もうこの子は大人になっているだろう。人が住み続ける、それが街の基本だということを教えてくれた。

 

図13. 古く由緒ある神社が2つある。だから祭礼の時は大きな神輿が登場する。街の人々が総手で担ぐ。そんな姿は変わらないが、海が埋めたてられてしまい画像のような光景はすでになくなっていた。

 

 この街を取材したのが1990年の初め頃であった。いろんな路地を発見するのがとても楽しい取材だった。十数年後、建築学会大会の後でこの街を尋ねた。当時よりは今風のお店が増えて少しは垢抜けしたが、そのかわり古い履物屋さんはなくなり、私達を案内してくれた牛田君の家も更地だった。街は変わるとともに、新しいコミュニティが生まれ、古いコミュニティが消えてゆくような寂しい感じもした。

 それにしても牛田君は元気だろうか。今度東京へ行く目標が1つできた。

 

NikonF4,AiAF Nikkor35-70mm/F2.8,Canon6L,Summaron35mm/F3.5,エクタクローム

協力:北品川商店街連合会

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p103-122.

 

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番外編390. 講義抄録・地域空間構成論第3講 街路論

2019年01月20日 | Nagoya city

図1.界隈の概念図  これまでに、こんな概念図を随分書かされた。何度かいても考え方は変わらない。

 

 住まいのアナロジーでいえば住宅の廊下や縁側が都市の街路である。住まいのアナロジーでみれば、廊下や縁側は都市の街路やカフェテラスかもしれない。廊下の材質は街路のペーブメントにあたり・・・、といったように論じることができる。

 都市を住まいの延長としてみることができれば、都市の景観や都市に置かれる家具(街具と呼ぶ)や照明が気になるし、それにいつも綺麗にしておきたいと思うだろう。コモンセンスというのは、そうした考え方から生まれてくる。

 そんな我々がいうところの、「界隈」という概念を図示したのが図1だ。

 道路の私的利用ができない日本では、建物を敷地境界線からセットバックさせて生まれた空間をカフェテラスとすればよいわけです。しかし建築家の無関心や商業デザイナーの感性のなさ、あるいはオーナーが面倒だといういくつかの理由から、日本では長く続くことはなく、ここがカフェテラスで一押しといった店舗ができることなく定着しません。

 そこには、欧米人と日本人の意識の違いがあります。欧米人はカフェテラスがあると最初にここから席が埋まりますが、日本人は奥の席から埋まります。やはり路地の奥の隠れた居酒屋を発見し、一番奥の席でお酒を飲むときこそが落ち着くという、古来からの意識を引きずっているのかもしれません。

 そんなわけで今の私達は、外部と明確に仕切られた扉をあけ、安普請のインテリアを眺めながら珈琲をいただくことになるわけです。それよりは、街路を歩く街の人々のファッションなどを眺めていた方が面白いとは思いませんか。街路は情報発信のるつぼなのです。

 

図2. パリのカフェテラス Y.UCHIDA撮影

 

 図3. ミラノ・ドゥオモのカフェテラス

 

 図3. 日本のカフェテラス

 

 街路論では、カフェテラスに始まり、街並み、家並み、家並みなどの街の景観、ハンプやボラートなどの道路の構造、そして街具としてのベンチ、照明、プランター、街路樹、ゴミ箱、数多くのサインや企業のCI、最近見ない電話ボックス、自転車置き場・・・などなどについて世界の事例を紹介しつつ論じてゆきますが、このブログではとても長くなるので省略します。

 

NikonF,Nikkor-H Auto28mm/F3.5,NikonF4/35-70mm/F2.8、エクタクローム 

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p79-102. 

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番外編389. 講義抄録・地域空間構成論第2講 駅論

2019年01月19日 | Nagoya city

図1.東京駅門扉

 

 この講義では、昔の中廊下型の家の空間を都市の空間へと展開している。家の玄関に当たるものが都市の駅であり空港であり、家の廊下や縁側が都市の街路や界隈であり、家の床の間にあたるものが都市のシンボルであり、茶の間はさしずめ商店街や市場だろう、といった具合にアナロジーで構成されている。その方が都市という大きなスケールを扱う場合、日常の感覚で捉えられるからだ。その日常の生活感覚で都市を捉えるということが大切なのだという理由で。

 駅の概念を探ると、3要素がある。「まち」、「鉄道敷」、「駅舎・駅ビル」である。

これら3要素間の関係性をさらにみてゆくと「まち」、「鉄道敷」から協調的関係性が浮かび上がり高架下利用や近代建築遺産としての駅舎の存在があげられ、「まち」と「駅舎・駅ビル」の関係性では、駅と商圏との関わりと捉えれば、そこに5つのコンセプトが発生し駅ビルの新たな作り方が表出できる。さらに「鉄道敷」と「駅舎」では、それは駅ビル開発事業、車両開発事業、沿線開発事業、サービス開発事業、プロモーション開発事業といった生活総合産業としての鉄道会社の姿が見えてくる。

 これらの関係性について論じたのが大学の講義であるが、このブログでは、そうした関係性の中で「まち」と「鉄道」が関わる協力的関係だけを取り出し要約を記載した。

 図1は、東京駅の門扉につけられた相撲の軍配である。藤森照信説によれば、東京駅の設計者辰野金吾は相撲が好きだったとあった。そうなると駅は、何かと向き合わなければならない。そう街と向き合うことなのだろうと私は考えた。つまり街と向き合う方法論が必要なのだ。駅舎の上がショッピングセンターばかりというのでは知恵がない。やはりもっと都市の生活を考慮した駅があってよいはずだ。

 そこで「まち」と「鉄道」が関わる協力的関係性であり、当時先駆的だったな3事例を紹介する。

 最初の事例は原広司設計のJR京都駅の階段広場。こんな人が多く集まれる空間が設けられるほど駅は大きいのである。そしていろんなイベントあるいは催事が季節に応じて演じられている。それは大成功を収めている。日本で初めて駅に広場を持ち込んだ事例である。

図2.JR京都駅

 

 2番目の事例としてJR九州の門司港駅を取り上げた。この駅舎は頭端型という構造の駅舎であり、すべての線路がこの駅で終点になっていて、これより先へ行くことはできない。だから駅のコンコースを通り改札口を抜けてホームを歩いてゆくという、ヨーロッパ都市でみられる構造であり、我が国では例が少ない。

 この古い駅舎は街歩きの出発点にもなっている。もともと門司には明治期以来の近代建築が多数存在している。そこでこららを修復しネットワークしながら街の回遊ルートができる。そのうちに近代建築にデザインを合わせた門司港ホテルが誕生する。とてもうまいデザインだ、近代の街並みに溶け込んでいて、そこに新しさもある。イタリアのアルド・ロッシのデザインだ。門司港駅は、そうしたまちづくりの出発点でもあったのである。

図3.JR九州門司港駅舎

 図4.近代建築と調和する門司港ホテル(現在プレミアホテル門司港)   街並み調和の理論は簡単だ。壁の色と材質だけである。これに屋根を設けたりすると、屋根同士の調和を求められ話は複雑になる。だから外壁だけ合っていれば建築形態はプレーンでもよいのである。

 

3番目の事例は、地下鉄みなとみらい21線の駅舎をとりあげた。計画の最初から地下鉄敷設と駅舎の建築が一体的に進められてきた。その成果もあり、みなとみらい21駅では、建築と駅舎が空間的につながり、屋内からホームが見下ろせる素晴らしい空間が日本で最初に登場した。地下鉄といったってトンネルばかりではないのだ。計画の進め方を工夫さえすれば、こんなことは容易にできる。既成観念に固まっていてはあかんのだ。

図5.みなとみらい21駅

 図6.みなとみらい21駅の公共スペース

 

 そんな風に事例をみてゆくと、いろんな駅の空間をつくることができる。それを阻害していたのは、紋切り型あるいはステレオタイプ化した私達の古くさい考え方だったわけだ。駅だからこうつくらなければならないというルールはない。都市の生活に合わせて、これからもいろんな駅の使い方を考えてゆけばよい。凡庸な発想なんかいらない。既成観念に囚われることなく考えて考えて考え抜け!、そこに新しいデザインが生まれるだろう。

 最後にワシントンDCのユニオンステーションの再生事業のプロポーザルをみてみよう。B3サイズの立派なプロポーザルである。ここには、駅が立派に私達の生活の一部であることが、あたりまえのように描かれている。

図7.ユニオンステーション・コンコース

 図8.ユニオンステーション・サービスメントスペース

 

 ついに冬の暇素材に着手したまではよかったが、画像の扱いが複雑だ。というのも私が撮影した画像は講義でも使用してきたので、そのまま使用できるが、ストーリー上必要な他者が撮影した画像もある。その際は撮影者の氏名を記載することにした。また講義は教室に来ないと聞けない話だが、幸いにして類似の元の本がある。元本にあたりたい人のために文献を再下段に記した。もちろん元本の内容を進化させているので、これとは随分と違う内容になっている。そんな前提をつくったりしておくと雑誌のコラムを書くような気分で少し気が重たいが、さて話を先に進めようか。

 

NikonF4,AiAF Nikkor70-200mm/F2.8,AiAFNikkor35-70mm/F2.8,AiAFNikkor20-35mm/F2.8,エクタクローム,ベルビア

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p37-60.

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番外編388. 講義抄録・地域空間構成論第1講 総論

2019年01月18日 | Nagoya city

図1.東京新宿副都心

 

図2.ヴェネツィア

 

図3.ボストン、ファヌィエル・マーケット・プレイス

 

 私が教えてきた名古屋市立大学芸術工学部に赴任当初、地域空間構成論という講義を受け持つことになった。それも建築・都市専攻の学生以外に視覚情報デザインとか、そしてあろうことか人文社会学部の学生まで受講する講義だった。だから建築・都市分野の専門用語を使わないでレクチャーをすることが大前提になってくる。

 そのときに思い出したのが「三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法、日本経新聞社、1994」という本の企画と編集という仕事に従事させられたことである。

 まちづくりの知恵と作法の講義バージョンか。私のメインの講義ではなかったという気楽さもあり、それなりに街への関心を啓蒙する役割を果たそうとするものであった。

 しかし内容が本のままというわけにはゆかない。というのも講義は90分だから圧倒的に話すボリュームも素材も足りない。そこで大いに加筆し、不足する画像を集めて全国を走り回り、アカデミックの知見を取り入れて、私なりに咀嚼して、まとまったのが大学で行ってきた地域空間構成論の講義である。

 従って前述の書物とは考え方が違っている部分もあるが、学生達のまちづくりへの関心を育成したことは確かだろう。

 そのなかから講義抄録として要点をブログで紹介しよう。

 というのも90分の講義は、学生達の理解を促すために概念を体系化し、重要事項をA3チャートのレジメにしている。これは結構緻密な編集をしているので、Blogの低解像度の画像では文字が判読できないこともありアップしても意味がない。

 講義ではレジメと一緒にスライドを投影している。いってみればレジメの論拠のような扱いだ。先の本で使用したスライドも含め、その後私が走り回って撮影した画像を加え、少しだけ大学の講義の空気を伝えられればと思う。だから抄録としている。

 画像は、世界の50都市ほどを扱っており、画像は私が撮影したものが多いが、前述の本の執筆者達から貸して頂いたものなどもある。

 先日、そんなスライドのデジタルデュープを撮ったので、その中から一寸だけブログで紹介しよう。

 第1講総論では、最初にどんな街をつくりたいのですか?、そうした設問が設けてある。図1のようなコンクリートと鉄のモダニズムな街なのか?、図2のように古い伝統のなかで暮らす街なのか?、図3のように現代都市の中に、歴史を活かして現代の新しい街にするのか?。

 もちろんこの講義では、図3のファヌィエル・マーケットプレイスのような都市再生型の再開発方法を主眼に置いている。そうした点で古い記憶を捨て去り超高層ビルを何本も建てるような現代の都市再開発の方法とは一線をかくしている。これがこの講義の癖あるポリシーなのである。

 

 図3.ボストン、ファヌィエル・マーケット・プレイス

 

参考:まちづくりの知恵と作法p8-16

NikonF4,Tamron17mm/F3.5,NikonF,Nikkor-H Auto28mm/F3.5、MinoltaCLE,Rokkor40mm/F2.0, Minolta α3,Rokkor20mm/F2.8、エクタクローム

自分で撮影した画像とはいえ、どうして撮影機材は、しっかり覚えているんだろう(笑)。

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p7-34.

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Nikon Freak248. 何故写真を撮るのか?

2019年01月17日 | field work

 西暦2000年前後は、寒さをものともせずフィールドを走り回っていた。画像は、その頃の滋賀県湖西地方。トップ画像は今津あたりからみた竹生島か!?、他3枚は安曇川沿いの北舟木から南船木にむかって湖岸沿いの道から撮影したのだろう。陸地からは近づけそうもない湖岸の集落をどうやって撮影したかも思い出せない。 

 それにしても、すこぶる寒いところへ何故出かけたのだろうか。言い換えれば私は、どんな理由でまともな機材にこだわり撮影をしいるのだろうか。概念を広げていえば人間は何故写真を撮るのか?、という疑問が浮かぶ。

 真っ先に浮かぶ疑問に対する理由、すなわち答えは、本や論文の原稿ををつくるために必要だという理由がある。確かにこれまで共著で25册、単著で1册、論文は査読付きで27本、その他で61本あるから画像はそこそこには使用したけど、使用数は大変少ない。

 その多くはモノクロ画像だし高画質は必要ないので、iPhoneだって十分用が足せる。2年前に私が執筆した本だって図版は多用したけど撮影画像は1カットしか使用しなかった。

 カラー画像が数多く必要だったのは、一番最初の本ぐらいだ。そのときは仕事だったから、もう被写体を特定されて撮りにゆけ!、絶対に撮ってこい!!、撮ってこないと首だ!!!、と脅され命令されて撮影していた例外はある。 

 もう一つ講義用や講演会用に必要だというので随分撮影した。これは確かに数多くの画像が必要だったし、実際各地を旅して撮影に励んだ。今は講演会などはあるかもしれないが講義をしていないので、あまり画像は必要ではない。すでに撮り尽くしてストックしてある画像で十分だ。

 そうなると、いつ使うかはわからないが研究資料なのでキチンと撮っておこうという理由だろうか。それにしちゃ実に効率が悪い資料収集方法だ。

 次の理由としてブログ用。どんな画像をアップさせようと自由だが、できればキチンと撮った画像を乗せておきたい。それにしてもブログは画素数が低いのだから、iPhoneだって十分だし、実際に少しこの画像でアップさせているけど、申し分ない。

 そんなことを考えると、機材やレンズの性能にこだわったり撮影機材のシステムなんかを揃える必要なんかないじゃないということになる。何故これらにこだわるのだろうか。

 その理由は、ない!。あえていえば芸術&工学系の人間の機械へのこだわり、ないしはフェチ。それぐらいしか理由はない。道楽と呼ばれてもよいだろうか!?。ホントにそうか!?。

 昔のネガフィルム時代の画像を整理していると、当時の低画質のレンズで撮影した画像はPhotoshopで修正しても回復できないが、やはり高画質な機材やレンズとフィルムで撮影した画像を復元すると、それは今見ても大緻密に記録されて復元できる。できるだけオリジナリティの画質を保とうとしている。それは研究資料として必須の条件だ。

 そうかあー!!!、人間は未来に向けてシステムフェチになり高画質な画像を残そうとして記録しているんだ、という前向きの方向をようやくみつけた。時系列で生きている人間にとって、撮影機会は原則として1度あるいは一瞬でしかない。だから今ある機材の最良の条件で、できるだけ高画質に撮影し記録し資料として残しておきたいので撮影機材のシステムフェチにもなっているわけだ。なんか自画自賛ぽくないか・・・。

 いや!、そんな即物的な話ではなく、著作権が写真にはあるから、自分で撮らなければブログにすら使えないし、それに自分で撮影しないと、何を撮影したかとする意図がわからないから、それでは文章が書けないとする現実の話の方が大きいのだ。だから原則として自分で書いた原稿には自分で撮影した画像しか使えないのである。それが一番大きな理由だろう。

 そんなわけで、昔撮影した画像をデジターデュープで復元してアップさせてみた。明日からは、10回ほど過去の復元画像をブログにアップさせてゆこうと考えている。

 

滋賀県湖西地方

NikonF4,AiAF35-70mm/F2.8,AiAF70-200/F2.8,ベルビア 

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