Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都に棲む6.

2008年10月30日 | Kyoto city
「京都に棲むの!?いいじゃない。」と東京人達に言われることが多い。当然彼らはビジターの経験で、そう評価しているのだが、実際に棲んでいるハビターになると、もう街中がレトロと言えば聞こえがよいが、つまり街中ボロをまとった親分みたいな変なところだと思うときがある。しかもそこへ観光客が大挙して集まってくる。個人的には、えらいところへ来たというのが実感であるが、大学へ通うのには近くなったし、まあええかという気分である。
 東京の良いところは、新しい情報を発信し、分野を問わず様々なコミュニティ形成やアクションを起こしやすい所である。多数の都市機能が集積し、多種多様な人間がいて、京都のようなしきたりなどの制約等がないから、チャンスを捕まえやすい。 商売一つとりあげても東京の方が京都よりは、成功しやすいと思う。 成り上がることもできれば、没落する場合だってある。そんなチャンスと刺激こそが東京の魅力であり、そしてうっとおしくなる点でもある。
 ところで、私のように少し都市について勉強していると、都市批評的な暗い書き方になってきて、自分でも辟易している。だが実際には、先ず仕事先があって、そこへ通うことができる場所にたまたま棲んでいるといった場合が多い。長く居座れば、その土地なりの楽しみ方も身に付くだろう。所詮人間は流浪の民だと思う。人間の住処は、たまたま何かの関係で、ある都市や地域に棲んでいる、と言う程度のものだろう。

CanonEOS40D,EF F3.5-5.6/100-400mm 


京都に棲む7.
2008年10月31日金曜日
 百万編の知恩寺境内で開催されている古本市にでかけた。文学や人文社会学系の本が多く出店されており、私には分野違いなのだが、懐かしさ漂う風景である。およそ大学を退職した研究者風情の姿もみられ、手が汚れるので白い手袋をして本を綴っているあたり、手慣れているようだ。総じて本好きの高齢者が多かった。
 内村鑑三だのキュルケゴールといった全集の背文字をみていると、おお古い!と私などは思ってしまう。私のデザイン分野では、古い本の世話になることは少なく、むしろ必要なのは学術雑誌などに掲載される最新情報だからだ。そんなわけで、ここで私が必要とする本は少なそうだが、それでも偉人達の知見から風俗や漫画に至る様々な本を眺めているのは、結構面白い。私のような者を、冷やかし客と呼ぶのだろう。
 それにしても、歳をとったら好きな分野の文献などにじっくり向かい合う、といったライフスタイルは、うらやましいものがある。「少年老いやすく学成りがたし」の言葉を実感する。

Fuji finepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に棲む5.

2008年10月29日 | Kyoto city
 京都の街は、自転車が圧倒的に便利だ。街のスケールが、それほど大きくなく、むしろ狭いところに都市機能が凝縮しているからだ。自宅から東に行けば、八坂の塔や清水寺、北へ上がれば御所や今出川、西へ出れば大宮や壬生界隈、南へ下がれば京都駅といった具合に、この範囲で京都の都心が包括され、容易に自転車で出かけられる。街の適正規模といったら、精々自転車で容易にでかけられる範囲だと私は考えている。そのなかに必要とされる生活機能が配置されていれば、結構快適な暮らしができる。
 私の実家がある東京・神楽坂界隈も、歩いてゆける範囲に商店街、総合病院、それに大学は、早稲田、法政、理科大と過剰な程にあり(私には縁がなかったが)、生活は便利なのだが、専門書が置いてある本屋や画材店、映画などのエンターテイメントは、銀座、新宿、神田へ4系統ある地下鉄でゆかなければならない。地下鉄への依存度は高く、それだけ東京という街の規模の大きさを実感する。
 今の東京などに通勤する東京大都市圏人口は、約3173万人、1都7県とする首都圏人口は4237万人と、日本人の3人に一人が東京やその周辺に住んでいることになる。実際、JRや地下鉄に乗ると昼間でもラッシュ状態が続いている。
 ところで、京都へ入洛する観光規模は4500万人/年であり、首都圏規模の人間が毎年京都を訪れており、首都圏が丸ごとやってくるようで、こちらの数字も凄いことだと思われる。だが幸いなことに大通り沿いに林立する塀のような高層マンションが、そんな喧噪をシャットアウトしており、私の回りでは静かな町屋暮らしが続いている。

Fuji FinepixS5pro,NikkorAF-S F3.5-5.6/16-85mm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に棲む4.

2008年10月28日 | Kyoto city
 京都人にとって、近所に誰が引っ越してきたんだろうというのは大きな関心事である。だから私も引越当初、名刺と粗品を持って回った。「怪しい者ではありません、かくかくしかじかの者です」(笑)
 ほどなく、近くの小学校で町内の運動会が行われるという回覧板が来た。私としては、顔見せという感じででかけてみた。オオッ懐かしい風景、幾つかの町内会毎に入場行進をしている。手招きされているので、おっとりでてゆき、町内会のゼッケンをわたされ行進に加わった。これでお披露目は済んだと思った。自由気ままな横浜とは違って、町内会というものが機能している京都は、それはそれで面白い。みんな気楽に、秋の快晴下の運動会を楽しんでいるようだ。幾つかの競技に参加し、失笑を買いつつの1日であった。夕方町内の各家庭に、柿葉寿司がくばられたのには、感激した。これは巧い!やはり京都だとおもった。
 そんなこんなで、なんとはなく京都の生活に少し入り込むことができたようだ。そうこうしているうちに、3週間経ち、来月は町内の氏子神社でお火焚祭があるよ、という回覧板が回ってきた。

RICHO R8 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に棲む3.

2008年10月26日 | Kyoto city
 京都に棲んでから日々の生活において変わったことがある。それは毎日の生活のリズムである。横浜に棲んでいた頃には、朝まで仕事をし、それから寝て昼過ぎに起きる生活をしていた。ところが、京都では、なんとはなく夜の11時頃には寝てしまい朝早く起きる習慣が続いている。これがいつまで続くかは自身がないが、とにかく健康的生活ではあるのだろう。
 それに京都の朝は綺麗だ。今朝も松原通りを抜けて宮川町界隈まで足を伸ばし、それから近所のスーパーへ出かけたのだが、なんとも遠回りな行き方であるが、街は美しい。朝の街をみているなんて実に何年ぶりかの体験である。
 仕事が終わり午後遅く京都駅へでがてらに、東本願寺界隈を散策していたら、もうじき色づき燃えようとする銀杏が綺麗だった。今年は台風が少なかったので、色づきは綺麗だとするのが巷の風説なのだが、色づく前に葉が落ちるのではと私は懸念している。
 そんな私の懸念はよそにして、カップルだけは熱く燃えている。これは、昔からも続くあたりまえの風景なのだろう。

CanonEOS 40D,F2.8/16-35mm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に棲む2.

2008年10月25日 | Kyoto city
 全国どこでも祭の種類と数の多さは、日本の特徴だと思われる。京都も市内だけでも相当数の行催事があり、「京都観光情報」によれば、年間230件ほどが紹介されている。こういうもので時間をつぶすこと自体が、どこか老人臭い趣味だが、主宰する側ではなく、まあ見ている限りでは労力もなく、都市型エンターテイメントである。そんな一つに時代祭があり、要はヒストリカル・ファッション・パレードだ。そんな祭効果もあり、現在年間5,000万人近くのビジターがこの町を訪れる。日本人二人に一人が訪れたとする観光規模も、資源の多さをみるようだ。
 ところでビジターであったときの意識と、この町に棲んでいるハビターの意識とは当然の事ながら異なる。私自身、用事がなければ観光地は騒々しいので近寄らなくなった。それよりも、住まいの方が静かでよい時間を体験できる。
 都心近くに住んでいても、街区を囲むような高層マンションの高く厚い壁は、自動車の騒音や観光時の賑わいを遮り、街区の中心部には、古い建物や寺院が残り静かな生活とたたずまいがある。そうなるように都市空間のゾーニングを施している。つまり高層マンションを塀に見立て、その中には、古い町や緑や路地があり、日常の暮らしを創り出している日本建築の発想そのものである。

CanonEOS 40D,EF F3.5-5.6/100-400mm 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都に棲む

2008年10月24日 | Kyoto city
 京都の自宅にようやく光ファイバーが来たので、再びブログを続けることができるようになった。
 夏の初めに移転しようかと漠と考えていたら、京都の古い友人から、「マンションなんてつまらん、ここをあたれ」と地元の不動産屋を紹介され、その後は暑い京都を訪れている内に、話はトントンと進み、10月の初めにリフォームされた小さな町屋へ引っ越した。
 京都市内に町屋は、25,000軒ほどあることをどこかで読んだ記憶がある。ここは、その中の一つかもしれないし、しかも美観地区に指定されているというのには驚いたが、静かで住み心地が大変良いところである。
 私は、東京神田で生まれ、神楽坂界隈で育ち、大学は筑波で、仕事先は六本木で、住まいは横浜といった具合に、これまでは首都圏で暮らしていた。それが関西圏という、異文化の土地にくるということは、カルチャーショックであった。しかし棲めば都であり、地元町内会の運動会にかり出されたり、近所を徘徊している内に、頭の中から東京というものが、なくなりつつある。
 最近では、隠れ家のようなこの小さな町屋が結構居心地が良かったりしている。

Fuji FinepixS5pro,NikkorAF-S F3.5-5.6/16-85mm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする