Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング185. 画像と文書の関係

2019年04月30日 | drawing

 私の過去ログを見返してみると、クロッキーシリーズの時は真面目に原稿を書いている。そして書いた文章の内容と画像とが全く関係性がないのもこのシリーズの特徴だ。

 通例ならば、画像と文章とはタップリ関連づけながら書くのが定説だ。新聞小説はその典型例だろうし、それが詩人やアーティストの文章になると、原稿と画像との関係が少しずつ希薄になってゆく。希薄であっても隠喩や暗喩といった方法を用いて説明されれば、関係性がありそうだということがわかる。

 そうでなくても私のブログの多くは、タップリ画像と関係させながら他のブロガー同様に書いていることにあまりかわりはない。画像と関係づけるということは、その画像を撮影した状況を覚えているから文章化するし、画像を撮影した機材にこだわると、実はこれを撮影した時のレンズは解像力がいいじゃん!、等ということに気がついて、もうオタク気分になってしまう。

 しかし、このクロッキーシリーズだけは、画像と文章とが全く無関係な書き方をしている。特段裸婦について書くようなこともないので画像とは無関係に文章の方は真面目に評論などをしているわけだ。

 そんな風に、画像と文章の距離値は多様だということだ。その距離値を10段階で表現すれば、ぴったし1という場合もあれば、隠喩や暗喩という手法を用いて3とか5という場合もあるし、ドンドン離れてゆくと、私のクロッキーシリーズのように無関係だから10という場合もある。つまり画像と文章の距離値の取り方も実は編集上の手法のひとつなのである。

 だからある読者が私のブログから画像と文章との関係性を読み取ろうとすると、この人のブログは、よくわからない、という結論になる。そりゃそうだ、もともと関係性がないからだ。画像と文章との間には、関係性がある場合と、全くない場合とがあり、それらの間はゆるやかな変数なのだ。だから私の編集意図と反対のことをされたら、そりゃ私のブログはよくわからんでしょう(笑)。

 さて今日は、平成最後のブログだ。元号表記もHからRに変わる。そういえば元号発表に先駆けてCanon Rという撮影システムが登場していたなどという話はおいといて、私は西暦使用が多いので、あまり感慨もないのだが。せめて元号が変わる記念に、明日は画像と編集を少しかえてみようかな・・・。

 

クロッキー帳NO42.

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング184.  ミッション、そして現場感覚

2019年04月29日 | drawing

 飛行機に乗るとき文庫本を必ず持参することにしている。フィリピンに出かけた時に、島本理生「Red」中公文庫、2019、を持参していた。この小説が半分未読だったので、今回の沖縄もこの文庫本だ。

 幼稚な志向性が抜けない夫と、この両親と同居する恋愛慣れした30歳主婦塔子には、かわゆい子供翆がいて、姑とも仲が良く、恵まれた環境だった。かっての恋人との偶然の再開で、仕舞い込んでいた彼女の夫に対する不満や疑問が一つずつ姿を表し快楽の世界へも引き込まれ、最後は別居してしまうストーリーだ。

 まあどこにでもよくある話なのだが、男に対する仕舞い込んでいた不満や疑問が、昔の恋人との激しいセックスを契機に次第にわき上がる塔子の心模様が興味深かった。

そうした一部をP376から引用しよう。

・・・・・

「あなただって親でしょう!、それなのに一度だって一人で翆をみてくれたこともなく、私が保育園を探しているときだって知らん顔で、仕事辞めたときだって困ってないからいいだろうと言って、働き始めてからなにもしてくれないじゃない!、じゃあこっちで勝手に預けてなにが悪いの」

「な、なんだよいきなりっ。なにもしてないわけじゃないだろう。塔子が留守のときには、俺だっておふくろと飯食わせたり風呂入れたりしてんだよ」

「そんなの、全部お義母さんが手伝ってくれるんじゃないっ」

・・・・・

 男は概念的とかシステム的かつ傍観者的に考えるが、女は具体的なミッションを要求するわけ。つまり家事や育児は具体的な現場のミッションがあって成り立つから、概念的やシステムでは、なんの役にも立たない。必要なのは行動なのだ。そうした男と女の考え方の違いが家事を契機としてすれ違い、ストレスややるせなさとして蓄積し、やがて暴発とか破局の構図になっていゆく。そんな男と女の意識がすれ違ってゆくプロセスをこの小説は、巧みに描いている。

 つまり世の中の家事や育児は、概念やシステムをあてがえばよいというモノではなく、自らが行動する必要があるミッションなんだ。それを理解しない男と、理解している女がいて、お互いの意識がすれ違うという構造になるんだろう。つまり現場を理解したつもりになっている人間と、現場の問題とモロに遭遇している人間とがいるわけだ。

 こううことは現場感覚といってもよいだろう。建築プロジェクトをしていたときも絶対に現場に足を運ばないディレクターがいて、彼とはどう説明しても話が通じなかった経験があった。つまり現場をしらないのだから、何をいっても理解できないのだ。それを文科系的ロジックで理解してといわれても、私には現場を把握できたとはとても思われないし、こちらはそれ以上は無理だと説明をあきらめたこともあった。このように現場を理解した気分になっている立場と、現場で問題に直面して解決しようとしているいる立場とは全く意識も行動も違うのであり、そこにズレが発生するのだろう。前述の小説の話は、このことと類似しているように思われる。

 つまり現場感覚ということがものすごく重要な概念になっているわけだ。生活においても家事や育児こそ、まさに現場そのものだ。女達は、そんな現場から声を発し、男は現場とは無縁の傍観者的立場から発言する。そりゃ男と女の意識も真っ向からズレるはずだ。やはり現場感覚は必要な能力だと思った。私も男だから、そんなことをつい忘れるところであった(笑)。

 だから男達も育児や調理ぐらいは自分でやることからはじめた方がよいことになる。つまり現場に足を運ぶというわけだ。


クロッキー帳NO42.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング183. 深読み勘違い

2019年04月28日 | drawing

 料理の写真が、InstagramやPinterestなどのWEBサイトに数多くアップされている。

 つくった作品などを公開するという行為は、クリエイションの基本活動だ。

 クリエイターだって、つくった作品を周囲の人間達に見せたり、WEBで公開したり、あるいはギャラリーで公開するという活動がある。それは学術論文を雑誌に公開して専門家達のご意見を伺う研究者の構造と同じだ。つまり公開したり第三者にみせたりするのは、それがクリエイションの基本的性格なのだろう。それを肴に一花咲かせることも、クリエイションの面白いところだ。

 先日ある会合で、私がつくったパスタ料理の画像をiPhoneで送った。その後の酒宴のささやかな笑い話にしようという魂胆だった。

 酒宴の席で女達が放った言葉がすごい。

 「なに!、それって!、家事で忙殺されているこの私に料理つくれっていうこと!!」

 私は、はぁーー!?、という気分だった。そんな言葉を耳にタコができるぐらいに何回も聞かされた。さて、どうして人間は、こんな勘違いをしてくれるのだろうかと、うるさい会話を他所に考えていた。

 つまり江戸時代の町火消しが、自分で放火して火を消しに行くようなモノなのだが深読み外れの勘違いではなかろうか。

 さて、そんな面白い出来事を契機として、これまで深読み勘違いをされてきた個人的経験が、他にもいくつかあった事を思い出させてくれた。

 つまり書かれた文章の行間を読む、あるいは文章の単語や筋道を広いながら、書かれた文章とはことなる裏のストーリーを組み立てて、相手の真意を探ろうとするわけだ。隠喩とか暗喩といった文学の技法といってもよいから、深読みは文科系の手法なのだろう。

 そうして貴方は表向きはそう言っているけど、真意はこっちでしょうと言い当てたつもりになって一人悦に入っているというわけだ。どこかお寺のクソ坊主の説法とでもいったらよいか。そんな表の言葉に表出されない裏側のストーリーや意味を探り出すのが深読みなのだが、深読みした結果が正解である場合と、不正解である場合とがある。また深読みストーリーが複数登場してくる場合もある。大方は、裏側の最初のストーリーがつくられた時点で、正解と不正解とが検証されることなく真実だと思い込んでしまう。こうした検証されない解読方法を深読み勘違いと定義しておこう。

 しかし、私は工学系の立場で論文を書いてきたので空間や数値と比べれば言葉は、表記通りの意味しか付加できないことを知っている。だから私の文章は言葉通りであり、仮に深読みをされれば何通りもの解釈が発生することになる。発生した多数の解釈を哲学的知見、つまり正と反を一つずつ検証し、残ったのはこれですいうところまでやるとか論拠を探れば正解に近づくのかもしれないが、普通の人はそんな面倒な操作はしない。だから私達の社会は、深読み勘違いが乱発され満ちあふれているのではなかろうか。様々な社会現象で発生する偏見や誤解も、そんな深読み勘違いが関与しているのかもしれない。

 つまり私にいわせれば深読み勘違いは、文科系的所産だと結論づけられるかもしれない。

 文科系かぁー、それじゃ人工衛星を惑星まで飛ばせない学問だよな。といって高校までの学校教育の大方が文科系教育学部の教員によって行われているから、日本人の半分ぐらいは文科系志向か。そりゃ深読み勘違いでこの世の中は満ちあふれるし、偏見や差別といったことも登場するわけだ。このあたりの社会問題は文科系にまかせて、私は工学を足場にして文章を書き続けよう。もしも深読み勘違いの他に解釈の可能性があるとすれば、それは男と女の意識の違いがあるかな。これは別の機会に。

 さて、昨日の京都も朝から寒くダウンコートとストーブが必要だった。連休は、寒い休日からスタートした。既に沖縄で休暇をとったので、Macを駆使して仕事に没頭していた。休日の仕事も、回りが静かだから結構よいものだと思った。こんなことを感じるのは、連休の最初だけだろうけど。次第に連休も飽きてくるんだよね。

 

クロッキー帳NO42.

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング182.  AIでクロッキーが描けるか?

2019年04月27日 | drawing

 さてこのクロッキー・デッサンは、何を描こうとしたのかが明白で、2本の手を広げている両手で挟まれた空間をボディを使って描きたかったのだが、結果は、形に引きずられた。

 毎回一人のモデルさんで、時間を変えて14ポーズ描く。ところで、これをAIに描かせたらどうなるだろうかと考えた。

 多分測距点など多数取って人体のビッグデータをかませながらクロッキーすれば、AIにもこうしたデッサンは描ける。それは一人のモデルさんをいろんな方向から眺めても、ちゃんと一人の人間になるように正確なはずだ。

 AIが得意なのは、描いたクロッキーをレオナルド・ダ・ビンチ風とかヴァン・ゴッホ風のタッチにするとかである。しかし、そんな過去の画家風にして、デッサンとして何が面白いのだろうか。私にいわせれば、素人受け表現であり、すぐに飽きられることは容易にわかる。

 だが私は14ポーズを、一人のモデルさんとは思えないほど別人のように描いているわけ。そこがAIと全く違うところなのだ。人体は借りているに過ぎず、時間と鉛筆の走り具合の加減でモデルさんの頭も決まってくるのだが。

 もちろんちゃんとデッサンすれば複数のデッサンを同一人物のように描けるが、そうしていないのですね。そうした咄嗟の方向転換がAIでは不可能なんですね。

 別に写実的にかけなどという命題は与えられていませんから、写実的である必要はないし、当然似ている必要もない。そんなことを考えると、やはりAIにクロッキーは無理なのである。今社会的に騒がれているAIの実力は、その程度だ。

 クロッキーも、描いてゆくうちに鉛筆が滑ってゆくこともあるから、それはAIでは無理でしょう。人間がみたモノを感性というフィルターをタップリ通過させて描くわけだから。

 このブログで過去に書いた記述を再掲しておこう。

AI「あなたのこれまでの作品傾向と、全作家のビッグデータを元にして絵を描きました、いかがですか?」

私「なんでクラシックな具象画なの?」

AI「あなたのこれまでの作品傾向からクラシックな表現がみられたものですから」

私「だからAIの絵をみて私は気が変わったんだよ、今は抽象画にしたいんだよ」

AI「そんなのは、データにないので描けません」

私「ボケカスAI!、さっさと消えちまえ!」

 ビックデータといったって、それは全部過去のデータですから、未来のデータは予測式でつくるしかない。過去を現代に当てはめるのではなく、私は未来を現代にあてはめたいですね。だからAI程度の知能じゃアーティストやデザイナーは本質的に越せないことになります。

 実をいうとAIでデッサンや油絵を描かせたがっているのは、デザイナーや画家達だろう。「これ、どうせ売り絵だから、大衆の好きそうな要素を抽出してダビンチ風に描いといてよ!、その間に俺は個展の制作に勤しむからさ・・・」といった具合にである。AIが登場することで、画家は売り絵を描かなくてすみ、クリエイションに没頭できるわけ。

 こうした考え方をさらに進めると、画家の手業作品とAI作品とに当面は二極化するわけ。そしてすぐにAI絵画は飽きられ、量産されるので時には100均価格で販売されたりして陳腐化するわけ。そうなると人々の関心は手業作品に向かう構造になるわけ。つまり人間が行っている手業仕事の優位性はゆるがないという結論になる。


クロッキー帳NO42.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング181. 春の憂鬱

2019年04月26日 | drawing

 これも5分ポーズだな。

 モデルさんの職業を尋ねると、ダンサーだったり俳優だったりと、様々なポーズをとるから体が柔らかくないとできない仕事が多い。だから俳優の若き頃は、ヌードのモデルさんをしてましたなんていう話は結構あるでしょう。こうなると描いた方が勝ちみたいな世界ですね。それが後に有名な俳優になって週刊誌で暴露されると、もう後の祭りというわけです。本人も笑っているでしょうね。

 昔からの習性だが、暖かくなる季節は頭が鈍痛だ。万事を何かをなそうとする意欲が萎え、当然何事もはかどらない。こういうときは、エクササイスに限る、といって先日エアロビクスをしたばかりだが。

 じゃ昼寝だ。といって眠くない。多分京都の家はいまだに寒いので時折ガスストープをつけているから空気が悪い。フレッシュエアを入れても改善しない。こういうときは、意欲を無理無理気力をおこし家の片付け作業などに没頭する。

 と・・・まあそんなこともあり、社会より1週間早く休暇をとったので、さて10連休は自宅で仕事三昧。10連休もあるとスポーツ教室もお休みだが、そこで連休カリキュラムがつくられていて軽く受講しながら体調管理というわけです。春というよりは、もう初夏です。


クロッキー帳NO40.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローイング180.  続・国際ロマンス詐欺師との会話

2019年04月25日 | drawing

 いつものデッサンの画像でも展開しようか。フィリピンでご無沙汰していたので筆が鈍った。筆というよりは観察眼だろうか。デッサンが私本来の能力。いまは人体デッサン=クロッキーしか描かないが。つまりデザインの世界の人間ですからドローイングは日頃の訓練だけどさ。これは多分5分ポーズだろうな。 

 さて、日本に戻ってFBを開いてお友達を承認したら早速詐欺師がやってきた。その会話のやりとりの全文をあげおこう。今度は男性だ。おや、国際ロマンス詐欺師ではなく、今度は国際フレンド詐欺師になったか?。みんな、こんなクロッキーのような妄想を抱きながら、欺し欺されの世界が広がっているんですかね。


名前は、Francois Kana

Kana:「やあ友よ、お元気ですか?」

俺:「元気だよ。」

Kana:「知っておくといいですね、私の要求を受け入れてくれてありがとう」

(日本人の感覚だと、傲慢な書き方になるけど、英文直訳だと、このような表現になる。)

俺:「日本語上手いんだけど、これは、翻訳ソフトかい?」

Kana:「はい、翻訳者を使っています。しかし、私も少し日本語を知っています」

俺:「私のブログのURLです。https://blog.goo.ne.jp・・・・・」

Kana:「それでは今日の天気はどうですか?」 

俺:「アイフォンに天気予報があるだろ。」 

Kana:「OK、それは良いことだ、ここの天気は曇りです」

kana:「あなたが着ていることは何ですか?」

俺:「意味不明、マイジョブ?」

Kana:「どんな仕事?」

俺:「I'm Architect.What are you kaind of job?」

Kana:「Ok that's good.I'm a military soldier.I'm currently in Afghanistan for peacekeeping mission.」

俺:「Do you the international scam?」

kana:「Sorry how do you mean?」

俺:「Do you know international scam?」 

Kana:「はい、詐欺師が人々を詐欺するためのプラットフォームとしてアメリカ軍を使用しており、アメリカ政府がそれを阻止するためにあらゆることを試みているというニュースがあります、これまでにFacebookでアメリカの兵士に会ったことがありますか。」

俺:「アメリカの女性将軍、女性軍曹、いろいろ、いました。」

Kana:「あなたはまだ彼らと話していますか?」 

俺:「彼女たちは、FBをすでに退出した。」

Kana:「だからあなたは彼らとの連絡を失いましたか?」

俺:「FBが、判断した。不適切だと。彼女たちの共通点。中近東に展開しているアメリカ軍人である事。私のブログには、興味がないこと。」

Kana:「OK、それは良いことだ。彼らはあなたにお金を頼みましたか?」

(いきなりお金の請求に話がとぶということは、やはり怪しいよね。) 

俺:「頼んでこない。しかし会話を続けて行くと、お金を請求してくるだろう。あなたに会うために、費用が欲しい、といった理由をあげてくるだろう。そうした詐欺師を、国際ロマンス詐欺とよんでいる。」

Kana:どういう意味ですか?

俺:「彼女たちは、お金を要求していない。会話を続けてゆけば、お金を請求してくるだろう。」

Kana:「なぜあなたはあなたがお金を請求されると言ったのですか?」

俺:「国際ロマンス詐欺師について、勉強したからです。」

Kana:「それで、あなたは国際詐欺について何を学びましたか?」

俺:「詐欺の手順、そしてアメリカ軍の名誉のために、世界のウェブサイトに報告すること。」

 ・・・ここまで答えたら、プツリと切れてFBからもいなくなった。


 またまた中近東に展開するアメリカ軍人を名乗っている。アメリカ軍は現在アフガニスタンの他、シリア、クウェート、イラク、ソマリア、ポーランド、ウクライナと7ヶ国に軍隊を派遣している。今回もワンパターンのようにアフガニスタンに展開するアメリカ軍ですか・・・。

 会話の流れをみてゆくとわかるが、最初はカタコト日本語風、そして長い文章になるとちゃんと日本語だという点だ。通例は逆でしょう。

 こちらは、親切にも国際ロマンス詐欺師について書いた私のブログを紹介したけど、みている気配がない。ブログを数画面くくればわかるはずだが、こんどは当該画面を示さないとあかんなと思われた。さて国際詐欺師に遭遇した人達のサイトに報告しておきますかね。

サイトはここ。

SCARS PROJECT NYSCAM  https://anyscam.com

 ただし私は、報告してメールアドレスを書きかけて途中でいきなりGoogle chromeのサイトが立ち上がってきた時に、ふと考えてアドレスを書くのをやめました。このサイトはGoogleでは検索できないこと。ただしGoogle Chromeで検索可能。そんなシステム自体に、こちらは不信感をいだく。

 詐欺師が、詐欺の報告サイト、あるいは報告のためのコピーサイトを立ち上げているということは考えられる話。つまり二段階で詐欺を働こうというわけです。だからこのサイトも信用してはいけません。まあ安心できるのは関わらないこと、あるいは警察に報告かな。

 そんなわけで、日本に帰ると何かとうるさいから、20日から沖縄でダイビングをしています。従ってこのブログも予約投稿にしています。次のブログアップ迄の間、若干のブランクを埋めるためにも今日も予約投稿です。 


クロッキー帳NO40. 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日193. フィリピンの旅補記

2019年04月24日 | field work

 3月31日午後8時40分、飛行機は意外に早く中部国際空港についた。

 日本について最初にしたことは、夕飯を食べること。通関手続きが終わるとすでに飲食街はしまっている。唯一2階に中華料理屋がある。ここで腹ごしらえをして、その足でフィリピンのチョコレートをもって中村公園のジンのフィリピンパブにでかけた。カラオケモニターには、タガログ語が出ている。日本に戻っても、まだフィリピンをしていたわけだ。

 夜半に名古屋駅の東横インにチェックインした。この旅で泊まった一番高い宿である。翌朝の澄み切った名古屋の空がまぶしく、そして寒い。桜が咲き出す季節になってきた。

 フィリピンの1人当たりの旅費を算出してみよう。

 セブ・パシフィック航空が1ヶ月以上前の予約だと往復33,000円、宿泊費3泊分で7,349円、バス代4,151円、しめて44,500円である。S君が随分安い旅程をつくってくれたおかげだ。通訳とともに大変感謝している。

 撮影機材は、前回のロシア・ウクライナ同様に、いつもの機材だった。

 EOS1DsMark3にEF28-300mmL IS USMレンズで十分。巷では不人気な高画質レンズが私のお気に入り。5日間の間に64GB撮影し電池の残量は22%。予備電池があれば充電機不用だった。広角ズームレンズEF16-35mmLは2度使った。軽くレンズが明るいのが取り柄だが、あえて持参する必要は無かったので、これも外すと荷物の軽量化に貢献できそうだ。またストロボが付いたNikonCoolpixW300は意外に重宝した。これは外せない。

 スマホはiPhoneのローミングオプションをONにするだけだから便利になった。デザイリング機能付きだから、S君にも電波をとばせた。SIMカードの抜き差しよりは高いが、こちらの方が使い勝手がよい。

 さて4月1日、新幹線で京都に向かう。沿線は、すでに桜が咲き始めている。もう、そんな季節になっていたか。こちらは体が夏仕様になってしまったので寒くてたまらん。いっそ春は飛ばして、一気に夏になって欲しい・・・。

 旅の帰りというのが好きな時間である。フィリピン時間を引きずりながら、名古屋で一泊して我が家に戻るという寄り道が心地よい。まだ旅を続けたいとする意欲があるのだろうか。

 さて3週間ほど書き続けたフィリピンの旅も、ここで終わりとしよう。


東海道新幹線 岐阜羽島-米原

EOS1DsMark3,EF28-300-35mm/F2.8L IS USM 

ISO3200,焦点距離135mm,露出補正0,f/6.3,1/8000

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日(With EOS)192. Go home!

2019年04月23日 | field work

 

(English)

I was cool on my usual balcony the morning of my return to Japan.

Eventually, a relative of the house, a bakery, had freshly baked bread.
The usual veranda, coffee and bread.
It's my favorite morning.
Suddenly, a loud sound comes from afar.
It's election promotional cars, supporters, and drums!
Let's do this as a blue party.
The blue party was inside Pitpitan's parents' house.
And they are shaking hands with the masters.
Such a group is parading the city.
This is the Philippine election.
The election is near.

Well, we go to Niino Aquino Airport by one wagon car.
The Dela Cluz family boarded the wagon.
It is far beyond the capacity of the car.
There are various reasons such as seeing off the KEIZO family, curiosity of children who want to see the outside world, shopping in Manila.
That is this last image.
Eh !, how did you get on one wagon?
I don't know who anymore.
But I remember their faces.
I got something important from them.
What is important! That is the origin of human beings.
The splendor of having a lot of people.
Thank you!,
We waved a lot and passed through the gate of Ninoy Aquino Airport.
Go home !, I'm going back to Japan !! ...

 

(japanese)

 私は、日本に帰る日の朝、いつものベランダで涼んでいた。

やがて、この家の親戚であるパン屋が、焼きたてのパンを持ってた。
いつものベランダ、珈琲とパン。
私の好きなモーニングだ。
突然、遠くから大きなサウンドが流れてくる。
それは選挙の宣伝カー、支援者達、そしてドラム!。
これを青の政党としておこうか。
青の政党は、ピットピタンの実家の中にま入ってた。
そして主達と握手している。
そんな集団が街をパレードしている。
これがフィリピンの占拠だ。
選挙が近いのだろう。

 さて、私達はニイノアキノ空港まで1台のワゴン車で行く。
ワゴン車には、Dela Cluz家の人達が乗り込んできた。
車の定員をはるかに超えている。
KEIZOファミリーの見送り、外の世界がみたい子供達の好奇心、マニラへ買い物、いろんな理由がある。
それが、この最後の画像だ。
えっ!、1台のワゴンにどうやって乗ってたのだろうか。
もう誰が誰だかわからない。
だけど私は、彼らの顔を覚えている。
私は、彼らから大切なものをもらった。
大切なもの!、それは人間の原点だ。
沢山の人間がいる素晴らしさ。
ありがとう!、
私達は、大きく手を振ってニイノ・アキノ空港のゲートをくぐった。
Go home!、日本に帰るぞ!!・・・。

 

Bulacan Pitpitan & Niino Aquino Airport(March 31, 2019)

Shooting data

EOS1DsMark3,EF28-300-35mm/F2.8L IS USM 

ISO3200,焦点距離235mm,露出補正0,f/5.6,1/60

ISO3200,焦点距離28mm,露出補正0,f/11,1/250

ISO3200,焦点距離60mm,露出補正0,f/13,1/400

ISO3200,焦点距離35mm,露出補正0,f/5.1,1/60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS Day 191. Pitpitan people

2019年04月22日 | field work

 

Various people come to Pitpitan's house every day.
My sister, my brother, my nephew, my niece, my sister's child, my friend's child in the church, my husband and wife in the back house ... etc
When introduced every day, I can't remember anymore.

Many mothers come to Pitpitan's house with various children every day.
How many people are there?
I can't remember anymore.

Under such circumstances, only one person remembered the face, not the name.
An outstandingly cute 2-year-old girl.
I set the EOS mode to a person and took a picture seriously.
That's why if you include adults, children and relatives, you will end up with a large family.
It all lives around my parents' house.
That's why they come and go.

Old Japan was also a big family.
My father had 11 siblings.
My mom had eight siblings.
Japan is now a nuclear family.
Dad, mom, me ...
That's all.
That is a normal life.
Life in Japan is lonely.
As a result, Japan's population is declining.

So when I look at the Pitpitan family, I envy them.

Because it's a big family, there will be love and fights.
But there are many people.
That is the great asset of this Philippines.

 

ピットピタンの家には、毎日いろんな人間達がやってくる。
姉です、弟です、甥っ子です、姪っ子ですろ、お姉さん子供です、教会の友達の子供です、裏の家の夫婦です・・・・etc
毎日、紹介されると、私はもう覚えられない。

沢山の母親は、毎日いろんな子供を抱えてピットピタンの家へやってくる。
一体何人いるんだよ。
私は、もう覚えられない。

そんななかで一人だけ、名前ではなく顔を覚えた。
抜群に可愛い2歳の女の子だ。
EOSのモードを人物に設定して真面目に撮影した。
そんなわけで大人・子供と親戚まで入れたら大家族になってしまう。
それが実家の回りにみんな住んでいる。
だから入れ替わり立ち替わりやってくる。

昔の日本も、大家族だった。
私の父には、11人の兄弟がいた。
私のママには、8人の兄弟がいた。
しかし今の日本は核家族だ。
パパ、ママ、僕・・・
それで全部だ。
それが当たり前の生活だ。
日本の生活は、寂しい。
その結果、日本は人口が減少している。

だからピットピタンのファミリーをみていると、私はうらやましい。

大家族だから、ラブも喧嘩もあるだろう。
でも沢山の人間がいる。
それこそが、このフィリピンの大きな財産なのだ。

 

Pitpitan, Bulacan, March 25-30, 2019

EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM

ISO3200, focal length 90mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 500

ISO800, focal length 65mm, exposure compensation 0, f / 4.5, 1/6

Nikon Coolpix W300

ISO200, focal length 4.3mm, exposure compensation 0, f / 2.8, 1/30

ISO220, focal length 4.3mm, exposure compensation 0, f / 2.8.1, 1/30

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日190. Visiting the grave of Pitpitan

2019年04月21日 | field work

 

I stuck to Mr. Kizou's wife's homecoming.
In Japanese custom, there is a visit to the grave.
The road to the grave goes through the Pitpitan farm road.
This is the countryside of the Philippines.

The form of visiting the grave is the same as in Japan.
Clean the grave, light a candle, and pray.
The big difference is that it is basically a burial.
The sarcophagus has a five-year rental period.
That's why the deceased says that the internal organs are removed and the medicine accelerates the rate at which bones rot.
The dead will turn into ashes after 5 years.
Bones that do not turn into ash even after 5 years are collected and disposed of by the caretaker.
She told me such a story.

Such an experience cannot be understood only by tourism.
It is my experience in Japan that such ordinary rural life gradually disappears.
What about the future of the Philippines?

I participated in life in the Philippines as a bystander.

 

 私は、ミスターKizouの奥さんの里帰りにくっついていった。
日本の習慣では、墓参りがある。
お墓への道は、ピットピタンの農道を通ってゆく。
ここはフィリピンの田舎なのである。

墓参りの形式は日本と同じだ。
お墓を掃除し、蝋燭をともし、お祈りを捧げる。
大きく違うのは基本的に土葬であること。
石棺には、5年間の貸し出し期限がある。
だから故人は、内臓を取り払われ、薬で骨が腐敗してゆく速度を速めるという。
死者は、5年後に灰になる。
5年を過ぎても灰になりきらない骨は、管理人があつめて処分する。
そんな話を、彼女は私にしてくれた。

こうした経験は、、観光だけではわからない。
そんな普通の田舎の暮らしが、次第になくなってゆくのが日本での経験だ。
フィリピンのこれからは、どうだろうか。

私は、フィリピンの暮らしに、傍観者として参加した。


Pitpitan, Bulacan, March 30, 2019

EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM

ISO800, focal length 135mm, exposure compensation 0, f / 9,1 / 320

ISO800, focal length 80mm, exposure compensation 0, f / 9,1 / 200

ISO400, focal length 70mm, exposure compensation-0.33, f / 10,1 / 320

ISO400, focal length 28mm, exposure compensation-0.33, f / 13.1, 1/400

ISO800, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 10.1 / 250

ISO400, focal length 70mm, exposure compensation-0.33, f / 8.1.1 / 200

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日189. Pitpitan terrace

2019年04月20日 | field work

 

Two large trees are shaded in front of Pitpitan's house.
Below that are two general stores.
Various people visit.
I was watching such a scene from the balcony on the second floor.

People who want water or soft drinks because it's hot,
Tricycles and Jimny run frequently,
Sometimes carriages also run,
A tofu shop sells soy milk and walks
A fish store comes to a peddler,
Election campaigners pass by,
A couple with children is consulting about something ... It was interesting to see a glimpse of the life of Pitpitan.

The room is hot, so the balcony on the second floor, which is well-ventilated, is comfortable.
At night, he barbecue over charcoal.
It's a banquet with grilled pork, shrimp and squid.
Morning is a place for breakfast,
It ’s a playground for children,
Occasionally, mothers in the neighborhood will have a chat with their baby.
In that way, this terrace is used in various ways.
It's different from the lonely veranda of a Japanese condominium.
The balcony is alive.

This house has the air that the old Japanese countryside had.
It functions as a hangout.
Large families come and go every day.
It's lively.
It's an enviable lifestyle for me.

I'm sure the Philippines will grow even more.
It is an enviable terrace for Japanese people whose economy is stagnant.

 

 ピットピタンの家の前に2本の大きな樹木が木陰をつくっている。
その下に2軒の雑貨屋がある。
いろんな人たちが訪れる。
私は、そんな光景を2階のベランダから眺めていた。

暑いから水や清涼飲料水を求めてくる人、
トライシクルやジムニーが頻繁に走る、
時には馬車も走る、
豆腐屋が豆乳を売って歩く、
魚屋が行商にやってくる、
選挙運動の人たちが通り過ぎてゆく、
子連れ夫婦が何かの相談をしている・・・、ピットピタンの生活が垣間見えるようで興味深かった。

部屋の中は、暑いから、風通しがよい2階のベランダが居心地がよい。
夜は、炭火でバーベキューをしてくれた。
豚、海老、烏賊を焼いて酒宴だ。
朝は朝食の場所であり、
子供達の遊び場であり、
時には近所の母親達が、赤ん坊を連れて歓談の場になる。
そんな風に、このテラスは多様に使われている。
それは日本のマンションの寂しいベランダとは異なる。
まさにベランダが生きている。

この家には、かっての日本の田舎が持っていた空気がある。
それは、たまり場としての機能だ。
毎日が大家族が、入れ替わり立ち替わり訪れる。
賑やかである。
私には、うらやましいライフスタイルだ。

きっとフィリピンは、もっと成長してゆくんだな。
経済が停滞している日本人としては、うらやましいテラスである。

 

 

Pitpitan, Bulacan, March 30, 2019

Shooting data

EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM

ISO3200, focal length 85mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 500

ISO800, focal length 35mm, exposure compensation 0, f / 7.1, 1/125

ISO1600, focal length 105mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 500

ISO3200, focal length 80mm, exposure compensation 0, f / 18.1, 1/800

ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 13.1 / 400

ISO3200, focal length 200mm, exposure compensation 0, f / 10.1.1 / 500

ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 4.1 / 13

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS Day 188. Around Quiapo Station

2019年04月19日 | field work

 

 

Crossing the passive river from the new transportation system, Central Station, you will find Chinatown at Calied Station.
Looking down from the home, the market continues to Quiapo Church.
It's like overcrowding Asakusa in Tokyo.
Street stalls line up in a row.
Narrow alleys are intertwined between them.
Shops selling candles, red candles for money prayers, blue ones for health prayers.
There is a sign that says that.

The church is crowded with festivals.
We cannot enter.
The hot sun shines over my head, and it exhausts my strength.
We found "chalking" and took a short break.

We returned to Calied station and then took the tram to Square station.
Here we are waiting for the car to be picked up from Pitpitan.
When I took a break from the fast food at the general merchandise store in front of Square Square, I felt happy for some reason.
The daytime sunshine in Manila was strong, hot and tired.

The pick-up car stops at "Jorby" on the way back.
I was admiring the blue sky as I watched them procuring chicken.
Daytime walking in Manila was tiring.

By the way, at night, a banquet for recovery from fatigue !!.

 

postscript
Notre Dame in Paris was burned down.
On the WEB, there was a question as to why the stone church burns.
I know.
The roof of the church is wooden.
It's also dry, so it burns well.
European architecture is a stone and wood structure.
The floor is wood, the roof is wood, but only the walls are stone.
Then what about the dome of the Russian church?
It's a tree.
I got a piece of the dome of a Russian church.
In Japan, it's a roof tile.
The roof tiles are also wood.
That is the last photo.
This roof tile is a World Heritage Site.

 

新交通システム、セントラル駅からパッシブ川を渡るとチャイナタウンがあるカリエド駅だ。
ホームから見下ろすと、マーケットがキアポ教会まで続いている。
東京・浅草を過密にしたような空気だ。
露店が列をなして建ち並ぶ。
それらの間を、狭隘な路地が錯綜している。
蝋燭を売ってい店、赤い蝋燭は、お金のお祈り用、青のは健康のお祈り用。
そのように書かれた看板がでている。

教会は、祭事で混雑している。
私達は入ることができない。
頭上からは暑い日差しが降り注ぎ、そして私の体力を消耗させてくれる。
私達は、「チョーキング」をみつけて小休止した。

私達は、カリエド駅に戻り、それから路面電車でスクエア駅に向かった。
ここでピットピタンからの迎えの車を待とうというわけだ。
スクエア広場前の総合量販店のファーストフード休めたときは、何故か幸せな気分だった。
マニラの昼間の日差しは、強く、暑く、疲労感を蓄積させてくれた。

迎えの車が帰路「ジョルビー」に立ち寄る。
チキンを調達している彼女達を、私は眺めながら、青い空に見とれていた。
マニラの昼間のウォーキングは、疲れた。

さて、夜は疲労回復の酒宴!!。

 

追記
パリのノートルダムが焼失した。
WEBでは、石の教会が何故燃えるのか?、という疑問があった。
私は知っている。
教会の屋根は木造だ。
それも乾ききっているから、よく燃える。
ヨーロッパの建築は、石と木の構造なんだ。
床も木、屋根も木、ただし壁だけは石だ。
じゃあロシアの教会のドームは?
もとろん木さ。
私はロシアの教会のドームの破片をもらった。
日本で言えば屋根瓦だ。
屋根瓦も木だ。
それが最後の写真だ。
この屋根瓦は、世界遺産だ。
 

Manila City March 29, 2019
Shooting data
EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM
ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 18, 1/1000
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 400
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 320
ISO3200, focal length 60mm, exposure compensation 0, f / 11,1 / 320
ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 13,1 / 500
ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 25, 1/16000
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 11,1 / 320
and iPhon7

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS Day 187. Wandering around the city of Manila

2019年04月18日 | field work

 

It's cloudy but hot and humid, the worst weather in my city walk.
When walking, the reflection from the ground is strong.
Manila is tired and unmotivated. Most Asian cities have such a lot of weather, so you can only walk early in the morning or at night.

Bicycle tricycles are common in Manila.
The leg strength of their slender legs exerts the power to tow the rear car.
We also caught such a tricycle. Hey !, do you run in the lane with the car?
When I turn right at an intersection that is complicated by car, I feel scared!
Still, it will be delivered to your destination.
That's 150 yen, so it's cheap, but the price of life is also cheap here.

If you walk around the city, there are many stalls and you will feel a unique space surrounded by a little. The cafe occupies the sidewalk.
The electric wires, laundry, and signboards are interesting because of the chaos peculiar to Asia.
However, my mind and body get tired. Like photographer Osamu Kanemura, there are still many landscapes in Manila where electric wires are intricate.

Recently, I used it with the EOS sensitivity setting raised to the highest sensitivity.
The image is taken without any roughness, though it is unintentional and cumbersome to operate.
The performance around here is EOS 1Ds. It's a very easy-to-use machine in the field of architecture.


PS

I was watching the image of Notre Dame Cathedral fire on the WEB.
Ironically, it's a landmark in Paris, so you can see it from anywhere.
The evening oblique rays beautifully capture the building, flames and smoke.
Beautiful until the moment of disappearance, I just sigh.
What I'm interested in is the burnt-out figure.
The main structural part of that building was marble.
Since marble is sensitive to heat, structural strength becomes a problem.
You can't understand it without taking the time to investigate.
As a result of the investigation, if it is found that there is no structural strength, restoration is impossible, so will it be abandoned?
There are many abandoned world cultural heritage sites, so the registration itself does not change.

 

 曇空だけど蒸し暑い、私の街歩きのなかでは、最悪の天気。
歩いていると地面からの照り返しが強い。
疲労が蓄積し意欲のわかないマニラだ。大体アジアの都市というのは、そんな天気が多いから、歩くことができるのは早朝か夜しかない。

マニラでは自転車のトライシクルをよく見かける。
彼らのしまった細い足の脚力は、リヤカーを牽引するパワーを発揮する。
我々もそんなトライシクルを捕まえた。おいおい!、自動車と一緒のレーンを走るのかよ・・・。
車で錯綜している交差点を右折するときは、おお怖い!、という気分。
それでも目的地に届けてくれる。
それで150円だから安いんだけど、ここは命の値段も安いのさ。

街を歩けば露店が多くてちょっと囲われた独特の空間を感じさせてくれる。カフェは歩道を占拠する。
電線や洗濯や看板が、アジア固有の混沌さが漂っていい面白い。
しかし、こちらの精神と身体は疲れる。フォトグラファーの金村修さんのように、電線が錯綜とした風景は、まだマニラに沢山あるだろう。

このところEOSの感度設定を最高感度に引き上げたまま使っていた。
それは意図的ではなく操作が面倒だからなのだが、画像は荒れることなく撮されている。
このあたりの性能がEOS1Dsだ。建築のフィールドでは、大変使いやすいマシンだ。


追伸
ノートルダム大聖堂火災の画像をWEBでみていた。
皮肉なことにパリのランドマークだから、どこからでもよく見える。
夕方の斜光線によって建物と炎と煙を美しく映像に捉えている。
消失の瞬間まで美しい、私は、ただただため息。
私が興味があるのは焼け落ちた姿。
あの建物の主要構造部は大理石だっただ。
大理石であれば熱に弱いから構造耐力が問題になる。
それは時間をかけて調査しないとわからない。
調査の結果、構造耐力が無いとわかれば復元は無理だから廃墟になるのか。
廃墟の世界文化遺産は数多くあるので、それでも登録自体が変わることはない。


Manila City March 29, 2019

EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM

ISO3200, focal length 80mm, exposure compensation 0, f / 14,1 / 640

ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 16,1 / 640

ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 18,1 / 800

ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 10, 1/200

ISO3200, focal length 70mm, exposure compensation 0, f / 18.1 / 800

ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 20.1/1000

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS Day 186. Manila City, Intramuros

2019年04月17日 | field work

 

Now, let's start wandering around the city of Manila from the walled Intramuros.

Here, several churches in the Philippines are collectively registered as a World Cultural Heritage Site. One of them is the San Agustin Church.
Escaped from the war, the style of the Spanish Formosa remains.
But I forgot to go inside. Maybe it was closed.

The remnants of the old days remain on the wall that seems to be a seminary next to it.
This is also a part of the World Heritage Site because it is old. Let's take a picture on the wall.
It's old, so it's powerful even on the wall.
This is the reason why it is a World Heritage Site.

By the way, I'm tired of writing a trip, so I was thinking of ending this blog with the Manila edition.
Looking at the image of the Philippines, I regained my mind a little.
In other words, it is interesting to talk about the more chaotic city walks in Manila and the Philippines.
Let's walk around the city a little longer.

The buildings of Intramuros, except for the San Agustin Church, are restored from the war.
Of course, it's organized in Spanish architecture, but it's like a movie set.

Rather, the buildings of the common people are densely packed in the walls.
Perhaps they settled down after the war.
It's interesting that it's like a combination of small puzzles.
Inside the wall called Intramuros, there are multiple groups of buildings with conflicting forms.

PS
Strangely, the news that Notre Dame Cathedral, a world cultural heritage, burned down the wooden roof due to a fire flew around the world.
The roof is made of wood that has been dry for hundreds of years, so it was hard to digest.
Since the main structural part is made of stone, it was left unburned.
But it's almost burnt down.
On the other hand, there are many examples of church restoration in the world. In the Philippines, Manila Cathedral has a history of being destroyed and restored by the war of World War II.
There is no word eternity in the world of architecture, but there is a technique called restoration.
Notre Dame Cathedral will reappear in front of us 10 years later.

さてマニラの街徘徊は、城壁に囲まれたイントラムロスからはじめよう。

ここは、フィリピン国内の複数の教会をまとめて世界文化遺産に登録している。その1つがサン・アグスティン教会。
戦禍を免れ、スペイン統治時代の様式が残る。
しかし私は、中に入るのを忘れていた。多分閉館中だったのだろう。

 横の神学校らしき壁に、昔の面影が残っている。
これも古いから世界遺産の一部だろう。壁でも撮っておこう。
古いから壁でも迫力あるじゃん。
ここが世界遺産たる所以だよ。

ところで旅の執筆も疲れるので、このブログもマニラ編で終わりにしようと考えていた。
フィリピンの画像をみていて少し気を取り直した。
つまりもう少し混沌としたマニラの街歩きやフィリピンについて語ってゆくのも面白い。
もう少し街を歩いてみよう。

イントラムロスの建築群は、サン・アグスティン教会をのぞけば戦禍に遭っているから復元された街並みだ。
もちろんスペイン風の建築様式でまとめられているが、それは映画のセットのようだ。

それよりも、城壁の中に庶民の建築が密集している。
多分戦禍の後で住み着いたのだろう。
小さなパズルを組み合わせたようなところが面白い。
イントラムロスという城壁の中には形態の相反する複数の建築群が存在しているわけだ。

追伸
 奇しくも世界文化遺産ノートルダム大聖堂が火災で木造の屋根回りを全焼したとするニュースが世界を飛び回った。
屋根回りは何百年にわたり乾燥しきった木材だから消化には手のつけようがなかった。
主要構造部は石造だから焼け残った。
でも全焼といってもよい状態だ。
他方で教会の復元例は世界でも数多い。フィリピンでもマニラ大聖堂が第二次世界大戦の戦禍で破壊され、そして復元されてきた歴史がある。
建築の世界に永遠という言葉はないが、復元という技法がある。
ノートルダム大聖堂も、10年後再び私達の前に姿を現すだろう。

 

Manila March 29, 2019
Shooting data
EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM
ISO3200, focal length 200mm, exposure compensation 0, f / 13, 1/1000
ISO3200, focal length 50mm, exposure compensation 0, f / 18, 1/1000
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 18,1 / 800
ISO3200, focal length 150mm, exposure compensation 0, f / 18, 1/1250
ISO3200, focal length 35mm, exposure compensation 0, f / 20.1/800
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 16.1/640
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 16.1/640
ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 5,1 / 60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS Day 185. New transportation system for musicians

2019年04月16日 | field work

The basis of walking around Manila is the use of a new transportation system.
However, this is the songwriter.

Because you have to go through a baggage inspection by the Manila police before the ticket gate.
First of all, don't use PET bottles!
This forced me to throw away the plastic bottle I just bought.
Then open the backpack and inspect it with a metal detector.
Fortunately, the shooting equipment was carried, so no metal was detected.
These inspections are carried out at all ticket gates.
Therefore, when commuting in the morning, a long line of commuters continues endlessly toward the city.
I took a hidden shot of such a scene.

Of course, it seems to be a counterterrorism measure, but in Japan, this is done at all the ticket gates of railway stations in the city center ... I think it is impossible.
After experiencing terrorism, the state believed that it could resolutely carry out baggage inspection.
And next year is the Tokyo Olympics, so baggage inspection may appear at JR stations or subway stations in Tokyo.
Be late for the company !, that's not the story of the nation.
That's what the nation is.

Another songwriter is the European tram standard.
Three cars are one unit across the intermediate vehicle.
Two units are connected and it comes with 6 cars.
The door opens outside. Because the vehicle is small, the inside of the vehicle is crowded.

Perhaps international aid has adopted standards per France or Germany.
It is a mistake to bring European standards to densely populated Manila.
I thought, use the Japanese rolling stock system that has gained experience on crowded trains!
Only Japanese technology can operate trains every two minutes in the world. I think Japan's railway technology is the best in the world.

So I decided to take a picture of the vehicle for the record.
Wait !, there is a police officer at home.
In other words, shooting is prohibited at the station.
In general, there are many countries where photography is prohibited in railways and airfields.
Only peaceful Japan has railroad enthusiasts.
Well, I sent Mr. S first and took a picture within the reach of the policeman.

Policeman "Hey !, you !!, what are you doing !!!"
The police officer flew away.

"I am a teacher at a university that teaches design in Japan.
I took it for the record. "
I did such a good reason in terrible English.
The police officer raised his thumb and said OK.

I later thought it was an adventure.
This is because the equipment may be confiscated.
If that happened, I would sweat cold because all the images up to that point would be gone in the Philippines.

With that in mind, it is necessary to save the shooting data on a personal computer every day. But AMac left it in Pitpitan.

Anyway, why is the wrapping train coming at such a time!
I wanted to shoot an old vehicle ...

 

マニラの街歩きの基本は、新交通システムの利用だ。
だがこれが曲者。

というのも改札の前にマニラ警察による手荷物検査をうけなければならない。
先ずペットボトルはだめ!。
これで買ったばかりのペットボトルを捨てさせられた。
そしてリュックの中をあけて金属探知機で検査する。
幸い撮影機材は、担いでいたので金属は検出されなかった。
こうした検査をすべての改札口で行っている。
従って朝の通勤時は長い通勤者の列が延々と街の方まで続くという事態になる。
そんな光景を一寸だけ隠し撮りで納めた。

もちろんテロ対策だとは思われるが、日本でいえば都心の鉄道の駅の全ての改札口でこれを行う・・・・不可能だろうと思う。
テロの経験をすると国家は、断固として手荷物検査を実行することがあると思った。
それに来年は、東京オリンピックだから、東京都内のJRの駅、あるいは地下鉄の駅では、手荷物検査が登場するのではないか?。
会社に遅れる!、そんなことは国家のしった話ではない。
国家とはそういう存在だ。

もう一つ曲者なのが、これってヨーロッパの路面電車の規格。
中間車両をはさんで3両が1ユニット。
それが2ユニット連結されて6両でやってくる。
ドアは外に開く。車両が小さいから、車内は混んでいる。

おそらく国際援助でフランスあるいはドイツあたりの規格が採用されたのだろう。
ヨーロッパの規格を人口密集地のマニラに持ち込むことは間違いだ。
満員電車での経験を積んできた日本の車両システムを使え!、と私は思った。
世界で2分間隔で電車をオペレーションではるのは日本の技術しかない。日本の鉄道技術は世界一だと思いますよ。

それで記録のために、車両を撮影しておこうと思った。
まてよ!、ホームに警察官がいる。
つまり駅は撮影禁止なのだろう。
一般的に鉄道だの飛行場だのは、撮影禁止の国が多い。
鉄道マニアがいるのは、平和な日本ぐらいだ。
でっ、S君を先に行かせ、お巡りさんの眼の届くところで撮影を実行した。

警官「おい!、お前!!、なにやってんだ!!!」
そらきた、警察官が飛んできた。

「私は、日本で、デザイン教育をしている大学の先生です。
記録のために撮影しました」
私は、そんないいわけをたどたどしい英語で行った。
警察官は親指を立ててOKといってくれた。

それは、あとで冒険だと思った。
機材を没収される場合もあるからだ。
そうなったとすれば、フィリピンでそれまでの画像は全てなくなるから冷や汗をかいた。

そんなことを思うと、撮影データは、毎日パソコンに保存しておく必要がある。だがMacPCは、ピットピタンに置いてきた。

それにしても、こんな時になんでラッピング電車が来るんだ!。
俺は古くさい車両を撮りたかったのだ・・・。

 

Manila March 29, 2019
Shooting data
EOS1DsMark3, EF28-300-35mm / F2.8L IS USM

ISO3200, focal length 28mm, exposure compensation 0, f / 7.1, 1/100

ISO3200, focal length 35mm, exposure compensation 0, f / 8, 1/125

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする