Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング173. 石膏室

2019年02月28日 | drawing

 さて仕事も忙しくなってきたので、終日ロケとブログに没頭している幸せな時間をやっているわけにもゆかなくなったきた。だから先ずはありモノ画像で。 

 さて、かって私もデッサンの勉強をした筑波大学の石膏室。

 ギリシャ彫刻の石膏像が多数置かれている。iPhoneのストロボが勝手に発光してしまった光芒の右奥から、ミケランジェロが制作したダビデ像、ギリシャ・サモトラケで発掘されルーブルが所蔵しているニケのビーナス、背中をみせているのは私の時代にはなかったゼウス像かなぁー!?。その他小さな石膏像が所狭しと置かれている。調度学生達が書いているのはモリエール像だ。こうした石膏デッサンをしながら、立体感や空間感や形態や光を勉強させられるわけだ。

 ふと思うと、こんなデッサンは中学生ぐらいから始めていかが!、かと思う。早期教育だが好奇心が急速に拡大してゆくからこそ、この時期にデッサンを勉強することは有効だ。ただし、前にも書いたが教える先生の能力(教育系と美大系)に差があるけどな。せめて絵が描けることが諸外国並みに当たり前になって欲しいですね。

 というのもNHKの番組をみていて、変なポンチ絵を描きよるわけ。真横から見ているのか斜めから見ているのか、両方を合体させたポンチ絵だから、そこへ角度などという数値を当てはめるというわけのわからないことをやってくれる。せめて放送局ぐらい、そのあたりのことはキチンとすべきなのだがポンチ絵で逃げているわけだ。

 さて目下(2月24日)スキー・ノルディック世界選手権2019をみながらブログを書いている。今日はオーストリアのインスブルックから男子団体のジャンプだ。冬のインスブルックの街が美しい。しばらく世界選手権をみつつ、ブログもクロッキーで冬をやりすごそう。私は芸術系の出身だからデッサンのほうがブログは気楽でね。

 

筑波大学体育芸術専門学群棟  2013年6月22日

iPhone5

ISO50,焦点距離4.13mm,f/2.4,1/37

 

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番外編408. フィールド調査用の撮影機材

2019年02月27日 | Photographic Equipment

図1. フィールド調査用のシステム

 

 さて海外のフィールド調査へ出かける。機材はなんでもよいけど、高画質であり、どんな焦点距離のレンズにすればよいかが大切。量販店のいいなりで買っておけばよいかというのも1つの方法だけど・・・。

 この1週間のブログ「EOSな日」7回分でアップさせた京都市内の風景32枚の画像で使った焦点距離を集計して以下に示した。レンズは下記のキャノン製EFレンズ。私は撮影するとき焦点距離を合わせてからファィンダーをのぞいて撮影する習慣なのでキリの良い数値が出ている。

焦点距離

28mm8回

35mm3回 

50mm3回

70mm3回

85mm2回

90mm1回

105mm3回

135mm4回

150mm2回

200mm2回

300mm1回

 さて量販店がお勧めする、24mm-105mm/F4のズームレンズが使えるのか?。

 私のシステムに24mmはないが、量販店お勧めレンズの該当範囲28-105mmでこの集計に該当するのが21枚となり全体の67.2%である。つまり1/3の不足を感じるわけだ。

 つまり残り32.8%の被写体が、量販店お勧めレンズでは撮影できないことになる。つまり1/3強の被写体はあきらめるかデジタルズームでも使うほかない。

 あるいはメーカーが力を入れている3本の大三元ズームレンズシステム(16-35mm/F2.8,24-80mm/F2.8,70-200mm/F2.8)を使うかである。ただし大三元ズームレンズシステムだと最低限ボディは2台必要となり、機材全体が大変重くなる。重くなるということはフィールドで大変行動しにくくなるわけだ。量販店は、そんなことは考えてないことにご用心。

 私はフィルム時代のニコン・システムでこの大三元システムを揃えてカメラバックに付属品とともに入れたが重すぎて持ち出せず、すでに人にあげてしまった経験がある。つまり私にとっては大三元システムは使えないし、揃える必要も無い。

 そうなると、広角ズームレンズと広角〜望遠ズームレンズの2本のレンズと1台のボディの方が軽くてかさばらないことになる。現在この範囲の高画質ズームレンズを発売しているのは、キャノンとオリンパスだけであり、フィールド調査用システムが組めるのはこの2メーカーだけである。

 そこで私のフィールド調査のキャノン製機材システムは以下のようになり図1で示した。

EOS1Dsmark3,EF16-35mm/F2.8、EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM

 予備用にポケットに入れられて、スコール時やプールなどの水中や海中でも撮影可能なNikonW300(24-105mm)を加えてある。これら全ての重さが4kgであるから、2018年7月2日のブログ「試論:ハイブリッド・システム、NikonF3HPを加えて・・・」でみると中庸的な位置づけかな(笑)。理想的なことをいえば、28-135mm/F4.0程度のレンズ(75%はカバーできる)がほしいところだが、そんな製品は見当たらない。

 EOS1Dsはバッテリーの持ちがよいので、オートフォーカスや手振れ補正でバッテリーを消耗しても、5日位は使うことができる。つまり5日位は電気やコンセントがないところ、あるいは充電する時間がない旅程でも出かけられることになる。欠点はF2.0の明るいレンズがないことぐらいだが、ストロボを持参すればよいかと思われる。

 軽くしたければオリンパスだろうし、その場合の私の手元に唯一残っているオリンパスシステムを図2で示した。

 図2. フィールド調査用のシステム(オリンパス)

 

E-M1Mark2、M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

 オリンパス・ミラーレスだと先の集計の8割が満たせて便利だが、バッテリーの消耗は大変早く2日位しか持たない。それに撮影素子の面積比較をすると、オリンパスの撮影素子はフルサイズの1/4だから、フルサイズに換算するとオリンパスは8000万画素となり、それだけマイクロセンサーが大変小さいため、取り込める光情報量が大変少なくなる。唯一の利点は小さく軽いことだ。全部重量は1.7kgだ。もちろんそれでも健闘しているオリンパスではあるが。

 そんなわけで今では少し古いが私のフィールド調査用の撮影機材は、キャノンシステムになる。

 さて、正月以来の仕事の端境期もようやく国土交通省の申請書類が届いたので、また仕事というか雑用復活だろうか。だからこれまで毎日撮影にでかけ、丹念に終日ブログを書くという幸せな日々も、そろそろお開きだ。明日からは簡単に書き上げようと思う。今年はいろんな画像を引っ張りだして冬枯れの時期を通過している。そんな冬枯れの時期もまだ1ヶ月ほどありそうだが。

 

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar f4/16-70mm ZA OSS T*

ISO800,焦点距離36mm,露出補正0.7,f/4,1/60

ISO6400,焦点距離53mm,露出補正0,f/8,1/100

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EOSな日161. フィールド機材のテストを兼ねて

2019年02月26日 | Kyoto city

図1. 北野天満宮参道   この人出の多さに惑わされず撮影できるかとする、こちらの精神力が試されているようだ。もちろん昔に比べると人出は多いのだ。年寄りが増え暇になった人間達が暖かい陽気でこぞって出てきた。

 

 図2. 北野天満宮   梅は5部咲きぐらいだろうか。北野天満宮は横からのアングルが綺麗だと思うけどな。

 

 図3. 北野天満宮   それ以上書くこともナシ。

 

図4. 天神さんの縁日   毎月25日は天神さんの縁日だ。今日は梅花祭とダブルで催事だから、露店も人出も多い。それが表現できる画像に納めるのは、結構難しいのだ。

 

図5. 露店   天神さんを取り巻くように数多くの露店が出ている。さて掘り出し物!?、あるかなぁー、みんなポロに見えてくるけど。

 

(本文)

 さてブログ用のアップ画像がない。ならばフィールド機材のテストを兼ねて北野天満宮の梅花祭でもゆこうか。さてバスを降りようとしてしまったと思った。みんな老人達ばかりだ。今日は暖かいので、老人達が冬のこもった生活から抜け出してきたわけだ。なんだここは、老人達のレジャーランドだったか。気温も16°と暖かく、どこか冬のけじめのような気候だ。

 人が多い。だから成り行きで天満宮を通り抜け、裏の縁日へ足を向けた。今日はダブルの催事だからね。フィールドに出かける予定の市場もこれほどではないだろう。

 最近組み立て式のテントで露店を覆うので撮影しにくいところばかりだ。EOS1DsはRAWデータで2,144枚と撮影可能枚数が表示されているし、バッテリーも5日ぐらいは持つだろう。7年前に販売中止された機材だから色が今ひとつの感じもあるが、まあいいか。まあ新型は来年にでも。

 それにしても露出補正が必須というのは、デジタル機材自体が露出オーバー気味に写る仕様なんだろうな。あやうく露出オーバーの画像ばかり撮らされるところだった。これもテストの知見だろうな。

 次はMac book airのテストだ。海外のホテルで撮影画像をMacに読み込んで、インターネットがあればicloudへアップさせる。そうしておけば撮影機材を盗まれたり壊したりしても、すくなくとも前日までの画像はicloudへ保存されていることになる。そのために昨日は、Mac Book airの大掃除をして空領域を確保したし、icloudの容量も増加させたぐらいだ。それでフィールドへ持ち出せる仕様になってきたけど、実際にフィールドでは何が起きるかわからんけどな。

 もう一つテストすべき事があった。人混みで3kgの撮影機材を担いで意欲が前向きになるだろうかという点である。幸い毎日持ち歩いていたので少し体も慣れたし、混雑のなかを歩けたので、これなら持ってゆけそうだ。

 フィールド機材も、あらかじめ機材のテストをしないとわからないことが多い。あとは予備機材の選択。手元にあるのはSONYα6000かNikonAW300だ。まあ水中機材のNikonでよいか。多分これは使わないことを期待するけどな。そういえばロシアに出かけた時は、イスタンブールで調達したNikonAW130が結構活躍したっけ。

 そんな風に撮影機材もフィールドへ行く前に、使い慣れることが必要になる。旅先でどんなに疲労していても暗黙のウチにボタン類が操作できるようにだ。多分みんなそんなことをやっているのだろう。

 

京都市北野天満宮 2019年2月25日 

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM

ISO400,焦点距離135mm,露出補正+0.33,f/11,1/500

ISO400,焦点距離105mm,露出補正-0.67,f/8,1/250

ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f/14,1/400

ISO400,焦点距離35mm,露出補正0,f/13,1/320

ISO400,焦点距離50mm,露出補正0,f/11,1/320 
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EOSな日160. 電柱の話から・・・

2019年02月25日 | Kyoto city

図1. 祇園町南側   花見小路は電線が地中化されているが、それ以外は全て路上に電柱が露出している。もちろん電柱を建物の色に合わせるなどの配慮はしているが、変圧器を電柱にぶら下げた形態そのものが異質だ。私の意識からすれば画像的には面白いのだが、都市景観という視点で見れば街並みのマイナス要因だ。外国人が数多く来るところにしてはお粗末だ。

 

図2. 祇園町南側   この横町も上を見れば電線が走っている。やはり電柱が地中化されてもよい程の日本の価値ある景観を呈している。

 

図3. 祇園新橋   これぐらいの雑踏になると電柱も目立たないが、上をよくみると電線が混沌として走っている。

 

 図4. 祇園町北側   正面にドンとアイストップのように電柱が立っている。景観の焦点が電柱!、それはないだろう、ここは伝統的建造物群保存地区だ。

 

 都市景観の立場で見れば、電柱と電線は地中化すべきだというのが多くの意見。特に外国人が多く訪れる伝統的建造物群保存地区からは、電柱は取り除くべきだというのが、都市計画の専門家の共通する意見だといってもよいだろう。そうはいっても、これがなかなか実現しないのですね。全く電力会社は、街並みや景観という意識が、今もって皆無だ。

 もちろんフォトグラファーとしては、電線が絡まっているような風景に興味をそそられるだろうし、そこに都市の混沌とした姿を発見するからだ。といって混沌とした姿を褒めているわけではない。どんなにとり澄ましても、所詮混沌としたアジアの都市の1でしかないのだといっているわけだ。

 そうした景観に市民が何も言わないということもあるだろう。まあしょうがないんじゃないですか、そうした意識がある限り街の景観はよくならない。つまり日本は民度が低すぎるといってよい。中国でさえ伝統的な保存地区は、政府が命令し素早く整備し、当然電柱を取り払っていますからね。

 中国人が、なぜ日本に大量に来るか。それは日本の生活様式に学んでいるといえる。何が良くて何が悪いのかを、そして何が生活であり観光でありブランドなのかということを、日本製のカメラで記録し、しっかりつかんで帰ってゆく。いずれ彼らは国家の中心的な立場につくだろう。そのとき、かれらが学んだ経験が発揮されよう。何しろ中国は、日本よりも長い歴史がある泰然とした国家ですから。

 抜かれるということは、将来生活用品の全てが日本製より安価で品質の良い中国製になり、およそ歴史的観光地には電柱などがない高品位な環境が提供されて世界から人々が集まり、そして日本企業がことごとくM&Aで中国企業に買収され、やがては国土も併合それ・・・・、中華思想とはそういうことでしょ。

 

京都市 2019年2月23日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM

ISO400,焦点距離150mm,露出補正-1,f/5.6,1/125

ISO400,焦点距離28mm,露出補正-1,f/4,1/40

ISO400,焦点距離70mm,露出補正-1,f/5,1/20

ISO400,焦点距離35mm,露出補正-1,f/3.5,1/15
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EOSな日159. 季節の変わり目

2019年02月24日 | Kyoto city

図1. 2月16日の空 祇園 寒い冬の最後の日だった。同じ晴天でも気温が低いときの空の色のようにも思われるが・・・。

 

図2. 2月17日の空 北野上七軒 この頃暖かい陽気が少し入り込んできた。それで北野まででかけようと思ったのかもしれない。この青さは、前日とはやはり少し違うみたいだ。

 

 

図3. 2月18日の空 建仁寺 太平洋上の高気圧が日本列島へ押し寄せてきた日だ。春の空の色としておこう。

 

 2月16日から18日のあたりが、寒い冬から少し暖かい陽気への気候の変わり目であったと思われる。そこでこれらの日の夕方の空を並べてみた。定点観測ではないし、デジタル画像では空の色だけではわからないなぁ(笑)。でも16日と18日の画像をみくらべると、やはり少し違うようだ。

 それよりはガスストーブで実感する。冬だと1日中つけていても設定温度までなかなかあがらなかったが、最近では容易に設定温度まで上がり停止している。確かに家の温度が変わってきているのだ。

 こうして暖かい日と寒い日とが交互にやってきて次第に暖かくなるわけだが、今年は、このまま暖かくなりそうだという気象台の長期予報だ。であれば冬が通り過ぎたか。

 さて先日たまった仕事をかたづけるために、荒神口の法務局へ書類を取りに出かけた。法務カードがあるので読み取り機に差し込み整理番号を受け取り印紙を買っていると、もう後ろから呼ばれている。万事こうでなきゃだよ。もちろん京都の法務局がすいているというのもあるが。

 20世紀時代の役所なら待っている人の列でホールはごったがえし、1時間、2時間待ちなんかざらだったから、今は改善された。ここまでくるのに随分と時間がかかったけどな。

 それにしても、実現までの時間がかかりすぎなんだよ。1990年代の半ばにWindoes95が登場したのだから、21世紀初頭には、世の中がこうなっていてほしかった。その、ほしかったと思ったときから実現までの時間が20年近く経過し時間がかかりすぎるのだよ!。日本はやることが遅いから、何でさっさと決断ができないかなぁー!!!。

 遅いことで良いことなど何一つない。まったくもう文科系事務職ばかりだから歴史主義なんだよね。時間は悠久にあるからじっくり考えようという勘違いをしてくれる。その政策を一刻も早く待っている人が地球上には数多くいる場合だって多いのだ。

 話題は変わるが、最近重たいEOS1Dsを担ぐ日が続いている。こういうときは、世界遺産のフィールドワークを計画しているからなのだが、すこし機材に慣れようと思っているわけだ。それに画像保存用のマックブックも整理して、いやその前に提出しておかなければならない事務書類が複数あるな。

 そんなことを考えていたら、肝心のパスポートの有効期限がきれている。本籍地東京まで郵便で戸籍謄本請求だよ。同じ役所のなかの仕事だから、なんで近所の役所ですぐに発行できるようにしないかなぁー。そのためのマイナンバー制度でしょうがぁー。まだまだトロいところが役所には多々ある。もうホントにさっさとやってよだよーー。

 

京都市 2019年2月16日〜18日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM

ISO1600,焦点距離35mm,露出補正-0.33,f/4,1/40

ISO3200,焦点距離28mm,露出補正-1,f/22,1/2000

ISO400,焦点距離28mm,露出補正-0.67,f/11,1/320 

 

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EOSな日158. ギャル3題

2019年02月23日 | Kyoto city

図1. 東華菜館 昔、こんな風景を見たことがある。それはヨーロッパの冬の厚い雲に凜と建つバチカンの尖塔だ。雲の切れ間から陽がさして神が現れる、そんなバチカンを思いだしながら京都で我慢(笑)。

 

図2. 祇園新橋 ギャル3題を続けようか。

 

図3. 建仁寺 お寺にゆくギャル・・・、ではないですね。お寺はしまってますから。ギャルは不思議な行動をします。

 

図4. 祇園東町 こちらもギャルの仲間。それにしても最近の舞妓さんはすらっと背が高い。そこへぽっくりをはいているから余計に目立つ。なんか花魁みたいな覇気が漂っていてすげえなと見とれていた。

 

図5. 四条河原町交差点 京都市内は狭い街だから空が大きく見えるところは限られてくる。それでも鴨川のあたりはスカッとするぐらいに開けている。

 

 最近の京都市内は、時折暖かい日が登場し、12月半ばから続いてきた町屋固有の底冷えが少し薄らいできた。

 底冷えとは、毎日低い気温が続くと地面も冷え切ってしまい、その冷たさが夏仕様の町屋では床から足に伝わってくる冬の固有の現象だ。そんな話を雪国の人間としたら、その程度で!、と笑われそうだ。

 冬の金沢に出かけたことがある。そこは京都以上に寒さのきついところだ。今は新幹線があるから、東京人達は冬の金沢にゆくのだろうか。

 日本海側だから気温は京都よりも低く、寒くというよりは冷たく、雪というよりは雪まじりのみぞれ雨が頻繁に降るから街が湿っぽい。このときほどホテルのチェックアウトが、ものすごく疎ましくおもった。

 そうそうブログ下部に撮影クレジットをつけているが、私の場合EOSでは28から135mmの間が圧倒的に多い。特に135mmはしばしば登場する結構使いやすい焦点距離だ。105mmではアカンのですね。だけど28-135mmという高画質な焦点距離のレンズはないのね(映像用ならありますが)。

 よくカメラメーカーの販売戦略に惑わされてきた大三元(F2.8の広角系、標準系、望遠系)の3本高画質ズームレンズシステムがあるが、これは重すぎて持ちあるけなかった経験があった。

 だからEOSの高画質28-300mmズームLレンズが便利、手振れ補正付き。発売してかなりの年月がたつが、今でも現役のプロダクト。もちろんLレンズだから解像力はよい。今はプログラムでレンズの諸収差を取り除けるので解像力さえあればレンズはなんでもよい。そんなわけで10年前のお古の機材が結構使えています。

 さて話題がころんだところで、お開きとします。

 

京都市 2019年2月18日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM

ISO400,焦点距離135mm,露出補正-0.67,f/6.3,1/160

ISO400,焦点距離150mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/25

ISO400,焦点距離135mm,露出補正-0.33,f/7.1,1/200

ISO400,焦点距離85mm,露出補正-0.67,f/5.6,1/80

ISO400,焦点距離28mm,露出補正-0.67,f/6.3,1/100

 
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EOSな日157. ついで感覚

2019年02月22日 | Kyoto city

図1. 油小路通   昔の路地と背後の民家を再生させて、多分お店かゲストハウスにした。それはなかなかよい方法だ。こうして町屋を再生させて欲しいと思う。今日は超広角レンズがないので戸口で一寸のぞいただけ。後日また撮影にこよう。

 

図2. 六角通・油小路角   このまとまった一体に町屋の街並みが続いている。昔の京都市内はこのようになっていたとする証左かもしれない。今の京都市内にしては大変まれなケースだ。もちろん文化財の指定はないので、いずれなくなる風景だとおもってよい。

 

図3. 武信稲荷神社   午後5時になると提灯に明かりがともる。神社は明かりがともらないと絵にならない。だから夕方訪れるのが調度よい。

 

図4. 武信稲荷神社   いろいろといわれがあるご神木なんだけど・・・坂本龍馬が登場したりと能書きが書かれてあるが、ご神木にところどころ木彫を施したのがよかったね。

 

図5. 大宮通   満月は過ぎたのか、冬も過ぎてくれる気配がした。

 

 私は撮影を目的として出かけることがない。大体は仕事のついでに撮影する。ついで感覚だ。

 今日は夜エアロビクスの教室があるので、ついでにEOS1Dsをぶら下げてでかけた。

 京都市内は、すべての通りに名前がつけられている。北は上がる、南は下がる、という言い方をする。

 烏丸通から綾小路を西へ、油小路で上がり、六角通を西へ住宅街のなかを突き抜け、後院通という数少ない斜めに走る大通にでて北に上がると三条商店街がある。商店街のなかを東へ進み、堀川手前の大宮通りを下がると飲食街を裏からアクセスすることになる。そして四条大宮から阪急で西京極へゆけば教室に間に合うだろう。今日歩いた道を記述すれば、こんな案配だ。

 京都市有形文化財杉本家の裏の膏薬図子(こうやくのずし)をゆくと、路地が折れ曲がるあたりの町屋が根こそぎなくなり西洞院通まで更地になっていた。敷地の広さからすればホテルとかマンションが建つ。ついに膏薬図子の路地も街並みの一角が崩れた。

 また先日、宮川町の田中図子も町屋の一角が取り壊され広範囲な更地ができていた。これもホテルかマンションぐらいの規模の敷地だ。

 最近市内の路地が御難だ。町屋から住む人がいなくなり、土地がまとめられ、そして大きな建築が建つケースだ。つまり京都の街壊し、それでも古都京都といいはってビジターを呼び込もうとしている。そういうのは合法的詐欺ではないのかい。あまり注目されないうちに路地なんか取り壊してしまおうとする了見か。

 京都市はフィレンツェと姉妹都市だ。フィレンツェ旧市街を歩くと、街全体にルネッサンスの空気が漂う面的な空間だ。京都は、ところどころに歴史が点在する点的空間だ。点と点との間はビルやマンションで埋められている。そんな点・点の街では、フィレンツェと比較して随分と格が落ちると思うが・・・。

 

京都市 2019年2月18日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6

ISO800,焦点距離105mm,露出補正-0.67,f/5,1/50

ISO3200,焦点距離200mm,露出補正-1,f/9,1/400

ISO3200,焦点距離28mm,露出補正-1,f/9,1/160

ISO3200,焦点距離105mm,露出補正-1,f/5.6,1/125

ISO3200,焦点距離85mm,露出補正-1,f/5,1/20

 

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EOSな日156. それぞれの冬

2019年02月21日 | Kyoto city

図1. 上七軒通りの正面に北野天満宮本殿の屋根が見える。こうした道の正面にシンボル要素を配置する都市デザインの手法は、パリやイタリアで昔から行われている。といって北野天満宮がそうした手法をとったとはいえず、門が東についていたので、そのまま参道ができたと考える方が正解なのだろう。

 

図2. 上七軒から技芸組合への路地をはいる。車邪魔だなぁー・・それは撮影マニュアル本に従えばの話だ。車があってもいいじゃん、そこがリアリズムだろう。というか正面の風景が美しくないので隠した。

 

図3. 北野天満宮に舞台が新しく設えられていた。25日の梅花祭では、ここで舞妓さん達が舞を披露するんだよ!?、そして手前のスペースでお茶をたててくれるわけだ、もちろん人数が多いからお茶を運んでくるだけなんだけど。

 

 図4. ほんとうは南側を向いた大きなベランダに、いつも盛大に干し物をしている町屋がある。それも全部和の装いで肌襦袢や赤い腰紐なんかがあって色っぽいのだ。これをいれて冬の空をとろうと思ったのだけど、どうも撮影マニュアル本の知識が邪魔をして、今日は私の好奇心の意識に素直になれていないようだ。

 

図5. 冬の空なのかなぁー、少し違うようだな、もちろん春の空でもない、中途半端な季節の雲。

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(本文) 

 上七軒にでかけた。北野神社の梅花祭と縁日は25日だが、既に梅は咲いている。だが、ウワッ!静かすぎる。二八というぐらいだから、世の中をあげて時間をもてあます頃合いなのだろうか。

 時間があるから、もっと1枚1枚構成を考えて丁寧に撮れよ!!、色温度だってちゃんと調節して撮れよ!!!、と天の声を意識しつつ、やはり駆け足で乱射でしていた。意識が退廃していた。

 僕は、デッサンを勉強してきたし、建築や都市のエスキースも描くし、クロッキーつまり裸婦も毎週描いているから思うのだけど、撮影機材って、ペンや絵筆のような道具の1つだと思っている。

 デザイナーって結構ペンなどの画材にこだわりがあるし、それは人によって様々だ。私もペン類は、uniの4Bの鉛筆、PentalのENERGEL0.7mm、STAEDTLERのpigment linerの0.1mm、COPIC Marker、それにMacだ。そんな風に画材にこだわるように撮影機材にもこだわりがわくのだろう。

 さて、この日も330枚撮影してブログに使えそうなのは1カットしかない。それでもだましだまし組み写真風にしたが、それらをつなぐストーリーが見えず、それぞれの冬になってしまった。それぞれの冬か・・・、かつて「それぞれの秋」というテレビドラマがあった。

 

京都市上七軒 2019年2月18日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6

ISO3200,焦点距離300mm,露出補正-0.67,f/9,1/640

ISO3200,焦点距離50mm,露出補正-0.67,f/11,1/320

ISO3200,焦点距離135mm,露出補正-0.67,f/8,1/320

ISO3200,焦点距離70mm,露出補正-0.67,f/13,1/400

ISO1250,焦点距離50mm,露出補正-0.67,f/11,1/320

 

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EOSな日155. 冬の空

2019年02月20日 | Kyoto city

図1. 辰巳大明神のある観光スポットから空を見上げたら長い雲の帯が街を覆っている。青い空の色をみていると冬の冷たさをたっぷり感じさせてくれる。

 

図2. 萬養軒と看板にあるから祇園のフレンチレストランだ。その先に建仁寺の屋根が見えていて個人的には好きな風景だ。もう少し夕焼け空になってくれたらよかったのだけど、それがないこと自体が冬の空なのだろう。

 

図3. 夕方祇園を歩けば、ほぼ舞妓さん達と出会う。もみ手の舞妓さんがいいよな。3人:「おまえ!、この間はしゃぎすぎたろ、うちら超メーーワクやったん!!」、もみ手「へっへっへぇーー!、すんませんねぇー(心で笑う)」そんな会話を連想するが・・・。EOSはなんとも難しい3人組の2番目の舞妓さんにピントを合わせてくれた、本当は左端に合わせて欲しかったのだけど・・・。

 

図4. いつもの定番ポイント。もちろん人の往来は多いから、人の波が途切れたところを待つほかない。実は人の流れは交通信号があるので、時々とぎれるのだよ。

 

図5. 観光の定番ポイントをみまわすと冬そのものの冷たそうな風景があった。ズームレンズなのに1/2もトリミングしちゃったよ。何しろ画面の構図よりも速射だからね。そうしないと人が入ってくるからだけど。

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(本文) 

 半年ぶりに研究用フィールド機材EOS1Dsを持ち出した。というのも最近フィールドにゆかないから、時には陰干しならぬメカの使い回しが必要だった。

 2月の半ばを過ぎると暖かくなる天気予報なので、そろそろ冬の終わりか!?。だから冬の街でも撮っておこうと、近所を徘徊し350枚ほど撮影した。RAWに設定しオートブラケットを使って露出を変えながら3枚連写。そしてMacに取り込んで、ブログ用に選んだ画像は5枚。あとは大方捨てた。ホントに写真は選択と大半を捨てる作業の連続だ。だから画像ソフトって撮った画像が捨てやすいというのが大変便利なのだが。

 撮影画像は、adobe Lidhtroomにとりこめば簡単だったが、ズームレンズを使用したのでキャノンレンズオプティマイザーですか・・・、周辺光量不足や歪曲収差の補正をする必要があるのでこのソフトを使わざるを得ない。今は周辺光量や歪曲収差は撮影機材側でできるようになったけど、私のは7年前のボディ。それにjpgへの書き出し速度が大変遅く、Lightroom書き出しの20倍位の時間がかかった。今時キャノンのユーザーは、こんなインターフェイスの悪いソフトを本当に使っているんだろうか。

 それでもEOS1Dsは、暗くても迷わずピントを合わせてくれるし、余計な機能がないので使いやすい。余計な機能がないということは余計なことを考えなくてよいということだからストリスフリーだ。ただし大きく重たいのは、Peak Designのストラップがフォローしてくれる。それにLレンズは手振れ補正がついているから、ズームレンズは便利じゃん・・・、となってこの実用的機材をしばらく使うんだろうな。

 冬ってのは、ヒートテックのインナーや暖かいコートを調達したり、暖房機の算段をしたり・・・などなどと、なにかと身構えないとやりすごせないところがある。だから冬に長くいてもらうと、世話の焼ける存在だけど去ってしまうと、ああっ、いっちまったかと思わせる個性がある。冬が去る前の街を少しばかり撮り歩くのかなぁー!?。

 

京都市祇園 2019年2月16日

EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6

ISO1600,焦点距離28mm,露出補正0,f/3.5,1/25

ISO1600,焦点距離200mm,露出補正0,f/5.6,1/100

ISO1600,焦点距離90mm,露出補正-0.67,f/5,1/25

ISO1600,焦点距離70mm,露出補正-0.67,f/5,1/30

ISO1600,焦点距離28mm,露出補正-0.67,f/3.5,1/25 

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番外編407. 名古屋でタイムスリップ

2019年02月19日 | Nagoya city

図1.名古屋市中村区の町屋 何しろ看板がすごい。もうこうした風景はなくなったと思ってよいだろう。変わりゆく名古屋の街の最後の風景に遭遇できた。

 

図2. 中村遊郭時代の名残だろう。

 

図3. 今は取り壊されてしまった。アジア的意匠が特徴的だった。

 

図4. 旧中村遊郭に現存する料理旅館。調度京都の角屋を思い出す。内部を実測調査したことがあるが、装飾を施した室内は興味深い。次第に経営難から施設の切り売りや転用が始まっていた。

 

図5. 名古屋の喫茶店 コテコテとしているなと思ったが次第に目が慣れてしまう。今はこんな喫茶店も大変少ないだろう。

 

図6. 名古屋の都心に戻ってきて、やっと現代に戻ったかと一安心した。

 

 1997年に名古屋の大学へ赴任した。いきなり名古屋で最初に旧中村遊郭のフィールドサーベイに出かけた。名古屋の街は戦災で焼け出されたから古い建築は大変少ない。だが、このあたりならまだ少しは残っているかもしれないという見込みで。

 確かに僅かばかり旧遊郭とおぼしき建築は残っていた。そんなのを撮り歩いていると年配の数人の男達に取り囲まれた。

「何をしてるがゃー」。

「君らはなんだね」と尋ねると・・・。

「うちらは、あれよ、あれ、つまり組のもんよ・・・」。

おいでなすったかてんで事情を説明すると理解された。それにしても人相は少し険しいが普通の叔父さんの顔と変わりがない。

「内部抗争の準備かとおもうたんや」といって引き上げていった。

これまで名古屋で内部抗争なんかあっただろうか!?。

 1週間後、実習の学生達をつれて再度旧中村遊郭へ見学に訪れた。あのときも組のもんがしっかりあとをつけている。やぁー!、先日はどうも、今日は授業でねお騒がせします。そのうちに組のもんは消えていった。

 そんな帰り道「フトンは美乃正」、で・す・かぁー。今時こんなすごい看板があるなんて珍しいぞ。また運良くジープまでやってきて不思議な画像になった。こんな風景がまだあったんだ。変わろうとする名古屋の最後の風景だから、いまでも記憶に残っている。

 帰りしな「遊郭ってなんですかぁー・・・」と尋ねてくる女子大生もいて、しっているのにわざと尋ねてきたな。

「つまり君たちみたいな若い女の子をかき集めて一人10万円ぐらいで花街なんかに売り飛ばすのよ、そんでいろんなサービスをやるわけだぁー、それで僕は儲かる・・そういう仕事さ!(笑)」。

「それって10万円じゃ安すぎないですかぁー(爆笑)」、という女子大生の突っ込みもあったりして名古屋駅界隈で酒宴となったという楽しい時間だった。良い学生達に恵まれたなと思った。赴任してきて、最初からタイムスリップしていた名古屋暮らしであった。

 さて本日(2月18日)の京都市内の気温は、7°/3°、明日は7°/6°、明後日は11°/2°と暖かくなってくる予報。天気予報でもこのまま気温上がり続け春になるのだそうだ。もちろん予報だからあてにならないが、「冬を抜けた」、といってよいのかもしれない。

 だから今日から100%羊毛のセーターから少し薄手のセーターに着替えた。体感温度が高くなっていそうで、京都の底冷えを感じなくなってきた。

 過去ログをみとる、この頃から京都の街を徘徊しはじめている。そして春の曇天のボンヤリとした光が登場してコントラストの低い画像になってしまうまでの僅かの間だけ、建物が綺麗に写るのだ。少し街を徘徊しようかなと考えているのだが・・・。

 

名古屋市中村区、中区 1997年5月

MinoltaCLE,LeitzM4-P,Rokkor40mm/F2.0,Elmarir28mm/F2.8,トライX

 

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番外編406.  横浜の空気

2019年02月18日 | Yokohama city

図1. Stranger(伊勢崎町) 横浜に住んでいた頃人間の写真を撮り歩いた時期があった。

 

 図2. Invader(中華街)違和感がある人間が時折出没するのも横浜だと思う。それにしてもライツ・エルマリートはとても綺麗な描写をしてくれる。

 

図3. Summer sky(みなとみらい21地区)若者達の一群を追いかけていったら夏があった。

 

 図4. Etranze(元町)どこか違う方向をみているように感じられた。

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(本文) 

 さて撮影の対象も、誘われて鉄に始まり、その背後の街へ関心が移り、そして街の主役である人間へと関心が向かっていった。この頃横浜美術館で、フォトグラファーを招き写真講座が開かれていた。そんな教室に参加していた影響もあり、混沌とした街や人間を撮ることに没頭していた。あるときはストーカーのようにあとをつけ、またあるときは盗撮者のように・・・である。そんなことが結構許された時代でもあった。

 それは何かの記念写真やイベントのようにとり澄ましたものではなく、偶然遭遇した街や人間性だろう。そんな被写体にひかれていったのかもしれない。

 実際、世界のグレート・フォトグラファー達は、そんな人間性を数多く捉え優れた作品を博物館などに残している。アーウィング・ペンの「コレット」、ユージン・スミスの「日本」、アンドレ・ケルテス「公園の二人」、マン・レイ「ヌード」 などの写真をあげるまでもなく、人間は時代の体現者として登場してくる。

 あるとき鎌倉駅のホームで、フィーリングのままにデジタル機材のシャッターを押したら、横から被写体ではない小太りの中年の叔父さんが「何を撮りましたか?」と尋ねてくる。関係ないだろうあんたにはと撮影画像をみると、女子高校生達が写っていた。ハッはぁーん。

 また京都の街で撮影していたら、突然横から「撮影した画像を見せてください!」と地味なお姉ちゃんが絡んでくる。なにこの人!!、それで古い民家の写っている撮影画像を見せたら、「いいです・・」だって。いいですだなんてお前の許可なんかもらう必要はないだろうよと相手の高飛車な意識にこちらはあきれた。

 つまりどちらも盗撮だと思ったのだろう。そして他人に対して高飛車なところが中学高校の学校の先生の臭いがした。ふと彼らは、何故撮影者にあえて横やりをいれてくるのだろうと考えた。

 おそらく当時盗撮が社会や学校で話題になっていた。例えば学校の先生がビデオカメラのモードで児童の透けた水着を撮影していたこともあったと記憶している。だから警戒心がはびこっていた。なんで身内の出来事でこっちに矛先を向けてくるんだか・・・。

 つまり私が街を撮っていると、盗撮していると思われたのかもしれない。しかしそれって戦前のお互いがお互いを見張って警戒し、違反したら密かに憲兵隊に通知する体質とにているではないか。最近なんか身の回りが窮屈に感じるのは、そうした戦前の意識が今の社会に蔓延しているのではないかと思っていた。

 人のことなんかどうでもいいんじゃない。そんなおおらかな世界はどこへいったんだろう。

 当時そんな日本に嫌気がさして私は中国雲南省に飛び、古い集落と多くの少数民族を撮影する仕事に没頭していた。このブログでは2007年10月28日〜12月16日のVillage Designのシリーズ、さらにその後に散発的にアップされた雲南省少数民族の画像などである。

 

神奈川県横浜市

Pentax ME,Tacmar120mm/F2.8、Leitz M4-P,Elmarit28mm/F2.8、T-Max,Tri-X

 

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番外編405. 街から人へ・ストリートフォトと肖像権

2019年02月17日 | Tokyo city

図1. 竹下通りで世紀末

 

図2. 1990年代の竹下通りは、人の塊が一気に通りを流れるほど人出が多かった。

 

図3. 1990年代の青山通り 今は背後の都営アパートも建て変わっている。この通りは初夏になると太陽が沈む位置が調度よく、木々の間から木漏れ日が射して大変美しい通りだ。

 

図4. 地下鉄をおりて地上に出たときに最初にみた都市の空気だ。それは一瞬ロンドンの街の空気かと思ったが、虚構の都市東京だった。もちろん何かを感じたらすかさず撮っておく、考えるのは後でよい。

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(本文)

 街から街の主役である人間へと関心がうつっていった。それに20世紀末になるとモノクロフィルムの性能が格段に良くなり画像も綺麗だ。そんなフィルムで原宿・青山通りを撮影していた。

 さて多くの人間達が気にかけているのが肖像権という言葉。肖像権を規定した法律はないが、裁判の判例として登場してきた概念だ。Wikでは「肖像権は他人から無断で写真や映像を撮られたり無断で公表されたり利用されたりしないように主張できる権利」と記述されている。

このブログで4枚の画像を例示としてあげた。

図1は、群衆だから肖像権に関する問題は少ない。

図2は、明らかに特定できる個人が写されているから、本人が主張すれば肖像権が認められると解釈する人もいるだろう。だが人混みのなかであり被写体の了解を取るのが不可能であったこと、撮影日が20年前であったこと、撮影が予測される公の場に自らが出かけていること事態が同意と理解できること、撮影したことによって被写体の社会生活上のマイナス要因にならないこと、以上の点で判断すれば肖像権が問われることは少ない。

図3も同様であり、現在存在しない風景を写しており特定できる個人が写っていても、前述の理由から肖像権が問題視される可能性は、これも少ない。

図4に至っては、まったく問題がない。

つまりここで取り上げた4点の画像が肖像権で問題視される可能性は、少ないと私は判断している。

 手元に「Jean-Cloud Gautrand編:PARIS MON AMOUR、TASCHEM,1996」という本がある。フォトグラファー達が撮影した戦後パリのストリートフォトだ。ここにはパリ人達のプライバシーも含めて日常の画像が数多くアップされている。そしてこれがパリだという空気を感じさせてくれる。特にブレッソンが1952年に撮影した、ワインボトル2本を小脇に抱える少年は世界的に有名な写真だ。もちろん通りすがりの少年のスナップだから本人の承諾なんかないだろう。

 この写真集を見ていると、かってこうした日常が、この街にあったということが後世になってわかる文化的財産になる。そこにストリートフォトの存在理由があるといえる。

 最近、FBをみると特定のコミュニティの集まりの場であったりと、あらかじめ撮影了解された画像ばかりが並ぶ。肖像権を意識しすぎたユーザーの過剰反応や自己規制だろうか。だからFBそのものがつまらなくなってゆく。それでいて、特定のハプニングやアクシデントは肖像権を無視して容赦なく撮影されているけど。

 もっというならば、街のなかに数多く設置されている固定カメラは、私達の日常を24時間写し続けている。これは肖像を写しているのではなく行動を写しているのだとする理由で存在場所を得ている。実際犯罪行動の場面もこれによって記録されていることもある。
 
 そんなふうに私達の日常がすでに撮りつくされている。そして最近ストリートフォトの傑作を見る機会が少なくなってきた。1つは撮るに値する被写体がないこと、もう一つはなにかと社会がうるさいから、やめておこうという消極的姿勢があるのかもしれない。それにしてもPARIS MON AMOUR(パリ、私の愛)といった都市を賛する写真集が、日本の街から登場しないのは、都市デザインの立場からすると少し寂しい限りだ。やはりストリートフォトは、都市の日常のある時の特定の空間を記録する研究資料にもなりえるのだ。
 
 さて、このときはシャッター音のかん高いフィルム機材EOS3にズームレンズという目立つ機材で撮っていた。盗撮ではなく堂々と撮っているということを回りにわからせる必要があるわけだ。今度この青山界隈に出かける時は、EOS1DsMark3に大きな白レンズEF28-300mm1本持参だ。そんな手間がかかるのでストリートフォトも結構面倒くさいのである。

 

東京・竹下通・青山通、1997-2000年

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,プラスX,Tマックス

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番外編404. 鉄から街へ、中央区佃島

2019年02月16日 | Tokyo city

図1. 正面に見えるのは佃小橋。入船通の金網からのぞき込むように撮影していた。今は正面に高層マンション群が立ち並ぶ。

 

 都電の背後に見え隠れしていた街が気になりだした。そこで気になる街を少しばかり尋ねたのである。

 佃島は銀座4丁目から歩いてゆくことができる。晴海通りを進みかちどき橋をすぎて左の堤防沿いにゆくと佃島がある。この一区画だけ掘り割りが巡っていて周囲とは切り離された空間になっている。それが功を奏したのか、今でもこの一区画だけは都市再開発から免れたように民家が建ち並んでいる。佃煮の天安は、昔の建物のまま営業をしていることがわかる。

 当時の写真を見ながらGoogle mapで、どこから撮影したかを探した。周囲はあまりにも変わりすぎているし、佃島自体の民家が建て変わっているので、よくわからないポイントもある。掘り割り沿いの民家は佃煮工場だろうか。いまはこうした民家のほとんどがなくなっている。

 佃島の周囲を歩くともんじゃ焼き横町がある月島の西仲通り商店街がある。その周囲を高層マンション群が取り囲んでいる。これは旨い空間配置であり、この商店街の存在価値がいまだにあるのではなかろうかと考えたら、再開発エリアには既に総合スーパーやドラッグストアがある。そうなると地元商店街が生き残るのは、いまのライフスタイルに合わせたマーチャンダイジング次第だろうなと考えていた。それ次第で維持発展できそうな空間だと思われるが・・・。

 

 

 

図2. 左に僅かに新しい土木構造物がみえる。それが入船通りだとすれば佃小橋から撮影したことになる。

 

図3. この路地沿いの民家のほとんどが建て変わっている。今はこの路地の正面には大川端リバーサイドの高層マンションが見えているはずだ。そしてこうした地域コミュニティが路地に露出してくるという風景もなくなっただろう。ライフスタイルも時間の経過のなかで変わったのである。

 

図4. 佃島住吉神社の参道、鳥居とその先の堤防が同じなので住吉神社の前から隅田川方向を撮影したことがわかる。

 

 図5. 佃小橋からみた現在・2019年の都市景観(依拠:Google Map)

 

東京都中央区佃島 1969年8月撮影

Canon6L,50mm/F1.4,トライX

 

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番外編403. 続・鉄ちゃんに連れられて都電行脚

2019年02月15日 | Tokyo city

図1. 渋谷駅周辺(1968年9月)

 図1は、戦時下の異常事態をうかがわせる映画のようなこの画像が個人的には好きである。前後のネガデュープをみてこの理由がわかった。当時学生運動が盛んであり渋谷駅前にも学生運動の活動家達がデモをやっていた。デモが大通りに繰り出し都電がストップしていた。そこで乗客達が都電を降りて歩き始めた。確かに異常事態であったのだ。

 都心でありながら背景が写っていないというのが奇跡に等しい。当時はそれほど街も明るくなかったのだろう。都電を撮るという鉄ちゃんに誘われて、街を観察するよい機会だったし、どこかライフ誌のドキュメンタリーな写真に憧れていたのかもしれない。

 

図2. 渋谷駅東口駅前(1968年9月)

 当時の駅前には、必ず「ハチブドー」のサインを見かけた。私は高校生だったので飲んだ記憶がないのでWEBで調べた。そしたら今も合同酒精株式会社の甘味果実酒として発売されている。明治14年以来の伝統的なお酒だが、当時のワインは酸っぱく人々に口に合わなかった。そこで蜂蜜をいれるという商品を開発したとある。その後ワインは1970年まで市民権をえることがなかったと記載されている。人々の味覚も明治、大正、昭和と随分と変わってきた。この看板があった場所が宮益坂下とすれば現在雑居ビルだろう。

 

図3. 渋谷駅東口駅前(1968年9月)

 線路上から撮りたい。そこで入ってくる都電を観察していたら交通信号が変わらない限り都電は停留所にはいってこないことに気がついた。だからその隙間をぬって線路上から撮影した。写真から次第に都電の姿が小さくなってゆく。それは私の関心が街や人々の姿にうつっていったのだろう。それとともに写真自体にも興味が失せていった。

 

図4. 渋谷宮益坂(1968年9月)

 これが宮益坂だとわかるのは、正面に渋谷駅らしき東急百貨店の看板があり都電の線路は単線だ。つまり国道246号線を走ってきた複線の線路は、宮益坂の上で二手に分かれ、1つは渋谷駅へ、もう一つは駅前から赤坂へ、といった具合に渋谷の街区をグルッと回っていた。ヨーロッパの狭い街の中でよくあるワンウェイの折り返しパターンだ。この画像は宮益坂をモーターのうなりを響かせながら駆け上がり赤坂へ向かう都電だ。

 

 鉄ちゃんに誘われて都電を撮るというのはよい経験だったとおもう。貧乏高校生のもらいもの撮影機材でも、都電は速度が遅いから1枚1枚を丁寧に撮れたし、身近な被写体だったから学校が終わったあとで撮りにゆきやすかった。都電の運賃が15円から20円に値上げしたころであり、貧乏高校生にはありがたい環境だった。

 そして当時の定番フィルムであるコダック・トライXの長尺フィルムを鉄ちゃんの高校の暗室で1本単位の長さに切り分けてくれて、それを250円位で購入しフィルム現像は自分で行った。だから貧乏高校生でも撮影できたわけである。

 そんな風に都電の撮影をしながら、次第に背後の街の姿や人々へと感心が開いていったのであった。

 

思い入れの余談

 さてその貧乏高校生のもらいもの機材であるキャノン6L(ブログでは2008年1月2日)は、その後20年ほど経過し日沖宗広さんの本(注)に刺激されて図5のようなシステムになっていた。

 キャノン6Lのファィンダーには望遠用距離計が付いていたので、これで距離を合わせ上のファィンダーをのぞいて撮影するという面倒な操作が必要だけど、ライツ・ヘクトール135mmがつかえるようになった。広角側にはモノクロ画像が鮮明なライツ・ズマロン35mm/F3.5(キャノン6Lには広角ファィンダーが内蔵されていた)、そして標準レンズには、空気まで写すかとする解像度の高いシュナイダーの標準レンズをつけたコダック・レチナ3C、これでモノクロ都電&街撮影に最適な高性能システムができた。全部で8万円もしなかった安価なシステムだった。

 この中古システムにトライXをつめ、このシステムで東京中の都電と街を記録しておきたかったと思った時、既に東京の道路路上から都電はなくなっていた。

 そんな憧憬的機材システムだから、その後過半は処分した。少なくとも都電を撮影していた高校生の頃に、こうした機材への知識とシステムが欲しかったなぁーとする過去の捨てきれない強い思い入れがある。高校生の時にもっと機材のことを勉強しておけば良かったけど、そんな本も雑誌もなかったし、それに中古機材のオタクが私の回りにはいなかった。オタクのいうことに二理はないが少なくとも一理はある、それが教訓かな。

 

 図5. キャノン6Lのシステム

 

注)日沖宗広:プロ並みに撮る写真術Ⅱ,勁草書房,1993年

Canon6L,50mm/F1.4,トライX

Nikon Coolpix990

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番外編402. 鉄ちゃんに連れられて都電行脚

2019年02月14日 | Tokyo city

図1. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

図2. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

図3. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

 図4. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

 モノクロネガには、1969年4月都電大久保車庫とクレジットが付いていた。

 車庫とか工場というのは、得体の知れないモノがあって結構面白いはずだ。ならば行こうというわけで私が高校生の頃、鉄ちゃんに連れられて都電の車庫へでかけた。もちろん車庫に入るには、見学目的などのを書類を書かなければならなかったはずだが、そんな書類1枚で車庫をみられた時代だ。

 都電の台車がむき出しでおいてあるとかモーターをばらしたところなどを期待していたが、モノクロネガを13枚しか撮影していないので、車庫内は整然としていて思ったほどの発見がなかったようだ。建築も柱のハンチの角度からすれば戦前の壁のようにも見えるが、まあ屋根は明らかに戦後の素材に吹き替えてあるのでそっけない。いさんで出かけたが大きな収穫がなかったのだろう。その後都電が廃止されると、車庫は公共施設やマンションに変わっていた。

 都電13系統は、新宿の手前の抜け弁天という停留所の前に、小さな神社の鳥居や店があり少し界隈的な賑わいがあったし、背後は大きなお寺であった。そこから左へカーブし専用軌道に入ると木製枕木の上を滑らかな音を響かせて牛込台地を下り、ほどなく大久保車庫にたどりつく。そして次の停留所である新田裏から都電は左へ回り新宿方向の道路に入ってゆくが、面白いのはそこから真っ直ぐ先へ続く専用軌道があり、新宿終点近くまで回送用都電の抜け道だった。そしてこの沿線が荒びた景色で、こここそがあの新宿ゴールデン街であり、当時の文芸作品にも登場している。

 私が新宿ゴールデン街に繰り出すのは、もう少し後の時代だった。そのときカメラは既に関心がなかったので街の風景は撮りそびれた。撮っていれば今でも興味深い風景だったかもしれない。思い出すのは、外から狭い階段を上がり飲み屋にたどり着いた風景ぐらいだ。

 その往事の新宿ゴールデン街の姿も今は変わっただろう。だから訪れたい気分ではない。街は、古い風景が消え新しい風景が生まれるけど、私の感性と撮影機材の眼は新しいモノが好きなわけではなく、といって古いものでもない。多分通り過ぎる風景を記録しているだけなのだろう。

 

 図5. 東京都新宿区、都電13系統抜け弁天-大久保車庫間(1969年4月)

 

東京都新宿区都営交通大久保車庫、1969年4月

Canon6L,50mm/F1.4,トライX

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