Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編330. 二眼レフ再考5.

2018年03月31日 | Photographic Equipment

 5回シリーズの最後は、うちの撮影可能か不可かわからない二眼レフとα6000のポジネガとデジタルによるハイブリッドシステム。こうすると広角から望遠までカバーし、しかもRolleiflexが高画質の標準レンズだから、ここぞというときに詳細に描写できる。どちらもカールツァイスのレンズだ。

 Rolleiflexはリバーサルフイルムで使うのだけど、例えばEOS1Dsの4.3倍ぐらいの画素数が二眼レフでは得られそうだということは前に書いた。つまり現像後の6×6版のリバーサルフィルムを高解像度スキャナーにかけると8400万画素の機材で撮影したのと同等の解像力をもつのではないかという仮説をたてた。具体的なことは堀内カラーに尋ねないとわからない。

 でっ、堀内カラーに尋ねた。この6×6画像1枚で最高画質でスキャニングするとデータ量が240MBになり約解像度4000dpiである。スキャニング価格は1枚2万円程度。おおっ!、という話だが、二眼レフの6×6フィルム画像のデジタルデュープは、それだけの情報量があるということだ。そんな画像情報がとれるデジカメはプロユース機材を調べても少ない。ちなみに6×6フィルム現像は中1日、スキャニングに中1日と小一週間時間程度の時間が必要だとのこと。

 ここで知見を得た。個展を開くときには、やはり6×6フィルムのデジタル画像処理で行うか、最適なのはプロラボで直接ダイレクトプリントする方法がよかろうということ。つまり二眼レフは今でも十分使えること。もちろん他にはデジタル専門機材はあるが、ジナーなどは車が買える価格です。

 そんなわけで可能性があるならRolleiflexのPlanarレンズ付などが欲しくなる(私のはTesser)。今は中古でプラナー付き20万程度と昔よりは安くなったと記憶している。そうなると、このSONYと組み合わせたシステムが生きるのかもしれない。しかしこの理論てホントかなー、まあ自分でも半信半疑なんだけどさ。

 6×6ポジがスキャニングできるニコンスキャナーは大学に置いてきた(OSが古いから動かないという判断で)。ちなみに昔のCanonなどの一般用スキャナーでも2400dpでネガフォルダー付きでしたから、とっておけば自分でデュープが簡単に作れました。当面は手元のE-M1あたりでデジタル・デュープするほかない。撮影画面の正方形部分しか使わないから画素数はおちるけど、ブログ程度ではこれで十分だろう。

 要は、それだけの高解像度の画像で、何をするんですかという必要性が決め手。もし使えば迫力ある画像になるのかなぁー!?。このあたりは機械工学系の人間を訪ねない確証が持てない部分も少しある。

 さて京都も、桜前線とともに花粉が非常に多い状態だ。幸い私はたいした被害もない。しかし過去を振り返ると、この時期なにかと体調の不調やら、コンタクトレンズをしていたときなど、眼に相当なダメージがあった。やはりあれは花粉の影響だったのだろう。花粉と桜で、なんか支離滅裂な京都です。来週には桜散って少し落ち着くのだろう。早く静かになれ、という気分です。

 その京都の町会長の役も今日で終わる。伏見稲荷がやってくる、防災まちづくりマップだ、地蔵盆だ、盆踊りある、敬老の日の粗品くばらなきゃ、体育祭で町内のポイントかせげ、お火焚祭やら、拝賀式やら、総会やらと定例の行事を実施する他に、祭事用のたくさんの荷物の置き場がない、街灯が切れた、最近ではゲストハウスが進出し、やれ協定書の締結だ、珍奇な中国人掃除業者が対応にモデルガンを突きつけるなどという珍事までおこり、そのたびに走り回る日々が続いた。最後に会計報告などの回覧板を回し、預かった沢山の荷物を時期町会長へ引き継ぎ、お稲荷さんの賽銭箱から小銭を回収し、やっとお終いになる。ああっ、終わったぜ。

 京都市内の町会長は、大変なんだよ。それに観光客がやってきて、お地蔵さんが掃除されていていつもお花がいけてある、なんと素晴らしい京都人の心遣いだと感激してくれるが、アホかいな!、それこそ観光客の猛烈な勘違い。昔からの習慣で仕方なく当番を設けてやっているだけ。そんなもんで勘違いせんといて欲しいなぁー。

 さて目下の夢は、これらの機材を担いで雨の高台寺で、絵のような画像をゲットしたいわけだ。だから6×6版のリバーサルフイルムを調達したのだ。今の私には、それが最大の遠出の旅だよ。だったらタクシーで行けばいいじゃんという脳天気な輩がいるけどモノ知らないねぇー。桜の時期のあのあたりは渋滞なのよ。

 

OLYMPUS OM-D E-M1Mark2,LEICA DG MACRO-ELMARIT45mm,f2.8

ISO200,露出補正-1,f/4,1/20

 

 

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番外編329. 二眼レフ再考4.

2018年03月30日 | Tsukuba

 田舎を歩くと意味不明の窓のない民家がある。ここでは縄にシテをかませ結界を暗示し、外部からの立ち入りを禁止しているようだ。それに背後の建築が左右対称であり、多分この土地の神様を祀っているのだろうか。神殿にしては少し規模が大きいから集落の会合などもここで行われたのだろう。

 もう一つ考えられるのは逢い引きの場所だった。民俗学を踏まえれば、農本社会は人間の頭数=米などの生産量だから多いほど収穫は上がる。大体神様の考え方が、五穀豊穣、子孫繁栄だから子づくりに励めというわけだ。そもそも農村にゆけば金精様を祀る性器信仰が昔からあり、まあ男と女に関してはおおらかだったのだろう。だから若い男女が姑などのいる母屋からここへやってきてセックスをする場だっただろうし、時には農家の後家さんが、若い衆に相手に筆卸をさせていたのかしれない。それで子供が生まれれば上等というわけだ。ようは誰の子供でもかまわないというおおらかさがあった。だから農家の先祖は、みんなどこかでつながっていた。

「あら、五作どんのどご種なしかど思うだら子供でぎはった」

「なんでも、こごだげの話だげど奥さんが隣の与平どんの種をもらったらしい、以前あの密会所で与平どんと二人でいだのをみぢゃったのよ!」

 そんなことをイメージすると、ここは密会の場所。つまり子供の親など誰でもよく、あとは村で育てて農業生産力の向上に寄与させようというわけだ。それは現代の一々理屈をこねないとセックスをしない社会とは異なり、おおらかなセックスが日常的に存在していたのだろう。古い民家が残されているということは、子孫が絶えることなく家が続いたことを示している。

 映画「Good Job」を見ると、そんな山村の田舎の気分を感じさせてくれる。そういえば、私の実家は父方は10人兄弟、母方は8人兄弟だったから、昔の田舎は、それが普通だったわけです。多産系こそ財産というわけです。それが戦後日本の高度経済成長を支えてきた。

 あら、二眼レフの話でしたね。まあスクウェア・フォーマットというのは、そんな意味深な空間を捉えるのに調度よいのかな、という話です。

 さて京都市内も桜は満開。今年は早いですね。先日飲みに行こうなんてお誘いもあり、骨折した指を引きずりつつでかけるあたりは我ながらの根性がいやらしい。昨日は医院で、安定している、という評価を得て、カルシウムのサプリメントと牛乳が効いたか。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,プラスX

 

 

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番外編328. 二眼レフ再考3.

2018年03月29日 | Tsukuba

 今の時代にフィルムカメラの二眼レフについて書くのですから、それ自体を知らない世代が増えているので、まわりくどい書き方になります。

 被写体のアップはできるのか?。最短撮影距離1mですからマクロレンズではありませんし、レンズ交換も一部の機種を除けばできませんのでマクロ撮影はできません。でも被写体によっては、マクロ的な撮影は考え方によって可能ではないですか。

 ここでは、葱坊主をアップで撮影しました。背景のボケ方は自然ですね。いわゆる背後などのボケは大変綺麗ですし、逆に画面全体にピントを行き渡らせれば、ものすごくシャープな画像になります。このあたりが、二眼レフの魅力かな。

 さらにいえばこの頃の証明書用写真は、二眼レフで撮影していた。ネガをそのまま引き伸ばし機を使わないで密着プリントですから、大変画像がシャープなのです。ネガサイズ6×6cmにたいし、証明書用写真が3×4cm程度ですから密着プリントでゆけるわけです。今にしてみれば、かなり贅沢な証明書用写真になります。

 ちなみに私の実家は、小学校6年頃まで写真屋をやっていた。当時はライツのコピーの国産カメラなども販売していましたが、たいした利益にはならなかった。その後プリント屋に転じてなんとか商いが続いたわけです。ミラノフォトサービスという名前でした。プリントの職人さんを雇い、そしてお袋が証明書用の写真撮影をしていました。写真屋とはいえ、同時高かったRolleyなどを買う余裕はとてもなく、その頃一番安かったRICHOの二眼レフでした。その二眼レフを構えてお袋がエイッ、ヤッという感じで撮影していたわけです。そんな体験があるから、このブログで写真の話題が多く登場するのもDNAのなせる技でしょう。

 でっ、もちろん家は豊かではなかったから、その後私はいつもお下がりの標準レンズばかり。嫌気がさすほど標準レンズだったですもん。だから今では機材マニアにもなっちゃいますよ(笑)。

 それはさておき、二眼レフは一部を除き標準レンズしかありません。それも潔すぎるわけです。だから機材を抱えて後ろに下がったり前に出たりでファィンダーの視界を調節する、つまり人間がズームだったわけ。それでも正方形というプリミティブな視界は、とてもアーティスティックで、今でもひかれるものがあります。正方形という幾何形体は、こだわり続けたら奥が深いです。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,Velvia100F

 

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番外編327. 二眼レフ再考2.

2018年03月28日 | Tsukuba

 これ位の画像になると、もとのネガからプリントすれば大きく引き延ばして額縁に入れて部屋に飾っておくのがよいかも。アチャー!、もとのネガは捨ててしまったけど。きっと空のトーンなんか綺麗に出ていたはず。

 つまりよい光が絶対条件になる。そうでないときは撮らない。それぐらいメリハリのあるとらえ方が必要になり、機材の高性能を振り回して何でもいつでも撮ればよいというものではない。せめて太陽のない夜なんか撮ってももしょうがないでしょう。夜は生活を楽しめ、癒やせの時間だよ。

 面積で比較するとフルサイズに対して二眼レフは約4.3倍の面積があります。だからフルサイズ36×24mmでEOSクラスで2000万画素とするれば、6×6cmはその4.3倍、つまり解像度8,600万画素という値になります。今そんな超高画質デジカメはコンシューマ向けでもプロユースでもありませんが、二眼レフの6×6ネガがいかに高画質かということです。

 撮された画像は見応えのあるアートです。だからそれなりの額装もあったほうがよい。そんなわけで手間はかかりますが撮された画像は圧倒的に美しいと私は思います。

 あとはプロラボ探し。東京銀座なら写真弘社があります。大都市部にある堀内カラーでもよいでしょう。フィルム現像したときに同時に高解像度でデジタルデュープ化(解像度をあげると高いですけど)を依頼する方法もあります。この画像は、私がE-M1mk2で自前でデジタル・デュープをしたものです。

 懸念材料は修理専門の関東カメラサービスが閉店、もう一つネガを保存するデザインのよいネガファィルがなかなかないということ。だけどこれだけ高性能でシンプルな構造でしょう。使いみちはあると思われます。二眼レフは、なんといったって持っていて格好がよいですから。

 さて京都市内の桜は満開です。満開ラインは、このまま北へ駆け上がってゆくのでしょう。まあ都心部の桜の見頃は今週末まででしょう。来週はもう散っていると思われます。今年は桜がピンクのつぼみを付けたと思ったら一気に開花ですから開花が早いようです。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,プラスX

 

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番外編326. 二眼レフ再考1.

2018年03月27日 | Tsukuba

 SONYツァイスを持って春の京都徘徊は、足指骨折で少しの間無理だろう。だから先日デジタル化したネガ画像からピックアップ。

 画像は、私が筑波大学の研究室で博士論文を書いていた頃、滞在していた筑波のアパート。その名もハッカー・アパートメントという。下にワーゲンゴルフなどを販売しているディーラーの居宅付き。ここのアパートは、東京の建築家が設計したとあってとても快適な上に、カラフルでそれが毎日の刺激になって大変心地よいデザインです。

 そんなは話はおいといて、6×6版のネガの画像からアップさせよう。今のデジタル機材のフルサイズ規格の原点といえる135フィルムがありますが、今回はそれよりさらに大きい6×6cmサイズの正方形の画面を有する中判ネガフィルムを用いた機材=二眼レフがあります。だからその二眼レフもフィルムに合わせ大きいわけ。その分大変綺麗に鮮明に撮影できるわけです。

 そうした二眼レフ使いのフォトグラファーは数多く、このブログではビビアン・マイヤーを取り上げた(2016年5月3日)。この画像で彼女が抱えている機材が二眼レフ。彼女は家政婦の傍ら日々の日常生活を二眼レフで撮影し、近年その作品が発見され人々に認識されてきました。

 その幾何形態の原点の一つである正方形というプリミティブな視覚が、構図や納め方などを考えさせられますし、モダンアート的或いはクラシック的視界といった具合に、どんな場面でも絵にしてしまうところが正方形画面の特性なのかな。それとファィンダースクリーンには左右逆の画像が表示されますから、そのあたりは慣れが必要です。従って人間の感性を鍛えてくれます。今でも愛用者は一定数いると思われます。デジタルに飽きたら二眼レフなんか考えてみる・・・、それは新鮮な体験だと思われる。    

 Rolleflexが著名なブランドですが、Rollecordなど機種も多く値段もピンからキリまで。私のは5万円以下だったと記憶しています。

 銀座三原橋の三共カメラ本店に行けば中古品がずらりとあるはずです。WEBでみると中古のローライフレックス3.5E、プラナー75F3.5付き、つまり一番新しいタイプで中古美品が税込み97,200円は安いでしょう。私などは、もう少し昔の露出計のないものの方が好み。ローライはツァイスのレンズが圧倒的に多く、そのほかシュナイダーなどもあります。もちろんフィルムは今でも12枚撮りが手に入りますから、アングルを探し、光を見極め、よく考えて構図を決め、露出とピントを合わせ、ここぞというときにシャッターを押す。 いまの頭を使わないアホタラデジカメとは大違いです。今は注目されていませんけど大変捨てがたい機材です。

 撮影後のフィルムは、モノクロだったら勉強すれば自分でも現像ができますが、プロラボに発注し、お気に入りのカットは大判プリントを依頼すればよいでしょう。額縁に入れると大変迫力があります。

 なぜか二眼レフを使うと、頭をさげて撮影するスタイルが被写体に対して礼儀をつくすようでもあり、撮らせて頂くという気持ちになることが精神的に心地よいのです。昔撮影機材はRolleyだけという若い女の子もいました。これがまたよく似合うんですよ、いまのファッションにも。

 さて私のRolleiflexは動くだろうか。SONYのクレイジーデジ機材を露出計代わりのサブにして、なんていうシステムも面白い。でっ、その二眼レフのフィルム画像をデジタル・デュープすればブログに使えるのですから。

 二眼レフが使えるのか考察したことについて、それについて5回のブログでアップさせてゆく予定。

 

1995年筑波市春日、ROLLEIFLEX,Zeiss Opton Tessar1:3.5 f=75mm,Velvia100F

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ZEISSの空気3. 静物でも・・・

2018年03月26日 | Kyoto city

 足指骨折で出歩けないからツァイスで静物でも撮ってみよう。結果はトマトの赤をだすためには+0.7の露出補正が必要だった。マクロレンズではないので、この辺りが近寄れる限界。まあ可もなく不可もなくおいしそうなレッドになったかな。どこがZEISSの空気だか(笑)。機材としては小さいのが取り柄。

 ただ思うにα6000は画素数2,430万画素と画素数が高すぎます。このくらいなら1200万画素の方が画像はより綺麗。実際フルサイズα7Sは1,220万画素。私のフルサイズEOS1Dsをはじめ、プロユースの機材は大体2000万画素止まりだから、それより小さなAPS-Cサイズの機材がフルサイズ機材を超えているわけでしょう。そのあたりもクレイジーな機材である所以かもしれません。だから画像は10年前に開発されたEOS1Dsの方が綺麗です。α6000のよいところは小さく軽いこと、そしてツァイスのレンズ(どんな写り方をするの、まだかわかりませんが)があること。

 画素数を多くすると画素ピッチが小さくなり光情報をとる能力が落ちます。にもかかわらず、えいやっ!、という感じで自家製撮影素子とプログラムにモノをいわせるあたりもクレイジーですね。iPhone6もSONY製撮影素子を使っていますが、それでも800万画素どまりではなかったかな。だから綺麗なのです。いまだに高画素数=高画質という間違った認識が社会的に多いのかもしれません。だから高画素、高画質なんていう間違ったプロモーションをみると俄然とします。そうした制約を飛び越えるのが裏面照射型センサー搭載のα7RⅡでしょう。

 まあクレイジーな機材にツァイスですから、どんなんかなぁーというのを探るのは楽しみです。最初は標準レンズ1本でと思っていたのですが確定申告の還付金があることもわかり、ニコンもなかなか出ないし、もし出なければDfにするだけだし、その合間にまあ一寸ツァイスを堪能してみようかと・・・。

 

SONYα6000,Vario-Tesser E 4/16-70 ZA OSS

ISO500,70mm,露出補正+1,f/5.6,1/125,スタンダードモード

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ZEISSの空気2. クレイジー描写

2018年03月25日 | Kyoto city

 ツァィスではなく、商売敵のライツElmarit28mm/F2.8レンズで撮りました。だから本来ならば見出しをLeitzの空気とかドイツの空気にすべきでしょうけど、今後SONY製ツァイスを使う機会が一番多いだろうという予測からタイトルはそのまま。このライツ・レンズは、フィルム時代に一番多用しましたが画像が綺麗なのです。でっα6000につけてみた。

 何これ!?、といわんばかりのシャープさ。ライツですから曇天のドイツの空気も感じさせてくれるはずですが、そんなものは知らんといわんばかりのカリカリのグレイジー描写。それ自体はiPhoneなどで見れば綺麗に見え、Instaglamなどに投稿するときはよさげだ、というありたから思うにスマホでの使用を大前提に考えているのでしょうか。

 多分SONYは彩度がものすごく高い設定になっている。だからツァイスレンズでは、+0.7位の露出補正をして撮影するかなと考えています。

 フィルム時代でも、これほどのカリカリ描写はありませんでしたし、歪曲収差も修正しているからSONYプログラムのなせる技でしょう。このあたりの傲慢さがSONY。だからガラス玉なら何でもいいからさボディの前に付けといてよ、あとはプログラムでやるからさ・・・そんな傲慢さ。まあうるさいことをいわなければ、とても鮮明な画像なのだけどElmaritではないような画像でもある。

 まあ面白いからクレイジー描写のα6000を、もう少し使い込んでみようか、フルサイズ・ニコン・マイクロフォーサーズが出るまでの間のリリーフですけど・・・。

 

京都市出来町通

α6000,Elmarit28mm/F2.8,ISO1250,露出補正0,f/11,1/400

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ZEISSの空気1. クレイジーな機材

2018年03月24日 | Photographic Equipment

 やはりα6000にはツァイスか・・・。でっ、Vario-Tessar E 4/16-70ZA OSSというツァイスのレンズが届いた。本来ならば手元にレンズが揃っているPEN Fの方が合理的システムだし、Vario-Tessarという名前がすきになれませんけど、まあ先端技術の恩恵にひたりたいという意識もあってα6000を使ってみようか。ボディが安かったしというのがことのはじまりだけど。

 届いたレンズをα6000につけてみると意外に軽く(軽すぎるぐらい)散歩に持ち出すのによさげた。少しテスト撮影すると、シャープの設定が異常なまでに強いこと。それはニッコールレンズのバキンとしたシャープさとは異なり、SONYブログラムで強引にシャープにしたかのようだ。何しろライツの癖玉ズミクロン35mmの古色蒼然とした色を飛ばしてしまうぐらいだから、どこか強烈で傲慢なSONYプログラマーに従属させられる気分にしてくれる。結果としてパッとみはよく素人受けする画像だが、しばらく撮影すると飽きる画像でもありそうだ。だから初見ではクレイジーな機材だと書いておこうか。さて少しクレイジーにつきあって使い込んでみようか・・・。

 カールツァイスは、かって京セラがコンタックス・ブランドを販売していたから京都人にはなじみやすい。個人的には、かってのコンタックス・プラナーが素晴らしい発色をしてくれた経験があり、これで本を作るときに随分撮影したが、その後デジタルの世界から撤退した。今はSONYが再来してきたので、再びツァイスの色を楽しみたいところだが、さてどうかなと半信半疑!?。クレイジー機材が、そんな期待に応えるとも限らないが、カールツァイスの空気を感じたいという思い入れを込めてタイトル見出しも新しくした。つまりα6000をテーマにしたり、これで撮影したというのが定義で、ときにはツァイス以外にライツで撮ったりもするけど。

 さてツァイスで雨の高台寺の庭などを試し撮りをしようと考えていたのにさ・・・足指骨折で出かけられませんわ。

 

OLYMPUS OM-D E-M1Mark2,LEICA DG MACRO-ELMARIT45mm,f2.8

ISO6400,露出補正-0.3,f/8,1/40

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番外編325. α6000、マニュアル・ピントの設定方法

2018年03月23日 | Photographic Equipment

 α6000シリーズでマニュアルレンズを用いてピントを合わせる方法は2つ。一つはファインダー画面拡大、二つはピーキング。両方使いも可能。

1ピント画面拡大

MENUキーを押し※(歯車)画面

no3.レンズなしレリーズ:「許可にする」

no1.ピント拡大時間:「無制限」

no6.カスタムキー設定:「ピント拡大→C1(他のキーでも可能)キーに登録する」

操作するときはC1キー2度押しで5倍、3度押しで11倍、シャッターでもとに戻る。

 

2ピーキング

※(歯車)画面

no3.レンズなしレリーズ:「許可にする」

no2.ピーキングレベル:「切、低、中、高」の選択。

no2.ピーキングの色:初期設定は白

 

 尚※no1MFアシストはEレンズの場合だけなので使えない。ピーキング表示は、画面が煩わしい上にどこにピントがいっているかが厳密にはわからない。私は前者の方法を用いている。

・・・このようにまとめておいて、あとで自分で活用しようというメモ。

 まあ暖かくなるし、街歩きとダイビングの日々に戻ろう・・・と思っていたら、先日夜中に家の椅子に足先をぶつけ強打した。なにしろ椅子は松本民芸家具だから重いさ。それで冷やしたけど痛みがひかないので、近所の整形外科医院に出かけ足の指のレントゲンを撮影した。先生が嬉しそうに「折・れ・て・ま・す」だって。全治二ヶ月。余の人生で骨折り損はたくさんあるが、骨を折ったのは初めてさ。なんだよダイビングも街歩きもできないじゃないか。せっかくZEISSレンズが届いたというのにさ。二ヶ月も静かにできる性格ではないから、さしあたり一週間だけは静かにしていようと養生に努める。

 

京都市四条通

α6000,Leitz Tele Elmarit90mm/F2.8,ISO100,露出補正0,f/5.6,1/60

 

 

 

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番外編324.  Leitzレンズで・・・

2018年03月22日 | Kyoto city

 さて、SONYα6000という格安調達のコンパクトデジタルカメラの亜流みたいなのが使えるんですかねぇー。なにしろファッション・ブランドはいいけど、通例ファッションという言葉がついたときからメカはアカンですからね。

 ならば好きになれないLeitz Summicron35mm/F2.0などをα6000に付けてみよう。なにしろカラーフィルムがなかったライツM3時代のレンズ。ドイツのWETZLAR製だから、ライツマニア垂涎のレンズだが、オリンパスでは古レンズ固有の発色で写りはもう最悪でした。それでいて、突然シャープなピントが来たりと、もう気まぐれレンズ。ライツマニアのために社会へお返ししようか・・・。ニューヨークのウッドゥンカメラで日本の半額、それでも10万はしましたけど。もちろん数値がごてごてと書かれてあるライツレンズとすっきりとしたSONYのボディとでは、デザインが合いませんからダサい組み合わせなんだけど。

 さてこのLeitzレンズはSONYα6000のボディでどうか・・・。

 あら、古レンズ固有の色かぶりはどこへいったんだろうか、Leitzですから当然シャープですけど、それが低解像度のブログで伝わるかどうかはわかりませんが、今の画像に近い。こういう写り方をしてくれたデジタル機材は始めてだ。よくみると古ライツレンズの癖が微かに残り色が少し地味かな。それにしてもSONYのカラープログラムの力なのだろうか。それに歪曲収差の補正もボディ側でやってしまうので建築を撮ってもよいのではないか。

 ならばSONYには、ツァイスのズームレンズがある。使っている人は多いのですが素晴らしいという声はあまり聞こえないので私は関心外だったが試してみるかなぁー。

 なにしろニコンのマイクロフォーサーズはいつ登場するかわからない。でたところでデザインが気に入るとは限らない。フィルムからデジタルに移るときも、ニコンはなかなかデジタル機材の決定版をださなかったから、私はニコンからEOSにいっちゃった経験がある。いっちゃうのは正解だったけど、それで高画質レンズなどを揃えちゃうと、もうそのシステムから抜けられないですね。そうやってメーカーに捕まるわけです。

 さて京都も、今週は太平洋側に前線があるので雨模様の一週間でした。今のうちにタップリお湿りを頂いておこうと思います。来週から一気に暖かくなる予報です。鴨川では、早咲きの桜が少しあります。一気に暖かくなり一気に桜が咲くのかな。

 

京都市七条通

α6000,Leitz Summicron35mm/F2.0,ISO100,露出補正0,f/8,1/125

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番外編323. 東京都港区元麻布その3.

2018年03月21日 | Tokyo city

 なんとものどかな路地の風景だ。この路地が両側の長屋風建物の共通の縁側なのである。洗濯場になり、催事の場になり、日光浴の場になり、子供達の遊び場になるといった具合にである。それは近所のマンションなどにはみられない大変豊かな空間だ。そうした空間が六本木界隈の真ん中にある。いや、あったと書くべきか・・・。

 遠くに見えるマンションと路地長屋とどちらが豊かだろうかといえば、当然こちらの路地長屋である。

 路地というマージナルな空間が、公私を明確に分類するマンションの空間にはないからだ。本来私達の生活は、公私といったカテゴリーで明快に分けられる暮らし方ではない。公私がわけられているから、仕方なくこれにつきあっているにすぎない。公私からはみ出す生活というものも多々あり、それを受け入れられる空間が必要なのだ。それがこの路地だろう。

 不動産屋的にみると、マンションよりはこちらの路地の方が資産価値が高い。マンションの土地共有で世帯当たり1坪の土地ぐらいしかない不動産に比べれば、こちらは平屋の住まいの生活機能分の敷地を保有していることになる。木造平屋建てであるというのは好都合であり、建築の外部や内部はいつでも簡単に最新型の設備に入れ替えられる。そうすればマンションと一緒の快適さが実現できる。つまりこうした木造建築の方がフレキシブルに対応できるわけだ。

 

1997年東京都港区元麻布

MinoltaCLE,Leitz Elmarit28mm/F2.8,トライX

 

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番外編322. 東京都港区元麻布その2.

2018年03月20日 | Tokyo city

 これも1997年に東京都港区元麻布で撮影した画像だ。とても都心には見えないけれど右下の看板にも港区とあるように、ここは六本木界隈の街の中にある。こうした空間に入り込んでしまうと、都心にいるという空気は皆無であり、どこかの田舎にいるような気分になる。そんな地形的にくぼんだこの土地をみていると安部公房の小説「砂の女」を思い出していた。

 私の仕事場は西麻布だったから元麻布は隣町であり、ほどなく六本木の交差点にゆきあたる。六本木の街を歩いていると、昔からの酒屋さんなどの古店がビル群に埋もれて散見する。本来はこうした店がこの街の住民達の生活を支えていた。

 それに空間は、どんなに都心であっても建築や樹木や植栽などで囲んでしまうと別世界をつくりだすことができる。そのあたりは空間づくりの技なのだ。そんな技を持ち出すまでもなく、昔から棲んでいるからこのような風景のまま時間が止まっていた。たからそのまま触らずにそっとしておいてほしいのだが、多分お節介な部外者がこの街には多いだろうな。

 こうした都心にありながら、そこだけ異質な空間が存在するという構造は、京都市内では結構みかける。例えば四条烏丸の交差点のすぐ近くにありながら、路地をゆくと静かな場所にたどりつく。それは芝居の舞台を裏返したような不思議さもあるが、私達が暮らしている空間とは、そんなふうにどうにでも作り替えることができる。大体は良好な環境を壊して新しくつまらなくなるのだが・・・。

 このころのネガをデジタル・デュープをしていると、MinoltaCLEとLeitzM4-P、それにトライXを持って東京の街を走り回っていた事が多い。そのデュープの作業もようやく終わりに近づいてきた。約15,000枚の画像をデジタル化したが、ブログなどにチョイスするのが大変そうだ。それ以前に何が面白いんだ、という問いもある。まあ書架が少し整理されたのが一番大きいのだろう。

 

1997年6月東京都港区元麻布

MinoltaCLE,Elmarit28mm/F2.8,トライX

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番外編321. 東京都港区元麻布その1.

2018年03月19日 | Tokyo city

 モノクロフィルムのデジタルデュープをしていたらこんな画像がでてきた。画像は、1997年6月に撮影した東京都港区元麻布だ。六本木の交差点から東京タワーが見える方向に歩き、ロアビルの角を曲がり、鳥居坂下を横断し、少し複雑な道をゆくとマンションで取り囲まれた窪地状の地形に、現代とか私達のイメージから取り残された空間にたどり着く。これでも一応六本木界隈だ。

 Googleでもこの路地は撮りそびれるほどいまでもマイナーな空間だ。そのGoogleで上からみると住まいの多くが建て変わっており雰囲気も当時のものではないかもしれない。だからこうした風景は、もうみられない可能性が高い。だが居住環境としてみれば、ここはとても快適なのだろうと推測される。なにしろ周囲のマンションが風を遮るのだから台風の時でもここは静かだし、掃き清められた路地をみていると、コミュニティもしっかりしているのだろう。

 1980年代後半から西麻布で仕事をしていたから会社の周囲は週末の散歩コースだった。散歩に疲れたら会社戻って珈琲をのみ、誰かのお菓子をつまむなど、仕事で忙しいということもあったから休日でも出社してくる社員がいて結構便利な会社だった。もちろん六本木界隈で遊ぶときの足がかりにもなっていたのだろう。六本木の界隈を歩き出すといろんな思惑と都合と欲望とがクロスする面白い街だった。

 このブログでは東京の街はあまりアップさせていないが、大半はネガで撮影していたからだろう。現時点のWEB画像ではつまらないので、少し昔の東京の街でもアップさせよう。といっても東京は結構多様なのでエリアを絞りながら気が向いたらだけど。私が見た、そして棲んでいた東京というわけだ。

 

1997年東京都港区元麻布

MinoltaCLE,Leitz Elmarit28mm/F2.8,トライX

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番外編320. ファッションとしてのミラーレス

2018年03月18日 | Photographic Equipment

 トゥモローランドのグレーのコートにローファーを履き、渋赤のセリーヌのバックを肩にかけた少しキャリア風の若いお姉ちゃんがSONYの6000シリーズにカールツァイスのズームレンズを付けて・・・、SONYにはそんなファッション・イメージがよく似合う。

 だからSONYのミラーレスで、こんなことするのはダサいですよという見本が今日の画像。なにしろツァイスの商売敵であるライツレンズだし。手元にあったレンズをかき集めて小さなSONYシステムにしてしまった。APS規格だからレンズの焦点距離×1.5倍として換算すると24mm、42mm、52.5mm 、135mmとなり広角から望遠まで揃ったけど・・・おおっ、ださ!!。

 こんなことを昔もこのブログで書いていた。本格的なミラーレス一眼レフのPanasonicGF1が登場したときだった。純正ライカマウントや外付けファィンダーまで用意されていた軽量システムであり、本ブログ2009年10月24日〜11月2日がそれで、各レンズの評価もそのときに書いた。

 なんで突然SONYかというとキャノンやニコンでは体験できない、撮影素子の先端をゆく裏面照射型COMOS撮影素子と位相差検出方式のAFを一寸体験してみたかっただけなのだ。

 それにニコンがなかなかフルサイズミラーレス一眼レフを出さないので、待ちきれないから一寸SONYにしておきますか。というわけでこのシステムを少し使用してみると、バッテリーの消耗が早そうなので充電器とバッテリーを追加しなければ。とにかくニコンミラーレスの代用で散歩に持ち出せる軽い機材を揃えた。

 キャノン=ユニクロを着ているもろファミリー、ニコン=どんくさい叔父さんかくそ真面目な研究者、オリンパス=猫好きの叔母はん、とくるとSONYとツァイスレンズとくれば、やはりファッショナブルなキャリア風のお姉ちゃんでしょう。ファッションとしてのミラーレスというブランド的な切り口があると思うけどな。

 さて明日からは、3回ほど東京で私が仕事をしていたあたりでもとりあげようかな。

 

iPhon7S,ISO50,f/1.8,1/50

 

 

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Nikon Freak163. 風化

2018年03月17日 | field work

 例えば第二次世界大戦とか阪神大震災とか東北大震災の災害の記憶を風化させてはならないというフレーズを、しばしばマスメディアのニュースで聴いたりすることがある。事実を風化させてはならないことも、まだ時間がたつと人々の記憶から消えてゆくことも現実だが、どうも意思表明だけしてあとは知らんですませいたい文化系的気質が濃厚だ。

 何を風化させてはいけないとする最大の評価基準は、

「後世にどんな教訓あるいは知見を伝えて行くのか」。

 つまり一言で何を伝えるのですか?、問えば、後世のどんな人々にも記憶にのこるように○○○○です。と明快に応えられなければならない。その一言を抽出するために科学や工学の知見を用いて事実の解明や検証を行う必要があるということは先日のブログでも触れた。

 自然災害や戦争によって、人々が悲しい思いになるのは現代人だけではない。世界は戦争の歴史であるし、京都だって応仁の乱が長く続き町の9割が灰燼に帰すという経験をしてきた。古来から戦争や自然災害で多くの悲しい経験を人々はしてきた。科学技術がなかったころは、そうした人々を救済するために宗教がその役割を果たしてきた。現代では科学技術があるのだから、自然災害なり事件に発展したメカニズムを明らかにし、得られた知見を後世に伝えるべきだろう。それが風化させない唯一の方法なのである。

 毎日新聞朝刊2018年3月15日31面見出しをみると「ホーキング博士死去76歳車椅子の天才物理学者」とあった。なんとも古くさい見出しと記事だが、アカデミズムの世界で天才という言葉は定義が不適切なので使うことはなく、先駆的理論の提唱者といういい方をする。先駆的理論の提唱者なら分野を問わず世界中に数多く存在する。そのなかで彼に着目するのであれば、本来なら全ての研究実績を紹介すればよいのに、そんなことは著書1冊のみあげてお終いという記事から察すれば、ああっ、マスメディアはそんなレベルでしたかと思わざるを得ない。うがったみかたをすれば、彼の実績は本1冊でしたかと思われる書き方だ。

 もちろん彼の全ての研究実績を紹介すれば社会欄が埋まるだろうけど、それで良いのではないですか。森友問題などという他人の財布の中身の話よりは有益だよね。国会もそんなにつまらない問題の究明ばかりしていないで、日本の国際的格付けが上がる方法でも議論したらと思うのだが。その方が年金の不足を株や投資でまかなおうとするリタイアメント達にとっては有効だと思うけどな。どうも数式で説明できない文化系的世界のやることは、よくよくわかりませんね。

 さて話題が堅くなったので、既に廃線になった関東鉄道のレイル・スケープでもあげておこう。ホームが一つあるだけの駅舎だが、背後の大きな樹木群が素晴らしい駅の環境をつくっているのではないですか。

 

関東鉄道筑波線

NikonF,AutoNikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

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