Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

セカンドライフ sonicmart制作記19.

2007年09月19日 | Design&3DCG
 セカンドライフは、個人で楽しむバーチャル・ゲームなのか?或いはバーチャル・ゲームと違うのか?こうした疑問について、セカンドライフ(SL)のシム全体を制作し、運営してゆく際の事業収支=フィジビリティ・スタディ(FS)でみてみよう。SLの特徴的人間関係であるコミュニティという視点に着目し、例えば友人同士でシムを共同制作運営する場合を想定した事業のコミュニティモデルを前提とした。シム事業収支に関する私の試算結果を以下にまとめた。試算前提として、コミュニティ・モデルであるため、シム制作は、出資者コミュニティ自らがボランティアで行うこととした。リンデン社関連の金額は、公表価格とし1$=120円で計算した。SLの個人会費は含まない。

【コミュニティモデルの試算】
1.資金調達
a)ファンド10,160円×30人=304,800円

2.イニシャルコスト
b)シム購入費 234,000円
c)制作期間2ヶ月分のサーバー使用料35,400×2=70,800円[注1]
d)合計 304,800円/年

3.ランニングコスト
e)リンデン社サーバー使用料 424,000円/年

4.運営収入計画(設定値)
f)エキジビジョン使用料 50,000円/月×2回=100,000円
g)建築賃貸使用料 12,000円/年×30棟=360,000円
h)合計 460,000円/年

5.初年度収支
i)初年度粗利益 35,200円/年
j)ファンド分配金(粗利の10%で設定) 3,520円/年
k) ファンド分配金口数金額 117円/年・1人(利率1.17%)
l)純利益:31,680円/年

6.初期投資の回収年度
m) 10年度目(l)/a))

 収入計画は、友人同士でシムを運営した場合の、事業成立可能な、最小限値を設定した。これ以下の値では、事業は成立ではないので、損益分岐点近似モデルという性格である。詳細でみると、イベントや展示といったエキジビジョンは、年2回誘致するための営業活動をボランティアで行うことか必要となる。ファーストライフ(FL)での画廊使用料が50,000円/週であるから、SL上で行う場合は、 例えば期間を半年としたり、十分なシムスペースを用意するなどの インセンティブを借り手に対して与える必要がある。また建築はコテージ等の賃料収入であり、現在土地賃料が1,700円/月と比較して、制作済みの建築賃貸は比較的有利かもしれない。
 CGやスクリプトの書ける30人の友達が集まり、最初に1万円を出資し、シムを制作したり、エキジビョンや建築賃貸の誘致活動をボランティアで行えば、個人単位でシムの運営に関われるということがわかった。
 コミュニティで会費制30人で運営を続けるならば、初期に約1万円相当を支払い、その後毎月1180円/1人でシムを維持できる。
 さらに道楽で行いたい個人の場合は、初期投資23,400円を支払い、毎年424,800円を払い続ければよい。一月35,400円である。
 ランニングコスト1ヶ月の費用である35,400円を、家計消費年報[注2]の1世帯1ヶ月当たりの消費支出額と比較する。大都市部における家電等の平均消費支出金額が6,769円、国内・海外旅行支出額7,190円、インターネット支出額3,618円であることから判断すると、個人道楽では高い金額である。
 このように運営面からみると、SLが単なる個人ユースのバーチャル・ゲームではないことがわかるだろう。コミュニティ・グループ、或いはより大きな事業規模を有する企業ユーザーの利用を想定し、ゲーミング感覚を取り入れた3DCGネットワークの、プラットフォームだということがわかるし、それ自体がパーソナルユースのバーチャルゲームとは異なるのである。

注1)シム購入後制作中もサーバー管理費が発生する。しかも制作中故、この時期は、収益をあげることができない。事業者としては支出のみの経営を余儀なくされ、大変辛い立場である。ファーストライフでも同様のことが起きる。そんな事業者の立場を無視して、建築家や建設業者は、十分設計期間だの建設期間が欲しい、といった注文を平然と出す場合がある。これをみていると総じて建設業界というのは、自分の都合しか考えていない連中の集まりだということがよくわかる。
注2)総務省統計局:家計消費年報,平成18年度版.
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セカンドライフ sonicmart制作記18.

2007年09月16日 | Design&3DCG
 個人的知見だが、セカンドライフ(SL)の運営を行おうと意図したときに、日本では、インターネットに於ける大きな障害或いは特殊性があることを認識すべきだと私は考えている。大きな障害等とは、日本社会及び日本人自身の後進性と閉鎖性である。
 1980年代、日本の大学のコンピュータは、既にLANでネットワークされていた。ここまではよかった。1993年にアメリカのゴア副大統領が光ファイバーを中心とする情報ハイウェイ整備を宣言した。依頼アメリカ社会は、急速にネットワーク網が整備され、きわめて短い時間でインータネット社会を構築した。1995年4月、私が、博士論文を書くため筑波大学の研究室に戻ったときには、既にLANが敷設されていた。まだWindowsが販売されていないこの時期、MacintoshのPCには、10BASE/Tのイーサポートがあった。当然WEBでは、大学がプロバイダーとなり、無料のネットーサーフィンが可能であり、ソフトはMosaicからNetscapeに移行し、世界のWEBサイトをサーフィンできた。メールはスタンフォード大学が、ソフトウェアを公開していたし、チャットもあった。現在のネットーワークの基本形は、この時期に形成されており、世界はネットワーク社会に突入していたのである。
 当然私もPowerPCを積んだMacを駆使したネットサーファーであった。ホワイトハウスに始まり、世界の研究所や美術館を駆け回り、難解言語に困惑しつつ、最後は、既に相当数のサイトが存在していたアダルト系まで、夜を徹してWEBを徘徊していた。世界丸ごとネットワークに乗せてしまったというのが、私の実感であった。面白かったのは、当時日本社会でヘア出しヌード解禁が取りざたされている最中に、ヘアはおろか、濃密に絡み合っている本番画像などがあるWEBサイトは、至る所にあり、飽きるほど見ることもコピーすることもできた。私は、既に国内での法律やヘア議論等なんの意味もないと思った。それが今から11年前である。
 1996年頃日本でも、全国的インータネット網整備が始められた。だがその仕様は、低規格の電話回線ADSLだという、日本の社会は大変な誤算をしてしまった。それに私は愕然とした。実際光ファイバー網が日本で普及するのは21世紀になってからであった。1997年には、私が関連する都市開発分野では、開発途上国の情報ハイウェイ整備が盛んであった。例えばシンガポールでマルチメディア・スーパー・コリドールの整備が進められている情報を聞いたとき、日本は世界から、遅れに遅れたことを実感した。アメリカに遅れること10年、アジアに遅れること5年である。インターネット社会において日本の現在の実態は、あきらかな後進国、或いは開発途上国なのである。そうした後進性故いまだに私はプロバイダーに使用料金を支払わされているが、私の認識では、インターネットは、ただなのがあたりまえである。
 国境や国家や異なる社会や文化を越えたコミュニケーションや情報受発信に、インターネットの存在価値がある。従ってSLの制作において、用いる言語は英語表記であり、またシムの紹介、土地建物の賃貸プロモーションも全て英語でなければならない。マナティー・リゾートでも、私達は当初全て英語表記としていたが、その後、日本人利用の便宜をはかり日本語併記仕が多用されていた。私は、こうした便宜が、全く意味をなさないと考えている。その理由は、日本人の行動が限定的だからである。日本人は、JAPANと書かれたシムに固まりがちだ。率の高いキャンプや、制作コンテンツの方法等の情報交換、話題シムなど一通りの体験をすると、飽きられてしまい、それ以上の行動に展開されない。例えば外国人の友達をつくり、異文化コミュニケーション、探検やツアー、遊びから文化や科学的満足のための行動、将来のシムへの投資等々・・といった日本人の行動は少ない。行動の狭さは、言語の壁もあるが、SLが日本上陸してまた日が浅い初期状況と私は推測している。こうした行動の限られた、言い換えれば、資金がない、遊ばない、コミュニケーションしない、お金を落とさない、そんな利用者を想定していては、シムの運営は成立できないのである。
 シム制作における訴求対象は誰か?・・・と問われれば私は、日本人以外と応えるだろう。
 もう一つ日本の後進性と閉鎖性を顕著に示す実例をあげておく。それは最近Apple社が開発販売しているiPhonのことである。iPhonが採用している通信規格GSM/EDGEは、アメリカでは一般的だが、日本とは異なり、現在そして近未来においても日本国内は利用できない。
 これまでに日本がやるべきだったことは、iPhoneを上回る魅力ある商品を開発し、Appleに先駆けて販売し、日本の規格を海外に展開してゆくべきだったのである。だが日本の製造業が行ってきたことは、ステレオタイプ化した携帯電話に、重要性の低い機能を貼り付け、販売しただけであった。早晩日本の携帯電話機市場も海外では通用しないので、縮小してゆくのは必須である。日本は、先進国のなかでインターネット社会に遅れること11年、今やモバイル社会にすら遅れつつある。
 インターネット社会の形成、そしてSLの登場が、私達に教えてくれたことは、ただ1つ!。日本人は、日本人にしがみついていては、アカンということだ!!!
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セカンドライフ sonicmart制作記17

2007年09月14日 | Design&3DCG
 このプログもこれ迄は、ハードな仮想環境制作の記述を主としてきた。今日以降は、もう一つの重要な制作要素である、運営或いはビジネスモデル構築といったソフトの視点から、幾つかの知見や考察を述べてゆく予定である。
 上図マナティー・リゾート・シンボルキャラクターの背後に見られる一連の「Shigurui」サインは、「こけらおとしイベント」開催準備作業中の様子である。「Shigurui」は、南條範夫原作[注1]、山口貴由の劇画[注2]よる青春残酷時代劇である。このコンテンツを、WOWOW社がTVアニメ化のために制作したタイミングを捉え、オープニング・イベントとして、このシム・オーナー企業であるデジソニック社によって企画された「こけらおとし」である。
 私がこの企画に関心を持った点は、「サムライ」、「ハラキリ」という実際の世界で知られている概念を劇画の題材としていることであった。セカンドライフ(SL)は、世界各国の映像文化アイデンティティ集積の場である。残酷西部劇がマカロニウェスタンといった具合に、 青春残酷時代劇は、日本のアイデンティティの1つといえよう。我が国固有の映像文化アイデンティティ展開は、仮想国際社会を基調とするSLにおいて、個性ある有効な方法だと思われた。実際にこの企画とプロモーションは、狙い通りとなり、 開業直後に外国人ライターが訪れ、SLの海外WEBジャーナルのAmbling in Second Life[注3]のトップ画面でいち早く紹介された。
 私個人が持ったもう一つの関心は、原作者の南條範夫である。彼は、バイオレンスな歴史小説家であると同時に、國學院大學で経済学を教えていた大学の先生であった。 学者であるから物事の視点はクールである。そんなクールさの背後で、武家社会の極限状態に置かれた人間達の、息づかいが荒い残酷さとエロティシズムとが際だっていた。残酷とエロティシズムという相対的概念を小説の基調としながら、武家社会に介在していた野心、欲望、嘘、裏切りといった固有の武士像を表現してゆくストーリーは、エンターテイメントとして興味深いし、SLの大人社会とも合致してくると私は思った。
 マナティー・リゾートのこけらおとしにおいて、原作・劇画コンテンツをどのように表現し実現してゆくかは、悩みどころであった。原作が文字媒体、劇画が文字+絵画的媒体である。SLでは、それら2次元媒体に加え3次元オブジェクト媒体を用いた表現ができる。ならば劇作とし、アバターらを俳優とする、芝居仕立てとするかというアイデアも当初あった。だがアバター俳優をストーリーに沿った演技をさせるためには、膨大なスクリプトを書かなければならない。さらにSL上で芝居化するための3次元コンテンツ制作過程自体が新たなプロジェクトになるほどの時間と労力が必要になる。また3次元化し劇作とした場合、原作や劇画がもっている以上の空気が表現できるかとする課題もあった。それにもまして、そんなことをしている時間は制作側にはなかった。結局劇画や放映コンテンツの2次元展示を主とする展開となった。
 海外映画系シムでは、実際の映画出演俳優がアバターとしてシムに登場するといったセレモニーが行われていた。こうした効果の程は不明だが、 ヒューマン・インタラクティブの視点で考えれば、理に適った方法といえる。これを敷衍して考えれば、劇画やTVアニメのシグルイ登場人物がアバターとして、シムに登場し、セレモニーやコミュニケーション・トーク、或いは最近のゲーミング世界を凌ぐリアリティある決闘演技といったイベントは、関係者間で考えられた。まあ東映太秦映画村[注4]のようだが(^_^)。ところでSL社会で、こうした役回りを引き受けてくれるエンターテイメント演技集団(膨大なスクリプト、メイキャップ、コスチュームなどの制作ができるアバター俳優や劇団)があっただろうか。
 そう考えてくると、SL社会におけるエンターテイメント演技集団が、将来SLビジネスとして必要且つ成立するのかもしれない。

注1)南條範夫:駿河城御前試合,徳間文庫,2005.(復刻版)
注2)山口貴由:シグルイ,チャンピオンRED,秋田書店.2003年8月〜
注3)http://slambling.blogspot.com/
注4)京都市右京区蜂が岡町10,開業1975年,1990年バブル経済時に多くのテーマパークが建設されたが、この時期でさえ経常黒字としているのは、TDL,日光江戸村,東映太秦映画村の3社であった。その後のテーマパーク動向は、総合ユニコム刊行:レジャーランド&レクパーク総覧2003年3492施設に詳しい。
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セカンドライフ sonicmart制作記16

2007年09月13日 | Design&3DCG
 今日は、セカンドライフ(SL)のコミュニケーションについて述べよう。コミュニケーションの本質は、仮想と現実との区別がないことである。仮想環境であるSLでは、アバターを背後で操るのが人間であり、コミュニケーション形態や媒体が異なるだけで、 現実社会のコミュニケーション自体が、地域と時間を超えて人間の意志で展開できる。現実社会が、今後さらなるデジタルデバイドを志向しても、コミュニケーションの本質は変わらない。
 従ってコミュニケーションは、SLを制作する上での重要概念の1つである。地域、時間、言語の壁を越えて、地球規模のインタラクティブなコミュニケーションが、仮想環境で行われる点では、従来のWEB機能をSLは、仮想環境の中で、高次に継続している。
 人間のコミュニケーションが、現実社会で最初に発生してくるのは、住まいの周辺に展開される近隣コミュニケーションからである。次いでパブリック&ワーキング・コミュニケーションへと拡大されつつ、やがてコミュニティ= 地域共同体=ビレッジが形成されてくる。マナティー・リゾートに於いて居住ゾーンを設けているのも、実はこうした理由からである。現在我が国のSLでは、定住地を持たないホームレス・アバターが過半であろうと私は推測している。 SLの普及に応じ、こうした遊牧民的ライフスタイルが次第に定住してくることは、これまでの人間の歴史が示している。
 コミュニケーション形成条件は、ヒューマン・インタラクティブにある。そうした点では、SL上にあるアバター達のたまり場は、大変重要な場所である。マナティ・リゾートに於いても、コミュニケーション・スペースとしてカフェや数多くのキオスクを設えている。ところで、しばしば企業オリエンティッドなシムでは、企業情報発信やPRプロモーションに関心が高く、そのための広告や販売促進が盛んだ。このような現象をみると、私は企業の勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。これでは情報の一方的発信であり、インタラクティブ・コミュニケーションは成立しない。それは大人社会SLのアバター達が最も嫌う方法である。企業がSL 社会に参入するのであれば、企業情報を発信しつつ、インタラクティブ・コミュニケーション形成に寄与できる最良の方法を企画し構築してゆくことが、シム制作では必要だと、私は考えている。
 上図は、私が制作のサーベイを目的とし、他のシムを尋ね回っていた際に知り合った友達の一人Jelly Repineである。彼女は、ジャパンシムの一角に土地を借り、自前で建物や家具やコスチュームつくり、恋人と暮らしているSL社会の立派な定住者である。マナティー・リゾートに対する彼女の礼儀正しい辛口評価から察するには、現実のリゾートとSLリゾートとの違いと本質をよく理解しており、 スクリプトを書く能力を持ち、 オブジェクトが制作でき、そして外見以上に大人の見識を持っていることが伺えた。私は彼女から、アバター達が何を求め、そのためには何が必要かといった、SL社会のウォンツを感覚的に教えられたと思っている。また人気があるシムに案内してもらい、その納得ゆく理由を説明してくれた。このプログもそうした知見や経験をある程度反映させながら書いている。お礼に彼女が欲していた庭に置くベンチを制作し、プレゼントした。その時のベンチのコピーは、今でもソニックマートの隙間に置かれているだろうと思われる。
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セカンドライフ sonicmart制作記15.

2007年09月12日 | Design&3DCG
 フィールド調査に出かけていたので、プログを中座していた。今日は、セカンドライフ(SL)のアダルト・エンターテイメントについて述べておこう。
 ファーストライフ(FL)社会で成立している俳優という職業は、舞台という限定された世界においては、どのような人間にでも演じることができる。外部の視点からみれば、俳優という職業の面白さも、ここにありそうだと類推している。他方セカンドライフ社会は、アバター=化身[注1]を介して成立している。仮想環境に於ける自分の化身が、FLでは、不可能或いは果たし得なかったセカンド・ライフスタイルを実践できる。憧れのセカンドワークに就き、夢に描いたセカンドハウスを造り、そして年齢や容姿に関係なくセカンドラブも可能になる。人間の歴史に「もしも・・・であったならば・・」という仮説は存在しないが、SLでは仮想環境故に「新しい恋人と新しいライフスタイルを描いてみる」といった具合に仮説をシミュレーションできる。つまりSLに参加する誰でもが、どんな役でも演じることができる俳優なのだろう。
 俳優であれば、役に成りきることを通り越して、役に呑まれることだって発生する。仮想環境で出会った新しい恋人に、魅力を感じて、意識と関心の在処はSLの恋人だけ!といったケースは容易に想像できるし、私自身、シムの制作途上で実際にそんなアバター・カップルにも出会い、友達にもなった。彼等の関係を、FL世界で行えば不倫となるが、SLには、そうした概念はない。仮想と現実の環境を行き来しながら、意識と身体とが乖離してゆくことに対して、FL社会は何も応えられないだろう。そんなステレオタイプ化したFL社会の幼児性を暴いてゆく痛快さがSL魅力の1つだろう。SLは、意識と身体の乖離を自分で制御してゆくアダルト・エンターテイメントなのである。
 従ってSL上の出会いとコミュニケーションは、最大魅力なのである。シムはそうした手助けをするための装置である。上図にあげたコテージは、シムで出会った恋人達アダルトのホットスポットとなることを意図して制作した。コテージは、ダブルベッド・サイズであり、両サイドの窓ガラスは、隣の風景が見えず、といって密室でもない、程よい透過性をもたせ、セクシャル・スクリプトを置くもよし、恋人達が心おきなくアクティビティを繰り広げてもよし、といった具合にデザインしている。屏風のような山稜の裏側に配置しているので、外部からは見えにくい。SLが、大人社会である以上、こうしたアダルト・エンターテイメント要素は必要不可欠である。
 話題は変わるが、車内でモデルガンまがいのライターを乗客に突きつけた少年に、ビンタを食らわせた(当然である)警察官が、逆に社会から抗議され問責されるという記事を読んだ[注2]。またいわゆる禁煙法のように社会的コモンセンスで規制すればよい程度のことを、わざわざ法律化する、といった大人を子供扱いする幼児化社会現象が我が国には、多すぎる。文化、宗教、価値観が異なるアバター同士の国際的大人のコミュニケーションが、我が国の幼児化社会への歯止めとなることを期待する次第である。

[注1]化身:仮想空間に出現した自分の化身。Wikipediaでは分身と訳していたが、分身の英訳は、alterego又はshadowであり、日本語の意味はもう一人の自分、影法師と訳され、自分と瓜二つの姿というのが、分身の概念である。SLでは、自分と似て非なる姿をとることができるのであるから、化身という使い方が適切。
[注2]夕刊フジ,2007年,9月,12日号
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セカンドライフ sonicmart制作記14.

2007年09月07日 | Design&3DCG
 今日は、自然要素=土地について述べる。セカンドライフ(SL)は、比較的自由に土地の形成を行うことができる。あとはシム制作者の考え方次第という訳だ。Japanシムなどを見ていると、土地を平らに造成し、正方形に区画し、分譲や賃貸を行っている光景があった。そこにはビジネス優先という考え方が読み取れる。しかし、それでは、ファーストライフの日本の郊外都市と全く同じビジネスモデルではないか。やはりファーストライフでは、できないことを試みるからこそ、セカンドライフの、環境&ライフ・シミュレーションとしての価値があるだろう。
 私達が、マナティー・リゾートで試みたのは、先ず平らな土地の造成を行わないこと。正方形の区画=専門用語では画地(かくち)と呼んでいる敷地の小割り区画をしないこと。そして、シムの制作限界である最高高さの山岳地帯を設けることであった。上図の山稜は、SL状で制作できる最高高さとしている。土地は高さに応じてテクスチャーが変わるので、変化あるシムの風景をつくることができる。
 シムをリゾートでとして設定した以上、風光明媚であることは、必要不可欠な構成要素である。それを仮想環境でどこまで表現できるかが、制作者の感性だろう。
 ファーストライフでは、 山稜や丘陵地帯や海岸線といった自然要素のグランドデザインは、規模が大きすぎ、技術的にも、経済的にも開発できない要素である。だからこそ、SL上で制作する意味があり、グランドデザイン・シミュレーションが、可能となるのである。もしSL上でグランドデザイン・コンテストなどが開催されれば、シム制作の向上につながるであろう。また山岳地帯だけではなく、丘陵地帯の傾斜面や微地形を活かしたビレッジや街ができれば、それは実に面白いシムの風景ができるだろうと私は予測している。そうした点でSLは、ランドスケープ・シミュレーションという可能性を持っているのである。ただし、他のソフトに対するインポートとエキスポートができないのは難点だが・・・。
 マナティー・リゾートの山岳地帯は、このシムが将来拡張した場合を、想定して私達は制作した。シムの現在の施設配置構造を踏まえれば、西側に新たなシムを接続することが、広場やマーケットとシームレスに連続でき、アバターの動線も連続させられ誘導しやすい。さらに山岳地帯をそのまま延長することを想定した。拡張した山岳地帯の端部には、火山をつくろうという将来イメージを既に描きながら制作した。今回火山を見送ったのは、シムの大きさという制約である。実は山岳地帯だけでも、相当規模の土地を必要とする。私達は見かけ上の山岳地帯を制作したが、実際リアルな山岳地帯とするには、シム全体の敷地を必要とするぐらいのスケールや規模を必要とする。その論拠は、こうしたグランドデザインを行うのに際し、ランドスケープソフト「Vue」を用いた検討結果に基づいている。
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セカンドライフ sonicmart制作記13.

2007年09月06日 | Design&3DCG
 今日は、オブジェクトのモジュールについて述べる。セカンドライフ(SL)は、アバター身長が概ね決まっている。従ってシムの環境形成において、アバター・モジュールを、オブジェクト制作場面での原単位として捉える必要が出てくる。それは20世紀の建築家ル・コルビジェの「モデュロール」を思い出させてくれる。モデュロールは、黄金比、フィボナッチ数列、及びウィトルウィウス,レオナルド・ダ・ビンチ,アルベルティらの人体寸法を組み合わせ、人間にとって心地よく美しい空間をつくるために考えられた彼独自のモジュールである。環境形成の際、人体寸法を基本とする環境要素のモジュール化が、美的要素形成の1つだとする先人の知見だろう。
 セカンドライフの3DCG画面は、常時パースペティブな透視画面が表示されている。制作やモジュール化といった考え方を用いるためには、他3DCGソフト同様、オブジェクトを詳細的、定量的、客観的に表示できる投影画面表示が不可欠となる。だがSLには、投影画面表示がない。私達の経験からすれば、とんでもないソフトだったのである(笑)。それでは、モジュールどころの話ではない。
 そこで私達は、マナティー・リゾート制作に着手する際、アバター身長を調べた。上図左の黄色い柱が高さ2m(オブジェクト数値)であるから、アバター身長は、約2.3m前後と計測できた。SL開発国のアメリカ人男性平均身長1.73mから、アバター身長は、アメリカ人平均の1.3倍大きいことがわかった。
 次いで現代建築の居室天井高でよく使われる寸法が2.4m、2.7mなどである。これらを1.3倍した寸法を、マナティー・リゾートで制作するコテージの天井高とした。それが3m、3.5mである。上図左背後のグリーンコテージ梁迄の天井高さは3mである。ディスプレイ展示を予想し、アバターの視線が下方に向くよう、このタイプはあえて天井高を低めに設定した。 最終的に5m、7.5m、10mといったモジュールを加え、建築全体の制作に適用した。
 上図右は、海外シムの民家である。アバター身長から類推し、天井高5m以上ある。特殊な地域を除けば海外民家で天井高5m以上は、明らかなオーバースケールであり、実際には存在しない。セカンドライフの建築全体傾向であるが、相当数がオーバースケールで制作されている場合が一般的だ。こうした制作傾向は、パソコンモニターサイズ、室内空間が一望できる、バーチャルゲーム世界の影響等いくつかの要因が類推できるが、内実はわからない。このようなゲーミング感覚或いはスケールで制作すると、3DCGが本来持っているリアリズムの表現からは逸脱し、むしろ誇張された劇画的表現に近づいてゆく。この辺の考え方の選択が、シム制作における最初の分岐点なのであろう。
 私達は、3DCGによるリアル風景の実現を選択し、マナティー・リゾートで展開したのである。ここが従来のシムとは、基本的に異なっている考え方であり、差別化している点でもある。私達が採用した方法によって制作したマナティー・リゾートが、前述したコルビジェが目指したところの、心地よく美しい空間となったかどうかは、このシムを来訪するアバターの判断に委ねたい。
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セカンドライフ sonicmart制作記12.

2007年09月05日 | Design&3DCG
 この制作記は、見ている視点によって、環境を構成する要素=舞台俳優の役割である主役と脇役が、随時入れ替わってゆく多様性ある風景の様相を、マナティー・リゾートの場合で述べている。そうした各要素のなかで、建築が主役を果たす風景が大変多いことは論をまたない。実際に主役のポストを建築に与えているシムは大変多い。 しかし何時も建築だけが風景の主役に座り続けるようでは、単調な風景となってしまうことも事実である。風景によっては建築を主役の座から追い出す必要がある。
 シム制作の建築デザインで重要なことは、建築自体のデザインに加え、建築と、建築以外の要素との関係性を、構築してゆくことである。つまり建築と建築以外の要素とが、相互にひきたったり、緊張感があったり、或いは物語性や意味性を感じさせてくれる風景をつくることである。それはあたかも日本庭園をつくるかのように、と言えるだろう。
 上図の風景は、マナティー・リゾートのなかでは、珍しくスタティックな風景としている。リゾートにあって、常にプレジャーな風景だけでは単調であり、多様で変化がある風景の形成が大切である。ここで私達がとった手法は至って簡単であり、日本の借景庭園の構成手法そのものである。先ず手前の近景に高木を配置し、中景には白い建築の外壁を塀と見立て、遠景に山を配置して借景としている。近景、中景、遠景というパースペティブに連続してゆく風景のなかに、高木、山といった非幾何形態と、中景の幾何学形態とを組み合わせている。
 セカンドライフ(SL)のソフトは、アバター側で視認距離を任意に設定できる。視認距離を最大値255m(シムの1辺の長さに相当する)とすれば、で全ての風景をクリヤーな見え方に設定できるし、また視認距離を低減すれば遠景が霞んだような見え方にもできる。シムを訪れるアバターの設定次第で風景の見え方やシムの印象は、多少異なるのかもしれない。こうしたソフト機能を活用し、限られたシムのなかに、多彩な風景をはめこむという制作は、どこか箱庭を造る時のような感覚が思いだされ、そこにオブジェクト制作の難しさと面白さがあるのだろう。
 ファーストライフにおいて建築的白壁には、それ自体で美しさがある。このことは、倉敷の民家やエーゲ海の集落を思い起こせば容易に解ることだろう。しかし日本社会の現実は、このような白い壁があると、たちどころに落書きをされたり、飾り立てられたりといった具合に、邪悪なノイズが入れられる。そうしないと落ち着かないというのは、東南アジア人的気質なのだろう。
 SLは、仮想3DCG環境だから、多分落書も2D表現ではなく、3DCGの立体落書きを、されるのだろうなと、こちらも覚悟はしているが。ところで・・・立体落書き!!・・・それは、ファーストライフでは、あまり実際にみたことがない。唯一私が思い出すのは、あのバルセロナにあるダリ美術館の外壁アートのような案配だろうか?。もしそんな事態が起きれば、仮想3DCG環境特有の現象として、私は興味深く、それを観察しているであろう。
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セカンドライフ sonicmart制作記11.

2007年09月04日 | Design&3DCG
 1週ほど建築学会の大会で九州へ出張していた故、ブログは休んでいた。今日はテクスチャーについてメモしておこう。
 このマナティー・リゾートで、私達は、実はあまりギミックなテクスチャーを用いていない。その分オブジェクトの構成によって立体的な建築ファサードを制作している。こうした制作方法は、実際の建築デザインにおける3DCG制作の現場では当たり前の話なのだが・・・
 セカンドライフ(SL)で多用される方法は、石造の壁や窓といった建築ファサードは、テクスチャー(建築外観写真を、そのまま貼り付けるといった2D扱いテクスチャー)とし、一体制作したほうが、簡単且つプリム数が低減できる。たが、それでは、建築の立体感が失われ、また3DCGにする意味がまったくない。 そうであれば、従来のWEBでよいだろう。
 さらに3D世界に2D扱いテクスチャーを混在させると、人間の知覚は、同質の環境素材としては認知されず、むしろそれらを見分けてしまう。それが本来の屋根材を意味するのか、写真を貼り付けた屋根材風なのかといった具合にである。典型的なのは日本瓦の屋根であろう。これをオブジェクトで制作すると相当数のプリムが必要になるがリアリティは表現できる。といって写真を貼り付けた屋根瓦風テクスチャーでは、全く屋根には見えない。私達が3DCG本来の制作方法を用いたのも、そうした理由からである。・・
 といいつつもSLではプリム数に制約があるので、どこまでを3DCGとし、どこからを2D的扱いとするかといった見極めが、制作ポイントになってくる。そうした見極め時の判断は、環境としてのリアリティある風景としてある程度表現できるか、どうかである。私達は、それをファーストライフで仕事をしてきた経験で判断した。結果としてギミックなテクスチャーは、必要最小限の使用となっている。
 上図のRed Cottageと呼んでいる建築では、木質素材は凹凸が少ないので、木質風テクスチャーを用いた。だがテラスと室内に敷かれた簀の子状の床は、テクスチャー貼り付けではなく、1枚1枚をオブジェクトで制作している。従ってこの床を下から見上げると、板と板の隙間から、空などの風景をうかがうことができる。もし光があれば、簀の子の板の隙間から光が差し込んでくるだろう。
 しかし、プリム数の制約から、簀の子の床は下から見上げる可能性が高いテラスのみに利用し、室内はフラットな1枚板状の床に、やむなく置き換えてしまった。この辺がSLの3DCGの辛いところである。
 
補足:日本建築の瓦屋根は辛そうだね!・・・1枚毎にオブジェクトで造る・・最低2プリム必要で、屋根全体で・・・と考えると屋根が重たいというか・・サーバが重たいというべきか・・。といって瓦風テクスチャーでは立体感に欠落し、今時のデッサン力に秀でている劇画以下だ!!。実は建築3DCGの現場では、こういう場合の扱い方があるのだが!!!・・・・・。
 最良で簡単な方法は、発想を変えること。日本建築=瓦屋根といったステレオタイプ化した考え方をやめること。3DCGに適合した最適形態を持った屋根は、日本建築様式を探ればすぐにみつかるだろう。
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