昨日の画像は、正面のお寺に続く石段からの撮影であった。神社の大きな形態はみあたらないかわりに、お寺の背後の崖沿いの狭隘な敷地がお墓になっているという、なんとも平地の少ない地形の事情が伺える。
鞆の浦が私達の記憶に登場するはるか以前の私が子供の頃の話になるが、鞆の浦から私の家に短期間滞在していたピアノが上手なお姉さんは、しばしば遠くに眼をやりながら鞆の浦の美しさを語ってくれた。だから私も鞆の浦のイメージを想像していた。それが鞆の浦という地名を初めて記憶した最初である。以来私の意識の片隅にのこっていた。
私は、そんな時間的な経過による感慨もなく、淡々と鞆の浦を徘徊していた。しかし街を徘徊しているうちに確かにここは、昔もっと美しかったところだろうという実感が幼少の記憶とともにわき上がってきたのも事実だ。
日本の故郷の風景は、そこがホームグラウンドであるという事実とともにも、日々の生活の中で垣間見える故郷の朝や夕方の光が踊る垣間見える風景に、私達は感動し記憶しているのかも知れない。記憶の構造というのかな!?。
鞆の浦,2012年5月18日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/3,f7.1.1/640iFinish
鞆の浦が私達の記憶に登場するはるか以前の私が子供の頃の話になるが、鞆の浦から私の家に短期間滞在していたピアノが上手なお姉さんは、しばしば遠くに眼をやりながら鞆の浦の美しさを語ってくれた。だから私も鞆の浦のイメージを想像していた。それが鞆の浦という地名を初めて記憶した最初である。以来私の意識の片隅にのこっていた。
私は、そんな時間的な経過による感慨もなく、淡々と鞆の浦を徘徊していた。しかし街を徘徊しているうちに確かにここは、昔もっと美しかったところだろうという実感が幼少の記憶とともにわき上がってきたのも事実だ。
日本の故郷の風景は、そこがホームグラウンドであるという事実とともにも、日々の生活の中で垣間見える故郷の朝や夕方の光が踊る垣間見える風景に、私達は感動し記憶しているのかも知れない。記憶の構造というのかな!?。
鞆の浦,2012年5月18日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/3,f7.1.1/640iFinish