Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ZEISSの空気30. つらつらと・・・

2018年06月30日 | Okinawa

 ふぅーーん、WEBをみていてこんなことをやっているんだ。

 東電刑事裁判!。第18回公判とあり、長い裁判のようだ。訴求されているのは長期評価をどのように扱ったかとする経営者判断のようだ。地震・津波の長期評価と経営判断との関係性が争点だろうか。長期評価を机上の空論としないで経営者も考慮すべきだし、従わなければ違法性が問われますよ、という結審になるのだろうか。責任問題を追及してもF1の解決にいたりませんが。

 原告3人の経歴をみると、会長が東京大学経済学部、副社長2人が東京大学工学部ですか。あっ、また文化系がトップでしたか。文化系に牛耳られた技術者のイメージが濃いですね。その人選は科学技術を扱う分野ではミステイクだと思うけど。

 不思議なのは責任問題の追求は裁判になっているが、技術に関するニュースが聞こえてこない。それは航空機事故に比べれば、事故発生のメカニズムが単純だったから技術的原因解明は終わったという見方か。確かに核燃料を露出させてお湯を沸かして蒸気を発生させタービンを回転させて発電させるという構造は単純だったし、それをコントロールする電気系統が想定以上の津波で全部やられたので現在の事態になっているとする筋道は明快だったけど。知りたい核心は人間の判断の背後にはどんな要因があったのかという科学的知見なんですが・・・。

 今その技術解明が必要なのは廃炉技術。核燃料を抜けば廃炉にできるとは考えたが、核燃料が取り出せなかった場合の廃炉のことは考えなかったし、誰も指摘しなかった。そんなときに壊すことまで考えることなく原子力発電所をつくり、それを安全と言い張っていたし、反原発論者も原子炉の危険性は指摘したが、廃炉技術を人間が手にしていなかったことは指摘しなかった。あえて指摘したといえるのは、理学博士高木仁三郎だろうか。

 どんな場合でも、科学技術に100%安全ということはない。だが社会的に100%安全ですといわしめる世論の政治的風潮があるんだろうな。そうした風潮はよく考えれば非科学的だが、それがまかりとおってゆくところが文化系社会の怖いところだ。

 高木仁三郎の、核燃料は放射能が半減するのに1万年はかかりますよ、という記述が今も記憶に残っている。だからF1 がなしえることは石棺しかないでしょう。それもチェルノブイリ以上に大きな石棺。しかもチェルノブイリと比較すれば福島は地盤が悪いはず。地盤沈下も報道されているけど。そんな弱い地盤に超重量構造物だから、最初に地下30m〜50m以上の巨大な基礎をつくらなければならない。地下を掘り下げれば、そこは放射能に汚染されているから、地上に放射能が飛びでてくる場合もあるのかな。そうすると地上から一気に杭を打ち込むにしてもそんな巨大重機は世界にあったかなぁー。こりゃ容易に工事ができない難問ですね。それをどう解決するかに、日本の技術力が問われているわけですね。まあ外部の人間は、そんな風に考えていますが、実際はどうするのかなぁー。

 あとは、今でも漏れ出している汚染水の元素分解かなぁー。でもこれは試論の域をでないし。つまり今人間がすることは、廃炉という難しい問題のテクニカル・アンサーでしょう。

 さて昨日は本格的な梅雨の天気であり、大変湿度が高い1日だった。そんなことを雨模様の合間につらつらと考えていた。

 

那覇市浮島通

SONYα6000,Ziess Vario-Tessar E F4/16-70mm ZA OSS、ISO1600,焦点距離24mm,露出補正-0.3,f/4,1/60

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ZEISSの空気29. 国際通り

2018年06月29日 | Okinawa

 たまにはSONYツァイスで、沖縄の海でもと思ってα6000を持参していた。これで海を撮影する時間は無かったが原色の街国際通りでも、一寸出歩いてみた。やはりなと思うのだが、ストリートを歩いているほとんどの人々は、韓国人、中国人、台湾人ばかりだ。確かに国際通りなのだから、それは当然のことかもしれない。

 すれ違いざまのファミリーに思わずレンズが向いた。そして彼ら家族の表情が喜々としている。一体彼らの心を捉える要素がこんなギミティックな免税店が建ち並ぶストリートにあるのだろうか。私が知る限りでも中国の街だって相当に魅力的な市場街が沢山あることは経験している。私には見えないエキゾチックな空気が彼らの目にうつるのだろうか。それとも中国などは沖縄県に立ち寄ると数次旅券が発行されるという制度だろうか。日本人である私には、こんな雑貨店が立ち並ぶストリートで何が彼らの心を捉えているのかが、まったくわからない。沖縄県の年間観光客数750万人とあるので、大半は入れ替わりやってくる大型船でくるのだろう。

 牧志の公設市場の2階の食堂街に行けば、当然中国人ファミリーばかりだ。雑貨店をのぞけば、キャラクター商品やお土産がならんでいる。どうせならファッション・ショップ(例えばGAPテイスト)でも並べて高品位な生活の訴求をすればよいの現実はそうではない。もちろんドラッグストアで品質の高い日本製品を買いあさるのはわかるけど、中国の街中の薬局にゆけば、抗生物質だって簡単に調達できるというのに。

 そしてなかには私でさえまったく関心がわかない、大きく、重く、高い、3悪の高級一眼レフを携えているではないか。そこにはおしなべて標準ズームレンズが必ず付いている。量販店のお勧めなのだろう。他方で意外なことに中古カメラ屋でよくアメリカ人などをみかける。そこで購入仕立ての新品高級一眼レフシステムを売却したり、中古のニコンF3を物色していたりする光景をみたことがある(彼らがF3を構えた姿が格好いいのよ)。当然ここでそんな中国人マニアに遭遇することはない。

 国際通りにみる中国人観光客達の購買意欲はなんだろうか!?。当然価値ある商品では無いから、いずれは飽きて客足が遠のくだろう。中国13億の1割が富裕層だとすれば、1億3千万人、それが通り過ぎ飽きられるまで国際通りが中国人ファミリー達の闊歩するストリートなのだろう。

 私は、そんな表通りの光景に飽きて裏通りに脚を向けた。

 

那覇市国際通り

SONYα6000,Ziess Vario-Tessar E F4/16-70mm ZA OSS、ISO2000,焦点距離35mm,露出補正-0.3,f/4,1/60

 

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PEN LIFE1535. グルテンフリー・ダイエット

2018年06月28日 | diving

 これが水中にいるときのイカの側面。目の位置からすればやはり手のある右側が前だというのが自然だし、左側の外套膜やエラは後ろだと納得するわけです。大体魚類は水中ではエラ呼吸をしているので量感があって立派なのですが、それを釣りあげてしまうと貧弱な姿となり、その貧弱なのを私達がいただいているというわけです。イカとかタコは大いに萎むよね。他方で水中の形を維持しているのはマグロの類いかな。多分即冷凍するので流線型の胴体が維持されているのだろう。

 でっ、そのイカが食用になると刺身や天ぷら、お好み焼きにも使うか。そのお好み焼きなのだが、先日沖縄の帰りに関西の味覚を真っ先に食べたいというので、関空からの高速バスの終点、京都駅八条口の「千房」に立ち寄った。

 土曜日の夕方なのに人がいないのは、大きな荷物を持っている立場としてはありがたい。メニューをみたら税込み1600円近くする・・・・。どうりで人がいないわけだ。その法外に高い価格では関西人の気分としては食べにゆかないですね。大体家でもつくれる料理だし、とくに店によって味が大きく違うわけでもない。まあ本来なら屋台の500円位の感覚だよな。それに多少上品にしても700円がいいところ、お好み焼きとビールで1000円というのが一寸立ち寄って食べるおやつ感覚の価格だとおもうけどな。お好み焼きは主食ではないのだよ。

 そう思って京都駅周辺のお好み焼き屋を検索したら軒並み閉店中の店が随分多い。この現象はなんだろうか。やはりグルテンフリー・ダイエットの風潮が背後にあるのだろうか。つまり糖質のある小麦粉よりも米粉を使おうということなのだが、ようはパンではなくご飯にしなさいというわけだ。

 WEBでみるとお好み焼き屋などの「コナモン」のお店が減少(大阪で17%減)しており、社会現象となっていることがわかる。お好み焼き屋にゆくとメニューがお好み焼きと焼きそばぐらいしかないから居酒屋へゆくよという、見方もありそうだ。それにコナモンは、お腹が安上がりにふくれるが、それは後で怠いしさ、という見方もあるだろう。

 イカ、お好み焼き、グルテンフリー・ダイエット、コナモンと言葉のしりとり状態で話は転んできたが、そんな人間界の諸事情などはお構いなしに優雅に泳ぎ産卵するイカの姿は、時間を忘れさせてくれるけどね。

 

沖縄県座間味島六番﨑

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG ED 60mm/F2.8

ISO200,露出補正-1.3,f/5.0,1/200 

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PEN LIFE1534. 産卵

2018年06月27日 | diving

 コブシメの産卵、だから動かないので撮り放題。なるほど目の位置からするとこの姿勢の方が正しい、つまり手のある方が前ということになる。珊瑚の中に産み落としているようだ。

 沖縄冬の風物であり産み落とされた卵は70日位で孵化するというのがWEBの解説。今夏じゃん、それに雄が見当たらない。やはり通説という迷信が正解ではなく自然界は自分の目で確認しないとね。むしろ例外数が結構いるのではなかろうか。それは水中という環境が作用するから、つまり季節ではなく環境の状態で産卵するのだろうと私は考えている。その卵は珊瑚の中だから確認のしようがないだろうとあきらめる。こちらはエアが少なくなってきたので立ち去る。

 コブシメは、沖縄の郷土料理の食材にされ、イカ墨汁、刺身、天ぷら、チャンプルー、燻製など多利用されているとWEBには記載されている。まあたくさん産んで、はよ!、食べさせておくれとは考えなかったが。

 さて今週の京都は、30°以上の日が続き陰湿に暑い。それはカーチベイの沖縄と比較すると通り抜ける心地よい風もなく暑いだけなのだ。天気図をみれば、梅雨前線があるから立派に梅雨の頃だけど全く雨が降らない。こんな早い時期から暑いとかなわんなぁーと思う。水不足?、巨大な水瓶である琵琶湖があるからさしたる心配はないのだけど。多分来月の祇園さんの前に大量に雨が降るんだろうと予測している。その頃、夏の始まりの沖縄でまた潜っているだろう。

 カーチベイの沖縄の方が快適でした。

 

沖縄県座間味島六番﨑

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG ED 60mm/F2.8

ISO200,露出補正-1.3,f/5.0,1/200 

 

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PEN LIFE1533. 夏至南風(カーチベイ)

2018年06月26日 | diving

 コブシメはこんな格好をして手前に泳いできます。ということは私達がみている認識ではヒレや外套膜が上に来て、10本の脚が下に来るイメージがありますし、魚屋さんでもヒレを上にして置いてありますし、子供の絵もそうです。

 実は水中でみているとそれでは逆さまですし、10本の脚ではなく8本の腕と2本の触手、それらの中心に口があるという体の構造です。口は歯があり噛まれるとチクリとします。海中で泳ぐ姿を見ていると、やはり通例の私達のイメージとは逆な方が自然に感じます。つまり10本の脚ではなく8本の手と2本の触手が上にある姿が正解ということになります。

 この頃の沖縄も梅雨の終わりです。というのも夏至南風(カーチベー)と呼ぶ湿気を帯びた南南西〜南西の風が吹くからです。梅雨の終わりの沖縄特有の現象です。従って風が強く波が高いです。その隙間をぬって慶良間諸島ダイブの往復でした。ダイビングポイントも南西からの風が島で遮られるポイントになります。つまり島の北側というわけ。その夏至南風が風速10m以上になるとダイビングボートは出ないそうです。

 梅雨末期の沖縄にも雨がふりますが、突然激しく降り10分もすると陽が射してきます。つまり熱帯地方にみられるスコールです。それ以外は光が射し、風があり、すごしやすい気候です。梅雨が終わると、ジリジリと陽が射す暑い夏がきます。だから6月というのは、よい季節ではないかと思ったりします。

 それにしても夏至南風とは、小説の表題のような言葉です。

 

沖縄県座間味島六番﨑

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG ED 60mm/F2.8

ISO200,露出補正-1.3,f/5.0,1/200 

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PEN LIFE1532. コブシメ

2018年06月25日 | diving

 冬のオフシーズンと足指骨折で7ヶ月のブランクがあった梅雨の沖縄のダイビングだったが、潜り初めは圧平衡(耳抜き)がしずらかった。やはり間をあけると体調も変わってくるようだ。今回のダイビングは、マスター・スクーバ・ダイビング(MSD)の免許取得が目的だったから、エマージェンシーとレスキューの講習・海洋実習が中心であり、撮影したのは2日間だけだった。

 だから魚画像の収穫は少ない。撮れたのは烏賊ぐらいかな。そんなわけで画像はコブシメ。私達が刺身にして食べているあの烏賊です。水中だと、胴体が太く、猫の後ろ姿のように滑稽なのです。幸運にも産卵する直前の姿を捉えた。烏賊ずくしといっちゃうと寿司屋のメニューみたいだが、WEBによれば食材名はモンゴウイカだそうである。

 オリンパスの60mm(フルサイズ換算120mm)マクロレンズを試みた。レンズのオートフォーカスが合う距離値が4段階に設定できる。ここでは0.4m〜無限大に設定してハウジングに入れた。この設定をしないとオートフォーカスが迷いだすし、機械にとってマクロ領域の合焦は大変難しいという話をオリンパスから聞いた。そのため4段階の距離値レンジのダイアルが付いている。

 画質は、魚眼レンズと比べれば抜け方が今ひとつのようにも思われ、少し発色が異なるようだ。長焦点レンズは水中で使いにくいだろうと思っていたが、実際には遠くから被写体を捉えられるので、近寄れば逃げる魚を撮るのにはよいだろう。今後は少し遠くからねらう画像を試みたい。

 というのもこれまで魚眼レンズやニコンAW130でアップで撮影していたら、どうも水中の空間感覚や距離感覚ができていないことがわかった。まあそこで次回は空間や距離感覚の形成に努めようと思う。だから撮影方法も変えてみようというわけだ。

 

沖縄県座間味島六番﨑

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG ED 60mm/F2.8

ISO200,露出補正-1.3,f/5.6,1/250

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ZEISSの空気28. エゴタウン

2018年06月24日 | Okinawa

 1週間沖縄へダイビングに出かけていた。今週で梅雨が明ける沖縄の風が心地よい。旅の終わりから話を起こそう。

 最終日京都に帰る朝、ホテルで朝飯を食べ少し海岸散歩。沖合に防波堤と高架道路が視界を遮るので海が遠いぜ。そう那覇市内は波の上宮のところに僅かに砂浜があるだけで、海岸の多くは港湾、物流施設で占められている。だから海を全く感じない。

 画像は、沖縄本島を縦貫する幹線道路国道58号線。このあたりは県庁や市役所、オフィス街、数多くのホテル、松山の歓楽街、多数のチェーン店の豚肉酒場などなどがある那覇市の中心部。ならばカフェにゆき沖縄の空気を感じよう。沖縄の心地よい風が抜けてゆくカフェテラスなんかよいのだが、それが無理ならスタバかドトールでもよいさ。だが・・・ない、ない、すべてない。なんとこの都心のホテルから歩いてゆける範囲にカフェが1件もないのだ。

 ならばコンビニのテーブルでカフェか・・・。そんな気の利いたコンビニが、これまたない、ない、ない・・・ようやくソルビィータホテルのファミマにテーブルをみつけた。しょうがない、ここで朝の珈琲か。

 椅子の向きを窓側に向けて外を眺めながら珈琲を飲んでいた。視界の中にはいってくる沖縄の叔母半がなにやら茶色い餡子をさしだしている。「食べない?」という意味らしい、ゲッそれ芋だろう、「いいよぅー遠慮しとく、おおきに」沖縄の女性は気さくで優しいらしいよ・・・という話ではなく、この街は夏の暑いときでも珈琲を飲むという習慣がないのだろうか。

 海が見えない、喫茶店がない港街かぁーー。

 このあたりのホテルには、朝飯のないところも多々ある。だからコンビニで朝飯を調達するらしい。そういえば歩道に座って珈琲を飲む若者、歩きながらお弁当を食べている猛者とすれ違った。なんだこの街は?。作り方を間違えたな。

 那覇の中心は、これだけ観光客が来ていても、朝から開いているカフェが一つもないという、どうもハードウェア志向や利権がらみで街をつくっちゃったのではなかろうか。とてもアメニティだの界隈だのヒューマンでソフトな環境まで手が回らない。そうしたハードウェア・利権志向の街をエゴタウンといっておこうか。カフェの存在は都市文化を示すバロメーターだと思うけどな。

 

那覇市

SONYα6000,Ziess Vario-Tessar E F4/16-70mm ZA OSS、ISO100,焦点距離50mm,f/13,1/80

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ZEISSの空気27. 一週間休みます

2018年06月16日 | Kyoto city

 このブログで「アクセスされたページ」というコーナーがあって、時折「2018年3月11日の番外編318.卒業式の音楽はサティスファクション」が頻繁にひっかかる。内容は高校時代に鉄ちゃんに誘われて出かけた真鶴の過去画像なのだが、サティスファクションというのは私の高校の卒業式の音楽だったというものだ。

 Googleで検索すると、さすがにローリングストーンズは話題が多いので私のブログは容易にひっかからないが、これに卒業式という単語を加えると最初に引っかかる。でっ、私が目を引いたのは2番目の北海道北見市の美容室のブログであり、サティスファクションというキーワードが使ってあり、当地の看護大学女子大生の卒業式の髪型画像がアップされている。みんな看護師を目指すのか、そういえば私が若かりし頃の看護婦(当時の呼び習わし方)を思い出す。

 病院で、なら大腸検査てんでガラス棒を渡されそれで便をかき取って、という医者の指示でベッドによこたわり勝手にやってちょ!。それは痛いし、やだなと逡巡していたら大柄なスケベそうな看護婦がやってきてガラッとカーテンをあけて「なに!、まだやってないの!!!」といわれた。あいつにやらせたら力任せにやるから痛そうだなと咄嗟に判断し、まあしかたなく自分でかきとる。診断結果は何もなかったのだが看護婦って一々スケベだといっていたら仕事にならないから、別の言い方をするとスケベを職業柄正当化できるといったらよいか(笑)。

 まあこちらもクロッキー教室で、若いお姉ちゃんの裸体を描いているのだからお互い様なんだろうけど。先日の水曜日のモデルさんは8頭身で小顔で格好がよかった。俳優業だからものすごく筋肉質なのだ。ということは吉永小百合を初め現在の20代の人気女優も結構筋肉質な体型が多いんだろうなと推測している。まあ脱がないとわからんけどな。

 さてブログ、看護師、クロッキー、女優と話題が拡散してきたが、空をみると青空が広がってきた。もうじき沖縄も梅雨が明ける頃だろう。足指骨折で大分間があいたダイビングへ明日から出かけます。なので、このブログも1週間休みます。

 

2018年6月12日、京都市四条烏丸

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/4,1/285

 

 

 

 

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ZEISSの空気26. 偏頭痛

2018年06月15日 | Kyoto city

 水曜日は、頭がカキーンと金属的な鈍痛だった。つまり偏頭痛だった。そこで夜遅くまで仕事をし眠くなった夜更け頃に寝た。木曜日は当然午前中は寝てる。ここが頭痛を治すために重要な時間なのだ。

 そういうときに玄関のチャイムが鳴る。郵便屋が東京からの書留を持ってきたのだろう。郵便屋に体調をあわす気分ではないので、そのままスルーした。おかげて偏頭痛は快方に向かう。

 さて郵便屋の不在連絡票をみる。相変わらず見にくい。最初に「1.PC・携帯・スマホ受付」だって。PCと最初にくるからには、次にURLが続かないとあかんのだが、3段目に小さく書いてある。まあGoogleでひけばすぐに郵便サイトが出るか。次に24時間自動電話受付のNOが書いてある。それが固定電話の番号なのだ。1の項目には固定電話というタイトルは登場しない。つまり不整合だ。その下に小さく携帯電話の番号があった。「1.PC、携帯、スマホ受付」と記載したから、本来は携帯の番号が先にこないと整合性がとれない。

 だから携帯で電話し、いわれるままに23桁の番号を入力した。これで14時〜17時まで家にいなければならないことになる。家にいる確証はないけどな。例えば近隣の町民が一寸街灯がトラブルだよといって近所の電気屋に出かけたすきに郵便屋が再配達をしにくるという類いの悲劇はこれまでに何回も経験した。

 いつもは中央郵便局止めにしておくのだが、今日は暑いし例のお勉強もあるので家に届けてもらおう。そんなわけで早めにマックで昼飯を食べ、コンビニで飲み物とお菓子を調達し、郵便屋の再配達に備えなければならない。届く郵便物は、定型封筒に書類が1枚はいっただけなのだ。日本の郵便物はほぼ確実に届くのだから、書留なんていう制度は廃止してもよい。そうすれば役所も書留にこだわる必要がなくなる。あるいは近所の郵便局止めがいいよな。歩いてゆける範囲に郵便局が3カ所もあるんだぜ。

 大体郵便屋が訪れるときに相手は在宅しているという使用人を多く抱える明治の頃からの大前提が、そもそもの間違いなのだ。今は原則として誰もおらんのよね。だからさっさと制度を変えればよいのに。そんなことを考えていると、また偏頭痛になりそうだ。まったく頭痛のたねの郵便物。

 

2018年6月12日、京都市下京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/4,1/400

 

 

 

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ZEISSの空気25. 困った生活習慣 

2018年06月14日 | Kyoto city

 寒いのですよ!、このところの京都は。だから長袖のシャツなんかを引っ張りだしてきて、外に出るときはゴアテックスのレインウェアですよ。例年のこの時期は、こんなに寒かったかなぁー。

 そんなわけで今日は、朝から頭が動かない。そういう状態は小学校の頃からあった。それでも授業をするのだから、当然興味もわかず頭にも入らない。たぶんそうだった児童はいただろう。あるいは教えている先生も頭が動いていなかったかもしれない。人間は、頭が動いていないくても無理無理と仕事をさせられる習慣が形成されているのだろう。

 そうなるとこちらの午前中の仕事がはかどらない。だから味の濃いカレーうどんを食べて午睡。それがまた短い時間に深く寝ているので目覚めたときは頭がクリアになるわけだ。それで夕方から夜中まで頭がクリアになってしまうのだ。その悪循環が続くと次第に夜型人間になって行く。なかなか戻らない困った生活習慣だ。

 というのでダイビングのレスキューのテキストもまだ半分しか終わらない。まあ夜はクロッキー教室へでかけデッサン。今日のモデルさんは筋肉質で小さな頭で格好がよいではないか。夜になって頭が冴え渡る。

 でっ、米朝会談はWEBニュースで知っているので、新聞が溜まっていた。読まないなぁー。

 

2018年6月12日、京都市中京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/11,1/70

 

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ZEISSの空気24. カテゴライズ

2018年06月13日 | Kyoto city

 あーっ、やだ!、やだ!、何がやだ!かというと、月曜日の夜にエアロビクスの教室へゆき疲れ果てていて、さて機材を担いで街の徘徊に行くべきか迷っていたからだ。曇り空だから古民家を撮影するのには調度よい。これから夏の日差しになるともう古民家は黒くつぶれて写り、暑いばかりで撮影どころではない。やはり今歩き回る方が健康的か。

 もう一つやなことがある。ブログのカテゴリーである。iWeb時代のカテゴリーを、そのままgooのカテゴリーへ移動していない。だから二つのカテゴリーが存在する。それは縦軸と横軸で二つのカテゴリーだから、つまりマトリックスで捉えればよいわけであるが・・・。

 さてプログの編集場面で、ニコンのボディにツァィスのレンズを付けて撮した画像を用いてプログを書こうとしたら、「Nikon Freak」か「ZEISSの空気」のどちらのタイトルカテゴリーにいれるべきかという問題が起きる。これまでボディ側の属性で仕分けていたが、新たにZEISSの空気というレンズのカテゴリーを増やしたから話がややこしくなった。まして今日はニコンD200を下地にしたFUJIのボディにツァイスのレンズだよ。さらに複雑になる。

 といった具合に一例をあげたが、カテゴライズというのは結構煩わしい作業なのだ。学術論文は、まさにデータのカテゴライズから始まるわけだ。一般的にはエクセルでデータのコーディング作業がカテゴライズの始まりである。コードナンバーをつけてデータを整理すれば、NOカテゴリー毎にデータが整理されるだろう、やりだすと二つのカテゴリーに属するデータが出てきた。どちらのカテゴリーに入れるんだろう、そんな話である。

 そうなると単数属性と複数属性の2カテゴリーに分けておけばよい。つまり上位概念のカテゴリーを設定すればよく、それで単数属性は当初のカテゴリーに納まるわけである。でも階層の上下の位置が単数&カテゴリーと複数ではずれるよね。同じ現象から導き出されたデータが階層的に位置がずれるのはまずいだろう。そこで複数属性もカテゴライズする必要に迫られるわけである。それをしないとわかりにくいエクセルの表ができてしまう。実はそうしたわかりにくい表が私達の世界では多いんだ。もう少し考えましょうねといいたくなる。もっといえば・・・、やめとこう哲学の話だから。

 でっ、ここでは「ZEISSの空気」のカテゴリーに入れることにした。やはり写りの違いはレンズだろうという考え方からなのだが。それにFUJIなんていうカテゴリーは私のブログには存在しない。

 さて10年前のFUJIを持ち出して街の徘徊をしていた。すこし古くさくお払い箱にしたい(当時定価25万の機材も今では下取り価格1万円程度ですから)デジタル機材だが、今でも十分使える色であるのにはまいった。それにFUJIの撮影素子は、多分今でも大変綺麗なのであろう。だから今でもFUJIをぶらさげている外国人を多く見かける。

 ニコンF3修理完了の連絡はこないし、ミラーレスニコンが登場するのは来年だし、今日はこれでツァイスの空気を味わうほかない。APSサイズ画面だからディスタゴンの写りが全面的にみられるわけではない。そこは我慢、我慢・・・。

 

京都市中京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss DistagonF2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.33、f/11,1/35

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EOSな日153. 手動

2018年06月12日 | field work

 朝まだ頭が起きていないときに新聞を読んでからブログを書くと、何故か批評家がましくなる。新聞記事は膨大な情報から編集者が選んだ情報だから恣意的ではあるのだが、まあ事実の羅列だ。それを前にすると読む方に批評的な意識が立ち上がってくる。批評というのは書きやすいし発言しやすいのだろう。そのままブログを書くと、これも批評がましくなる。ふと我に返り、批評ではなく提案なり代案(こうすれば)が本来の筋道でしょうがぁー、と気がつく。でっ、気がついて削除。今日のブログも画像を差し替え書き直した。

 そんな説教がましい話は、人文社会学部に任せて、このブログもgooに引っ越してから1年は経過したと思われる。もちろんダイビングなどに出かけていたから、毎日書いているわけではないが、京都にいるときはほぼ毎日書いている。不思議と自宅にいるときは書き忘れることがない。

 でつ、ブログを書くときは最初に画像を選ぶ。それからテキストを書き出す。それが画像に関することもあるし、画像と無関係な場合もある。そして最後にタイトルをつける。だから画像の選択に意味がありそうだ。そして自動投稿にしておけば翌朝8時にアップされる。ところがFBの読者が多い私のブログでは、投稿時に自動的にFBとリンクしてくれない。リンクだけは手動なのである。でっ、やおらリンクを張って手動で再投稿するわけだ。私は、FBにあまりアップやコメントやいいねをしないので、その代わりに精々ブログアップで勘弁してもらおうと思っている。だからリンクが必要だが、これが手動なのよね。

 でつ、gooのブログで面白いのは、読者がアクセスしたブログを表示してくれるのだ。当然最新ブログが最初にくるが、随分古いブログを読んでくれているようだ。あるいはGoogle検索でたまたま過去ログがひっかかった場合もあるだろう。「チェッ、検索と無関係な情報引き出しやがって、紛らわしいこと書くなよ! 」そんな読者もいただろう。

 私のブログは2007年8月から書いているので、11年分のストックがある。当然何を書いたかは忘れている。そこで読者がアクセスした私のブログを再度自分で読む面白さがある。こんなこと書いていたんだという具合いに、他人のブログを読んでいるように執筆者が自分のブログを読みふけっている(笑)。

 

2018年3月、大阪市中崎町

EOS1DsMark3、EF16-35mm/F2.8

ISO800,焦点距離25mm,f/5.6,1/125

 

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ZEISSの空気23. サギ

2018年06月11日 | Kyoto city

 今日は台風が太平洋側を通過してゆく。台風のドラスティックな気象の変化で、雨風と晴れたときとで街の風景が変わるから好きな時間なのだけど。

 最近京都の街中でサギをよく見かける。琵琶湖から飛んできて鴨川で餌を探しているのだが、時折街中や高瀬川で家の中をジーッと眺めている。警戒心が薄い鳥だから近寄っても逃げることが少ない。家の住人が玄関の扉をあけたら真っ正面にサギがこちらをみていたなんて場面を想像すると一寸驚くだろう。追い払うとやおら大きな羽を広げてバサバサと助走してしぶしぶと逃げてゆく。

 さてブログ画像の下地にシアン系とピンク系の色を感じるので、やはりコンタックス・ツァイスの色だと一人ほくそ笑む。ツァイスといってもコンタックス系とコシナ系とSONY系とでは、すごしずつ色味が違う。そのなかでもコンタックス系の色が個人的には好きなんだけどさ。

 でっ、いずれ手元に届くであろうニコンF3+MD4にコシナ系ディスタゴンZFをつけて旅に出たいと考えた。経路をジョルダンで検索すると、例えば京都市から秋田市へゆくとすると、大阪空港から秋田直行便で4時間40分が最速、新幹線乗換えで7時間となる。かって北陸線、羽越線を走っていた寝台特急日本海だと12時間かかる。

 もう少しマイナーな都市間移動を想定すると、例えば富山市から秋田市へ行く場合だと、新幹線で富山-大宮乗換-秋田で6時間程度、飛行機だと羽田乗り換えで待ち時間が多く秋田空港まで7時間55分かかる。どちらも昼間の移動しかなく、京都発よりも所要時間がかかる。そして新幹線の経路と飛行機の経路が首都圏経由となりほぼ一緒。ちなみに寝台特急日本海は富山01:20-秋田9:20(8時間)で、乗換なしで日本海側を北上しながら寝てゆける。そして今の飛行機の所要時間と大差がない。

 寝台特急は、夜行バスより快適であり眠ている間に目的地に着き、昼間の時間がフルに使える便利さがあった。そんな風に机上の旅をしていると北陸線経由の寝台特急日本海が意外に便利だったことがわかる。交通関係者のように所要時間だけにしか目がゆかなくなると勘違いをしてくれるわけだ。ようは昼間の旅人としての自由時間がどれだけとれるかが重要なのである。半日移動でつぶされるのでは、所要時間が短くても旅としての意味がない。

 「新幹線の方が所要時間が短いしその日のうちにつけますよ」、といわれるままに切符を買っていた旅行者も多かっただろう。そのあおりで寝台特急から次第に客足が遠のき、そして廃止され、現在定期的に動いているのはサンライズ瀬戸・出雲ぐらいしかない。しかし今でもヨーロッパでは新幹線とともに数多くの寝台特急が走っているというのに、日本でホントに寝台特急を廃止してよかったのですか?、と疑問に思わざるをえない。移動手段が選べる多様性を放棄し昼の列車の択一選択でよいのですか?。私にいわせれば、所要時間だけ重要視し、しかも料金が高いというサギみたいな話だと思うけど。

 だから遊びではなくビジネスライクな寝台特急がもう少しあってもよいのではないですか。そうそう、もう一つ選択肢があった。敦賀から新潟、秋田経由苫小牧行き新日本海フェリーだ。敦賀を22時発、秋田着翌日5時40分、時間はかかるが料金が安いし設備がよいのでこれだな。

 

京都市下京区菊屋町、ContaxT3、プロビア100

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ドローイング164.  色の話

2018年06月10日 | drawing

 最近、デジタル画像の被写体の背景とか陰とか低彩度の部分の色が気になる。オリンパスなどはオレンジ〜茶系、ニコンは青い空に緑の風景のときに時折表れる濁った赤系の発色、キャノンは低価格機で青い空が抜けないなどである。つまり画像の抜けの悪さが目に付くなど、ポジフィルムのように透明感ある抜けのよい画像ではないカットが目につくのだ。当然レンズの性能が左右するだろうし、もちろんそれがデジタル固有の色だろうけど、白に対する階調が乏しいのも一因かと考えたりしている。

 複写していてポジの色が忠実にでる手元機材は、白の階調が多く設定できるFUJI FinepixS5、忠実モードがあるEOS1DsMark3、そして本来発色がよいSONYである。だからこれらの機材でポジフィルムのデジタル化を行うのが比較的正解というのが個人的経験知。それによって少しは抜けの良い画像になってくれればよいのだが。そういうことが気になり出すとせっせと画像の背景や暗部をみていたりする。

 というのも透明水彩画で静物や魚を描くときに陰は色でみている。陰だからといって黒とは限らないのだ。むしろ絵具の白と黒の無彩色は、描くときには絶対に使わない色である。白は紙の色だし、黒は光のない世界を表している。だからオブジェクトがみえているということは光があるわけだから、すべて有彩色で描くというのが透明水彩画の描き方の原則になる。だから陰の色も光のあたり方で異なってくる。

 そうしたことは、水中で撮影した魚を地上にあげたらまた色が違ったということとも通じてくる。要は光のあたり方で色は異なってくる。彩度の高い赤い色は深度が増すことによって次第に濃いダークグレーに変わってくる。

 でっ、何が言いたいかというと、ツァイスレンズでリバーサルフィルムを詰めて撮影したいということだ。だからニコンF3がメンテナンスから戻る予定が6月中旬、つまり今週だ。ツァイスのレンズとモータードライブを付けポジフィルムで撮ってみたいシステムフェチの目論見だ。それが発色も格好も良くてしびれると思うか、なんだくだらない中古機材だと思うかは、実際に使ってみないとわからない。そんな事を思いつくと早く実験したいのがフェチ根性だ。その待つことが嫌いなフェチが3ヶ月も首を長くしているのだが、おそらく慶良間諸島でダイビングボートに乗っている頃、ニコンは脳天気な声で電話してくるんだろうな。

「こちらは、ニコンサービスセンターですが<<<・・・お客様の<<<]・・・・・・」

「ゴボッ!、コボゴボッ!!、はあ??<<<Fがどうしたんですか!?・・あっ、マダラトビエイだ<<・・!!?、」

水中まで電波は届かないって(笑)。 iPhoneの水中ケースがあるの(5mまでしかもぐれないけど)・・・。つまりiPhoneとケーブルで接続した送受信器を水上に出せば水中から電話できるわけだ。そんなアホなことを考えている場合ではなかった。そろそろダイビングのレスキュー講習の勉強をしないと。

 

クロッキー帳NO36.

 

 

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ドローイング163. 日常感覚

2018年06月09日 | drawing

 さて荒神口の法務局まで出向いたりと雑用で街を徘徊していたら、梅雨時の湿度の高さにはまいったので、帰ると早速風呂に入りウィスキーをなめながらだから何も思いつかない。こりゃ京都も完全な梅雨だわさ。

 そういうときは手元の新聞からヒントを拾おう。日経MJの6月4日号では、民泊志向の外国人旅行者の民泊利用者へのアンケート調査で、民泊を選んだ理由の第一にあげているのが、「一般家庭の日常生活を体験したい-70%」であった。昭和のバブル時代には、旅は非日常的体験をうたっていた。すでに非日常体験を観光プロモーションする時代は終わったわけである。今旅は、日常的な経験になってきた。

 日本の民泊に泊まり、スーバーで買い物をし、商店街のそば屋でパーティーだったりする、つまり日本人と同じ体験をしたいとするのが、最近の外国人の旅の傾向だと報じている。

 私にいわせれば、それこそが旅である。私も海外では、地元の人間が毎日食べにゆく食堂へ出向き同じモノを食べてきた。ウクライナの朝早くからやっているカフェなんかパンが大きく美味しかったし、中国では少し油はきついけど地元料理は美味しいではないか、香港の地元民が大挙している裏通りの定食屋なんか美味だったし、まあそんな料理ばかり食べていると、突然ファーストフードが食べたくなる。だから肯徳基(ケンタッキー)の看板をみると浮き足たってくるし、サイパンでMacDonald'sの看板をみるとおきまりツァーなんかほったらかして食べにでかけた。そして、これも旨いではないかと再発見する。外国にいても母国にいても、つねに日常感覚だ。

 そういえば今朝、七条米浜郵便局で私の前の外国人達が大きな段ボールを本国に送ろうとしていた。海外発送に郵便局員が手慣れていなかったので、みんなでかかりっきりの対応をしていた。今日で日本を去るそうだ。こんな観光地でもない郵便局にくるとは、このあたりの民泊に長逗留していたのだろう。うーーん、うちは400円の郵便為替がほしいだけなのにさっ。

 

クロッキー帳NO36.

 

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