ふぅーーん、WEBをみていてこんなことをやっているんだ。
東電刑事裁判!。第18回公判とあり、長い裁判のようだ。訴求されているのは長期評価をどのように扱ったかとする経営者判断のようだ。地震・津波の長期評価と経営判断との関係性が争点だろうか。長期評価を机上の空論としないで経営者も考慮すべきだし、従わなければ違法性が問われますよ、という結審になるのだろうか。責任問題を追及してもF1の解決にいたりませんが。
原告3人の経歴をみると、会長が東京大学経済学部、副社長2人が東京大学工学部ですか。あっ、また文化系がトップでしたか。文化系に牛耳られた技術者のイメージが濃いですね。その人選は科学技術を扱う分野ではミステイクだと思うけど。
不思議なのは責任問題の追求は裁判になっているが、技術に関するニュースが聞こえてこない。それは航空機事故に比べれば、事故発生のメカニズムが単純だったから技術的原因解明は終わったという見方か。確かに核燃料を露出させてお湯を沸かして蒸気を発生させタービンを回転させて発電させるという構造は単純だったし、それをコントロールする電気系統が想定以上の津波で全部やられたので現在の事態になっているとする筋道は明快だったけど。知りたい核心は人間の判断の背後にはどんな要因があったのかという科学的知見なんですが・・・。
今その技術解明が必要なのは廃炉技術。核燃料を抜けば廃炉にできるとは考えたが、核燃料が取り出せなかった場合の廃炉のことは考えなかったし、誰も指摘しなかった。そんなときに壊すことまで考えることなく原子力発電所をつくり、それを安全と言い張っていたし、反原発論者も原子炉の危険性は指摘したが、廃炉技術を人間が手にしていなかったことは指摘しなかった。あえて指摘したといえるのは、理学博士高木仁三郎だろうか。
どんな場合でも、科学技術に100%安全ということはない。だが社会的に100%安全ですといわしめる世論の政治的風潮があるんだろうな。そうした風潮はよく考えれば非科学的だが、それがまかりとおってゆくところが文化系社会の怖いところだ。
高木仁三郎の、核燃料は放射能が半減するのに1万年はかかりますよ、という記述が今も記憶に残っている。だからF1 がなしえることは石棺しかないでしょう。それもチェルノブイリ以上に大きな石棺。しかもチェルノブイリと比較すれば福島は地盤が悪いはず。地盤沈下も報道されているけど。そんな弱い地盤に超重量構造物だから、最初に地下30m〜50m以上の巨大な基礎をつくらなければならない。地下を掘り下げれば、そこは放射能に汚染されているから、地上に放射能が飛びでてくる場合もあるのかな。そうすると地上から一気に杭を打ち込むにしてもそんな巨大重機は世界にあったかなぁー。こりゃ容易に工事ができない難問ですね。それをどう解決するかに、日本の技術力が問われているわけですね。まあ外部の人間は、そんな風に考えていますが、実際はどうするのかなぁー。
あとは、今でも漏れ出している汚染水の元素分解かなぁー。でもこれは試論の域をでないし。つまり今人間がすることは、廃炉という難しい問題のテクニカル・アンサーでしょう。
さて昨日は本格的な梅雨の天気であり、大変湿度が高い1日だった。そんなことを雨模様の合間につらつらと考えていた。
那覇市浮島通
SONYα6000,Ziess Vario-Tessar E F4/16-70mm ZA OSS、ISO1600,焦点距離24mm,露出補正-0.3,f/4,1/60