今日は、ブログの画面にフォントを入れてみた。こうすると本の表紙のようにみえてしまいうところが、面白い。通例私達は、普段から雑誌などを通じて、こうした画面と文字に親しんでいるので、違和感なく見られるだろう。
というか、フォントの魔力というものがある。グラフィックデザインは当然の事として、プロダクトデザインや建築のデザインにおいても、美しい最適なスタイルのフォントを入れたほうが、絵になってしまうことがある。それがフォントの持つ魔力なのである。
画像の中に、どこの位置に、どれぐらいのサイズで、どのようなフォントを入れるかで、印象は大いに異なってくるのである。こうなると編集デザインといって良い。多くの雑誌が、そうした編集デザインの力を用いて情報がつくら発信されているのが現実である。
文字がくる、そのことだけで文字=概念=コンセプトがより明確に鮮明に示せるわけである。こうなるとグラフィックデザインのポスターに近づいてくる。こうした情報の加工を巷の写真家達は嫌うだろうが、むしろ私等は、こうした見え方や情報伝達の方が面白いと感じている。
そんな典型例をあげれば、大分の麦焼酎「iichico」のポスターでは、浅井愼平氏の写真に商品名とコピーが巧みにレイアウトされている。或いは一連のJRのポスター「そうだ京都へ行こう」シリーズもあげられる。
私達は、言葉によって伝えられるメッセージと画像との複合要素から、意味や価値を表現しているであろうし、またそうしたデザイン表現が現代文化の一端を形成しているといってよいだろう。一寸大げさか(笑)。
京都市・京都府立植物園,2010年5月30日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.ISO100,カラーモードF2.
というか、フォントの魔力というものがある。グラフィックデザインは当然の事として、プロダクトデザインや建築のデザインにおいても、美しい最適なスタイルのフォントを入れたほうが、絵になってしまうことがある。それがフォントの持つ魔力なのである。
画像の中に、どこの位置に、どれぐらいのサイズで、どのようなフォントを入れるかで、印象は大いに異なってくるのである。こうなると編集デザインといって良い。多くの雑誌が、そうした編集デザインの力を用いて情報がつくら発信されているのが現実である。
文字がくる、そのことだけで文字=概念=コンセプトがより明確に鮮明に示せるわけである。こうなるとグラフィックデザインのポスターに近づいてくる。こうした情報の加工を巷の写真家達は嫌うだろうが、むしろ私等は、こうした見え方や情報伝達の方が面白いと感じている。
そんな典型例をあげれば、大分の麦焼酎「iichico」のポスターでは、浅井愼平氏の写真に商品名とコピーが巧みにレイアウトされている。或いは一連のJRのポスター「そうだ京都へ行こう」シリーズもあげられる。
私達は、言葉によって伝えられるメッセージと画像との複合要素から、意味や価値を表現しているであろうし、またそうしたデザイン表現が現代文化の一端を形成しているといってよいだろう。一寸大げさか(笑)。
京都市・京都府立植物園,2010年5月30日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.ISO100,カラーモードF2.