Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ716. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その7. 追記:もうあらへんでー!

2024年04月30日 | field work

 たった4街区復元したぐらいで、明治期は西欧様式、和風様式、擬洋風様式の多様な都市景観が小樽に存在していたといいはるのも少々図々しいが、必要最小限の作業の結果見えてきた明治期の景観であることは正しい。それは今、私達が見ることができない風景でもある。
 そんな論文が完成し今年の仕事が終わった。書き上げてから10日間校正をしていた。結局10稿目で校了にできた。その直前迄は訂正すべき箇所が多々あって、これで早まって投稿しなくてよかったと胸をなでおろした。もう間違いは無いだろう。
 さて、こうした3DCGデータをVUEなどのランドスケープソフトに移して環境を設定すれば見応えある3DCGになるが、学術論文はモノクロなのでここまでにしておこう。
 世間受けするためには、もう少しお化粧が必要なのだが、そんなことはこのブログでも過去に散々行ってきた。以下に私が制作してきた3DCG画像でも貼っておこう。
 version1.夜景の画像は、ペントハウスにフィギャーも入れてある。山腹もライティングしているので夜でも立体感を感じるだろう。
 version2.の再下段の画像は、ヴァーチャルアイランドシリーズだ。それにしてもこれらの画像を私のブログにアップしたけど、アクセス数は一桁だったな(^_^)。gooブログ読者達は、どうせ私とはテイストが違うのだろう。だからいつも引っ越したい気分だ。そう思いつつ時間だけが過ぎていった。
 そんなふうに世間の関心が薄いから、私も最近では3DCGをあまり使わなくなった技法である。因みにこの画像最下段の3DCGの制作過程(シリーズversion2.)は、下記の日にちのブログで55回連載しています。サイドバーで探せます。実はこれ私の自信作の一つですけど、だれからも評価されません。やっぱ研究者は学術論文でないとアカンですね。

1.ヴァーチャルアイランドver2.2009年3月15日〜55.ヴァーチャルアイランドver2.2009年5月29日

追記:もうあらへんでー!
 今年の4月23日の昼前、京都・産寧坂の桜が折れちゃいました。ここは海外にも紹介された撮影スポットであり、いつも多くの外国人観光客が階段の上で列をなして写メを撮影している世界的に有名な京都のスポットの一つです。ランドスケープとしてみると、古い街並みを背景にして坂の上に桜が覆い被さるように枝を広げるなんて奇跡みたいな風景でしたが、今はアリマセン。
 桜の寿命は25年ぐらいですから、ここの桜が樹齢数十年ときくと、よくもまあ今まで持ってきたと思うんです。それに根元の土の部分が大変狭いので横に根を伸ばすことが出来なかった。あとは構造力学であり、基礎が不十分で過度なキャティレバー、そりゃ倒れますよ。見通しは良くなりましたが。

2023年4月28日

2023年4月4日
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エッセイ715. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その6.

2024年04月29日 | field work

 せっかく制作したのだから、近景観でもレンダリングしておこう。構造も検討しているから、もちろんこのまま建てられる。通例、建築設計事務所で設計をする場合は、おおよその意匠設計ができた段階で、構造設計事務所に柱、梁、土台の仮定断面図をつくってもらう。この断面に従って意匠設計をさらに進めてゆく。
 ここでは、仮定断面ぐらいの検討はしている。だから実際に作ることもできる。それはどうでもよい話なのだが、まあディテールを見てみようというわけだ。
 よく見ると屋根瓦の一部が破れているではないか。3DCGでは、こうしたことはよくある。例えば以前のフィギャーソフトのPOSERなどは、20歳の女性に超ビキニの水着を着せたらブラしかレンダリングしなかった。じゃあボトムは無しでいいか、というのでそのまま大学の講座の素材につかった。だってレンダリングしないんだもん、しゃあないよな。そのレンダリングがこれ。もちろん前の性器は精密につくられていた。いまそれがPOSERにもないのだよね。リアリティをおいかけていたんじゃないのか?。
 このPOSERのフィギャーをVUEへ持っていったのが下段の画像である。
 ここで制作した小樽の3DCGもランドスケープソフトVUEへ持ってゆくと大変綺麗な環境の中に配置できるが、今はVUEというソフト自体が高くなったこと、日本語のサポートをしなくなったこと、さらには日本では買えないこと、などがあり今の私は敬遠している。
 つまり日本人がこのソフトを評価しなかった。まあいいや、どうせ日本はアニメ表現ができればよいのだろう。日本文化はアニメですか・・・。幼稚な国家だねぇー・・・。それにこちらの学術論文はモノクロだからさ。


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エッセイ714. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その5.

2024年04月28日 | field work

  全部の3DCGを小樽の土地の上に並べ、個人の民家を配置するとこうなる。つまり明治の街並みの復元になる。明治の人はこのように小樽の街を見ていたのか。結構空地もあり街はゆったりしていた。遠くに末廣座の劇場の大屋根がシンボリックに見えている。やはり建築がおおきいと特徴的な都市景観になる。
 今回制作したのはわずか4街区だが、丘の上に立つ洋風、擬洋風、建築は、いやがおうでも目立っただろう。広幅員の道路といい、明治政府の計画的な都市計画の意図が伺える。新政府の心意気かなあ。
 それにしても建築の屋根や外壁を作り込んだので、データの重い事。1枚のレンダリングに1時間近くかかる。通例ならこうしたレンダリングは、100カットぐらい出力するのだが、無理か。そうなると諦め気分。なんだ作り込んだのに表現できないとは残念。最初から手を抜けばよかった。そう3DCGは、最初に手を抜くところから作業を始めるわけだ。コンピータの能力に合わせて。
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エッセイ713. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その4.

2024年04月27日 | field work

 前述した明治期建築物を小樽の街の上に並べてみよう。手前が山側で奥が海側である。今回は南小樽駅山側の4街区が対象だ。
 これが明治の姿だ。ここからが本研究の中心である。右側の量徳小学校があるところは、現在小樽市立病院になってい。中央も私市立学校だ。そして右側の入船町の末廣座は明治期に焼失し今は存在しない。小さな民家群は、戦前の土地地籍図から敷地の大きさを勘案して配置した。この程度の民家があったというのは明治期の地図からもわかる。そして上部の海側に右から左へと現在の函館本線がはしっている、そして広い道のあたりに南小樽駅がある。
 そんな姿を復元すると街自体がゆったりしている。道路側は民家が軒を連ねたように見えるが、この裏側は、井戸があったり共同の炊事場や洗濯場、あるいは厠があったから空地が必要だった。
 さて3DCGで、前3カ所の建築群を配置した。なにしろ1枚1枚の瓦屋根や建築外壁の下見板張りまでつくってあるからデータが大変重たい。それが三つもあってさらに地形や民家群が加わると、レンダリング画像を書き出すのに1枚1時間ぐらいかかる。この待ち時間に他の仕事をしているのだが。そうやってようやくできあがったレンダリング画像をみて、あら建築が浮いている、やり直し!、というのでまた1時間はかかる。1週間はそんな悶々とした時間が続く。こういうときもっと早いMacが欲しいといつも思う。といって私のmacはM1チップ搭載だから遅くはないが・・・。

 
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エッセイ712. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その3.

2024年04月26日 | field work

 
  次は明治期芝居小屋の復元だ。小樽の入船町にあった末廣座という。といって当時の図面はおろか写真もなく、あるのは当時の絵図1枚だ。なにしろその後火災で焼失しているからね。ここから復元ですか・・・。
 こういうときは類似の建築を探す。すると日本では3軒の芝居小屋があった。いづれも文化財だ。さてどれを手本にするか・・・。どうせ過去のしがらみに縛られる日本人だ。古い芝居小屋を手本にしよう。そう香川県にある金比羅大芝居だ。これなら修復工事をしているので図面が残っている。調べたら京大の図書館にある。ほなら行きますか。
 そんなわけで金比羅大芝居の小屋を参考にした。末廣座の絵図をみると金比羅大芝居のような劇場の上部のフライタワーの設えが無い。ならば構造を考えながら新たに組み立てるほかない。これなら構造上維持できるはずだ、というので建築の軸組や内装まで3DCGで制作している。
 論文では内部はいらないので、つくる必要が無かったが、内部をつくらないと柱や構造が見えないこともある。だから内部も3DCGで設えた。そんな制作途中のレンダリングを撮影していた。こんなことをして制作しているわけだ。実際の建築現場と大差ない。というのも考え方は一緒ですからね。
 もちろん実際につくれと言われたら、できますよ!。そういう精度の仕事であった。
 実をいうと後で解ったことだが、実際に建てられた建築は、間口が2間(1.8m)ほど短かったと思われる。長手方向ももう少し短くてよかった、ということがわかった。というのも戦前の地籍図に配置して初めて解ったことだが。もちろんここまで仕上げたら直さない。論旨には影響がないからね。
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エッセイ711. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話、その2

2024年04月25日 | field work

 明治初期、現在の南小樽駅山側は明治政府が計画的に街を形成してきた。その拠点に郡役所及び納税事務所を洋風建築で建設した。学術論文では、史料にもとずいて建築図面を復元し3DCG化した。
郡役所の経緯を記しておく。
1880年(明治13年)小樽郡発足
1899年(明治32年)区政開始
1922年(大正11年)市政開始
1923年(昭和8年)現庁舎に移転(市指定歴史建造物)
従って郡役所は、明治13年に建設された洋風建築であり、設計図書はこの時代の復元である。
この史料は小樽市総合博物館、市立小樽図書館にある。
複数の史料をみるとすべて建物の絵が違うではないか。
おそらく町の発展に伴って急速に業務が増え増築していったのであろう。
場所は現在の南小樽駅山側、双葉高等学校の敷地である。
3DCG化に際し、何処まで復元するかは悩みどころである。というのも全てを復元すると過大なデータ量になる。とはいいつつも外壁の下見板張りと屋根瓦は3DCG化した。瓦の種類までは特定出来なかったが、明治期に使われていた瓦である。
やはりデータは重たかった。データファイル自体は3.5MBだが、その計算が膨大な量になるのだろう。だからプロセッサーの処理速度がものをいう。
その結果レンダリングに時間のかかること。
3DCGで何処が難しいかというと、入母屋屋根の瓦である。コーナー部分は約ものとよばれる屋根の形に合わせた瓦を別途つくる必要がある。それは瓦一枚毎にサイズと形状が違う。私はそんな面倒なことは省き、そのまま瓦屋根を配置し重なり合う部分は減算処理で制作した。これがまたデータ計算が増える元だ。データは日増しに重くなってくる。だがこの程度であればMacで処理できる。そんなCG建築を複数組み合わせて街全体のCGを制作し、レンダリングしたときやはりデータは重かった。
ゲームソフトでは、屋瓦なんかは画像データにしている。そりゃ格段にデータは軽いわさ。屋根上の戦闘シーンぐらいは、部分的に屋根瓦をリアルにつくったかもしれないが、それでも私の3DCGよりははるかに軽い。つまり映画美術のつくりかたと大差ない。
昔人口30万人の自治体の住民基本台帳の個人情報のダミーデータをつくりデータ量を測定した事がある。たしか30MB程度だった。それならUSBにダウンロードしても1秒とかからない。そんなデータはすでにこの法律が出来る以前に市中に流出しただろう。個人情報とは、その程度のものなんだ!。流出してから法律ができるという10年は遅れたデジタル政策によって、私達の個人情報はすでに世界中に流出済みですから、ご安心くださいというわけだ。だから振り込め詐欺が成立するというのは、その証左なのである。
だからいわんといて欲しいな。あらっ!、これ屋根瓦がつくられてないじゃんなんて・・・。そういう光景をみると私は文科系といって軽蔑している。
まじにつくるとデータが重くて泣かされるのです。
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エッセイ710. 明治期小樽の街の姿を復元してみよう、余話。

2024年04月24日 | field work

 明治期小樽の街の姿を、どこから復元するかと考えた。現在の南小樽駅の山側に広幅員の道路がつくられ、ここに小学校、郡役所、警察署、納税事務所が置かれていたからだ。このことが小樽の史料からわかった。しかもここは、明治政府が新しい街をつくろうとしていた形跡がある。ならば量徳小学校から復元しよう。
 明治の最初につくられた量徳小学校は現在廃校になっている。その後には小樽市立病院が建てられている。おおっ!、「小説:小樽の翠」で翠達が勤めている病院ではないか。こういうのを何かの縁というのだろう(*^▽^*)。
 量徳小学校の写真は同校の出版物にもある。量徳小学校の絵図もある。といってそれでは3DCGはできない。やはりX、Y、Z軸で寸法化された建築図面が必要なのだ。もちろんそんなものは存在しない。そもそも最初の校舎は明治30年代に消失してしまった。
 そうなるとこちらとしては、最初の姿を是非とも復元したくなる。明治の文明開化の時の小学校建築はどんなんだったか?。そして建築設計図を復元し3DCGにすることができた。その論証過程は私の論文で書いたので、ここでは割愛する。
 そしてこれが明治初期に建てられた量徳小学校の姿である。私が一番関心を持ったのが、この様式が擬洋風建築様式である事だ。擬洋風とは明治初期の文明開化で西洋建築の設計方法が輸入されたが、これを日本の大工はみようみまねで西洋建築風にしてしまったのだ。その結果洋風とも和風とも呼べない独自の新様式をつくってしまった。日本の大工のみようみまねの精神がすごい。
 そんな典型例を見たければ松本市の開智学校にゆくとよい。正面玄関2階テラスの天使の像をよく観察されたい。中性であるはずの天使にオチンチンがついているのだ。西洋のことなど知らない大工の立石清重は、当時の東京日日新聞からとったということ事は藤森照信さんの講義で教わった。
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エッセイ709. 明治期と現在の小樽の街の比較

2024年04月23日 | field work

 トップ画像は現在の小樽の都市地形図(2001年)の上に、明治26年の小樽の図面を重ねたものである。灰色は明治期の道路、黒い●は主な民家の位置、二つの一点鎖線の間が明治期の市街地、さらに黒い実線で示したのが明治期の海岸線であり、海にはヨコのハッチを入れてある。
 これをみるとわかるように明治期には、小樽運河も倉庫もなく海岸線が現在の道路沿いまで来ていたことがわかる。
 観光プロモーションで、小樽の街イメージを尋ねると、小樽運河と倉庫、そして工芸品とするキーワードが多い。
 小樽運河が竣工したのは大正12年だから、現在の小樽イメージは昭和の初め頃をイメージしたものである。明治期小樽は、北洋漁業と石炭積み出し港、そして樺太への旅の拠点だったから、工芸品などはあきらかに現代の創作といえる。明治37年頃までは、現在の函館本線も手宮が終点であり、小樽駅は存在していなかった。鉄道が函館まで結ぶのは翌年以降からである。
 それでは小樽が躍進を遂げつつある明治期は、どんな姿をしていたのだろうか。そこに私の関心があった。
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エッセイ708. 明治期小樽の街の姿は?

2024年04月22日 | field work

 小樽の街のイメージをGoogle Mapの解説から引用した。
「小樽市は石狩湾に面し、札幌市の北西に位置している北海道の港湾都市です。主にガラス工芸、オルゴール、酒蔵で知られています。1897 年に建てられた旧漁業施設である鰊御殿では、小樽市の歴史で漁業が果たした重要な役割をたどる展示があります。小樽運河沿いにある 1923 年に造られた旧倉庫街は、現在ではカフェやショップが並ぶモダンな地区に生まれ変わっています。」
 旧漁業施設、小樽運河、旧倉庫街、ガラス工芸、オルゴールという言葉は、大方の人間が理解している小樽のキーワードでしょう。WEB検索すると小樽の運河沿いの画像ばかりが検索される。はたしてそれが小樽のイメージだろうか?、とするおおいなる疑問を私はもった。まだ大方の人間が知らない小樽の街の姿があるはずだ!。というのも・・・。
 江戸期に北前線の寄港地であった小樽の街の近代化は明治期元年1868年に始まり、1872年郵便&電信事業開始、1877年量徳小学校をはじめ8箇所の分校が開設。1880年手宮-札幌間の幌内鉄道開通、1885年日本郵船小樽支店開設・・・と、街の近代化が明治の初めから著しい速度で進められ、当時の樺太やヨーロッパと港を通じてつながり、人流と物量の国際都市が明治の頃には完成していたからだ。
 そして小樽運河が完成し埋め立て地に倉庫群ができたのは、1923年(大正12)以降である。そう考えれば、運河や古い倉庫群といった大方の人間が抱く小樽イメージは大正期晩年、さらには昭和期のイメージである。従ってトップ画像の景観も昭和初期のものである。それでは街が成長を遂げた明治期はどうだったのか?。そこに私の関心がある。そこで明治期小樽の姿を探った。その考察過程と3DCGによるビジュアルな街の姿の一部は学術論文として公開している。
名古屋市立大学大学院芸術工学研究科編:芸術工学への誘い、三上訓顯「近代都市の魁け、明治期小樽の街並み」
私の研究論文は、すべて情報公開としている。従って1年以内に国立国会図書館に大学刊行の紀要本が納本されるし、あわよくばPDFでWEB上に公開されるだろう。

小樽市,2021年
NikonF3+MD4,ZEISS PLANAR50mm/F1.4,トライX
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エッセイ707. マックが処理能力を超えた?

2024年04月21日 | field work

 3DCGを制作していたら、あるステージでMacがレンダリングを途中で辞めてしまった。つまりコンピュータの処理能力を越えたのかなぁー?。
 ふと今の私達の社会は、コンピュータの処理能力の範囲内の仕事しかしていない事に気づいた。だからストップすることもなくコンピュータは動き続けられるわけだ。
 それでも時折航空会社のシステムがダウンしたり、銀行のATMがダウンしたりする。おそらく極めて短い一瞬の時間で処理能力を超えたからであろうと私は推測する。それが僅か1秒以下の時間であっても処理能力を超えた瞬間にコンピュータはデータ処理の限界を越えてストップするわけだ。
 3DCGを制作していれば、そんなことはよくおきる。そりゃ瓦1枚ごとにデータ化した尾根に下見板張りのリアルなデザインの建築を複数並べ、広範囲の街並みを再現しようものなら即ストップだ。
 そうなるとデータを軽くしなきゃ。瓦屋根表現はやめてフラット、下見板張りもやめて壁一面フラット、ガラスのテクスチャーもやめてフラット。あるいは縮小するか。もちろん処理能力を増やせば再開できる。
 コンピュータのプロセッサーのスペックは日進月歩で進化しているが、データ処理量も同様に増大し続ける。だからシステムが止まった位で一々騒ぐなよ。
 3DCGを制作していると、そんな経験によく遭遇する。しょうがないですねぇー、イラストにしちゃいますか・・・。最後に依存できるのは人間の能力だど思いますけどねえー・・・。
 あるときサラリーマンのコンピュータを盗み見したら、wordにexcelにブラウザ、書類はPDFばかり。あとは捨ててもいいような無料ソフトじゃん。あんたはその程度のソフトで人生やってんだ。パソコンがダウンすることもなくお気楽でいいねぇー・・・。パソコンをみるとお里が知れるというやつだ(*^▽^*)。
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Fieldwork897.Kyooto,Cloudy, temperature 6 c, strong west wind 4K

2024年04月20日 | field work

 3月上旬、京都の天気は曇り、気温は6℃、西の強い風。 私は体重を減らすために1万歩を歩くことにした。だから撮影は二の次であった。
 コロナ過前から始めたダイエットも66kgから57kg代まで減量したとき終わったと思った。だが理想は55kgですといわれ、まだ途中だったか・・・。脂肪分を控えた食事に切り替え、地道にこの先1ヶ月ぐらいはダイエットが続くだろう。そんなわけだから、ジムのない日は歩くことにした。
 もう二つ目標があり、それが発声練習と姿勢である。発声練習は喉の筋肉を鍛えるためであり、次いで長い研究者生活で背中の曲がった姿勢を直したい。こうした切っ掛けになったのがいびきの治療で病院に通い出してからである。ならば努力して、少しは格好良くしよう。
 たしかに街を歩くと四角い体型でお腹が膨らんだり、背中がまがったシニアが多い。そんなのをみていると、ああいうふうにはなりたくないからトレーニングで頑張ろうとする向上心が沸々と沸き立つ。まあ努力してみよう。それが健康づくりなのである。
 健康づくりと、かけ声はあちらこちらから聞こえるが、じゃあどうすれば良いかとする指針がないのが社会だ。つまりかけ声ばかりで無責任なのである。
 健康づくりには、ウェィトコントロールが大きく、目標値を設定して努力しないことには健康づくりなどおぼつかない。
 そんなわけでジムに通い、エアロビクスとウェィトトレーニングを本格的に再開した。きっと夏頃には普通の体型になっていればよいかな。
 そんなついでの映像練習である。いまになってピクチャープロファィルを設定してなかったりと気がついてちょんぼがあるが・・・。
Fieldwork897.Kyooto,Cloudy, temperature 6 c, strong west wind 4K

SONY FX30,E18-105mm/F4.0 OSS
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Fieldwork896.Kyoto, the return of cold weather 4K

2024年04月19日 | field work

 春だけど冬が戻ってきた日が続く。私はダイエットのために毎日の散歩に出かけた。散歩のなかで私の眼が向いた被写体を並べたみた2分44秒の映像。2024年の2月の京都の映像である。尚過去映像は以下のURLで視聴できます。https://www.youtube.com/@team_mikami/videos
 今日は、できるだけ映像を動かさずに撮影を心かげた。というのも私達は物心ついたときからテレビがあり、映画館にかよう青春時代を過ごしてきた。だれでも映像と、それが経過する時間との感覚を暗黙のうちに持っている。そうした感覚から外れると退屈という評価がくだされる。そんな映像で育ってきた現代人だから映像にはシビアな眼が向けられる。そんなことを意識しながら1コマの秒数や全体の編集を考えている。
 この日は初心に返り人間を中心に編集した。やはり京都とはいえ風景だけでは飽きる。そのあたりの時間感覚が鍛えられている現代人だ。
 それがもっと若い世代になるとゲーム世界のテンポの速い素地が養成されているから、私とはもっと違う映像表現になるだろう。それはそれで勉強になりそうだ。
 今日の映像は、できるだけ機材を動かさずに撮影し、編集で変化を加えている。少しだけ手持ち撮影にも慣れてきた。海外のフィールドへでかければ、大半が手持ち撮影にならざるを得ないから手持ち撮影の練習は必須になる。
 余談だが、清水さんの参道のフードのなかで、西尾八つ橋の生八つ橋が私は美味しいと思う。餡の味が良く外皮も柔らかくて旨い。ここは無料のお茶のサービスをしている。10種類ぐらいの味があり季節によって変わる。以前ならばマンゴー味は私の好みだった。血糖値が下がったりするといつもここへ飛び込む。
Fieldwork896.Kyoto, the return of cold weather 4K
SONY FX30,E10-18mm/F4.0 OSS
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Fieldwork895.KYOTO,Return of cold 4K

2024年04月18日 | field work

 3月初めの気候は、冬といってもよかった。そんななか映像練習とダイエットのために散歩にでた。
 だからいつもの風景を使いながら映像実習と、医者から要望されている減量のために1万歩は歩きたいとする二つの理由で散歩に出た。
 だが晴天の空にだまされて、薄手のセーンターに至極普通のソックスというスタイルでは寒かった。とても撮影する意欲がわかないが、必要カットを取り終えてマクドナルドへ逃げ込み温かいミルクティーで手を温める始末だった。早々に家に帰り温かい食材で身体を温め、風呂に入ってようやく落ち着く。一寸気候をなめていた。結果は体重が増えているではないですか。
 もちろんジムにも通っているけどあと2kg減ると標準体重になり、体調がすこぶる良くなることは経験上わかる。健康づくりのために映像を撮るなどということを推奨するメディアはいないが・・・。
 そんなわけでFX30に広角ズームレンズを付けて手持ち撮影に励む。まだ身体の動かし方もぎこちないので、あちこちブレている。といいつつYouTubeにアップさせてしまった。一つのことでいろんなことを同時に済ませれば、よいのだが。
Fieldwork895.KYOTO,Return of cold 4K
SONY FX30,E10-18mm/F4.0 OSS
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Fieldwork894. OTARU, signs of inbound tourists 4K、追記

2024年04月17日 | field work

  今年の冬の小樽は異変があった。それは外国人が多いこと。中国人、韓国人、欧米人、そしてアラブ諸国から観光客が冬の小樽を訪れていた。さらに修学旅行の生徒達も加わり街は人通りが多い。これでは京都と同じだ。だから私は美国へ抜け出した。ここには観光客はいなかった。
 これまでの冬の小樽では見られなかったインバウンドが多い風景が、今年の街の印象だった。えっえーー、そんな軽装で冬の街歩きですか・・・。
 晴天の春めく小樽の街を、完全防寒仕様で歩いていても、2時間も歩き続ければホテルに戻りたくなる寒さだ。
 フィールドワークだから、一応次年度論文の準備をしなければ。そう思って複数の調査ポイントを歩き回る。次第に地形の構造が見えてくる。意外に標高差があるとする認識は、街を歩かなければわからない。本来なら雪の街を歩くはずが、この日は春めく陽気だからテンションが低い。といって調査には格好の天気なのだけど。
 小樽は、雪がなければどこにでもある地方都市と大差ない。雪があってこそ美しい街なのである。そのことをついにインバウンド達にみつけられてしまった。といって彼らが来年も来るかどうかはわからないが。
 天候も残念だったけど、ゆきつけの居酒屋の定休日が週二日になっていた。それはしらなかった。とても残念。
 春めく陽気で雪が溶け始め、街は汚い。そう思っていたら最終日に朝からシンシンと雪が降り積もり、街は冬の小樽の風景を取り戻した。延泊すればよかったな。

Fieldwork894. OTARU, signs of inbound tourists 4K
SONY FX30,E18-105mm/F4.0 OSS、E10-18mm/F4.0 OSS

追記

 NHKニュースで熊本地震で被害を受けた南阿蘇鉄道が全通した地元の喜びの声のニュースを見ていた。同時に気象庁火山カメラの画像をみると、阿蘇山の噴火口が赤く染まり火山ガスが出ている事がわかる。これが俗にいわれる火の玉説の論拠なのだろうか。つまりこの後に阿蘇山噴火や周辺地域で地震が起きる可能性が高いとするのが地球物理学の知見だが。私は専門外であるが、興味深かったので画像をアップしてみた。気象庁の説明はなかった。
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Fieldwork893.すれ違いの小樽 4K

2024年04月16日 | field work

 数回目の小樽のフィールドワークだ。今年は小樽シリーズの最初の論文を1本仕上げて、次の論文に取りかかる前に確認しておきたかった事があった。そして積丹半島美国へ足を伸ばした。だが以前のような興奮がない。なぜだろうか?。そうか温かい天気が続いていたので、雪が少なくなっていたのだ。だからもう春なのかと思わされた。だがそれは帰る頃に杞憂であった。
 およそ雪がない雪国ほどつまらないことはない。残渣のような汚れた雪で道は覆われ、滑り止めなどがまかれ、雪の下に埋もれていた街の元型が姿をあらわすと、どこにでもあるただの地方都市だ。
 だが小樽シリーズ1本目の論文を投稿し、次のシリーズを目論むにあたり確認しておきたかった事があった。それは小樽の街の中の地形である。この町はアップダウンが多い点では、函館や横浜と似ている。そればかりか高さ20mはある崖がいくつか街の中に存在している。だから坂の街小樽と言ってよい。
 国土地理院の地形図では、街の中の等高線は、情報が錯綜するので略されている。こちらはせめて1m間隔で等高線を復元したい。ならば目視とビデオ撮影で確認しようというわけだ。そんな仕事をするのに、天気が良く、温かく、というのは街の中を歩く立場にとってはありがたいのだが、いかんせんモチべーションがあがらない。そもそも街全体が薄汚れているからだ。
 まあいいか。確認すべき所は確認できたから。どうせ市役所に行っても、こちらが期待する等高線の古い図面はないからはしょる。
 そんな仕事をしつつ、帰る日の朝雪が降り続いている。天気予報では、三日ぐらい続くようだ。しまった滞在日をもう一日増やせば良かった。すれ違いの小樽であるが、4月に刊行される論文集を小樽の図書館と博物館に贈呈するからこちらの役割は終わったも同然。目下の関心は次の小樽シリーズの論文、つまり詳細な等高線!。

Fieldwork893.小樽雪が少ない!、残念!!、春なのか!!! 4K
SONY FX30,E18-105mm/F4.0 OSS
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