国伝統的建造物群保存地区であり美観地区でもある倉敷旧市街地は、幕府直轄地である「天領」だったことで街の基盤を築き、明治期以降の大原孫三郎による産業振興において経済と生活の基盤を形成するなど、常に歴史の本流を歩いてきた街だけがもつ安定感を持った風景がある。この安定感ある風景には、過去、現在、将来にわたり、およそ変わることがないと誰しもが思うだろう。現在京都をはじめ我が国の多くの歴史的街並みが、衰退しつつある現状を思えば、倉敷美観地区は歴史資産継承の優等生だといえる。
この街を歩くと肌で文化を感じることができる。その理由は、セザンヌ、ルノワールといった西洋近代絵画の収集に始まり、バーナードリーチ、富本憲吉、河井寛次郎、浜田省吾、芹沢銈介、棟方志功といった今では我が国の民芸運動を代表する蒼々たる作家らをいち早く発掘し、作品収集の先駆けとなるなど、広範囲な視点からのコレクションを持った民間事業体である大原美術館の存在によることは論を待たない。文化の価値を読み解く眼力の確かさと、知識の深さがあってこその文化性である。
近年、街の文化性への関心が高く、各自治体では、それなりの文化事業が盛んだ。それだけ我が国には、文化のない街と呼ばれるところが多いのだろう。だが、文化性は事業として扱うというよりは、むしろ文化の価値を見いだす感性や審美眼、優れた才能を発掘し育て上げる洞察力や先見性、そして文化に対する見識ある知識の研鑽と蓄積の総体を言い表すことと、私は考えている。従って街の文化性とは、地域に暮らす人間性やその意識及び行動の反映である。当然上からとやかく言われるべき筋合いのものではない。昔からの稽古事はもとより、アーティスティックな感性や外界に対する興味がなく、手間のかかることが面倒で、本も読まず勉強嫌いの人間達が多く集まったところで、文化は育たないのである。
大原美術館の隣に古くから店を開いている「エルグレコ」と呼ばれる瀟洒なカフェがある。文化を考え、語るためには、必要な意味ある設えである。そういう機能上なくてもさしつかえないが、人間の意識や生活において必要とする意味づけられた設えをリダンダンスという概念で論じていたのは、建築家芦原義信の著書「街並みの美学」であった。
ところで私は、名古屋に赴任してから、喫茶店で学生から文化の話を聞いた記憶がない。名古屋は喫茶店が数多くあるのに、不思議だ!!(笑)
EOS3,EF F3.5-5.6/28-135mm
エクタクローム,CanoScan.
この街を歩くと肌で文化を感じることができる。その理由は、セザンヌ、ルノワールといった西洋近代絵画の収集に始まり、バーナードリーチ、富本憲吉、河井寛次郎、浜田省吾、芹沢銈介、棟方志功といった今では我が国の民芸運動を代表する蒼々たる作家らをいち早く発掘し、作品収集の先駆けとなるなど、広範囲な視点からのコレクションを持った民間事業体である大原美術館の存在によることは論を待たない。文化の価値を読み解く眼力の確かさと、知識の深さがあってこその文化性である。
近年、街の文化性への関心が高く、各自治体では、それなりの文化事業が盛んだ。それだけ我が国には、文化のない街と呼ばれるところが多いのだろう。だが、文化性は事業として扱うというよりは、むしろ文化の価値を見いだす感性や審美眼、優れた才能を発掘し育て上げる洞察力や先見性、そして文化に対する見識ある知識の研鑽と蓄積の総体を言い表すことと、私は考えている。従って街の文化性とは、地域に暮らす人間性やその意識及び行動の反映である。当然上からとやかく言われるべき筋合いのものではない。昔からの稽古事はもとより、アーティスティックな感性や外界に対する興味がなく、手間のかかることが面倒で、本も読まず勉強嫌いの人間達が多く集まったところで、文化は育たないのである。
大原美術館の隣に古くから店を開いている「エルグレコ」と呼ばれる瀟洒なカフェがある。文化を考え、語るためには、必要な意味ある設えである。そういう機能上なくてもさしつかえないが、人間の意識や生活において必要とする意味づけられた設えをリダンダンスという概念で論じていたのは、建築家芦原義信の著書「街並みの美学」であった。
ところで私は、名古屋に赴任してから、喫茶店で学生から文化の話を聞いた記憶がない。名古屋は喫茶店が数多くあるのに、不思議だ!!(笑)
EOS3,EF F3.5-5.6/28-135mm
エクタクローム,CanoScan.