Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE 昨日の話

2010年06月30日 | Photographic Equipment
 少年のように首を長くして待っていたオリンパスペンE-P2の納期が一週間遅れ、手元に届くのは来週早々という連絡があった。受注生産とはそういう意味か。今週末の学会に持参して長野・上田市の街を撮影しようとしていたのに残念だ。
 それでは写欲がわかない。次に購入予定だったオリンパスペンライトE-PL1を先に入手した。システム構成上明るいパンケーキ付ボディのセットが必須だったのだが、こちらも受注生産であり、1週間後でないと届かないという。そこですぐ手に入るボディとレンズを別個に調達した。結果としてセット価格より2万高くなるというわけのわからない仕組みなのだ。それにしてもオリンパスの機材は優れているが、実に商売が下手だと思う。もちろんメイドイン・チャイナである。
 ペンライトE-PL1を少し試写をしてみると、フジS5+ツァイスには遠く及ばないが、そこそこに写るようだ。アウトプットは、個人的にこだわる色の違いを除けばパナといい勝負なのだろう。レンズマウントなどの精度は日本製パナの方が良いだろう。つまりペンライトは、マウントが少しきついから、寒暖の差があるところでレンズが外れないということがあるのではと懸念する。
 それにしても私は、何故マイクロフォーサーズに拘るのだろうか。日常生活の中で、同じ情報量であれば、ときには小さく軽い機材で十分ではないかと思う場面が多々あるからだ。第一登山では、軽くなければ私の体力では持参できない。それにオリンパスは次第に小さな交換レンズも揃いつつある。マイクロフォーサーズは、これからのデファクト・スタンダードになるかも知れない。だから手元にあるEOSシステムは、これからはあまり出番がないだろうと思う。
 来週届くE-P2を加えたボディ2台と3本の交換レンズでシステム化したいのだが、今週はパナGF1にライツレンズをつけてしのぎたい。
 最後に重要な事を言い忘れるところだった。ニコンやフジはもう何年も新モデルをださないし、そのために溜めていた量販店のポイントがあるからシステムの軽量化に乗り換えたわけであって、もしそれがなければ、これまでの重い機材で十分である。そして、この小さなシステムに使い慣れれば、今後大きな機材に手を出さなくなるかもしれない。小槍を抱えた伏兵のようなプロダクトである。

Canon EOS40D,EFSMacro60mm.
シャッター1/30,絞f2.8,-2/3露出補正,焦点距離60mm,ISO125.
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京都暮らし353. 間抜けな国、日本!

2010年06月29日 | Kyoto city
 ワールドカップを見ようとしてTVを付けっぱなしにしていたら、「日本の危機」という民放番組をやっていた。これが予想外に面白かった。
 10年前、そして5年前と私が中国を訪れて、この国は伸び、その分我が国が衰退するという実感を得て、その後講義や各地でしゃべった私の予測が、ようやくマスコミのレベルまで届いてきたようだ。
 私の予測は、現在すべて的中しているのだが、それは日本が行ってきたことを、そのまま中国に移して考えたわけだから、ある意味では当然の帰結だろう。
 TVでは中国富裕層が日本の不動産に着目したことを報じていたが、やがて彼らは日本企業の買収に関わってくるだろう。企業は育てるよりは買う方がはるかに容易であることは、誰しもがわかるだろう。そう考えれば日本のカメラメーカーだって何れは、中国資本になる可能性だって秘めているのである。
 現に私の手元にあるニコンの50mm標準レンズだってmede in Chainaと刻印されている。日本製品を海外で作れると言うことは、それをつくれる技術者・職人も海外に引き抜かれているといってよい。企業がリストラする、或いは60歳で定年となる、その後暇になった日本人は中国に出かけ、せっせと技術指導をして中国の産業基盤を形成しているのである。だから、日本ほど鍛え上げた人材と培った技術を粗末に流出させている国はないといえよう。
 日本の技術供与をしてつくられた中国の新幹線も、中国政府は、時速180km迄は日本の技術、それ以上は中国の技術と称して、アメリカに売り込んでいるではないか。私の推測だが日本の技術者は中国人を甘くみて、時速180km迄の技術しか供与しなかったのだろう。日本より広い土地で日本以上の高速が求められている国で、それは誤った判断である。いまではアメリカの新幹線計画において、中国は日本のライバルであるし、財政危機にあるカリフォルニア州では、資金も提供するといったプロデュース的対応を条件としているので、中国新幹線が採用されるかもしれないとする予測もできる。
 まあ私も大学を退いたら、中国で国家を動かせる力量あるプロデューサーを養成したいと思う。そうして育った中国人プロデューサーが日本の建築界を牛耳るわけだ。スキルの海外流出である。
 我が国は、技術流失や人材流出に関心がない、というよりは使い捨てである。従って大いに流出し、近未来において開発途上国が我が国の経済を脅かす構図ができあがるのである。
 そこに国際社会において、間抜けな国日本と賢い国中国といった構造が次第にできあがってゆく。これは既に現在の事実なのだから容易にはくつがえせない。そこに日本の危機があるのだろう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月13日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/180,絞りf4.ISO100,カラーモードF2.
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京都暮らし352. 日曜日のコーヒー屋

2010年06月28日 | Kyoto city
 京都は次第に湿度が高くなり、毎日雨が降り続くまさに梅雨の気候である。やがて湿度だけ残して雨が上がると、今度は本格的な蒸し暑い夏の気候に変わる。梅雨の雨が上がる頃にあわせるかのように、祗園さんの山鉾巡行が行われる。
 ところで街でよく見かける人材派遣会社のポスターに、若い頃のオードリー・ヘプバーンがイメージキャラクターとして登場している。今見ても美形だ。そんな美形を身の回りで捜すと、いるではないか。チェーン展開されている近所のコーヒー屋にゆくと、身長175cm以上はあるだろう。そして頭が小さく目鼻立ちの整ったスリムな美形の店員さんだ。ここで日曜日の朝のモーニングをしながら、オードリーを思い出している。どちらも美の頂点に近いよな。
 最近この美形という言葉を久しく忘れていたのだが、 美形とその他数多くいる並みとでは、相当に落差があると感じさせてくれる。なにしろその他の全てが、えらく笑える滑稽な容姿に見えてしまい、もの凄く色あせて見えるからだ。今のメイクが万人向けの美形づくりを目指しているのだが、やはり形の整った美形にはかなわない。
 美の基準も頂点を忘れると、どこか標準化してしまい平均点も下がり、まあそこそこでええかというところに安易に落ち着いてしまう。広く言えば今の日本の社会全体がビジョンを失い、エコだ、少子化だ、小さな国家だと、些細なことに陥り、萎縮し、そこそこで落ち着いているようにも思われる。だが、いつの世の中でも、どんな世界においても頂点は、歴然として存在するのである。そのことを忘れないようにと、コーヒー屋の美形の店員さんを眺めながら戒めている(笑)。
 これからは、美形づくり、それがメイクのトレンドだなと個人的に思わせてくれる。もちろんどんなにメイクを重ねても、地の形がよいものには勝てないが。だから形の良いもの、言い換えれば格好が良いもの、そこに最近エコで大いに萎縮したデザインが取り戻すべき価値の一つがあるのだう。
 美形、それは人間の求める理想型の一つだといえよう。理想とは言っても現実には、近所のコーヒー屋さんにいるんだけどね(笑々)。

京都市・京都府立植物園,2010年6月13日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO800,カラーモードF2.
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京都暮らし351. 私のザックの中身

2010年06月27日 | Kyoto city
 毎週新幹線に乗るような移動暮らしを続けていると、何を持って行くかの選択が大切になる。
 最近の私の場合、赤いドイターの10リットルのザックに、洗面用具と着替え、ホテルのランドリー袋、マックブックPCに電源ケーブル、講義で使用するデータを入れたUSBメモリー、特製のイエロースケッチブック、24色の色鉛筆、財布、スケジュールと連絡先を書き込んだ手帳、iPhon、それにデジカメ(今は20mmレンズ付きのGF1)、時間のあるときに読む西村京太郎の文庫本、折りたたみ傘、モンダミン、CCレモンの500mlボトルをいつも詰め込んでいる。時には、採点中の学生の実週作品などがはいっているときもある。また場合によっては一番重たいPCを外す場合もある。
 フル装備にするとザックは少し重たいが、これだけあれば、都会ならばどこでも仕事が出来るし、パスポートを加えれば海外にも行ける上に、退屈もしないだろうと思っている。
 少し不満があるのがパナのGF1である。この交換レンズはいささか大きい。そこで登場してきたのがオリンパスペン用マイクロフォーサーズレンズ群である。だから食指が働こうとしているわけだ。
 道具というのは、必要だと思うときにその場になければ、なんの価値もない。普段持っていることを忘れさせてくれるぐらいの小ささ軽さであるにもかかわらず、パイスペックであることが不可欠だとおもう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月13日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf11.露出補正-1/3,ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし350. いつも仕事は不意に!

2010年06月26日 | Kyoto city
 どうも最近オリンパスの幻影が頭から離れない。量販店のポイントでゲットできるので、悩む必要はないのだが、あれって小さくて軽くていいよねぇーという気分が強くなる。といって画質がそんなにいいわけではないのだが、やはりデザインにはまってしまうわけである。そこにオリンパスの魅力があるのだろう。
 高画質ならば、このブログでもアップさせているフジ+ツァイスで十分なのだが、いつも手のかかるこんな重たい機材で生活しているわけではない。そうなるともっと小さく軽い機材を日常的に持ちたい。それもいざというときには、そこそこの広角から望遠レンズとして代用できるということが、私の場合は重要なのである。
 例えば仕事で東京に行き、偶然湘南海岸でいい波がきているなんて情報をつかみ、では少し時間があるので撮影に出かけてみようというときに、手元に代用できる機材のあることの方が大切である。そういうときに鞄の隅に入れておけるオリンパスは代用可能なのである。
 自然界は、こちらが最初から撮影機材を準備し構えていても、良いシャッターチャンスが訪れるとは限らないことを私は経験的に知っている。だから、いつもハイスペック機材が鞄の片隅に入れてある、或いはいつも入れられる程度の小ささであることの方が重要なのである。それに応えるのが専用レンズの小さいオリンパスペンなのである。
 撮影に限らず私達の日常は、いつも不意に、様々なことが訪れる。仕事に限ってみても、京都から東京に出かけたら、ちょっと近いから中国まで飛んでくれない、なんていう話が出てくることは、私達の世界ではよくあることだ。
 だから、仕事で東京に行くときは、パスポートも持参している。日帰りのつもりで東京に出かけたら、そのまま中国の奥地をめぐって京都に帰るなんていうこともあるわけだ。そのために携帯があるんでしょう。だが重たい機材はそういうわけにはいかない。だからオリンパスのいつでも持ち歩けるハイスペックというのは、実は大変大切なコンセプトなのである。
 なんか、かぶれたか........。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO1250,カラーモードF2.
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京都暮らし349. 危ない誘惑

2010年06月25日 | Kyoto city
 昨日は夕焼け空であり、6月の快適さを楽しみながら明日の天気は晴れるだろうかと思案していた。 
 さてオリンパスペンE-P2一式が届くまでに大分時間がある。例のムック雑誌を見ると、ペンライトつまりE-PL1+電子ファィンダー付が欲しくなる。そうなればどこへでも持ってゆける軽くて小さく、かさばらない2台体制のシステムとなり、大変使い勝手が良いだろうと想像する。バッテリーが共用だという細かいところにも心を動かされる。
 いずれ出されるニコンのレンズを買おうと思って溜めておいた量販店のポイントがあるので、さてどうしたものか。そんな危ない誘惑に引き込まれそうな魅力あるデジタル・デザイン・プロダクトは、オリンパスペンの他には、最近ではアップルのコンピュータとiPhone、それにiPad位である。
 得てしてデジタル&コンピュータ機材というのものは、デザイン感覚が皆無に等しく、いやいや使わされていることの方が多い。このデザイン感覚ということだが、単なる外観が格好良いだけではない。それは機能的に先進性を感じさせてくれるスピリッツが、プロダクト全体にみなぎっているようでなければと、私は思う。それが持っていて嬉しくなるという気分にさせてくれるのだ。
 だからアップルやオリンパスに心ひかれるわけである。こんなことを書いていると、ますますE-PL1が欲しくなるではないか。危ない誘惑である。
 今手元にある撮影機材パナソニックGF1もコストパフォーマンスが高く大変優れているが、ビデオカメラまがいの雰囲気が漂い、ビューファインダーも解像度が低く小さく見にくいところはいかにも撮影軽視の発想が漂い、露出は素人向けにセットされているので何時もオーバーとなり、常に補正が必須となるなど、私にはどうも使う意欲を感じさせてくれない。個人的にはですが、パナは愛着のもてない飽きられるデジタル機材である。
 だから今度の日曜日は東京へ行く予定だし、フォーサーズ規格に加わっているフジは一向に新製品が出てこないし、ニコンは80-400mmズームのモデルチェンジレンズをしないし、それらのために溜めていたポイントでオリンパスにポチっとゆきますかね。ポチっと、は通販時に使うスラングだったか(苦笑)。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO1250,カラーモードF2.
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京都暮らし348. オリンパスペンの記憶

2010年06月24日 | Kyoto city
 今日の京都は梅雨時の晴れ間であり、クリアで大変気持ちの良い青空が広がり、暑くないために、しのぎやすい一日である。こういう日は好きですねぇー。
 オリンパスペンの話を続けよう。私が、35mmのフィルムを用い通常の撮影機能を有した最初の撮影機材が、親からのお下がりであったオリンパスペンEESだった。だからオリンパスというブランド名は、私の意識の深層に記憶されている。そんなオリンパスを青春時代に体験した人は、私の世代では結構多いだろう。
 中学の時仲の良かったY君が、オリンパスペンFを毎日学校に持ってきていた。Fというロゴと小さく凛としたクロームメッキのボディは大変美しく、ロータリーシャッターの感触も素晴らしかった。Y君も大変気に入っていたようで、いつも大切に扱われていた。私もいつかはオリンパスペンの一眼レフをと思いながら、成長していったわけである。鑑識眼のあったY君も私も、その後はニコンを使いながら40年以上経過していた。
 だから最近誕生したデジタル・オリンパスペンの一眼レフを見たときは、無意識のうちに私のDNAが反応していたのかもしれない。
 デジタルペンが私の手元に来るまでにまだ6日ある。京都暮らしとは全く関係のない話題だが。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO160,カラーモードF2.
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京都暮らし347. やはりPEN!!!

2010年06月23日 | Kyoto city
 撮影機材の話をしよう。先日、オリンパスペンのムック雑誌をみていた。この雑誌に掲載されていたリスボンの街の作例などをみていると、イエローとブルー系に少し偏ったような発色傾向であり、それはコダックの色を思わせてくれる。
 だから最近個人的には、少し嫌気がさしているパナソニックGF1の赤ー紫系の地味な発色よりは、オリンパス・デジタル・ペンの発色の方が好ましいと思っている。
 実際店頭でデジタル・ペンを手にしても、従来のデジタル一眼レフと同様の機能を納めながら、大変小さくて軽く、いかにもメカニズムが凝縮しているところは、さすがオリンパスだ。特に私が愛用しているバッテリーグリップをつけたS5がもの凄く大きく見える。
 やはりこの他に負けず劣らずの機能を積みながら、ペンの小さなボディとレンズは、デジタルならではの進化だということを痛感させてくれる。建築調査に持って行けば軽く小さくなった分だけ資料や道具が持ち込める。我々にとって小さく軽いというのは、神にもすがりたくなるぐらいの仕様なのである。それに、こんな新コンセプトの機材を使えば、撮影の見方や行動も変わるだろうと思わせるものがある。
 ボディ候補は、露出補正等の操作がしやすい点では、迷わずペンE-P2のブラックだな。それに実質18~300mm迄をカバーする2本の大変小さなズームレンズ、外付け電子ビューファインダーは必須だ。そらに諸々加えて小さいとはいえ一式の金額が24万円となり、結構な値段ではないか。
 でっ、昨日それら一式を注文してしまったのだ。
 届くまでに一週間はかかる。一週間というと今は名古屋から戻ったばかりだが、また明後日から名古屋一泊二日、それに東京に一泊二日と雑用をかたづけた後に手にすることになるだろう。
 つまり到着が大変待ち遠しくなるデジタル機材というのも、今時めずらしいではないか。頭のなかで撮影のシミュレーションやロケーションをしたりして、一人ほくそ笑む、そんな心をくすぐるデジタル機材だね。

京都市・京都府立植物園,2010年6月13日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO800,カラーモードF2.
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京都暮らし346. デファクト・スタンダード

2010年06月22日 | Kyoto city
 今日はさしたる話題もないのだが、そういうときは撮影機材の話でもと思ったが、こちらも今の機材で満足しているので、書くような話もない。
 ところで、やはりオリンパスペンEP-2+外付けファインダー付が面白い。実際に手にしたときのボタン類の操作性が小さい我には良いし、このマイクロフォーサーズという一連のシリーズは、小さく軽くデザインも良い。はてどうしたものか。こういうのを見ると、まさにデジタル時代に相応しい進化形態だと思わせてくれる。だから今までの大型の機材はなんだったんだろうかと感じさせてくれる。
 フィルム時代のスペックに合わせるのではなく、デジタルでなければできないスペックを新たにつくろうとする制作側の姿勢を感じさせてくれる。当然マイクロフォーサーズが、これからの新しいスタンダードになってゆく可能性は大きいと思わせるところがある。
 こうした市場によってつくられる新しい仕様を、デファクト・スタンダードという。そんなもうしごがマイクロフォーサーズという規格なのだろう。
 
京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4.露出補正-1/3,ISO1000,カラーモードF2.
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京都暮らし345. 夏至

2010年06月21日 | Kyoto city
 最近、雨の日の撮影にはまり、そして梅雨時の季節が快適だと思っている。夏ほど暑くなく、湿度はあるものの、窓を開け放っていれば風が入ってくるのですごしやすい。それに古都に梅雨は、風景としてはよく似合う。
 そんな少し心地よい風を感じながら昨日の日曜日の午後は、寝転がって本を読みつつ、気がつくとたっぷりと昼寝をしていたようだ。起きたときには、頭がスッキリしていて大変心地がよい。こんな調子では、夜は眠れまいと思っていたが、夜中のワールドカップを見ながらまた寝てしまった。先週は、名古屋往復、東京往復と少し多忙であったので疲れがたまっていたのかもしれない。
 京都の夏が大変暑いことを思えば、真夏の上高地にいるかのような、この時期の京都のすごしやすい気候は大変貴重な時間である。
 今日は夏至である。朝に弱い私も人並みに早起きしている。実をいうと京都人は早起きなのである。朝の6時を過ぎれば散歩をしている人もいるし、中には清水寺の音羽の滝まで早朝散歩にでかける近所ツアーもあるようだ。街中では早々にトラックで八百屋がやってくる。夜は8時近くまで明るいので、少し外国にいるような気分になるところが、面白い。
 一日の陽の長さを楽しみたいと思う頃である。

京都市・京都府立植物園,2010年6月19日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/114,絞りf8.ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし344. 京都人の口の堅さ

2010年06月20日 | Kyoto city
 京都人は、相手が不利なるようなことは絶対に口外しない。そうした口の堅さにはじまる大人社会の大きな信頼性が、祗園などの花街を支えている。それは京都人の特徴だといってよい。
 そうした特徴は、1200年の我が国の歴史の中で、政治のトップがころころと変わり、その都度毎に政治と関わりをもってきた京都人の歴史的経験のなせる技である。従って京都発の暴露本をはじめとするゴシップ週刊誌というものは、この街には存在しない。
 口が軽いのは、東京人である。なにしろ暴露本、暴露週刊誌を大量に発行し、スキャンダルが大好きな人種なのである。そのおかげて、最近の政治のトップが、ころころと変わり、国益として考えればマイナス要因である。他人が不利となる情報に、大義名分をつけて正当化するところが東京人であり、口の軽い子供社会東京の姿である。
 また外に冷たく内に優しい名古屋人は、どうか。それは隠密社会であろう。密かに他人の不利となる情報を探り、知るべきヒトは知っており、それが露呈し、社会の話題となることもある。第一徳川家康の頃から隠密がばっこしていたではないか。こっそり相手が不利なことを探ろうとするいじきたない精神に変わりはなく、今の東京人の口の軽さの基盤になっている。
 歴史的経験により口の堅い京都人、情報をビジネス的に売買する口の軽い東京人、隠密をつかって探ろうとする名古屋人と捉えれば、そこに土地柄がみえるのかもしれない(笑)。
 さて昨日のワールドカップ、日本:オランダ戦は、このブログでも予想したとおり、見事に敗退した。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/90,絞りf11.ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし343. スポーツの季節

2010年06月18日 | Kyoto city
 さて前回のワールドカップ、日本-カメルーン戦は、相手チームの主力選手がエトーだけで、それ以外の主力メンバーが国情により出場しなかったので幸運にも勝利した。
 それは偶然の産物のように思われる。といって明日の対オランダ戦で、日本チームが勝利する可能性は少ないと言えよう。ワールドカップをなめてもらってはこまる。日本のような新参者が草々易々とヨーロッパの歴史あるチームに競り勝って決勝リーグに駒を進められるほど、ここは甘い世界ではない。まあ、何かの番狂わせに期待しよう。
 日本チームが勝とうと負けようと、ゴールデンタイムなのだから、大いに盛り上げれば大きなスポンサーがつき儲かる、とはしゃいでいるのは広告代理店だけである。サッカーの盛り上がりは、広告代理店の仕掛けだと思いたくなる。サッカーは弱いが、金儲けは上手いというあたりが、いかにも成金大国日本なのだろう。
 そうはいってもこの時期、。F1グランプリ、ウィンブルドンとスポーツ系の大きな大会が目白押しである。雨の日にこうしたスポーツ番組を夜な夜な見ているのは、どこか少し幸せな気分である。この時期海外では、気候も程よくスポーツの季節なのであろう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/200,絞りf4.露出補正-1/3,ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし342. 新聞の捨てがたさ

2010年06月17日 | Kyoto city
蒸し暑さと、少し忙しさとが混在し、あまりブログを書く意欲がない。それにブログ症というものがあり(笑)、二三日休むと頭がリフレッシュする程度なのだが。というかパソコン自体を触らないと健康的だと思うときがある。それだけ仕事に日常生活にパソコンがどっぷりと入っているからだろう。
 だから、パソコンのない環境に一週間ぐらい身を置いたらどんなに快適かと想像してしまう。そんなテクノストレス症候群みたいになものが、あると思う。私の場合は、症状はないが気分的にうっとおしいだけなのだが、それでもついパソコンの前に座ってしまうという習慣病だ。
 そんな習慣病は、新聞を読むようなものだと思えば良いのかも知れないが、どこか違うのである。パソコン通信は双方向だから、メールが届きいやおうなしに朝から忙しい関わりにはまってしまう。新聞は一方向しかないから、その分ストレスもないわけだ。
 そう考えると、新聞というのもなかなか捨てがたいところがあるではないか。朝起きて珈琲を飲みながら新聞に眼を通す時間を持つことは、なかなか良い習慣だと最近思い始めた。じっくり少しずつ頭が動き出すフィーリングが良いのかも知れない。新聞の捨てがたさだろう。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/70,絞りf8.ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし341. 梅雨時の晴れ間

2010年06月16日 | Kyoto city
 名古屋も、昨日の激しい雨模様から、今朝は一転して青空がのぞいていた。梅雨時の晴れ間は、大気中の埃などが雨で取り払われて、信州の高原にでもいるように遠くまで見通せ、普段はあまり見ることのない山々も街から見えた。こうした透明感ある気候は、少し心も弾むような気分になるが昼間は蒸し暑かった。
 夜京都にもどると、やはり湿度が高く蒸し暑くなってきたようだ。いよいよあの盆地特有の夏がやってくるのかと思われた。
 それにしても梅雨時の晴れ間における明るい光に溢れる透明感ある街の風景は、魅力的である。夏ほど暑くはないので、朝の散歩が心地よい。こうした朝の清々しさは、容易にデジタルカメラで写しとれるものではない。人間の眼は意識も加わるから、デジタルカメラの即物的な写り方とは違うのだろう。
 やはり自分の眼で物事を観察したたり、感動することのほうが大切なようだ。今日は、デジタル機材に依存した物事の見方も、少しは改めたいと思われた。そんなことを思わせてくれる梅雨時の晴れ間であった。
 
京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4.ISO800,カラーモードF2.
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京都暮らし340. 晴天の苦手なデジタル機材

2010年06月15日 | Kyoto city
 うわっ!、マクロレンズはピントがシビアだ!!。右下の水滴にピントを合わせたのだが、綺麗にボケてしまった。
 曇り空の場合、直達日射量は低いが、全天空照度は晴天日より高い。光が雲に反射して環境全体に回るからである。デジタル機材で撮影するときは、雲に乱反射した光が程よく被写体に差し込み、大変良い撮影条件だといえるだろう。
 そう書けば、多くの人々が天気が良いとデジタル機材を持って外に出てゆくではないか。あれはどうなるんだいという質問が出てくるだろう。
 私の答えは、ラチチュードの狭いデジタル機材では、天気の良い時は、輝度差の大きい被写体で必ず白飛び(色情報がないこと)を起こし最も不適切な日であると断言しておく。何回も書くように天気の良い時に撮影をするものではない、というのが私の結論である。従って世の中の多くが間違ったことを、大方は間違いに気づくことなく、行っていることになる。
 さらに言えばCMOSという撮影素子は、電気の消耗は少ないが、本来色が悪いので使えない。プログラムで大いに後補正しているわけだ。このように書くとニコンもキャノンも、それら以外も、みんなCMOSだ。従って全部使えないという結論になる。
 それでも、あなたは、天気の良いときに、CMOSの撮影素子を搭載したデジタル機材を持って、撮影に行きますか(笑)。
 ワールドカップ、カメルーン・日本のハーフタイムの合間にアップさせた。

京都市・京都府立植物園,2010年6月14日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4.露出補正-1/3,ISO1600,カラーモードF2.
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