Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編416. このブログも1週間ほど休みます

2019年06月22日 | Okinawa


 世の中には相対的な構造が多い。政治支持の与党:野党といった政治カテゴリーに始まり、小は撮影画像データはjpegかRAWかといったことまで含めると、まるでSD法の対句のように数多くの相対的な構造に遭遇する。特に政治的・社会的な事に関しては、圧倒的に相対的構造ばかりだ。何でそんなに対句の相対化が好きなんだろうかと思った。

 そんな相対的構造を複数集め(大体20から30アイテムあれば十分)、そこに、最も良い〜最も悪い、という複数段階の数量評価を加えた回答を1000サンプルも集めれば簡単に多変量解析に乗せられる。その程度の解析なら私のMacにつんであるSPSSでもできる。そして合理性のある累積寄与率が得られればの話だが、例えば主成分分析なら7つまでの有効なFactorが抽出できたとすれば、そこに7つの要素からなる新しい構造が描かれる。それはもちろん相対的構造とは異なり、はるかに興味深い国民意識、あるいは志向性のシステムといった新たな構造が見えてくるかもしれない。

 意識構造から物理構造に話を持ち出すと、建築の構造はわかりやすい。ここ十数年は、コンピュータの進化もあり、特に構造計算を極限まで追い込んで建築の設計ができる。だから新しい構造がでててくる。つまり構造というのは、一つではなく複数、あるいは多数存在するのが今の工学系の認識だ。

 例えば、瀬島和世さんが設計した大阪芸術大学のアートサイエンスラボの建築をみていると、まさに構造計算の極地みたいで建築の可能性を示唆している。もちろん高強度鋼管柱(鋼管の中に高強度コンクリートをつめたもの)による技術の存在が大きいが。

 他方で建築は先駆的だが、誰がこの施設で教えるのかと内覧会の頁をくくると、最初に登場するのが客員教授ばかりじゃないか。客員教授は授業どころか学生達の指導は全くしない非常勤だから、精々作品展示ぐらいしかせず、つまり客寄せパンダですか。なんか建築と教育のオペーレーションがかみ合ってないのかと思った。そのあたりが、ハーバードのデザインスクールとは違うんだろうと思ってみていた。

 さて東京オリンピック・チケットの抽選会が先日あった。FBで私の教え子の新聞記者のスポーツ予測記事が面白かった。「メダル=税金」という毎度の強化合宿構造だってさ。あら!、FBは一方通行だからリンクしても意味ないか・・・。こうした予測記事があるとテレビ観戦の参考になるが400日も先の話だ。オリンピックの時はそんなこと忘れているしな。

 さて話が逸脱したところで、このブログも1週間ほど休みます。


沖縄県那覇市

iPhon7

ISO20,焦点距離3.99mm,露出補正±0,f/1.8,1/125

 

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ESOな日194. 美容室には初恋の味がした

2019年06月21日 | Okinawa

 

 


 話題を変えて、今日は那覇の画像にしよう。このときは4月だったが沖縄では既に夏の格好だ。それでも、建築の壁に当たる日差しは真夏ほど強くない梅雨入り前だから、多分この頃は心地よい季節だったのだろう。

 そう思いつつ一昨日は、延びすぎた髪を切りに新しい美容室へ出かけた。

 実をいうと浪人生の若い頃から、ずっと髪は美容室でカットしてもらっていた。なにしろ親戚が美容室というめぐまれた環境だったので通い続けたわけだ。

 その親戚の美容室に、綺麗でスタイルがよい若い女の美容師さんがいたので足繁く通った。いつもあうんの呼吸で一番似合う髪型にカットしてくれていた。これって絶対お互いの相性がよかったと確信している。後で思うと、あーっ嫁にしときゃよかった。でもこちらは浪人生だしなと当時は躊躇していたら、いつのまにか彼女はモデル修業をするといって消えていた。男と女の出会いって瞬間だ。そこでああっ、いいなと思ったら、それはまさにフィーリングなのだけど、相手も同じように感じて共鳴していたら、即ミッションだよ、というのが以後の私の教訓になった。

 いいなと思うだけじゃ一方通行だからアカンわけだ。お互いがいいなと思った時だけ固有の双方で共鳴するような、あうんのフィーリング感ってあると思う。そこを感じ取ってミッションできる素直さが、男と女の出会いには必要なんだと思われた。そんなわけで昔の美容室には初恋の味がした、そんな言葉を思い出していた。

 そんな好印象もあり、私はこれまで床屋に出かけたことが一度もなく、いつも美容室でカットをしている。

 以後下北沢の美容室に通い30年、ついに名カッターの主も廃業してしまった。次に京都市内の美容室へ通い始めた。その美容室も建物がゲストハウスに変わるというので、この3月に廃業。一昨日紹介されて少し郊外の美容室に通い始めた。

 随分一昨日の前置きが長かったね(笑)。

 さてそろそろ沖縄も梅雨が明ける頃だろう。

 

沖縄県那覇市

EOS1DsMark3,EF28-300-35mm/F2.8L IS USM 

ISO400,焦点距離300mm,露出補正-0.33,f/8,1/500

ISO400,焦点距離70mm,露出補正-0.33,f/8,1/640

ISO400,焦点距離300mm,露出補正0,f/5.6,1/50

 

 
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番外編415. 気の長い話

2019年06月20日 | Design&3DCG


 さてトップは、今は制作途上のこんな画像ぐらいしかない。どこかエスニックアートみたいだ。そんなエスニックアートに惹かれそうだが、これはCG制作途中の画像。

 それで、このエスニックアート風ファイルを用いて完成したのが下のCG画像だ。つまり沖縄県の地形の3DCGををつくっていた。そんなのGoogle earthでやればいいじゃないかって!。これは戦前の地形なんですね。だからGoogleではデータがありません。

 過去の地形と今の地形が、先ず同じであることは少ない。そして、もちろんこれで完成ではなく、これからおこなう作業の下準備ができた段階だ。

 それにしてもCGの地形をつくってみて思うのだが、随分と個性的な地形だ。この急傾斜だったら通例は崩れるが、それは山全体が花崗岩なのだろうか。そして、このプロジェクトは面白そうな展開がありそうだとだということに気がつく。同時に別の見方をすれば頭が痛いということになる。というのもこの地形は現在のそれとは大分違う上に、この地形の上に建築構造物ですか・・・。

 さて、この先、このプロジェクトもしばらくは、論拠を構築するための文献検索が続くだろう。そして今年末に完成させ、来年学術論文として発表する予定だから少し気の長い話である。気が長いといっても、学術論文としてはハイピッチな速度だ。ただし、完成すれば、つまり論述と建築の設計が成立すればの話だが。


adobe illustrator2019,Strata Design3D CX 7J

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ドローイング195. 文科系人間達の処世術

2019年06月19日 | drawing

 私の若い頃、文科系の人間達に欺されていたことがあった。

 多分芸術の話でもしていたのだろうか。芸術好き人文系出身のA君は、私の話の論旨とは異なる断片的な言葉をみつけ、そこにA君の解釈をいれて横へ話を脱線しつつA君なりの世界へ膨らましたくれた。結果として私が話したい主旨とは異なり方向違いに進んでゆく。つまり私の意図はA君には全く通じなかった。それは、なんか違うよなと私は感じていた。

 あとでわかったことだが、それが文科系出身者の処世術だった。古今東西の文献をあさり、何を勉強していたかというと、会話の誘導であり、話術であり、理屈のつけ方であり、つまりは処世術だった。話を自分の世界へ引きずり込んで、自分の都合にそわして展開するという、論旨脱線の技法に、さもありなんとする理屈をつけるあたりは詐欺師同様に見事だ。どうりでサラリーマン的あるいは役所の人間達を思い出す。文科系出身者の技法は処世術だということに気がついたのは、後のことであった。

 都市開発の仕事をしているときも、そんな文科系人間達の処世術に随分とつきあわされ、かき回され、そして私は無視した。

 とくに甚だしいのがメディアの人間達だ。「つまりあなたのいいたいことは、こういうことですね!」と要約し上位概念を押しつけてくるような解釈だ。それって、私の発言ではなくて、あんたの意見だろうが・・・、と思ったけど。そんなメディアの都合の良い解釈で私の発言責任までとらされたのではかなわない。最近では年金2000万円不足論など政治の世界ではよくあるようだ

 実は、いまの社会のなかでもそうした場面が多数存在している。報道である以上視聴者が理解できるストーリーに置き換えているわけだが、その結果現場とは異なったストーリーができる。だからといって報道内容が視聴者に理解されたからといって、事の真相が明らかになったこととは別だ。そこには伝えることの難しさもあるが、時にはそんなメディアの手法が、文科系の処世術を感じさせてくれる。

 翻って人間がコミュニケーションできる2次元の方法には、文系、数式系、図系、絵系の4系統がある。

1)文系(文章、詩文、コンピュータプログラムなど)

2)式系(数式、数値、論理式、分子式など)

3)図系(地図、設計図、グラフ、表、楽譜など多数)

4)絵系(絵画、スケッチやイラスト、漫画、写真や映像など)

※これに私のような建築の仕事をしていると、3次元の方法を伴う。

 だから仕事の場面で、そのなかの一つの系統だけに執着していてもアカンでしょうよ。言葉で語れないから、数式や図や絵があるわけで、それを言葉だけに集約させることが間違いなのである。

 そうしたわかりにくさの典型がWEBサイト。とくにソフトウェアのQ&Aを、図で示せば明快にわかるのに、それを言葉で説明されても魑魅魍魎の世界。言葉で説明したから、相手は理解したとでも思っているとしたら、それこそ文字しか扱わない文科系出身者のお目出度さだ。

 そんなわけで、事があると「なんとかしろ」という他力本位な文科系の人達、つまり自分の手でものをつくらない、あるいはクリエションをしない人達の言葉を、私はあまり信用していないのです。

 そもそもクリエイションは苦労の連続だから、ものをつくらない文科系から簡単に次!、なんていわれてもね。それをいうなら、お前!、自分でつくれよ!!、とこちらはいいたいね。


クロッキー帳NO44.

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クロッキー194. 二択では解けない構造

2019年06月18日 | drawing

 あるミッションを行うか、行わないかは、実行の可否だから二択で問える。しかしメディアがおこなってきたアンケート調査で例えば「原発の再稼働に賛成ですか」、「原発の再稼働に反対ですか」、という人間の意見について二択で問われてくると、私は首をかしげる。

 人間が制御できない技術なんだから再稼働なんか反対だよ、とする意見がある一方で、電力需要が増大し石油で発電すれば地球温暖化につながるから再稼働せざるを得ないよ、とする意見も成立してくる。どちらも正論といってよいだろう。

 お前はどちらなのかと問われれば、どちらでもない、というのが私の適切な回答になる。多くのアンケートのなかで、おおければ1/3位は存在する、どちらでもない、わからない、とする意見を支持するだろう。

 というのも、賛成か反対かとする二択対立の構造では、解けないことを尋ねているからだ。それが、わからない、どちらでもない、という意見に反映されている。つまり構造的に二択対立構造どころか、多次元構造になっている。

 例えば数学的空間構造にしても1次元、2次元、3次元、4次元、5次元・・・n次元と空間の広がりをもっているし、多変量解析にのせれば2以上のFactorが抽出できるだろう。つまり最初の問いに対して複数の回答項目が登場してくることになり、二択では解けない構造について、あえて賛成か反対化の二択に集約することに論理的破綻がある。質問は、二択では問えない構造だったのだ。最近そんな風に構造的に二択で問えないのに、あえて二択で意見を集めようとする無謀な調査が多い。

 それにミッションと意見という概念の違う言葉に対して、二択を迫るというのも論理的に破綻している。文科系メディアは、しばしばこうした間違いを犯してくれる。

 さて、相反する構造ではなく多次元構造となっていれば、どうすればよいのか。そこに多次元構造に応じた多数のブログラムが必要になってくる。つまりmethod(方法)である。だから必要なのはYESかNOかの意見ではなく、どうするかという戦略や計画なのである。プランニングの時代といってもよいだろう。

 こうした多次元構造であるにもかかわらず、あえてYES、NOで国民の意思を尋ねた政治的失策が、イギリスのEU離脱問題である。いまだに離脱できない状態が続くどころか政治的混乱を招いている。

 これからも、日本の周囲を見回せば不穏な状況が多数発生してくるだろう。そんななかで二択で国民の意見を求めることはイギリスの二の舞をすることになる。だから時系列の視座を加えた新たな構造や戦略的なブログラムやプランニングが必要になる。

 先のアンケートのなかで登場してきた、どちらでもない、わからない、とする回答は、実はサイレントマジョリティの一群だし、そこには多数の構造があるだろう。これを含めて捉えれば、現代は多次元構造なのだから、二択では解けない構造の方が多い。つまり文科系が大好きな連立方程式では、問題が解けない時代構造と言い換えてもよいかな。


クロッキー帳NO44.

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ドローイング193.  うざったい街京都

2019年06月17日 | drawing

 京都市内に東洞院通りと呼ぶ一通路がある。前に車が一台ハザードランプを点滅させている。私は10m以上後ろで立ち止まり、さてどちらのスペースにバックして車をいれるんだろうかと見ていた。そしたら自転車に乗った叔父さん達が車の回りをツルツル通り抜けるではないか。それじゃ車がバックできないだろうにと、私は自転車の叔父さん達をにらみつけていた。その叔父さん達は車を運転したことがないのだ。だからなにも知らないのだ。

 そういえば、京都は交通規則を守らない街だ。同じ幅員の一通路街路の十時交差というのは、昔の街の構造だから無数にある。そんなところで車が同時に両方からやってきたら通例は左側に優先権がある。それは車だけでなく船や飛行機だって決められている。だが京都の街では運転手の顔色をみて判断するというわけのわからないルールがまかり通っている。

 狭い道を走れば、逆走する叔父さんやオバ半達、供達を乗せたオカン達の自転車が走り回り、家から突然飛び出してくる子供がいたり、夫婦げんかのあげくの鍋釜が飛んできたりする。

 広い道で車線変更しても先ずいれてはくれず、クラクションをならされるだけ。名古屋の道路では未経験だっただけに、えっー!だよ。私も観光バスや市バスにクラクションを随分鳴らされた経験がある。どうも関西の風習のようだ。

 これが名古屋だったら車線変更はもちろん停車中の市バスを反対車線から追い越すのは当たり前なのだが。それを京都でしたら対向車の運転手が\(><)/ギョッとしていた。それに京都の市バスがものすごくいばっていて絶対に道を譲らないどころか車を蹴散らそうとする走り方だ。名古屋の市バスではありえない話だ。

 それに道路のメンテナンスがものすごく悪いから、道路標識なんか消えている道が多い。そんな道を幅員からすれば一通路だと思って走っていたら、反対側から市バスがやってくる、つまり交互通行だった。だから私は側溝の蓋の上にタイヤをのせミラーを折りたたんでジッとしているほかなかった。そんな道が市内には、やたらとある。

 悪いのはメンテナンスだけではなく交通標識の例外がありすぎるのだ。そんなの走っていてわかるわけないだろうに。

 それに京都市内は、道が狭いだけならまだしもルールを無視して運転する輩が圧倒的に多い。名古屋の広い道で快適に運転していた人間が、そんな街で運転する気分にはならないね。

 ある時私も20トンの大型トレーラーに追突された経験がある。雨が降り出した下り坂だから車間距離とっていれば問題はなかったのだが、私の車の後ろを執拗に追っかけてくる。もう物理の法則をしらんのかよ。後で早く先に行かせればよかったと思った。

 最近高齢者の運転事故が多い。だが車の動きが全くわからない自転車や歩行者の存在も問題視されるべきだろう。特に自転車は後ろを確認しないし、交通ルールを無視して走ってくる。信号のない交差点で一時停止はしないから突然車の前に飛び出すことになる。だから自転車にも登録免許+保険制度が設けられたが、自治体が本気ではないので誰も登録していない。それに歩行者も信号無視して横断する人間が圧倒的に多く、いつも車にクラクションを鳴らされている。

 車の運転は面白いけど、道が狭く、交通規則を守らず、例外標識が多く、メンテナンスが悪い道、といった京都の車社会が実にうざったいのである。うざったい街京都なのである。

 

クロッキー帳NO45.

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番外編414. 被写体がない!

2019年06月16日 | Photographic Equipment

 

 私のブログの水中画像は、すべてこの黄色い機材で撮影している。画像は、一寸泡発生装置を工作して遊んでみた。

 ダイビング撮影機材は、小さく、軽く、ハウジングレス、という条件をかなえるのは、ニコンとパナソニックから発売されているガジェット的な2種類だけ。だがときに魚眼レンズが欲しい、となるとこれらの簡易レジャー機材ではサードパーティー製魚眼レンズはつかない、という話を前のブログで書いた。

 でっ、最近オリンパスTG6が日本で発売された。カラープログラムも最新版だが、ハウジング(水深45mまで可能)が必要な機材だ。だがサードパーティー製の魚眼レンズが付けられるので、ここは一択しかなく、この機材+ハウジング付きを調達だね。水中機材は、選択肢がない世界です。7月末発売と随分先だ。それじゃ私の夏のダイビングの後じゃないか。そんなことをしていると夏も終わるぜ。

 それに引き替え地上で使う機材は余るほどアル。むしろ機材より被写体がないぐらいだ。

 さて下の画像は地上でしか使えない機材。次のダイビングでは、このシステムで行こうと目論むが、もうすでに那覇市内は撮り尽くしてしまったので、さてどこへゆこうかと悩ましい。

 街の徘徊は、所詮光と影と色彩しかない。毎日の多彩な光の変化で何をとろうかなと考えているうちに、仕事に忙殺され気がつくと夜だ。もちろん夜の荒れた空気の街も格好の被写体だ。過去ログでは、そんな夜の街をモノクロで撮っていた。京都市のカテゴリーにある。

 しかしそんな荒れた空気の街が今は市内に少ない。私の記憶では、京都駅前のリド商店街、自動車工場の職人達が帰り道に立ち寄る西院の飲食店ぐらいか。それとて古い店は数えるほどしかない。撮影機材はたくさんあっても被写体のないのが現実だ。そこが昔の日本とは逆になっている。

 今日の画像は、ホワイトバランスを水中モードにし青を強調したら、ツァィスに近い色みたいだということを発見した。発見しても被写体がないけどね・・・。

 

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar f4/16-70mm ZA OSS T*

ISO250,焦点距離48mm,露出補正±0,f/4,1/80

ISO1000,焦点距離60mm,露出補正±0,f/4,1/100 

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ドローイング192. 一寸晴れ間の梅雨

2019年06月15日 | drawing

 毎日曇天、一寸晴れ間、雨はまれに一時お湿り程度に降ればいいところだったが、今日は本降りになるか。梅雨ってこんな天気だったか。ならばしのぎやすいほうか。

 もしあなたが旅に出て、旧街道に遭遇し、古い民家が連なって背後に山も見えていて、なによりもそのたたずまいが良い風景だと感じられたとする。旧街道の正面に山をいれて両側に古民家を配置して構図も調度よいので撮影してみた。後でパソコンで撮影画像を見ると、ちゃんと写ってはいるど、あなたが感じた良いなと思っている風景やそのときの空気がみられない。そんな気分になることが多い。

 それゃそうだ、画像に撮されているのは、光と影と色の記録でしかないからだ。実は、あなたが感じた、あっ、いいな!、と思った風景は、あなたの意識が見た風景なのだ。意識のなかの風景だから、いいな!、は画像には記録されず、あなたの意識の中に記録されている。だから撮された画像をみて違和感を生じることになる。

 画像とは、その程度のものなのだ。だから絵画の世界で心象風景という考え方がある。

 そんなことを考えながら、雨が降ったら街の徘徊に出ようと目論むが、こんどはどこへ行こうかと考えると、意外に被写体をみつけるのに苦労する京都の街だ。

 だってお寺なんか先ず色がないからつまらないし、お庭の花なんか撮っても面白くないし、それ以前に撮らせてくれなかったりすることもあるから、そうやって消去してゆくと、何もない。ならば街に出て、民家だ、店だ、料理だ、グッズだ、置物だ、工芸品だ、と人工的な被写体にこだわっても、そんなのたくさんWEBにアップされているから、いまさら私が撮影しても退屈なだけ。そう考えると昔から自然が少ない人工的な街京都は被写体がない!。

 そんなわけで魅力的な形態や色を感じるモチーフが、どこかにないかなと思案中。目下の私が、新鮮さを感じるのはクロッキーぐらいしかない。

 このクロッキーは10分ポーズだった。時間があるので立体的に表現しようとしたんだろう。筋肉が付いているモデルさんだった。


クロッキー帳NO45.

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ドローイング191.  こんなんってアル!?

2019年06月14日 | drawing

  ねえねえ、一寸聞いてくれる!

  ちーとの間にStrata Design3D CX7Jを立ち上げたら、バージョンアップの警告や。こんなん一気にかたづけたいけど、古くさい順からインストールしてゆくやさかい、説明書を読むってえと3時間とかいてあるねん。もう正常に作動しとるのかフリーズしとるのわからん。なんやパッチもんみたいなソフトなんやけど、こんなんってアル!?。

 やったらCADでぇやろう。

 ほなVectorworksというのがあるやん。これなぁー、ワンクリック毎にダウンばっかりやりよんねん。ほんでWEBでぇ調べたら、最新のMacOS Mojaveに対応しておらへんやって。そないなると古くさいMacBookAirいうのがあるやん。古くさいいうても骨董品とちゃうでー。れっきってした今もんな。

 でっ、これでなぁー、インストールしたら、その後にバージョンアップが必要なんやけど、ほんでサイトをくくりダウンロードやるって圧縮ファィルが届くやろ。ここまでぇはどこせやけど一緒や。

 ほいでな自動解凍しやん!。いまごろこないな古くさい圧縮ファイルってアル!?。ほんでApp storeから解凍ソフトをダウンロードして、調べたら圧縮ファィルが壊れとる。なんもでけへんやがな。

 そいでな二日後になぁー、古くさいMacBookAirが操作もしておらへんけど勝手ぇにインストールしとるやんか。ほいでなぁー、うち最新バージョンのOSインストールかなと思ったん。それだけぇはCADソフトが使えなくなるさかいやめてんか!、いうても聞こえへんしなぁー。

 ほんで、なんってか仕事がでぇきるようになってん。せやけどまた意味不明のトラブルが起きる。結局元のデータにそごがあり、元から直してやってみたが、やっぱりアカンのやわ。このソフトバグや、世の中もバグや、そらいいすぎか。でぇっ、このソフト使うのやめたんやわ。こんなんってアル!?。


クロッキー帳NO45.
 

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ドローイング190. 前例のないことが次から次へと起きる時代

2019年06月13日 | drawing

 気楽にクロッキーデッサンでもはってと思っていたら・・・、

 札幌市で起きた幼児衰弱死事件。事件前から住民、警察から複数回にわたり虐待を疑う通告を児童相談所が受けていたにもかかわらず、しかも法律で48時間以内に保護すべき制度があるのに児童相談所は何もしなかった。

 役所が実行を躊躇したのは、多分そんな現場の経験がこれまでなかったか、少なかったのでしょう。法律はあるけど前例がないからどうしようと迷っていて決断ができないうちに、時間だけが経過し悲惨な結果を招いた。

 日本はいつも前例がないと何もできない。原発事故のときもそうでした。同じ事の繰り返しなのです。

 つまり日本人の躊躇して何もしない」という意識はどこから出てくるのか?。これがアメリカならば容赦なく幼児が保護されたでしょう。

 「何もしない」という意識は、多分知識だけの人間達に多い現象だ。知識としてはあるけど、実際にその現場に遭遇したら何もできない。つまり現場は知識の応用だし、さらには知識だけでは解決できない事柄の方が圧倒的に多いのが現場。知識だけでは戦ができない。つまり実戦経験がないということが、何もしない要因としてあるのではなかろうか。

 そうなると座学しか勉強してこなかった文科系が「何もしない」意識の典型例として浮かび上がる。役所は文科系の牙城。口を合わせるのは旨いが、じゃお前つくってみろよ!、といわれたら何もできない。前例がないと何も判断できない体質というのは、やはり自分の手を動かして、物事を考たり、設計したり、つくったりする経験が欠落している文科系固有の現象と決めつけてよい。

 何かをつくろうとする場面をイメージしてみよう。文科系は、マニュアルだ!、工具がない!、なんとかしろ!(これは実に他力本位な言葉ですね)と騒ぐでしょう。

 これが工学系や芸術系、あるいは医学系だったら、マニュアルは形式だから役に立たないことは知っているし、工具がなければ自分でつくってしまうでしょう。だから文科系という座学と工学系という実験・実習系とでは、ものづくりのスタートからしてスタンスが大いに違う。

 コンピュータ社会であっても知識という座学、悪くいえば屁理屈、それだけでは何もできない。だから現場感覚を持ち、自分の意識と手を動かし、ものを表現したり、つくったりすることは、とても大切なこと。だから私はドローイングをしつつ、手を動かすことを忘れない訓練の一助としているわけです。

 もう一つ興味深い事例をメモしておきます。

 韓国平昌冬季オリンピック開会1時間前にサーバーにしこまれていたウィルスが起動し、システム全体がダウンしたとするニュース。これを教訓として東京オリンピックでは、対策を固め万全の警戒態勢をとるそうです。

 対策という後手の手法をとるあたりが、いかにも文科系役人達の定型的な発想ね。それってガードばかり固めたボクシングと一緒で、ガードだけではハッカー達には勝てないでしょう。

 だってハッカーだって考えますよね、次は誰もが考えなかった方法でと。それがハッカー達の頭脳です。だから常に前例のないことが必ず起きるわけです。

 ではどうすればよいかというと、優秀なハッカー達と同じ頭脳でオリンピックの防御システムを突破できるプログラムを開発することからはじめるべきでしょう。つまりハッカー達と頭脳の競争です。ハッカー達の先をゆく突破プログラムができたら、そこから防衛ブログラムをつくればよいわけであり、工学系だったらそんなふうに防御システムを考えますけど。

 東京オリンピックは、世界のハッカー達の頭脳と技のオリンピック、で・す・か。そんなウィルスは既にどこかにしこまれているのかなぁーと、工学系の人間ならば誰でもがイメージしますけど。


クロッキー帳NO43.

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Nikon Freak388. 梅雨の薔薇

2019年06月12日 | Kyoto city

 


 月並みだけど梅雨の薔薇の接写画像でも・・・。

 薔薇の開花時期は5〜6月、つまり梅雨時の花だ。ジメッとした梅雨時とは無関係に、とびきり明るい色を添えてくれるから貴重な存在だ。それに撮影機材は、ここぞとばかりに描写するので赤い色が好きなんだ。ときにはレンズを喜ばせないとね。これぐらいになるとadobeのトーンを平均化しようという意図が見え隠れするのでPhotoshopの補正は、行わないほうが綺麗だ。

 さて、もっと色のあるシティスケープを京都の街で撮りたいけど、花はもう飽きたのでパスして、その他にモチーフがないかなと思いあぐねているが、お寺の庭を撮っても緑ばかりではしょうがないし、料理とか、薄暮のお店とか、そんな商業的な光景は、誰でも撮っているのでバスしてと消去してゆくと、何もないじゃないか。せめて昭和の風景にこだわるとか、こだわりを決めないと撮れないのか。

 じゃアングルを変えて街を上から見下ろしたらどうだろう。それには高いところから撮影できる適度な場所がいる!?。それも許可などという面倒がなく、一々お店で食べたくない料理につきあうこともなく、京都タワー、六角堂脇の池坊ビル、のように地上と離れすぎず、適度な視界で撮影できるポジションがないかな・・・。

 例えば交差点の角のファーストフード店、烏丸丸太町角のマックぐらいしか思いつかない。あとは古い民家ばかりだから、地味。もっともそれが京都の個性なのだから避けがたいわけだし。

 そんな風にイメージ上でロケハンをしながら被写体を探すが、東京と違って意外に被写体のイメージアイテムがすくない京都だ。京都の街を撮れば、古都と現代がミックスされた空気が漂い、そんなステレオタイプ化した表現はみんなが撮ってるし、それを私が撮ったって面白くないわけだし。

 そんなことを考えながら薔薇の撮影に勤しむこと1時間、雨も上がり陽が射してきた。暑いから今日の撮影は、ここまでだね。

 

京都府立植物園

NikonDf、Carl Zeiss Makro Planar 100mm/F2.0

ISO200,露出補正-0.33,f/2,1/800

ISO800,露出補正±0,f/2.8,1/3200

ISO200,露出補正-0.67,f/2.8,1/3200

ISO200,露出補正+0.67,f/4,1/1000

ISO200,露出補正±0,f/2,1/2500

ISO160,露出補正-0.67,f/2,1/4000

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Nikon Freak387. 梅雨の雨間

2019年06月11日 | Kyoto city

 

 梅雨の晴れ間の逆の言葉がないか探したら、なさそうだ。だから梅雨の雨間としておこうか。

 というのも昨日の梅雨の京都市内は、曇天が多く晴れ間ものぞくので雨が降ることが少ない。その雨が珍しく降ったときに、それっ!、と出かけた。雨が降っているときでないと撮れないものがあるだろうというわけだ

 夕べは仕事で1時間しか寝ておらず、朝一歯医者、ついでにマッサージ、それで思いついたように、ハスキーの三脚とマクロレンズを持って植物園へ撮影にゆこうと意志決定。撮影は天気次第だ。雨が上がりかけた頃の調度よいタイミングを待っていた。雨の滴が、光の加減で京菓子のようにみえた。

 あがりかけの雨の中で10カットほど撮影していたら、天気が回復し、日差しが出てきた。こうなると撮影は、お終い。それに晴れると雨具が暑い。帰りに進々堂で定番のランチにありついていた。梅雨の雨間の僅かな息抜。

 クロッキーばかりじゃ単調だし、それに仕事の合間の息抜きもあった。夜のウェイトトレーニングとエアロビクスの後は爆睡でした。

 なんだ、寝ぼけて1日2回も投稿するところだった。

 

京都府立植物園

NikonDf、Carl Zeiss Makro Planar 100mm/F2.0

ISO200,露出補正-0.67,f/2,1/640

ISO800,露出補正-0.33,f/11,1/100

ISO200,露出補正+0.67,f/4,1/160

ISO200,露出補正-0.67,f/2,1/2000

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ドローイング189.  画商

2019年06月10日 | drawing

 さて顔を隠したポーズか。私はモデルさんの真横から書いていたので、おもわずこんなポーズに遭遇した。手の位置、顔の位置、後手の位置と空間の奥行きを描けばよいのか。といって5分間で、そんなの描けるわけではないが。

 さてクロッキー教室は誰でも参加できる。「何、女の裸が見放題!、隠すところナシ!!、そりゃ是非見たいは!!!」といって好奇心で参加するヤツがいないのは不思議だ。まあ美術研究所だから、デッサンや絵画に興味がなければ近づかない世界なのだろう。

 もう一つ参加しない理由をあげれば、デッサンをしている人と、してこなかった人との相違は、描いている絵をみれば一目瞭然だから、描けないと「なんだ、この人は単なる好奇心だけですか」と回りから冷たい目線をされるかもしれない。しらぬは本人ばかりで、後で考えると顔から火が出るほど恥ずかしい記憶だと思う。

 そのクッキー教室も、以前は参加者が多くて前の人の肩越しに頭と頭の間から描いていた、という話を聞いたことがある。今は参加者が少ないから、それじゃモデル代にもならんよなと、こちらは余計な心配をして恐縮してしまう。もちろん参加者が少ない方が好きなポジションでかけるというメリットはあるが。

 今時、女の裸ぐらいで関心をもたれる時代でもないのだろう。それに絵を描くという人たちも減っているのかもしれない。

 花や風景の写生は描いていると飽きてくる。それは私には単なるメモだから。そんな写生をかき集めキャンパスの上で再構成し、テーマを発見したり、展開方向を考えたり、などなどと創作してようやく絵画の面白さが始まる。だから写実主義は精々売り絵の世界の話だと個人的には考えている。

 大学時代の同級生のなかに油絵の売り絵作家がいる。若い頃から技巧派だったので画商に眼をつけられ、以後画商のいわれるままに世界の写実的な風景の売り絵を量産するわけ。だから日々スケッチ、スケッチの連続で、どこにいても、ひたすらスケッチを描いている。それでも時間が足りないとこぼしていた。最近右目が見えにくいのだよといっていた。お前、絵が描けなくなったらさっさと画商は去って行くぜ、と私は思うのだが。

 「ジャック・ベッケル監督:モンパルナスの灯,1958年,フランス」という映画では、貧困と絶望のなかで描いた絵をカフェで売り歩いていていた画家のモディリアニが死んだら、リノ・バンチェラ演じる画商がアトリエに駆けつけ彼の作品を持ち去ったという最後のシーンが記憶にある。もちろん映画だから史実とは違うけれど、画商の根性は変わらないと思いますよ。


クロッキー帳NO44.

 

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ドローイング188.  腸腰筋

2019年06月09日 | drawing

 このポーズは、体をひねり腰を前につきだしている。

 このモデルさんはエアロビクスをやっているんだ。腰を前に出しているのは腸腰筋(ちょうようきん)を鍛えるポーズだ。腸腰筋は体内の筋肉だから体表からは観察できないが、腰椎と大腿骨をつなぎ姿勢を安定させる筋肉だ。でっ、このポーズは私には描けないのです(笑)。だからクロッキーがバラバラになっちまった。

 昨日のブログで女の方が胴体が長いと書いた。それは街を歩いているときに、同じ背の高さのカップルを観察するとよくわかるし、それに叔父さん達の趣味なのかユニフォームメーカーが機能本位でつくっている会社の制服が、体のラインが表出されるので、オフィス勤めのOL達のユニフォーム姿では、それが如実にわかってしまう。つまり女達のユニフォームを正直につくっちゃだめなんだよ。だからファッションという操作が必要なんだけど。

 そんな胴体の長い女達のボディーを多数集めれば面白いイメージができそうで個人的には興味深い。野良仕事だ、家事だ、夜這いだと、生活感がタップリあって、農本主義時代とかアジアの空気(ゴーギャンのアジアバージョンかな)が表現できれば面白いと思うが・・・。

 でっ、世の中には、もちろん足の長い女もいる。

 クロッキーの裸婦のモデルさん達は概して足が長い。多分それは俳優だったりダンサーだったりと、普段から体を動かす仕事をしているから足が鍛えられ成長するわけだ。だって足の筋肉の塊が如実にてでくるから皮下脂肪なんかないのよね。もう筋ばしった筋肉に見とれちゃうよ、描かないけど(笑)。


クロッキー帳NO43.

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ドローイング187.  マーケティングの終焉

2019年06月08日 | drawing

 これを描いているときは、ホント!、女のボディって骨盤とかケツまわりの丸いフォルムなんかすごいボリューム感があって、私の内的意識では力強くてとても魅力があると思う。これが平均的日本人の女の体型でしょう。皮肉なことに、こちらの方がデッサンは正確。こうした力感あるボディを複数集めて構成すれば、群像の絵画とかイラストレーションやフォトグラフィーがイメージできる。つまり農本主義的とか、アジア的テイストといった具合に・・・・、それって面白いと思うけど。

 話は変わるが、私の意識、つまり内的意識と書いたところで、外的意識というのがあるだろう。つまり社会的な意識といえばよいか。その典型例がマーケティング手法である。それは外的意識を探るために、これまで私達の生活の多くの商品や施設開発は、マーケティング手法を用いてユーザのニーズを発掘し、商品開発や施設開発に寄与させてきた。このブログでも、ニコンのマーケティング!?、と書いてデカルト的と評した。あら、今ごろなんでマーケティング!?と思われたからだ。既にマーケティングという手法は終焉したというのが、私の考え方だからだ。

 だから現在ではマーケティングとは異なる方法で、商品や施設の開発が行われてきている。

 それが内的意識を出発点とする商品や施設の開発方法だ。わかりやすくいえばアート感覚といったらよいか。つまり自己体験、別の言葉で言えば問いの建て方を出発点とする製品や施設開発の方向だ。アートの世界は、人と同じ事はまずやらないし、人がこれまでやらなかった視点や方法で表現する世界だ。それは差異という概念とも違う世界だろう。なぜなら差異(他と違っている)だけではアートが成立しないからなのだが。

 アート感覚とは「なんでこうなるのか?」、「なんでこうなっちゃうのか?」、「なんでこんな発見がなかったのだろう?」、といった問いの建て方から始まる。それが共感者を呼び商品開発や施設開発につながってゆく方法だ。

 例えば、日経MJ2019年6月3日版では、そうした典型例として東京の有料書店「文喫」、「スープストックトーキョー」、「刷毛じょうゆ海苔弁山登り」を紹介している。

 そればかりではなく、使い古した建材を用いた喫茶店が増えてきた。これもマーケットがあったからできあがった業態ではなく、仲間が集まりたまり場が欲しいねに端を発し、「こんな喫茶店でいいじゃないの?」と実現化し、それが共感者を呼びつつ、次第に数が増えていった。こうした事例もアート感覚に端を発する商品化の現れだろう。そこには、共感という新しいフィルターが登場してくる。共感を呼ばなければ、展開も発展も期待できないからだ。

 それ以前に「有効な問いを立てる」、そういう問いを発見できる内的意識、つまりアート感覚がいまの商品開発や施設開発におけるスタート地点にある。

 今は、ボタン一つ、つっつけば何でも手に入る時代だからこそ、そうではない展開に人々の関心が集まりつつある時代なのだろう。

 

追伸

 ニュースで、先日墜落した自衛隊機F35のフライトレコーダーや敵味方識別装置などの機密機器がみつからないまま機体の捜索は打ち切ると報じていた。何!、アホなことをいいだすんですか。海底1500mだって最高機密が欲しい国家は、密かに潜水艇をくりだして機体の残骸を拾いにゆくでしょうがぁー。その先は、混沌とした国家間の対立構造が予想されますよ。

 何故墜落したかとする原因究明にフライトレコーダーは必須であり、これまでの航空機事故でも血眼になってなって探してきた経緯がある。多分船を変えて本格的に探索しようという意図かもしれませんが、今そんなことをいう必要はないでしょう。

 自衛隊は、昨年対戦ヘリコプターが墜落し海底2600mに沈んだときでも、フライトデータレコーダ、敵味方識別装置などを回収した実績があるというのに、今回は最高機密の機体を、そうそうにあきらめるとも思われない。それとも自爆装置が起動したので回収する必要なしとなったのでしょうか。

 どうも文科系政治家(防衛大臣は早稲田大政経学部卒)のいうことはよくわからない。原発に続くミスリードではないですか。こうした事例をみていると、先端科学技術の扱いに文科系(政治家も含めて)は手も口も権限も出して欲しくないですね。

 大切なのは、自分の手を動かして物などをつくってきた経験があるのですかということです。文科系のように知識や耳学問だけでは、何の役にも立たない時代です。私がクロッキーデッサンにこだわるのも、自分の手を動かしてという意識の一端が働いているんだろうと思います。

 

クロッキー帳NO43.

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