天目湖のプロジェクトは、翌2005年の夏にマスタープランを提出して、私達の手元を離れていった。調度中国は、インフレ抑制政策を始めた頃だったので、このプロジェクトがその後どうなったかについては、私も関知していない。私は、プロジェクトも一期一会だとおもう。
一期一会とは、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くせ」とする千家茶会の心得である。プロジェクトも、その後姿形となって私達の前に、現れる場合もあれば、そのまま記憶だけを残して消えてゆく場合もある。プロジェクトを介して、私達が提案書を作成している時こそ、異境の地で環境と人々とを結びつけてくれる。 それまで経験したことのない場面が入れ替わり立ち替わりやってくる。 プロジェクトに関わる人も街もイメージも、そうした時々の場面において創造され、そして輝いている。それが短くても長くても、一期一会の世界である。だから、私は、プロジェクトを行っている、その時々の時間や空気を大切にしたいと思う。それがプロジェクトの魅力なのかもしれない。
今年の初夏に、私を上海に導いてくれた、写真右端のディレクターK氏が激務による過労で他界した。昨年の暮れ、九州小倉で酒を酌み交わしたのが、最後だった。まさしく一期一会だった。彼の冥福を祈りつつ、年の終わりの言葉とする。
一期一会とは、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くせ」とする千家茶会の心得である。プロジェクトも、その後姿形となって私達の前に、現れる場合もあれば、そのまま記憶だけを残して消えてゆく場合もある。プロジェクトを介して、私達が提案書を作成している時こそ、異境の地で環境と人々とを結びつけてくれる。 それまで経験したことのない場面が入れ替わり立ち替わりやってくる。 プロジェクトに関わる人も街もイメージも、そうした時々の場面において創造され、そして輝いている。それが短くても長くても、一期一会の世界である。だから、私は、プロジェクトを行っている、その時々の時間や空気を大切にしたいと思う。それがプロジェクトの魅力なのかもしれない。
今年の初夏に、私を上海に導いてくれた、写真右端のディレクターK氏が激務による過労で他界した。昨年の暮れ、九州小倉で酒を酌み交わしたのが、最後だった。まさしく一期一会だった。彼の冥福を祈りつつ、年の終わりの言葉とする。