Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都に棲む60. 設計がうまくなる方法14.

2008年12月30日 | Design&3DCG
 今日は大晦日だ。京都シリーズも60回と区切りがよい。さて1年半続けてきたこのブログもここで終わりとするか、あるいは続けるかは、年が明けないとわからない。というのもOS10.5に更新したら、3DCGで使用してきたstrataCXJとshade7が使えなくなってしまったからだ。少し意欲減退している。
 今日は、湖上に浮かぶバーチャル環境のインスタレーションといった類の3DCGをあげた。正方形のブロックに、フィレンツェにあるドゥオモの空間断面でくりぬいてみた。ソフト上はブーリアン減算で処理したことになる。これぐらいシンプルなオブジェだと、綺麗にみえる。
 こんなシンブルなオブジェは別として、通例3DCGは、相当な集中力を必要とする作業である。というのも、かって制作した作品ファィルを開けると、どのように制作したかを思い出すのに、一寸時間が必要なときがある。また、膨大で地道な作業を思い出すと、あまり引き受けたくない仕事だと、思うときもある。あるいはCGに向くデザインと、そうでないデザインもある。作品によって表現ツールを見極めてゆく力の養成は、やはり設計がうまくなる方法につながるのなのだろう。
 設計というのは、エスキースにしろ、図面にしろ、模型や3DCGをつくるときにしろ、常に完成系をイメージしながら、抽象的要素から、具体化への作業が暫時進められる行為なのである。少しまとめみたいな結論を述べて、今年は終わりとする。よいお年を。

制作:2006年
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京都に棲む59. 設計がうまくなる方法13.

2008年12月30日 | Design&3DCG
 昨日は研究室の忘年会「年越し蕎麦の会」であった。今年は蕎麦ではなくうどんであったが、少し年越しの雰囲気を味わいつつの歓談であった。OBの「企業に就職すると、古くさいソフトばかりで、やはり大学の設備は恵まれているから、在学中にどんどん使っておくべきだ」という発言は印象的だった。たしかに私のところのアーバン室における3DCG系ソフトは、簡単な流体モデルができるソリッドワークスをはじめ、shade,strata,Vue,MAYA,Poserがあり、一応のことができる。しかしこれだけあっても、使いこなす学生は少なく、相変わらず20世紀の延長線上にいるようだ。
 3DCGを使う場合、重要な点は、このソフトでどんな表現を求めるかとする、事前の目論見である。リアルにするのか、概略的にするのか、モデルだけの表現か、環境の表現か、それによって扱うソフトも表現手法も異なるだろう。
 今日の写真は、中国江蘇省天目湖の都市開発プロジェクトの際に用いた、3DCGをあげた。都市開発故、個別的な建築設計は必要ないのだが、都市全体のボリューム設定や建築設計のためのガイドライン策定のために、制作したスタンダード・モデルである。従って考え方のみ反映された、概略的なデザインであればよい。ここでは、中国の伝統民居様式である、院子と呼ぶ中庭を囲んだコートハウス・スタイルを、立体的に組み上げた中層住宅モデルである。これを立体院子モデルと呼んでいた。制作はイラストレーターとストラタで行った。都市開発の住宅モデルであるから、かなり概略的表現に留めている。

制作:2006年
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京都に棲む58. 設計がうまくなる方法12.

2008年12月29日 | Design&3DCG
 建築だけのスケマティックデザインを表現するのであれば、ランドスケープソフトのVueは不要な場合もある。ここでは、モデリングソフトのStrata3.9版を用いて制作した、パワーセンターの3DCGである。1層が5mの階高なので、一般の12階建の建築と同様の高さとなる。フロア面積は、約30万㎡だと記憶している。愛知県の一宮インターチェンジの前を想定し提案した「I・Cフロント」である。ガラスキューブの奥にユニット化されたボリュームを配置したダブルスキンによるファサードとしている。
 スケマティック・デザインでは、従来の建築設計ほど、作業の時間が与えられない。 ここでは、調査やコンセプトも含め一ヶ月程度で制作したので、デザインもユニット化するなどの合理的考え方が必要になる。
 スケマティック・デザインは、コンセプトをデザイン表現で示したものであり、このまま建つ可能性は少ない。仮にこのままデザイン・プロジェクトが進んだとしても、建築的ディテールの検討は、設計段階に委ねることを前提している。だから全体を大づかみで表現した、コンセプチュアルなデザインなのである。
 細かなことはいったん保留しつつ、全体のデザイン的な骨格を大づかみに表現することが、ポイントである。設計というのも、最初は、ものすごくおおきくそして抽象的なところから、大胆にすめられる。こうした幹ができれば、次第に枝がつき、実がなり、樹木になるといった具合にである。ものごとの本質的な骨格を捉えるということが大切なポイントである。枝葉末節を好む日本人にとっては、あまり得意な手法ではないが。

制作:2005年
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京都に棲む57. 設計がうまくなる方法11.

2008年12月28日 | Design&3DCG
 今日は表題から少し離れた話から始めよう。先週からメーラーのなかの大学アドレスの調子が悪くなり、送信できない状態が続いていた。 大学アドレスにアクセスしたら、私のアドレスを用いた数百通の迷惑メールがあった。これではサーバーが一杯になるだろう。 そんなことやOSのバージョンアップもあり、夕べからHDをすべてを初期化してシステム再構築をしていた。1日仕事だった。いまだに大学アドレスは具合が悪そうだが、このwebは復活できて安堵した。 
 さて今日の3 DCGは、再来年頃開業する名古屋市営地下鉄桜通線の新駅「徳重」のスケマティックデザインである。郊外の住宅地に接続するためにパーク&ライド方式の駅を提案した。地下駅から、地上の駐車場へ上るシリンダー状の都市公園を核とし、周囲にショッピングセンターや専門店、図書館などの公共施設を配置し、そのまま大規模駐車場につながる提案だった。もちろんこれは、提案だけで実現されない。
 この写真は、ラフなエスキースの後にCG上でモデリングをしており、図面は描いていない。最後はVueでレンダリングを行った。少し色気をだし、壁と窓ガラスの質感を変えたり、背後に愛知県東部の地形データを用いてVueで山稜を配置した。提案としては合格なのだが、個人的には、いじりすぎており面白みに欠ける感があった。パース屋のようにリアリティを追求するのであれば、ここからさらに作り込んでゆけばよいのだが、スケマティック・デザインとしての骨太さにかけるようだ。だから私は、もっと概略的な制作でよいと思った。

制作:2006年
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京都に棲む56. 設計がうまくなる方法10.

2008年12月26日 | Design&3DCG
 昨日のブログで紹介した笹島地区の3DCGの建築空間の中にカメラを入れてみたのが、この写真である。この街で働く人々には、どんな風景にうつるのだろうかと思った。建物の一角にモデルと家具を配置し、背後に街の風景が撮影できる位置にカメラとライトをすえてみた。オフィスのレストルームからは、このように街が見えるのだろう。モデルをいれることで、建築空間のスケールがわかりやすい。
 前述したようにすべての建築空間のテクスチャーは、Vue5上で全て硝子の質感に統一してあるが、画面としては不自然なところはなく、街の風景になっているところが、いかにも3DCGの特徴なのだろう。背後の超高層ビルは、コンピューショナル・フルード・ダイナミック・デザイン(CFDD)という考え方を取り入れて、形態のデザインを決めている。窓越しに見下ろす街路のオブジェは、ここではあまり重要性がないので省力している。
 こうしてみると、名古屋に、新しい風景を持った少し未来的な街区が出現しそうだということはイメージとしてわかる。だがどうも街全体が建築で覆われており、どこかニューヨークのような案配でもあり、高密度なのだが少し窮屈だと感じさせてくれた。そこでこのコンセプトは、もっと広い敷地で展開しようという結論になった。こんな風に、3DCGを用いて、容易に空間をチェクすることができる。
 ところで3DCG空間のなかで撮影していて面白いのは、実際の撮影同様の考え方や設えが必要になってくる。どこで、どんな風に撮影するという考え方と、モデルの衣装や家具などによる演出、そしてモデルを際だたせるライティング、それにカメラアングルといった具合にである。当然実際の撮影に関する知識を知らなければ3DCGにはならない。そこで概略勉強する必要性がでてくる。
 広く浅く学ぶ、これがコンセプトワークやスケマティック・デザイン、さらにはプロデュースの基本だから、3DCGは、この点においても興味深い存在だ。プロデュースのように、物事を統括する立場は、言葉は矛盾するが、ジェネラリストという特性を持った専門家なのである。

制作:2006年
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京都に棲む55. 設計がうまくなる方法9.

2008年12月26日 | Design&3DCG
 3DCGの話を続けよう。写真にあげたように、こうした概略的なデザインを、私は、スケマティックデザインと読んでいる。スケマティックデザインとは、コンセプトを忠実に表現したものであり、実施設計図を忠実に表現した3DCGのパースとは、全く性格が異なっている。
 この写真は、名古屋市笹島地区をモデルにしている。高さ500mの超高層モデルと、低層のオフィス群からなる、アジア地域全体の金融特区というコンセプトをイメージ化したものである。鉄道や河川に囲われた土地だけに、特区はつくりやすい。コンセプトをつくりすぐに可視化してみた。   
 このように可視化してみると、この土地では少し規模が小さいことがわかり、もっと広い敷地が必要だということがわかってくる。そこで新しい土地の提案に結びつけたいと考えており、新提案は、何れの機会に報告したい。
 ともあれ、従来とは全く異なる街区を形成しようという意図に変わりはなく、日本一の特化した街区をつくろうというものである。名古屋では、製造業に限りが見える今、自動車製造販売メーカー依存の一枚岩的な体質から脱却し、世界に門戸をひらける、新しい機能ある街をつくりませんかという提案である。。
 こうした概略的デザインであれば、簡単にしごく速やかに提案を可視化できる。そこに最近の3DCGソフトを駆使した方法は、まさに都合がよいといえよう。ここでは、建築のテクスチャーをすべて硝子の質感で表現している。コアも床もすべて硝子のテクスチャーである。そのほうが、可視化したときに、統一感があるのだ。あまり真剣になって個別のテクスチャーを決めたりしていると、珍奇な空間になるだろう。
 重要なのは、表現したいスケール感覚である。1/100なのか1/1000なのかといった見極めが求められる。ここでは、後者を選択している。そうした場面では、個別的な表現など役に立たない。街全体という捉え方が必要になってくる。ここがポイントであろう。
 実は、そんな捉え方は、あまり例がない。通例多くは3DCGバース屋のように、或いはマンションパースのように、まじめに個別的なテクスチャーを表現しようと勤めている。第一ソフト開発の方向がそうである。
 ところで京都は、夜半から雪が降っている。積もるには至らないが、そのせいかクリアーな風景で晴れている。冬がきたようだ。

制作:2006年
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京都に棲む54. 設計がうまくなる方法8.

2008年12月25日 | Design&3DCG
 最近のデザイン手法を紹介しよう。それは、言うまでもなくエスキースといった初期段階から3DCGを用いた方法である。私の研究室の公式ホームページの中のprogram1や2、そして、このブログがあるカジュアル判のトップでは、私が制作してきた3DCGを用いた編集としている。
 一般に多用されているCAD系ソフトは、図面を描けば、容易に3DCGに起こしてくれる。手をかければ正確で緻密な表現もできる。だがこうした精密さや緻密さを追い求めるのであれば、それはパース屋(今はCGデザイナーと呼ぶべきか)の仕事であって、私がいうところのデザインを考える手法とは、異なっている。
 私は、もっと概念的なデザインを3DCGを用いて感覚的に表現し、可視化したいと考えている。スケッチや模型によるエスキースは、空間の形はわかるが、それ以上のものではない。3DCGでは、光とテクスチャー、そしてランドスケープに置かれた空間が加味されて表現できる。それは私達が、日常眼にしている風景に近いといってよい。
 私が言うところの概念的(スケケマティック)な3DCGであれば、エスキースそのものを比較的容易に扱うことができる。3DCGからエスキースを始めると、スケッチや模型で考えるのとは異なった新しい空間が生まれてくる可能性もあるだろう。それが新しい設計方法だといえよう。
 このページの写真では、poser6とVue5を用いて、10分ほどで試験的に制作した。ソフトウェアのバグもあり、水着のボトムが読み込まれなかったのは、愛嬌だが。

制作日:2008.12.24
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京都に棲む53. 設計がうまくなる方法7.

2008年12月24日 | Kyoto city
 設計がうまくなる方法のシリーズも7回目だと、少し執筆する意欲が減退する。というのも、基本は個人の能力のことだから、他人である私がとやかくいうことはない、という思いがある。そこでこのシリーズのラスト予定(笑)では、私の経験だが、うまい設計者は、多分「聞き上手」だということをとりあげたい。
 逆の例、つまり「聞き下手」をあげれば解りやすいだろう。私が話をしていても、この人は、何を考えているのか解らないという人がいる。つまり会話や物事に対する反応がない人達である。こういう人達は、私の話が通じているのかどうかはなはだ疑問になるし、何を考えているのかが解らないし、一般的には疲れさせてくれるタイプである。私の大学の授業に出席する学生達は、このタイプが多い。無反応、無関心で、教室の後ろに座わり、頭を下げ、内職や居眠りをしている。関心がないならば、授業にでてこなければいいのに、と私は思うが。
 これに対して「聞き上手」というのは、適度に反応があり、私から話をしてしまうような、雰囲気を感じさせてくれる人である。どこか目が合うとフランクに話が進んでしまい、私からみれば疲れない人である。つまりフツーに会話ができる人である。このことは、あまり年齢差とは関係がなく、これまでに巣立っていった私の研究室のゼミ生達の中にもこうした「聞き上手」はいたと記憶している。多分個人の育ち方だと思われる。
 このように「聞き上手」だからこそ、クライアントが言葉にならない深層にある建築への要望を、優れた設計者は、会話の中から肌で感じ取ってしまうのであろう。そして、あなたの潜在的な要望は「これでしょう!」といって、サラリと提案するのである。

東寺・終い弘法市・饅頭などに押す焼印
Fuji FinepixS5pro,AF Nikkor F1.4/50mmmED
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京都に棲む52. 設計がうまくなる方法6.

2008年12月23日 | Kyoto city
 今日は、建築は好きだが、設計は苦手だ、或いはしたことがない、という人向けの話。
 私が超高層ビルのプロジェクトに関わっていたときの経験では、建築の企画や計画だけで3年、そして設計と建設に2年の月日がかかった。企画や計画とは、敷地自体をどのように活用するかに始まり、どんな考え方や機能で、どれぐらいの規模と需要が見込め、といった調査や計画条件の設定の方が時間がかかるし、何よりもその間に事業者の資金調達や意志決定が必要であり、社会経済の動向を見定めるといったことも加味される。つまりプロジェクトは、設計以外の要件に関する検討の方が時間もかかり、むしろそのことの方が重要なのである。
 だから建築をつくるというプロジェクト行為のなかで、設計 という行為は、一要素にすぎない。実際にこうした企画段階で関わる人々の学歴をみると、経済だったり、法律だったり、あるいは不動産屋であり、コンルサタントであり、銀行員であり、商業マーチャンダイザーだったりと、様々である。つまり建築系以外の人々によって、建築は企画され、計画されている。そしてそのことのほうが社会では、至極普通の姿である。実はこうした人々による活動も建築をつくる行為である。私はこうした企画や計画段階から設計などの諸活動を含み、プロジェクト全体を統括できるシステムを、プロデュースと捉えている。
 あなた達の眼前に大きな土地があったとする。建築の設計屋ならば、すぐに建築のデザインを始めるだろう。だがその前に、そこはどんな方法が最適なのだろうかという判断をすることが重要なのである。土地を経済動向を見ながらそのまま寝かせておくのも一つの方法だし、あるいはどこか立地のよいところと交換する方法もある。さらには土地所有者自らが開発するのか、土地を第三者に賃貸した方がよいのか、さらにはこうした方法に合わせた事業方法の選択が重要である。そして最適方法の設定、それはオープンスペースとして市場的な利用をするとか、公園にするとか、そして建築にするとかである。建築にするにしても期限付きの仮設という方法だってある。こうしたところのエスキースから、プロジェクトが始まるのである。

三年坂
Canon EOS kiss digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む51. 設計がうまくなる方法5.

2008年12月20日 | Kyoto city
 設計がうまくなる方法、芸術系について記します。つまり私の場合ですが。芸術系だから、入試には、6時間程度のデッサンなどの実技試験があります。だからみんな、プロの画家についたり、美術研究所に通って勉強をします。3年ぐらいデッサンを勉強すると、形のバランスをとる感覚が磨かれ、対象への人間の認識の仕方、法則性、といった基本が解ったりできるようになります。具体的に言えば、机の上に乗っているコップの絵を創造してください。コップが倒れないのは、机の上に垂直に乗っているからです。垂直という事実をデッサンとして表現できれば、良いのです。後は枚数を重ねれば、コップの丸さや質感や重さなどは、表現できるようになります。
 バランス感覚、認識、法則性といった 事が解ってくると、設計は簡単で楽しくなります。例えば計画系設計の最後辺りに出題される病院設計の課題などで、グロス&チェンジを前提とするクラスタープランによるデザイン等は、ホントにバランス感覚だとおもった。
 こういうことは、デッサン以外にも、専門書を読んだりしても、解ってくることですね。人間が持っている基本的な情報伝達媒体は、文章、図、絵、写真や映像、或いは数式の5種類位でしょう。私の場合は、その後幾つもの論文を書いても同様の感性で仕事をしており、大学で教えるときも、デッサンで学んだことを基本にして、現在に至っています。
 さて本学の芸術工学部でも、デッサンの授業があります。1週間に1枚を6時間かけて描いたとして、1年で50枚。それぐらいやれば、物事の基本は解ります。デッサンの授業などは、通例他の芸術系大学でも週に2コマ程度ですから条件は同じです。授業では、ほんの一部分しか教えないので、あとは自主的に行うしかないですね。芸術系では午後5時の授業が終わると、夜半12時近くまで実習室でデッサンですね。そういうアフターファィブは、仲間が集まり楽しいときでもありますが。要は専門書を読み、デッサンを数多く行えば、設計上手になれる可能性は高いですね。そこが芸術系のポイントでしょう。

広隆寺お火焚祭
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む50. 設計がうまくなる方法4.

2008年12月19日 | Kyoto city
 設計のできない人には、共通点があります。それはエスキースが描けないことと、またその量が大変少ないことです。私も授業で、エスキースを見る機会が多いのですか、設計ができない人は、何にも考えないで無造作に描いてあったり、あるいは紙片の隅に漫画的なメモ書きがしてあったり、或いは1~2枚のエスキースしか描かなかったりします。そしてエスキースから、考え方や個性や魅力を感じさせないのです。恐らく本人の意識には、メモだからといった安易な気分が漂っていいるのかもしれません。もしそうであれば、大変な勘違いです。
 エスキースは、建築設計の基本であり、設計の考え方が反映されていなければなりません。それに空間は三次元ですから、エスキースを描かなければ、建築は本来解らないはずですし、人とコミュニケーションをすることもてきません。
 もしあなたがトレペを前にして、筆がつまったり描くことがなかったら、それは、まだまだ課題などに対する勉強不足だいとうことです。そこで、本を読んだり、作品にみにで出かけたりと入った次の行動が必要になることを、何も描かれていないエスキースは、それを教えてくれているのです。設計のできない人は、そういった行動の転換がおそろしくのろいですし、また第三者が指摘しないと動かないですね。
 設計に限らず、文章を書く場合も同じです。下書きを重ね、推敲を重ね。次第に文章ができあかってきます。もしそういう段階を省いて設計したり、文章を書いたりすれば、「あんた!いつからそんな大作家になったの?」と指摘されるでしょう。ツールも自由ですし、巧い下手は関係ないのですから、まずエスキースを始めることでしょう。それも沢山。私の場合は、オリジナルスケッチブックを制作して、エスキースをしています。ノートにしたのは、エスキースを統一様式で保存しておこうというのが意図です。2008年1月3日の過去ブログ「 新年番外地編 Tool’s 7.(結)イエローブックと仕事場」を参考にしてください。

青蓮院夜間拝観
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む49. 設計がうまくなる方法3.

2008年12月18日 | Kyoto city
 私のように、都市やランドスケープを扱う環境デザインの立場から見ると、建築はインテリアデザインだなと思う事があります。大学で設計された課題作品をみていると、 学生達は概して平坦な土地を選び、その上で空間構成を考えているのだから、大地の曲というところに全く関心が及んでいません。 建築の最大の関心事が内部空間の構成であれば、まさしくそれはインテリアデザインと同様だと私は考えています。
 大地の曲(くせ)を活かした建築例をあげると、例えばレンゾ・ピアノ氏自身のオフィスRPBWは、急傾斜地の地形に沿って配置され、段差あるオフィスを下ってゆくと、その先端の海に突っ込むような環境を呑み込んだデザインであり、また安藤忠雄氏の六甲集合住宅も傾斜地だからこそ、存在できたデザインでしょう。
 大地の曲は、傾斜地だけではなく、囲われたり、広がったり、連続したり、重層したりと様々である。そういう建築言語が知りたければ、このブログのNO45で紹介した図書が参考になるでしょう。大地の曲に対して建築は、どのように向き合い、捉え、デザイン化するのかとする答えが、建築に表現されていることが、優れた設計のポイントになります。
 そんな大地の曲を扱った優れた建築群といえば、私はイタリアの山岳都市や日本の集落を最初に思い出します。磯崎新氏、陣内秀信氏、あるいは宮脇壇といった人々が、すでにフィールドサーベイがされており、その成果は出版されています。いまある設計手法の原点も、実はこうした古い街の中に数多くあり、設計が巧くなりたければ、大いに故人の知恵に学ぶべきだと思います。

妙心寺
Fuji FinepixS5pro,AF Nikkor F1.4/50mmmED
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京都に棲む48. 設計がうまくなる方法2.

2008年12月17日 | Kyoto city
 設計がうまくなる方法の2回目は、関心の持ち方について記しておこう。設計を志すのであれば、好きな作品なり建築家というものがある。それらをなかばトレースしながら、自分の作品の中に取り込んでゆくことは、この道を志す学生達ならば誰しもが経験するだろう。だがそういうときに大切なのは、与えられた空間の曲を読み取れるかどうかである。
 空間の曲とは、言葉で表現するのは難しいのだが、ここでははその場所の空気とでもいっておくか。着眼点は敷地の周囲である。住宅地とか商店街といった具合に、どんな街の機能があるのか、或いは敷地に対してどのように周囲から道路とぶつかり、これに対して建築はどう構えるか、どう見せるか、といった具合に周囲との関係性において建築の設計が決まってくる場合が多い。 よく学生達が書いた配置図で、与えられた敷地の中は表現されるが、周囲の環境を全く描かない、或いは考えていない設計図を見かけるが、それは、 肝心の情報を無視しているわけであり設計をする上では言語同断である。
 私の教える立場では、そんな関心の持ち方で、学生達の設計してゆく感性や水準がわかるというのも、面白い現象なのだが、多分本人達にとっては、内部をつくるので頭は精一杯なのであろう。

中京区木屋町通西入押小路
Canon EOS kiss digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む47. 設計がうまくなる方法

2008年12月16日 | Kyoto city
 設計がうまくなる方法がないかといえば、あります。というか、それは学ぶ人の生まれてから育った感性に依存する部分ももちろんありますが、それがなくてもうまくなります。私は設計の名手でしたので、あまり苦労したことがなく参考程度の話ですが、うちの学生をみていると、回りの空気をみながら、つまんないところで悩んでいるなと思いました。
 確かに空間をつくるというとは、凡人にできる仕事でありません。ただ唯一の才能があるとすれば、こうした仕事が好きなのかどうかでしよう。好きであるならば話が早い。そのこつはエスキースの量です。私は、一つの課題がだされると、すぐにエスキースをはじめ、一週間ぐらい後には、エスキースだけで、フリーハンド20枚ぐらいの緻密に描かれたA2トレペが、たまったでしようか。それを提出して先生といろんな話をするのが、楽しいです。そこから、いろんなエッセンスや課題を学びました。それが大学における設計教育です。いろんなエスキースをつくって持ってゆくと、中には先生の目が光ります。こちらもそれだけ、精魂詰めて24時間考えた末の結論ですから。そういう点では、エスキースは、先生と話をはじめる題材です。
 最近うちの大学院生のエスキースをみたときに愕然としました。私は何も言いませんでしたが、ノートの片隅に書いた漫画でした。この人の人生は、何億もかかる大きな仕事を漫画的にしか考えられないのかと、私もあきれました。そんな漫画的な表現しかできない人に、社会は、仕事は頼まないですね。

嵐山
Canon EOS kiss digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む46. コモンスペースか!

2008年12月15日 | Kyoto city
 道路と民家の壁面との間の、僅か1mにも満たないスペースに、縁台が置かれ、自転車や店のシンボルである暖簾がおかれ、格子が引き戸の設えになっており、店の主と商品を前に歓談している。軒下の柱の名残からみると、昔は下屋と呼ばれていたこのスペースが、人を滞留させ、コミュニケーションの場となり、そして商いにもつながる可能性だってあるし、時雨れることが多い京都の雨宿りの場でもある。 それこそ公と私的空間とをつなぐコモンスペースだろう。パリでいえば、それはカフェテラスだ。
 私達の生活が、あらかじめ限定された空間の中で、全て納まるということはない。むしろ、性格の曖昧な空間に、諸処雑多がはみ出してくることのほうが通例である。だから、こうしたコモンスペースを予め設けておく。そのほうが使い勝手がよいからだ。パリでも日本でも同じで、そんな隙間的な空間の扱い方が、建築デザインの知恵であり上手なデザインだろう。
 現代建築デザインが静謐な空間に走ろうとも、私達の生活は、右と左だけでは区分できない曖昧な要素があるのだ。そうした曖昧さを受け入れる空間の作り方で、建築デザインの良し悪しが決まってくる場合がある。
 自動車のハンドルに遊びがあるように、要は建築デザインも、あらゆる面で逃げの設計が重要なのである。最も大きな自然現象が、それを要求するのである。

中京区
Canon EOS kiss digital,EF F2.8/16-35mm
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