Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都に棲む35. 夜間拝観3.

2008年11月29日 | Kyoto city
 昨晩は高台寺に出向いた。私は、夜間拝観を初期に行った寺の一つだったと記憶している。先駆けるというのが素晴らしい。こうした催事を創り出すことによって、新しい人の流れが発生し、そして昼間とは異なった庭園の風景を発見したのだから。そろそろ京都の紅葉も終わりに近づきつつあるようだ。紅葉の見頃も1週間程度と短かった。そしてもうじき冬が来るという前ぶれである。
 今日から、土曜日は大学院の講義が始まり、2月初旬まで続く。冬、大学では結構忙しいときであり、学生達も卒業や修了の研究や制作で徹夜が続く。それまで行ってきたことの〆である。個人的には、冬は思いっきり朝寝坊をしていたいのだが、今日は早い新幹線に乗らなければならない。大学は、毎年同じ事の繰り返しであり、それに嫌気がさすときもある。そんな個人の気分には、お構いなく時間がすぎてゆく。
 さて明日はどうなることやら。

高台寺
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む34. 夜間拝観2.

2008年11月28日 | Kyoto city
 昨日は青蓮院の夜間拝観に出かけた。庭園にも様々な見せ方があるのだが、私はこの庭園のビュースケープは、一カ所だと思っている。ライトアップは、毎年少しずつデザインが変わるのだが、今年はベストの一カ所に奥行き観あるデザインを行い、ヒット作だとおもう。
 それにしても夜間拝観は、結構暗い上に、カメラの三脚・一脚は使用不可と、大きな看板が出ており、使うことはできない。従ってカメラの感度を最大に上げ(IS03200)、あとはレンズのVR機構を頼りながら、ジッとカメラ構えてシャッターを切るほかない。当たるも八卦あたらぬも八卦だ。これで露出は、開放絞りのf3.5でシャッターは1/14と表示されていたので、相当暗い風景だ。後はフォトショップで加工する他ないのだが、なんとか撮影できた。折しも雨が降り出しており、カメラは随分濡れた。
 人間の目の感度とデジタルカメラの感度は異なる。デジタルの方が、暗い部分の情報を拾っているようだ。だが人間の眼はもっと多彩に捕まえているように思う。きっと脳に視覚情報が伝わるときに瞬時に補正されて、私達はみているわけだ。要は眼で見たようには、デジタルカメラでは写らないということだ。

青蓮院
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む33. 夜間拝観

2008年11月27日 | Kyoto city
 10年程前から市内の寺の一部で、 桜と紅葉の時期に境内の庭園がライトアップされた夜間拝観が行われている。庭園や樹相に応じたライトアップがされており、またときにはアーティスティックな演出もある。その手法は、まさに現代のランドスケープデザインそのものなのであるが、昼間とは異なった夜の風景が形成される点では興味深い。
 調べたわけではないので正確なところはわからないが、往時も蝋燭の明かりで小規模にライトアップされていたと推測するが、電気という強力な光源によってかもしだされる庭園の立体的な風景は、やはり現代ならではの新しい見せ方なのである。
 全てが見えてしまう昼間と異なり、夜は見せたいところと、そうでないところを闇の中に馴染ませてしまうといった、メリハリある造景が可能だ。夜の景の面白さを感じさせてくれる。
 清水寺は、境内が立体的に広い故もあり、人手が多くても絵になるところである。それに夜の寺の雰囲気は、なかなかよいところだ。街を眼下に見下せるダイナミックな視界も開ける。

清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む32. 観光地

2008年11月26日 | Kyoto city
 紅葉の時間に追われるように今朝、東福寺へ散歩に出かけた。平日の午前中だから、空いているかと思ったが、これは大誤算だった。人の列が延々と続き、とぎれることがない。以前はこんなには、混んでいなかった。今の休日だったらどうなるんだろうか。
 それにしても年間4,900万人が来る観光地とは、こういうものかと実感した。境内を一巡し早々に退散した。こうなると、観光地は何処に行っても同じような光景に遭遇するから、マイナーなところを巡り歩くしかない。
 それよりも、自宅で静かに仕事をしているほうが、よいのだろう。紅葉が盛んだという気配を感じながら、静かな冬を待つほかないだろう。
 午後から図書館に出向き、原稿の資料探しをしていた。こちらの方が、快適で心地よいようだ。

東福寺
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む31. 閑話、345回!

2008年11月25日 | Kyoto city
 昨日は昼前から雨だった。このようなとき暖かくして静かに家にこもるのには調度よい休日だ。さて昨年8月15日から始めたこのサイトも今日で345回になった。せめて365回は続けたいと思う。後一息か。写真はストックがあるが、文章では、同じようなことを書いている時がある。もちろん少し視点なり文脈は変えるように努力しているが。
 ところで、ソフトウェアの.macがMobile Meに変わってしまったので、従前同様に使えるというアナウンスはされているが、これは使ってみないとわからない。ブログはソフトウェア次第で、書く意欲が湧いたり、減退したりするので、この使い心地がブログの生命かも知れないと思われる。
 そこでOSも10.3から10.5に上げなければならない。Macを最初に使ったときのOSが7.0だから、足かけ14年ぐらいはMacを使っている。当時WEBソフトは、モザイクが主流だった。その後にネットスケープ・ナビゲータが登場し・・・と考えると、やはりPCの世界では、歴史を感じさせる。
 私が最初にインターネットを利用したとき、筑波大学のLANにぶらさがっていたので利用料金はない。ただし構内LANは、自分たちで天井裏に入り込んで配線しなければならなかったが。だから、いまでもインターネットは無料という認識がある。実際私が勤める大学では無料である。だが、自宅で利用するときは、不本意ながら料金を支払っている。

嵐山
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む30. サスティナブル

2008年11月24日 | Kyoto city
 ここ何年か私は、休みも取れないぐらい忙しい日々が続いていた。そしてこの1年間で世界の金融経済に激震が走った。その故もあってか、最近人並みの暮らしになりつつある。
 ところで今、何かが変わりつつあるように思う。その最たる要因は、我が国の人口減少が次第に現実味をおびてきたことかも知れないと私は類推している。例えば国土交通省は、国内の将来交通量予測が初めて減少に転じる見通しを示した。原因は、少子高齢化や人口減少による移動距離が従来の長距離から短距離志向へ変化したこと。
 人口は、国家のファンダメンタルズである。それが減少していることは、これまで社会的に信奉されてきた成長戦略という考え方を敷衍する事業の成立が危うくなる。事業というのは、圏域の人口が増え、そして消費が増えることによって成立してくるからだ。そうした基盤である人口減少は、経済浮沈以上に悩ましい要因だろう。 
 そんな状況の中で、社会的に掲げられている「持続可能な」という命題は大変大きい。今私にわかることは、持続可能な事業戦略の方法というものを、まだ誰も手にしていないことだけは確かである。
 ところでこのブログの写真が八つ墓村みたいだというので、貼り替えてみた。

車折神社御火焚祭
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む29. 論文的な書き方

2008年11月23日 | Kyoto city
 論文的な書き方があろ。例えばここで表題としている「京都」という主題に、なんとはなしに近ずくような論述性を意識した書き方である。論文では論述性がないと、論旨が相手に伝わらない書き方だが、一つのテーマで30回位書くと、次第に私自身が論文的書き方に飽きてくる。たかだかブログだし、それもアクセス数が低い(私の関係者位しかアクセスしない)のだから、書き方などを気にすることはないのだが、個人的には退屈さを発生させる書き方である。だから、このブログも、一つのテーマで長くても30~40回位で終わりにしている。といって今のテーマで、いつまで続くかは解らないが。
 話題は変わるが、市内の寺院ではライトアップが行われ、人手もことのほか多いので、休日にはこうした寺院に近づかない方が正解だ。ということで、昔撮影したネガを引っ張りだした。多分今はこんな風景になっているのだろうと思われる。
 こんなことを書き出すと、またまた論文的な書き方に近づいているが。(笑)

清水寺,2003年頃
NikonF4,AF-NikkorF2.8D/20-35mm,ベルビア
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京都に棲む28. 続・弘法市

2008年11月22日 | Kyoto city
 京都も朝晩は、1度近くに冷え込み、昼は10度以上あり暖かい。そんな盆地特有の温度差は、さすがに京都である。いまだに私は、京都に棲んでいるという実感が余り無い。今の大学に赴任した10年前から、京都へは、しばしば足を伸ばしてきた故かもしれない。その頃から私は、京都の街をビジターとして結構歩き回っており、利用した市街地図がボロボロになってる。
 この街、とりわけ私が今棲んでいる所は都心近くであり、精々歩いて行ける範囲に市役所も含め大方の都市施設がある。「田毎」のうどん屋(工場の方ですね)とか、近所の豆腐屋にはじまり、オフィス街もあるから、一通りの商業施設も立地している。それは別の意味では、老人でも生活に困らない利便性あるところだとおもう。狭いところに棲む、狭いが故に工夫を凝らし静かな環境を享受しつつ、且つ生活利便性はすこぶる高い、そんなメリットを持った都市が京都である。コンパクトシティの最たる姿だと思う。
 そしてこの街は寺社が多く、従って多彩な催事が多い。退屈しない刺激ある街である。プロデュースの立場で見れば、学ぶべき要素が多い街である。人々が暮らすのに調度良い都市の規模といものがありそうだ。そんなことを弘法市を徘徊しながら考えていた。

Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む27. 弘法市

2008年11月21日 | Kyoto city
 毎月21日は東寺で、弘法市が開催される。展示される商品は種々雑多で数多く、 生活雑貨の中にこんなにたくさんのアイテムがあったか、言わんばかりの古い商品群である。 もちろん私がどう考えても、不要品とおぼしきものが多々ある。 何をお気に入りとするかは、訪れたビジター次第。そういうところがこの市たる所以なのだろう。WEBサイトによれば、この市は現在新規出店者を断っている。それぐらい出店希望者がおおいものと推測した。
 市あるいは縁日という言い方も一般的だが、縁というのは、仏様とふれあうという意味である。実際東寺への参詣者は、数多くみられた。その帰りに市を徘徊するのだろう。
 市を徘徊していたら、天気が崩れだした。出展者は手際よく覆いをかけはじめた。私も退散した。冬の始まりの京都は、時々時雨れる。小一時間ほど雨が降り、また天気になる。そんなことの繰り返しが続きそうだ。おそらく日本海のきまぐれな冷気が、時折京都市内までまぎれ込んでくるのかも知れない。

Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む26. 紅葉の見頃

2008年11月20日 | Kyoto city
 昨日も今日も気温は低い。低いと入っても昨日は、最高気温で10.9度だったから、そんなに厳しいわけではないが、体が慣れないせいか大変寒く感じた。 京都人は端正にコートやオーバーで身を固めており、さすがに慣れている。だが紅葉の最盛期が始まり、空は快晴であり、クリアな光は綺麗だから、撮影日よりだ。こういうときに元気なのは、観光客だろう。ここ10日ぐらいは、京都市内であり街の中ならば、どこに出かけても紅葉の見頃であろう。
 私は原稿もあり、あまり紅葉どころではないが、寒さには耐えがたく、昨日は、近くの山用品屋へでかけ、厚手のハイソックスを調達した。次は能力ある静かなエアコンに入れ替えようと考えている。寒さを楽しむというのは、若い頃の意識だったが、いまは寒さ対策が必須。寒い日は、暖かい家に籠もるというのが、当面の目標。
 それでも寒かったら布団をかぶって寝てしまうのがベスト。そういえば、筑波大学の学生宿舎で、酷寒の時は、寝ていたことを、思い出した。それほどには、京都は冷え込まないと思うが。

天龍寺,2007年
Fuji FinepixS5pro,MakroPlanarF2/100mm
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京都に棲む25. 冬一番

2008年11月19日 | Kyoto city
 今朝は、冷え込んだ。気象庁の天気予報では、今年の冬一番の寒さの到来だろうか。コートではなく、オーバーを着ている通勤風景を目にした。昼間でも10度と寒そうだ。
 いつも東京と京都の気温の温度差を比較しているが、2度位の相違でしかないと記憶している。それでは大差ないのだが、建物の構造で、体感温度は違ってくる。
 横浜の公団ではRC造だった上に、上下左右に住戸があるから、それらの余熱で、私の住まいは結構暖かかった。長く棲んだが、冬の寒さというものをあまり実感しなかった。こういう点では、マンション暮らしというのは、とても快適である。
 京都は、長屋だから左右の壁は接しているので、少しは寒さを緩和しているのかも知れない。だが上下というか、地面と屋根上の冷たさは居室へ伝わってくる。
 一番寒いのは、6面を外気や地面と接する郊外の戸建て住宅だろう。だが最近のハウジングメーカーの商品化住宅は、断熱性や気密性がすこぶる高く、外気の寒さを緩和してくれる優れものである。
 こんな風に考えてゆくと、建築のデザインによって寒さをしのぐ度合いは異なってくる。日本の家は、吉田兼好の徒然草にあるように「夏をもって旨とすべし」であるから、通風の良い夏向きの家を基本とする歴史なのだが、それでは冬は寒すぎる。京都の冬は、しばれるんですよ。

天龍寺,2007年
Fuji FinepixS5pro,MakroPlanarF2/100mm
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京都に棲む24. 近所の居酒屋

2008年11月18日 | Kyoto city
 紅葉が綺麗だなと思い始めたのは、そこそこ歳をとってからだ。それまでは仕事が忙しく紅葉どころではなかった。断片的に見えた紅葉を見て、あっ秋かな!!と思った位だろう。実は紅葉は秋の終わりであるのだが。最後に今年一番の姿をというのが紅葉ですよね。
 さて今週から来週中頃にかけての京都は、紅葉に最盛期だと思われる。当然この間の京都の宿屋は、「○満」つまり市内の宿屋がすべて満室の日々が続く。
 今日は、家の近くの気になっていた居酒屋へ夕飯がわりに初めて出向いた。その風景は昭和であった。なじみではないので意を決して中にはいると八代亜紀がかかっており、カウンターだけの小さなお店で、おでんがあって・・という普通のお店であった。お酒は菊正宗であった。これは個人的に好感である。それに一人でも入れるそんな感じの店であり、おばんざいも少しあり、なじみのお姉ちゃんが夕飯をたべていった。ああっ、家の近くにこういう普通のお店があるんだ。どこか常連になりそうな世界である。
 そんなテレビの刑事物語で登場するする居酒屋は、夢かと思っていたが、京都では現実であった。というかそれがこの辺では普通という感じです。既に家で飲んだ後だったので大して食べなかった故もあり千円一寸と安かった。帰りは、幸せな気分で、マフラーを巻きながら家に向かった。冬の風に吹かれる帰り道が短すぎるなんて贅沢におもいながら、今日の京都は、冷え込んでいるようだ。これで一気に紅葉になるのだろう。

霊鑑寺,2007年
Fuji FinepixS5pro,DistoginF2.8/25mm
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京都に棲む23.

2008年11月16日 | Kyoto city
 昨日は法住寺のお火焚き(大護摩供)にでかけた。土曜日であり、狭い境内ではあるが蕎麦の屋台もあり賑わっていた。こちらは山伏修検道が登場する。最初に後白河法皇の法住寺陵(法住寺の隣・・・こんなところに天皇陵があったのには驚いた)に詣で、その後お題目、そして天狗や鬼が登場し、護摩木がくべられる、といった次第で、七五三も加わり、なかなか時間がかかるのだが、それはそれで盛りだくさんであり、狭い境内と相まって面白い風景だった。護摩焚きの煙に巻かれると幻想的な風景で、なかなかええではないか。
 それにしても、このところ不景気風強く、商売繁盛という願も、どこか空々しく感じる昨今である。それに人口減少に伴い、社会構造が着実に変わってきている。経営の成長路線は企業命題だが、そんなことがシナリオにしにくい時代になってきた。来年は厳しい年になるだろう。せめて神様にでもお願いするほかに道がないのが一般大衆である。
 このお火焚きの煙のように社会的には、暗雲立ちこめる先に太陽があることを信じたいですが・・・。

Fuji FinepixS5pro,AS-S Nikkor 16-85mm/F3.5-5.6D
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京都に棲む22.

2008年11月15日 | Kyoto city
 昨日は、調度仕事も早く終わったので午後の遅い時間に自転車で、新日吉(いまひえ)神社のお火焚祭にでかけた。私は、以前一度出かけているが、いついっても、この祭は、地元の人々ぐらいしか来ないので、どこか暢気できさくな雰囲気が漂っているところが好ましい。
 社殿では、先ずお払いや舞の奉納が行われる。次いでこの写真にある屋外で、湯立神楽が奉納される。釜の中に洗米.酒.塩を注ぐと湯煙が立ちこめ、最後に笹の葉を熱湯にひたしてさっと振りかける。湯にかかれば無病息災の利益にあづかるとする関西地方の儀式である。そして護摩木をくべてお火焚きをする。その後縁起物の笹の葉と、風邪封じとされる焼き蜜柑をいただくという次第。この祭は、これから迎える寒い冬への準備なのである。
 境内の樹木も一部紅葉が始まっている。秋の日射しは弱々しく、空気は乾燥している。祭が終わる頃には、陽も落ちかけている。秋は陽が暮れるのが早い。それにしてもこの参道の雰囲気はどこか華やいでいて好ましいと思っていたら、スクールバスにプリンセスと書かれてあった。ああそうか、神社の隣には、京都女子大があったのだ。この参道は、プリンセス・ストリートなのである。

Fuji FinepixS5pro,AF Nikkor D F1.4/50mm
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京都に棲む21.

2008年11月14日 | Kyoto city
 紅葉の時期が近づいてきた。京都は、あと1週間程で見頃になる。今年の秋は暑い日が多かったから、色づきを懸念する声もある。こんな話を書くとどうも辛気くさいのだが、紅葉名所は市内に大変数多く存在する。
 私の家には、小さな坪庭はあるのだが、都心だから紅葉を楽しむほどの規模ではない。そこで市内の寺社の庭園を愛でることになる。都会暮らしの知恵というべきだろう。
 もし我が庭で楽しみたいとすれば、郊外の庭付き戸建て住宅で丹念に庭の手入れをして、紅葉を楽しむことになる。最近、このように暮らし方の二極化傾向が顕著なのではないかと思われる。都心で狭いが利便性を享受するか、郊外で生活不便であるが自然を楽しむか、とする暮らし方とである。
 現在、行政の都市政策上は、都心居住を目指している。当然その方が行政サービスのコストが低減だからだ。といって皆が皆都心に棲む必要はない。やはり世代やライフスタイルによって、棲家の場所は異なってくる。
 こういう考え方ができるのは大体首都圏から西の気候温暖な地方である。ところで自然条件が過酷になると、集まって都心に棲まざるを得ない。そうしなければ過酷な冬を乗り切れないという地方もある。私は青森市でそれを痛感した。


京都・天龍寺,2007年
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