Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし159. 今の光明寺

2009年11月30日 | Kyoto city
 昨日の日曜日には、今年最後の目標である長岡京市郊外の光明寺に出かけた。数年前にこの寺を訪れたときは、田んぼの真ん中で30分に1本のバスを降ろされ随分田舎だなぁと思ったが、今は随時臨時バスが出ており、境内にはガードマンはいるは、露店は出ているはで、随分賑わうなど、様変わりした。今年のJR東海のポスター、「そうだ京都へ行こう」、のシリーズも光明寺であった。
 光明寺の紅葉は、市内のお寺さんよりは、いつも少し遅いのだが、それでも今日あたりは、最盛期から散り始めになった頃だろう。危うく逃すところであった。日曜日とあって人手も大変多かった。総じて、今年は気温の変化があったのて、例年のような一面紅葉色というわけには行かなかったようだ。
 私は、永観堂に始まり光明寺に至る迄、人並みに市内のお寺さんを回った。少しは、満足感もあるといったところだろう。京都は、節分の頃、祗園さんの頃、そして紅葉の頃が一番街が美しく、心ときめく時期だと思われる。
 一連の紅葉にマクロプラナーを持参し、ようやくこのレンズにも少し慣れたところで、今年の京都の紅葉も終わりに近づいている。今週中には市内の紅葉は、かなり散ってしまうだろう。
 そういえば三寶寺から案内状が届いていたが、今度の土曜日には、冬の初めの行事である大根炊きが行われる。昼に大根炊きとゆず御飯を食べに行こうかと思うが私のところからはちと遠い。紅葉が終われば、京都も厳しい冬なのである。

長岡京市、光明寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf11,ISO640,カラーモードF2.
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京都暮らし158. 紅葉回想

2009年11月29日 | Kyoto city
 今日も原稿の締め切りがあるので、回想編である。先週の画像をアップさせた。一週間経てば回想するぐらいに紅葉の変化が早いのである。京都の紅葉も大方は盛りを過ぎている。もう終わり近いと言ってよいだろう。今年は1週間程、紅葉になるのが早かったようだ。
 毎年この時期の一週間だけは、どこを見ても美しいので、仕事を休みにして頑張って回りたいと思うが、いつも原稿の締め切りに追われるという皮肉さがつきまとう。京都は、冬になったら被写体と撮影意欲はグンと減る。
 そんな暢気な事を言っていたら、ドバイショックが起きた。債務不履行懸念が広がり、邦銀も1,000億円程投資していたと聞く。私の頭には、アラブの商人という認識もあり、経済は下手ではないだろうと思っていたが、やはりアカンのか!?といった気分だ。従ってドルが売られ、円高が続いているようだ。日本としては、何も策を講じないのだろうか。
 今週の世界は、この話題で騒々しくなるのだろう。アメリカでは少し明るい話題がでたかとおもったら、また振り出しに戻されたようだ。

京都市・法然院11月20日
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf5.6,ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし157. 紅葉回想

2009年11月28日 | Kyoto city
紅葉回想と書いたが、つまり忙しくて紅葉どころではなかったので、先週の写真をアップさせたという意味である。
 昨日一日名古屋の仕事につかまり、慌ただしく京都から往復した。あと一つ行きたい寺院があるのだが、それは来週に行きたい。そんなわけで紅葉に出かけている暇はなく、やむなく先日の銀閣寺の紅葉をアップさせた。従って今情報ではない。まあ、今情報はこのブログでは、あまり期待されていない役割なので人畜無害だと思うが。
 思えばあれほど騒がれる紅葉も僅か二週間ほどの間の出来事である。その間に紅葉が、最盛期になり、そして散ってゆくという激しい季節の変化がある。そのあとには、しばらく忍耐強く耐えねばならない冬が来る。だから、どうやって冬を楽しもうかと、昔の人は色々考えたようだ。それが冬の行事なのであろう。
 まあそこまで考えるのには、今は少し季節が早いのだが、そろそろ冬の準備をしなければというのが、昔のすごし方なのだろう。
 さてこのブログで時折書いてきたパナGF-1の使い心地なのだが、今日はLVFを紛失した。アクセサリーシューにつけていたばずなのだが、気がついたらなくなっていた。LVFは、以前から外れやすかったので、ニコンのストロボのようにスッパーをつければいいのにと思っていたのだが、やはり外れて紛失してしまったようだ。シューにはストッパー用の穴もあいているのにである。LVFは気に入っていたし、金額からいって大変痛い。この辺りの甘さが大いにあるところがパナソニック・デザインなのだろう。全くついていない一日であった。

京都市・銀閣寺11月20日
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm ZF.
シャッター:1/60絞りf8,ISO400,カラーモードF2.
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 京都暮らし156. 今の清水寺

2009年11月27日 | Kyoto city
 今年の紅葉行脚も少し横道にそれて、今日は清水寺の夜間拝観をアップさせた。京都観光情報のWEBでは、盛りの表示がしてあった。個人的には、少し盛りを過ぎているようにも思われたが、いつもなら店じまいしている商店も開けており参拝の人は大変多かった上に、周辺の道路は車やバスで渋滞していた。
 夜間だし、今回は明るいディスタゴンを持参した。結果として手ぶれが発生したカットもあり、撮影には大分苦労を要した。実は昨年も夜間拝観をこのブログにアップさせており(京都に棲むno33~35)、そのときは手ぶれ補正機構が付いたニコンのズームレンズを使用した。これらのレンズを比較すると、手ぶれ補正が付いたレンズの方が明るさはf3.5-5.6と暗いのだが、比較的良く撮れているように思われた。手ぶれ補正が意外にも優秀だと思ったのである。
 夜間拝観の撮影はライトアップしているので、光が結構複雑でありオートではなかなか撮影できない。私の場合は、スポット測光にして、一番露出を適正にしたい部分に合わせてから撮影した。今日のカットであれば、紅葉の一番明るいに部分に露出を合わせたと記憶している。
 いつもGF-1を併用し、この撮影モードをダイナミックに合わせて撮影するのだが、色の発色は俄然FujiS5の方が良い。そんなわけでツァイスのレンズ共々目下活躍している。恐らくGF-1にニコンマウントを介してツァィスレンズを付けても、FujiS5程の発色にはならないだろう。
 そんなことを考えていると、目下噂になっているFujiのマイクロフォーサーズの新製品を期待したいと思う。ただし、ライカのレンズは、似合わないだろうなと諦めているが。

京都市・清水寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm ZF.
シャッター:1/10絞りf2.8,ISO1600,カラーモードF2.
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京都暮らし155. 今の高桐院

2009年11月26日 | Kyoto city
 盛りを過ぎた大徳寺高桐院へ散歩に出た。まだ紅葉は十分残っており、茅葺きの苔が生えた門や、あの灯籠が一つポンと置かれた極めて簡素な庭園に、落ち葉が広がっている風景は、秋の寂しさを感じさせてくれる。
 この時期は、市内の幾つかの寺社も盛りを過ぎつつあるところがあり、日ましに冬が近づいてくるようだ。冬になると、京都の庭園の風景は単調になるが、まだ今週は盛りの寺社も随分多く十分見られるだろう。
 こうして少し大がかりな散歩を続けていると、非情にも月末に締め切りが来る原稿が気になってくる。まだ最後のまとめを書いていないし、推敲もしていない。今日は仕上げようとなんとなく思うが、散りゆく紅葉が気にもなる。第一今週は、原稿以外の大学関連の仕事が多い。やれやれ、といった気分だ。こんなことなら早く仕上ておけばと思うが、原稿の依頼が今月の頭ぐらいだから、まあそれも無理か。
 原稿を提出すれば、紅葉も終わる。あとは街路樹の銀杏が色づく程度だろう。昨年と比較すると今年は一週間ぐらい紅葉が早いように思う。雪が降ることもある本格的な冬なのかなといつも予想している。
 今年はあと一つだけ出かけてみたいお寺さんがあるが、紅葉の状態はまだ七分位という情報だ。

京都市・大徳寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf2.8,ISO200,カラーモードF2.
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 京都暮らし154. 今の霊鑑寺

2009年11月25日 | Kyoto city
 今日のカットは、一昨日の月曜日の霊鑑寺の画像である。あまり変わらんだろうという意図で掲載している。ここはもう終わりに近いのではと思う。季節毎にしか公開しない哲学の道沿いの小さな寺である。昨年は、もっと盛大に紅葉していたのだが、ことしは気候の加減もあり樹種によって紅葉も異なり、少しタイミングが違うようだ。京都最大のもみじは盛大に咲き誇っているが、葉はもう落ちはじめている。
 この寺は、境内のアップダウンがある割には大変狭く、そして紅葉が美しい寺である。その分撮影しやすいところである。毎年通っている内に少しづつ作庭の意図がわかるようになるところが、面白い。先日も皇后陛下が訪れたようである。修学院を建立された後水尾天皇によって建立された皇室ゆかりの寺である。
 京都も今が紅葉の最盛期である。どこにいっても裏切られることはないだろう。ただ、今年は気候の加減もあり、例年ほどの美しさには欠けるように個人的には思われるが、そでも十分満足できる紅葉だと思われる。
 今年はあと、二つだけ訪れたい寺院がある。それ位は回りたいと思うが、月末に原稿の締め切りがあり、どうなることやら。

京都市・霊鑑寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf11,ISO1250,カラーモードF2.
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京都暮らし153. 小休止

2009年11月24日 | Kyoto city
 散歩とはいえ、毎日紅葉狩りに奔走していると、いささか飽きてくる。今日は小休止だ。
 最近の東京では、喫茶店が大幅に減ってしまった。ドトール珈琲のようなショートスティの、まさに珈琲を飲むだけのお店は数多いのだが、一寸した仕事ができて、長居ができて、仲間達とコミュニケーションできる落ち着いた珈琲屋は大変少なくなってしまった。そんな長居をされたら商売にならない土地柄なのだろう。だからドトール珈琲のテーブルは、書類が於けないぐらいに小さい。
 たが京都では、珈琲屋がしっかり残っている。以前私がイノダ珈琲でパソコンやら書類を広げて仕事をしていたら、店員さんが「それじゃ、狭いでしょう」と言って隣のテーブルをもう一つ横につなげてくれた。
 その京都人から「イノダよりうまい珈琲屋がある」といわれたのが、寺町のスマート珈琲店である。もちろん珈琲は旨いし、ここのホットケーキもよく注文される。店内も昭和の空気が残っており、ここで原稿を書いたり、本を読んだりして、過ごすというのも幸せな時間である。そんな昭和の空気が漂う珈琲屋は、京都には結構多いのである。
 喫茶店ですごす個人の時間から、仲間達と話し込んだりといった具合に、京都の街には喫茶店文化が、今もしっかり生きているのである。
 本屋の梯子をしてから、こうした喫茶店に籠もって長居をするというのは、冬の暮らし方なのかも知れない。

京都市、寺町通りスマート珈琲店
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/320,絞りf1.7,ISO400.
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京都暮らし152. 今の常寂光寺

2009年11月23日 | Kyoto city
 昨日の日曜日に撮影した常寂光寺。僅かに緑色が残っているが、見頃には違いない。個人的には、もう少し後の方が良いと思うのだが、そんなことを言って待っていると、すぐに散ってしまうところだ。
 京都の庭園は、すべて人間の手によって創り出された美なのである。 春の桜や新緑に始まり、季節の花々が咲き、そして紅葉といった変化を見ていると、ランドスケープは時間の変化のデザインだといつも思う。そこが変わらぬことを主張する建築とは違う点なのである。
 変わりゆく庭園要素と、変わるまいとする建築要素とが、組み合わさって一つの環境が構成されている。それが私が教えている、環境デザインの方法のーつであるといえる。
 ところで、今日は市内の幾つかの寺社でお火焚祭などが、行われている。冬のやけよけ行事だ。次第に冬がヒタヒタと忍び寄ってくるようだ。また、あの冬かと思うと、少し憂鬱な気分になる。冬は、静かに家に籠もって本でも読んでいたいところだ。
 ところで、京都市内のオフィシャルな観光情報に関しては、「京都市観光文化情報システム」が最も便利であり、次のWEBサイトにある。私も多用している。
http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php

京都市、常寂光寺
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/2000,絞りf2.8,ISO400.
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京都暮らし151. 今の天龍寺

2009年11月21日 | Kyoto city
 今日の散歩は、朝早く天龍寺にでかけた。ここの庭園は、どんな季節に出かけても見応えがあるところだ。ゆっくり散歩をしたければ、開門時間と同時にゆくのがベストだ。少し時間が経つと、拝観者が大挙してやってくる。
 紅葉の最盛期は、まだ一週間ぐらい早いという説もあるが、実際に歩いてみると随分枝も枯れ気みであり、たくさんの落ち葉をみかける。昨年は大変紅葉の発色が良かったという記憶が残っているので、今年はあまり発色せずに散ってしまうのではないか、とも思ったりする。
 今日もFujiS5に、ツァイス・マクロプラナーを付けて撮影していた。私流に言えば、このレンズは空気がうつる。そして物が立体的に写り空間感がある。その上でシャープでそしてボケ味も大変に良い。マクロ域で被写界深度が浅いときには、時々ピントを外すこともある。だからFujiS5のライブビュー機能を使って、ピントをしっかりあわせるべきなのだろう。手持ちしか使えない境内では、撮影の練習になっているようだ。マニュアルフォーカスのレンズに合わせて、境内の徘徊もローペースだ。このほうが、じっくり庭園を鑑賞できるようだ。
 使い出したらボディから外したくない、そんなふうに思われて、個人的には最もお気に入りのレンズだ。デジタル時代では、珍しい仕様だ。

京都市・天龍寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/125,絞りf4,ISO100,カラーモードF2.

2009年11月22日日曜日


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京都暮らし150. 今の銀閣寺

2009年11月21日 | Kyoto city
 最近の京都も最高気温が12°前後であり、「おさむうございます」と挨拶するようになってきた。 先日、東京の昼間の気温が7°と人づてに聞いた。それでは京都より寒いではないか。
 今シリーズも3回目。特に紅葉の季節は、 遅れてはなるまいと思いながら今情報にこだわりながら、勇み足で徘徊している。京都の紅葉の見頃を私の実感で言えば、まだ桜が散ったところであり、緑の紅葉も少し残っており、それはそれで色が多彩になって良いが、来週がピークだろうと推測している。
 今日は、久しぶりにツァイス・ディスタゴン25mmを使用した。Fujiの色の良さと相まって、一応絵にはなっているようだ。もちろんサブにGF-1も持って行った。
 ボディ2台というのは、撮影の時に大変便利なのである。 昔このブログアーカイブでは、Village Design11~40の中国雲南省調査ではフィルム時代のEOS3とニコンF3に明るいズームレンズ3本とか、またLandscape28~42の山陽路では、EOS3、EOS Kiss DigitalのボディにLクラスのズームレンズ3本とかを、カメラバックに詰めカートにくくりつけて引っ張っていったことがあった。
 こうなると当然大変重たく、カートを何処に預けてとか、時にはカメラバックに一泊分の衣類をつめてトートバック的にとか、また途中下車して預けたカートを取りにゆかなければならないハメになるといった具合に、カートやバッグのロケーションプランが面倒くさいですよ。
 最近新幹線でも、出張でビジネスライクなカートを引いている人達が多いのですが、あれは引っ張る分には楽ですが、エレベータ等がないと階段がとても大変であり、行動も制約されて最悪ですね。
 たから私は、ザック一つに撮影機材も衣類も雨具も研究書類もパソコンも一式いれて動けるスタイルをしています。こいうときに小型軽量の一眼レフというのは、大変重宝します。これで世界を徘徊できれば、最高なんですが。

京都市・銀閣寺
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon f2.8/25mm ZF.
シャッター:1/125,絞りf11,ISO640,カラーモードF2.
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 京都暮らし149. 今の曼珠院

2009年11月20日 | Kyoto city
 昨日は、天気も晴れたり曇ったりで、昼間は原稿書きに没頭していた。夕飯を食べる前に、自宅からバス1本でゆける洛北の曼殊院でライトアップをしているので散歩がてら出かけてみた。私の記憶では、ここのライトアップはあまり聞いたことがない。
 バス停から、陽も沈んだ後の畑が点在する郊外の暗い山道を1km程登ると曼殊院がある。座敷に上がってみたら、 夜のお寺の凛と引き締まった空気は大変心地よいのだが、枯山水の庭園はまだ紅葉しかけたところで、少し早かったようだ。ライトアップも光量が弱くて見栄えが今一つであり、ああーっ、今日はスカをくったようだ!。京都は、時々催事などでもスカがある。
 京都は盆地であるためか、或いは樹種の違いか、日当たりか、とかく山麓の気候が一様ではない。従って紅葉になっていれば、まだという場所もあるのが常だ。こうした時間差を、この街に棲むと時々体験するし、日々の話題にもなる。実を言うと曼殊院は、ミニ桂と呼ばれる程に大変美しい寺院なのである。
 ここまできたのに、手ぶらでは帰りたくないというので、門前の紅葉を撮影した。幸いなことに長さ20cm程度のスリックpro miniという小さな三脚を持ってきたので、GF-1+パンケーキレンズ、夜間撮影モード、セルフタイマーを使用して撮影した。こんな夜に普段使うことが少ない機能の練習になってしまった。
 道路に寝転ぶような格好で、LVFのファインダーを立ち上げてなんとか撮影できた。しかし、こうした撮影の時は、やはりG-1のように液晶モニターがフリーアングルでつけられている方がはるかによい。LVFのアングルを立てれば同じだろうという発想で略したのだろうが、LVFのあの小さな窓を覗くには、道路に寝転ばざるを得ないスタイルを強要される。それではこれまでのファィンダーと大差がない。暗いから車に轢かれても、GF-1の責任だと思いながらの撮影であった。
 この辺りがスチール系のカメラ開発経験が少ないメーカーなのか、合理主義なのか理由はわからないが、液晶モニターのフリーアングル化は、全てのデジカメ仕様にすべきだと私は思う。それだけで、液晶を大型化する意味があり、そして撮影アングルは飛躍的に拡大するのである。デジタルだからこそ可能な仕様なのである。
 デジカメ開発初期に登場したニコンクールピクス990等は、レンズファインダーとボディ毎回転できる液晶モニターとが付けられており、大変使いやすく便利なデジタルならではの仕様であった。このスペックでゆくのかと思ったら、その後ファィンダーが省かれ、固定の液晶モニターだけとなり、今ではそれが多くのデジカメの標準仕様になっており、大変使いにくい。だから私は普通のデジカメを使わない。
 私がGF-1を購入しようとしたのも、LVFがあったからである。そうでなければ、この機種は使わなかったであろう。デジカメには、ファインダーとフリーアングル式の液晶モニターの両方が必要・な・の・で・す!!!!!。

京都市、曼殊院門跡
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター8秒,絞りf5.6,ISO100.夜間撮影モード
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京都暮らし148. 今の永観堂

2009年11月19日 | Kyoto city
 光に透明感があり、薄日がさしていたので、筆を置いて午後から散歩に出かけた。 永観堂では、今頃から紅葉の最盛期が始まりだしたと理解すべきだろう。日当たりや樹種によっては、まだ紅葉にいたらないところも少しばかり残っていた。今週から来週にかけて朝晩の気温も下がるので、紅葉は美しさの盛りを向かえるだろう。
 こういう季節に原稿を書くハメになるのも、締め切り日の関係だからしょうがないのだが、 少し腰が落ち着かない日々が続く。早く書き上げなきゃ。
 永観堂の散歩では、FujiのS5に久しぶりにツァイスのレンズを付け、GF-1にパンケーキレンズ付けてサブにして出かけた。このシステムは、何よりも持っていて苦痛にならない重さだから、使い勝手が大変良い。
 かってS5のボディをを二台揃えようと考えたことがあった。それぞれのボディにディスタゴン25mmとプラナーのレンズを付けておけば、大概の撮影が出来るし、写りも申し分ないと考えたからだ。だがバッテリーグリップ付のS5を2台持つのも、大変重たい上にかさばるので難儀だという身体的理由により、これはアイデアで終わった。
 さてFuji+ツァィスと、GF-1+パンケーキレンズでは、どちらが綺麗に写るかといえば、もちろん前者だ。どんなときでも、カールツァイスは頼りになるレンズである。
 それにしてもこのカットは、和菓子のパッケージを思い出す(笑)。

京都市・永観堂
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/180,絞りf4,ISO100,カラーモードF2.
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京都暮らし147. ボケ味

2009年11月18日 | Kyoto city

 ズームレンズと異なり、単焦点レンズは、背景のボケ味
がとても良い。もっと単焦点レンズが見直されてもよいと思われる。GF-1は、マウントアダプターを介してどんなレンズでも付けられるので、操作は面倒になるが、是非試みることをお勧めする。
 このような使い方をすると、マニュアルでピントを合わせるといった、人間主導型の基本機能を無視してほしくないと思う。使い始めの最初からベストに写るというのではなく、使っているうちに慣れてきて、良く撮せるようになるという考え方もあるだろう。
 また、スタイリングで言えば、頭でっかちというのも格好が悪い。やはり小さなコシナやライカMシリーズの系統が格好が良い。それらは、鏡胴がマイクロフォーサーズマウントと同規模かそれ以下なので、小振りなレンズの方が、このボディにはよく似合う。
 とまあ、色々この小さなボディについて書いてきたが、それだけ、携帯しやすく、そしてデジタルとしては、クラシックなレンズが蘇るなど、私流の使う楽しみができる機種だ。
 京都も、今週から来週にかけてが、紅葉の最盛期である。人手も多いが、朝晩の気温は、日毎に冬に近づいてゆくようだ。

京都市,高台寺界隈
GF-1,SUMMICRON f2.0/35mm(8element),
シャッター:1/320,絞りf4.0,ISO100,撮影モード:スムーズ.

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京都暮らし146. 気むずかしいレンズ

2009年11月17日 | Kyoto city

 今日のカットは、京都人なら誰でも知っている寺町通りの肉屋さんの飾り窓を、ズミクロン35mm/f2.0で撮影したものである。
 この銀色の小振りなレンズは、GF-1のマウント径よりも少し小さい鏡胴であり、もちろんGF-1に付けたスタイルも格好が良く、しびれる感じである。だから持ち歩いて多用したいのだが、なかなか気むずかしいレンズなのだ。
 その気むずかしさとは、まず光を選ぶ、逆光はハレーションをおこすからまず撮らない方がよい。それに晴天は撮れないと思っていたら、カチンと撮影できたり、曇り空では今一つしまりがなかったりと、なにかと扱いが難しい。でっ、街を歩いていたら、こんな被写体ならばズミクロン向きだな!と思って撮影したのがこれである。古い風景には、向くのかも知れない。
 ライツをはじめ他社のマニュアルレンズを使用した場合、マニュアル通りに行えば、GF-1はピント合わせに手間がかかる。だがレンズの被写界深度の目盛りを活用し、f11位に∞マークを合わせておき、ボディ側は自動的にISO感度がシフトできるようにしておけば、どんなオートフォーカス機材よりタイムラグがない分、素早く撮影できる。
 それは、昔の古ライツMボディを使用していたときの、使い方と同じである。それで露出がオートというと、誰しもがライツCLとかミノルタCLEなどを想起する所以だろう。

京都市,寺町通
GF-1,SUMMICRON f2.0/35mm(8element),
シャッター:1/30,絞りf4.0,ISO250,撮影モード:スムーズ.

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京都暮らし145. 凄腕のプロ技・続々

2009年11月16日 | Kyoto city

 あなたの街に写真館があれば、 アニバーサリーな日に、そして気が向いたら、気の合う仲間達と、記念撮影をしてみることを、私はお勧めする。
 私は大学を出た頃だったと記憶しているが、清水市内の同窓生の家に、7人ほどの仲間が全国から集まりコンパをしていた。翌日みんなで街を散策していたら、偶然古い写真館があった。だれかが記念撮影をしようというアイデアを出したので、みんなで写真館で撮影してもらった。
 その後記念撮影をしたことも忘れて随分と歳を重ね、あるとき同窓生の一人が当時の写真を、デジタル化して送ってくれた。その写真をみたときの懐かしさもあったが、なによりも若い頃のアーティストや建築家を目指していた気迫や時間が漂っていたのには、とても感激した。
 当時を思い出すと撮影してくれた写真師の叔父さんは、7人の若い仲間達というのが面白かったのか、あんたはここ、こうして足を組んで、あんたは床にあぐらをかいて・・・といった具合に、みんなにポーズをつけさせた。当然プロの撮影だから、写真の出来映えについては申し分ない。そして、それ以上に、写真の持つ強さ、或いは存在理由を教えてくれたと私は思う。
 時間が経つと二度と撮れない、二十代の終わりの頃の一人一人の個性がしっかりと記録されていたのである。人生の長い時間が経ってから、あらためて見たその写真は、意味と価値がある財産になる。

京都御所,御常御殿
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/80,絞りf6.3,焦点距離85mm,ISO100,カラーモードF2

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