Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし85. 四寺廻廊その二

2009年08月31日 | field work
 8月27日の午前中は、建築学会大会で論文発表だった。会期全体で参加者は、会員、ギャラリー、様々な業者、そして学生ボランティアなどを含めると10万人は超えていただろう。この人手の多さは、仙台で一番賑わっていた場所かも知れない。大会の我々の発表では、質問もあり首尾良く終わったので、昼からの僅かな時間を利用してJR仙山線で山寺に向かった。
 列車は、狭隘な山間部を抜け、日本列島の分水嶺をトンネルで超えると山形県に入る。目指すは、宝珠山阿所川院立石寺である。山寺の駅から、急峻な岩壁にへばりつく立石寺が見えた。すごいところに建立したなと思う。
 山の斜面に沿って二十以上のお寺・お堂が、レベル差がかなり異なる狭隘な敷地に建てられており、道も折れ曲がり、空間的には面白かった。修行のためであろうか、くり抜いた岩場に足をかけるようにしつらえたお堂があったりする。晴天だったため五大堂から見える山寺の風景は、まさに夏だった。
 それにしても千段を超える急階段は、少しつらいものがあった。なによりも、車中で食べようと目論んでいた駅弁が売り切れだったので、昼を食べ損ねた。登るときに麓の露店で名物「力こんにゃく」2本をかじっていたのがよかった。昔の人の知恵であろうか、実はこれがなかなか、腹持ちが良かった。
 立石寺で芭蕉は、名句を残した。
 「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」 芭蕉
芭蕉がこの寺を尋ねたのは7月上旬頃だが、私が出向いた8月の終わりでも、まだ蝉の声が杉林で響いていた。 

山寺・立石寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし84. 四寺廻廊その一

2009年08月30日 | field work
 松島湾に面して境内を構える瑞巌寺にでかけた。本堂など幾つかの建物は国宝であり、境内は大きな杉木立で覆われ、創建は平安時代、伊達政宗の厚い庇護を受け、幾つかの塔頭も構え、それ自体は立派なお寺である。
 だが私の関心は薄かった。本堂の建立、そして内部の壁や天井の装飾には、京都から多くの大工を初めとする職人を呼んでつくられたと説明されている。だからこの寺は、まさしく京都のお寺の様式である。国宝の庫裡などは、京都の天竜寺や高台寺のそれと同一のデザインだ。
 それにこの寺全体の配置が、正門、中門、本堂とが一直線に並び左右対称でできた空間は、単純明快だが、やはり単調なのである。デザインを勉強してゆく立場としては、もう少し多様な変化ある設えの方が面白い。
 そして京都のお寺には必ずある大きな庭園が、ここにはないことも興味半減の原因だろう。
 最後に茅葺きの中門が、修復のため解体されていた。実に小さな中門をくぐると、大きな本堂が現れるという体験ができるはずであるが、おしかったね。
 松尾芭蕉が瑞巌寺を訪れたことは「おくのほそ道」に記載されている。
 「ほう、立派なお寺と風景でよこざんすね」と儀礼的な挨拶でこの場をやりすごしたかどうかはしらないが、芭蕉は瑞巌寺では句をつくらなかった。
 話題は変わるが、「四寺廻廊」という言葉を連ねたJRのポスターを仙台周辺の駅で見かけた。この地を訪れた旅人には、頭に残る言葉である。時間があれば回るかな・・・。

松島・瑞巌寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし83. 後世の人々のつくり話

2009年08月29日 | field work
 「松島や ああ松島や 松島や」
 小学校の頃だったか、この俳句を誰かに紹介され、松島の風景に感動したので言葉もなく「ああ」という感嘆詞をつけて絶賛した、というのが誰かの説明であった。我が国の多くの人々は、この俳句に対して、そんな理解をさせられてきた。
 だが実際に松島を来てみると、私には、絶賛には感じられなかった。いくつかの小さな島が横一文字に連なり、それはそれで多少の変化があるのだが、至極平凡で退屈な風景だと思われた。おそらくこの時代の人々の感性には、水墨画の素養があったので、こうした島の連なりが絵の素材として、好まれていたのであろうと推測している。
 ところで、松尾芭蕉は松島では、「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」と述べて、松島では句を残さなかった。従ってこの俳句が後生の人々による作り話であるとする説を信じる方が正論のようだ。昔は、作り話がいつのまにか、松尾芭蕉の作であると、まことしやかに信じられてきたようだ。
 私は、この「ああ」は、感動ではなく、むしろ噂に聞いてやってきたが、がっかりしたという絶望感ではなかったかと勘ぐっている。そうであれば、今の私の感性と一致するのであるが・・・。
 そんなふうに結論づけて、我々は早々に松島をあとにして、仙台市内に戻り現代建築行脚を続けることにした。

松島・扇谷
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし82. 気分はトロトロ

2009年08月28日 | field work
8月26日の水曜日の朝、名古屋を発ち仙台に向かった。毎年この時期に行われる建築学会の大会で論文発表をするために、うちのゼミ生らを従えて、中部国際空港から小さなプロペラ機で。こういう姿を見せられると、最初から腰が折れるような案配なのだが。
 仙台空港に着くと、一日に飛行機が数えるほどしか飛ばないことが肌で感じられ、人気がなく閑散としたローカル空港である。滑走路から双発セスナ機がトロトロと飛び立つ光景をみているとさらに気分もめげてくる。
 それでも空港は新築され、鉄道も通じているので便利になったというのであるが。そうした殺風景な風景を見ていると、いかにも補助金をばらまいてつくりましたという臭いがみなぎっており、無理筋の地域振興に近い。
 もうプロペラ機にトロトロのセスナ、それに人気がない閑散とした風景、もうそれだけで気分は大いに落ち込む。まあ仕事だから、そうそう愚痴をいっているわけにもいかない。
 発表は、明日の朝一なのであるから、今日は時間がある。閑散としているレンタカー屋で車を借りて松島にむかった。平坦な風景がダラダラと続く。施設は人並みに整っていても、人気が感じられない。トロトロにダラダラ、ああっこれが仙台か、ため息がでてくる。

富士山・山梨県上空
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし81. 量販店のMacは高い!

2009年08月21日 | Kyoto city
 今日は所用があり、日帰りで神奈川県茅ヶ崎迄往復していた。旅と言うほどのモノではなく、新幹線に乗っている退屈な時間の一日であった。
 ところで上さんがiMacを買いたいといいだした。キーボートとマウスはワイヤレスにしたい。WEBで調べるとプライスは、135,001円だ。
 そこで家に持ち帰ればすぐに使えるだろうと思い、近所のビックカメラ京都店に出向いた。店員さん曰く「キーポード・マウスは追加になりますから、148,700円ですぅー」。
「ええっ!!キーボードが2台もくるわけ」と私は唖然とした。
 店員さん続けて曰く「ハイそうです、ああっ、お客さんの価格はマックのお店の価格ですぅー。アップルストアに行ったって在庫あるかわかんないすよぅー、何しろmacは日本でつくっていないですから」とつれない返事。
 もう私は、「えっ!!、13,000円も高いじゃん。キーボード類の交換もできないし、店員さんは知らないようだがアップルストアは目の前で在庫をだしてくれるよ、WEBで注文しても1週間だ、それに今時Win系だって日本でパソコンなんか製造していないでしょう」。
・・・・第一おたくの得意なデジタルカメラ(キャノンとかニコンとか)だって日本製じゃないでしょう。不愉快なお店だ!!
 結局1番安いapple storeへ行くことにした。しかも教育関係者だから価格は130,001円だ。なんとビックカメラの価格よりも、apple storeは18,000円ほど安くなる。
 だから、私は、量販店のMacは高いのであると言いたい。なにしろ京都は、老舗の街だ。そういう街でMacを売っていること自体が筋違いよ!!!

京都・下鴨神社
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし80. ホームグラウンド

2009年08月20日 | Kyoto city
 さて今日も、夏への未練を残した写真である。ことしは雨が多かったが、雲が多くてもこうしたクリアな抜けるような青空が垣間見えるところは、やはり夏の風景である。2階建の木造の街並みが続いているので、八坂の塔がランドマークとして際だっている。現代では高い建物が多く、限られたスポットでないと、この風景は見られないが、昔の人々は、これが日常の風景であった。
 私は、 大学に赴任してから京都に足繁く通い、今はこの街に棲んでいる。市の統計では年間5千万人以上(社寺の拝観者数は除く)がこの街を訪れているので、それだけ風景には恵まれたところであるようだ。何しろ世界の人々が訪れる日本の京都であるし。
 そんな街と10年以上つきあうと、贅沢なことに得も言われず飽きるときがある。それで時々この街の外に出たくなる。そして京都に帰ってきたときに、ああこの街は、落ち着いていて良かったなと思うのである。
 このような経験は、どんな街に暮らしていても感じる事だと思う。かような経験をすると、自分が棲む街は、帰ってくるためにあると思う。だからホームグラウンドと呼べるのだろう。
 海外に出かけたときに機内で書かされる入国カードの目的チェック欄がある。そこにはon business等の項目の他にgoing homeという項目がある。復路の目的は、「家に帰る」、良い表現だと思う。旅というのは帰ってくることにある。もし帰るところがなければ、旅ではなく放浪と呼ぶのだろう。

京都・高台寺界隈
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし79. 今日も倦怠感です

2009年08月19日 | Kyoto city
 リアルライフに比べれば、 PCを用いたバーチャルライフスタイも辟易するぐらい飽きているが、一晩寝ると少し気を取り直した。だから今日は、いささか惰性で書いている。写真も夏を惜しんでいるという意図が濃厚だ。
 個人的に好きな夏が終わってしまった。今は残暑が残る秋だが、この季節は個人的に好きになれない。日照時間が短くなり、次第に日差しが弱くなってゆく寂れてゆくような風景は、周囲から実りの秋、紅葉の秋、と言われても私はいささか嫌いである。
 私のように、仕事で否応なしに朝から晩までPCを使用していると、 PCを使わない日々は、個人的には大変健康的である。旅に出かけて、頭の中からインターネットを忘れ、友人達と宴会などをしているときには、幸福感を感じる。それは私にとって貴重な時間である。それにPCを使わなくても支障がある生活ではないので、案外可能なライフスタイルだ。iPhonだけあれば十分だろう。
 あーだこーだと書いてくると、好きな夏が終わり、PCに飽きたということが、倦怠感の原因なんだとわかった。さてまた小さな旅に出たい。

京都市・東大谷万灯会
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし78. 筋雲

2009年08月18日 | Kyoto city
 昨日は、筋雲がでていた。積乱雲は皆無であり、 もう少し夏の風景を楽しみかったのだが、やはり秋の空になったかと思う。お盆の時に、我が家へ泊まりに来ていた美山のアーティストも帰っていった。お盆があけて、また街が、いつものように動き出した。夏の終わりは、いつも名残惜しい気分にさせられる。
 このブログでも、夏だ秋だと書いているが、そんなに風景が違うのですか、と問われればやはり違うと私は応えるだろう。夏は光が強く、時に透明感があるクリアな風景であり、物の陰影もはっきりしている。それに対して秋は、透明感が無くなってくる。光も少し弱くなってくるので、物の陰影も少し弱いと感じる。そんなことを、我が家の裏の寺院の軒先をみながら思った。そうした差は、写真にはうつらなくても、人間の眼では感じる事ができるようだ。そんな変化が寂寥感を感じさせてくれるのだろう。
 ところで、休暇モードの気分から、少し日常の生活時間に戻そうと思うのだが、なかなか戻りそうもない。さしあたり街が動き出したので、その余波で次第に日常の生活に戻るのだろうと、楽観している。
 それにしても、この一方通行のブログも大いに飽きた!。といってアンサー付にする案もあるが、お義理のアンサーなどもらったところで、空々しい限りだ。
 ブログ以前にPC自体に飽きている。つまりはバーチャルライフスタイルということに飽きているのだろう。やはり大切にしたいのはリアルライフだ。
 こんな台詞をこれまでに何回もはいてきた。その都度なんとか続けているのは惰性なのだろう。惰性も2年続けたし、この辺りが潮時という考え方もある。だがブログは、本来日記なのだから、飽きたなどという以前のモノであって淡々と日々を記録すればよい、という見方もある。さてどうするか、明日の気分次第だね。

京都市・東大谷万灯会
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし77. 精霊達の送り火

2009年08月17日 | Kyoto city
 昨日は、お盆最後の行事、五山の送り火を見に京都御所へでかけた。いつも僅か30分の行事だが、鴨川河畔や出町柳辺りの見所はいつも人手が多いので、今年は空間が広い京都御所で「大」だけをゆっくりみた。
 五山の送り火は、これまでに三脚を用いて3年ぐらいかけてしっかりと全部撮影した。それらの普通の写真は、今でも講義で使用している。だから今日は主にカメラ1台だけぶらさげて、お気楽観賞モードで撮影していた。そんな中の1枚をアップさせた。送り火に見送られて精霊達が天空に帰ってゆくのは、こんな感じかなと思った。
 五山の送り火をすぎると、季節は秋なのである。もうじきツクツクホウシが鳴き出す頃だろうと思う。このは時期いつも宴が終わった後のような一抹の寂しさを感じさせてくれる。
 やはり1年を通じて個人的に好きなのは、5月の初夏から8月の送り火迄の光の綺麗な時期である。これで今年の私が好きな季節も、もう終わりかと思うと余計に寂しい気分だ。
 今年は冷夏のようなので、残暑もあまり厳しいこともなく、気候は次第にしのぎやすくなってくるのかもしれない。

京都市・京都御所
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし76. 精霊迎え

2009年08月16日 | Kyoto city
この時期、京都のお寺ではお盆の行事を行っている。この期間に、祖先を迎え、そして送り出す、そのためのあの世とこの世との間に道しるべとして、お寺に万灯を掲げるのであろう。その風景は、どこか意味的である。
 京都市内には、約400の神社と1,600程のお寺がある。神社は、生きている人間の現世利益を信仰の対象としているので、あの世の面倒は見ない。そこで仏教が必要となってくる。そこに神仏という概念ができあがってゆき、私達の生活の節目となっていくのだろう。
 毎年お盆になると帰省する光景をマスメデイアはとりあげる。そこでは、お盆にはどうするのかという稚拙な設問が繰り返される。実家でくつろぐ、川で遊ぶといったお決まりの答えが返される。だがメディアがあまり報じていない帰省の最大の行事は、まさに先祖の墓参りなのである。だから先祖を呼びよせ、現世の人間達が集まり、あの世とこの世とが交歓する宴会こそが、帰省の最も大きな目的なのであろう。
 京都の街を見下ろす東山の大谷祖廟の斜面に設えられたお墓に、多くの灯がともる風景は、少し幻想的でもある。先祖を招き、一緒に宴を行う精神は、今もこの街に連綿と続いている。
 
京都市・東大谷万灯会
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京都暮らし75.プログ2周年 ローカル線駅の景

2009年08月15日 | field work
 朝から温泉につかったので、体はリラックスした。 散策しながら別所温泉駅に向かった。上田電鉄には、幾つかの古い建築様式を持った駅舎が現存している。ここもその一つだ。女性の駅長さんが羽織袴姿であった。上田電鉄は、レトロなプロモーションに熱心なようだ。
 別所温泉駅は、斜面に設けられているために、サンクンした空間、古いレトロな駅舎、これらを取り巻くように植えられている桜によって、落ち着きがある雰囲気の良い駅前の環境をつくりだしている。駅前といえば必ずあるバス停やタクシーの乗り場が、別に設けられているので、こうした環境となっているのだろう。
 さて上田市内に戻り、駅前のマックで昼飯を食べて、帰路につくことにした。篠ノ井まで信濃鉄道で出て、大阪行きのワイドビュー信濃に乗ろうと思っているからだ。篠ノ井から京都までは、4時間半ぐらいかかるから時々寝ていた。一泊二日の小さな夏休みであった。
 もう一つ書き忘れるところであった。このブログも今日で調度2年続いたことになる。といって特に自慢することでもないが、ブログを書くのも最近倦怠感を自覚しており、文章修行だと思っているが、私は半ば惰性で書いているため、あまり修行にもならんようだ。
 今まさにお盆シーズンであり、これが終わると夏も終わるのである。暦の上では既に立秋を過ぎている。今年は冷夏気味で、京都はしのぎやすい方だったので助かるが、これでは米や野菜があまりできんだろうな懸念している。

長野県・上田電鉄別所温泉駅
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし74. 温泉の景

2009年08月14日 | field work
 翌日私は、何かと忙しい個展はほかして、上田電鉄というローカル線に乗り別所温泉に出向いた。終点の駅からしばらく山道を登り、最奥に木造4階建ての老舗旅館を見つけた。ならば、ここの外湯につかるか、というわけだ。
 私が写真を撮っていたら、なかから年配の大女将がてできて眼があった。
私は、「ここの外湯がありますか?」と言った。
大女将は「外湯ならば隣で180円ではいれますが」。
私「いや、ここの木造4階建ての中を見たいので」。
大女将「ここは、1,050円しますが」。
私「それでいいですよ、ついでにタオルも貸して」。
 というわけで、木造4階建ての旅館の露天風呂にありついた。室内は、総畳敷きであり大変居心地の良い設えであった。さらに浴室の中まで畳敷きだったのには、少し驚かされた。大丈夫かいなこんなところで、水を使ってと思ったが、多分プラスチック系のコーティングがされているのだろう。人気がない露天風呂は、心地よかった。
 湯上がりに応接室に立ち寄ったら、ジャンヌモローから永六輔まで各界名士の色紙が飾られていた。この老舗旅館の歴史を表している。
 タイミングよく大女将が、冷たい水を持ってきてくれたので、ひとしきり雑談をしていた。大女将は、話を引き出すのが上手い。そうしたタイミングの良さが、愛想笑いしかできない最近の若女将とは、大いに違うところである。サービス業にたけた人との会話とは、大女将のように本来心の機微に触れる心地よさがあるのだろう。そんなことを思いながら、老舗旅館の時間を少し堪能していた。

長野県別所温泉・柏屋別荘
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし73. 知の景

2009年08月13日 | field work
 積乱雲をみると、やはり夏だったと思う。私にとって上田は馴染みがある街だが、昔の風景とはつながらない。私なりに長い時間が経過しているからだろう。
 信州は、イメージで得をしていると前述した。何しろ高原でラブロマンスを期待するのだから、キャストは映画のようにイケメンであれば相応しいのだが、私が知る限りでは、それは大いに異なる。
 先ず、なにかと文化度が高く、日常生活においてポリシー=つまり頑固である点は、私も認める。そうした天性の知的なところがある反面、外見はダサイのである。あまり外見を気にしないバンカラ気質だと思う。
 私が大学院の頃、論文の調査のため、上田で乗り換え、しばしば菅平高原に出かけた。菅平には、筑波大学の研究施設があり、長逗留ができたからだ。ときには雪の菅平で、マウンテンバイクを転がしていた。車輪の銀のフレームは、ブレーキングの跡で真っ黒になっていた。あるときは自転車毎1m程の穴にはまりこんだこともあった。雪が積もっていると、その下がどうなっているかは、解らないからだ。そんな体験をしながら、論文を書いていた。
 今にして思えば、随分回り道をした頑固な論文の書き方だったと思い、ときどき赤面する。多分信州人のキャラクターに影響されたのか。
 話題の異なる話を二つだしたが、どちらもインテリジェンスというキーワードでつながるだろう。私にとっての信州は、そんな認識である。
 さて私は、上田の街の徘徊もそこそこにして、ホテルに戻りシャワーを浴びて、大学時代の同級生の絵の個展に出かけた。夜は宴会だ。同窓生達と6時間ほど飲んでいたようである。

長野県上田市
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京都暮らし72. 洋館の景

2009年08月12日 | field work
 長野県は、擬洋風・洋風建築が多い。最も著名なのは、松本開智学校だろう。明治期文明開化の影響が色濃く残っており、当然上田市内にも幾つかの洋館が存在している。長野県人の先取の精神を感じさせてくれる。
 私には、全部の洋館を回るほどの時間はないが、それでも道すがらに幾つかを見て歩いた。真夏の暑さではなかったが、日差しは強く、歩いていると汗ばんできた。
 一般的には、長野県=高原=避暑地というイメージが定着し、夏は涼しいのではと思われがちだが、実際に長野県は盆地が多く、大変蒸し暑いのである。もちろん上田から近い菅平や軽井沢に行けば、多少は涼しいのだが、それでも暑さを忘れるほどではない。総じて夏は大変暑い県なのである。私が知る限りで夏を忘れられるのは、涸沢のように標高2,000m以上の世界だけである。
 もう一つイメージが先行した過去の例として、堀辰雄に始まるラブロマンス小説や映画の舞台であるといえば解りやすいだろうか。夏の休暇に高原を散歩していたら、洋館に暮らすみめうるわしき美少女と出会い、ロマンスに発展し・・・、といった具合だ。そんなわけで、どういうわけかペンションも実に多い。何かを期待して長野県にやってきた旅行者も、かつては多かったはずだ。
 今は、若い人でもそんな古風で暢気なテイストは、持ち合わせていない。精々昔を思い出そうとする、シニア世代が高原にやってくる位だろう。
 そんな風にみてゆくと、これまで長野県は、ハイカラな洋館、あかぬけた高原の雰囲気、そしてロマンティックな文学と映画によって創り出された文化的なイメージで、随分得をしてきた。
 
長野県上田市・上小教育会館・昭和13年建築
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京都暮らし71. レトロな景

2009年08月11日 | field work
新幹線が停まる駅前は、どこも同じような街の表情である。上田の駅前も同様で、整備はされて小綺麗になったが、つまらない街の玄関である。街づくりというよりは、街壊しと言いたくなる位に、かっての面影はない。駅前再開発の発想の貧しさがここにも露呈している。
 「刀屋で」遅い昼飯をとりながら、街の奥へ入っていった。映画のロケ地として多用されている上田の街を歩くと、少しばかり古い建築が残っており、レトロな景に巡り会える。
 概して信州の街は、どこか古さを感じさせる景をしばしば見ることができので、私は、特に上田の街だけが突出して古い街だとは思われない。だが映画というキーワードに影響されて、ともすれば舞台の書き割りのように、虚構として見えてしまう気配に誘われる。そんなところが少し不思議な気分だ。

長野県・上田市
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