Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編534.  七草の頃

2022年02月28日 | field work

 

 このブログを書いている1月7日は、七草粥を食べる習慣が日本にある。京都だからといって特に変わった調理方法があるわけではない。精々昆布でお粥をつくってみるか位の知恵は働くが、やる気分でもない。

 午前中所用で街を歩く。透き通った空気と山並み、以前なら撮影機材を持ち出し街の空気を撮っていたが、今年はそんな気分でもない。所詮機材など道具に過ぎない。道具は、例えばEOS3であろうがBMWやベンツであろうが、そんなものは金次第でどうにでもなる程度のものだ。

 そこへゆくと、友人、恋人と・・・、人間関係はそうはゆかない。そんなことをクルマ好きにいったら、「いいさぁ、人間なんか煩わしいからいなくてもさ!。俺は一人でクルマを使って素晴らしい自然を堪能するさ!」だって。だけど素晴らしい自然って、そこは道路がないよ。例えば北アルプスの涸沢とか・・・・。所詮道具は、人間がこだわる対象ではない。

 このブログも早書きをしている。日記だからといって直近の出来事を綴るルールはない。それより2月のブログもあと1日分余っていたので編集上の都合という理由だ。

 それに昨年の小樽の画像ファイルを開いていた事もある。既に冬の北海道にゆく旅程はできているが感染状況が気になる。願わくば私が小樽へ行くまで緊急事態宣言が出ないことを祈る。でなければ全ての予約をキャンセルし憧憬だけで終わる。そんな七草の頃であった。

 明日からは、小説:小樽の翠に戻ろう。ドローイングは、パンデミックで家に籠もって時間を潰すのには調度よい。

 

積丹半島美国

iPhon13pro

NIKONF3+MD4,Tri-X400

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番外編533. 最近のPhotoshop、デジタル補正の効果

2022年02月27日 | field work

 

 最新のphotoshop2022が優秀だ。前3回のブログ、モノクロフィルムのデュープ画像は、このソフトに救われた感じもする。

昨年小樽で撮影した夜の堺筋商店街は、既に閉店している店ばかりで暗いストリートだった。ニコンF3+MD4にPlanar50mm/F1.4レンズ、フィルムは+2の増感現像にしたが、それでも絞らなければならないので1秒ぐらいの低速シャッターだったのだろう。画像はブレていたから昨年はアップをしなかった。

例えばトップ画像は修正後であり、2番目の画像が修正前の画像である。見比べるとソフトの効果がみられる。もちろん修正後の画像は、よくみれば無理筋補正のところもあるが、全体でなんとかわかる範囲だ。もちろんブログにアップする際に、解像度を下げれば問題ない。といってやはりブレはブレだけど・・・。

それより効果を感じたのは、前3回の過去画像だ。一応撮れていれば、当時のプリント状態まで持ってこれる画像修正だろう。さらに効果が大きいのは、最近の過去映像。どんなソフトを使用したかはわからないが、50年以上前のモノクロ映画が、あれっ!と思うほど大変綺麗だ。特にグレートーンの階調は、大変なめらかでありデジタル補正の効果といえよう。

そんな経験をするとフィルムで撮影しデジタル複写する方法は、デジタルにはみられない不規則なフィルム粒子の粒状感があり捨てがたいところがありそうだ。もう少し冬の北海道で試みたい方法だ。ただしフィルム・トライ-X400の価格が作年時の1.5倍ほど高くなったのは悩ましいけど。

ところで、昨年は2月28に北海道へ出かけていた。当時の感染状況が少し納まった頃であるが、ワクチンも打たずによく出かけた。多分感染は遠ざかったという気分が支配的だったのだろう。それに2月末では雪は溶け出していた。その3週間後に再訪したときは路面から雪が消えていた。あまり雪になれていない京都人からすれば、それで調度よかったのだろう。

 

小樽市2021年

NikonF3+MD4,Distagon25mm/F2.8,Planar50mm/F1.4,Tri-X400

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番外編532. 行商人列車

2022年02月26日 | field work

 

 

 金のない高校生だから、北海道までC62を撮りに行くなんてことはできない。精々最安運賃の両国駅へでかけるのが精一杯だった。

 ある時ホームから見える機関車の転車台が気になっていた。あそこから撮ってみたい。だが入れるだろうか?、そういえば佐倉の機関庫も鉄ちゃん達と訪れたとき入れた。地元の人たちが通路代わりにつかっていた。そんな経験を思いだし、ならばいってみよう。型式プレートが外された廃車同然のSLがあれば、都会の中でみたこともないアングルが沢山あるではないか。SLの入替風景だって撮れる。すごい場所だ。そうやって両国始発のSLが牽引する客車まで撮り終えた。やったぜ。

 そのとき背後から「おいっ!!、お前!!、何やってんだ!!!、どこから入ったんだ!!!! 、ここは入れないぞ出て行け!!!!!!」と鉄道員に怒鳴られ、何か始末書でも書かされた上に高校へ通知されるかと足は震えたが、出口までつれていかされ放免された。やはり都会の駅だ、田舎とは違う。国鉄時代の話である。

 こうした風景も、今は東京へ向かう総武快速線の線路敷きとなり存在しない。今考えれば、怒鳴られて無罪放免してくれた鉄道員に感謝している。もちろん今の鉄道で、こんな事は先ず不可能だ。昔の時間の流れがゆっくりしていた頃だかろこそ撮れた風景だろう。

 SLが牽引する列車は千葉からやってくる。朝両国駅へ到着し人の背丈ほどの大きな荷物を背負って行商人達がやってくる。そして東京都内に散らばり千葉の新鮮な生鮮産品を直接家庭に届けていたのである。私も実家の近くで行商人達をよく見かけた。そして夕方両国駅から帰るのである。そんな1往復だけSLが牽引する列車があったのである。行商人達の列車といってよい。

 今はそんな列車も、行商人達もいなくなり、物流システムによって私達の生活が存在している。奇しくも今日は昭和の226事件があった日だ。寒い中では、過去を振り返りながら春を待つのだろうか。

 さて3回の過去画像をアップさせて気づいたのは、モノクロネガのデュープだから解像感は高くないないはずだが、当時の印画紙プリント並みの画質だ。それは最近のPhotoshopの能力による。このソフトもここまで進化してきたかと思わせるような画像づくりである。

 

東京・両国1969年

Canon6L,50mm/f1.4,Neopan-SS

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番外編531. 下地そして契機

2022年02月25日 | field work

 

 SLに興味を持っていた鉄ちゃんを無理矢理誘い出し、「えっ、電車ーー!」と嘲笑されながら地味な1日の旅だった。もちろん私の関心につきあってくれた鉄ちゃんのつきあいの良さと忍耐力に敬意を払って・・・。

 しかし私なりに、湘南海岸の風景や地図でみつけた箱根登山鉄道のスイッチバックをこの眼でみたかったという考えた末の提案だった。

 今では既にSLはおろかブルートレインもなく、湘南電車は既に4世代目の車両が走っている。

 当時東海道本線で既に旧型車両で廃止目前の80系の湘南電車で出かけられたのはラッキーだった。一般的な呼称である湘南電車は、緑とオレンジというカラーリングで登場し、当時の黒や茶系ばかりの鉄道の世界で始めてデザインを意識させる存在だった。それがデザインの世界に進む私の出発点だったのかもしれない。

 鉄ちゃんに2タイプあり、鉄道が好きだから撮影に行くタイプと、写真が好きでさしあたりの被写体として鉄道、という場合がある。私の場合は後者だった。だから私の関心は、鉄道から街やランドスケープへ広がっていった。もちろんその後、写真自体も卒業しデザインの世界へ進んでいった。だから写真は、絵具や絵筆同様に表現ツールの 1つであるという認識は今も続いている。

 当時一緒に1日撮影につきあってくれた鉄ちゃんは、オリンパスペンFを持参していた。あの小さなボディのフォルムは、今思いだしても大変お洒落だった。ペンという名前に好感をもっている理由である。プロダクトデザインへ関心を持つ下地だった。

 私は親父からのお下がり機材を抱えながら、そんなカメラ見たことないよと周囲から軽蔑の目線を感じつつ、それにしては頑張って撮っていた頃。クラシックというテイストに関心を持つには早すぎる、新しいものが支持されるひたすら前に進んでゆく時代だった。

 私には、鉄道という身近な存在を通じて社会へ眼を広げる契機だった。

 

江浦、箱根1969年

Canon6L,50mm/f1.4,Tri-X400 

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番外編530. 写真に興味を持っていた頃

2022年02月24日 | field work

 

 50年前の箱根登山鉄道である。

 私が教科書の地図帳を見ていて、スイッチバックで峡谷の小さな街をぬって登ってゆく登山電車に興味を持っていた。だから鉄ちゃんに撮りに行こうと提案したと記憶している。鉄ちゃんは、ああそれっ!と気のおけない返事だったが、早朝に待ち合わせ湘南電車で江浦を目指した。午前中は江浦から東京にむかうをブルートレインを、そして午後からは箱根登山鉄道を撮る。この日撮影したのは36枚撮りのフィルム2本だけだから、随分と大切につかっていた。

 箱根登山鉄道は80/1,000という急勾配の山岳鉄道という魅力があった。そして何よりもスイッチバックが撮りたいと撮影目的は明快だったが、大体上から俯瞰するわけでもないし動画でもないのに、どうやって撮るんだろうと現場で悩んだ。つまり静止画では、撮りようがなかったのである。写真では、撮れないモノがあるんだと気づいたのもこの頃である。

 当時日本の代表機材はニコンFだったが、こちらは金のない高校生、親からのお下がりで当時既に廃盤となっていたキャノ6L+50mm/F1.4。今の私の機材へのこだわりは、このときの潜在意識にすり込まれた劣等感の裏返しだろう。劣等感は憧れの裏返しであり、克服するためには別の分野に興味を持つか、或いは憧れを実現するしか解決方法がないと思われる。その後私は、排他的な写真の世界に嫌気がさしデッサンの世界に進み美大を目指した。つまり写真とは潔く決別。大学に進んでみると写真はグラフィックデザイン分野のツールの1つに過ぎなかった。当時興味はあったけど排他的な写真の世界ではなく、人の縁で建築の世界に進学できたのは幸運だった。

 だからネガのデジタルデュープをみると、この年以降の写真が大変少ない。写真から興味が失せた頃だろう。であれば、私が写真に興味を持っていた頃という表題がふさわしい。

 その後憧れのニコンFを親のローンで調達し憧れは満たされたが、すでにデザインの表現ツールの1つに過ぎなかったなという認識の方が強かった。今でもそう思っている。絵具の代わりといったらよいか・・・。

 

箱根1969年

Canon6L,50mm/f1.4,Tri-X400

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番外編529. 新宿!、そして決別しながら流れてゆく・・・・

2022年02月23日 | field work

 

  一寸だけ過去画像をアップさせよう。というのもデスクトップを整理していたら、こんな画像が出てきた。捨てるには忍びないのでブログに活用した。

 今日の画像は50年前の東京。トップ都電12,13系統の大久保車庫、2枚目は上野不忍、3枚目は新宿大通り。

 個人的に過去画像に興味はない。ただ懐かしいだけでは、それだけの話であり何もクリエイションしないから過去画像への個人的興味は希薄だ。ただ都電の背後に街の様子が映っており、それが相当に変化したことも、また不忍の池の写真のように変わらないこともわかる。都市は変化する、そして時に変化しない。50年という時間がなんらかの意味を形成するかもしれない。

 次第に都電の撮影に飽きる頃、背後にある街や人に関心が移っていった。それはごく自然なことだったし、それだけ物事の見方が広がってきたわけだ。そして街へ関心が広がってゆく。当時、撮ろうと思えば新宿は表の顔から退廃的な裏の顔まで持っていた。そして森山大道さんを初めとするコンテンポラリーフォトへの被写体となっていった。そして新宿を記述した作家達の随筆は多い。そんなものに夢中になっていた頃である。新宿という街は、良きにつけ悪しきにつけ多面体だったのである。

 大学院を出て就職した会社が西麻布にあった。そう渋谷・青山・六本木という新宿よりは上品で、なによりもクリエイター達がこぞって住んでいる街だ。そのとき新宿という街と決別した。

 だから今でも、女子美出身で新宿のジャズ喫茶でバイトしてますなんていわれると、私はまだあの世界があるのかと違和感を感じる。違和感ぐらいならよかったが、こちらは横浜、そして京都と移り住み、東京とも決別した。次は日本と決別するのだろうか。そうやっていくつもの都市や国家と決別しながら、次に向けて流れてゆくというわけだ。

 つまりなじんだ物事と決別できるということは、私の意識が前に進んだ。それは単に前に進んだだけだが、人生観として仏教哲学は物事を上から見下ろしている。だから円周をまわって元の座標に戻ってきたではないかと輪廻転生を解く。確かに上から見れば元の位置だが、それはスプリングバネのようにスパイラルだから横から見れば次のサイクル上にある。そう考えればスパイラルの上か下かはわからないが、人生はどちらにせよ流れてゆき続けるノマド的構造を連想する。人間はただただ流れてゆき続ける。そしてもとには戻らない。そう解釈した方がよさそうだ。

 

東京1967年

Canon6L,50mm/f1.4,NEOPAN SS

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番外編528. 旅程

2022年02月22日 | field work

 

 日本列島が函館北斗から鹿児島まで新幹線という1本の動脈で繋がれてから、実は旅が大変不便になった。それまで網目状だった日本の鉄道路線網から、拠点都市間を結ぶ単線構造に変わってしまったからだ。移動は拠点都市を目指し、そこから乗り換えて目的地にゆくという1本の背骨構造だ。

 旅のタイプには3タイプある。

A)最速でゆきたい場合。これは飛行機しかない。飛行機はローカル都市同士を繋ぐ場合もあり、意外に便利だが高い上に、CO2の排出量が高い。

B)その日のうちにつけばよい場合。これは主に鉄道によるが、現在は新幹線を使うという選択肢しかない。CO2の排出量は一番低いだろう。

C)安ければよい場合。これは夜行もある高速バスによる。夜行バスは、到着したら疲れが貯まり旅どころではない。そこでビジネスホテルのデイユースで一休みすると、なんのために夜行にしたか意味がない。CO2の排出量は、低くはないだろう。

 このように書けば、CO2排出量の少ない寝台列車を復活させろ!、という結論になるが、寝台列車は疲れも少なく、意外に便利なのである。そして現在定期的には東京-四国・出雲の1編成しか走っていない。

 というのも冬に秋田・小樽へゆこうと考えた。

 先ず秋田へはJALとANAしかない。事前予約をしないと高い。そうなると敦賀からフェリーで20時間で秋田に5:05着。雪国へそんなに早く着いて何処へゆけというのだ。結局新幹線で6時間で我慢してゆくといった具合に選択肢がない。

 ならばpeachで仙台に飛び、高速バスで秋田に行く方法が便利そうだ。所要時間も新幹線と同じか早い。運賃は1万円以下とすこぶる安い。

 さて次は秋田から小樽へゆく方法だ。もちろんANAとJALで新千歳へ飛ぶのが一般的。鉄道では8時間8分と、金額は飛行機と大差なく、選択肢なし。或いは朝の早立ちでフェリーで夕方小樽港につく方法もあるが・・・。

 かっては京都から寝台特急日本海があったし、秋田から小樽まで鉄道の乗り継ぎで容易にゆくことができた。今はその函館本線に特急列車は走っていないから、札幌から戻る格好になる。

 つまり京都人にとって秋田は日本の僻地だ。結局秋田に立ち寄ることは諦めた。

 これは日本の交通網が従来のように網目状にネットワークされていないからだ。全て拠点都市へ向かい、そこで乗り換えて目的地にゆく背骨構造に由来する。異なる末端にゆくときは一端背骨にたどり着き、ここを高速移動をしてから乗換、そこから異なる末端にたどり着くというわけだ。

 こんな使い勝手の悪い構造でよいのか?。そうなると寝台列車を都市間移動に走らせる方法がありCO2排出削減にもなる。大阪発札幌行き寝台特急は、今でも走らせられる。青函トンネルは在来線の貨物列車と併用しているから通過可能だ。

 CO2削減に有利であり、乗り心地がよく、都市の中心へたどりつく寝台特急列車が復活してもよいと思う。

 

追記 

 時折京都から名古屋へ新幹線で出かけることがある。いつも各駅停車のひかり号かこだま号だが、車両がおろしたての新車だ。形式をみたらN700形の最新モデル。だから全部の座席に電源コンセントがついており、肘掛けの下から取り出すことができる。壁と荷物棚の接合部のディテールも異なっている。全部の列車が同じ速度で東京駅を目指すということは、停車駅が多い列車の方が加速性能が良い必要がある。つまり最新型が投入される確率が高い。雪の米原駅で停車していたら、経年使用で汚れた旧型N700形のぞみ号がゆっくりと追い越していった。

 車両は最新型で綺麗、乗客は大変少ない、雪で徐行しているから景色をみながらの移動が愉しい、冬の新幹線各駅停車の魅力である。

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Fisheye72.2021年最後のダイビング

2022年02月21日 | field work

 

 2021年最後のダイビング。

 私は、この暖かさの中でもう少し潜りたいと思う。しかし次第に北風が吹き出すと、沖縄は1日中うなりを上げて風が通り抜けてゆく。気温は春か秋なのだが、北風が冬の気配を運んでくる。そうなるとやはりダイビングは寒いだろう。

 しかし私は、冬用にドライスーツの訓練も受けた。だから借りればダイビングにゆけるのだが、さてどうしたものか・・・。

 ドライスーツは、衣服の上にすっぽり被ってしまう格好なので、寒さは感じない。だが少し激しい動きをすると首から水が浸入してくる。だから慣れるのに時間がかかりそうだ。慣れてしまえば水に濡れることがないから便利なダイビングツールである。

 そんな事を思い出しながら、私は春までオフシーズンにしているだろう。それに那覇の沖縄の街の空気が心地よい。風が吹き抜けても寒くはない。寒さ忘れの沖縄である。

 といってここで暮らしていても親戚があるわけではないので退屈だ。やはり冬はフィリピンのNIKKAの家にゆこうか。直行便があれば那覇から2時間半ぐらいでゆける。といっても今は、そんな便利なルートがないので、これも少し無理か。

Fisheye72

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Fisheye71.至福の時間

2022年02月20日 | diving

 

 前にも書いたが、海がシケている時は、沖縄本島本部のゴリラチョップのビーチダイビングだ。実は、シケの時とかオープンウォーターと呼ぶ初心者講習の時は多くのダイビングショップがあつまるので、懐かしい顔に挨拶できたりして、そんなコミュニケーションがあって私の好きなところだ。それにレストハウスががあり、シャワーやトイレの設備も整っている。

 この日もダイビングショップの車でホテルから本部へゆく車中、こんな時期にゆく物好きダイバーは私一人なので、椅子に横になって寝ていた。気がついたらもう本部だったというのが、ドラえもんドアみたいで好きなところだ。

 いけば、元気な輩達がこのポイントに集まっている。そんな空気が天候の悪さを吹き飛ばしてくれて心地よい。

 それでいて結構魚がいたりする。このポイントの隣は大型船舶の港なので、潜れる範囲は限られている。みると巨大なフーチングの足場に遭遇した。さすが土木はデカい!。巨大な足場を横目にサンゴと魚たちを探して潜っていった。

 もう一つ、このポイントが好きな理由は、お昼は帰り道の途中のお店で食事ができることだ。この日は九州ラーメンだったな。

 そうして午後2時過ぎぐらいにはホテルに戻っている。疲れた時を寝て過ごす午後の時間も心地よい。そんな素晴らしい時間を与えてくれるのも本部の良いところだ。

 さてこの日はゆきつけの"PAPAS"のママの還暦の誕生日だった。いつもPAPASは夕飯代わりに利用しているスナックだ。早速お花を調達してお店へ出向いた。いゃー、ダイエット族には過剰にケーキなどを頂いて少し至福の1日だった。

71Fisheye

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Fisheye70.悩ましい画像データ

2022年02月19日 | diving

 

 2021年12月のこの年最後のダイビングでは、Gopro7だけを使おうと最初から決めていた。そうなると動画に専念できて気楽だ。

 ただGopro7にも欠点がある。通例デジカメは、どんな機材でも日付情報をボディに保存できる。それは弱い電量を常に流し続け日付情報を維持しているからだ。その電量が切れると日付情報は初期化されてしまう点ではみな一緒なのだが、Gopro7はバッテリーを抜くとさっさと初期化されてしまう。だからバッテリー交換をしたら日付設定をするのが使う前の必須の操作である。

 しかしだよ、ダイビングボートの上で日付設定なんかできる環境ではない。そもそも2回のダイビングでバッテリーが消耗して調度お昼時なのだが、機材をかたづけたり、昼飯にありついたり、夏の余韻が残る慶良間の海に没頭していると、バッテリーは交換するが、当然そんな面倒な操作は忘れてしまう。

  そんなわけでMacに画像データを移し替えたとき、そのサボりが如実に働く。つまり日付順に保存されないで、ひどいときには一番古い工場出荷時の日付で保存されたり、前回のダイビングの後に保存されたりと少し悩ましい事が起きる。

 そんなわけで画像ナンバーを頼りに、今回の画像を集める作業も少し難儀だ。もちろんMacの写真ソフトには順序不同で並ばれているから、整理できない状態だ。

 こうした不具合は、最新のGopro10のモデルでは、さすがに改善されたようだ。

 もう一つ悩ましいことがある。それは動画のためデータ量が大きいことだ。早々にMacの写真ソフトはいつ杯になるだろう。だから動画だけは外付けNASへ保存している。これまでcloudに整理して保存されていたブログデータに変調をきたす。

 このように動画も随分と面倒くさい。ここでアップさせている動画はすべてハイビジョンクラスだが、聴視者はならば4Kで・・、と簡単にいってくれる。撮影は4Kで撮っているがYouTubeのアップは画質を下げてハイビジョンクラスでアップだ。やはり4Kにしたときの画像データが大きすぎることが難点なのである。

 そんなわけでハイビジョンクラスで動画をアップさせているが、解像度は最大、読み込みは品質優先でYouTubeにアップ。今回も4GBを越えるデータ量だ。毎日その程度の画像をブログにアップさせると8TBのNASも早晩一杯になるだろう。画像データは、何かと悩ましいのである。

 そんな大容量のデータをNASに15分ぐらいかけて保存し、やれやれと思っていると、タイトルに誤植を見つけた。もう直すのが面倒だ。だからそのままにしている。いつか直そう・・。いや面倒だから直さないな(*^▽^*)。動画はアップさせたら、いじりたくない。そんな気分が濃厚だ。

 

Fisheye70

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Fisheye69.寒さの悪循環の系譜

2022年02月18日 | diving

 

 このブログを書いている12月22日は、冬至であった。京都市内の外気温3°。週末は雪模様の寒い日が続いていた。

 寒さの悪循環という体内の現象がある。先ず外気温が下がると身体は過敏に反応する。そこでヒートテックを着込んだり、厚いセーターに着替えたりと、身支度をしだす。それが悪循環の始まりだ。さらに寒くなると羽毛のコートなどを取り出し、それでも寒くなると家に閉じこもるしかない。それは、つまり身体が冬の寒さに順応しようとする前に防寒につとめるわけだ。

 そうなると身体が冬の寒さに慣れる時間は、どこにいったんだい!?、ということになる。やはり少し寒いのを我慢して身体を冬の寒さに慣らす時間を設けたい。身体が慣れてくると、ヒートテックに頼らずにすんでいる。ただし、いまのところはだが・・・・。

 私も危うく冬の悪循環の系譜にのみこまれそうになった。沖縄で暖かい気候を経験し身体に少し余裕ができたためか、京都に戻ってもヒートテックの世話にはならずに済んでいる。少し肌寒いぐらいで調度良さそうだ。ダイビング効果だ。

 そうやって少し冬の寒さに身体をならしつつ、しかしどうしても寒いときは、やはりヒートテックを着込もうと思う。だがまてよ、ヒートテックって本当に暖かいのだろうか。それよりは、厚手の綿のTシャツのほうが暖かいと思う事もある。

 まあ、そのあたりの事情は、さらに寒くなってみないとわからない。身体を冬の寒さに慣れてから、厚着をすべく努力中である。というかやせ我慢に少し近い。

Fisheye69

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Fisheye68. 続・光芒のダイビング

2022年02月17日 | diving

 

 光芒のダイビングの続き
 午前中は、光が射す幻想的な水中だった。この時期のダイビングとしては珍しく、光が直線的に射す環境だった。波がないから直線的に射す。このようなことは、潜らないとわからない。

 実際北風は吹いているのだが、島の反対側に私達はいるので、その影響を受けないで済む。そこが潜れるダイビングポイントだ。ボートも少ないから、ポイントの真上に停泊できる。

 ダイビングの最初の実習であるオープンウォーターの頃を思い出していた。あろうことか初心者が年末の冬の海でダイビング初体験。思ったほどには、綺麗な海ではなかったと思った。今では思い出したくないビギナーの経験である。

 さて海がシケる前日の慶良間諸島だった。明日は本島でビーチダイビングだから、今日という時間をたっぷり楽しもうという魂胆だ。

 冬の前の暖かい一時の海だった。

Fisheye68

 

追記

 冬季オリンピックをみ

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Fisheye67.光が揺らめく

2022年02月16日 | diving

 

 12月のダイビングは北風で海が荒れ、ボートは揺れに揺れ、水中は濁っているかもしれない。そんな諦め気分で出かけることが多い。意外なことに儀志布西のポイントは、島が北風をよけ水面は静かだった。潜ってみれば光芒が直線で水底に届き幻想的なアクアスケープだ。

 そんな美しさは、動画では表現できないが、その気分ぐらいが映っていれば上出来だろう。予想外の季節に予想外の風景に遭遇した。こんなこともあるんだ。

 だから潜ってみなければわからない世界だ。最初のダイビングは海が荒らされていないので、大変透明度が高い。それが次第に濁ってくる。もちろん濁らせているのは、私達ダイバーが巻き上げる砂塵なのだが。

 それでも、1日たつと元の透明度が高い海に戻る。毎日そんなことの繰り返しだ。

Fisheye67.光が揺らめく

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Fisheye66.フグに遊んでもらっている

2022年02月15日 | diving

 

 慶良間諸島の海。水温は23°とこの季節としては暖かいのか・・・。

姿が見えないが多分ゴシキエビ。そしてユカタハタのツーショットだ。2匹が重なる瞬間はビデオを回さないとね。

ユカタハタはミーバエともいったと思うが、市場当たりでは高級魚らしい。つまり旨いということだ。といってダイバーがユカタハタを捕まえて水上へ引き上げるのは法律違反だから、しませんけど。

フグは、遊び相手だ。お腹を膨らませると俄然動作が鈍くなり、もてあそぶのに格好の玩具だ。小さなヒレがパタパタと動く様なんか、まさにゼンマイ仕掛けの玩具のようだ。まあそんなふうにフグに遊んでもらっている。そしてバカにしやがって・・というそぶりで逃げてゆく。

 平和な水中の風景である。

Fisheye66ver2

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Fisheye65. 海がシケている、ならば本部へゆこう!

2022年02月14日 | diving

 

 この日は、海がシケていた。だからダイビングボートのほとんどは結構した。私はためらわず本部のゴリラチョップへ車で出かけた。那覇市内から本部まで1時間半ぐらいだろうか。ダイバーは私一人だったので車の中で横になって寝ていたら、ほどなくついてしまった。久しぶりのビーチエントリーだ。

 本部は、隣は港だし、そんなに変化のある地形ではない。それでも、この日は結構な魚に遭遇できた。意外に面白かった半日だった。

 それに、我が郷土京都府の乙訓高校の修学旅行生の体験ダイビングと鉢合わせした。パンデミックで修学旅行が延び延びになっていたのだろう。彼らの表情は、とても愉しそうだった。多分将来ダイバーになる生徒も出てくるだろう。海のない街京都のダイバーだ。沖縄に来ればダイビングの養成スクールがある。

 彼らを教えていたのが、私がいつもも潜るインストラクター達だった。どことなく同窓会的、といって一ヶ月ふりなのだが。

 本部のビーチは、公園として整備されているから、レストハウスもついているのでダイバーにとっては快適な場所だ。ついでに公園内にテラスのあるレストランでもつけてくれたら世話はないし、ダイビングをする人達や海を眺めながらのランチは最高の時間なのだけど・・・・。

 

Fisheye65. MOTOBU

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