昨日は秋の彼岸の中日ということで、お墓参り。
稲刈りが終わった田んぼの畔にも「彼岸花」も目立ち始め、天候が崩れる度に日一日と秋の気配。
そんな、大崩の先日の台風16号で、被害を受けた方々におかれましてはお見舞い申し上げます。
当時(20日午後)、地元でも市内を流れる二級河川が「避難判断水位」を超え、「避難準備情報」が発せられる。
橋桁下約1.0Mぐらいでしょうか。。。
この二級河川「笙の川」、今まで決壊の歴史はないものの堤が低いため、水が溢れ近隣が冠水したたこともあるため
今回もヒヤヒヤもの。閘門の調整やポンプの具合によっては、いつ溢れても不思議ではなく、堤防近くの人たちが
不安げに傘をさし、外を伺う姿が見受けられた。
実はこの「笙の川」。遠い昔、今から860年ほど前の平安時代に平清盛によって一時期、湖上水運の名の元
お隣の滋賀県は琵琶湖と運河で結ぶ計画が持ち上がる。
要は日本海で取れた海産物や北国諸藩からの物資をこの河口に集め、運河によって琵琶湖と結び
大津や堅田で陸揚げし、京や大坂へ運ぶという壮大な計画。
当時、琵琶湖の水上権の絡みもあり、清盛の後も豊臣の時代には地元城主:大谷吉継も計画。
今まで記録に残るものだけでも20回近く計画しては立ち消えとなっている。
因みに1960年代には「日本横断運河」なるものも計画。
何と、太平洋側の伊勢湾と琵琶湖と地元の湾を結ぶというもの。
しかし、今回のように大雨の折にこの様な状態になる川にとっては計画倒れで「これ幸い」。
理由は琵琶湖の水位はこの川の水位より遥かに高くその差、約85Mもある。
パナマ運河でもみられる「閘門水路方式」を採用しようが琵琶湖の水が一気に運河を経由し、
この川を通り日本海に流れてしまう景色が目に浮かぶ。。。
そんな「計画」の段階で倒れるなら未だしも、「夢のような話」をあたかも「現実の話」のように作り変え
この世に生んでしまった愚かな人間。
三人寄ったところで「よい知恵」など浮かぶ筈もなく、「文殊の知恵」など何処にあるやら・・・。
では今日はこの曲をお贈りしてお別れです。。。彼岸花の色をしたシフォンスカートが目を引きますねぃ・・・
(6月に訪れた「異様な景色」→陸の孤島に咲く紫陽花)