2月9日から旅行に行ってきます。ベルリン2泊、ドレスデン1泊、ベルリン2泊の旅です。2月15日に帰国予定。帰ったらまた報告させていただきます。
新国立劇場の「焼肉ドラゴン」の再演。2008年に初演されたときには、仕事が忙しかったので、気になりながらも行くことができなかった。土日は行けたはずだが、精神的・肉体的な余裕がなかった。今回は無事に観ることができた。
場内に入ると、そこには懐かしい昭和の時代が再現されていた。大阪の貧しいコリア・タウン(在日韓国・朝鮮人の集住地)。焼肉ドラゴンの店内にはいつものように常連客がごろごろしている。アコーディオンと太鼓で「鉄腕アトム」の主題歌や歌謡曲を演奏している。時は大阪万博がひらかれた1970年(昭和45年)。「やぁ、懐かしいなあ」と思っているうちに芝居が始まった。
笑いあり涙ありの芝居。戦争で片腕を失った金龍吉(キム・ヨンギル)とその後妻の高英順(コ・ヨンスン)、金龍吉と先妻とのあいだの2人の娘、金静花(きん・しずか)と金梨花(きん・りか)、高英順の連れ子の金美花(きん・みか)、金龍吉と高英順とのあいだに生まれた金時生(きん・ときお)の6人家族。
3人の娘がそれぞれわけありの恋をする。静かに見守る金龍吉と、一喜一憂する高英順。その様子は「屋根の上のヴァイオリン弾き」を連想させる。そういえば在日韓国・朝鮮人の境遇は、ヨーロッパ社会のユダヤ人と似ているかもしれない。そう思って観ていると、屋根の上にあがって遠くを見つめる金時生が「屋根の上のヴァイオリン弾き」のように見えてきた。
場内にはキムチの匂いが漂っていた。芸がこまかいのに感心。これでますます現実味が増した。休憩時間にはロビーでアコーディオンと太鼓の演奏もあった。空き缶を手に小銭を集めるパフォーマンスも。サービス精神旺盛の公演だ。
幕切れでは空から無数の花びらが舞った。その美しさは忘れられない。多くの人が涙を流した。わたしも、そして役者さんも。
これは在日韓国・朝鮮人の悲哀を描いた芝居だ。会場は満席。在日韓国・朝鮮人と日本人とが隣り合ってすわり、ともに笑い、涙を流す。そこに未来の希望が見出せるとよいのだが――。
わたしは作者の鄭義信(チョン・ウィシン)さんよりも少し年上だが、ほとんど同時代の空気を吸ってきた。小さな町工場がひしめく京浜工業地帯に生まれ育ったわたしの周囲にも在日韓国・朝鮮人がいた。わたしはなにをしていたのだろう。
(2011.2.7.新国立劇場小劇場)
場内に入ると、そこには懐かしい昭和の時代が再現されていた。大阪の貧しいコリア・タウン(在日韓国・朝鮮人の集住地)。焼肉ドラゴンの店内にはいつものように常連客がごろごろしている。アコーディオンと太鼓で「鉄腕アトム」の主題歌や歌謡曲を演奏している。時は大阪万博がひらかれた1970年(昭和45年)。「やぁ、懐かしいなあ」と思っているうちに芝居が始まった。
笑いあり涙ありの芝居。戦争で片腕を失った金龍吉(キム・ヨンギル)とその後妻の高英順(コ・ヨンスン)、金龍吉と先妻とのあいだの2人の娘、金静花(きん・しずか)と金梨花(きん・りか)、高英順の連れ子の金美花(きん・みか)、金龍吉と高英順とのあいだに生まれた金時生(きん・ときお)の6人家族。
3人の娘がそれぞれわけありの恋をする。静かに見守る金龍吉と、一喜一憂する高英順。その様子は「屋根の上のヴァイオリン弾き」を連想させる。そういえば在日韓国・朝鮮人の境遇は、ヨーロッパ社会のユダヤ人と似ているかもしれない。そう思って観ていると、屋根の上にあがって遠くを見つめる金時生が「屋根の上のヴァイオリン弾き」のように見えてきた。
場内にはキムチの匂いが漂っていた。芸がこまかいのに感心。これでますます現実味が増した。休憩時間にはロビーでアコーディオンと太鼓の演奏もあった。空き缶を手に小銭を集めるパフォーマンスも。サービス精神旺盛の公演だ。
幕切れでは空から無数の花びらが舞った。その美しさは忘れられない。多くの人が涙を流した。わたしも、そして役者さんも。
これは在日韓国・朝鮮人の悲哀を描いた芝居だ。会場は満席。在日韓国・朝鮮人と日本人とが隣り合ってすわり、ともに笑い、涙を流す。そこに未来の希望が見出せるとよいのだが――。
わたしは作者の鄭義信(チョン・ウィシン)さんよりも少し年上だが、ほとんど同時代の空気を吸ってきた。小さな町工場がひしめく京浜工業地帯に生まれ育ったわたしの周囲にも在日韓国・朝鮮人がいた。わたしはなにをしていたのだろう。
(2011.2.7.新国立劇場小劇場)