Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ダナエの愛

2011年02月21日 | 音楽
 最終日はシュトラウスのオペラ「ダナエの愛」をみた。念願のオペラだ。2004年に小泉和裕さん指揮の都響が「交響的断章」を演奏した。その美しさに驚いて、CDをさがすと、2001年のキール歌劇場のライヴ録音がみつかった。全曲通してきくと、ますますこのオペラにひかれた。2006年には若杉弘さん指揮の新日本フィルが演奏会形式で上演した。それ以来、いつかは舞台をみたいと思っていた。

 演出はキルステン・ハルムスKirsten Harms。ベルリン・ドイツ・オペラのインテンダントをつとめる女性演出家だ。前述のキール歌劇場の上演でも演出を担当していた。そのときの写真がCDのブックレットに載っている。基本的には今回と同じだ。

 幕開き。大勢の債権者が、破産したポルックス王の屋敷に押し掛けて、金目のものを奪う。そのとき、どういうわけか、ピアノをひっくり返して空中に吊っていく。宙吊りになったピアノは、結局、最後までそのまま。これはなにを象徴しているのだろう。

 場面が変わってダナエの寝室。ユピテル(ジュピター)が黄金の雨に変身してダナエを愛撫する場面。ここでは、黄金の雨ではなく、大量の楽譜が降ってくる。楽譜を拾って喜ぶダナエ。

 最後は驚きの連続だった。ユピテルの愛を拒んで、ロバ曳きのミダスを選んだダナエは、砂漠で貧しいながらも平穏な暮らしをしている。そこにユピテルが現れる。ダナエの心は堅固なはずなのに、なぜか激しく動揺する。そして、まさかのことだが、ユピテルの熱い接吻を受け入れる。ダナエはユピテルを愛していた(!)。別れのしるしに渡すものは、黄金のかけらではなく、楽譜の束。ユピテルが去って、帰宅したミダスのもとに駆け寄るはずのダナエだが、ミダスは帰宅せず、宙吊りのピアノをみて物思いにふける。

 この演出はどういう意味なのだろう。なんの情報もないので、舞台をみた感想にすぎないが、楽譜の束はこのオペラのスコアではないかと思った。ダナエはミューズ、ユピテルはシュトラウス自身。宙吊りになったピアノは、第二次世界大戦の激化のために初演が中止になったこのオペラの運命か。

 演奏は申し分なし。ダナエを歌ったのはマヌエラ・ウールManuela Uhl。前述のCDでも同役を歌っていた。硬質のよく通る声だ。ユピテルを歌ったのはマーク・ドゥラヴァンMark Delavan。陰影のある歌い方なので、ヴォータンもよさそうだと思ったら、レパートリーに入っていた。指揮はアンドリュー・リットン。がっしり構築して朗々と鳴らす指揮者だ。2009年の都響の客演でも好演をきかせた。
(2011.2.13.ベルリン・ドイツ・オペラ)
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