Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラトル&ベルリン・フィル

2011年02月18日 | 音楽
 翌日はベルリン・フィルの定期へ。指揮はサイモン・ラトル。この演奏会では細川俊夫さんの新作「ホルン協奏曲〈Moment of Blossoming〉」が初演された。独奏はソロ・ホルン奏者のシュテファン・ドール。本作はベルリン・フィルのほか、ロンドン・バービカン・センターとアムステルダム・コンセルトヘボウの共同委嘱。細川さんはすでにヨーロッパの音楽シーンの中心にいるわけだ。

 曲の前半はいかにも花が開くときの「産みの苦しみ」の音楽だ。独奏ホルンのもがき苦しむような音型。客席には2本のホルンと1本のトランペット、1本のトロンボーンが配置され、エコーのように支える。
 苦しみがきわまった瞬間、突然どこかに出たように、透明で静謐な音楽になる。鈴が鳴っていた。あれは風鈴だったかもしれない。その音楽が最後まで持続する。

 わたしにはそうきこえたが、標題に引きずられた面もあるだろう。もしこれだけだったら、なんだかあっけない感じがする。演奏時間は20分もなかったのではないか。意外に短かった。

 あっけなく感じた理由は、別にあったのかもしれない。細川さんの音楽は、その背後に静寂の世界の存在を感じさせるが、同時に、必ずといってよいほど、劇的な瞬間がある。それは能における鼓の一打のように、前後を切り裂く決定的なものだが、この演奏ではそれが感じられなかった。音楽の流れのクライマックスとしかきこえなかった。これは日本人の感性と、ヨーロッパ人の感性のちがいではないかと思ったが、そんなことをいうと、細川さんには一笑に付されてしまうかもしれない。

 演奏終了後、細川さんとシュテファン・ドールに花束が贈られた。大男のドールと、最近でっぷりしてきたラトルとに挟まれて、細川さんは少年のようにみえた。

 細川さんの新作の初演だから、コンサートマスターは樫本大進さんだろうと思っていたら、ちがっていた。細川さんもベルリン・フィルも、そういう発想はもうとっくに飛び越えているのだろう。清水直子さんも出演していた。清水さんは今でもソロ・ヴィオラ奏者だが、この日は後ろのほうのプルトにいた。こういうことはよくあるのだろうか。

 本作の前にはハイドンの交響曲第99番が、後にはシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」が演奏された。どちらも高級な品質が保証された音だった。しかも、ラトルの特性だろうが、楽々とした呼吸感を失わない演奏だった。終演後はラトルにも花束が贈られた。楽員が去った後にはソロ・カーテンコールもあった。
(2011.2.10.フィルハーモニー)
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