ドキュメンタリー映画「相馬看花(そうまかんか)―第一部 奪われた土地の記憶―」を観た。平日18:55からの上映。観客は10人程度だった。気の毒になるほどガラガラだ。新聞各紙で取り上げられているので、もう少し入っているかと思った。現実は厳しい。
この映画は福島第一原発の事故で避難所生活を余儀なくされている南相馬市の人々を追った映画だ。苦しいなかにも冗談を言い合い、地縁・血縁で結びついている素朴な人々。それらの人々がいとおしく思える映画だ。
音楽も、ナレーションも付いていない。淡々と人々のおしゃべりが続く。方言が強いので、よくわからないこともあるが、それでいいようだ。一語一語はわからなくても、そこにこういう人々がいる、そのことを感じてほしい――というコンセプトで作られた映画だ。
人々はカメラに向かってしゃべっている。けれどもそこには緊張とか、ポーズなどは感じられない。みんないつものとおり普段着でしゃべっている。考えてみると、これはすごいことだ。それだけ信頼があついのだ。
撮影・編集・監督は松林要樹(まつばやし・ようじゅ)さん。1979年生まれ。まだ30代だ。単独ではこれが二作目。一作目は第二次世界大戦後にタイ・ミャンマー国境付近に残った未帰還兵の戦後を追った「花と兵隊」(2009年)だった。そのときも、未帰還兵の人々がよくここまで心を開くものだと感心するほど、普段着でしゃべっていた。
これは松林さんの天分だろう。警戒心を解き、本音で付き合える持って生まれたものがあるのだ。けっしてスマートではなく、むしろ泥臭さが感じられる。逆にそのことが信頼感を生むのだろう。
「花と兵隊」もそうだったが、「相馬看花」はあらかじめ用意された主張に沿ったドキュメンタリーではない。混沌とした現実をそのまま捉えた作品だ。人々の心のひだに入り込む努力をした作品だ。わたしたちにはずっしりした重い現実が残される。
このドキュメンタリーは昨年4月から7月までの記録だ。それから約1年。最後まで自宅で頑張っていたが、やむをえず避難所に移った粂夫妻は、今ごろどうしているだろう。仮設住宅に入った末永夫妻は元気だろうか。市議会議員の田中京子さんは今もみんなを支えているだろうか――と気になる。みなさん、お元気だろうか。
(2012.6.5.オーディトリウム渋谷)
この映画は福島第一原発の事故で避難所生活を余儀なくされている南相馬市の人々を追った映画だ。苦しいなかにも冗談を言い合い、地縁・血縁で結びついている素朴な人々。それらの人々がいとおしく思える映画だ。
音楽も、ナレーションも付いていない。淡々と人々のおしゃべりが続く。方言が強いので、よくわからないこともあるが、それでいいようだ。一語一語はわからなくても、そこにこういう人々がいる、そのことを感じてほしい――というコンセプトで作られた映画だ。
人々はカメラに向かってしゃべっている。けれどもそこには緊張とか、ポーズなどは感じられない。みんないつものとおり普段着でしゃべっている。考えてみると、これはすごいことだ。それだけ信頼があついのだ。
撮影・編集・監督は松林要樹(まつばやし・ようじゅ)さん。1979年生まれ。まだ30代だ。単独ではこれが二作目。一作目は第二次世界大戦後にタイ・ミャンマー国境付近に残った未帰還兵の戦後を追った「花と兵隊」(2009年)だった。そのときも、未帰還兵の人々がよくここまで心を開くものだと感心するほど、普段着でしゃべっていた。
これは松林さんの天分だろう。警戒心を解き、本音で付き合える持って生まれたものがあるのだ。けっしてスマートではなく、むしろ泥臭さが感じられる。逆にそのことが信頼感を生むのだろう。
「花と兵隊」もそうだったが、「相馬看花」はあらかじめ用意された主張に沿ったドキュメンタリーではない。混沌とした現実をそのまま捉えた作品だ。人々の心のひだに入り込む努力をした作品だ。わたしたちにはずっしりした重い現実が残される。
このドキュメンタリーは昨年4月から7月までの記録だ。それから約1年。最後まで自宅で頑張っていたが、やむをえず避難所に移った粂夫妻は、今ごろどうしているだろう。仮設住宅に入った末永夫妻は元気だろうか。市議会議員の田中京子さんは今もみんなを支えているだろうか――と気になる。みなさん、お元気だろうか。
(2012.6.5.オーディトリウム渋谷)